ウェザビー・フォウ・オフリーは間者からの急報を見て蒼白になった。
ファイアブランド領の港を押さえていたウィングシャーク空賊団はファイアブランド軍の総攻撃により半日と経たずに壊滅した。
最初の戦いではファイアブランド軍を返り討ちにした空賊団がなぜそんな短時間で壊滅させられたのかは分からないが、おかげで空賊の戦力を当てにして立てたファイアブランド領侵攻作戦が大幅な修正を余儀なくされる見通しだ。
だがウェザビーが心配するのは侵攻作戦そのものではなく、空賊たちとのやりとりに使った書類の安否である。
半日と経たずに壊滅させられたとなると、処分や隠匿が間に合った可能性は低い。
あれがファイアブランド家の手に渡り、王宮に届けられてしまうと、オフリー家の存亡に関わる。
すぐに追加の工作とファイアブランド家との再度の交渉を行わなければならない。
ファイアブランド家の関係者が書類を王宮に持ち込んでも上層部に届く前に握り潰すよう働きかけ、ファイアブランド家には捕虜になった空賊の引き渡しを要求する。
受諾すれば良し、拒否したならば武力行使で要求を通す。
後者の場合に備えて、ファイアブランド家と仮想敵同士の関係にある領主貴族とも話をつけた方が良さそうだとウェザビーは考えた。
空賊団が壊滅した以上、オフリー軍が動く表向きの理由を新しく用意する必要がある。
そこで利用できるのがファイアブランド家の仮想敵である別の領主貴族家とオフリー家が有している利権だ。
ファイアブランド家の勢力圏は周辺の他の領主貴族家の発展に伴い、縮小を続けており、その過程で何度も小規模な抗争が起こっている。また、ファイアブランド家は領地の浮島の一つにおける資源の採掘権をオフリー家に売ったことがある。
これらの事情により、オフリー家は新たに勃発した貴族家同士の抗争に伴い、利権を守るために軍を動かした、という言い訳ができる。
無論、ファイアブランド家が空賊引き渡し要求に応じてくれるのが最善ではある。
空賊引き渡し要求を受諾すれば件の取引をなかったことにしても良い、とでも言っておけばファイアブランド家が応じる可能性は上がる。
ファイアブランド家との再交渉の際はそれを仄めかしておくべきだろうとウェザビーは考える。
跡取りの正妻候補はまた探せば良いが、空賊と手を組んでいた証拠を握られてしまえばお終いだ。それに無闇に血を流したくはない。
「だがそうはさせない」
ウェザビーの背後に立つ案内人はニヤリと笑って言った。
案内人としては何が何でもエステル率いるファイアブランド家とオフリー家に戦争をさせ、エステルを敗北させなければならない。
その後はオフリー家に囚われるなり、屈辱的な取り決めを結ばされて搾取され続けるなり、案内人にとって嬉しい未来が待っている。
思えば短い付き合いだったが──これも自分の期待通りにならないエステルが悪いのである。そればかりか、彼女の感謝によって凄まじい苦痛を味わわされ、力を失った。
さっきも空賊を倒した喜びからか、一段と激しい感謝に襲われたところだ。
許せない。死が慈悲に思えるほどの地獄に叩き込んで、特大級の負の感情を味わわせてもらわなければ腹の虫が治まらない。
案内人はファイアブランド家が交渉を受けないようにするため、ファイアブランド領に戻ってそこで工作に勤しむことにした。
◇◇◇
夜。
ついこの間まで親父が使っていた執務室で、俺は書類を処理しながら手に入れた切り札の活用法を考えていた。
オフリー家が空賊と組んでいたことの証拠書類と失われた神殿の宝【聖なる首飾り】は俺自身が預かっている。
案内人のフォローのおかげで手に入ったせっかくの切り札を盗まれたり破壊されたりするなどあってはならないからな。
ただし、切り札であるとはいっても一筋縄ではいかない。強敵を倒せる威力は秘めているが、使い方を間違えればこちらが危なくなる諸刃の剣である。
オフリー家は空賊と組んでいた証拠がファイアブランド家の手に渡ったかもしれないと考えて気が気ではないだろう。
そしてこちらがその証拠を握っていると知ったなら、何が何でも抹消しようとするに違いない。
更にこれまで聞いたオフリー家の情報によれば、オフリー家にはとんでもない大物がバックについている。でなければ商人に乗っ取られた家が陞爵などできるはずがない。
一応、表向きは衰退していた領地を短期間で立て直して豊かにしたとか、因縁浅からぬ隣国【ファンオース公国】との外交で活躍したとか、色々な功績があるらしいが、それにしても大きな後ろ盾の存在なしには考えられないことだ。
考えられるのはオフリー家が所属している派閥の幹部クラスか、あるいは長か──いずれにしてもファイアブランド家が相手取るには厳しい。
証拠書類を王宮に持って行っても、後ろ盾に握り潰されれば意味はないし、下手すれば報復でこちらが潰される。
とすると考えられるのは、証拠書類をオフリー家の属する派閥と敵対している派閥に流すことだが、これも不安が残る。
親父がこれまでに何度もオフリー家の世話になっているせいでファイアブランド家はオフリー家と近しいと見られている。
そんな家からのタレコミを敵対派閥が信用するとは思えないし、証拠書類を渡したら用済みとして見捨てられる可能性だってある。
やはりどうにかして証拠書類を握り潰されないように国王陛下の下へ届ける必要がある。
理想的なのは襲来したオフリー家の軍勢を撃滅した後、国王陛下にオフリー家の不法行為を直訴し、オフリー家を取り潰しに追い込む、というシナリオだが、ファイアブランド家は王宮に伝手がない。
伝手がなければ、国王陛下への面会にはいくつも面倒な手続きを経なければならず、その手続きを処理する立場の人間をオフリー家やその後ろ盾に買収されでもしたら何もできない。
そこでもう一つの切り札、聖なる首飾りだ。
案内人が聖なる首飾りを見つけさせたのはこれを使って神殿を味方に付け、王宮への伝手にしろという意味なのだろう。
神殿は表向き貴族の派閥争いとは関係ない中立の立場だが、同時に無視できない影響力を持つ陰の支配者とでもいうべき存在だ。伝手にするにはもってこいである。
以上から俺が為すべきことはオフリー家の軍勢を撃滅し、国王陛下への面会が叶うまで証拠書類と聖なる首飾りを守り抜くことだ。
というわけで今俺は証拠書類を懐に入れて、聖なる首飾りを首に下げているわけだが──この首飾り、明らかに曰く付きの品である。
身に着けているとうっすらと魔力を感じるし、何よりセルカの反応がよろしくない。
『嫌な気配ね。何か憑いているわよこれ』
「分かるのか?」
問いかけるとセルカは頷く。
『私は触れた物の記憶や思念をある程度視ることができるのだけど──この首飾りのはまるで視えないわ。それこそ意志を持って隠しているようにね。そんなことができるのは憑き物が憑いているからよ』
「──祓えるのか?」
何か憑いた首飾りとか着けてて穏やかな気分じゃないので除霊したかったが、セルカは身体を左右に振った。
『無理ね。私には干渉できないわ。とにかく一刻も早く神殿に届けるなり何なりして手放すのが良いと思うわ』
「そうか──」
俺は首飾りを外そうとして、やめた。
気持ち悪がって身体から離したばかりに盗まれた、なんてことになったら洒落にならない。それにどうせ持っているのは短い間だ。
「でもまあ、神殿に持っていくのはオフリー家との戦いがひと段落してからだな」
『あら、随分落ち着いているのね』
セルカが意外そうに言ってきたので、俺は余裕ぶって返してやる。
「憑き物が何だっていうんだ?怖さなら人間の方が上だ」
そう──怨霊や悪霊などより生きている人間の悪意の方がよほど恐ろしい。前世で俺はそれを嫌と言うほど知った。
そんな俺が首飾りに憑いたもの如きに怖気付くなど、悪徳領主を目指す身であってはならないことだ。
ただ──本物の神殿の宝なら憑き物なんて憑いているものだろうか?
少し気になるが、案内人が俺に害をなすものをもたらすとは考えにくい。
『達観しているのね。さすがは──あら?』
セルカが振り返ると、ドアがノックされ、ティナの入室の許可を求める声が聞こえてきた。
「入れ」
ドアが開き、トレーを持ったティナが入ってきた。
「差し入れです」
そう言って湯気を上げる飲み物が入ったカップを二つ机に置く。
『あら、私の分も用意してくれたの?』
セルカが嬉しそうに寄ってくる。
「はい。その──精霊様の口に合うかは分かりませんが。ココアです」
『嬉しいわ。人から何かを貰ったのは何時ぶりかしら』
そう言ってセルカは一つ目の下に口を出現させ、触手で器用にカップを持ってココアを飲み干す。
俺もカップを手に取って口を付けた。
温かさと甘さが染み渡り、気分が落ち着く。
夜が更けるまで書類の処理をし続けていたせいで気付かないうちに疲れ切っていたようだ。
ふと気になったことをティナに訊いてみた。
「そういえばアーヴリルの様子はどうだ?」
◇◇◇
屋敷の一階にある客人のために用意された部屋。
そこでアーヴリルはうずくまっていた。
自分の飛行船を失い、エステルの飛行船に乗せられてファイアブランド領に来てから、驚きが大きすぎて頭と心が追いつかなかった。
まずエステルの正体がファイアブランド子爵家の長女だった。
ファイアブランド子爵家は、アーヴリルの実家であるランス騎士家が仕えるノックス子爵家と勢力圏が隣接している──言ってしまえば仮想敵である。
互いの勢力圏内の零細領主同士の争いは後を絶たず、ランス騎士家の人間が争いに加わったこともある。
そんな家の令嬢が家出して自分と旅をしていたことも驚きだが、それ以上に驚いたことにそこが空賊の侵攻を受け、悪名高きオフリー伯爵家に戦争を吹っ掛けられそうになっていた。
エステルの行く先にはいつも何か騒ぎや災難がある、あの方には疫病神でも憑いているのか──そう思った。
だがエステルは怯えや絶望の一つも見せずに家臣たちを鼓舞し、自らも戦場に立って空賊を殲滅してみせた。
空賊が殲滅されたことで商船が入れるようになり、ファイアブランド家はあらゆる伝手を頼って戦争に必要な物資を買い集めている。
まだ十二歳の少女が現当主にも家臣の誰にもできなかったことをやってのけた。
この分だと本当にオフリー家にも勝てるかもしれない、という空気がファイアブランド領に醸成されている。
それがアーヴリルには酷く堪えた。
どこかでエステルを自分がついていてやらなければいけない、か弱い少女と見ていたのを完全に否定されたことがアーヴリルのプライドを打ち砕いた。
もう、自分が何をすればいいのか分からない。
故郷に帰ろうとも思ったが、飛行船が片っ端から徴用されているせいでそれもできない。
それでこうして部屋でうずくまっているわけだが、それもいい加減に嫌になってくる。
自分も何かしたい、エステル様の役に立ちたい──そう思っているが、軍事や領内統治に関しては素人で、しかも余所者であるアーヴリルの居場所はどこにもない。
不意に視界を淡い光が横切った。
顔を上げるとドアが僅かに開いている。
いつの間に開いたのだろうと首を傾げながらベッドから降り、ドアを閉めようとすると、ドアの隙間を一瞬光るものが横切ったように見えた。
何だと思ってドアを開けてみると、フワフワと浮かぶ淡い光が廊下の曲がり角の向こう側へと消えていくのが見えた。
アーヴリルは思わずその後を追った。
なぜそうしたのかは分からない。だが、その光を放っておいてはいけないと無意識的に強く思ったのだ。
光が消えていった曲がり角を曲がると、何者かが庭へ続くドアから屋敷の外へ出て行くのが見えた。
なぜ夜にわざわざそんな所から外へ出るのかと訝しんだアーヴリルは後を尾ける。
屋敷を出た何者かはそのまま屋敷の庭を出て街の方へと歩いていく。
肌寒さを感じて身を震わせながらもアーヴリルは静かに尾行する。
夜の街は灯りもまばらで閑散としていた。
路上で客引きが声を張り上げることも、酒場から賑やかな声が聞こえてくることもない。
ファイアブランド領の景気の悪さが如実に現れている街で、屋敷を出た何者かは灯りの消えた店の一つに入っていった。
アーヴリルは少し待ってから店に入ろうとしたが、鍵が掛かっていた。
見ると、店のドアには「営業終了」の看板が掛かっている。
屋敷を出た者が閉まっている店に入っていったなど怪しいにも程がある。
これはエステル様に報告しておくべきだろうとアーヴリルは思った。
もし自分が見た人物が間者で、自分がその間者の隠れ家を見つけられたのだとしたら──私は役に立てる。エステル様に妹の仇を討ってもらったこと、ダンジョンから助け出してもらったことへの恩返しができる。
そう思って屋敷に戻ろうとしたアーヴリルだったが、次の瞬間、背後から声をかけられる。
「何してる?」
思わず悲鳴を上げそうになったアーヴリルだったが、声の主を見て出かかった悲鳴は引っ込む。
ローブを着たエステルが怪訝な表情でアーヴリルの後ろに立っていた。
「あ、エステル様──なぜここに?」
言い訳じみた質問で返すなど失礼だが、アーヴリルは頭が回らなかった。
だがエステルは気にした様子もなく、淡々と言った。
「ずっと部屋に閉じこもっていると聞いたから様子を見に行ってみたらいなかった。屋敷の者に聞いたら外の道を歩いているのを見たと言う奴がいたから探して尾けてきたんだ」
「そうですか──」
屋敷に戻る手間が省けたという思いと──自分がやっていたことは本当にエステル様の助けになるのか、エステル様は本当は何もかも分かっているのではないか、という疑念が混ざり合い、アーヴリルはしばし沈黙する。
エステルは苛立ったのか、先ほどよりも強い声で再び問いかけてきた。
「それで?ここで何をしている?なんでこんな時間に屋敷の外に出た?」
アーヴリルは自分が見たことをエステルに話すのだった。
「スパイか──」
アーヴリルの話を聞き終わったエステルは目を細めて呟いた。
そしてキッと目の前の店を睨みつけて言った。
「いいだろう。スパイ狩りだ」
「え?まさか踏み込むのですか?」
アーヴリルは思わず聞き返した。
「モタモタしていたら取り逃すだろうが。お前も来い。人数は多い方が良い」
そう言ってエステルは店のドアに魔力を込めた掌底打を叩き込んだ。
錠が破壊され、最小限の音でドアが開く。
「行くぞ。地下室だ」
エステルは懐から拳銃を出してアーヴリルに差し出した。
「使え」
「え?よろしいのですか?エステル様の武器は?」
「私は魔法で十分だよ。──後ろは任せるぞ」
そう言ってエステルはローブのフードで顔を隠し、店の中へと踏み込んでいく。
アーヴリルは慌ててその後を追った。
(後ろは任せるぞ──か)
最後にエステルが念押しするように発した言葉が妙に耳に残っていた。
どうやらエステルは二人だけで地下室に突入し、曲者を捕まえるつもりらしい。
なぜエステル様はいつもこう向こう見ずなのかという思いが湧き上がるが、エステルが初めて自分を頼ってくれているような発言をしたことを嬉しく感じている自分もいる。
店は服飾店らしく、あちこちに衣装がかかっている。
エステルはカウンターを飛び越えて店の奥へと進み、地下室への入り口を見つけ出した。
「いるな。二人だ。さっきから動いていない」
「我々だけで大丈夫でしょうか?」
もう一度だけ確認するアーヴリルにエステルは落ち着いた声で返してくる。
「当たり前だ。相手は所詮人間だぞ。お前だって人間相手なら十分強いだろ」
違う、そんなことはない──本当はそう言いたかった。
確かに武芸や魔法の心得はあるが、それには「女にしては」という但し書きが付く。
鍛えた男性相手にはまずもって勝ち目はない。騎兵隊に追われていたエステルを助けた時は相手がエステルに夢中で不意打ちに成功したに過ぎない。
自分は相手と真っ向勝負で勝てるような力は持っていない。
今までそれに気付かずに幼稚な万能感が肥大化していて、エステルとの旅でそれが完膚なきまでに打ち砕かれた。
私は弱い──それを自分で認めたのにエステルに言うことができない。
「行くぞ。準備はいいな?」
エステルの問い掛けにアーヴリルは小さく「はい」と返すことしかできなかった。
◇◇◇
「エステル嬢が空賊討伐の指揮を執ったと?それは本当なのかね?」
男からの問いかけに【トビアス・ヘイズ】は頷いた。
「本当です。彼女が現当主に啖呵を切りまして、自分に軍を預ければ空賊もオフリー家も叩き潰してみせると言ったのです。失敗したなら自分を如何様にもするが良い、成功したなら当主の地位を自分に寄越せと。それでテレンス様は彼女に全権を委譲しました。実質的に彼女が今のファイアブランド家当主です」
「だとしてもなぜだ?ファイアブランド家の戦力ではあれだけの空賊団をああも短時間で撃滅できるとは思えんが」
彼の疑問に確信を持って答えることはトビアスにはできかねた。
トビアスは軍人ではないし、実際の戦闘を見たわけでもない。
「私にもはっきりとは分かりかねますがエステル様が自ら戦闘に参加しました。聞いた話では空賊の鎧は半分近くが彼女に撃墜されたそうです」
「──信じ難いな。仮に本当だとして一体どうしたらあれだけの空賊を蹂躙できるのだ?黒騎士ではあるまいし──」
「知りたいか?」
彼の声は鈴の音のような声によって遮られた。
「誰だ!?」
彼が素早く振り向いて拳銃を抜いたが、次の瞬間、拳銃を握った手がポトリと落ちた。
「ッ!う、うわああああああああ!!」
なくなった手と噴き出る血を見て彼が恐怖に叫ぶ。
釣られてトビアスも叫び声を上げた。
「やかましい」
そんな声がしたかと思うと、小柄な人影が彼の後頭部に打撃を与えた。
彼は気絶して静かになる。
小柄な人影はふっと息を吐いて満足げな声色で呟いた。
「風魔法だけでも案外切れるもんだな」
その姿はローブに包まれて見えないが、愉悦の笑みを浮かべているであろうことは気配で分かる。
「だ、誰だ!?な、何をする!」
トビアスは吃る声で必死に問い掛けた。
小柄な人影は着込んだローブのフードを脱いで、底冷えのする声で言った。
「──私だ」
現れた相手の顔にトビアスは狼狽する。
「ば、馬鹿な。なぜ貴女がここに──」
いるはずのない【エステル・フォウ・ファイアブランド】がそこにいた。
恐怖やら驚きやらで混乱して後ずさるトビアスだが、その後頭部に冷たく固いものが突きつけられた。
「動くな。動けば撃つ」
突きつけられたのが拳銃だと悟ってトビアスは小さく悲鳴を上げる。
どうやら背後にエステルの仲間がいるようだが、振り向くに振り向けない。
エステルはそんなトビアスに冷ややかな目を向けて近づいてきた。
「なぜここにいるか?簡単なことだ、お前が尾けられていたんだよ。迂闊だったな。それと何をするか?決まっているだろ」
そうまくし立てた後、エステルは軽く顎をしゃくった。
トビアスは背後から蹴られ、床に両膝をつく格好で倒れ込んだ。
顔を上げると目の前にエステルの顔があった。
「お前はファイアブランド家の情報をスパイに漏らした──私を売った罪で処刑する。だがそうだな、せっかくだから言い訳があれば聞いてやる。言ってみろ」
言い訳してもいい──そう言われたが、トビアスは口が動かなかった。
「あ──いや──その──」
言葉が出てこないトビアスを見て苛立ったのか、エステルは眉をピクリと動かし──
「時間切れだ。撃て」
冷たく宣告した。
背後にいたエステルの仲間が拳銃の引き金を引くのが気配で分かる。
そして後頭部に凄まじい衝撃が走り──トビアスの意識はそこで途絶えた。
なぜ裏切ったのか、など聞くまでもなく分かっている。
ファイアブランド家ではオフリー家に勝てない。戦争になったら負けて殺されるか、搾り取られるか──だったらオフリー家に取り入れば助かるのではないか。そんな誘惑に屈したのだろう。
気持ちは分かるが、情状酌量は一切しない。俺を裏切った罪への判決は死刑だ。
だが──裏切り者が出るのは構造上あるいは制度上の問題でもあるな。
どうすればこれ以上の裏切り者を出さずに済むだろうか。
頭から血を流して倒れた男を見て俺は考える。
その隣ではアーヴリルがスパイと思しき奴の手当てをしていた。
スパイの方には聞きたいことがあるので、生かしておくよう指示したのだ。
その手つきは手慣れたもので、風の刃で斬られた手首の止血をそつなくこなしている。まるで傷の手当てをすることなど日常茶飯事だったかのようだ。
一人で妹の復讐に旅立ったり、俺の冒険についてきたりとアーヴリルは実に逞しい。
今回スパイと裏切り者を発見できたのはアーヴリルが裏切り者を偶然見つけて尾行したからだ。
ファイアブランド家の家臣共もこいつくらい逞しくて有能だったらな──
──そうだ。だったらこいつをファイアブランド家の騎士として召し抱えればいいのではないか?