俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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追想 家なき子はもういない

 生まれ故郷の島を出た私は十日間の船旅の末、王都郊外の大きな港に辿り着いた。

 

 入港したというアナウンスが流れると、乗客が我先にとタラップへ向かい、一等船室から順に船を降りていく。

 

 私はその様子を船外通路から眺めていた。

 列に並ぶのが嫌で、最後に降りようと思ったのだ。

 

 船内の売場で買った夕食のサンドイッチをかじりながら、仕事をどうしようか考える。

 兎にも角にも仕事がなければ暮らしていけない。

 

 港を見渡すと、荷物の積み下ろしをしている獣人の労働者たちがいた。

 駄目だな──私にはああいう力仕事は無理そうだ。

 毎日のように重い荷車を押して街を歩き回っていたから、それなりに身体は鍛えられているけれども、やはり男に比べると見劣りするのは証明済み。

 

 じゃあお店の売り子とか給仕は──やったことがない。

 そういう接客の仕事って愛想が大事だっていうけど、私にはできるかどうか怪しい。

 長年働くのに必死で話し方も笑い方もほとんど忘れてしまった。そのくせ思っていることが表情に出やすいのは昔から変わらない。

 だから作り笑いなんてどうしても上手くできない。おまけに口下手ときた。

 やってはみたいけど、望み薄だな。

 

 まあ、そこまで仕事を選り好みできる身じゃないし、私でも人並みにできそうなのがないか、探してみるしかないだろう。

 

 考えが纏まってきたところで二等船室の下船の順番が回ってきた。

 頃合いかなと思って、私は通路から階段を降りてタラップへと向かう。

 

 辿り着いた時には下船を待つ列はだいぶ短くなっていた。

 並ぶ人たちの表情は王都を目にして明るくなっている。

 きっと私も彼らと同じ表情をしているのだろう。

 

 タラップを降りて桟橋に足をつけた時には、空は夕闇に包まれ、街に明かりが無数に灯り始めていた。

 

 今日からこの光の街で暮らしていくのだ。

 再び胸が高鳴る。恐怖からではなく、新しい生活への希望で──。

 

 

◇◇◇

 

 

 それからどれだけの溜息を吐いただろうか。

 何度舌打ちを浴び、何度冷や汗をかき、何度恐怖で震え上がっただろうか。

 

 王都はひたすら巨大で複雑で難解で──そして冷たかった。

 

 

 

 港を出て小型の飛行船に乗り換え、王都の中央へ向かったはいいけれど、降りてすぐに道に迷い、繁華街をぐるぐる回り続けるハメになった。

 人にはぶつかるし、馬車には轢かれそうになるし、話しかけてもいないのに勧誘や押し売りをされまくるしで、頭がどうにかなりそうだった。

 脱出しようにも標識も看板もまるで当てにならず、人に聞いてもすぐに分からなくなってしまう。

 

 何度も道を間違え、何度もぶつかって怒鳴られ、何度も声を掛けてくる怪しげな連中から逃げて、這々の体で繁華街を抜け出したと思えば、夕立に見舞われてずぶ濡れになった。

 幸いポンチョを羽織っていたお陰で上半身は無事だったけど、ズボンと靴が水を吸って冷たくなり、体温を奪っていく。

 

 寒気に苛まれながらどこか泊まる所を探した。でも宿屋は見当たらなかった。

 ホテルと書かれた看板を掲げる建物が並ぶ通りはあったけど、どれもおびただしい電飾で妖しく光り、おまけに黒服の厳つい男の人が何人か戸口に立っていて、怖くなって逃げた。

 

 結局私が一夜の寝床に定めたのは大きな公園だった。

 村一つ分くらいはあるんじゃないかと思うほどの馬鹿げた広さで、農村を模した一群れの家まであった。

 どれも鍵が掛かっていたけど、厩舎を見つけて入ることができた。

 

 ポンチョとズボン、靴と靴下を脱いで、ずぶ濡れになった荷物と一緒に干した。

 下半身が空気に触れて、その冷たさに悲鳴を上げる。このままじゃ凍えそうだ。

 ついてないことに、せっかく持ってきた毛布は雨に濡れて使えない。

 火を焚けないので手っ取り早く乾かすこともできない。

 

 困った私は厩舎の奥の方へ歩いた。

 厩舎なら藁でも敷かれているんじゃないかと思ったのだ。

 

 果たして、立ったままうとうとしている馬たちの足元に藁が敷かれていた。

 

 そっと手を伸ばして少しずつ藁をかき集め、私の寝床を作った。

 藁を幾らか身体に被せると、期待通り冷たさは段々落ち着いた。

 うん、藁ってすごい。

 

 ようやく休めることに安心する一方で、初日からこれで大丈夫なのかという不安が拭えなかった。

 それでも、明日からまた泊まれる所と働き口を探そうと言い聞かせて、私は眠りについた。

 

 

 

「おい!起きろ!」

 

 そんな怒鳴り声と共に、何かで引っ叩かれて目が覚めた。

 痛む頭を押さえながら周りを見渡すと、大きなフォークを持った人間のおじさんが怒りの形相で私を睨みつけていた。

 

「王妃様に贈られた庭園に勝手に侵入した上に、住み着こうとするとはけしからん!とっとと失せろ!」

「ひっ!す、すみません!」

 

 おじさんの剣幕に震え上がった私は大慌てで荷物をかき集める。

 

「──ったく、てめえみてえな薄汚いゴミが入り込む度に俺の仕事が増えるんだよ。毎日掃除するこっちの身にもなれってんだ。クソが」

 

 ぶつくさ言うおじさんを横目に、荷物を袋に押し込んで厩舎を飛び出した。

 

 厩舎が見えなくなったところでようやく一息ついた私は、下半身裸だったことに気付いてかあっとなった。

 そして私を追い出したおじさんへの怒りが湧き上がった。

 

 言われなくても出て行くつもりだったのに、何も叩き起こして怒鳴ったりしなくたっていいじゃないか。

 それにゴミって何だよ。人をゴミ呼ばわりするとか──あの店主並みに最低だ。

 

 そしてその最低野郎に大人しく追い出されるしかない私自身に嫌気が差す。

 無力で無学で帰る家もない孤児──そんな弱い者に世界は厳しいと改めて思い知らされる。

 

 さっさと仕事を見つけて自立しなければ。

 でないと、いつまでもこんな理不尽な目に遭い続ける。

 

 私は溢れ出た涙を袖で拭って身支度を整え、歩き出した。

 

 

 

 仕事は見つからなかった。

 

 目につく限りの店をあちこち回って店員募集の張り紙を探し、何軒かに入って働きたいと頼み込み、そしてほとんど毎回叩き出された。

 汚い、獣臭い、泥棒、牝狐──それはもう、色々な罵声を浴びせられた。

 どうやらこの町では私のような教養も技術も愛想もない獣人の少女はどの店でもお呼びじゃないらしかった。

 

 数少ない反応が良い店はどれも娼館を兼ねた酒場だった。

 仕事内容を説明されている途中で全力で謝って逃げ出すことを三回くらい繰り返して、歓楽街の酒場というのは酒の後に女を買うようになっているらしいと学んだ。

 

 正直もうそんな酒場でも働いてお金が貰えるならいいかなと思って、心が揺れた。

 でも、島を出る前にお医者様の奥様に言われた「身体を売ることは絶対にするな」という忠告を破ることはできなかった。

 

 病気を貰っても、お店は助けてくれない。

 技術も経験も面白い芸もない──言ってしまえば「つまらない」女は身体を壊せば「売り物にならない」としてあっさり切り捨てられる。

 そう奥様は言っていた。その言葉には実感が込もっていた。

 

 

 

 結局、二日目の夜になっても仕事は見つからず、収穫といえば安く泊まれる宿屋を見つけられたことだけだった。

 そして、その安宿でも私の手持ちのお金は二週間で尽きる。

 

 厩舎で寝泊まりした一日目に比べればマシな状況なのは間違いないのに、焦りはその一日目よりも大きくなっていた。

 

「これが──王都──怖いな」

 

 呟いて夜食のパンを一口かじる。

 故郷では高くてなかなか手が出なかった小麦のパンが、王都では庶民でも普通に買えるくらいありふれている。

 

 そう──王都には物があふれている。

 飢えや不足とは無縁にも思えるほど。

 でも──酷く寒くて、寂しい場所だ。

 

 王都の全てが私を汚くて卑しいものとして拒絶しているかのよう。

 こんなに人がいて、こんなに色んな物があるのに、それらはみんな分厚いガラスの向こう側にあるみたいだ。

 手を伸ばしても届かず、何も掴めない。

 行く先々で罵声と軽蔑を含んだ視線を向けられ、まともな仕事一つにもありつけない。

 

 こんなので本当に王都でやっていけるんだろうか──そんな不安が心の中に満ちていく。

 それでも──

 

「──帰りたく──ない」

 

 両膝に顔を埋める。

 

「──どうしたらいいの──私」

 

 私はベッドの上でうずくまったまま声を殺して泣いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 それから四日が経った。

 

 私は十メートルほど先に佇む洒落た建物を目にして悶々としていた。

 

 貴族様やお金持ちの人たちが集まる煌びやかな高級繁華街の奴隷商館──覚悟を決めて来たはずなのに、いざ目にすると尻込みしてしまう。

 

 身を隠した路地から何度も踏み出しては、通りかかる人や馬車から隠れるように路地に逃げ戻ってしまう。

 

 ここには私を知っている人はいないし、別に私がどこで働こうが、私の勝手だとは分かっている。

 分かっているのだけど──やっぱり奴隷商館に入るのも、入るところを見られるのも怖い。

 

 何度目かの挑戦が失敗して、私は疲れて座り込んでしまった。

 せっかく稼げる仕事にありつけるかもしれない絶好のチャンスなのに──

 

 頭を抱える私は、奴隷商館のことを教えてもらった時のことを思い出す。

 

 

 

 王都に来て六日目、相変わらずまともな仕事は見つからなかった。

 奥様はキツい仕事や汚れ仕事しかないと言っていたけれど、まさにその通りだった。

 そして私はそういう仕事にすら就けなかった。

 でも、身体を売ることもスラムで犯罪ギルドの下っ端になることもできない私には、まともな仕事を探し続けるほかなかった。

 

 そして神様はどこまでも私に冷たかった。

 乗合馬車に乗って郊外の方に向かおうとしていた時、スリに遭って、手持ちのお金が二十ディアまで減ってしまったのだ。

 

 もはや安宿の宿泊代すらもままならなくなった私は郊外の方に行くのを諦め、港で働いていた獣人たちを訪ねた。

 もうそこしか行く所は思いつかなかった。

 

 入り組んだ道に四苦八苦しながら歩いて港に行き、広い港を探し回ってようやく休憩中の獣人たちの一団を見つけて、ここで一緒に働かせてもらえないかと尋ねた。

 

 そしたら──

 

「お前、せっかく見てくれは良いんだからそれを活かせばいいだろうに。そもそも──どういう事情でここに来たのか知らんが、その年で、女で、読み書きと足し算引き算くらいしかできないってんじゃ、娼館か酒場くらいしか働き口はねえぞ?」

 

 リーダーのおっちゃんにそう言われた。

 やはり非力な小娘は港の荷役所にはお呼びじゃないようだった。

 

 でも、こっちだってはいそうですかと引き下がれはしない。

 

「で、でも、身体を売るのは絶対嫌なんです。五年と経たずに病気を貰って死ぬってお医者様の奥様が──お願いします。もうここしか当てがないんです」

 

 改めて頭を下げて頼み込んだけれど、おっちゃんは難しい顔で頭を掻きむしる。

 

「可哀想だが、無理なモンは無理だ。他を当たれ。それで見つからなきゃ大人しく故郷に帰るんだな。まぁ──」

 

 おっちゃんは私の身体を頭の天辺から爪先まで一瞥すると、視線を外して言った。

 

「奴隷商館に自分で身売りして、お貴族様の専属使用人になるって手もあるっちゃあるんだが──望み薄だろうよ」

 

 聞き慣れない言葉に私は思わず反応した。

 

「その、せんぞくしようにんって何です?」

「お貴族様、それも奥様やお嬢様のお側について身の回りを世話するのよ。おはようからおやすみまでな。だが、こいつはツラに恵まれた男の仕事さ。お前じゃなれるかどうかは怪しいとこだぜ?」

「どうしてです?女の人の世話をするなら女の人の方が──」

「分かってねえな。その世話っつーのはこっちの世話も含んでんだよ」

 

 おっちゃんは左手の指で輪っかを作って、右手の人差し指をそこに通して見せた。

 

 その言葉と仕草の意味するところを私は何となく理解できた。

 ──そういうことか。だから女じゃなくて男の仕事なんだ。

 

 理解はできたけれど──あれを「世話」するってちょっと想像できない。

 私にとってはひたすら痛くて怖いだけのあれをわざわざして欲しがる女の人がいるなんて──

 

「俺たち獣人やエルフは人間との間に子供ができないからな。旦那に冷めた奥様の慰み者や耳年増のお嬢様のお相手にもってこいってわけさ。だが、美味しい仕事な分ライバルも多い。その中から選ばれるかどうかは客の好みと気分次第──殆ど運任せだ。ましてお前は女──選ばれるかどうか以前に目にも留めてもらえんだろうよ。ま、女が好きな方とか物好きな豪商もいるし、もし選ばれたらいい暮らしができるのは確実だから、行ってみるだけ行ってみるのもありかもしれんが」

 

 そしておっちゃんは話は終わりとばかりに手のひらを振って、仕事に行ってしまった。

 

 

 

 で、おっちゃんの言った通り、行くだけ行ってみるかと奴隷商館というのを探して、今いる場所に辿り着いたわけだ。

 

 もうかれこれ数十分くらい遠巻きに見ているばかりでなかなか踏み込めない。

 奴隷商館に身売りして専属使用人になるのは、どう考えても「身体を売る」という禁忌に触れる。

 ただ、一人にしか身体を売らないのなら、病気を貰う心配もないんじゃないか?とも思う。それに現実問題仕事がない。

 だけどやっぱり怖いものは怖い──そんな堂々巡りを続けていた。

 

 でも──結論を出したくなくて、現実から目を背けたくて、出来るだけ行動を先延ばしにしようとする試み──それはいつだって外からやって来た現実に破られるのだ。

 

「ねぇ君」

 

 不意にすぐ後ろで声がした。

 振り返ると、黒い背広を着た金髪の若い男が私に笑顔を向けていた。

 だがその笑顔はどこか凄みがあり、私は恐怖で冷や汗をかいた。

 

「さっきからうちの店を覗き見してたみたいだけど、何の用かな?」

 

 閉じているのか開いているのか分からない細い目には光が感じられなかった。

 嘘を言っても見破られるし、逃げようとしても逃げられない──直感でそう思った私は素直に白状した。

 

「あ、あの──専属使用人になれないかと思って──その──ここに置いて頂きたくて──」

 

 口がうまく動かずにしどろもどろになる私を見て、男はスッと顔を近づけてきた。

 

「ふーん──顔はまあまあ可愛いねえ。──いいだろう、ついてきな。オーナーに話をしよう」

 

 そう言って男は私の手を掴んで歩き出した。

 ぞわりと背中に寒気が走る。でもここで逃げ出せば後はない。

 私はこらえて男について歩いた。

 

 

 

 奴隷商館のオーナーは高級そうな背広を着崩した筋骨隆々とした男性だった。

 毒々しい青緑色の髪に、顔にはケバケバしい化粧をして、細長いパイプを蒸しながらけだるげに椅子の背もたれに寄りかかっている。

 前に立つと、パイプの煙と香水できつい匂いがした。

 

 私を連れてきた男が何事か耳打ちすると、少し驚いた顔をして私をまじまじと見つめた。

 

「あらぁ、紹介なしでたった一人でここに身売りしに来るなんて珍しいこともあるものねェ──いいわ。ちょ〜うど部屋に空きがあった所だしぃ、置いてあげる」

 

 男特有の低い声で、女言葉を使い、妙に間延びした話し方をするせいで、ねっとりと絡みつくような気持ち悪さがあった。

 それでも、ようやく働き口が見つかりそうな安堵が勝り、私は懸命に頭を下げて、お礼を言った。

 

 オーナーはそんな私を見て真顔になり、声色を変えて問いかけてきた。

 

「喜ぶのは早いわ。専属使用人になるならお客様に自分を売り込まないと。専属使用人はお客様の最も近くに侍る従者。いついかなる時もお客様を支え、癒し、この世で最も居心地の良い場所を提供できなくてはいけないわ。さて、貴女にはその可愛い顔とピチピチの身体以外にどんな魅力や特技があるのかしら?上流階級の方と不自由なく会話できる?カードゲームやボードゲームの相手はできる?掃除洗濯に整理整頓、時間の管理は?それからこれは最も大切なことだけど──お客様に恥をかかせないための礼儀作法の心得はあるのかしら?」

 

 オーナーの問いかけに気圧されて、私は返事をするのが遅れた。

 

「何をボサッとしているの?質問が聞き取れなかったのならさっさとそう言いなさい?」

 

 冷たい声に私は頭を叩かれたような感覚に襲われる。

 慌てて私にできることを考え──

 

「ッ!──掃除洗濯なら何とか──」

 

 我ながらその乏しさに呆れる。

 そして専属使用人に求められることの多さに驚く。

 ただ身の回りの世話をするというだけで、そんなに多くの能力を求められるとは思ってもいなかった。

  

 オーナーはため息を吐きつつも、どこか楽しげな表情だった。

 

「まあ、貴女の年じゃそんなものよね。今の貴女じゃ間違いなく誰も買ってはくれない。でも、客を取るための手管はある程度ここで叩き込んであげられる。貴女がそれをモノにできるか次第よ。いいわね?」

 

 こんな私でも、マシになれる。努力次第で道は開ける。そう言われている。

 もう逃げない。覚悟を決めて、専属使用人になる──その決意を込めて、私は返事を返す。

 

「はい!」

 

 オーナーは私の顔を見て満足げな表情になった。

 

「よろしい。歓迎するわ。小狐ちゃん」

 

 

◇◇◇

 

 

 奴隷商館での生活は今までに比べれば天国だった。

 毎日三食ご飯が食べられて、着心地の良い服が着られて、温かいベッドでぐっすり眠ることができた。

 そして初めてゆっくりと「勉強」ができる「余暇」を手にした。

 

 オーナーは私に「とにかく本を読め」と言った。

 良い教育を受けた貴族様や富豪の話し相手ができるくらいの知識と教養がないと、専属使用人なんて務まらない。

 本を読むというのはそれらを得るのに最も効果的な方法だった。

 単語熟語はもちろんのこと、慣用句や諺の類も楽しみながら学べるのだ。

 

 だから私は商館に置いてあった本を片っ端から読み漁った。

 読書経験が庶民学校で読んだ説話くらいしかない私にはどれもこれもが新鮮だった。

 最初のうちはしょっちゅう辞書を引きながら四苦八苦して読んでいたけれど、それ以上に楽しくて、気付けば二ヶ月で十冊も読んでしまっていた。

 

 読書だけじゃなく、立ち方や歩き方、座り方、身だしなみに言葉遣いや手紙の書き方まで勉強することはたくさんあった。

 いざという時には主人を守れるようにと護身術も習わされた。

 全ては良い主人に気に入られて買われるため、私は他の奴隷たちと共に必死で連日の猛特訓に耐えた。

 毎日が忙しかったけれど、それでもちゃんと生活ができて、未来に希望が見えている、それだけで頑張れた。

 

 それにもう私は孤独ではなかった。

 

「ティナ、お疲れ。晩ご飯の時間だぞ」

「あ、ありがとうございます」

 

 肩を小突かれて、聞き慣れた声が聞こえてくると、私は急いでその場を片付けて食堂に向かう準備をする。

 

 私と同じ部屋の【ダフネス】さんとは毎日一緒にご飯を食べる仲だ。

 

 エルフである彼女はもう五十代後半だったけれど、とてもそうは見えないくらい若々しくて、綺麗だった。

 専属使用人としてはかなりのベテランで、今まで五人に買われて全て契約期間満了だったそうだ。

 そして面倒見が良くて、私にも惜しみなく知恵や技術を教えてくれた。

 

 初めて「尊敬」という思いを知った。

 いつか彼女のようになりたい──そう思った。

 

 

◇◇◇

 

 

 奴隷商館に来てから三ヶ月ほど経って、ダフネスさんは富豪の男に買われていった。

 

 女奴隷を求めて来る客は珍しく、チャンスはものすごく少ない。

 ダフネスさんはそのチャンスをこともなげに掴んでみせた。

  

 すごいなぁ、と能天気に感心していた私は無知だった。

 そして私はその無知のツケをすぐに支払うハメになった。

 

 最初はほんの小さなことだった。

 私を見て何かヒソヒソ話す声が聞こえてくるようになった。

 でもその時は気のせいだと思って気にしていなかった。

 ──そのせいで彼らは付け上がった。

 

 ある日、ラウンジで本を読んでいたら、いきなり頭に衝撃が走った。

 

「あ、ごめんなさい」

 

 声がしたので振り返ると、見覚えのある顔があった。

 たしか、私と一緒に訓練を受けていた子だ。名前は【フィオナ】さん。私より先にここに入ってきて、ダフネスさんが買われていった時もお客に呼ばれていた。結局選ばれなかったようだけど。

 そのフィオナさんがお茶とお菓子の載ったプレートを抱えて申し訳なさそうにこちらを見ていた。

 

「痛かったよね?でもわざとじゃないの。ごめんなさい」

 

 そう言ってフィオナさんは足早に歩き去っていく。

 こちらの返事も聞かずに、まくし立ててさっさと行ってしまうその態度にムッとしたけれど、追いかけるのも面倒なので読書に戻った。 

 

 ──この時フィオナさんを捕まえてどやしつけていれば、もう少し違う道もあったかもしれない。

 でもそんなの無意味な仮定だ。

 

 私はその後もフィオナさんや他の女奴隷たちにしょっちゅう()()()物や身体をぶつけられ、勉強している机を揺らされ、わざと聞こえる声で陰口を叩かれた。

 狡猾なことに、彼女たちは私の身体に傷は残さなかった。ただ、心を抉ってくる。

 

 それでも私は言い返さなかった。

 そんなことをしている暇があったら、勉強していた方がいい。一日でも早くダフネスさんみたいに買われてここから離れるために──そう思っていた。

 

 すると彼女たちは手を変えた。

 表向きにこやかに食事や休日の外出に誘ったりしてきて、そのくせ会話の中に遠回しな嫌味を混ぜ込み、買い物の荷物持ちを押し付けてきた。

 

 さすがに腹が立ったけれど、厄介なことに彼女たちは取り巻きを連れていた。

 男の奴隷たちだ。それも複数。喧嘩したって勝ち目はない。

 結局私は店主に玩具にされていた時同様、早く終わってくれと願いながらされるがままにされるほかなかった。

 

 ──やっぱり私は一人じゃ何もできない弱虫のままだ。

 私はこれまで、この奴隷商館においてそれなりの存在感を持つベテランであるダフネスさんに可愛がられることによって、他者の悪意から守られていたのだ。

 

 冷静に考えれば分かるはずだった。

 奴隷商館は皆で仲良く頑張る学校じゃない。少ない専属使用人の立場を巡って競い合い、蹴落とし合う場所なのだ。

 

 そんな所にまやかしの希望に目が眩んで飛び込んでしまった私は愚かだった。

 私の居場所はもはやここにはない。私は追い立てられ、虐げられる家なき子のままだ。

 

 でも、今更出ていけない。

 出て行ったところで他に行く当てはないし、そもそも奴隷商館は私が出ていくことなど許さない。

 

 商館での奴隷の生活費は商館持ちで講習や訓練もタダだけれど、実際にはそららの費用は「ツケ」になっている。

 買われたら、給料の中からやりくりして返済していかなければならないのだ。

 今出て行けばその返済に窮するのが目に見えている。下手をすれば売春宿に売られかねない。

 そんなの絶対に嫌だ。

 

 かくなる上は何が何でも買い手を見つけて合法的にここを出ていくしかない。

 

 

◇◇◇

 

 

 奴隷商館に来てから三年が経った。

 私の買い手は現れなかった。

 何度かチャンスはあったけれど、他の女奴隷みたいに自分をあの手この手で売り込んで媚を売る、ということができなくて選ばれなかった。

 

 私に対する嘲笑と疎みは今や奴隷商館全体に広がっていた。

 フィオナさんも、他の女奴隷も、私より後から入ってきた奴隷たちも次々に買い手がついて出て行くのに、私はずっとここにいる。

 

 買い手がつかない奴隷はただの穀潰しだ。

 幸か不幸か、身につけたスキルは奴隷たちの中でも上位に入っていて、新人教育やら掃除洗濯アイロン掛けといった雑用をこなして何とかクビは免れているけれど、それもいつまで続けられるやら。

 その状況は他の奴隷たちの笑い草になると共に、私自身のやる気も削いでいった。

 

 誰よりも頑張ってきたつもりでいた。

 全てを専属使用人の立場を掴み取るために注ぎ込んで、いじめにも耐えてきた。

 おかげでここに来た時とは比べものにならないくらい、色んな知識と技術が身についた。

 

 でも、無駄だった。

 女奴隷を買いに来る富豪の男たちが求めているのは、頭が良くて仕事ができる女じゃなくて、可愛げがあって自分を過剰なくらいに持ち上げてくれる女だった。

 そして私はそうはなれなかった。

 

 私が三年経っても遂に変えられなかったもの、それは口と表情の正直さだった。

 思ってもいない褒め言葉は浮かんでこず、生じた嫌悪感や不快感はすぐに眉や目元口元に表れてしまう。

 それを隠そうとしても、客は存外容易く見抜く。

 

 ──私は専属使用人というものにハナから向いていなかったのだ。

 

 もう出て行こうかと、私はそう思い始めていた。

 既に能力だけなら貴族の使用人をやれるくらいのものを身につけているのだ。

 三年前に比べれば働き口は格段に見つけやすいだろう。

 

 でも、その考えを実行に移すことはできないでいた。

 三年間も奴隷商館にいたことで積み上がったツケ──もはやいくらになるか、想像もしたくない。

 それに三年前、王都に来たばかりの頃に散々浴びせられた罵声──またそれを浴びせられるのが怖い。

 

 何度出て行こうと思っても、結局私は恐怖に負けて、食事と寝床が保証される奴隷商館にダラダラと居続けている。

 

 ──こんなはずじゃなかったのにな。ダフネスさんみたいに綺麗で賢くて、強くて格好良い大人になりたかったのに。結局私は島にいた頃とちっとも変わらず、弱いままだ。

 

「──大嫌い」

 

 膝に顔を埋めて呟く。

 そうだ。大嫌いだ。厳しい世界も、苦しい人間関係も、弱い私自身も、全部。

 

 

 

 不意に部屋の扉がドンドンと鳴った。

 

「白。ご指名だ。支度しな」

 

 扉の向こうから三年前私をここに連れてきた店員の声がした。

 ティナと呼ばず、「白」と呼ぶところにも私への()()が込もっている。

 

 それでも、久しぶりの指名に胸が高鳴った。

 まだどこかで買い手がつくことを期待していたのかと驚きつつも、さっきまでの陰鬱な気分を振り払い、身支度をする。

 

 止まっていた時間が動き出す。

 今度こそ──今度こそ、選ばれてやる。これは私のラストチャンスだ。

 ここでしくじったら、私はこの奴隷商館を出て行こう。

 

 どこか別の遠い所でまた出発しよう。

 奴隷商館がお金を取り立てに来ても、何とかして逃げ切ってやろう。

 

 そんなことを思いながら私は部屋を出た。

 

 

 

 ──驚いた。

 私のお客は小さな女の子だった。辺境の子爵家の令嬢だそうだ。

 私と同じ絹のような銀髪に、搾りたてのミルクのような白い肌、澄んだ水を湛えたかのような青い瞳──今まで見てきたどんな人間よりも遥かに美しかった。

 もはやこの世のものではないのではないかとすら思えるほどだった。

 

 何度も練習した通りに挨拶と自己紹介をする。

 でも私は完全に女の子に意識を奪われてしまっていた。

 

 そしてそれは女の子の方も同じのようだった。

 私を見るその瞳には好意がありありと見てとれた。

 今までそんな目で見られたことはない。

 

 嬉しさが胸を満たしていく。自然に口角が上がる。

 ああ、そうか。本当に心の底から嬉しかったら、こういうほんわか笑顔だってできるんだな、私。

 

 女の子が手を伸ばす。

 私の尻尾を触りたがっているようだ。

 自然と私は屈んでいた。

 

 触りたいなら好きなだけ触ってくれていい──むしろ触って欲しい。

 これまでのお客にはそんなこと一度だって思わなかったのに、この女の子には全てを許して委ねてしまいたくなる。

 

 女の子はそんな私の気持ちを知ってか知らずか、その場ですぐに私を買った。

 

「この娘にします!」

 

 女の子の母親が頷いて店員と話を始める。

 すぐに話はまとまったようで、店員が金貨を受け取り、私の首に付いたラベル代わりのチョーカーを外した。

 

 そして私は女の子と母親に連れられて奴隷商館を出た。

 

 久しぶりの外の世界は私には眩しく見えた。

 視界いっぱいに降り注ぐ陽射しが地面と建物に反射して、どこを向いても目がチカチカしてしまう。

 でも、それ以上に清々した解放感が湧き上がってきた。

 

 ふと袖が引っ張られたので下を見ると、女の子が私を物欲しげな目で見上げている。

 何となく、抱っこして欲しがっているのだと分かった。

 

 頭を下げてから彼女の腰と背中に手を回して抱き上げると、思っていたより軽かった。

 女の子が私の首に手を回してくる。

 嬉しいやら心地良いやらで軽く感極まった私はその髪を思わず撫でたくなったけれど、何とか堪えた。

 

 こんな小さな可愛らしい子が私を欲しがるなんて、世の中不思議なことがあるものだ。

 彼女の母親の言葉から察するに、私は彼女へのプレゼントだ。

 娘へのプレゼントに好みの奴隷を買い与えることは、貴族にはよくあることだと聞いているけれど、女奴隷を欲しがる貴族令嬢はなかなかいない。

 

 そのなかなかいない貴族令嬢に運良く巡り会えて、そして即決で買ってもらえたことはもはや奇跡と呼ぶに相応しい。

 この奇跡を私は一生忘れないだろう。

 そして──願わくば私をできるだけ長くお側に置いてくださいますよう。

 

 

◇◇◇

 

 

 私を買ったファイアブランド家は王国の最北端部にある一群の浮島を支配する子爵家だった。

 

 領地は冷涼な気候で、真夏でも王国本土の初夏程度の気温しかなく、そして冬は恐ろしく寒い。

 そのせいで町も村も南の比較的暖かく平坦な場所にしかなく、北の方には殆ど手付かずの森林と山岳地帯が広がっている。

 良く言えば自然豊かで風光明媚、悪く言えば何もない片田舎なそこで、私はファイアブランド家の長女【エステル】お嬢様の専属使用人として働くことになった。

 

 私に与えられた役目は、お嬢様の身の回りの世話と遊びのお相手、そして悪さをしないよう監視すること。

 お母上の【マドライン】様によると、お嬢様はとかく我儘で屋敷での素行が酷いらしい。

 勝手に屋敷を抜け出したり、物を壊したりは日常茶飯事、酷い時には窓ガラスを割ったりもしたそうだ。

 

 お嬢様と初めて対面した時はとてもそんなことをする方には見えなかったけれど。

 むしろ大人しくて、はにかみ屋なように思えた。

 

 だから私は別に気にせずに「お任せください」と言ってお嬢様の所へと向かった。

 

 ──結論から言うと、私が抱いていたイメージは間違いだった。

 挨拶を済ませたら、早速お嬢様に抱っこをせがまれたので、抱き上げたら──いきなり胸を揉みしだかれ、挙句唇を奪われてベッドに押し倒されてしまったのだ。

 

 そして私はあろうことか五歳の女の子に襲われるという予想だにしない事態を迎えた。

 あまりにも現実離れした出来事に頭がついていかず、私は何もできずにただされるがままにされていた。

 

 でも──今までと一つ、違ったことがあった。

 痛みも恐怖も感じなかったのだ。なぜだか、お嬢様にされるのは嫌じゃなかった。

 肌も、手も、唇も、声も──全てが柔らかく、優しかった。

 身体中から伝わってくる、くすぐったいとも気持ちいいともつかない未知の感覚の奔流で頭が溶けてしまうんじゃないかと思った。

 コトが終わった後もしばらくその感覚が頭から離れなくて、結局私は夜明け近くまで眠れなかった。

 

 

 

 後になって冷静に考えてみると、お嬢様は五歳でなぜ()()()()()()を知っているのだろうか、という極めて深刻な疑問が生じた。

 あれは話に聞いたことを見よう見まねでやったのではなく、明らかに手慣れていた。

 ──あり得ない。

 ──どうなっているの?

 

 どこか怖くなった私は、このことをマドライン様にご報告すべきだろうか、と考えた。

 でもそれをやると私の立場が危うくなると思い、黙っていることにした。

 せっかく専属使用人になれたのに、いきなり解雇されたくはなかった。

 

 しかし──あの夜のことは私の気のせい。ただの夢。そう思い込んで納得しようとした私を嘲笑うかのように、お嬢様の「奇行」はその後もどんどん出てきた。

 

 まず一人称が「俺」だった。

 そして可憐な容姿からは想像もつかない男勝りの粗暴な口調で話される。

 思わずはしたないと注意したけれど、お嬢様は全く改められなかった。

 

 さらに何を思ったのか「力が欲しい」と言ってお父上に一流の剣術指導者を雇って欲しいと直談判なされ、そしてやってきた【ニコラ】という胡散臭い男に師事して毎日過酷な鍛錬をなさっていた。

 その鍛錬は体力作りと称して障害物だらけの長距離を走り、それが終われば基本を何度も繰り返すばかり──どう見ても役に立つとは思えないのに、お嬢様は弱音や文句の一つも言わず、むしろ楽しそうだった。

 

 他にもせっかくの綺麗な長い髪をナイフで乱暴に断髪されたり、家臣の方たちの仕事場に入り浸って面白くもない政務の話をお聞きになったり、法律やら経済の本を熱心にお読みになったり──およそ幼い女の子が取るそれとは程遠い行動を取り続けていた。

 

 正直気味が悪かった。

 何を考えておられるのかさっぱり分からず、遊び相手や監視をするどころか、奇行に振り回されてばかりだったのだから。

 

 それでも私は努めてお嬢様に寄り添い、理解しようと試みた。

 お嬢様は分からない人ではあったけれど、私を頼り、私に甘え、私を必要としてくれていたからだ。

 

 母親を亡くし、最初の職場で虐待され、逃げてきた先の王都で度々罵声と軽蔑の視線を浴びせられ、身売りした奴隷商館で同業たちから疎まれいじめられた私にとって、「必要とされている」という実感はこの上ない喜びであり、安堵だった。

 

 ようやく、私は居ていい場所を見つけられたのだ。それに何の文句がある?

 挫けそうになる度、私は自分自身にそう言い聞かせていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 お嬢様にお仕えし始めてから早くも七年が経った。

 

 奴隷商館で三年間積み重なったツケは清算でき、それなりに貯金もできていた。

 先のことは分からないけれど、差し当たって今はお金に追い立てられずに済んでいる。

 ──自由だ。

 

 窓の外を見ればお嬢様が木剣を振るっている。

 相変わらずお嬢様は一人称が「俺」で、鍛錬にも夢中でいらっしゃる。

 ニコラの()()で口調や振る舞いを取り繕うことは覚えなさったけれど、中身はちっとも変わっておられない。

 

 でも、そんなお嬢様に対する私の気持ちはすっかり変わった。

 

 七年もお仕えしていれば分かることがある。

 お嬢様は私とまるで違うようで、実は似ていらっしゃる。

 あまりに頭の出来が良すぎるからか、はたまた人格と行動が奇異に映るからか──いずれにせよ、お嬢様は孤独だった。

 

 お父上は明らかにお嬢様を疎んで避けておられたし、お母上はお嬢様の行動に度々苦言を呈し、お説教をなさっていた。

 家臣の方々や使用人たちも私の見ていた限りではお嬢様の努力や優秀さを不気味に思いこそすれ、表立って褒めそやすことはなかった。

 

 お嬢様はそんな周りの空気に必死で抗おうとなさっていた。

 他人の思い通りになんかなってたまるか。自分を殺してたまるか。周りがどうだろうが何と言おうが自分の望むように生きるんだ──そんな意志が滲み出ていたし、実際に口に出されたこともあった。

 

 そして、その孤独な戦いのせいでお嬢様は人を信じられなくなっていた。

 なればこそ、お嬢様は幼い頃から自分の身を守るための武力と、自分の思い通りに生きるための権力を追い求めておられたのだ。

 でも──お嬢様とて人の子だ。そんな状態に何年も耐え続けられるわけがない。

 私への態度は、心の奥底では信じられる人を探し求めていることの表れに思えた。

 

 ──その姿がかつて一人ぼっちで安心して暮らせる場所を探し求めていた私と重なって見えた。

 だから私は決めたのだ。

 

 

 何があっても、誰が何と言おうとも、お嬢様の味方でいよう──と。

 

 

 昔、私に信じ、頼れる味方が一人でもいたならば、どれだけ心が楽だっただろう。

 それを思えば、お嬢様にはかつての私のような辛い思いはさせたくない。

 

 それにお嬢様への恩返しという意味もある。

 お嬢様は私に何よりも求めていた「居場所」をくれた。使用人として扱き使いながらも、罵倒や無理強いは決してせず、大事にしてくれた。私の性質も受け入れてくれた。

 ──私を家族の一員のように扱ってくれた。

 

 今なら心の底から思える。

 ここが、私の家。もう私は家のない子供じゃないんだ、って。

 

 

 

 ──そろそろ鍛錬が終わる頃だ。お迎えに行かないと。

 

 メイド服を直して、水を入れた水筒を持ってお庭へと向かう。

 果たして、着いた時にはお嬢様は木剣を下ろして汗を拭っているところだった。

 

 私に気付くと、笑顔になって駆け寄ってくる。

 

「いつも時間ぴったりだな。ティナ」

 

 そう仰るお嬢様にいつも通り水筒をお渡しして、いつもよりもう少し、優しさを込めて、労いの言葉をかける。

 

「はい。お疲れ様でした」

 

 そして私たちは屋敷へと歩く。

 早朝で、屋敷はまだ目覚めたばかり。働いている人はまだ殆どいない。

 玄関に着いても、誰もいない。

 

 だから私たちは二人だけで挨拶を交わす。

 

「ただいま」

 

 今日はお嬢様が先に言った。

 先を越されたと思いつつも、私はとびっきりの笑顔と、この世で一番大好きな言葉で返す。

 

「おかえりなさい」

 

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