「彼」のおしごと!   作:ヒロテツ

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大変お待たせいたしました。
この作品の更新が滞りがちな理由に関しては以前より説明している通りですのでご容赦ください。
ただ、りゅうおうのおしごと15巻が発売されることも含め、今日という日に投稿できたことは良かったです。


第五局 将棋星人

ゴキゲンの湯。タイトルホルダーである振り飛車党、生石玉将が開いている銭湯だ。そこで俺はこう切り出した。

「…生石さん!」

「ん?」

「お願いがあります。…俺に振り飛車を教えてくださいッ!!」

「ええ!?師匠、振り飛車党になっちゃうんですか!?」

一緒に連れてきたあいが驚くのも無理はない。俺は師匠の影響もあって生粋の居飛車党で、公式戦はおろか、子供の頃から居飛車ばかりを指してきたからだ。

 

ちなみに、同じ中学生棋士である「彼」も居飛車党。プロデビューしてからの対局では公式非公式を問わず居飛車しか指したことがない。後手番の時の二手目は必ず飛車先の歩を突く8四歩だ。

8四歩は「王者の手」とも言われる、「そちらの戦法何でも受けます」という意味合いを持つ手で、不利とされる後手番率が不思議と高い「彼」は、それでなお勝ち続けているのがまた恐ろしいポイントなのである。

 

「まあ、必ずしも振り飛車党になるということじゃない。色々な局面を経験することで、どんな局面にも対応できるオールラウンダーになりたいんだ。」

「…なるほど。」

「あと、あいが研修会で勝つにも必要なことなんだぞ?」

「そうなんですか?」

「ああ、研修会で上手を持つようになると、香車を落とすことになるんだ。その時に飛車で端をカバーしてくる必要が出てくるからな。」

「なるほど!」

 

そういった意味では、「彼」も振り飛車を指したこと自体はあるはずだ。もしかしたら、「彼」と同じ名字の棋士が編み出した「システム」も使ったことがあるのかもしれない。

とはいえ、あくまで研修会や奨励会の話だから、俺自身も含め、それだけで振り飛車のセンスも持っているとは言い難い。

 

結局、俺とあいはゴキゲンの湯の手伝いをすることを条件に、生石玉将から振り飛車の手ほどきを受けることになった。

そんなある日、ふとしたことから、脳内将棋盤の話になった。

「生石玉将の脳内将棋盤はどんな感じなんです?」

「俺のは現実の盤とほぼ同じで、背景まで映るな。ただ、ところどころぼやけて全体は見えない。お前はどうだ?」

「同じくカラーですね。ただ、駒は黒い文字だけで、全体図と部分図を行き来する形です。あいはどうだ?」

「んーっと、詰将棋の図面と同じです。白黒で、小さいですけど全体が見えます。」

「脳内将棋盤といや、『彼』は脳内将棋盤持ってないらしいって話は聞いたか?」

「「えっ!?」」

脳内将棋盤は、棋士であれば誰でも持っているというのが通説である。詰将棋選手権を連覇し続けている『彼』なら、なおさら持っていそうなものだが…。

「じゃ、じゃあ…『彼』はどうやって読みをいれているんですか…?」

あいがおずおずと生石玉将に質問をする。

「インタビュー記事によれば、『対局中にどうやって思考しているかはよく分からない、詰将棋は読みだけだから盤は必要ない』とのことだ。」

「余計分からなくなっちゃいました…。」

「恐ろしい…としか言えませんね。『よく分からない』思考で勝率8割を達成しているといううことなんですか…。」

「まあ、正直どこまで本気で捉えていいのかはよくわからん。言語化しにくいことも世の中たくさんあるからな。『彼』の語彙力で言語化できないってのはなかなかだろうが。」

「ただ、少なくとも脳内将棋盤がないのが確かである可能性は高い…と。」

「そういうことだ。」

「「「…………。」」」

場に重たい空気が流れる。この後、あいの脳内将棋盤が6面あることが判明し、また驚愕することになるとは、この時の俺たちは想像もしていなかった。

 

時を同じくして、銀子と桂香も脳内将棋盤について話していた。

「桂香さんは脳内将棋盤、どういう風に見える?」

「…ぼんやりとは見えるわ。ただ、一手進めるごとにぼやけていっちゃうけど。」

「私もそんなところ。…脳内将棋盤の鮮明度は、自分が今どれだけ正確に読めるかのベンチマークになるの。つまり、将棋の才能の指標の一つと言える。」

「…。」

「…男性と女性だと、同じくらいの棋力でも感覚が違うと感じることがある。女流棋士やアマチュアは、駒の位置を見て、そこから読んで動きを確かめる。でも、若い男のプロや奨励会高段者は、読まなくても動きを掴むことができる。――感覚として駒の利きが見えている。」

「銀子ちゃん、それは一体どういう――」

「あいつらは将棋星人なの。」

「???」

「私たちは地球人。目で見て考えるしかない。でも、あいつらは目で見る以外の情報を盤面から得ている。だから、読みの速度と局面探索の深さが全く違う…というより、そもそも読んでいない。見るだけで分かるんだから。これを『極限まで』突き詰めるとどうなると思う?」

「……。」

桂香は、あまりのことに声を発することができない。

「…八一だって脳内将棋盤を使っている。それは昔聞いた。もちろん、それが私たちのものよりよっぽど鮮明であることは確かだけど。…悔しいことに、あの小童もね。でも、その感覚を極限まで突き詰めれば……『脳内将棋盤なんてものは必要なくなる』」

「…っ!」

「だってそうでしょう?駒の利きを感覚で捉えて読みを入れられるなら、むしろ脳内将棋盤をわざわざ描き出すのは脳のリソースの無駄遣いでしかない。」

「そ、そんな人が現実に存在しうるの…?」

「あるインタビューで、読みだけなら脳内将棋盤を使わないと公言した人物がいる。誰だと思う?」

「…『彼』?」

「正解。…感覚で読むことができる人を将棋星人と呼ぶなら、それを極めつくした人は何て呼べばいいんだと思う?」

銀子の問いかけは、窓から見える星空の中に消えていった。


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