鮎喰響の小説は夜凪景にとって劇薬であった。
現実逃避の手段として最適なそれは、彼女にかつてないほどの現実味を感じさせる。画面という確かな壁によって隔てられる映画では得られない没入感がそれを増長させ、現実と虚構の境界を曖昧にさせる。
夜凪景の父親が全ての小説を持って行ったから。わざわざ小説を買うほど金に余裕がなかったから。自ら進んで小説を読もうとするほど小説に良い印象を抱いていなかったから。自分と小説の相性がどれほど良かったのか彼女は今まで知らなかった。
鮎喰響を友達と認識したことは必然であった。彼女を楔としなければ、作者を認識しなければ、戻ってこれなくなるかもしれないから。鮎喰響は夜凪景を定義してくれる存在であり、果ての無い空想の世界へ自身を誘う存在でもあった。
本来の鮎喰響は3人称視点が基本だったが、今の彼女の小説は1人称視点で書かれている。それは『彼女』の作風であった。
ある時は魔法を使い人々を助ける魔法少女の話が書かれ、またある時は愛する人を失い復讐を誓う男の話が書かれた。時には善意の行動で人を傷つけてしまう人や、他者からの期待や信頼を顔色一つ変えずに踏みにじる悪人が描かれた。その一方で目的のために子供を利用するはずが情にほだされ、子供のために命を投げ出した犯罪者の物語や、ただ綺麗な花を好きな人に渡すだけという単純な話が書かれた。
彼女の人々を助けたいという彼女の純粋な願いが、男の怒りや悲しみが、ダイレクトに伝えられることが夜凪景に多大な影響を与えた。
他の人が読んでも夜凪景ほどの影響は受けないだろう。では、何故彼女だけがそれほどに影響を受けたのか。それは、鮎喰響の小説を読むことで夜凪景がメソッド演技を行っていたからである。
映画のように時間をかける必要はなく、読むというプロセス1つでメソッド演技を可能とさせる鮎喰響の小説は夜凪景にとって必需品となる。
小説を読むことで役に入り込み、鮎喰響に感想を伝えることで現実へ戻る。夜凪景という役者のあり方は鮎喰響によって決定づけられてしまった。
悲しむことも、野犬に立ち向かうことも、誰かを見殺しにすることも、友達の身代わりになることも、彼女の小説から学ぶことができた。自身の死を受け入れることさえ、彼女の小説で読んだことがあった。
しかし、夜凪景はそれを表現する術を知らなかった。自身を俯瞰する術を持たなかった。だからこそ作品を通して成長することが出来た。
時は流れ、彼女は王賀美陸と出会った。彼との力の差を感じた彼女は1週間の猶予を得て山へ向かうこととなった、鮎喰響を連れて。
―――――
山登りは苛酷だ。山へ登る前は、山頂へ行ったら本当にポテチが膨らむのか見てみようなんてことが言える余裕があったが、登り終えたときにはそんなことを言えるような余裕はなくなっていた。
事の始まりは私の友達、夜凪景だ。共演者と台本読みをしていた最中、キャラを混ぜようとして失敗したのだそうだ。
彼女は私の小説のファンであり、私の小説のキャラクターならほとんど演じられる。彼女曰く、そのキャラクターたちを彼女の中で混ぜ合わせることであらゆるキャラを演じているらしい。
最初は問題がなかったらしい。ただ、王賀美陸に対抗するには足りなかった。羅刹女を演じる上で欠かせなかったもの、それは超常の存在であるということ。人の上に立つ存在であること。そのために、彼女の演じることが出来る超常の存在の中で最も演じやすい魔法少女を混ぜようとしたらしい。
結果から言うと自爆したそうだ。魔法少女の自我が強すぎたため、羅刹女を上書きしてしまったらしい。孫悟空に対してかわいらしい呪文で魔法をかける魔法少女…生で見たかったな。怪我の功名というべきか、魔法少女の演技自体は王賀美陸のお眼鏡にかなったものであったらしく、羅刹女を同じように演じれるようになれという宿題を課せられたそうな。猶予は1週間。
その結果、何を血迷ったか私を連れて山へ登るという暴挙に出た。うーん、実際に山へ行って羅刹女のイメージを固めて、私の小説でそのイメージをより強固なものにするとかがそれっぽいかな?…いや、あれで割と天然が入っているのが景ちゃんだ。私を呼んだのは、友達とハイキングって素敵よね!みたいな考えかも。
そんなこんなで山頂へたどり着いた私たち。景ちゃんは制服で登山をしたにもかかわらず、元気いっぱいに叫んでいる。やまびこが2重に聞こえるほどの元気っぷり。役者ってすごいなぁ。でも、私はごはんってどういう意味…?
息を整えて景ちゃんに話しかけようとしたところ、後ろから声をかけられた。
「あの、今叫んだ人はもしかして夜凪景?」
「そうですね。えっと…あなたは?」
「ああ、私は山野上花子といいます」
「山野上花子って、ひょっとして羅刹女の作者の!あの花子さんですか!?」
「そうですが」
「お会い出来て光栄です!私、鮎喰響って言います!小説家やってます!あの、握手してもらっていいですか?」
「それはそれは。構いませんよ」
手を差し出しながら花子さんに近づいた私は、こちらに気づいた景ちゃんに話しかけられて、後ろを振り向いた瞬間
背中を押されて
山頂から
落ちた
ここで更新が止まったらすごい唐突なBADENDですよね。
個人的に小説家が地雷なのは夜凪景ではなく山野上花子だと思ってます。