ルメ草原の果てにある町ケレッジ、そのある宿の一室にメリスとジルフ、そしてゆうやはいた。決して悪い宿ではなかったのだが、風呂などはついていなかった。川が近くにないため、この地域は水があまり豊富ではないのだ。ゆうやはというと、幼稚園の制服はひどく汚れてしまっていたので、シャツとズボンに着替えさせられていた。宿の近くの店でジルフが購入したものだ。着心地はいつものシャツやズボンとそんなに変わらなかった。
二人は出発の準備を終え、ゆうやに声をかけた。
「よし、ゆうや、いくぞ」
ジルフが声をかける。
どこにいくんだろうと思っていると、ゆうやはメリスにひょい、とおんぶされた。
(ここから70ヘルマ(=約105KM、以下KM表記)くらいね)
(こいつのせいでだいぶ遅れてるし、ちょっと急ぐぞ)
「ゆうや、ちゃんと背中にしがみついてなさい」
メリスがそう言うと、二人は地を蹴り、一気に宙へ浮いた。ゆうやは信じられないというよりは、すごい、ホントに空を飛ぶ人がいたんだ、という驚きと感動でいっぱいだった。この幼い子どもは現実の人間が空を飛ばないということを知らない。いや、うすうす飛ばないことは分かっていたが、アニメのような世界がきっとどこかにはある、まだそう信じていた年頃だった。
「すごい!」
思わずゆうやは叫んだ。空を切る風が心地よい。下をのぞいてみた。丸い形の建物。日本にあった四角い屋根はここにはなかった。家が、人が豆粒のように小さく見える。左手には草原、右手には森、そして奥には山々がそびえたっていた。こんな大自然を生まれてから生で見たことがないゆうやには、鮮明に印象に残った。そうしてちょっとの間は見ていたが、落ちたら……と考えると急に怖くなってきたので、背中に体を押しつけて目をつぶった。
二人はあっという間に山々を突っ切る。ものの数分で山を抜けてしまった。すると見えてきたのは小さな町だった。
(あれだ)
今回の仕事の依頼を受けた町、カーサだ。ここでは、最近略奪者が徒党を組んで幅を利かせ始めたらしい。それを一人残らず捕まえてほしいというのが今回の依頼である。
バルというのは、各地で起こる争い事を仲裁したり、問題を解決したり、侵略者、略奪者の手から人々を救うことで、報酬をもらう職業である。報酬は様々であり、人によっては高額を請求することもあるが、多くのバルは各々に見合う気持ちの分だけ報酬を受け取る。ときには無償で人々の救済に向かうこともある。ボランティアの要素も強く、使命感がないとなかなか務まらない。それに大抵は、一般人を遥かに上回る戦闘能力が要求される。なぜなら、侵略者、略奪者たちもまた、一般人を遥かに凌駕する戦闘能力を備えていることがあるからだ。また、相手が一般人クラスであっても、武器持ちであったり、多勢に無勢な状況下に置かれることもある。そういう状況でも難なく仕事をこなせるようでなければ、命がいくつあっても足りない。
カーサに降り立った3人は、依頼主である町長の家へ向かった。
向かう途中、ゆうやは大興奮で、ねえ、こんどそらのとびかたおしえてよ、と二人に飽きるまでねだった。また今度、と二人はゆうやを制しながら進んだ。やがて、町長の家が見えた。
町長はジルフの姿を見るや否や、大喜びで迎え入れた。
(お待ちしておりました。あなたがあのレイバス戦争の英雄、ジルフ様ですね)
(そんな昔のことはいいよ。それより、略奪者のアジトの目星はついているのか?)
(はい。配下の者に調べさせたところ、ここから北東20キロの地点に砦のようなものを構えているという情報が入っております)
(しかし我々の力では手も足も出ず……)
(どうか我々を略奪者の手から救っていただきたい!)
(分かった。全力を尽くそう)
(ところで、ちょっとお願いがあるんだが)
(と、申しますと?)
(仕事に向かっている間、この子を預かってほしいんだ)
そう言って、立ち話を見ていてつまらなさそうにしているゆうやを示した。
(ああ、それならお安いご用です)
(こいつは日本人で、セント語は通じないからそこのところは気をつけてほしい)
(日本人!? それはまた珍しいですね)
(実は、私の家にも8歳の日本人の少年が一人おりましてね)
(2年前くらいに、この家に急に現れたのですよ。最初は何を話しているのだろうと思っていたのですが、調べたら日本人だと分かりまして。子どものいない私にはこれも何かの縁だと思って住まわせ、セント語を苦労して教え込んで今に至るわけです)
(まだ日本語は話せるはずですから、きっと仲良くできると思いますよ)
(それはいいわね。お聞きしますが、このゆうやを養子にはできないでしょうか)
横からメリスが訪ねた。
(うちは一人で手一杯です。あの子も我が家に来ていなかったらおそらく受け入れてはいなかったでしょう。うちはそれでも変わっている方です。きっとここの町の住民はみんな首を横に振るでしょう)
(わかりました。では、少しの間ゆうやをよろしくお願いします)
「じゃあ、ちょっと出かけてくるね。すぐ戻ってくるから」
「いい子にしてるんだぞ」
メリスとジルフはゆうやに別れを告げた。
「いってらっしゃーい!」
ゆうやは手を振った。
(それじゃ、あきひろを呼ぼうか。あきひろー! おともだちが来たぞー!)
そういうと、ゆうやよりはだいぶ大きな8歳の少年が返事をして姿を現した。
「こ、こんにちは……」
ゆうやはこちらに来て初めて見た同じ子供、それも自分よりだいぶ大きな子供に少し緊張していた。
(この子、日本人なの?久し振りだなあ)
(ああ、そうさ。仲良くしてあげなさい。私はこれから仕事があるからね)
町長はそういうと奥の部屋に行ってしまった。
「よう。ぼくはあきひろっていうんだ。あきひろ兄ちゃんとでも呼びな。まず、おまえの名前は?」
「お、おれはね、ゆうや。よ、よろしくね。」
「ああ。よろしく。」
二人は握手した。名前が分かってしまえばこの年頃の子供同士、あとの話ははずんだ。同じ日本人同士、多少年の差はあれど、お互いに親しみやすかったのだろう。日常の面白かったこと、どんな友達がいたか、楽しい話題が尽きなかった。特にここの文化に関することはゆうやにとって非常にためになった。
ゆうやにとって特に印象に残ったのは次の話だった。
「いいか。この星、この世界はセントバレナって名前なんだ」
「せんとばれな? ちきゅうじゃないの?」
「違うんだ。地球とは違う世界ってことになるのかな」
「ふーん」
「なんでも、この世界では、大人になったらみんな年を取らないらしい」
「え!? それって、おじいちゃんやおばあちゃんみたいなひとがいないってこと?」
「よくわかんないけどそうなんだ。でも、なぜかそのせいで争い事が絶えないんだって」
「だけど、そこでバルの登場さ。バルってのは、そういう争い事をビシッと解決できるヒーローなんだぜ」
「ばるってすごいね!」
「おまえを連れていた二人もバルだぞ。悪い敵をやっつけに行ってるんだ」
「じゃあ、メリスさんとジルフさんのおしごとってせいぎのヒーローだったんだ! かっこいいなあ」
ゆうやは2人に憧れた。いつか自分も空を飛びまわって、悪い敵をやっつけるんだ!
話しているうちに、いつしか話題はこの世界へ来たきっかけになっていた。
「ところでさー、あきひろにいちゃん、にいちゃんはどうやってここにきたの?」
「ぼく? ぼくはね、父さんも母さんも交通事故で死んじゃって、どこかの施設に預けられたんだけど、それが嫌で家を飛び出して、もうどうしようもなくて、悲しくて泣きながら歩いていたときに、ふっと裂け目みたいなものに飲み込まれちゃって」
「おれもそうなんだ。なんかへんなのにのまれちゃってさ」
「気がついたらここにいたんだけど、ここの町長は温かい人でさ、最初は言葉も通じなくて不安だったけど、今は言葉も覚えてなんとか暮らしてるよ」
「あのさ、かえりたいっておもったことはないの?」
「そりゃ、あるさ。父さんも母さんも死んじゃったけど、あっちには友達もいたし、ここはおんなじ日本人がほとんどいなくてさびしいから。でも、もう日本には帰れないんだよ。知ってるだろ?」
えっ。ゆうやは信じられないという表情で固まってしまった。おとうさんに、おかあさんに、みんなに、もう二度と会えない。そのことが、急に決定されてしまったようで、心の最後の支えがガラガラと音をたてて崩れていくような気がした。
「うそ……うそでしょ…………?」
「うそじゃない。みんなが言ってることなんだ。知らなかったのか?」
「う、うそだ……うそだーーー!」
ゆうやの顔から大粒の涙が流れてきた。
「そんなわけないよ! だって……だって…………」
理由なんかなかった。ただ、もう一度みんなに会える、そう信じることで辛うじて自分をもたせてきたのだ。それが否定されてしまっては、これから何を頼りに生きていけばいいのだろう? 必死だった。どうしてもその言葉を肯定したくなかった。
「うそだっていってよ…………」
こんなに必死に反論されるとは思わなかったのか、あきひろもついムキになってしまった。
「ぼくだって――ぼくだって辛かったさ! でも、帰れないものは帰れないんだよ! いくら言ったってそれは変わらないんだ! 今はもうこの生活にも慣れてきて、悪くはないって思ってる。みんなそうやってあきらめて、こっちで暮らしていくしかないんだよ!」
とどめの一撃だった。もうゆうやには反論する気は起きなかった。ただただ泣き崩れる。言った後で、しまった、とあきひろは思った。自分は時間をかけて徐々に納得していったことを、当時の自分よりももっと小さな子に強烈に叩きつけてしまった。でも、意地が邪魔をしてまた余計な事を言ってしまう。
「ふん。いつまでもそうやって泣いてりゃいいんだ!」
そう言うと、あきひろは自分の部屋に走って戻ってしまった。
しばらくして、ゆうやの涙は枯れていた。だが、彼は魂が抜けたようだった。これからどうすべきなのか、その答えは全くもって見えなかった。