「弟子を取っていただきたいのです。」
呼び出しを受け将棋会館に向かった俺に対して、月光会長は唐突にこんなことを言い放った。
「九歳の女の子です。竜王ならお好きなのではないでしょうか。」
「いやいや、ちょ、ちょっと待ってください!どうして俺…いや私なんですか!?もっと経験豊富な人か、同じような年齢なら『彼』のようなしっかりしてる人の方が…。」
「先方の希望です。『弟子入りするなら現役A級棋士かタイトル保持者でないとイヤだ』と。『彼』は今のところ条件を満たしていません。」
「そんな無茶苦茶な話が…。」
「確かにあまり類を見ない条件ではありますが、先方は長く将棋界に援助をくださっている実業家の孫娘です。無下にするわけにはいきません。」
「…それなら、生石玉将とかはどうですか?」
「玉将や『名人』も考えてはみましたが、あの人たちは弟子を取らない主義ですから。それに、竜王は最近同じくらいの小学生の弟子をお取りになったのでしょう?」
「いや、だからこそ余裕がないというか…。」
「週に一度か二度、二時間程度教えるだけで良いのです。あまり難しく考えないでください。とりあえず、一度だけ先方に伺ってみてからお考えいただくのはどうでしょうか。」
そんな会話をきっかけに、俺はもう一人の弟子…夜叉神天衣を迎え入れることになった。最初は、会長が師匠になる方が相応しいと思って会長に弟子入りさせたのだが、師匠が俺を会長の弟子にしようとした話を聞いたり、あいとの対戦の様子を見たりした結果、どうしても弟子にしたくなったので、会長との対局に勝利して彼女を取り戻したのだ。
それ以来、あいと天衣は、同世代かつ同程度の棋力のライバルとして、お互い切磋琢磨し続けている。
「天ちゃんには負けたくないんです!」
「あいつには負けたくないわね。」
そんな言葉を漏らしながら勉強する弟子を見る度、やっぱり天衣を弟子に取って正解だったと実感する。
そんなある日、俺が関西将棋会館の棋士室で、対局の検討をしている時だった。ふいに、横から話しかけられた。
「九頭竜先生、こんにちは。」
「ああ、こんにちは。お疲れ様です。」
「ご一緒させてもらってもよろしいですかね?」
「ええ、構いませんよ。」
話かけてきたのは「彼」の師匠だった。棋士同士が棋士室で会話や検討を行うのは別に珍しいことではないが、それは一門や研究パートナーなどで固まっていることが多いので、余り関わりのない「彼」の師匠から話しかけられるのは少し意外だった。
対局の検討をしながら、将棋界の最近の話題を話す。タイトル戦の予選の勝敗や、順位戦の進行状況などが主だ。そんな中で、その話は切り出された。
「そういえば、竜王は弟子をお二人も取られたとか。」
「ええ、そうですが…。いや、別に変な趣味があるとかいう訳では…。」
「いやいや、そういう話をしたいのではないんですよ。むしろ、その噂を払拭できる話かもしれません。」
「…というと?」
「うちの弟子の師匠になる気はありませんか?」
…息を飲んだ。
「…どうして急にそんなことを?」
「あの立派な弟子は、近い将来タイトル戦に出るようになるでしょう。その時、自分より、若くしてタイトルを獲得された九頭竜先生の方がそれをサポートするのにふさわしいのではないかと…。」
これは、俺の師匠から聞いた俺の話と全く同じだった。…だから、俺はそれを否定する。
「いいえ、『彼』はあなたに弟子入りしたんです。他の人を師匠にするという選択もできたのにそれを選んだ。それ以上に師匠としてふさわしい人物なんているはずがありませんよ。…自分も自分の師匠が清滝鋼介九段だからここまでこれたんだと思います。」
それを聞いた「彼」の師匠はハッとした顔をすると、「失礼しました。今日はこれで帰らせて頂きます。」と言って棋士室を去った。
「へえ、そんなことがあったの。」
数日後、姉弟子とのVS中に、「彼」の師匠との会話の話になった。
「ええ、なんというか、『彼』の師匠もそんなことを考えるんだなぁって思いましたよ。…うちの師匠も『彼』の師匠も、決して自信がなくて内気なわけでも、将棋が弱いわけでもないのに、どうしてそんなことを思うんでしょうかね…。」
何気なく出た問いだった。でも、姉弟子はそれに、まるで中盤の難所の検討をしているかのような真剣な声で答えてきた。
「…圧倒的な才能は時に周りの人間を狂わせるの。その才能に対峙したとき、人は様々な反応をする。才能の差を感じて絶望する人、憧れを抱く人、利用しようとする人、挑もうとする人…好きになる人」
最後はよく聞こえなかったが、姉弟子はどうやら俺のせいなんだと言いたいらしい。
「俺がそんなに他の人に影響するなんて思いませんけどね…。」
「そう、自覚はないのね。」
「え、えぇ…。だって、俺が周りの人に影響するなら、姉弟子だってもっと変わってるはずじゃないですか…。冷たくて暴力的な性格も、将棋が強いのも、体つきまで何一つ変わってな…」
「死ね!クズ!頓死しろ!」
「ちょ、ちょっと、姉弟子!盤外のVSはお断りですって!」
この日の姉弟子とのVSはこれでお開きとなった。
「それは、麗しき白雪姫の心を傷つけてしまったのだ、悪しきドラゲキンよ!」
「はいはい、まあいつものことだし、俺から謝ることにするよ。」
「それが良いだろう。」
姉弟子とのVSから更に一週間後、俺は神鍋歩夢六段と研究会を開いていた。歩夢とは小さい時から将棋を指しているライバルでもありながら、同時に研究パートナーでもあるという関係だ。
将棋界の棋士達は本来敵同士。と言っても、将棋を一人で考えるのは行き詰まってしまうので、一門などの仲の良い棋士とは一緒に研究をする。現代将棋は、研究に乗り遅れると、一気に負けるしかなくなる恐ろしい世界になっているのだ。
まあ、中にはコンピューターと研究をして対人での研究はしないという棋士もいるが、それは少数派だ。
「…ドラゲキン、山刀伐八段に負けが込んでいるそうだな。」
「ああ、そうなんだ…。」
山刀伐尽八段は、今俺が一度も勝てたことのない相手だ。居飛車、振り飛車、角換わり…ありとあらゆる戦形を指しこなすオールラウンダーで、あの「名人」の研究パートナー。
俺がプロ入りしてから初の対局の相手で、大敗して将棋会館から海まで走るというエピソードを作らされた因縁の相手でもある。
…それにしてもこのエピソード、プロ入り初対局で、引退直前の初の中学生プロ棋士を相手に見事勝利し、そこから二十九連勝を達成した「彼」とは雲泥の差の話だよな…。
「奴は名人の研究パートナーにしてオールラウンダーだ。生半可なことをすれば討ち取られるぞ、ドラゲキンよ。」
「ああ、だからこうして歩夢と対策を練ろうとしているんじゃないか。…やっぱり研究パートナーがいるってのは大事だな、いつもありがとう歩夢。」
「いや、こちらこそ…。」
歩夢は中二病風な振る舞いをしているが、妙なところで素直だ。少し照れているのがはっきりと分かる。
「そ、そういえばドラゲキン。『彼』と篠窪棋帝が研究会を頻繁に行っているという話は聞いたか?」
照れ隠しのつもりで出した何気ない話題だったんだろう。でも、それを聞いて俺は驚いてしまった。
「え、そうなのか!?それ、いつからなんだよ。」
「確か例の七番勝負の後からだ。恐らく、唯一勝った篠窪棋帝は『彼』の興味を惹いたのだろう。」
「マジか…初耳だぜ…。」
「それ以来『彼』はもちろんのこと、篠窪棋帝もかなり調子を上げられている。果たして『名人』との棋帝戦がどうなることか…。」
「確かに篠窪さんが最近調子良いのは知ってたけど、そんな事情があったなんてなぁ…。」
「うむ。我らもうかうかとしてはいられないのだ、ドラゲキン。」
「だな。本格的な検討に入ろうぜ、歩夢。…さっきの6五歩はやっぱり駄目だったな。」
「その通りだ!あのタイミングでの突き捨ては敵陣より自陣の方が傷になってしまった。もっと早く突くかむしろもう数手進んだ局面の方が効果的だ。」
「だよなぁ…やっぱり手順前後か。あと、ここの4八馬が…」
…こうして、歩夢との研究会は進んでいく。
この日は、特に深くまで対策を練ることができた。
ライバル、師弟、そしてパートナー。
―将棋界の三つの関係は、強くなる上で欠かせないものなのだ。
ちょっと詰め込み過ぎてまとめきれていない気がしなくもない…。あと、歩夢の口調が難しかったです。