下宿
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遭遇した少女/メイシェンに案内されるがまま、狭く入り組んだ裏路地を、ゴミゴミとした集合住宅地を、それでいながらどこか生き生きとした臭いに満たされている空間を、隠すことなくまとっている住民たちを。
無関心を装った好奇と猜疑の視線をくぐって/無視しながら、進んでいった―――
周囲を警戒しつつ、彼女の背中を追いかけながら……疑念がわいてくる。
今彼女の着ている衣服は、このスラム街に相応しいモノではない。高価な素材や仕立て・デザイン、だからというわけではなく、ここの住民が着ないような制服だからだ。
学園都市ツェルニの『学生服』―――。
帝都の資料で見て、都市巡回鉄道のホームでも確認したから、間違いない。彼女は【生徒】だ。
【生徒】___。この学園都市における、選ばれた特権階級の市民。
生活の待遇は、いちおう他の市民たちに比べても良質だが、特質すべきは別のこと。―――『不老長寿』であることだ。
都市からの恩恵。肉体は若く健康な状態を維持される、大概の病気にかかることがなくなり、年齢を重ねることで老化することもない。寿命が尽きるまで若さを保ち続けられる。……ただ、外傷によって死んでしまうことは変わらない。
どの都市にもある恩恵。帝都の王国貴族たちも然り、ここ学園都市も例外ではない。全ては、その恩恵に見合うだけの責務を果たすため、都市と市民達への公務を全うするための特別待遇だ。……建前上は。
今彼女が着ている制服は、生徒しか着ることが許されていない制服だ。……かと言って、彼女が本物の生徒である証拠にはなりえない。けど、詐欺師にしては隙だらけ過ぎる。
このスラム街出身でありながら、生徒になることができた……。込み入った事情が、察せられる。
―――そうこう考えているうちに、たどり着いた。
集合住宅地から少しだけ離れた、一軒家。『トリスデン施療所』と書かれている、ボロボロの/今にも取れそうな看板が、半開きになっている扉の上に少し傾きながらぶら下がっている。
一般的な個人経営の施療所、とはずいぶん趣が違っている、自宅と共用/一部改築した施療所。都心部では、それだけで信用はガタ落ちだけど、このスラム街のような貧しい界隈では当たり前だ。
トントン―――
「お父さーん! 帰ってきたよぉー!」
律儀に扉をノックしながら、帰還をつげるメイシェン。
しかし……、返事はない。
トントン―――
再度繰り返すも、やはり……返ってこなかった。
「……ごめんなさい。いま留守みたいです。
すぐ帰ってくると思うので、しばらく中で待ってて―――」
「おぉ!? メイじゃないか!」
家に促そうとする彼女に、通りから声をかけながら近づいてくるのは―――中年の男。
ボサボサの黒短髪に無精ひげ、背丈は僕より頭一つは高く体格もガッチリしている、彼女に向けて振っている腕は太く引き締まっている。ヨレヨレかつ薄汚れが目立つ白衣を着流していなければ、炭鉱夫か建設業者にみえてしまう。
髪色と肌の色合い以外は、共通点などなさそうな二人だったが……、そうでもなかったらしい。
メイシェンの反応。驚きながらも、すぐに安堵へと落ち着いた。人見知りで内気だろう彼女には、珍しすぎる反応だ。
「どうした、一人でこんな所に来て?
て……まさか、父さんに会いに来てくれたのか!?」
そう嬉しそうにニカッと向けた笑顔は、肉食獣を思わせた。
父親……。予想はしていたので、ギリギリ顔には出さなかった。
けど―――、
(……全く似てない)
残念ながら、そう言わざるを得ない。
人種的な共通点は確かにある。ので、ギリギリ「そうだ」とは言えるだろう。「親子だから」といって似ているとも限らない、「母親似だから」とも言える。ただ一見には、そう言われなければ父娘だとは、思えないはずだ。……つまり、血縁関係は薄い。
「う、うん……。どうしてるのか、心配で」
「心配? お前に心配されるようなことは……まぁ、無いはずだ」
ボリボリと頭を掻きながら、言葉尻すぼみ。……その有様は、先ほどの考えを保留にするに足るものだった。
そして―――
「せっかく来てくれたんだ。ここで突っ立ってるのもなんだな。
家に入ろう。飯でも食っていくといい」
「ありがと。……て、そうだった!
この人のこと、診てもらいたいの―――」
慌てて、僕を紹介したメイシェン。……いままで無視してゴメンなさいとの、謝意まで込めて。
そんなこと期待していなければ、期待できるような立場でもないので、「構わない」と返すべきだったが……無愛想を通した。―――既に父親は、僕を認知していたから。
その上で、
ソレは初対面の男に対しての、正しい反応だ。家族を持っているスラム街の住民の正しい反応、特に父親としては。……向けられたのは敵意同然のモノだったが、込上がってきたのは懐かしさだったから。
スラム街ではよくある光景。明日のことすら定かでないココでは、血縁関係よりも情義を重んじる。上下の序列関係も根無しなので、『家族』の枠組みはとても広くかつ強い。……確かに二人は、家族なのだろう。
そんな胸の熟考が、悟られたわけでは無いだろう。
父親は何事もなかったように、「今はじめて気づいた」体をしながら、改めてコチラを観察し直してきた。
「ん? 診るてことは……、怪我人か?
いったいどんな怪我を―――…… ッ!?」
正面から観察したことで……、見れた、砕けた僕の片腕を。
表面は取り繕っている。ココに来るまでに、衣服を直して/隠して止血もしていた。「怪我を負ってる」のは、雰囲気や表情から見抜かれてしまうだろうが、「どれだけ重傷か?」はわからない様に。だから、瞠目と絶句を向けたからには、ほぼ全て理解したことだろう。
「―――君は……、武剄者だな」
静かな声音は、問いかけではなく確認だった。
その据わり具合に、彼女から聞き出したことを上方修正した。
「アンタは腕の良い医者だと、メイシェンから聞いた」
治療を頼む……。キレイな包帯やら数日隠れられる寝床さえあれば御の字、とあまり期待していなかったけど、運が向いてきた。
僕の依頼に、父親は微苦笑とともに条件を返してきた。
「どこの『組織』なのかは、先に教えて欲しい。……心構えだけでもつけておきたい」
「フリーの浪人だ。ちょっとした事故に巻き込まれたところ、彼女に助けられた」
『ちょっと』どころか『大事件』なのは、もうすぐにでもバレることだろうが、かまいやしない。……『組織の抗争』レベルの話じゃないので、裏切ろうにも裏切れない。
誤解はそのままに、無言ながら臭わせ/腹の探り合いを続けると―――、大きなため息をつかれた。
「……まぁいいさ。
ココで厄介事に関わらないことなんて、ありえないしな。医者の端くれとしても、そのまま放り出すわけにはいかんし―――」
入れ―――。諦めて、迎え入れてくれた。
―――
……。
玄関をくぐった家の中は、思いのほかちゃんとした施療所になっていた。……外観と比べては。
二階建ての家の内、1階はほぼ全て改築されていた。治療用具や薬類が並べ収められている大棚、患者用だろうベッドが2台、聴診するための机椅子。足りないのは湯沸しと水洗い・薬の煎じ場だけど、カーテンで仕切られた奥の炊事場がソレらを兼用しているのだろう。ちゃんと掃除も行き届いて清潔感もあった。……すボラそうな見た目なのに、仕事に関してはマメだ。
抱えていた木箱/携帯用の治療具一式だろうモノを棚に置き/しまうと、軽く身支度を整え、
「―――さて、
それじゃ、診せてもらおうか」
向かい合わせに座らされた聴診台。わずかに躊躇いが沸いてくるも、砕けた腕から衣服を剥ぎ取って……みせた。
「ッ!?
………………酷いな」
改めて見せつけられた致命傷さに、眉をしかめながら呻きを漏らした。……すぐ横で見守っていたメイシェンは、飛び出てくる悲鳴を手で押さえていた。
自分でも改めて見ると、ゲンナリした。……やり過ごし方は分かってはいるものの、直視しないでいるに越したことはない。
慎重でありながらも的確に、一通りの検診・触診を済ますと、
「……脈も診せてもらうよ」
律儀なことわりに、無言で頷いた。
【脈診】___。外部から他人の剄脈を調べること。
武剄者にとって武器にして生命線たる剄脈、その脈動・脈拍を知られてしまうことは、この腕の重傷よりも致命的なことだ。隙を見抜かれ死角を突かれ、心身を支配されては、剄そのものを奪われることすらも。……信頼できる者にしか教えてはならないモノだ。
もちろん、脈動・脈拍を変えることはできる。偽装することで、ある程度は自守できる。そもそも、呼吸やら血流・鼓動を通して見極めるのが主なので、誤ることが多い。しかし、こと治療ではできない。……医者には文字通り、命を預けることになってしまう。
互いに初対面、コチラは武剄者でもある。信用の安売りは、言い知れぬプレッシャーを生む。
そんな緊張を乗り越えて、脈診を済ませた父親は、小さな吐息を漏らすと、
「―――悪いが、俺じゃどうしようもできん」
「父さん!?」
「できるとしたら、痛み止めぐらいだ。……いま君自身でやってることだな」
匙を投げた……。無責任だとは言わない。むしろ、その正直さにまた少し信頼が湧いてきた。
自分で感知してもわかる。この腕に張り巡っている剄脈が、ズタズタになっていることを。帝都の充実した設備と優秀な王宮医にかかって、ようやく治せる見込みがでてくる重傷度だ、それでも半月は絶対安静状態で。……変なプライドを誇示されると、『切断手術』を考えないといけなくなる。
「ソレだけでも助かる。やってくれ」
「……わかった」
了承すると、棚からゴソゴソ道具を取り出した。
小指の半分ほどの長さの、細く柔らかな鍼の束……。束から一つつまみ上げると、手指で慎重に何かを探りながら、その針先をソコへとあてがう。
そして―――スゥッと、針が皮膚に入っていった。
刺さったような痛みは、感じなかった。
砕けすぎて神経がバカになっていること、剄技の痛み止めで麻痺していることを抜きにしても、手馴れた/適切な医療鍼の使い方だ。【無痛刺針】の心得が高いのは、医者としての腕と実績が確かだとの証拠の一つだ。……本当に、腕の立つ医者だったらしい。
ただ一つ、どうしても気になったことを除けば。
(【短鍼】を使う、か……)
短鍼/医療鍼を使用したことだ。……剄技をもって作り上げた【剄鍼】を使わなかったのが、解せない。
剄鍼を使うのが医者の主流だ。実物の金属針たる短鍼は、それなりに長所はあるものの、異物かつ金属ゆえに人体への悪影響が強い。使い方/使い時を間違えれば、自己回復力を阻害してしまうことも多い。その点、他人のモノとはいえ剄の塊なら、副作用は微弱で済ませられる。……初対面の怪しい武剄者とは言え、『粗末な扱い』と言えてしまう行いだ。
さらに、金・銀ではなく銅の鍼、それも純銅ではなく他の金属との合金製だ。副作用の度合いがさらに増す。……コレは貧しいスラムゆえだろうなので、しょうがないけど。
次々に短鍼を刺していった。その数は十を超えるほどでありながら、全て的確だった。刺した剄点は全て、痛み止めの剄技で使用しているもので、技を停止/代行させても遜色ない箇所だ。
最後の短鍼が刺された後、鍼と砕けた骨の固定も兼ねて、傷薬が塗られ包帯が巻かれていった。その最中に徐々に、剄技を停止させ短鍼に委ねていった……。
そうして、全ての処置を終えると、父親は緊張/集中を吐息とともに解いた。
「―――凄いものだ。微動だにしないとは……」
額に浮いた汗を拭きながら/微苦笑を浮かべながら、何事もなかったかのように傷ついた腕を任せ続けた僕を見直してきた。
褒められているのか、貶されているのか……。返事に困る。当たり前のことを改めて掘り返されても、なんの感慨も出せない。
独り言だと黙ってやり過ごしていると、まだ処置を残していた手首から上/最も酷い手指を見返しながら、
「手の方は……、俺の腕ではどうしようもないな。
コレを握っていてくれ―――」
そう言いながら、渡してきたのか―――手のひら大の赤い宝石。
鮮血の塊のようなその宝石は、軽くそれでいながら確かな硬さがあり、淡い光を煌めかせてもいた。負傷した手のひらの上にソット置かれると、光量はいっそう強くなったように見えた。その光は、乱反射によるものだろうか、半透明な内部で生じた幾つもの微細な光の粒が源だ。
見えた時からの疑惑。手のひらの上での変化に、染み広がってくる『温かみ』で確信できた。麻痺しきった手のひらに、一瞬で温覚と触覚を蘇らせた代物―――
(!? 【凝剄石】か!)
【凝剄石】___。大量の剄を練り固めて実在/物質化した代物。剄技をもって作り出したハリボテとは格が違う、自然が練り上げ自立固定させた新物質だ。
使用すれば、剄の絶対保有量が増加し、剄脈は急成長する。武剄者にとっては副作用が極小の最高のドーピング、常人にも病や老いすらも祓ってくれる万能薬だ。そして、都市では作り出すことが極めて難しい代物、危険な外界で発掘しなければならない。
ゆえに、どのような種類/大きさ形/剄の濃縮度いかんに関わらず、かなりの高価な宝石だ。少なくとも、このようなスラム街の貧乏施療所では、相応しく無いと言えてしまう代物だが―――
「そう値の張る良物じゃないけどな。痛み止めぐらいなら充分だろう」
「父さん、でもソレは―――」
「いいんだメイ。あのままホコリかぶらせるより、ここで使っちまったほうが……踏ん切りもつく」
互いに、溜めている何かに悲しげ/妥協の表情。この宝石への、価格以上の思い入れを感じる。……他人が踏み込んではならない空気だ。
「……事情があるようなら、別にかまわないが?」
「大したことじゃない。使い道に困ってたモノだった、だけさ」
さらりと明け渡してくる父親とは違い、複雑な表情を浮かべ続けるメイシェンが、目端に写っていた。
どうにも、居た堪れない気分が沸いてくるも……仕方がない。僕にとっては、ありがたい限りだ。コレがあればせめて、『緊急時には使える』レベルには回復できるから。医者の好意はありがたく受け取るべきだ。
―――そんな大切な宝石を、握らせた僕の手ごと、包帯で巻いて/固定していった。寝ていても離さないよう、ずっと握らせ続けることで宝石の剄を手に染みこませ続ける。
「―――さて、これで施術は終了だ。
……といっても、大したことはしてないがね」
「助かった―――」
無事な片手で懐から取り出した【錬金鋼】/金属板型財布を、医者の目の前に置いた。
多額の金が詰まった/取り出せる財布。見た目はたった一つ/手のひら大の金属板なれど、その価値は幼子でも知っている。特に、『金貨』の欄帯に「1」『銀貨』にも二桁の数字がついている代物なら。
なので当然……、訝しがられた。
「…………なんだ、コレは?」
「治療代だ。少ないようなら、もう少しは足せる」
「ぇ!?
で、でも、ソレならもう―――」
「『口止め料』、て受け取っちまうけど?」
その返答に、ただ無言をもって答えた。
どう取るかは、そちらの勝手……。ソレが『事実』になってくれるから。
睨むように見極めようとしてくるも……、無言を通した。探り出すことはできなかった。
「―――はぁ……。
あの奥手のメイが、まさか男連れて帰ってきたのかと思えば……、そういうことだったとはねぇ」
「……ほぇ?
男連れて、て……………… ッ!///」
急に何かに/言われたことに気づいたのか、顔を真っ赤にしだした。……彼女の慌てぶり/見当はずれの誤解に、『交渉』の空気はかき消された。
状況だけなら、正にその通りになっている現状。言葉を尽くせば『誤魔化してる』になってしまう流れに、さすがに訂正を入れた。
「…………彼女とは、ついさっき出会ったばかりだ」
「それじゃ、『一目惚れ』てやつだな」
「お、お父さんッ!///」
…………逆効果だった。
思わず眉をひそめてしまうも、逆にこじらせてしまった以上、もう口は閉じるしかない。……胸の内で大きくため息をつきながら。
黙ってやり過ごしていると、変になってしまった空気の荒れ模様は鎮まっていった。……それでもまだ、メイシェンは言い足りなさそうなふくれ顔。
娘を茶化していた父親は、収まった頃合い、そのまま優しげな真面目顔を向け直してくると、
「……お望み通り、ワケは聞かんよ。
俺にとっちゃ、
――― 。
その言葉に、いつかの懐かしい日々が浮かんできては、重なった。……胸がチクリと、痛くなる。
連鎖して思い出が/ただ楽しかった頃が、目の前に引っ張り出されてきそうになった。けど寸前……、止めた/止めれた。
(……今は必要ない。これからもずっと―――)
必要なのは、未来だけ。この任務を達成することだけだ。
黙っているだけの僕は、勘ぐられることなく。むこうから「この話はこれで終わりだ」と言わんばかりに、切り上げてくれた。
「さて―――、狭っちくてボロいかもしれんが、客間が一つある。今日はそこを使うといい」
「いや、そこまで世話には……」
「なんだぁ、メイの部屋がいいのか?
さすがにそいつは、認められんが―――」
また茶化そうとするも……、メイシェンからの無言の睨みに苦笑/留めた。
代わりに、真面目直って、
「……そんな重傷かかえた若人ほっぽり出したら、医者の名折れだ。たとえヤブ医者だろうとな。
治るまで……とはいかんだろうが、一息つけるぐらいの世話は、せにゃならんのだ」
はんば強引な世話焼き。
断りを押し通そうとするも、現状はそうはいかない。……どうしようもない、休息できる場所が必要だ。
不肖ながらも、好意に甘えるしかなかった。
―――
……
―――バタン。
案内してもらった、二階にある客間。何とも複雑そうなメイシェンが「……夕食、半刻ほどでできますから」と、その扉を閉めた。そして、トントンと通路を/階段を降りる音が聞こえてきた。
ようやく一人になれた。
さっそく、部屋の中を物色―――
狭いながらも整理整頓/掃除もされている。一人用のベッドと腰ほどの高さのタンス・引き出しは無い木製机・少しガタつく四脚椅子、最低限の家具はちゃんと揃っていた。
窓は一つ、朝時だけは陽射しが入る向き。そこにベッドが置かれ机は奥隅、だからか蛍光ランプが一つ置かれていた。……さらにもう一つ、古ぼけながらも磨かれている姿見鏡とキレイな文様で彩られた小さな木箱も。
椅子に腰を下ろして、その木箱の中を確かめてみた。小さな錠前がかけられ封をされているが、武剄者の前ではそんな錠前は飾りと同じ。
人差し指をそっとあてがいながら、【鍵開け】の剄技を込めた―――
カチリと、錠前は簡単に解けて、ポロリと落ちた。
さっそく、中身を確かめてみると―――、ココが元誰の部屋だったのか、連想できた。……メイシェンの表情のわけにも、合点がいった。
ソッと蓋を戻すと、あらためて―――ため息をついた。
(…………まいったな)
向けられた好意は、少しばかり重すぎた。ただの隠れ場でよかったのに、ここまでだと……。
「……さて、これからどうする?」
あえて口に出して自問すると、気持ちも切り替えられた。
これからのことに、思案を向けた―――
傷を癒す……のは、無理だろう。そこまで時間をかけられない/完治などできない。隠れてもいられない。……彼らにも迷惑がかかる。
クラリーベルと合流する―――。順当に考えればそれしかないだろう。……気は進まないけど。
「―――ん?」
微かな違和感が、した。脳裏をざわつかせてくる。
(なんだ? 何かが―――)
おかしい……。こみ上げてくる言い知れぬ不安に、辺りに注意を向ける。
そして目端に、ソレが映った時―――
「――― ッ!?」
ガタンっと、思わず立ち上がっていた。
そしてマジマジと、ソレを―――
「…………どういう、ことだ?」
鏡に写っている顔、ソレは……
他人の顔―――。性別も年頃も種族も似通っているので、異常に変わっているモノは無い。が/それでも、別人だ。明らかに違う。
そのはずなのに、
しかもこの顔は、よく見知っている人物―――
「―――【ロウファン】……」
思わず目を疑うも……間違いない。間違いようがない。
そこに映っているのは紛れもなく、【ロウファン=アルセイフ】だった。……もう随分昔に死んだはず/
さらに、違和感の連鎖―――
顔つきだけでなく、声音も若干違っている。本来の自分のものよりも低い声だと、気が付けた。
さらに、視線を落として『自分』の手を改めて見てみれば……、やはり違っている。
まるで自分の手のように操れるし、感じられる。けど、手のひらに刻まれているシワや指先の微細感覚は、若干違っていた。武剄者ならではの/よく使い込んでいるからこその違和感だ。……壊れてしまった片腕は確かめようもないが、無事な腕の方は違いがわかる。
ただしその他、全身の皮膚の張り具合・筋肉のつきかた・神経の敏感具合など等―――、意識を静めて精査した。必ず違いはあるはず。なければならない。
けど―――、わからなかった。手指からほんの少しでも離れると、急激に違和感はなくなっている。
もう本来の自分を思い出せない……。そもそも、こっちが本来ではないかと錯覚してしまうほど。確かなはずの手指の感覚の方が間違っているのかもと、疑ってしまう。
どうにも証拠が掴めない。ドンドンこぼれていく……。回復していくに合わせて、違和感も消えていく。
なので最後、決定的な証拠を調べた。―――服を掴むと、左胸をはだけさせた。
その左胸の肌には、自分ではなくロウファンである証拠が刻まれているはず。幼き日に刻まれた、自分のソレとは違う、忌まわしき『製造番号』が―――
予想/期待通りソレは……、刻まれていた。
左胸の皮膚/ちょうど心臓がある上、【四本爪の死神の手】が―――
(ッ!?
【夢幻】に嵌められてたのか―――)
いつだ? どこだッ!? どうやって嵌め込んだ―――
油断などしていなかったのに、全く気づけなかった……。見当がつかない。この都市に侵入してからだろう、クラリーベルと分断されてからだろう。……線路に突き落とされてから、だろうことはわかる。
でも/だけど、一体どこで/どうやって―――……
「………………、ダメか」
いくら剄脈を励起させても/全身を精査しても……、無駄だった。
そもそも現状、かなり損傷してしまっているので、無駄な足掻きだ。何より、夢幻と現実との【結節点】がわかっていない。念威奏者本人を攻めるにしても、誰かわからない。分からないわからない、何もかも分からずじまい……。
(……だったら、残る手段は一つだけ―――)
腰のポシェットから、投げナイフを取り出すと―――、
一瞬、ヒヤリとする冷たさ・鋭さに躊躇した。
もし間違っていたら、取り返しがつかないぞ……。逆だ、コレでいい。
(
ためらいを押し殺すと、一気にナイフを引いいた。
頚動脈を―――切り裂いた。
真っ赤な鮮血が勢いよく、噴出した―――。目の前の鏡が血に染まり、真っ赤にベタ塗りされていく。
血とともに急激に力が抜けていった。意識も朦朧としていき、視界まで混濁していく―――……
そして、すべてが暗転した。
平衡感覚すら失うと、立っているのか倒れたのかすら分からなくなり、グルグルぐるぐると。
何もかもが溶け混ざっては、濁り続けていき―――……、意識は消えていた。
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長々とご視聴、ありがとうございました。
感想・批評・誤字脱字のしてき、お待ちしております。