side:hanako
小説家とは、ヒトデナシの職業だと私は思う。多かれ少なかれ頭のねじが外れている人間でなければ、人の心をたかが文章ごときで動かせるはずがない。
そして、面白い小説のためなら躊躇なく人に犠牲を強いるのだ。『あの人』のように。
直感した。夜凪景は私の同類だ。彼女もまた小説家に魅入られている。ああ、あんなにも幸せそうな笑顔を浮かべて、自分が食い物にされるだなんて微塵も疑っていないあの表情。
ああ、腹が立つ
きっとこのままでは彼女は捨てられてしまう。でも、今ならまだ間に合う。今すぐこの悪魔を倒さなければ、悲劇は繰り返されてしまう。
自分の心の中に炎を感じる。この炎は義憤だ、夜凪景を助けなければ。この炎は怒りだ、私を捨てたあの人への。この炎は悲しみだ、あの日捨てられた私の。
でも、これはただの八つ当たりだ。心のどこかの冷静な部分がそう結論付けたとき、私は既に足を滑らせていた。
side:hibiki
死ぬかと思った。一瞬の浮遊感と眼前に近づいていく岩肌はもう2度と考えたくないほどだ。景ちゃんがなんとか私の足を掴んでくれなかったら、私は文字通り潰れたトマトになっていただろう。恐ろしい話だ。
せめてもの救いは、景ちゃんと違ってズボンをはいてきたからパンツが丸見えにならなかったこと…だろうか。
引き上げてくれた景ちゃんとその補助をしてくれた花子さんには頭が上がらないな。それに、結局握手しそびれちゃったし。
私は花子さんに感謝しているが、景ちゃんは違うらしい。どうやら私が山頂から落ちた直接の原因は花子さんに突き飛ばされたからだそうだ。
花子さんは私に近づいてきたときにうっかりこけただけだと思うのだが、景ちゃんには意図的なものに見えたのだろう。
鬼気迫る表情で花子さんの胸ぐらをつかんだ時はこちらがヒヤリとさせられた。そんな状況でにやける花子さんも普通じゃないとは思うけどね。やっぱり才能がある芸術家というのは頭のねじが外れているのだろうか?『鮎喰響』もそうだったし。小説を書けなくなった小説家は須らく自殺するものっていう考えは私には理解できませんねぇ!
私の仲裁でなんとか景ちゃんも矛を収めてくれたので、いよいよ特訓開始です。そうです、いろいろあってすっかり忘れていましたが、景ちゃんの特訓のために私たちは山を登ったのです。演出家にして羅刹女の著者たる花子さんに偶然にも出会うことが出来たし、色々為になる話が聞けそうだし、何とかなるでしょう!
と思った次の日、景ちゃんのサバイバルテクニックの高さに驚きながらも、そこそこ順調に特訓も進みはしましたが壁にぶつかりました。『羅刹女への理解』です。景ちゃんは今まで演じる役を理解することで演じてきたみたいで、羅刹女は理解が出来ないのだとか。今のままでは『羅刹女の格好をした夜凪景』でしかないそうで、絶対にどこかでほころびが生じるそうな。
という訳で、景ちゃんのご指名もありまして花子さん監修の下で羅刹女の前日譚を書くことになりました。
「景ちゃんとしては、何故牛魔王をそこまで愛することができるのか、彼女の怒りの根幹は何か、が知りたいんだよね?」
「ええ、別に原作でどうだったということが知りたいわけじゃないけど」
「共感したいだけ、なんでしょ?」
「さっすが響ちゃん。じゃあ、今回もよろしくね」
景ちゃんの依頼で小説を書くのはこれが初めてではない。初めての依頼はデスアイランドの時だったか。いや、あの時は電話越しに即興で考えた話を読んだだけだし違うかな?
まあ、人の為に小説を書くのは好きだ。不特定多数の誰かより、顔の知ってる人の方がやる気が出るってもんですよ。
さて、そんな訳ですから色々聞かせてくださいね、花子さん。
「牛魔王は憧れの人パターン、昔は情熱的だったパターン、許嫁パターンの3つを用意させていただきましたぁ!さあ、色々聞かせてください」
「依頼からそんなに時間はたっていないはずですが・・・」
景ちゃんの特訓の手伝いをしていた花子さんが驚いたように振り向いた。
「筆の速さには自信があるんですよ」
私が『鮎喰響』になる前からそれは変わらない。私の数少ない自慢だ。
「これでも小説家の端くれですから。さぁ、読んでみてください」
現役の小説家に小説を読んでもらえるなんて光栄だなぁ。
「あの、ちょっといいですか?」
「はい!なんでしょう?」
「えっと、これらの小説はあらかじめ用意していたとか、盗作とかではないんですよね?」
「そうですけど…?」
「本当に小説家なんですね」
あれ?私もしかして褒められてるのでは?ヤバい、めっちゃ嬉しい!
鮎喰響の才能で私TUEEEをやらせるのはもう少し先になります。早くTUEEEさせてあげたい。