ネクサスは絶対に出すので宜しければ適能者が誰になるか予想してみて下さい
千歌は朝が苦手だ。いつも二度寝してしまう癖があるので大抵姉の志満か、一緒に登校する曜に布団を引っ剥がされて起こされる。最近はもう目覚まし時計など無用の長物と化していた。
しかしその日は違った。
ふつと目が覚め時計に手を伸ばしまだ鳴っていないアラームを止める。
アラームが鳴り出す前に起きるのは久しぶりだったので千歌は心の中で小躍りする。
(どうしよう…もう一度寝ようかな?でもそしたらまたいつもみたいになっちゃうし…)
と思いつつも二度寝という幸せに身を委ねるべくもう一度瞳を閉じようとした時違和感に気づいた。
…体が妙に重たい。脇腹辺りから妙に柔らかい感触を感じるのだ。
不思議に思って布団を少し捲ると———
「すぅ……すぅ……」
宙が千歌に抱きつくように眠っていた。
少し驚く千歌だったが、すぐに状況を理解し顔を綻ばせる。宙は水面のように穏やか表情で眠っていた。とても異形の怪物に命を賭して立ち向かっていたとは思えない、ごく普通の少女の寝顔だった。
(あ、涎垂れてる。可愛い)
千歌から眠気は完全に失せていたが、まだ宙を起こすつもりは無いらしく宙の頭を優しく撫でる。
(宙ちゃんって本当に綺麗だなぁ。前までずっと住む場所も無かっただなんて想像つかないよ)
同じ年なのにそのなりからは想像出来ない程の苦労を重ねてきたのだと思うと千歌は胸が一杯になる。
不意に宙の抱きしめる力が強くなった。千歌に甘えるように腕を絡みつかせてくる。
「ん…お母さん……」
その寝言に千歌は一瞬体を硬直させ、困ったように笑う。
(そろそろ起きないと)
そう思い宙を軽く叩いて起こすべく背中に手を乗せる。まるで地肌を触っているように滑らかな触り心地だった。
(⁉︎ この感触…もしかして)
千歌はもう一度宙をまじまじと見つめると、頭から肩あたりまでを覆っている彼女の黒髪の隙間から鎖骨が見えた。宙は昨日寝るときに首元をしっかり覆うジャージを着ていたので露わになるはずがない。
つまるところ———
千歌は思い切り布団を剥いだ。今度こそお互いの服装がハッキリ分かるようになる。
宙は何も着ていなかった。
「何でえぇぇぇぇぇ!?」
部屋全体に千歌の悲鳴が響き渡る。この日も目覚まし時計は自らの役割を果たすことはできなかった。
「本当にごめんなさい!私、いつの間に千歌さんの布団に入って…?」
宙が顔を赤面させながら深々と頭を下げ謝っている。ぶわさっと長髪が舞い上がって顔の前ににかかりホラー映画の幽霊みたいになった。
「いやいや!それは別に構わないけど…」
千歌は宙が命を救ってくれただけで無く甘える程に好意を向けてくれる事が正直嬉しかった。
「いやでも…千歌さんとは一昨日知り合ったばかりです。そんな方といきなり一緒に寝ようとするだなんて…不躾にも程があります」
そう言って何度も頭を下げる宙。側から見ていると首の関節が外れるのではないかと心配になる程だった。初対面の時の冷淡な態度と異なり優しく礼儀正しい心の持ち主である事を実感する千歌。
(でも…)
千歌は近くに脱ぎ散らかされている宙のジャージや下着を見ながらずっと不思議に思っている事を口にする。
「何で宙ちゃん…裸なの?」
「あぁ、すみません!私安心して眠ってると服を脱ぎ散らかしちゃう事が偶にあるみたいで。ごめんなさい。私のせいでベッドが汚れたりしてないですか?」
「えぇ……いやそうじゃなくて、あの…恥ずかしかったりしないの?」
「? いや特には。だって千歌さんは女の子ですもん」
「………」
千歌は無言で宙が着ていた服を抱え差し出す。
「服着て」
「えっ」
「女の子なんだから…恥じらいは持って、ね?」
「……はい」
千歌の有無言わせぬ口調に気圧され宙はいそいそと着替え始めた。何故か千歌の言っている事がよく理解できていないようだった。
(ていうか宙ちゃんってこんなキャラだったっけ……?)
そもそも何故宙が千歌の家にいるのか。それは昨日の夜まで遡る。
人前で思いっきり号泣してしまった宙はひとしきり泣いて落ち着くと急に恥ずかしくなり、涙で真っ赤に腫らした目を見られないように顔を俯けていた。
千歌の姉、志満が机を挟んで横から優しく話しかける。
「もし良かったら聞かせてくれないかな?貴方の事。」
その女神の如き微笑みに促され宙は水を得た魚の如く自分のこれまでについて話し始めた。自分に宿る力…これまでどうやって生きてきたのか。
そこに居る千歌・志満・美戸・梨子・曜…皆がうんうん頷いて話を真剣に聞いてくれるので口外禁止とされていたTLTの事や、つい昨日あったダークファウストとの衝突についても喋ってしまう。
宙が今まで一人ぼっちだったのが原因で日時生活や学校、社会について全く知識がない事を知った志満は暫くの間宙を高海家に住まわせ様々な事について理解を深めてもらう事を決心する。宙は迷惑が掛かるのでは、と遠慮したが千歌に
「もう一人にしたくないから!」
と懇願されその場にいる全員からも強く勧められたので、そこまで言って下さるならとご厚意に甘えさせてもらう事にした。
かくして宙の新しい生活が始まったのである。
千歌の家は「十千万」という名の旅館を営んでおりかなり広い。旅館一体が数寄屋造り風の歴史ある趣深い雰囲気を醸し出しており、非常に居心地が良かった。千歌に連れられ長い廊下を通り階段を下って一階に降りると早速声がかかる。
「おはよう千歌ちゃん、宙ちゃん。朝ごはん出来てるわよ。」
「千歌が早起きなんて珍しい。どうせ宙に起こしてもらったんでしょ?取り敢えず二人ともこっち来て運ぶの手伝って。姉さん、そういや宙の箸とコップどうする?」
志満も美戸も宙がダークファウストだという事を知っても変わらず優しく接してくれた。美戸に至っては親しみを込めて宙の事をもう呼び捨てにしている。宙は初めて家庭の雰囲気に触れ、また昨日のように「嬉しいのに泣きたくなる気持ち」が込み上げてきてしまいそれを悟られぬよう慌ててご飯を並べるのを手伝った。
皆んなが食卓の席に着くと口々に「いただきます」と言う。
「いただきます?」
宙は箸を握りながらキョトンとしてその言葉を反芻する。
「ご飯を食べる前に必ず言う言葉だよ。全ての命と食材に感謝するっていう意味を込めてね」
「いただき…ます」
志満の説明通り宙はそう呟くと箸を使って食べ始める。その様子に宙以外の三人は顔を見合わせた。
「宙…箸使えるんだ?」
「皆さんの見よう見まねです。初めて使いました」
「へえ、覚えるの早いね。あ、あと頰にご飯粒ついてるよ」
宙は引き締まった表情を変えずに素早く頰を拭った。
朝食を終え歯を磨き終わった宙は千歌と一緒に学校の教材を鞄に詰め制服に着替える。昨日アパートから学校に必要な物を全てこちらに持って来たので本来住む場所には殆ど何も残っていなかった。
暫くの間住む場所を変える事をTLT職員・瑞緒に報告するのをすっかり忘れていたせいで2日後アパートを訪れた瑞緒が大騒ぎしてしまう事をこの時の宙は知る由も無い。
昨日クラスで大声を上げてしまい学校に行くのに少し抵抗がある宙だったがサボる訳にもいかず、意を決してお客さんが使わない方の玄関を潜る。正面玄関を使うと迷惑が掛かるそうだ。
ぴしゃぴしゃと頰を叩きながら外に出ると視界の隅で何かが動く。ハッとしてそちらを見やると
「ハッハッハッハッ」
毛むくじゃらの不思議な生き物がこちらの様子を伺っていた。呼吸する度に体を激しく上下させている。ビースト程では無いがかなり大きかった。
「モフモフ……」
宙が一目見てその感想を述べた瞬間———
「ワン!」
毛むくじゃらの何かが尻尾をぶんぶん振り回しながらこちらに駆け寄ってきた。
「こら!しいたけ!」
千歌が後ろで慌てた声を上げるがその毛むくじゃらの生き物は止まる事なく宙に向かってジャンプする。
宙は咄嗟に身構えるがその生き物から全く殺気を感じ取れずそのまま固まってしまう。
宙はなす術なくその場に押し倒されてしまった。
「きゃあッ!ちょっと……!やっ…あはっ…あははははははははは!」
「こ、宙ちゃん⁉︎」
ザラザラした舌で顔中を舐め回され、そのくすぐったさに笑い転げてしまう。宙は必死に身をよじらせるがその生き物は体をぴたりと密着させ全く離れてくれない。宙の事を気に入ったようだ。
「こらーー!」
千歌が引き剥がしてくれたお陰でようやく宙は解放された。
「ごめん宙ちゃん!しいたけ放し飼いにしてる事言ってなかった…大丈夫?」
「いえ、お構い無く。別に痛くも苦しくも無かったです。でも何だか不思議な感覚でした…」
そう言いながら宙は渡されたティッシュで顔を拭う。犬と触れ合ったのは初めての事だった。
「もうっしいたけ!宙ちゃんにごめんなさいして!」
「ワン!」
大した気にも留めていないようで、しいたけと呼ばれている犬は宙に向かって元気良く吠える。
「しいたけっていう名前なんですね。この子」
「うん。…多分ずっと宙ちゃんと遊びたかったんだと思う。昨日だって障子の隙間からずっと寝てる宙ちゃんの事見てたし。撫でてみる?」
千歌がそう言うとしいたけはじりっと宙ににじり寄り、手をクンクンと嗅いでくる。人間の言葉が分かるのだろうか。大切にされている様子から宙はしいたけが高海家の大事な家族だという事が分かった。
(千歌さん達の家族なら…ちゃんと挨拶しないと)
宙は手を伸ばしてしいたけをゆっくり優しく撫でる。その毛むくじゃらの体は布団のように触り心地が良かった。
「初めまして、しいたけさん。私は高海宙と言います」
しいたけは毛に覆われ殆ど隠れている瞳を宙に向ける。ニコリと笑いかけたように見えたのは気のせいでは無いだろう。
「これから宜しくお願いしますね」
宙も表情を少しだけ緩めて微笑んだ。
千歌もそれを見て嬉しそうにうんうんと何度も頷いていた。
こんなにも朝日が心地良いと思ったのはいつぶりだろう。
こんなにも蒼い空と海、光る磯波が美しいと感じた日は果たしてあっただろうか。
宙の心は今までに無い高揚感に満たされていた。これまでとは違い、周りの景色、色がハッキリと自分の目に映り込んで来る。
「綺麗でしょ?ここから見える景色。宙ちゃんとっても良い顔してる」
隣を歩く千歌が笑いかけてくる。
「はい!とっても綺麗です!何ででしょう…今までは景色何かどうでも良くて…視界にモヤがかかったみたいでした」
「それ程宙ちゃんの心に余裕が出来たって事じゃ無いかな?」
「余裕、ですか…でもこれからの事は不安です…昨日は教室の皆さんに迷惑をかけてしまいましたし、何より私勉強何て今までした事無いですから…」
そう言って宙はドンヨリしてしまう。この事は瑞緒にも相談したのだが
「宙さんなら問題無いです!」
とサムズアップしてまともに取り合ってくれなかった。
「大丈夫!困った事あったら私とか…」
「おーい!」
後ろから二人の少女が駆け寄って来る。
「ほら!曜ちゃんや梨子ちゃんにも遠慮無く何でも聞いて!あっでも英語の事は私には聞かないでね。多分力になれないから!」
「もう…それは千歌ちゃんがいっつも寝てるからでしょう?宙ちゃんの為にもちゃんと授業は受けないと…」
梨子が困ったように腰に手を当てながら言う。
「まぁちょっと仕方ないよね。昼が終わった後すぐにいっつも組み込まれてるし。あ、宙ちゃんおはよう。千歌ちゃんの家寝心地良かったでしょ?」
曜が明るく笑いかけた。曜も梨子も昨日会ったばかりの宙に明るく振る舞ってくれる。
千歌、曜、梨子の三人が集まるとパッと花が咲いたようにその場が明るくなった。三人の仲が本当に良い事を実感する宙。
と同時に千歌が自分にだけ優しく振る舞う訳では無い事に気がつく。誰からも大切にされている太陽のような少女。それが高海千歌という人間だった。
ちょっと宙は悲しくなった。
一陣の風が通り過ぎ宙の長髪をふわりと持ち上げる。この髪の毛だって切れなかっただけで動くのに少し邪魔だった。昨日千歌の家でハサミを貸りて貰いバッサリ切ろうとしたら千歌に慌てて止められたのだ。そんなに綺麗な髪を切るなんて勿体ないよ、と。
「私お風呂に入る時、宙ちゃんの髪の毛洗うの好きなんだ」
(少し邪魔何だけど…この髪切っちゃったら千歌さんと一緒にお風呂に入る理由や、一緒にいる時間が無くなってしまう…そんなのヤダ。)
宙はこんな事でうじうじするのは情け無いと思っている。でも考えるのを止められなかった。千歌を見ると……友情、親愛…それだけでは言い表せない何か特別な感情が湧き上がってしまうから。
ずっと一緒にいる事が出来ないのは分かってる。それでも良い。出来る限り側にいたい。それが彼女の今一番の願いだった。
「宙ちゃん、どうしたの?」
いつの間にか立ち止まっていたらしく、千歌、曜、梨子の三人が心配そうに自分を見つめている。
「不安なの?大丈夫!私、渡辺曜は宙ちゃんの事をしっかりサポートするであります!」
「一緒に行こう?」
(自分の気持ちとどう向き合えば良いのか…まだ分からない。でも苦しむ事は無い筈だ。
だって…
私はもう一人じゃ無いから)
宙は差し伸べられたその手をしっかりと握った。