「お養父さん、お帰りなさい」
コロニーの居室に戻ると、一人の少女が濡れ羽色の髪を靡かせて駆け寄ってきた。中々強力なタックル。和泉十郎は踊り続けた会議で刷り込まれた仏頂面を慌てて解すと、
「恵もいい子にしていたか?」と問いかけながら、少女の軽い身体を抱きあげた。
「うん。今日は学校の算数のテストで満点を取ったんだよ。えーとね、それと美和ちゃんが――」
得意満面の笑顔。
「そうか」微笑みを浮かべながら、和泉は居た堪れない気持ちを自らの分厚い面の皮に押し隠す。
既にこの世界に学校などは存在しなかった。子供と呼べる年齢の人類は、もはや目の前の少女只一人。画面越しに出会う“クラスメイト”とて、精巧に作り出されたAIに過ぎないのだ。
(すまん、薬師寺……)悔恨という名の苦いものが喉に込上げる。
――必ず守る。
娘の為に死を選んだ部下に、そう誓った。だというのに、目の前の少女には、恵には、その無限の可能性を受け止めてくれる世界は存在しないのだ。最早必然となった滅びゆく世界で生きる。それが自分を「お養父さん」と呼び、無邪気に笑う少女……薬師寺恵の迎える未来だった。
「お養父さん、難しい顔してる?」心配げに恵が見つめている。
「いや、何でもない。今夜は一緒にご飯、食べるか?」
「うん!」
味気ない配給のレーションパック。そんなモノでも恵は自分と食事を取るのが楽しいらしい。際限なくおしゃべりをしながら屈託なく笑う。(子供は天使だというが……)和泉は釣られて久方ぶりに作り物ではない微笑みを浮かべていた。
(タラレバは禁句と言うが、千尋とうまくいっていたのなら、このくらいの娘が居たのかもな)
棚の上にある、古びたポートレート。其処に写っている若かりし日の自分と銀色の髪の女性。我ながら女々しいと思いつつも捨てられずにいる。
(なあ、千尋。こんな世界がお前の望みだったのか?)
窓の外に拡がる宇宙。人類の手がついに届く事は無かったフロンティア。
そこに浮かぶ青い星……地球。この百年前の核戦争で一度滅んだ人類の母星は再生され、生命に満ち溢れているかのように見える。それを成し遂げたのがナノマシン技術だった。大地に撒かれたナノマシンは自己増殖し、汚染された星を一旦は浄化したのだ。
だが、技術の発展は幸福を呼ぶものばかりではなかった。悦楽、犯罪、そして戦争。貧欲に利益を求める大企業が笛を吹く。やがて一線を越えたナノマシンは人類の制御を離れ、自己進化を繰り返し、効率よく戦争を終わらせるための存在……人類を死滅させるナノマシン・ウィルスとして世界にばら撒かれた。
世界の終わりの始まり。
その口火を切ったのが、写真の中で自分に微笑みかける銀髪の女性だった。
森村千尋――
かつて自分が愛した、いや、今でも愛し続けている女。彼女が現状を良しと考えている筈がなかった。研究費を得るために行った一つの不正。それが世界を滅ぼす結果を生んだのだ。
(だから、お前は足掻き続けた。人類という“存在”を未来に残す為に、最後まで)
数日前のテロで、千尋は死んでいた。
しかし箱舟は既に旅立ち、自分もそれに保険を掛けてある。思い残すことは――
「お養父さんてば、またこの人の事見てる」
物思いに沈んでいた和泉を呼び返す声。ふと見れば、むすっとした顔で恵が睨んでいた。恵はどういう訳か千尋の事を嫌っている。遺伝子提供の際に痛い思いをしたからなのかもしれない。
それは兎も角。
(責任のある俺たちはいい。だが何の咎も無い恵を、俺の“娘”をどうすればいい?)
写真の中の千尋は何も答えなかった。
□
恵をなんとか寝かしつけ、居間で取って置きのボトルを開けて束の間の安息を得ようとした時、通路と居室を繋ぐドアのセンサーに何かが反応した。成人男性の反応。(無意味な事を……まったく律義な奴だ)それが“誰”なのかを和泉は知っていた。
「関ケ原か」
「来るのはわかっていたようだな。和泉十郎」
態々開錠コードを使ったのか、静かにドアが開く。痩身の、少し出来過ぎと言った感の美男子が部屋に入って来る。滅びゆく世界の最後の殺し屋、関ケ原瑛。お互いに銃を抜く。
「誰に頼まれた? 郷登か、緒方か……いや、違うな」
「俺は仕事に完璧を求める。分かっているのだろう、和泉十郎」
ああ、分かっている。自惚れかもしれないが彼女の願いなのだろう。少し遅れたが、同じ男の手で殺されるというのも悪くはない。だが――
「……お養父さん、お客さんなの?」
寝ぼけ眼で寝室から歩み出る少女。その存在が和泉に死を選択させることを許さない。庇うように、和泉は恵の前に立った。皮肉めいた笑みを浮かべる関ケ原。
「お前の生死に関わりなく、どの道その娘は死ぬ」
遠くから爆発音が聞こえ、警報が鳴り響く。
このブロックの酸素供給装置が破壊されたというアラート。
「念入りな事だな」
「言っただろう。俺は完璧を求める、と」
次の瞬間、互いの銃口が火を噴いた――
□
コロニーのフロックとブロックを結ぶ連絡通路。
漆黒の宇宙に浮かぶ青い地球が、淡く光を投げかけている。
「お養父さん、血が、血が出てるよ」
通路の壁に無様に寄り掛かった和泉にしがみ付きながら泣きじゃくる恵。肩を貫通した銃弾は動脈を傷つけ、止め処なく流れ出る血は確実に和泉の命を削っていた。
関ヶ原の射撃は的確だった。まるでターゲットに死に場所を選ばせるかのように。
それでいて自らは和泉の銃弾を避けようともしなかった。眉間を撃ち抜かれながら、関ケ原は満足げに笑っていた。
(どうやら俺たちが“最後”だったらしいな。自殺は殺し屋としてプライドが許さなかったのか)
空気が薄くなってきた。
しがみ付く恵をそっと抱きしめながら、和泉は美しく輝く地球を見やる。人類が居なくなってもこの星は青く輝き続けるだろう。そして新たな知的生命体を育むのかもしれない。
「お養父さん……あのね」
泣きつかれたのか、恵が少し頬を赤らめて和泉に話しかけてきた。幼いながらに、本能で自分たちの運命を悟ったのかもしれない。何の憂いも無い、澄んだ瞳。
「なんだ、恵?」霞む瞳で娘を見詰める。
「もし生まれ変わることがあったなら、あたし、お養父さんのお嫁さんに、なりたい、な……」
はにかむ様な笑顔を浮かべて、恵はそう囁いた。
(そんな可能性も、あの”箱”の中にはあるのかもしれないな)和泉は静かに目を閉ざす。手に重い感触……それで何をしようというのか、もはや和泉には判らなかった。
静寂の中、一発の銃声が響く。
西暦2188年――その瞬間、太陽系第三惑星の人類は絶滅した。