朝イチでネルフに登庁すると作戦課のボードに人事部からの通達が貼り出されていた。
松代などの“地方支部”に転勤となる方もいれば、退職される方もいる。
そして今月1日付での昇格者の所に我らが上司、葛城ミサト“一尉”改め葛城“三佐”がいらっしゃった。
この間聞いたことだが、チルドレンに階級は付与されていないため昇格はないらしい。
今はなき少年自衛官制度は三等陸・海・空士で、各種特攻兵器の乗員でさえ階級持ちだ。
戦略自衛隊に少年兵がいるように、“ポスト・インパクト”世界には少年兵に関する条約が無い。
条約的な配慮によるものではないのだ。
いや、特殊な生まれの綾波ひとりだけで、“武装組織”というていも何もなかったから階級付与はなかったのだろう。
しかし、原作知識から考えると、ひょっとしてエヴァンゲリオンの
そういう疑問がもたげてくる。
朝からいやな考えに行きついてしまったな。
そんなところに、ミサトさんが登庁してきた。
「おはよう、シンジ君」
「おはようございます」
「あら、人事からの通達?」
「ご昇進、おめでとうございます。葛城三佐」
「やめてよシンジ君」
“姿勢を正す敬礼”をすると、ミサトさんは苦笑いのようなあいまいな表情を浮かべた。
あまり、うれしくないんだろう。まあ出世が生きがいというかそういう人じゃないからな。
父親への苦手意識と承認欲求とか、使徒への復讐心とかがごちゃ混ぜになってる複雑な心境で勤務してるんだっけ。
そんな、俺にとっては「どうでもいいこと」を考えながら葛城三佐の執務室に入った。
「さて、シンジ君、どうして朝から来てもらったか分かる?」
「この間の国連軍との合同作戦の件ですよね」
「そうよ」
そう、国連軍の所属隊員とはいえ無許可でケイジなどの“特別秘密物件”に案内した一件で結構絞られたのだ。
まあ伝令の必要があると感じ、誰か一人でもただちに出撃できるようにするためだったという理由を説明する事で営倉入りは回避できたんだけどな。
「僕の処分が決まったんですか?」
メンコテゲンカイ(免職・降格・停職・減給・戒告)のどれだ?
「違うわ、それは厳重注意で終わったから!」
「ありがとうございます」
「あんたねぇ……と言いたいところなんだけど、結果オーライよ」
「へっ?」
「国連軍主体の対使徒演習にネルフ代表として参加になったから」
「どういうことですか?」
国連軍の中でも“紫色の人型”として知られ、無線越しに国連軍の指揮所ともやり取りしていたことから空軍や統合幕僚本部で知られてはいたそうだ。
そして、ついこの間の第9使徒襲来時に直接やり取りしたため、陸の人たちにも知れ渡ったのだ。
そこでネルフと国連軍のさらなる
葛城一尉はその窓口という事もあり、国連軍側の運用幹部や中隊長クラスと同じだけの権限が求められて昇進したという。
こうして “葛城三佐”と俺は指揮所演習(CPX)と実働訓練(FTX)に参加することになった。
参加にあたっての事前教育やら準備の内容やらは追って伝えてくれるらしい。
朝一番の執務室出頭を終えた俺は自販機コーナーでぼうっとしていた。
この為だけに来たわけで、夕方のハーモニクス試験までやることがない。
学校に今から行っても着くのは昼前だし、自室に帰って本でも読もうか。
本部内の売店で買い物でもして帰ろうかなと考えたところで青い影が目の前に現れる。
「碇くん」
「お疲れ、綾波もお呼び出し?」
「違うわ、碇くんは大丈夫なの?」
「大丈夫、厳重注意だけ」
綾波は缶コーヒーをちびちび飲んで物思いにふける俺を見て、叱られて落ち込んでると思ったのか、気遣ってくれる。
出会った時の無関心な綾波さんでは考えられない優しい声色で、シンジ君ならコロッといってしまいそうだ。
優しさと愛に飢えてたからなあ、シンジ君。
他の話題……そういえば、偵察オートの後ろが綾波バイク初体験か。
「あのとき、バイクの後ろ乗ってみてどうだった?」
「とても速くて、風が強かった」
「また乗ってみたい?」
「そう、不思議な感覚」
「綾波もあと二年で原付免許取ったらいいんじゃない?」
「何を言うのよ」
綾波はどうやらバイクに心惹かれているようだ。
リツコさんが、『レイがバイク雑誌を手に取って見ている』とか言ってたな。
二年、か。補完計画を不発に終わらせて貯金があれば原付でも買おう。
そのためには今からが本番だよな。
ハーモニクス試験、テストプラグに座ってひたすら同調率、接続性などを測る試験だ。
座っているシートが前後に動いて、前へ行けば行くほど深くエヴァと“同化”できるらしい。
行きつく先がアニメのシンクロ率400パーセントで溶け落ちてLCL化だから、同化しすぎるのもヤバい。
そういった知識があるからか、俺はなかなか汚染区域ギリギリまで近づくことができなかった。
だって、怖いもん。単純に説明できない不安感というか。
エヴァに接続されていない単純シミュレータなんで溶け落ちることが無いのはわかっているけど、どうも感情が増幅されている気がする。
一番近いのが高所に設置された薄い板ガラスの上で、ジャンプしろって言われた時のような感じだ。
強度はあるのかもしれないけど割れるかもしれない、割れたら遥か下まで墜落するという恐怖。
少しでもこの不安な心境が伝わっていれば幸いだ。
「3人とも、もういいわよ。上がってちょうだい」
テストプラグから降りた俺たちは、廊下の流しで体内のLCLを排出して管制室へと向かう。
この鼻と喉に来る異物感ももう慣れてしまったなあ。
リツコさんの講評を聞いて帰るだけなんだけど、隣のアスカが何とも不安だ。
原作アニメではこの頃からシンジ君の成績がアスカに迫ってきて、危機感とともにプライドを刺激されてしまってこじれ始める。
「シンジ君、ハーモニクスの数値が伸び悩んでるけど、どうしたの?」
「何か不安というか、身がすくむというか。稼働上問題ありますか」
「稼働には問題ない数値だけど、最大値という物も気になるじゃない?」
「ああ、サンプルとしては不適切で、すみません」
「うわっ、シンジひっくい。アンタこんな数値で動かしてんのぉ」
「アスカは優秀よ、そのまま伸ばしていってちょうだい」
「そうよね、シンジとは年季が違うのよ」
アスカは俺の数値を見て得意げだ、まあ半年程度の速成パイロットならこんなもんじゃないか。
低いといってもアスカより60近く、綾波よりも5~7低いくらいで戦闘機動には十分だ。
原作シンジ君がエヴァに選ばれたかのような子だったわけで。
一通り講評が終わり、実験の狙いであった接続性の確認についての説明が終わると時刻はすでに22時を過ぎていた。
「遅くなったし、アスカも乗って帰る?」
ミサトさんはガソリンエンジン車のアルピーヌで通勤していることから、同じマンションのアスカを誘う。
しかし、アスカは何故か俺の腕を取った。
「あ、今日はシンジの部屋に泊まるから」
「えっ」
「だって、シンジの部屋って行ったことないし。どんなのか気になるじゃない?」
「俺の部屋、ベッド一つしかないんだけど」
「床で寝たらいいじゃない。あるんでしょ
「あらぁ、お持ち帰りなんてシンジ君も隅に置けないわねぇ、避妊はしっかりね」
「な、なに言ってんのよミサト!」
「それでいいんですか保護責任者は」
「私はパイロット間の
男の部屋に行くのが、
ニヤニヤしているミサトさんだが、どうせ監視がついているのでヤッたが最後筒抜けになるのは目に見えている。
冷たい目のリツコさんに避妊具を手渡されて、何とも気まずい思いをするのだ。
ミサトさんの「ドンドンやれ」というのは無責任な煽り文句で、掌クルクルの可能性がまあまあ高いから信用してはいけない。
ま、アスカの部屋にそれなりの頻度で呼びつけられてる時点で、そういう事はしないだろうという確証があるんだろうけど。
そんなわけで、アスカが俺の居室にやって来た。
「アンタの部屋ってせまっ苦しい造りしてんのね」
「単身者用の居室だからこんなもんじゃない」
机、ベッド、本棚しかない単身者用の1Kだ。
キッチンと部屋が繋がってる綾波の部屋がワンルームで、1K とはアコーディオンカーテン一枚でキッチンと洋室が分かれている部屋だ。
アスカはベッドに荷物を置くと、部屋の中を見回す。
見えるものなんて茶色い壁紙と、作り付けの本棚、クローゼットくらいなものか。
「シンジ君の本棚にはなにがあるのかなぁ」
「こんなんで良ければ」
アスカが手に取ったのは『全艦艇総覧』という本で、太平洋艦隊訪問前に買っていた本だった。
第一次世界大戦前からセカンドインパクト後の国連海軍時代までの艦艇が載っている。
パラパラと興味無さそうに捲っていた彼女は、栞として挟んでいた写真に気づいた。
「この挟んでるのって、あの時の写真じゃない」
「そ、ケンスケが撮ってたやつだよ」
艦上で第六使徒と死闘を繰り広げる弐号機の雄姿だ。
空母オーバー・ザ・レインボーの掲載ページに俺は挟んでおいたのだ。
「シンジ、この写真くれない?」
「いいよ、アスカなら」
アスカは弐号機の写真を鞄に入れると別の本を手に取った。
俺の本棚には航空機、セカンドインパクト後の世界地図、小説とか様々なジャンルが置いてあるのだ。
本棚あさりにも飽きてきたようで、アスカはベッドの上に寝っ転がった。
制服シワになるぞ。
「他になんか、面白い物無いの?」
「ないよ、広さ以外はアスカの部屋と同じさ」
「つまんない」
「なら明日に備えて、もう寝ようか。寝間着は俺のジャージがあるよ」
「そうね、じゃあ着替えてくるからここで待ってなさいよ」
そういうとアスカは俺のネルフジャージを持ってユニットバスへと消えていった。
その間に俺もODシャツに短パンという室内着スタイルに着替えて、洗濯機へ着ていたものを放り込む。
ジオフロント居住区個室のいい所は、防音がしっかりしているので夜中に洗濯機を回しても近所迷惑にならないところだろう。
「おまたせ」
「アスカ、ウチ乾燥機ないから、これに制服入れて持って帰りなよ」
女子制服を持って出てきたアスカに、俺はランドリーバッグを渡す。
アスカの制服も洗ってやろうかと思ったけど、年頃の女の子が異性に汗の染みた制服を洗われてうれしいわけもないだろうという判断だ。
「気が利くじゃない、アンタの洗濯物はどうしてんの」
「俺は室内干ししてプレス当ててるよ。殺菌されて生乾きの臭いもなくなるしね」
「へーっ、服装がどうとか言ってるだけのことはあるじゃない」
大きめのジャージに身を包んだアスカはベッドの上にどっかと座った。
ふたりで洗濯物とか晩飯とかの生活話をしていると、アスカはポツリとつぶやいた。
「やっぱり、ウチに住めばよかったのに」
それから、俺たちはすぐに眠った。
ベッドで眠るお嬢様、俺はケンスケから買った寝袋で寝る。
寝袋の代金はこの間借りた
アスカはなんでこの寝袋の存在を知っていたんだろうか。謎だ。
朝になって、身支度をすると二人で部屋を出る。
本部施設までの道のりを朝から二人並んで歩くのは、ユニゾン訓練以来の光景で懐かしく感じる。
そして本部の食堂で朝食をとっていると突然、非常呼集が掛かり警報が鳴り響いた。
素うどんを一気に掻きこみ飲み干し、返却口に食器を放り込むと作戦室まで走る。
アスカは“朝A定食”を食べきれず、泣く泣く走っていた。
そこで見せられた使徒の画像はとんでもないヤツだった。
巨大な掌を広げたような第10使徒、空から落ちてくるアイツだ。
衛星軌道上に突如出現し、SDI(戦略防衛構想)で建造された迎撃衛星をA.Tフィールドで圧壊させたらしい。
A.Tフィールドを纏ったまま切り離された初弾は太平洋に弾着し、波紋とともに2メートルの津波を作った。
第二弾、三弾と徐々に本州に向かって弾着修正を行っているときた。
「N2航空爆雷も効果ありません」
「以後、使徒の消息は不明です」
「次、来るわね」
「ここに、本体ごとね」
国連軍のN2 弾頭を用いた弾道弾迎撃ミサイルや
そして、強力なA.Tフィールドによってレーダー波や可視光線を遮断し消息を絶ったという。
葛城三佐の指示により、D-17宣言、つまり半径50キロ圏内の全住民の避難命令が下された。
エヴァパイロットは住民の避難が終わるまで待機だそうだ。
待機室に設けられた情報収集用テレビでも自動発信の避難指示メッセージがずっと流れていた。
そして呼び出されて作戦室に行くと重い雰囲気が流れていた。
「あなた達には、落下してくる使徒を手で受け止めてもらいます」
「ええっ、手ぇ!」
「A.Tフィールド最大で使徒を直接受け止めるのよ」
口を開いた葛城三佐は、頭がイカれてしまったかのようなことをのたまった。
ブレーキが壊れてる時速100キロのダンプカーを体当たりで止めろという暴挙に近い。
原作知識が無ければ、俺だって「頭トチ狂ってんのかアンタ」と批判しただろう。
今度こそ、どうしようもない。
「使徒がコースを外れたら?」
「アウト」
「機体が衝撃に耐えられなかったら?」
「アウト」
「勝算はあんの?」
アスカは矢継早に問いかける。
「神のみぞ知る、と言ったところかしらね」
「『思い付きを数字で語れるものかよ』ってところか」
「そうね」
俺が感銘を受けた、あるアニメの司令が言うところの思い付き。
勝算なんて、極めて低い。
「つまり、何とかして見せろってこと?」
「すまないけど、他に方法が無いの。この作戦は」
「作戦って言えるの、これがっ!」
「言えないわね」
血を吐くようなアスカの叫び。
死の足音がすぐ傍まで近づいてきているのを感じる。
「だから、嫌なら辞退出来るわ……みんな、良いのね」
いや、短いし、辞退の方法も聞かされてないから半強制じゃないか。
まあ、辞退したら残りの二人は間違いなく死ぬだろうから、どちらにせよ逃げられないわけだけど。
「一応、規則だと遺書を残すことになってるけど、どうする?」
「別に良い、そんなつもり無いもの」
「私は、必要ないもの」
「僕は一応書いておきます」
「すまないわね、終わったらステーキ奢るからね」
「ゴチになります」
「忘れないでよ」
「期待してて」
そういうとミサトさんは去っていった。
アニメ補正があればこの作戦は成功する。
しかし原作シンジ君のように数値もよくないし、A.Tフィールドもマグマの中で一回意図せず出たっきりで、自ら張れないのだ。
受け止めた時に圧壊する可能性が一番高いのは、俺だ。
誰に遺書を宛てて書こうか。
アスカ、リツコさん、総司令……あっ、考えた相手の三分の二がここに居るじゃないか。
「ステーキってそんなので今どきの子供が喜ぶと思ってんのかしら」
「まあ、ごちそうっちゃごちそうだけど、寿司の方がいいなあ」
「アンタも感性セカンドインパクト世代なの?」
「綾波が肉苦手だからね、あとアスカも最近生魚食べれるようになったみたいだし」
「そうね、ってお優しいことで。レイ、行きたい店があったら言いなさいよ、おごりなんだから」
MAGIが算出した落下予想範囲は第三新東京市全域を覆っており、予想なんてあってないようなものだ。
A.Tフィールドを持った使徒の威力だと、どこに落ちても本部施設を根こそぎ抉り取れるだけの威力がある。
そんなところにベン図のように三つの円が表示された。
「エヴァ3機をこれら3か所に配置します」
「この配置の根拠は?」
「カンよ、女のカン」
綾波の質問に、カンと答えた葛城三佐。
「ますます、奇跡っていうのが遠くなっていくわ」
「奇跡が遠かろうが、やるしかない」
アスカは何処かひきつったような顔で葛城三佐を見た後、俺の方を見る。
「気休めを言うな」とでも言おうとしたのだろうが、俺の顔を見るなり黙ってしまった。
エヴァ発進までに時間が出来たので、二人とは別室にて俺は三通の遺書を書いていた。
使徒の攻撃で全て消失してしまうかもしれないのはわかっているけれど、なにかしら書いておきたかったのだ。
『お世話になりました、私は碇シンジ(ご子息)の体を借りていた……』という書き出しで始まるそれは、この世界の秘密に迫る様な内容になってしまった。
これを読んだところで、彼、彼女が補完計画について改めてくれることはないのだろうが、せめて残された綾波やアスカに便宜を図ってくれるようにという想いを綴る。
最後に、アスカに残す遺書にはエヴァに乗れる時間は少ないこと、生き方はもっと選べることなど、面と向かって言えない内容を記した。
いよいよ、出撃の時間が来た。
作戦課の課員である二尉が呼びに来たので、彼に三通の遺書を託す。
死を目の前にした拒絶も通り過ぎ、遺書を書いていた時の高揚を持ったまま俺は部屋を出る。
本部はがらんどうだ。
D級職員が全て退避し、整備士やオペレーターたちも“決死隊”の有志しかいない。
新婚の彼や、お腹に第一子がいる事を教えてくれた彼女ももういない。
ここで俺がやらなきゃ、だれがやる。
任務を完遂出来なくて、なにが男だ。
エレベーターで二人と合流した、酷い顔だった。
アニメじゃあんなに自信満々だった彼女も、いよいよヤバいという雰囲気にのまれているのか。
「さあ、行こう」
動き出したエレベーターの中で、アスカがポツリと言う。
「なんで、アンタはエヴァに乗ってんのよ」
「元は、なりゆきだった。今は、自分のためかな」
そう、ある日突然“碇シンジ”の役を押し付けられただけの一般人だった。
持っていたものは、おぼろげな原作知識と趣味の知識、陸上自衛官の誇りだけ。
そんな俺が、エヴァに乗って“戦闘職種の人間”として戦ったわけだ。
自衛官の存在意義は“ことに臨めば危険を顧みず、身をもって責務を完遂し国民の負託にこたえる”という一点に集約されるのだ。
今日が“その日”であっただけで。
「じゃあ、なんでそんな顔してんの」
「たとえ俺が倒れても、誰かを助けたいって言う自己満足だからね」
「そんな偽善のためにアンタはエヴァに乗って、命掛けてるなんて信じらんない」
「それが、日本の男なのさ」
エレベーターはアンビリカルブリッジのある階に止まった。
いつもお世話になっている初号機整備班は全員集合で、髭の班長が出迎えてくれた。
「よろしくお願いします」
「おう、必ず帰ってこいよ」
エヴァンゲリオンパイロット搭乗、出撃準備という声を聞きながらスライドハッチが閉じた。
射出レールを上り、出撃ポイントにエヴァを待機させる。
まぶたを閉じて無心で、命令を待つ。
「目標は光学観測による弾道計算しかできないわ、よって、MAGIが距離1万までは誘導します、以降は各自の判断で行動して」
「使徒接近、目標2万5千」
使徒の降下を告げる青葉さんの声で作戦が始まった。
「スタートッ!」
アスカの叫び声とともにアンビリカルケーブルをパージ。
視界内に赤い矢印が浮かびあがり、その指示に合わせて加速し、飛んで、跳ねる。
街中を駆け抜け500KⅤ送電鉄塔を飛び越し、目標地点へと。
壁にぶち当たる様な衝撃、気づけば肩の拘束具から白くベイパーを曳いている。
小高い丘から上を見上げると、空を覆うような眼玉。
あっという間に使徒の真下にいた。
「フィールド全開ああああィ!」
俺は死への恐怖と、拒絶で叫んだ。
その瞬間視界いっぱいに赤黒い光が
そこに、弐号機と零号機が飛び込んで来て、使徒を空中に押し返す。
進めないと、ヤツは変形した。
広げた掌のようなところから、赤く捻じれたような棘を射出してきたのだ。
「うぐぐぐぐ!」
こめかみ、手や胴をいくつもの赤い棘に貫かれて激痛が走る。
地味なアップデートしやがってぇえ!
痛すぎて血反吐を吐きそうになる。
視界がチカチカする。
「こんのぉおおお!」
フィールドを引き千切った零号機を踏み台にして、跳躍した弐号機がプログナイフでコアを突き刺した。
爆発音を最後に俺の意識は途絶えた。
次に目覚めた時、そこは医務室の中だった。
ボンヤリと考える。
特攻に失敗して、米軍の捕虜になった人はこんな感じだったのかと。
医官の先生の診断を受けると、俺はふらふらとケイジに向かった。
ヤマアラシにケンカを売って棘だらけになった犬のようなありさまの初号機。
ロンギヌスの槍でめった刺しのアレよりかはマシだが、棘の一本一本が螺旋構造になっていて、見た目からして痛い。
そこに整備班の人々が作業の手を止めてまで集まって来た。
「班長、すみません。エヴァをボロボロにしてしまいました」
「碇くん、生きて帰って来ただけで儲けモンだ。俺たちは助かったんだから。ありがとう」
「ありがとう……ございます……」
「男が泣くんじゃねえヨォ」
「班長がパイロットなーかした!」
「バカヤロぉ! LCLで水泳させるぞ!」
エヴァに乗って、感謝の声を聞くことは少なかった。
俺達は常に付随被害を気にして、乗って当たり前みたいなところがあって、命の危険があっても当たり前。
こんなに感謝の言葉が嬉しいなんて、こんなに報われたような気になるなんて。
俺の涙腺に整備班長の言葉が突き刺さる。
東日本大震災時に第14戦車中隊の隊員が女の子から貰った手紙の内容を精神教育で読み上げた時にも泣いたが、それとおなじくらい涙が止まらない。
整備班の皆さんにもみくちゃにされている時、後ろから叫び声が聞こえた。
「バカシンジ! 何してんのよっ!」
「碇くん、どうして」
アスカと綾波が息を切らしながら、そこに居た。
「アンタが意識戻ったからって、病室に行ったらいなかったし! どこほっつき歩いてんのよ!」
「アスカ、必死に探していたわ」
「悪い、一報入れなかったのは謝るから」
衆人環視の中アスカにポカポカ叩かれ、綾波にも助けてもらえず、両脇を固められて発令所まで連行された。
前もこんなことあったなと思いながら発令所に入ると、そこには葛城三佐と赤木博士、オペレーターの皆さんが居た。
そして、南極にいる碇司令との通話が始まった。
さっき整備班と俺がやったようなやり取りのあと、急に呼びだされた。
「初号機パイロットは居るか」
「はい!」
「話は聞いた、よくやったな、シンジ」
「ありがとうございます!」
思わず、姿勢を正す敬礼を取る。
サウンドオンリーの表示の向こうから聞こえてくる司令の声はいつもより優しく聞こえた。
結局、今日の夕食は屋台のラーメンだった。
ミサトさんの財布事情を汲み取ったのと、一斉避難でお得意様になりつつある元祖箱根寿司も営業していなかったからだ。
綾波はニンニクラーメンチャーシュー抜き、アスカはフカヒレチャーシューラーメンを頼んだ。
ミサトさんと俺は普通のシンプルなとんこつラーメンを頼んで食べる。
ラーメンを美味しそうに食べるアスカ、微笑みながらラーメンをすする綾波。
こんな和やかな雰囲気がいつまでも続けばいいなと思った。
用語解説
姿勢を正す敬礼:屋内等で脱帽時に行う敬礼。背筋を伸ばし“気を付け”の姿勢を取る。屋内で国旗掲揚・国旗降下時間を迎えた際も国旗方向を向き、君が代ラッパ吹奏中は姿勢を正す敬礼を行う。
少年自衛官:高度な技能を有する曹士を作るため少年工科学校という教育機関があり、そこの生徒は三士の階級を付与されていたが、廃止。現在は員数外の“自衛隊生徒”となった。
メンコテゲンカイ:懲戒処分の一覧、服務事故などを起こした際にこの中から処分が決まる。停職1日を貰った場合、数年間は昇格も賞与もない。一般のイメージよりも結構重たいのだ。
ことに臨めば~:服務の宣誓の一節。入隊時に宣誓し、頭の片隅に残しておくべき文言。これを忘れるものは自衛官にあらず。
手紙:東日本大震災の際に「うみ」ちゃんという少女から手渡された手紙で自衛官を激励する内容が記されていた。震災後入隊者は精神教育で読んだり目にすることがあるが涙腺に来てしまう。
「うみちゃんの手紙」で調べると画像が出てくるので必見。