セバル   作:レストB

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第1部 1章 第5話「2人の約束」(1章最終話)

 ゆかりがやってきたその日の夜、ちょっぴり小さな事件が起こった。

 

 それは、ゆうやがメリスと一緒に風呂に入ろうとした時のこと。ゆかりは、ゆうやにこう言ってきたのだ。

 

「あんた、まだ女と一緒にお風呂に入るなんて、はずかしくないの?」、と。

 

 ゆうやは、そう言えば今まであまりそういうことは意識したことがなかった。昔は一人で入るのがだめだったから、今もその惰性で、まだメリスと一緒に風呂に入っていたのだ。

 

 そんな自分にグサリと突き刺さる一言。さらに、次の言葉が追い打ちをかけた。

 

「一人でお風呂にも入れないなんて、男の子として失格よね」

 

 そこまで言われては黙ってはいられなかった。同じ歳であるはずのゆかりにこうまで下に見られては、プライドがすたる。

 

「ばか。お、俺だって一人でお風呂ぐらい入れるさ!」

 

「あっ、そう。それじゃあ証拠を見せてもらおうかしら」

 

 こういう言い合いでは、大抵女子の方が上手である。

 

「い、いいよ。やってやる!」

 

 そして、すでに風呂の前で待っているメリスにゆうやはこう言った。

 

「メリス先生―! 俺、今日から一人で入るから、先にゆかりと入ってていいよー」

 

「あら。無理しなくてもいいのよ」

 

 メリスはおかしくて笑っている。

 

「無理してないもん! お風呂なんてもう一人で入れるよ!」

 

「どうだ! ゆかり、これで分かったろ!」

 

 ゆうやは結構必死である。

 

「そんなのふつうよ。ふつう」

 

 そう言ってゆかりはメリスと先に風呂に入ってしまった。

 

 くやしい。なんだかすごく負けたような気がした。

 

 

 2人が上がり、ゆうやの番が来た。風呂場にはぽつーんと一人。いつもいたメリスの姿はもうない。少し寂しさを覚えたが、いや、これが普通なんだ、普通。そう言い聞かせて浴槽につかった。

 

 

 ゆうやはこの日、女風呂を卒業した。

 

 

 就寝時、ゆうやは一人で寝ると言い出した。ふとんを持ち出して別の部屋に向かう。メリスは、こうやって男の子は成長していくのかな、なんて思っていたが、ゆうやは夜中になって戻ってきた。夜中に目が覚めると急に怖くなってしまったらしい。メリスは、ふとんにゆうやを迎え入れてあげた。やっぱりまだまだ子供ね。

 

 

 

「なーんだ。結局昨日は一人で寝れなかったの?」

 

 というゆかりに対し、

 

「い、いつか、いや、もうちょっとしたら、ちゃんと一人で寝れるようになるさ!」

 

 それがゆうやの精一杯の反論だった。彼には暗闇がとても怖かった。それを克服するにはまだ時間がかかりそうだ。

 

「さあ、今日の修行を始めるわよ。おしゃべりはおしまい」

 

「はーい」

 

「でもその前に、ゆかり、あなたは初めてだからちょっとテストさせてもらえる?ゆうやは体を鍛える運動でもやっていて。気は消した状態でね」

 

「はい」

 

 ゆうやは腕立て伏せを始めた。

 

「まずは100m走から。ここからここまで走るのよ」

 

「わかりました」

 

「いくよ。位置について、よーい、どん」

 

ゆかりはスタートと同時にぐんぐん進む。一気にゴールまで突っ切ってしまった。

 

「ふーん。9秒42。なかなかね」

 

 ちなみにゆうやのこのころの記録は8秒96。多少の差はあるが、訓練を始めた時期の差もあるだろうし、これくらいの差なら同じメニューでも問題はないだろう。

 

「次は気のコントロールよ。ゆかり、あなたがやれる全力を出してみて」

 

 ゆかりは目を閉じると、精神を集中させ始めた。鮮やかな赤のオーラが身を包む。

 

「これでいいんですか?」

 

「そう、あとはそれをある場所に集中させられる? まずは右手から」

 

「ああ、それくらいならもう手足のどこででもできますよ」

 

 そういうとゆかりは、左右の手足への気の集中を順に流れるように行った。

 

「すごいすごい。じゃあ、こんなことはできるかしら? 右腕30%、左腕10%、左右足各10%、胴20%、頭20%くらいに気を集中させる。これを右腕型基本戦闘形というの。やってみて」

 

「はい。やってみます」

 

 ゆかりは気をその割合で集中させようとしてみた。しかし、微妙な調整が難しく、うまくはいかなかった。

 

「まあ、これはちょっと難しいからしょうがないわね。でも、いい線いってたよ。これであなたのことはよくわかったわ。おつかれさま」

 

「ありがとうございました」

 

 そう言ってゆかりは少し休憩に入った。

 

 ヘイロンのやつ、たいした修行はつけてやれなかったと言いながら、ちゃんとやれることはやっていたようね。ゆかりの気のコントロールはなかなか上出来だった。

 

「はい、集合〜! 今日からゆかりにもここの修行に入ってもらうことになるけど、基本的に気の訓練以外は同じメニューでやるわ」

 

「なんで気だけ別なんですか?」

 

 ゆうやはメリスに訪ねた。

 

「熟練度に違いがあるからよ。ゆうやはゆかりに比べたらまだちょっと遅れてるわね」

 

「そっか。頑張って追いつかないとな〜」

 

 ゆうやは以外にも結構あっさりしていた。

 

「あら。意外と素直なのね」

 

 メリスは昨日の様子からもう少しゆかりに食ってかかるかと予想していた。

 

「だって、自分より上のやつってたくさんいるわけでしょ。相手が誰だって、自分より上のことはあるかもしれない。そりゃ、となりのゆかりちゃんに負けてるのは、ちょっとは悔しいけど、気になんかしてられないよ。俺が頑張って上のやつに追いつこうとするのが、一番大事かなって思うんです」

 

「そうね。その通りよ。相手を羨むよりもまず自らの精進。これを忘れなければ、ちゃんと上達していけるわよ」

 

 ゆかりもうなずいて、ゆうやのほうを向いて言った。

 

「わたし、ゆうやのことちょっとだけ見直したわ。ただの一人で寝れないガキじゃなかったのね」

 

「そ、それとこれとは関係ないだろ! でも、俺、負けないからな。ぜったいすぐに追いついてやるからな!」

 

「わたしだって負けないわよ!」

 

「ほら、そろそろ行くわよ、2人とも。まずは朝の運動から」

 

 

 朝の最初の運動はもはやただのランニングではなかった。道もない山道をとび跳ねながら走って進んだり、激流の川に流されないように踏ん張りながら進んだり、木と木の間を蹴って飛び移りながら進んだり、狭い崖の上を落ちないように進んだり。中にはまだうまくついてこられない運動もあったが、2人は懸命にメリスの動きを追った。

 

 

 朝食の後は学習時間だ。2人ともセント語はもう話せるようになっていたので、主に算数や数学、社会のことについての授業が展開された。

 

「算数は使えないといろいろと計算で困るからいいとして、なぜ数学を教えると思う?」

 

「バルの仕事では、しばしば論理的に物事を考える、というのが求められる。状況の冷静な判断、作戦の計画なんかにね。戦闘中にも、たとえば間合いの判断、戦略の構築、技の見極めなど、思考力を求められる場面というのは必ず出てくるの。数学じゃ、瞬時の判断力までは鍛えられないけど、思考力を鍛えるツールとしてはとても役に立つわ」

 

「それに、純粋な知的好奇心ってのもあるわね。知らないことを知ろうとすること。それが面白いと感じられるようになれば、きっと人生も豊かになってくる。この世界はまだまだわからないことだらけよ。2人には、そういうことも楽しめるような人になってほしい、そう思うわ」

 

 2人は静かにうなずいた。

 

「さ、始めましょう。今日は、ゆうやは証明とは何かというところから、ゆかりは、どこまでできるか言ってくれる?」

 

「分数の計算はまだできません」

 

「じゃあ、そこからね」

 

 

 

 セントバレナの数学は、1万年以上もの歴史があったが、約1万年前、伝説に残る魔人バクテスのせいかどうかは不明だが、一度大きな断絶をしている。これは他の文化についても同様である。

 

 

 その後、約4000年の時を経て、今から6000年前ほどに現在のネムサ大陸の、地球で言うところの未来文明の元となる最初の文明が興ったと言われている。4000年間いったいなぜ文明が断絶してしまったのか、その理由は今もって明らかにされていない。それから1000年後、今から5000年ほど前に、地球で言うところの現代文明の元となる文明が相次いで3大陸に興り、それから遅れることさらに1000年、ドーモス大陸にて現在の中世文明にあたる文明が興った。5大陸の文化レベルが違うのは、ひとえに文明の興った時期の差がそのまま反映されているのである。

 

 

 その後、社会は少しずつ、地球よりも緩やかな速度で発展していった。地球よりも自然寄りの文化となっているのが特徴で、森林破壊などの問題は起こっていない。地球では採れない鉱物や、寿命を迎えないことで、巨大化した生物の外殻なども利用できる。そして、地球とは少し近くもどこか異なる、独自の文化が生まれたのである。

 

 

 数学はというと、面白いことにこれは全宇宙共通なのか、地球のものとほとんど変わらない。しかし、星の大きさの違いからか、距離が重要視され、測量技術とともに数学は発展していった。幾何学がいち早くその首座を占め、地球で言うところの非ユークリッド幾何学(平坦な世界ではない幾何学)の認識も早かった。測量的なデータを扱う関係上、微分積分からの解析的手法も地球よりは早く生み出され、現在も解析学は地球のものよりも多少進んでいる。対して、文字の利用と抽象化に関しては認識が遅れ、代数学は少しだけ発展が遅れている。

 

 

 メリス自身、そこまで詳しく数学を知っているわけではないため、いずれ日本の高校数学にあたるところまで教えれば十分だろうという認識だったし、彼女もその先はちょっとしか分からない。

 

 

 

「はい。これで今日の授業はおしまい。昼食にしましょう」

 

「ふう。やっと終わったー!」

 

 ゆうやは一息つくと、

 

「まだ分数の割り算分かんないんだけどー」

 

 ゆかりは一人悪戦苦闘していた。

 

「ああ、それはね、割るほうをひっくり返してかけたらいいんだよ」

 

 とゆうやはアドバイスした。

 

「そうなの? なんでそうなるの?」

 

「いや、俺もそれはよく分からないけどさ。でも、そうすればできるからやってみなよ」

 

「あっ、できた。ありがと」

 

「どういたしまして。そのかわり、あとで気を教えて。どうしても足に集中できなくてさ」

 

「しょうがないわねー。いいわよ。わたしがコツを教えてあげる」

 

 なんだかんだで2人の仲は良い様子。

 

 気の訓練の後、休憩時間の間にゆかりはゆうやに足への集中のさせ方のコツを教えてあげた。

 

「わたしができたときはね、こう、言いにくいけど、地面に気がぺたーってはりつくようなイメージよ。それを意識してやってみて」

 

「うん。わかった。やってみるよ」

 

 ゆうやは、目を閉じると精神を集中した。淡い赤色のオーラが全身を覆う。地面に気をはりつけるようなイメージ。集中するんだ! するとオーラが足へと集中し始めた。足がほんのり熱い。成功だ。

 

「やった!!やっとできた! ありがとう!」

 

 ゆうやはゆかりの両手をとってはしゃぐ。

 

「そうね。わたしも役にたててうれしいわ」

 

 その様子をそっと眺めていたメリス。2人になったことでお互いを刺激したり、教え合ったりして、さっそく良い効果が出ているな、と感じていた。私とジルフもよくあんな風にじゃれあってたっけ。もうずっと昔のことだからなあ。

 

 

 

 その日の夜、ゆうやは神妙な面持ちでゆかりを呼び出した。外で言いたいことがある、と。

 

 ゆかりは、なんだろう、と思う。まさかいきなり告白とか!? うそ。ちょっと教えてあげたぐらいで?ゆかりはけっこうませていた。

 

 ゆかりは外に向かう。そこにはゆうやが待っていた。

 

「なに? 話って?」

 

「あのさ、俺、おまえに……」

 

 ゆかりはちょっとだけどきっとした。

 

「頼みがあるんだ」

 

「え、なに?」

 

 拍子ぬけしてしまった。

 

 するとゆうやは日本語で切り出した。

 

「俺と毎日、少しでいい、日本語で話してくれないかな」

 

「なんでそんなこと……」

 

 ゆかりはいきなりの日本語にちょっと戸惑ったが、日本語で聞いた。

 

「俺ね、こっちに来てから、しばらくは日本語で話していたんだ……」

 

「それはわたしもよ」

 

「でさ、セント語を覚えて、メリス先生とは、もうセント語で話すようになって。気がついたら日本語を全然使わないようになっていた……俺、そのうち忘れちゃうんじゃないかって、日本語を。そう思ったらとても悲しくなっちゃって」

 

 一瞬、ゆうやが言葉につまる。ゆかりは、その様子を見て少し胸が詰まった。間をおいて、ゆうやが続ける。

 

「お父さんにも、お母さんにも、みんなにももう会えない。でも、俺が地球に、日本にいた証って、もう日本語だけじゃないかなって思うんだ」

 

「…………」

 

 ゆかりも、言葉が出なかった。

 

「絶対に忘れたくないんだ。日本語を使っていれば、きっと覚えていられると思うから。たのむよ」

 

「……うん。わかった」

 

 ゆかりも気づく。自分と日本とをつなぐものが、もうそれしかないことに。

 

「ありがとう」

 

 そう言ったあと、ゆうやは、今度は何かを決意したような顔をして、話し始めた。

 

「でさ、もう一つあるんだ。言いたいこと」

 

「……今度はなに?」

 

「俺、もう一度地球に帰りたいんだ」

 

「…………そんな方法ないってみんな言ってたよ……」

 

 ゆかりは自分を言い聞かせるように言った。

 

「知ってるよ。それを知ったときは、つらくてどうしようもなかったよ。もう本当になにをしていけばいいのかわからなくなったさ。でも、ないんだったら、俺が見つけてやるんだ! 何年かかってもいい。絶対に地球に帰りたいんだ!」

 

 ゆうやは、ゆかりをまっすぐに見つめて聞いた。

 

「ゆかりだって帰りたいだろ?」

 

「そりゃ、そうよ! わたしだって何回帰りたいって思ったと思ってるのよ!」

 

「だったら決まり! ゆかりさ、きっと地球に帰る方法を見つけて……

 そのときはいっしょに帰ろう!」

 

 ゆうやは、小指を突き出した。

 

「約束だ!」

 

 ゆかりは、素直にうれしかった。地球に帰るなんて、そんなことできるかどうかも分からないのに。なぜか希望がもてた。この世界に来て以来、持つことが許されなかった希望。今ここで、少しだけとはいえそれを持つことができた。そのことが、心からうれしかった。

 

 ゆかりも、笑ってうなずいて小指を突き出した。ゆびきりげんまん。

 

「約束、自分からしといて破ったら承知しないからね!」

 

「うん。絶対に帰る時は一緒だよ!」

 

 2人は心から笑い合う。夜空には満天の星が、2人を包み込むように輝きを放っていた。

 

 

 

 翌日から、2人はメリスに気の「おもり」をつけられることとなる。メリスの気でできているこのおもりは、重力をかけるようにはたらき、外すことはできない。最初は20kgから始まり、1か月ごとに10kgないしは20kgずつ増やしていくそうだ。普段の生活から修行まで、全てをその「おもり」をつけて続ければ大きな成果が望めるらしい。

 

 修行の日々は辛くもあり、楽しくもあった。メリスは鬼のように次々と課題を出し、ハードルを上げていったが、ゆうやとゆかりは2人で力を合わせ、あるいは競い合うようにして、それらをなんとか乗り越えていった。メリスの指導は、厳しかったが、愛とやさしさにあふれたものだった。3人は、家族のように親密で、濃密な時を過ごしていった。

 

 

 

 季節は巡る――春が、夏が、秋が、冬が、やってきては、挨拶しては、後へ流れてゆく。

 

 

 ゆうやがセントバレナへやってきてから、4年と少しが過ぎようとしていた――

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