ー17:23 【始まりの街】宿屋の一室ー
「落ち着けとは言わない。流石の俺だって、この状況下で冷静ではいられんからな」
俺は千反田の手を引き、宿屋の一室を訪れた。室内にあったのは簡素なテーブルと椅子、それに古びたベッドだった。俺は千反田を椅子に座らせると、テーブルにマップを広げる。
「今日はここで休む。行動を起こすにしても、籠城し続けるにしても、今では圧倒的に情報が足りない」
「………」
椅子に座りマップの一点を見たまま反応のない千反田。見かねた俺は独白を宣言しつつ、千反田に語りかける。
「千反田。これは俺の独り言だが、俺はお前を下手に綾したり慰めたりはしないぞ。まず、そうする理由がないし、俺はそんな柄じゃない。関谷純と違って、ずっと愛想は悪いからな」
関谷純。千反田の叔父で文集、氷菓の初刊の元となった。俺たちの物語の原点となった人物。彼の名前を挙げ、以前千反田に言われた言葉を引用したところ、弱々しくも千反田らしい反応が返ってきた。
「………ふふ。折木さんは、ずるい人ですね。そんな言い方されたら、私、何も言えないじゃないですか」
間髪入れず。畳み掛けるように俺は言葉を紡ぐ。今の千反田に必要なのは気持ちの整理だ。言葉を絶やしたらまたこいつは考え込んでしまう。
「省エネには小賢しさが必要不可欠なんだ。偉業を成すことよりも、目の前の問題を如何に低コストで楽に片付けられるのかに全力を注ぐ。そういう生き方しか、俺は知らん」
俺の物言いにクスリと微笑んだ千反田はマップから視線を持ち上げると、窓の外の夕陽を見つめながら独りごちる。
「では、これは私の独り言です。私、今、すごく怖いんです。この瞬間、現実世界の私の頭には、私の命を奪う凶器が取り付けられていて。それを取り外すことも、自分の意思で指一本動かすことさえもできない。自由を奪われて、自由を取り戻すには命を秤に乗せなければならない。この状況を受け入れることを強要されている。私、やっとわかりました。私が人の亡くなるお話を好まない理由。私、死にたくないんですね…」
本郷の脚本を代筆したあの時、千反田は本郷の嗜好に共感を示していた。その本質をこのような機会に理解することになるなど、なんと言う皮肉だろうか。
「俺には、お前を守るなんて大層なことは言えん。例えお前の不安を取り除くために必要なことだとしても、俺は…」
俺は、そこまで強くない。強く在れない。
俺に視線を向けた千反田は眉を下げて謝罪してきた。
「ごめんなさい。困らせてしまいましたね」
この時の千反田の期待に応える勇気が俺にはなかった。だから、俺は茶化すことでしか千反田に答えられなかった。
「いや…、お前の独白は尤もだよ。死を恐れない人間なんていない。俺だって死にたくなんてない。だが、逆にこれではっきりしたな」
「何がですか?」
「千反田。お前は【生きたい】んだな?こんな理不尽な所に突然放り込まれて、不安でどうしようもない。気が狂いそうな無機質なこの世界で。お前は【生きること】をやめないんだな?」
「…折木さんは、違うんですか?」
「…よく分からん。だから、まあ…」
「?」
「わ、笑うなよ?お前の言葉を借りるなら、そう。俺が生きたいって思う理由が【私、気になります!】ってことだ」
「ぶふっ…!!」
「笑うなと言ったろうが!」
「ご、ごめんなさい。そ、その、お、可笑しくて、お、お腹が、」
「…金輪際、お前の前で物真似なんてしないからな」
「それは困ります!折木さんが他にどのような物真似をするのか、私、気になります!」
いつもは面倒でしかないその言葉に、これほどの安堵を覚えるなんてな。人生、本当に一寸先は闇だな。だからこそ、日常という光は思っているよりも、尊いものなのだろう。
「…ああ、それでこそ千反田だな」
「あ、震えが止まって…」
俺の稚拙な物真似が功を奏したのか。いつもの調子を取り戻しつつある千反田。その姿に安心したからなのか。柄にもないことを俺の口は溢しかけるのだった。
「恐怖を飲み込めとは言わない。受け入れろとも言わない。ただ、俺はお前の…」
「私の?」
間違えた、そう思った。千反田の目の色が変わる。大きな、綺麗な瞳が、俺を射抜く。動揺を押し殺し必死の便宜を図る。
「お、お前の部活仲間だからな。勝手に落ち込まれたりしても目醒めが悪くなる」
「…」
まただ。
何かを期待しているような顔。
お前は俺に何を求めているんだ?
「なんだ?その顔は?」
「いえ。別に何でもありません」
どこか落胆したような声音に苛立ちを覚えた俺は、先ほど施したばかりの封印をすぐさま解放した。
「…【私、気になります!】」
必殺・裏声・千反田ボイス
効果‥俺の黒歴史が累積される痛みと代償に千反田は笑う。
よし、封印しよう。
俺の多大な代償の先には千反田の可愛らしい説教が待っていた。
「ぶふふっ…!!お、折木さん!卑怯です!姑息です!実に不愉快です!私、怒りますよ!?」
「うるさい。お前が意味深な顔をするのが悪い。怒りたければ好きに怒れ」
「わかりました!私怒ったので、今後の方針を早急に決めたいと思います。折木さんはそれに強制的に参加です!異論は認めません!いいですね!」
「(…もう少し落込ませておくべきだったか?)」
「なんですかその目は?」
不味い。目に考えが出ていたか。俺は再び揶揄うようにして千反田に答える。
「なんでもない。千反田が怒るなんて珍しいと思っただけだ」
俺の言葉に便乗して千反田はらしくない物言いをする。
「そうです。私、滅多に怒ったことがないんです!だから覚悟しておいてください!取り敢えずは喉が乾いたので、折木さんは飲み物の用意をお願いします!私はお茶請けを用意してします!」
「パシリにお願いとはこれまた斬新だな。…了解した」
扉を開け、通路に出る俺に千反田が、蚊の鳴くような声で呟いた。
「折木さん…ありがとうございます」
千反田が何を言ったのか、俺は知らないフリをした。扉を閉める寸前に見た、千反田の涙を、俺は見なかったことにした。知って、見たとして、どうすれば良いのか。
俺には、分からないのだから。
◆◆◆
ー18:14 【始まりの街】宿屋の一室ー
「__戻ったぞ」
時間を空けて宿に戻ると、メニュー欄を覗き込んで操作していた千反田が顔を上げ、ゼリーらしき甘味を渡してくる。モンスターのドロップ品?ああ、中央広場に転送される前に倒したあのスライム擬きか。納得した。
「はい、どうぞ。随分と時間がかかりましたね?何かありましたか?」
俺は用意していた嘘の理由を、さも当然のように答える。
「露店にあるのは武器屋、防具屋、道具屋ばかりで、飲み物が買える店が中々見つからなかったんだよ」
「?ここは宿屋なんですから、宿屋の方に伺えばお水を用意していただけたのでは?」
「……俺はもうパシリなどしない」
「ダメです。折木さんには今後もお使いをお願いする予定なんですから」
「謎の母性を出すな。時給1500円なら考えてやる」
「お金にがめついと、人から好意的に見られませんよ?」
「好意的に見られたいと思う相手もいないから大丈夫だ」
何故か、俺の言葉に千反田は笑みを深めた。
「そうですか。なら私も安心ですね」
「どういう意味だ?」
俺が人に嫌われるのが嬉しいと?泣くぞ?
「こちらの話なので、気にしないで下さい」
「よりにもよって、お前にそれを言われる日が来るとは…」
世も末だな。色々な意味で笑えない…。
「それで、今後の方針についてなんですが」
「ああ」
「どうしましょうか!」
「……は?」
「どうしていくのが良いのでしょうか?」
大丈夫だ千反田。俺は難聴ではない。
「言い方を変えても何も事態は進展せんぞ?無計画なのは理解したから。まずは現状確認からだな」
「なるほど!私、これからのことしか考えてなかったのですが、現状を把握する事でやるべきことを見つけて、今後の方針を決めるんですね!流石は折木さんです。発想の転換ですね!」
文集を200部捌くことになった時もそうだが、このお嬢様は頻繁にポンコツになる呪いにかけられているようだ。今からでも省エネに転職する気はないだろうか?ん?そもそも省エネは職業なのか?
明後日の方向に飛びかけた思考を、泥水のような色をした飲料を煽って引き戻す。
「お前は頭が良いのか、天然なのかハッキリしろ」
「むー…失礼ですね。私はいつだって大真面目です」
「なるほど分かった(お前は天然だ)」
俺に倣うように飲料に口を付けた千反田は、眉を潜めてオブラートに包んだ表現をする。主観だが10枚程度はオブラートに包んだ味だと思う。
「…この飲み物、不思議な味がします。抹茶と黒い炭酸の飲み物を混ぜたような味が…」
「ログインする前に掲示板で確認した情報だが、第一階層の料理はどれも質素かゲテモノの類の味しかないとのことだ。まあ、喉の乾きと空腹を満たせるだけ感謝だな。はっきり言ってこの飲料は不味いが」
俺はオブラートになど包まん。理由?省エネだからだ(暴論)。
「飲食物の味については、階層を追うごとに改善されるということでしょうか?」
「そういう認識でいて問題ないだろうな。今後も仮想現実では、このレベルの味しか出せないのであれば、そもそも食事が必要なシステムにはしないはずだ」
俺の【仮想現実】という言葉が引っ掛かったのか。少し考え込む千反田。
「仮想現実…この事件の首謀者である茅場さんという方は、どうしてこのようなことをしたのでしょうか?」
予想していた疑問だ。端的に言う方が省エネだろうが、相手は千反田だ。順を追って説明してした方が回り回って省エネに繋がる。
あれ?省エネってなんだろうか?(迷走)
「さあな。それを知ったところで、俺たちにはどうしようもないし何かが変わる訳でもないだろう。だが、確かに疑問だな。大量殺戮が目的なら、俺たちはログインした時点で既に事切れているはずだ。わざわざ、現実世界で情報機関を通じてまで大々的に情報発信する必要はない」
「【私の世界へようこそ】【目的は既に達せられている】【諸君達の検討を祈る】…私は茅場さんの言われた【目的は既に達せられている】という言葉が気になります。このソードアート・オンラインというゲームを開発することが、仮想空間の実現が茅場さんの本懐なのだとすれば、それはもう私たちがゲームに参加するまでに叶えられていたはずです。それなのにどうしてあの時に目的という言葉を使ったのでしょうか?」
「これは推論だが…茅場は、この世界にもう一つの現実を作りたかったんじゃないか?」
「もう一つの現実?」
「俺たちは常に首にロープを巻かれている状態だ。1万人のプレイヤー全員等しく、等価の死を与える環境を茅場は生み出した。被害者の俺たちには、茅場のことが、俺たちの加害者である奴のことが大量殺戮犯に見えるんじゃないか?」
「はい。私もそう思います」
「見方を変えてみよう。どうして茅場は俺たちに、【ゲーム内での死は現実での死を意味する】とわざわざ伝達した?人を殺すことを目的にした人間が、わざわざ死亡率を下げるような情報を俺たちにプレイヤーに渡すと思うか?」
「確かに…、言われてみれば」
「まあ、愉快犯的なサイコパスのような思考を持った人物であれば、死に直面した人間の表情を見て愉悦を感じるなんてこともあるかもしれんがな。それでも、俺がはじめに立てた推測を成立させる一番の理由。それが、この【アバター】だ」
「私はもともと、自分の容姿に似せてキャラクターを作成していましたが、折木さんは相当容姿を変えていましたよね?」
俺の作ったアバターは愛想笑いの天才みたいな表情をした白髪の男性キャラだ。決して、千反田に無愛想と言われたことを気にしているわけではない。断じてだ。…ほ、本当だからな?
「ネットゲームではその性質上、不特定多数の人間にあうことになる。このご時世だ。少しでも個人情報の特定に繋がるような情報は削ぎ落としておく方が賢明だ。なら、何故茅場は、俺たちに現実と同じ容姿と性別を与えたのか?…ここまできたら簡単だ」
「現実世界と仮想世界。その境界を取り払おうとした?」
「半分正解だ。2つを二分する境界を取り払って、仮想世界を現実世界の延長線状にあるものにした。そういうことだと俺は思う」
境界がなくなっても、分かたれていた事実は消えない。そこには埋めようのない溝が生まれる。だからこそ、茅場は世界を繋ぐ発想に至った。
「…そうなんですね。だから茅場さんは…」
「自らが作った仮想現実は、俺たちプレイヤーの存在によって、現実と等価の命を持つ俺たちのリアルを賭ける環境として、世界は繋がった。よって___」
「【私の目的は既に達せられている】私たちプレイヤーがログインしたその時から」
「茅場の作りたかった夢が実現したんだろうな」
千反田の表情がさらに曇る。
「ですが…これはあまりにも」
「ああ、例えその夢がどれだけ純粋な願いだったとしても、茅場は社会的にみれば犯罪者だ。仮に俺の推論が正しかったとして、俺は茅場を擁護できないし、したくない。茅場は、俺たちの現実を奪ったんだから」
「……」
俺が茅場に対する怒りの感情を見せたからか、千反田の意識が俺に向く。それを見計らって俺はこの話題に終止符を打つ。
「茅場の目的についての推論は以上だ。これ以上、奴のことは考えたくない」
千反田は思慮深い人間だ。こう言えば、下手に話を放り返すことはしない。
「…はい…、では本題に戻りますが。今後どうしていきましょうか?」
「取り敢えず、現状選択できる方針は4つだ。1つはモンスターと闘いレベルを上げて各階層にいるBOSSを倒す。ソードアート・オンラインというゲームを攻略する道。2つ目は生産職として、ゲーム攻略を目指すプレイヤーをバックアップする道。3つ目はこの始まりの街から一歩も出ずに、ゲーム終了まで待つ道。そして4つ目は…」
「4つ目は?」
「他のプレイヤーを助けて、ゲームクリア時の生存数と生存率を上げる道だ」
「私たちが、助ける?」
「現在、2万台出荷されているナーヴギアの内、SAO正式サービス開始ログインを許可されているアカウント数は1万。ここから優先的にログインできるβテスター1000人、接続不適合者、ログインを断念したプレイヤーを除く現ログイン数を推計すると約9000人の初心者プレイヤーがSAOにダイブしていることになる。問題は、この初心者9000人の中から、βテスターと同格のプレイスキルを持ち、且つ攻略に参加できるだけのプレイヤーをどれだけ排出できるかということだ」
「βテスターの方々はゲームの上手な方々なんですよね?それなら、戦闘はその方々にお任せして私たちは後方支援に徹するべきでは?それなら、不要な戦闘は抑えられますし死亡率も下がるはずです」
「βテスターが、誰も死ななければな」
「え?」
「ここはゲームだが、ただのゲームじゃない。デスゲームだ。事前情報にあった、βテスターたちが登った最高到達階層は13回層。総階層数の半分にも満たないんだ。必然的に未知の階層では慎重にならざるを得なくなる。普通のゲームではできる、死に戻りという手段は使えないんだから当然だな。人柱を立てると言うのなら話は別だが、人道的な観点からも却下だな。…だからと言って時間は無制限じゃない。俺たちの現実の身体は病院に移送されていると聞いた。その身体の世話は誰がする。そのことで掛かる費用は?誰が負担する?いつまでその体制を維持できる?数人規模ならそこまで問題にはならない。だが、対象は約10000人だ。悪戯に生存だけを望んでも、そのことによる時間の浪費は、確実に現実世界の俺たちの身体と命を蝕んでいく。…ジレンマだな。そうならないように早くこのゲームを攻略しないといけないのに、攻略を焦れば焦るほど、ゲーム内で死ぬ可能性はそれだけ高くなるんだから」
千反田は覚悟を決めたかのような声音で、選択した。
「なら、やるべきことは決まりですね」
細く柔らしい、白魚のような肌をした両手の指が表したのは1と4。
その指に結構な力が入っている姿に、千反田の可愛らしさを感じずにはいられなかった。俺は表情を和らげ頷く。
「まずはレベルを上げて、攻略に参加できるだけの力をつけよう。そして、後続の育成にも可能な限り尽力する。何をするにしても、自分たちが生き残らないと話にならないからな」
言うや否や。椅子を倒す勢いで立ち上がった千反田は両手を胸の前に挙げ、握り拳を作りながら言った。
「分かりました!では、武器屋で武器を買ってレベルを上げにいきまs」
その心意気は買いつつ静止を促す。
「いや、それは少し早い。その前にやるべきことがある」
「??」
「情報取集だ。闇雲に動いてもリスクばかりで何より効率が悪い。こういう時は省エネ精神が重要なんだ」
「…折木さん?もしかして私情で面倒だから明日からとか言い出しませんよね?」
「何を言う。効率は大事だぞ?論理的思考でロジカルシンキングでいこう」
「ちょっとはぐらかされた気がしますが、今はそうは言っていられません。それでは私はどんな情報を集めれば良いでしょうか?」
「千反田にはヘルプ欄にある基本情報・操作方法と第一階層の地形を暗記して欲しい」
「暗記ですか?」
「戦闘中に地形を利用することもあるかもしれないし、システムの穴を見つけられるかもしれん。頼んだぞ」
「お任せ下さい。記憶力には自信があります。それでは、折木さんは?」
「俺は___」
βテスターに遭ってくる。
7000字とか未知の領域…。さてさて、折木くんと遭遇するβテスターは誰にしようかな?