ファイアブランド家は大丈夫なのか?
空賊に出会してせっかく手に入れた財宝を奪われないように、鎧で船を引っ張ってスピードを上げ、当初の予定よりも早くファイアブランド領に帰ってきたかと思ったら、港になっている浮島が空賊共に占領されていた。
仕方なく回り道して屋敷の庭に飛行船を着陸させ、ティナとアーヴリルには徒歩で後を追ってくるように命じて鎧で屋敷に急行した。
鎧が庭に着陸するとたちまち番兵に囲まれた。
俺が知っているよりもかなり厳重な警備だったが、鎧から降りてきた俺を見て驚愕と共に銃を下ろした。
ファイアブランド領の状況を問うても番兵たちは答えられず、ただ家臣たちが集まって重要な会議をしていると言うばかりだった。
埒が明かないので、番兵の指揮官に取り次がせて執事の【サイラス】を呼び出し、その会議とやらが開かれている部屋まで案内させたら、ちょうど会議が紛糾していたというわけだ。
空賊共に大事な港を占領されて、奪い返しに行ったら返り討ちにされて、今度は再度の攻勢か交渉での解決かで揉めている。
おまけに親父がオフリー伯爵家というそこそこの大物貴族と揉めて、戦争を吹っ掛けられそうになっているらしい。
おそらく件の──俺を嫁として差し出す代わりに援助してもらう──取引絡みだろう。その取引が俺が家出したせいで履行できなくなって、オフリー家が怒ったに違いない。
これではとても縁談の取り消しなど言い出せる状況ではないだろう。
全く、これでは話が違うではないか。財政再建のための金を用意して縁談を取り消させるためにわざわざ冒険に出たというのに。
それ以上に腹立たしいのはオフリー伯爵家だ。
他家の援助を当てにして娘を売る親父も腐っているが、オフリー伯爵家も腐っている。
大金を積んで家ごと買収しないと跡取りの正妻を娶れない、という時点でどんな家か知れるというものだ。
ファイアブランド家への援助ができるあたり大金持ちではあるのだろうが、取引が滞ったら武力をちらつかせてくるような家が善意での援助などするはずはない。
俺を嫁として貰う以外にも見返りを求めてくるはずだ。援助してもらう側であるファイアブランド家は負い目から断れず、いずれ骨までしゃぶり取られるのだろう。
──冗談ではない。
そんな時にまた奴が現れた。
急に誰もが動かなくなり、会議室が沈黙に支配されると、聞き覚えのある声がしたのだ。
「どうも。エステルさん」
振り返ると案内人がキザったらしい仕草で挨拶してきた。
前回奴に会ったのは日数にして一ヶ月ばかり前のことだが、俺には数年ぶりにも思える。
相変わらず顔は口元しか見えないが、その姿はどこか疲れているようにも見えた。
もしかして俺のために色々動き回ってくれていたからだろうか。
だとしたら労いの言葉くらいかけておかないとな。
「ああ、また来たのか。冒険では世話になったな」
感謝の気持ちを込めて挨拶を返すと、案内人から一瞬表情が消えたように見えたが、気のせいだろうか。
「え、ええ、まあ。ですがエステルさん、領主への道にはまだ後一つ、関門が残っていますよ」
その言葉で確信が持てた。
この状況は案内人が俺を領主の地位に就かせるために用意した舞台なのだ。
「ああ、港島の空賊共と、オフリー家だろ?そいつらを倒して、引き換えに親父から領主の地位を頂くって算段だな?」
案内人は笑って頷く。
「そうです。お父上ではこの苦難を切り抜けることはできません。現に家臣たちの言い争いも収められずにいますからね。そこにエステルさんが自ら軍を率いて見事、敵を倒してみせたなら、エステルさんが領主になることに反対する者はいないでしょう。王国とて、功績を鑑みて認めてくれます。エステルさんは晴れて領主になれるのですよ」
案内人が嬉しそうに語ってくれるのを聞いて、自信とやる気が漲ってくる。
「そいつはいいな。領主の地位を賭けて戦争というギャンブルか」
「ええ。今のエステルさんには頼もしい味方もいることですし、必ずや勝利を収めることができるでしょう。それではアフターサービスも終わりましたので、私はこれで失礼しますね」
そう言って案内人は扉を出現させ、お辞儀して去ろうとする。
「ありがとうな。──何もかも」
お礼を言うと、案内人は小さく振り向いて、シルクハットのつばを軽く持ち上げて言った。
「これも仕事ですので」
キザったらしい仕草だが、案内人がやると絵になるな。
そして案内人が扉の向こうに姿を消すと、すぐに扉は消失する。
時間が動き出し、会議室に喧騒が戻ってくる。
俺が来たことにも気付かずに声を張り上げて、物を投げたりして、お元気なことである。
だがもういい加減に無意味な罵り合いはやめ時だ。
俺は頭に血が昇った馬鹿共を黙らせるべく、前世を合わせても俺史上最大級の声量で怒鳴った。
「ギャアギャアうるせえんだよ!」
会議室が水を打ったように静まり返る。
みんな呆気に取られた顔をしていたが、親父だけが掠れた声で言葉を発した。
「エス──テル?戻ったのか?」
幽霊でも見たかのような顔をする親父の姿は酷く滑稽だった。
「ええついさっき戻りましたよ父上。お約束通り大金を用意して、ね」
余裕ぶった淑女モードで返してやるが、相手に誤魔化す隙を与えるわけにもいかない。
すぐに笑顔を消し、馬鹿共を問い詰める。
「それで?これはどういう状況だ?」
会議室は沈黙したままだ。
まるで怖い先生に説教されているクラスのような重苦しい沈黙。
それを破って出てきたのは謝罪や状況説明ではなく、情けない言い逃れである。
「お──お前には関係ないことだ。それよりさっさとその服を着替え──」
親父がそう言い終わる前に思い切り床を踏みつけた。
無意識に魔力を込めていたらしく、踏みつけた所が凹んでしまう。
「質問が聞き取れなかったのか?ではもう一度、
そう問いかけると、何人かが目を逸らしたが、三角帽子を被った艦隊指揮官の騎士が敢然と反論してきた。
「いいえ、エステル様。私は交渉には反対です。空賊とは何度かやり合いましたが、奴らは大人しく交渉の内容を履行する人種ではございません。力を見せつけなければどこまでも増長し、対処はより困難となります。ですから、此度港島を占拠した空賊は稼働可能な全戦力を動員してでも殲滅すべきと考えます」
そうだ。普通はそうなるよな。
前世でも「海賊は人類共通の敵」なんて言われていたし、ホルファート王国でも空賊はモンスターと並ぶ人類共通の敵である。
交渉などもってのほかだ。
だが、「私は反対」などと言うからには交渉に賛成する奴がいるということだ。
「なるほどな。お前は戦う、と。じゃあ交渉しようなんて言った奴は誰だ?」
騎士たちの視線が一人の役人に集まる。
その役人は俺に向かって言い訳じみた弁舌を振るう。
「エステル様、我々は今忍耐を必要としているのです。真に憂慮すべきはオフリー家による侵攻です。我々はこれを阻止するために兵力を温存する必要があります。空賊相手に犠牲を出すよりも穏便に港島を取り返すべきです」
なるほど、一理あるようにも思えるが、今ひとつ考えが足りていない。
「そうなのか?じゃあお前の言う通り空賊共と交渉して穏便に港島を取り返したとして、それでオフリー家との戦争に勝てるのか?」
「い、いえ、王国に特使を出し、調停を依頼するのです。それまで持ち堪え、後は王国を介しての──」
「つまりお前は空賊と交渉して戦力を温存して、それで時間稼ぎをすると言うんだな?」
「それしかないではありませんか!オフリー家の戦力は我が方の倍以上ですぞ。戦って勝てる相手ではございません。ならば王国の調停が入るまでの時間を稼げる可能性を高めた方が──」
「話にならんな」
言い終わる前に役人を遮った。
「空賊相手に交渉して領地を返してもらったなんて知れたら、相手を有利にするだけだろうが。相手はこっちをさらに舐めてかかってくる。空賊相手にすら戦えない臆病者集団だ、ってな。きっと言いふらされて笑い者になるぞ。格を落とされて、信用もなくなって、ファイアブランド家は落ちぶれるだろうな。それに──」
俺は一息ついて俺の立てた仮説を述べる。
「港島を占拠した空賊がオフリー家と手を組んでいるか、あるいは雇われている傭兵だとしたら?」
会議室の空気が一変したのが分かる。
「オフリー家は悪どい事業で成り上がった家だったな。なら空賊と関わりがあったっておかしくない。だとすれば、オフリー家との戦争はとっくに始まっているんだよ!」
俺の言葉に列席する家臣たちの表情が強張る。
「私たちは今まさに試されているんだよ!オフリー家に!空賊共に!領民に!奴らに空賊風情に喧嘩を売られて惨めに負けた挙句、目先の犠牲を恐れて空賊相手に交渉して、大恥晒して家を落ちぶれさせた愚か者だと嗤われたいのか!?私はそんなの絶対に嫌だ!他の奴はどうなんだ?」
問い詰めると騎士たちが次々に応えた。
「私もです!」
「それがしもそんなことは受け入れ難いことにございます!」
「我らが故郷を貶めさせはしません!」
「思いはエステル様と同じです!」
年端もいかない少女の檄で万の味方を得たかのように勢いづく騎士たちは可愛くもあるが、腹立たしくもある。
本来これはファイアブランド家に仕え、守護するこいつらの役割だ。
臆病で頭の足りない役人もそうだが、そいつ一人黙らせられない騎士たちもとんだ無能である。
「ですがエステル様、現実問題戦力差は如何ともし難きことにございます。ここは恥を忍んで生き延びることを優先すべきでは?生き延びればいずれ汚名をそそぐ機会もありましょう。その時まで待てば──」
役人が言い終わる前に机を思い切り叩く音がした。
音の主は俺ではない。
全員の視線が上座に座る親父に集まった。
「そもそも──お前がオフリー伯爵家への嫁入りを承諾すれば済む話ではないか!」
その言葉に全員が驚いた顔をする。
「お前が嫁げば戦争も起こらない、援助もしてもらえる。そういう取り決めだ!それでファイアブランド家は持ち直せるんだ!俺の後はクライドが継ぐ。そもそもお前が素直に嫁に行っていれば空賊如きの対処に悩む必要などなかった!なのにお前は勝手に家を飛び出し、オフリー家を怒らせ、戦争の危機を呼び込んだ!その上今度は戦うだと?ふざけるのもいい加減にしろ!お前一人の勝手で、大勢が死ぬんだぞ!それを理解しているのか!?」
喚き散らす親父を見ていると苛々する。
自分を犠牲にするのは前世でもうたくさんだ。
これからは俺の幸福のために他人を犠牲にしてやると決めている。
ただ、それを正直に言っても俺にとって不利になるので、別の大義を用意する必要がある。俺の身を守るのを別の大義にすり替え、この場にいる連中を騙して俺のために戦わせるのだ。
「ああよく理解しているとも。その上で私は嫌だと言っているんだ」
「な、なに──?」
「考えてもみろよ。私の身柄と引き換えに援助を受けてファイアブランド家を立て直したとして──それは借りだ。オフリー家に借りができたファイアブランド家はそれに縛られ、後に意にそぐわない要求をされても断りにくくなるんじゃないのか?」
親父は返事に窮したのか、視線を泳がせた。
すかさず俺は会議室にいる全員に聞こえるように声を大きくして畳み掛ける。
「最悪の場合、オフリー家の悪どい事業に加担させられることになりかねない。ファイアブランド家が犯罪の片棒を担がされたら、オフリー家やその仲間が捕まった時に諸共に処罰されて取り潰されるかもしれないんだぞ?だからここでオフリー家に借りなど作るわけにはいかない。犠牲を払ってでも手を切らなければいけないんだよ!」
だが親父とてそのくらいのことは思い至っていたようで、大声で反論してきた。
「黙れ!お前に何が分かる!易々諾々と聞いていれば、何様のつもりだ!ファイアブランド家独力で解決できるなら苦労はせんわ!ファイアブランド家が生き残るには頼れる相手が必要なんだよ!それがたとえオフリー家でもな!お前が戦うと言ってもついてくる者など誰もいないぞ!」
チラッと周りを見渡してみると、何人かの騎士が目を逸らした。
だがさっきの艦隊指揮官の騎士をはじめ、数人は意志のこもった目で確かに俺の方を見返してきた。
どうやら少数ではあるが、親父よりも俺の方についてきたい奴がいるらしい。
──上等じゃないか。
「だったら私が解決してやるよ」
俺の言葉で会議室が騒ついた。
「軍を私に預けろ。空賊共もオフリー家の軍勢も私が叩き潰してやる。私は自分の鎧があるし、冒険で良い武器も手に入れたからな。それで負けたら私を嫁にやるなり、戦犯として首を差し出すなり何とでもすればいい。でも私が勝ったら、ファイアブランド家当主の地位を私に寄越せ」
「なっ!?」
親父は目を剥いた。
家臣たちも口々に焦った表情で反対の声を上げる。
「無謀です!エステル様!相手は飛行船の数も兵士の数も練度も上なのですよ?」
「エステル様は戦いに関しては素人であらせられます。ここは我ら艦隊にお任せください!」
「領主になるおつもりか!?無茶です!」
さっきまで互いに言い争っていた連中が一致団結して俺を止めようとしてくるが、俺は涼しい顔で言ってやった。
「私は気が短くてな。報告だろうが調停だろうが待つのは趣味じゃない。私の領地になる土地のことは自分の手で解決する」
そして俺は親父の方に向き直り、半ば脅迫のような形で回答を急かす。
「時間が惜しいから今返事をくれ。私にファイアブランド家の全軍を預けてくれたら、空賊もオフリー家の軍勢も叩き潰してやる。勝ったら私に領主の地位を渡して引退しろ。負けたら私を好きにすればいい。どうするかここで決めてくれ」
親父はありとあらゆる負の感情を混ぜ合わせたような物凄い表情になって口をパクパクさせていたが、やがて糸が切れた操り人形のように脱力して大きな溜息を吐いた。
「──いいだろう。どうせ止めても好き勝手をするのだろう?お前という奴はそういう奴だ。もう──疲れた」
親父は自棄になったようにか細い声で言ったかと思うと、やつれた顔を上げて宣言した。
「ファイアブランド子爵家当主、テレンス・フォウ・ファイアブランドの名において──現時点をもって、ファイアブランド家の全権をエステル・フォウ・ファイアブランドに移譲する。これは最後の当主命令だ。エステルに従い、戦いの準備をせよ」
何人かの騎士が無言で立ち上がって敬礼した。
それに続いて次々に騎士たちが立ち上がって敬礼し、ほかの家臣たちも諦めたようにおずおずと立ち上がって礼をする。
やがて全員が承諾の意を示すと、親父は俺の方を見て言った。
「せいぜい好きに足掻くがいい。ファイアブランド家の資産も負債も、苦難も全てはお前のものだ。ファイアブランド領の全ての命運を背負う重みがどんなものか、思い知るがいい」
「はっ、上等だよ」
俺には案内人がついている。
あいつが整えてくれた段取りなのだから、負けるはずがないし、もし危なくなればサポートが入るだろう。
勝つと分かっている勝負は楽しいな。
「無茶ですエステル様!無謀すぎます!領主様も何卒お考え直しを!このままでは何もかも駄目になります!」
空賊と交渉しようと主張していた役人が往生際悪く声を張り上げるが、親父は取り合わない。
俺は騎士の一人が腰に下げていた剣を抜き取って、思い切り役人目掛けて投擲した。
役人のすぐ近くに剣が突き立つ。
会議室は騒つき、役人は「ひっ」と小さく悲鳴を上げて腰を抜かした。
「私が戦うと言ったんだ。そして父上は私に従えと言った。お前らは準備をすればいい。これは命令だ。お前らに許されるのは黙って従うことだけだ。従えないなら今ここで死ね!」
家臣たちは恐怖したらしく、黙り込んでしまった。
そうだ。黙って俺に従えばいい。
俺に従っている間は大事に使ってやる。
そうでなければ殺すだけだ。
「すぐに戦力の編成に取り掛かれ。動かせる飛行船と鎧は全部出す。修理すれば復帰できるものは急いで直せ。私の鎧もだ。急げ!」
命令を受けて騎士たちが慌ただしく会議室を出て行った。
役人たちも後に続く。
俺も鎧の修理のために基地へと向かう。
◇◇◇
「何ですと!?エステル様が?」
テレンスの自室で執事のサイラスが驚愕していた。
ベッドに腰掛けるテレンスの口からエステルにファイアブランド家の全権を移譲した、という内容が飛び出したからだ。
「ああ。既に戦闘準備を下命した。今領内はエステルの命令に従い、港島への再度の攻勢と、オフリー家との戦争に向けて全力で準備中だ」
だから執務室ではなくここにいるのだと、テレンスは力なく笑う。
「──全く笑えるじゃないか。俺は家臣たちの言い争い一つ収められずにいたのに、あの子が檄を飛ばして自分から戦いに赴くと言って、それで流れが決まった。それなりに年を食った俺が十二歳の娘に統率力で負けて、領地の命運を丸投げしたんだ。家のためにあの子を生贄にしようとしたら、あの子が自分で家の全てを背負うと言い出した。そして俺はあの子に全部賭けた。何という馬鹿。賭け事で焦って大損する素人よりも酷い馬鹿だよ俺は」
自嘲するテレンスだったが、ふと真顔になる。
「あの子は──俺なんかが及びもつかない化け物じみた才能がある子だ。こんな絶望的な状況もそんな化け物ならあるいは──そう思ったのさ」
「テレンス様──」
何と言葉を返したら良いのか分からなくなるサイラスにテレンスは手を伸ばした。
そしてサイラスの肩を掴み、目を合わせて言った。
「お前は長年俺をよく支えてくれたが──俺はもう肩の荷を下ろした。今となってはお前の力が必要なのはエステルの方だ。頼む。あの子を──支えてやってくれ」
サイラスは随分前から濁っていたテレンスの瞳が、憑物が落ちたかのように澄んでいるのを見てとった。
今のテレンスは娘を心配する父親の目をしている。
──断れるわけがなかった。
「分かりました。このサイラス、エステル様のため、力を尽くします」
サイラスもエステルのことはよく知っている。
彼女が重ねてきた剣の修行も勉学も、その成果も、全て知っている。
正直期待していた。もしエステルが領主になったなら、ファイアブランド家の窮状も変わるかもしれないと。
そして彼女は自分で望まない結婚を避けるために行動を起こし、冒険に出て、そして帰ってきた。
彼女が見せてきた財宝の一部を見た時、彼女はどんな小さな可能性でも追い求め、そして掴み取るのだと確信した。
それでも彼女はやはり十二歳の少女だ。 その背中はあまりにも小さく、頼りない。
そんな彼女が絶望的な状況にもめげずに進み続けようとするのがいじらしくて、だからこそ「大人である自分たちがしっかりしなければ」と、そう思わせるのだ。
きっと彼女に従って戦いの準備を進めているという騎士たちも同じ思いを抱いているのだろう、とサイラスは思う。
テレンスは安心したように小さく溜息を吐いた。
「頼んだ。──少し、一人にしてくれ」
サイラスは黙ってお辞儀して部屋を辞した。
◇◇◇
俺の鎧は急ピッチで修理が進んでいた。
失われた動力系統や魔力回路といった重要機構は格納庫に予備パーツが取ってあったのでそれを移植できたが、それだけでは戦闘には出せない。
壊れたり、磨耗したパーツを交換し、改造して武装を施し、戦闘に耐えられるように細かく調整しなければならないのだ。
俺は先程から整備員たちと一緒に鎧の調整に勤しんでいる。
「もし、エステル様?」
不意に名前を呼ばれたので周囲を見渡すと、体中に包帯を巻き、松葉杖をついた男がいた。
「何だ?」
「私めは一月ほど前、エステル様が出奔なさった時に追撃を行った者でございます。此度の戦、エステル様自ら出撃されるとお聞きしたものですから──」
「ああ。止めようってのなら無駄だぞ」
さっきから俺が出撃するのを止めようとしてくる奴が後を絶たないので、コイツもその類かと思ったのだが、違った。
「いえ。お引き留めは致しません。我らの追撃を振り切った貴女を止められようはずもありません。ただ──お見受けしたところ、エステル様の鎧には近接武器しか用意されていないようでしたので──私めの飛槍をお使いになられてはと思ったのです」
「ひそう?」
「飛ぶ槍です。この身体では戦いに参加することは叶いませぬ。ですからせめて武器だけでもお使いください。そして、その節はエステル様を飛槍の爆発に巻き込み、申し訳なかった。これはせめてもの償いです」
──ああ、あのパイルバンカーのことか。あれには鏡花水月の弱点を教えられたな。
かなり強力な武器だとは思ったが、まさか使わせてくれるとは。
ただ、気になる点もある。
「どうやって誘導するんだあれ?私に使えなければ意味がないぞ?」
「思念で操るのです。やり方については出撃までに可能な限り私がお教えします。ですから──どうか、近接武器での接近戦はお避けください。エステル様のお命が危のうございます」
──なるほどな。この男は俺が死ぬ危険を減らすために、パイルバンカーとミサイルを使った遠距離戦に徹させようとしているのか。
良いじゃないか。俺のために尽くす奴は大好きだ。俺をパイルバンカーで撃った罪は帳消しにしてやろう。
「分かった。使おう。すぐに取って来させる。どこにある?」
「案内致します」
整備員に命じて男と一緒にパイルバンカーを取りに行かせ、俺は調整作業に戻る。
『良い感じね』
セルカが俺に耳打ちしてきた。
彼女の身体はカメレオンのように周囲の景色に溶け込んでいる。
「ああ。戦いの時は頼むぞ」
『任せて頂戴な。フレームが万全ならもっと凄い力が出せるわよ。期待していて』
戦闘時はセルカが鎧に融合合体することになっている。
セルカは魔装としては欠陥品もいいところらしい。単体では機体も武装も生成できず、骨格となるものが必要だからだ。
だがそれは骨格となったものの強度や耐久性を大幅に向上させられるという性質と表裏一体だった。
鎧を骨格にすれば、鎧の防御力・機動力を飛躍的に向上させ、パイロットの身体にかかる負荷からも保護してくれる。
つまり、セルカと融合合体した鎧は普通の有人機にはできないような挙動を平然とやってのけ、かつ攻撃力も防御性能も高いというチート兵器になるのだ。
実に楽しみである。
『そういえば──貴女の鎧、名前はないの?』
セルカに訊かれて俺はハッとした。
もう俺のもとに来てから二年ほどになるが、名前を付けていなかった。
でも仕方ないと思う。鎧は俺の中では車のようなイメージだ。普通自分の車に名前なんて付けるか?
船ならともかく、車は「俺の車」だ。だから鎧も「俺の鎧」だったのだが──考えてみれば名前を付けてみるのも悪くはないかもしれない。
前世の特撮やアニメの悪役は中二心をくすぐるカッコいい名前のロボットに乗っていたしな。
「言われてみればないな──なんかカッコいい名前でも付けてみるか」
考えてみたが、どれもしっくり来ない。
俺の鎧はなんて言うか──兵器然とした重厚さや無骨さとは程遠い、スマートで曲線の多い、言ってみれば女性的なデザインなのだ。
そんなデザインの鎧に似合うと思える名前がどうにも浮かんでこない。
何か良い案はないのかとセルカの方を見ると、彼女は一つの名前を口にした。
『アヴァリス──というのはどうかしら?』
アヴァリス Avarice フランス語
意味は「強欲」