飛行術Ⅱ(一期半年、必修)の補修中。ラギー氏は教員側。※他寮後輩(というかラギー)相手に流暢に喋るイグニ寮長※水泳もポンコツなイデアパイセン※全然「ワン」ライじゃない。むしろデイドロ※実質未プレイ
人魚というものは種族レベルで飛行術が苦手らしい、とラギー・ブッチは飛行術Ⅱの補習に集まって面々を見て思った。獣人はそもそも授業に出ていなかったレオナ・キングスカラーと彼を連れてきたラギー、それから少々厄介な呪いを(自業自得で)貰って寝込んでいたサイだけ。人間はいかにも運動ができませんと言わんばかりのポムフィオーレ生一人とイグニハイド生が三人(うち一人は寮長だった)。それに対してオクタヴィネルの生徒はどれだけ少なく見積もっても半数が揃っていた。
ラギー自身の成績は悪くない。というか飛行術ⅡはAAの成績だったし、今取っている実践飛行術も二、三回休んだところでBは余裕で確定しているため、此処にいる必要はないと言っていい。ただ、少し見本を見せれば追加点が貰えると聞いて、学生らしく点稼ぎに勤しむことにしたのだった。決して補習終わりに購買でバイト代代わりのアイスが奢られるからではない。
「イデアさーん」
青く燃える長髪は、よく晴れた真昼の空の下では、むしろ保護色のように働いた。不健康を通り越して死体のような青白い肌と、よくよく見れば化粧ではない唇と目元の青。勤勉なるイグニハイド寮の寮長は、どうやら飛行術が酷く苦手らしい。
「ほよぇ!?……あ、ラギー氏」
てっきり出席日数のカウントミスとか、そういう理由で補習を言い渡されたのだろうと開始前は思っていたが、先ほどから箒に「乗る」だけのことさえままならない様子を見るに、もっと単純な理由だったようだ。三年生の後期に飛行術Ⅱ(一期、必修)を取っているという時点で気がつくべきだったかも知れない。
「シシシ、どっから声出してんスか。指導要ります?ぶっちゃけ一回落としてんでしょ」
「……要り、ます」
ラギーは知らない話だったが、イデア・シュラウドが飛行術Ⅱを受講するのは三回目だった。飛行術Ⅰも一度目は落ちた。はっきり言ってオクタヴィネル生でも中々ない悲惨さである。これに関しては後がない(単に未履修なだけならともかく必修科目を落とし続けて四年生に縺れ込むとまず間違いなく教員と一対一での補講が発生することになるため。イデアは体育科のアシュトン・バルガスが大層苦手だった)ので、後輩を頼ることへの忌避感よりも単位取得への危機感の方が余程勝った。たとえそれに金銭が絡んだとしても、である。
「モストロ一回奢りでどうスか」
「対価取るんだ……拙者にツケるよう一筆書く感じでよければ」
海の只中にあるオクタヴィネル寮へ行くことも、彼曰く「陽キャの溜まり場」であるモストロ・ラウンジへ行くことも遠慮したかったが、ラギーがイデアに求めているのは同行することではなく財布の部分だろう。ラウンジの方とて、イデアが金に困っていないことは(少なくとも同じ部活である支配人は)知っている。先に部活中にでもアズール・アーシェングロットに話を通しておけばいいだろう。
「毎度ありー」
ラギーは小躍りしたいくらいだった。この数十分を一人の知り合いに付きっ切りになった上で(指導はしているのだから当然アイスは約束されている)、やろうと思えば一週間分くらいの食費を一回で飛ばせるモストロ・ラウンジを「一回」(一品、でないのがポイント)、それも本人に止められることもなく他人の金で食べれらるのだ。
しかし、ラギーのその喜びは十分しないうちに萎んでいった。イデアの飛行術が思った以上に酷かったのだ。それはもう、ラギー・ブッチの交友関係では見たこともないくらいに。
「清々しいくらいにポンコツっすね。どうなってんスかホント」
箒は浮く。マジフト部員級とは言わないが、まあまあ、それなりの高さまで浮かぶ。それなのに本人が座っていられないのだ。微動だにしない箒から十秒と持たずに滑落するとか、ラギーからしてみればむしろどうやっているのか聞きたいくらいだった。
「あー、拙者空には嫌われてるので。海にもだけど」
「嫌われてる、って……」
どう聞いても言い訳だった。海にも、ということは水泳も苦手なのだろう。というかあらゆる運動が苦手そうな顔と体つきをしている。呆れたようなラギーの声を聞いて、なんとか地上に戻ってきたイデアは真面目な顔で続けた。
「言い訳じゃなくてね。アズール氏とかもそうだよ。ほら彼、本来のテリトリーは深海なわけで」
オクタヴィネル寮長アズール・アーシェングロットの出身は珊瑚の海の北の果て、その上深海も深海である。ナイトレイブンカレッジに入学するまで空の色を知らなかったという噂すらある。それは、なるほど空を飛ぶイメージなど掴めないに違いなかったし、種族や想定環境が違いすぎて魔力の性質レベルで違いが出るというのは、サバナクローでも聞かない話ではなかった。たとえば鳥類系の獣人だとか。
「もしかしてそこで人魚どもが暴れてるのも同じ理由だったりします?」
「半分はそうだと思いますぞ」
残りの半分は言うまでもなく連中が陸上生活二歳児ないし三歳児(繰り返すが四歳児なのにまだ必修の飛行術Ⅱがとれていない場合は教員によるマンツーマン指導が入る)だからである。
「そんなことあるんスか」
「あるある。死者の国の王が世界の支配権を兄弟と分け合ったって話は知ってるよね」
「そこまで魔法史ダメに見えます?オレ」
魔法史、というか常識のレベルだ。まあスラム育ちの身の上なので夕焼けの草原以外の逸話には疎い自覚があるが、それでも寝物語に聞かされる程度にはよく知られた話である。死者の国を含む地下を支配地とする冥界神ハデス、全ての人魚と海を治めた海洋神ポセイドン、あらゆる人と獣の王であった天空神ゼウス。他にも神々がいないわけではないが、此処までならスラムの子供でも諳んじることができる。
「まあそれで領域が分けられたんすわ。空の下、海の中、地の底。獣人とか人間は空の下の民だから向き不向きは個人の範囲なのに対して、あそこで暴れてるいかにも運動できそうな……サメかなたぶん……あたり分かりやすいけど、人魚は種族単位で飛行術と相性悪いわけ」
イデア・シュラウドはともかくとして、体育科以外のあらゆるテストで満点をたたき出しながら飛行術の補習に引き摺られていくアズールと、揃いも揃って立っているときの方が目線が高いような惨状の人魚たちと、マジフト部でもないのに誰より高く早く飛ぶ大鷲の獣人を合わせれば、確かに種族のレベルで合う合わないはあるのだろうと思えた。
目の前で暗いオーラを放っている先輩はともかくとして。
「……イデアさんは人魚じゃないっスけどね」
そう言うと、イデアは困ったようにその青い炎を掻き回した。少しの間言い淀んで、言い辛そうに口を開く。
「えー、あー……トレインさ、一年の魔法史であの話するでしょ。うちの」
魔法史概論は一年前期の必修科目だ。所謂グレートセブンの功績についての講義を各二回。テストと、そして一人を選んで期末レポート。ラギーは特段こだわりのないサバナクロー生の例に漏れず百獣の王スカーについて書いた。閑話休題。
確かに、ラギーがシュラウドの名を知ったのは魔法史概論の死者の国の王についての回だった。グレートセブンは死者の国の王その人を除いて既にこの世から去っていて(死者の国の王をこの世にいるものとして数えていいのかは置いておく)、その子孫も多くは途絶えているという。夕焼けの草原の王家も血縁ではあれどスカーの直接の子孫ではないし、王家という形で残っているのは茨の魔女マレフィセントの子孫(マレウス・ドラコニアだ、勿論)のみだが、そもそも妖精族は余人との接触を殆ど断っている。そんな中で、死者の国の王の子孫がこの世に残っている(こちらは本当にこの世にいる)、という話だった。嘆きの島の、シュラウド家。冥界の青炎と冥府の石榴を今なお継ぐそれは、イグニハイド寮長イデア・シュラウドその人の生家である、と。余談だが、イデアが一年生の時も当然のように同じ授業内容だった。晒し上げ同然にされた彼は、どうやったのかその週末にはタブレットによるリモート受講の権利を勝ち取っていたため、質問攻めにされたのは一度だけだったが。
「シュラウド家がグレートセブンの子孫ってはな、し……」
アイデア判定に成功したらしいハイエナが目を見開く。冥界神の子孫は、限りなく人に近いと言えるほどに人間の血が混ざった今でも、天空神の庇護からは外れた者だと、そういうのだろうか。
「えっそういう?地の底の住人だから飛べないって?」
実際のところは、シュラウドの人間もここまで悲惨な例はこの三、四百年ほどなかったのだが、今のイデア・シュラウドが持つ魔力の量と特性は先祖返りを謳われるほどのものであるので、当然のように空からも海からも排除対象となっている。
「その通りでござるよ。水泳の単位も体力育成Ⅰで取ってお情け込みでぎりぎり」
「
体力育成は通年科目でⅢまであり、必修科目のⅠとⅡは半期ずつの四種、選択科目のⅢは二種一期ずつ、競技を選ぶ。水泳と持久走(と座学の保健学習)はどこかで取る必要があるが、当然ⅠよりⅡの方が基準は厳しい。体力育成Ⅰに落単という概念はないと(サバナクローでは)言われるくらい緩い基準だったはずだが、と想像以上の話にラギーは頭を抱えた。
「まー、そういう話ならコツとか以前の問題かもしれないっスね」
匙を投げた、とばかりのラギーの態度は、瞬く間にイデアにも伝染する。そもそもが飛行術に対するやる気など微塵も持ち合わせていないので。
イデアからしてみれば魔法自体が時代遅れのものである(大方の魔法は機械によって自動化できる。した)し、飛行術はなおのことだった。なにせ弟にして最高傑作たるオルト・シュラウドには反重力装置が搭載されていて、人間相当のサイズと重量を自在に飛ばせることは証明済みであるからして。
「もうやだ……反重力装置持ってきて浮いたらだめかな」
「よくわかんないけどダメだと思います」
ラギー・ブッチにとって魔導工学は古代呪文語以上の異言語だったが、それでもアシュトン・バルガスがそれを持って単位を認定するはずがないことはなんとなく分かった。
「デスヨネー」
「うーん、もう一回やってみてもらえます?」
「はいな」
二つ返事でイデアが飛行魔法と姿勢制御を併用する。手中にマジカルペンはないが、要は魔法石と自身との間に動線が通っていればブロット排出も魔力変換も問題なく行われる。必ずしも手に持つ必要はない。それが実演できる生徒がディアソムニアでも少数派だということを除けば。
魔法の発動は鮮やかといっていいものだった。それが結果に結びついていないのが不可思議なくらいに。浮き上がった瞬間は跨がっていたイデアが、姿勢を崩して鉄棒よろしく箒からぶら下がる体勢になるまでの時間は五秒ほどだった。
「魔力が安定して通ってて姿勢制御魔法まで使ってるのに座ってられないとか妨害疑うレベルなんスけどこれがデフォなんスよね?」
「間違いなくデフォ……というか今のはうまくいった方でござるな」
「えっ何が悪いんだこれ……いっそ相対位置固定とかします?最低限の課題クリアするだけならこれでイケると思うんスけど」
箒との相対位置を固定すれば、確かに箒から落ちることはなくなる。しかしながら、箒が暴走した場合、行路制御と位置固定がコンフリクトを起こす可能性はゼロではないし、そうなれば事によっては首が物理的に飛ぶ。さすがにそれは勘弁願いたいので、どうしたものかと思い巡らせるイデアの脳裏に、今年のマジカルシフト大会準備期間の記憶が過ぎった。
「それ失敗したら恐ろしいことになる奴じゃん……あ」
「どうしたんスか」
不思議そうなラギーを置いて、イデアはなにやら考えているようだった。
空中で指が何度か走り(魔法陣と言うよりも文字をなぞっているようにラギーには思えた)、何に納得したのか一つ頷いたイデアがラギーを見て言う。
「必要なもの喚ぶから十秒待って」
「呼ぶ、ってオルトくん?」
「いや、マジカルペン代わりみたいな」
そう言いながらイデアは胸の辺りで掌を上に向けて広げる。そこに、青く燃える魔力で魔法陣が描かれた。その一瞬で効果を読み取れるほどラギーはその手の魔法に詳しくないが、先の発言に照らし合わせれば召喚術、ないしその亜種である転送術だろう。転送術も召喚術も高位魔法とされるもので、少なくともラギーはあと一年経っても監督者なしで、それもここまで気負わずに使える気は全くしなかった。
イデアの手元に喚び出されたのは、普段から彼がふよふよと周囲に浮かべてマジカルペン代わりにしている髑髏型の機械だった。
「よ、『よぶ』って召喚の方……マジすか……。え、えっと、この髑髏、何に使うやつです?」
ラギーの人生には必要のない知識なので理解する予定は欠片もないが、なにがどうなってこの、魔法石も見当たらなければ体に触れているわけでもない髑髏がマジカルペンの代わりになるのか疑問に思っていたものだ。
「普通に魔法現象起こすだけですぞ。動力は自己魔力ではなく魔導エネルギーでござるが。さっき反重力装置の話してたでしょ。オルトも事情は拙者と似たようなものだけど普通に飛べるのって、要は飛行術と相性最悪な僕たち、ってか僕のだけど、その魔力じゃなくて平均化された魔導エネルギーを使ってるからなんだよね。ていうか今年のマジフト大会でも導入したのになんで忘れてたんだろう」
「???」
つまりなんだというのだ。とりあえず今年の寮対抗マジフト大会で妙にイグニハイドの動きがよかったことに練習以外の原因があるということは分かったが。
「あ、その、魔力の質が問題ならこれで解決できるはず、です……」
「や、なんか、すんませんオレが頭悪い所為で」
「いやラギー氏の所為じゃないよ……。オタクすぐ早口で捲し立てるの悪い癖ですぞ万死万死……」
頭が悪い、というのを否定されなかったことには苛ついたし、後半声を落とした部分もハイエナの耳には聞こえているぞと声を大にして言いたかったが、まあこの一つ上の先輩の口と態度と性格が悪いのは今に始まったことではないのでラギーは黙って話を進めることにした。というかこの学校口と態度と性格の悪くない生徒を探す方が難しいので。
「まあ試してみましょ。それで成功すれば万々歳ってことで」
授業中に幾人かのイグニハイド生が広げている画面どころか、普段から校内を飛び回るイデアのタブレットよりも小さなホログラムディスプレイが手元に広がる。二、三度画面を叩いて(感触のないそれを「叩く」と呼ぶのかラギーには分からなかったが)、イデアが箒に跨がった。髑髏型のオブジェから、箒の浮遊魔法とイデアの姿勢制御魔法が発現したのだろうと思う。いかんせん魔力の癖が少なすぎて感知しづらいのだ。反射のないガラスでも見ている気分になる。
果たして箒はラギーの頭を越えて浮かんだし、イデアも姿勢を崩すことなく乗っている。このまま10メートル前進しますぞ、という宣言も問題なく果たされた。
「解決しましたな」
イデアが頷いたのに応えるように、ラギーも頷く。あとは規定ルートを規定以上の速度で飛べれば晴れて単位取得だ。マジカルペンを手に持って飛ぶ生徒は珍しくないし、機械髑髏だってそれと似たようなものだろう。
「解決したっスね。これもしかして好きなように飛び回れます?」
「ルート設定必須だけど、アクロバット飛行って意味なら、うん。できるよ」
「完全解決っスね。モストロごちになります」
最終的にラギーのアドバイスが役に立ったわけではないが、相談に乗ったのは事実であるので。貰えるものは遠慮なく貰っておく。
「結局拙者の技術では……?まあいいけど」
「よし。じゃ、オレあっちのオクタ連中からかってくるんで!」
「あー、うん。じゃあね……」