バスチアから帰ってから1週間が過ぎた。この間、とくに音沙汰なしで、なごやかそのものだった。もちろん、鬼のような特訓は続けられたけども。
ジルフさんとメリス先生は、普段はテミー大陸東端の町キルパに一応の住処を構えているみたい。とはいっても、生活の半分以上は旅から旅への根なし草らしい。ジルフさんは、俺たちがクレア山で修行している間、帰ってきては端末で依頼を確認し、すぐ出動という状態が半年も続いたそうだ。携帯電話なるものがあるけど、機密情報だから専用の端末からじゃないと確認できないんだって。携帯電話なんて、まだ日本じゃそんなの見たことないな。(※1)
ゆうやは、しかし、旅の緊張感からはいくらか解放されていた。やっぱり落ち着く場所があるっていいな。
一方で、ゆかりは、メリス先生の気功術にますます興味が湧いていた。回復術といい、気のバリアといい、先生の技の多さと強さには感心してしまう。
ゆかりはゆうやに日本語で話しかける。
「あのさ、わたし、いつかメリス先生のような気功の達人になりたいなあ。そして、ジルフさんのような立派な人にもなりたい」
「俺も。メリス先生とジルフさんから全てを教わりたい。剣だってちゃんとマスターしたいね」
「そう言えば、こないだはいつになく泣きじゃくってたよね。死んじゃうって顔してたもん」
「あれは、ほんとに殺されるかと思った。でも、もう泣かないさ」
「ほんとにー? ゆうや、泣き虫だからまたすぐ泣くんじゃないの?」
ゆかりがからかうように聞くと、ゆうやは少し意地になって返した。
「いや、もう泣かないってば! 俺だってやるときはやるんだぞ」
「何をどうやるってのよ」
ゆかりはおかしくて笑いながら返した。
「え……えっと、なんだろう。ま、とにかく泣かないってことだよ」
ゆうやも、自分の言ったことがおかしかった。
どうもゆかりと話してると調子狂うな。いつも言い負かされているような気がする。楽しいからいいけど。
ジルフは、こんなに仕事が来ないのは久しぶりだったもので、時間を持て余すのか、肉体や剣の鍛錬をしながらくつろいでいた。
メリスは、長い間2人の修行をつけていたことで、バルとしてのカンが少し鈍っていたので、気や肉体の鍛錬をしたり、最近の情報を頭に入れたりしていた。
こうして、休みにもかかわらず4人が揃いも揃って鍛練に励むという奇妙な光景を繰り広げる家に、1件の依頼が来た。ジルフが依頼の情報を確認する。
「おっ。どうやら新しい依頼が来たようだな。今度の依頼主は政府、そして場所は……ヘレスチナ共和国か」
どれどれ。ある一地方の自治体と住民が、全国的な大飢饉を背景に、一触即発の状態。暴動が起きれば大量の死者が出る可能性がある。国は軍隊を保有しないため、暴動を止める力はない。この地方で暴動が起きれば、同様に全国的な運動に発展する可能性がある。その事態は避けたい。そこで、あなたたちバルに、この事件をうまく収めていただきたい、か。
「こういうパワーだけじゃ解決しない問題ってのは難しいのよね」
メリスはうーんと背伸びしながら言った。
「ああ。こいつはまた大変なヤマに当たっちまったな。放っとくと大変なことになりそうだから、急いで向かうか。ちなみに報酬は1億バレンだ」
「1億とはまた奮発したもんだね。その100分の1で十分すぎるほどなんだけどね、こっちは。よほど困っているのかしら」
セントバレナの通貨の単位は、ネムサ大陸と、ドーモス大陸を除く3大陸ではバレンで統一されている。80バレンほどでネクト1つ買えて、1か月普通の生活をするには家賃含め5万バレンもあれば十分である。1億バレンと言えば、高級な建物2、3件ほどは買える値段で、ボランティアの要素を含むバルに支払う金額としては破格の値段であった。
「交渉や説得もバルの仕事のうちだからね。もしも暴動が起きれば、被害が大きくならないうちに止めることも必要だしね」
「よし。さっそく向かうことにしよう。ゆうや、ゆかり、出発の準備だ」
とジルフが2人に呼びかけた。
「はい」「わかりました」
いつものように、ゆうやはジルフ、ゆかりはメリスの背につかまる。4人は空へ向けて飛び出した。
ヘレスチナ共和国はテミー大陸の北側に位置する国である。国家という枠は存在するものの、高度に独立した複数の地方自治体が、実際には各々の地域の政治を行っている。軍隊は国としては持たず、やはり自治体がそれぞれ警備隊の名称で独自に持っている。
「移動には2日ちょっとはかかるな。途中休み休み行こう」
移動の途中に針のようにとがった木が生い茂る森を通過した。あんなところ歩いていける気がしない。
そう考えながら下を見ているゆうやに気づき、ジルフが説明する。
「あれは硬針樹の森といって、その名の通り針のような硬い木が生い茂る森だ。危ないから、一般人は決して足を踏み入れない。あの木は火でも燃えないし衝撃にもびくともしない、まさに自然の驚異ってやつだな。この星には、そうやって普通の人間が住めないような場所も多くある。前人未踏の秘境だってまだまだあるさ。俺くらいだったら、そんな場所も簡単に行けるが、別に興味ないな」
するとゆうやが言った。
「俺はけっこう興味ありますね。なんか地球にはない景色が多くあって面白いです」
「こっちにしたら見飽きてるんだけどね。そういえば、俺もネムサ大陸は一度見てみたかったな」
「ネムサ大陸ってたしか5大陸の1つですよね」
「ここよりもずいぶんと文明が進んでいるらしい。しかし、大陸が完全に外部と遮断されていて、誰も近づくことができないんだ。俺も一度空から行ってみようとしたが、思い切りはじき返され」
「空にも壁があるんですか」
話を聞いていたゆかりが尋ねた。
「そうね。私たちは、40年くらい前かな、一度ネムサ大陸に突入しようって計画を立てて、空からの侵入を試みたのよ。まさか上空20000メートルのところまでバリアが張られてるとは思わなかったわ。ジルフったら見えない壁に思い切りぶつかってたわね。気功波で攻撃してみたけどびくともしない。諦めて帰ったのは苦い思い出よ」
「大変だったんですね」
ゆかりがそう言うと、
「まあな。そこの進んだ技術を少しでも持ち帰られればと思っての行動だったんだが、ちっともうまくいかなかったな。はは」
とジルフは照れ臭そうに言った。
話しているうちに、下にはなだらかな草原が見えてきた。
「そろそろ休憩にしよう。硬針樹の森も抜けたし、降りるぞ」
4人はしばらく休憩をとり、再び空を飛んでヘレスチナを目指す。旅は順調に続き、2日後にはヘレスチナ共和国に到着した。
「いやー、2日も飛んでるとやっぱり疲れるな」
「ふう。もうへとへと。ホテルでもとりましょう」
それを聞いて、ゆうやはなんとなく浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「そういえば、なぜ飛行機を使わなかったんですか?」
「ひこうき? なんだそれ?」
ジルフはよく分からないという顔だ。
ゆかりがびっくりして言った。
「え、知らないんですか? あの空飛ぶ大きなやつですよ。こう、翼があって……白くて……」
ゆかりは地球にいたときに覚えていた拙いイメージながらも必死に説明した。
メリスが非常に驚いて言った。
「じゃあ、地球には気を使わなくても空を自由に飛べる乗り物があるっていうの?」
ゆうやが答える。
「そうです。ずっと飛行機使わないから、不思議に思ってたけど、そういうことだったんですね。まさか飛行機がないなんて……」
セントバレナでは、航空技術は未ださほど発達しておらず、また、宇宙にも進出していない。気を極めた者の舞空術が、主な空の移動手段となる。そして、大陸をまたいでは、海上輸送が貿易および人の行き来の基本だった。陸路の交通手段は発達しているが、舞空術よりは速さの点で遅い。
ゆうやがゆかりに話しかける。
「でも、こっちも人が飛ぶなんて驚きだったよね」
「うん。あれは色んな意味で衝撃だった」
ジルフはまだ驚きを隠せないようで、
「こっちこそ驚いたぞ。そんな乗り物がこの世界にもあったら、こいつらなんて背負わなくていいのにな」
「ずっと飛んでるのって結構体力使うからね。あなたたちも空を飛ぶようになったら分かるわ」
とにかく、手段はどうあれヘレスチナには到着した。一行はホテルに宿泊し、翌日、政府に話を窺うことにした。
(※1 ゆうやが地球にいた西暦1990年当時、日本では、携帯電話はあったが、まだ一般家庭にはそこまで普及していなかったため、ゆうやはその存在を知らなかった。ちなみに携帯電話は1990年代半ばくらいから急速に普及していく。)