剣の世界で私は叫ぶ   作:苺ノ恵

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一言だけ…

少佐ァ………煉獄さん………ぅぅぅ(号泣)


019

 

 

 

 

 

 どうしようもないことだった。

 

 地面に張った薄氷を踏んだら氷にヒビが入るような。

 

 嚥下した分量に応じてペットボトルの中身が減るような。

 

 夜眠ったら、次の日に朝が来るような。

 

 そんな、当たり前のことだった。

 

 俺は、死ぬのが怖い。

 

 厳密に言えば、死ぬような目に遭うことがどうしようもなく恐ろしい。

 

 異変に気付いたのは、kobに入団して初となる第30層ボス攻略に参加した時だった。

 

 俺は動けなかった。

 

 必死にレベル上げをして。モンスターの情報を頭に叩き込んで。ユナに勇気を貰って。必ずボスを倒して生きて帰ってくると彼女に約束して。

 

 それでも俺は動けなかった。

 

 いや、動かなかった。

 

 ボスの鋭い眼光。鼓膜を震わす重低音の咆哮。明確な、殺意。殺意。殺意。

 

 気付けば俺は恐怖の前に服従していた。

 

 意志も覚悟も、尊厳さえも粉々にされた。

 

 俺はただの臆病者だ。

 

 俺は剣士にはなれなかった。

 

 それでも、攻略組に居座り、剣を握り続けたのは、醜い自己肯定感を守るためだったのだろう。

 

 今までの努力を無駄にしたくなくて。

 

 戦いもせず、不満を漏らすだけの人間にはどうしてもなりたくなくて。

 

 好きな人に、失望されたくなくて…。

 

 継ぎ接ぎだらけの信念が汚泥に塗れる。

 

 かつての尊い約束が、心を縛りつける呪いのようになったのはいつからだったのか。もう、そんな悩みすら抱けなくなってしまった。

 

 世界とはシステムだという言葉をよく耳にする。

 

 その通りだと思った。

 

 人はそれぞれ、何かの役割を演じている。

 

 俺の役割は『役立たず』。

 

 俺は所詮、システムには、世界には抗えない人間。何かを変える力なんて、俺にありはしない。

 

 今、目の前で、最愛の人が死の淵に立たされている瞬間ですら、こうして、地べたに這い蹲ったままなのだから。

 

 俺は弱い。

 

 どうしようもなく弱い。

 

 弱い俺は、何も守れない。

 

 だから、ユナは殺される。

 

 ユナは死ぬ。

 

 

 死ぬ。死ぬ。死ぬ。

 

 ______

 

 

 

 

 

 

 

 

 『大丈夫だよ』

 

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

「___ストップ。そこまでよ。赤目さん?」

 

 赤目。そう呼ばれた黒いコートを纏った殺人鬼は、ユナの首に伸ばした手を寸前で止めて、声の主に目を向ける。

 

 ノーチラスは動かない身体の代わりに眼球を動かす。すると、先ほどユナたちを追っていたオレンジギルドの首領が、仲間を引き連れて一堂に介していた。

 

 赤目は再び視線をユナに戻すと、彼女を見ているようで別の何かを見るような口調で吐き捨てる。

 

『コイツ…気に喰わん…アイツの…技は…目障りだ…』

 

 赤目の主張を却下した首領は、ノーチラスの首に槍を向ける。

 

「そのまま殺しちゃったら目的のアイテムごとパーなのよ。だから、そこまで。それに私、無駄な人殺しって良くないって思うのよ?だからね?話し合いで解決するのが一番じゃないかしら?」

 

 槍の先がノーチラスの首に刺さる。チリチリとポリゴンの欠片が血のように流れるのを見た赤目は辟易とした様子で踵を返した。

 

『…興が削がれた…。…依頼は果たした…後は…好きにしろ…』

 

「ええ、助かったわ。残り半分の報酬はまた後日」

 

 赤目の姿が消える。

 

 一難さってまた一難。

 

 ユナは首領と距離を保ったまま向き合う。

 

「ようやく貴女とお話できるわね。鬼ごっこなんてしばらくやってなかったから意外と楽しめたの。ありがとう。それで、どう?貴女の命を助けたお礼として、その背中にあるモノを渡して貰えると嬉しいのだけれど」

 

 ユナは首領が話をしている最中、必死にこの場を切り抜けるため思考を回す。そんな時、一つの案を思いつき、彼女は背中に右手を回して突破口となる一手を打つ準備をする。

 

 現状、喉を潰されているユナは声を出すことが出来ず、会話をすることは敵わない。

 

 しかし、それが逆に功を奏して、突破口準備のための時間稼ぎとなる。

 

「それが貴女にとって、すごく、すごーく大事なモノだってことは知ってるわ。でもね…?彼氏からのプレゼントと彼氏自身の命。どっちが大切かなんて、分かりきってるはずよね?」

 

 ノーチラスの首に、刃先がめり込む。これ以上は自動回復スキルを上回るダメージ量になる。

 

 ユナは唇を噛みながら【鎮魂の奏具】を地面に置くと、メニューウィンドウを開き、アイテム所持権限を相手に移譲する。

 

 首領は自分のストレージにアイテムが収納されたのを確認すると、じっとりとした笑みを浮かべてユナに言った。

 

「あら、案外素直なのね?ありがとう。聴き分けの良い子は私大好きよ?…それじゃあ、これは私からのプレゼント」

 

 首領は特殊な色をした結晶を宙に放り投げる。結晶は宙で砕けると紅い粉塵を辺りに撒き散らして消えた。

 

 すると、突如大量の羽が宙を舞う。

 

 見上げた空には、夜空よりも黒い、帯状に広がった飛行物体の影。

 

 空気を叩く無数の飛行音を発生させる正体は、鳥型のモンスター。

 

 【Sky burial】

 

 直訳で『鳥葬』。死体を鳥に喰わせて葬するチベットなどで見られる葬儀方法の一種。

 

 名前の通り、このモンスターは死体の肉を啄む。何よりも性格が悪いのは、HPが低いものを狙う習性、アルゴリズムがあるということ。このモンスター達が誰を狙うかなど、もう分かり切っていることだった。

 

 首領は満足そうに頷くと、槍を元の装備位置に戻す。そして、ユナ達に独白のように言った。

 

「演目は最期の晩餐。本来、奏者である貴女には、音を奏でる声も楽器もないけど…まあ、精精頑張ってね?オーディエンスは貴女たちの演奏を楽しみにしてるわよ。もしかしたらその喉でも、悲鳴ぐらいは出るかもね?ふふふふふふあははははは___」

 

 首領とその仲間たちは、内地へ向かって移動を始める。

 

 ユナとノーチラス。

 

 二人にとっての地獄が始まった。

 

  

 

 

 

 

 ◆◆◆

 

 

 

(あーあ。これ…間に合わないよね?)

 

 私は空を滑空する、死を告げる鳥達を見上げながら、緊張感の欠片もない感想を胸中に呟く。

 

(結局、最期の頼みの綱は外れかぁ…まあ、エルさん忙しいもんね…)

 

 後ろ手にメッセージを操作して、エルに助けを呼んだのだが、未だ既読のマークはついていない。

 

(HPを回復してもあの数じゃあ、直ぐにHPを全損させられちゃう。えいくんを抱えながらじゃあ圏内まで間に合わない…)

 

 ヒュン、ヒュンと、鋭利な羽が空気を切り裂く。私たちの身体を啄み易いように、細かく切り刻むため。刃を研ぐように。鳥達は速度を上げていく。

 

(これが私の最期のステージ。観客は、私の大好きな人。一人だけ)

 

 終焉が襲いかかる。

 

 雪崩のように、鋭い刃がユナの身体を覆う。

 

 そして____

 

 

(うん。悪くないよね___)

 

  

   

 

 

 〜歌姫は___〜

 

 ◆◆◆

 

 

 

 

 

 

(くそ!くそ!くそ!!!なんでだよ!なんで俺たちが、ユナがこんな目に遭わないといけないんだよ!) 

 

 オレンジギルドの襲撃。赤目のザザの乱入。鎮魂の奏具強奪。極め付けにモンスターの大量発生。世界が全力で自分たちを殺しに来ていると言われても納得してしまう。

 

(麻痺が解けない!頼むユナ!転移結晶を使ってくれ!早く、この場を離れてくれ!)

 

 今、この場で最もHPが低いのはユナだ。その彼女がこの場に居続けるのは自殺行為でしかない。俺の願いが通じたのか。彼女は落としていた転移結晶を手に取る。

 

(そうだ。それでいいんだ)

 

 しかし、ユナは何も喋ろうとしない。

 

(迷うなユナ!早く!)

 

 彼女は笑った。この場に似つかわしくない笑みで。彼女が女子校に合格し、いつも通りにまたねを言った時に浮かべていたような。困ったように眉を下げて。彼女は悲しく笑っていた。

 

 俺は失念していた。

 

(嘘だろ…嘘だよな…なあ!ユナ!?)

 

 彼女は声を失っていた。

 

 転移結晶は音声入力アイテムだ。転送先のコードである、主街区の名前を言わなければ起動しない。

 

 Sky burialの群れがユナの目の前を通過する。転移結晶がユナの腕ごと引き千切られていた。

 

(逃げろ!ユナ!逃げてくれ!!逃げろおおお!!)

 

 彼女は逃げない。俺がどれだけ危機迫った表情で彼女を見ようと。彼女は笑ったままだった。

 

 彼女はポーションを頭から被る。徐々に回復するHPバーの色を、右腹部を貫通したモンスターが再び暗転させる。

 

 彼女は唇を噛んで決死の表情で駆ける。モンスターの攻撃を躱し、時に避けきれず被弾しながら。それでも、回復し、転倒してもすぐさま立ち上がり。彼女は諦めず駆ける。

 

 そんなユナの姿を俺はもう、見ていられなかった。

 

(………ユナ…もういい…もう、やめてくれ…)

 

 ユナは歌っていた。

 

 声の出ない喉で。

 

 奏具のない場所で。

 

 ボロボロの衣装で、身体で。

 

 彼女は歌い、そして戦っていた。

 

 エクストラスキル《歌唱》【歌唱】には、バフをつける効果がある。

 

 その効果は様々で、単なるステータス向上やヒーリングスキル向上など用途に応じた使い分けが可能だ。

 

 ユナが使用しているのは、【誘引】と【回復】の二つ。【誘引】でモンスターのタゲを集中。【回復】でポーションによる回復量を向上させる。

 

 そう、ユナは自身の身体、アバターを盾として使い、モンスターの攻撃を一手に引き受けているのだ。

 

 何度も何度も死に直面しながら、HPを回復させ、再び死を己の身に呼び込む。

 

 動けない俺にモンスターが攻撃しないよう、決して誘引のスキルを解こうとしない。

 

 ユナの身体が欠損していく。

 

 左手、右耳、右脇腹、左大腿、右足部…遂に両の足では、立てなくなってしまっていた。

 

 それでも彼女は歌う。

 

 最期まで、歌い切る。

 

(ユナ………)

 

 彼女の姿が光の粒に変わる寸前。

 

 俺は確かに彼女の歌を、声を聞いた。

 

 

 

 _______

 

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 

 

 

 紫煙が肺を満たす。吐き出した空気はどこか乾いていて、湿りを帯びた今の身体には丁度良かった。隣に寄り添うミウは同じ空気を吐き出しながら俺の顔を覗いた。

 

「お口に合いませんでしたか?」

 

「いや…初めて吸ったからかな。良し悪しはわからないけど…たまにはいいかもな」

 

「私はあまりオススメしませんけどね」

 

「喫煙者の君が言うのはおかしい気がするぞ?」

 

「リアルじゃ私も吸いませんよ。ゲームの中だけです」

 

「……すまなかった」

 

「どうしたんですか?急に」

 

「いや、中途半端な気持ちで、こんな風に関係を持ってしまうのって、普通に考えて良くないだろ」

 

「普通って何ですか?」

 

「それは…」

 

「世間一般の常識よりも、私は私の気持ちと貴方の決断を優先します。それにこれは私が望んだことなんですから、お気になさらないで下さい」

 

「…君は俺のことをどう思ってるんだ?」

 

「最低だって思いました」

 

「辛辣だな…まあ、当然か」

 

「シながら他の女の子の話をするなんて最低です。私、すごく悲しいです」

 

「ごめん…」

 

「でも、それ以上に嬉しかったんです」

 

「何が?」

 

「貴方が私を受け入れてくれて。貴方の思いに触れられて。…ユナさんのことを知れて」

 

「君は本当にユナのことが好きだな?」

 

「違います。ユナさんを好きなノーチラスさんが好きなんです」

 

「結局それって同じじゃないか?」

 

「全然違いますよ。…そう、全然違う」

 

「………寒くなってきたし、もう寝よう」

 

「ふふ、また暖めてあげましょうか?」

 

「……………遠慮しとく」

 

「あ、ちょっと今悩みましたね?ノーチラスさんもやっぱり男の子なんですね?」

 

「五月蝿い、早く寝ろっ…っ!?」

 

「んっ………夜は長いって言葉。本当でしたね?」

 

 

 

 

 

 〜煙草の味・続 終〜




次回で黒の剣士までのお話は終了です。

いつの間にか主人公をエイジに乗っ取られている奉太郎。

作者がユナ推しとバレてしまう前に終わりにします。

それではまた次回もよろしくお願いします。

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