俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

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蒼穹に紅を曳いて

 その日の朝早く、寄子の騎士家からの通報で俺は叩き起こされた。

 哨戒に出していた鎧がオフリー家のものと思しき大艦隊を発見──という報告をその騎士家の当主が自ら鎧を飛ばしてファイアブランド家に持ってきたのだ。

 その心意気や良しであるが、褒美をくれてやっている暇はない。

 

 すぐに伝令を飛ばして騎士たちを呼び出し、基地に集合させて艦隊の出撃準備に取り掛かり、即応待機していたコルベット部隊を索敵のため急行させた。

 

 朝四時に叩き起こしてもすぐに集まる騎士たちに、命令を受けて十分で離陸していったコルベット部隊を見ていると、ファイアブランド家の軍もまだ捨てたものではないと思える。

 いやまあ、捨てたら俺がお終いだから捨てないけどな。

 

 

 

 艦隊は一時間で全艦離陸に成功した。

 

 だが、飛行船の数は三十隻にも満たない。

 この二週間弱で兵器と弾薬をはじめとした物資を掻き集められるだけ掻き集め、できる限りの飛行船を稼働状態に持っていったが、それでもあまりに時間が足りなさすぎた。

 

 艦隊戦力は空賊と戦った時から十隻ほど増えただけに留まった。

 増えた分の半分は修理や整備が短期間でできたコルベットや商船改造の哨戒船だったため、それらは索敵部隊に回した。

 残りの半分は鹵獲した空賊の飛行船五隻。だが肝心の乗組員が用意できず、敵艦隊との殴り合いには参加させられない。

 

 結局オフリー家の艦隊と直接交戦する役割は空賊と戦った時と同じ編成の【第一任務部隊】二十二隻でやるほかなかった。

 だがせっかく空賊から分捕った飛行船を五隻も遊ばせておくわけにはいかない。

 そこで空賊の飛行船五隻は新たに編成された【第二任務部隊】に入れ、第一任務部隊とは別の役割でオフリー軍の迎撃に参加させることにした。

 

 離陸した艦隊は旗艦を先頭に単縦陣を組んで航行を開始する。

 

 旗艦が先頭になるのは無線通信機の使用を抑えるためらしい。

 離陸直後の今はともかく、浮島を離れてから無線通信を発してしまえばこちらの大まかな位置が敵に知られてしまい、敵に対策を取る時間を与えることになる。

 ギリギリまで敵に気付かれずに接近するためには、旗艦が先頭に立ち、後続艦はそれについていけばいい単縦陣が適していたのだ。

 

 三角帽子を被った艦隊指揮官が受話器を手に取り、指示を出し始める。

 

「旗艦アリージェントのアスカルトより各艦。第一・第二任務部隊はこれより敵艦隊が目撃された空域へ向け、南下を開始する。なお、この通信が終了してからは、先行した索敵艦から敵艦隊発見の報が入るまで通信管制を実施する。全艦、アリージェントの動きをなぞれ。忘れるな。今作戦はファイアブランド領の総力を上げた迎撃作戦だ。ここでしくじれば後はない。各員、心して励み、己の義務を全うせよ。以上だ」

 

 

 

 先行させていた索敵艦が敵艦隊を発見したのは出撃から二時間ばかりが経った頃だった。

 

 送られてきた敵艦隊の情報をもとに指揮官が素早く行動を決定して指示を下し、各艦が割り振られた行動に移っていく。

 

「面舵二十。速度そのまま。第二任務部隊は通信管制を維持したまま、直ちに所定の行動を開始せよ」

 

 艦隊後方から空賊の飛行船五隻と護衛のコルベット三隻が離れ、南東方向へと針路を変えて進んでいく。

 

 彼らに向けて心の中で「抜かるなよ」と念押しする。

 

 第二任務部隊がしくじれば、オフリー家との戦争は良くて痛み分けに終わってしまう。

 それでは駄目なのだ。完膚なきまでに叩きのめし、部下たちに、領民共に、オフリー家に、俺の完全勝利を見せつける。

 

 だが、指示を出し終わった艦隊指揮官が水を差してきた。

 

「今の通信で奴らも我々の存在を把握したはずです。今更ですが──これでよろしかったのですか?」

 

 まだそんな弱気なことを言っているのか?もう後戻りはできないんだぞ。

 どいつもこいつも情けない。今一度喝を入れてやらなければ。

 

 そして俺は通信機の受話器を手に取って勇ましく、空虚な大演説を始める。

 勝つために士気を上げるのに必要とはいえ──笑ってしまいそうになるくらい悪質なマッチポンプだ。

 そもそも俺が素直にオフリー家へ嫁入りしていたら、こいつらは戦わなくて良かった。死ぬことだってなかった。

 自分の勝手でファイアブランド家とその家臣たちをオフリー家との戦争へ巻き込んだ俺が、「邪悪なオフリー家の侵略から故郷を守れ」などと情に訴えて部下たちを焚き付けて地獄へ導こうとしている──嗚呼なんという外道な行いだろうか。

 

 

◇◇◇

 

 

 オフリー家の艦隊。

 

 その旗艦のブリッジに警報が響き渡る。

 

「敵艦発見!一時の方向!」

「戦闘配置!」

「艦種識別急げ!」

「中型戦艦四隻を確認!あとは護衛の小型艦です」

「予想よりも少ないな」

「おそらく稼働率の問題かと」

「いや、まだ別働隊が潜んで機を窺っているかもしれん。周囲の警戒を怠るな!」

 

 慌ただしくなるブリッジでほくそ笑んでいるのは案内人である。

 大勢が忙しく働いている中で優雅にカップを手に持って紅茶を飲んでいるが、誰も咎めることはない。そもそも見えていないのだから。

 

 案内人が敵艦が発見された方角に顔を向けると、その目の前に映像が現れる。

 その映像にはファイアブランド家の家紋を掲げる飛行船の群れが映っていた。

 

「たったの二十二隻ですか。ふ、もう勝負は見えましたね」

 

 ファイアブランド家の家紋を掲げる敵艦隊は全部で二十二隻。

 

 対してこちらはオフリー家から派遣されてきた十八隻にファイアブランド家と対立する家から派遣されてきた十六隻が加わり、三十四隻に達している。しかもこれだけではなく、艦隊の後方には補給物資と上陸部隊を満載した輸送船団五十五隻が続いている。

 

 また、敵艦隊は中型飛行戦艦四隻を除けば小型のフリゲートやコルベットと呼ばれる護衛艦だけ。

 

 こちらには二百メートルクラスの大型飛行戦艦三隻、中型飛行戦艦九隻があり、火力差は数の差以上に圧倒的である。

 

 どうやら敵艦隊はこちらを視認しているらしく、真っ直ぐ向かってくる。

 

 不意に胸を焼くような嫌な感覚が強くなり、案内人はエステルが近づいてきているのだと理解する。

 

「いるのだな、エステル。そこに──いるのだな」

 

 冷や汗を浮かべつつも案内人はニヤリと笑う。

 エステルが出てきたということは空賊の時のように鎧で先陣を切るだろうと確信したからだ。

 

 だが今回のエステルの相手は空賊などとは違う。

 強力な装備を揃え、それらを扱う兵士たちの練度も高く、そして数の上でも圧倒している【軍隊】である。

 いくらエステルが強くとも、軍隊を相手取っての他勢に無勢では勝てはしない。

 囲まれて袋叩きにされるか、味方を全て失って孤立無援になるか──いずれにしてもここでエステルの命運は尽きる。

 ファイアブランド軍は濁流に呑み込まれるかのように崩壊し、ファイアブランド領は蹂躙され、エステルは領主になる夢が叶う目前で絶望の淵に叩き落とされるだろう。

 

 これまで幾多の英雄豪傑が数を呑んで襲いかかる敵に圧し潰されるのを見てきた案内人はそう信じて疑わない。

 だが──それでも念には念を入れておくべきだろう、とも判断した。

 

「ここは先手を打っておきましょうか」

 

 

◇◇◇

 

 

 互いに視認できる距離まで近づいた両軍の艦隊は陣形を変えながら上昇を始める。

 上を取られないようにするためだ。

 

 ファイアブランド艦隊は単縦陣のまま同航戦に備えて大きく弧を描くように上昇していく一方で、オフリー艦隊はV字型の陣形を斜めに三つ重ねたような複雑な陣形を取っていた。

 下のグループは何隻かがもたついて遅れているが、一番上のグループは精鋭らしく、一糸乱れぬ動きで後続を導いている。

 

 それを見たファイアブランド艦隊の指揮官ライナス・アスカルトは苦々しい表情で呟いた。

 

「抽斗陣形か。厄介な」

 

 艦隊をいくつかのグループに分け、高度差を設けて配置することで互いの死角を補い合う、極めて防御力の高い陣形を相手が取っていた。

 鎧による撹乱及び高速を活かした素早い接近と離脱を繰り返し、敵戦力を擦り減らすことを目論んでいたファイアブランド艦隊だが、初っ端からその目論見が外れた。

 

 相手の陣形は全方向に高密度の砲火を浴びせることができ、横や下から迂闊に近づけばたちまち火達磨だ。

 かといって前や後ろからでは相手の砲火の密度は低くてもこちらが攻撃できない。飛行船の大砲は殆どが舷側に搭載されており、攻撃時は舷側を相手に向けなければならないのだ。

 そして上は──取れそうにない。

 

「仕方ない。予定より早いが、艦載機の展開用意を。何としてもあの陣形を崩さねばならん」

 

 指示を出すと、通信士たちが慌ただしくなる。

 そんな中で笑っているのはエステルだ。

 

「早速私の出番か」

 

 その表情は虚勢を張っているようには見えない。

 まるで狩りや遊びを楽しむかのような純粋で獰猛な笑みを浮かべている。

 

 ──はっきり言って異常だ。

 こんな絶望的な状況であんな風に笑っていられるなど余程の馬鹿か、あるいはとんでもない化け物のどちらかとしか思えない。

 そしてエステルは──間違いなく後者である。

 

 エステルが空賊やオフリー家と戦うと言い出した時には、彼女を聡明で勇敢な愛郷心溢れる少女くらいにしか思っていなかったが──今や彼女が怖い。

 同時に、そんな化け物じみた彼女に魅せられている自分もいる。

 

 冷や汗を流すライナスの横を通り過ぎて格納庫へと向かうエステルを誰も止められはしなかった。それどころか、声をかけることすらままならなかった。

 ただ一人、ライナスだけが「ご武運を」と呟いただけだった。

 

 

 

 アリージェントの格納庫は船体の後ろ半分の殆どを占める広い空間だった。

 左右に鎧や小型艇を発着させるための巨大な扉があり、出撃を待つ鎧が総勢二十機ほどズラリと並ぶ。

 扉が開いたら合図と共に一斉に大空へと飛び出すのだ。

 まるでSF映画のような光景に興奮が止まらない。

 

 その格納庫で俺の乗機である【アヴァリス】は一際大きな存在感を放っていた。

 他の鎧より二回りほどは大きな機体と背中の可変式推力偏向翼のせいで格納庫のスペースを占領して仕方がないが、それに関して文句を言う奴はここにはいない。だって俺はこの場にいる誰よりも偉いから。

 

 パイロットスーツに身を包み、アヴァリスの前にやってくると、機体のチェックをしていた技師たちが敬礼してきた。

 

「最終チェック、完了致しました。いつでも行けます」

「ご苦労」

 

 鷹揚に返してタラップを昇り、コックピットに乗り込む。

 

 起動すると、バイザーの視界がコックピットに投影される。

 ちょうど目の前に発着誘導用の大型信号機が見えた。

 扉が開き、この信号機が青に変わった時が出撃となる。

 

 不意にザザザ、というノイズと共に声が聞こえてきた。

 鎧部隊の隊長が通信機を通じてパイロットたちに最後の注意事項を伝えているのだ。

 

『大隊長オーブリーより各機。敵は数においては圧倒的。練度もおそらく我々よりも高い。忘れるな。我々の戦い方は一撃して離脱だ。編隊を崩さず、速度を落とさず、一斉射浴びせたらすぐに距離を取れ。くれぐれも格闘戦には応じるな。生き残ることを最優先せよ』

 

 それは俺以外のパイロットたちに向けられたものだった。

 アヴァリスの圧倒的な高性能で押し切れる俺と違い、他のパイロットたちが乗っているのは普通の鎧だ。しかも殆どは一、二世代前の旧型機。

 そんな彼らが数で勝るオフリー軍の鎧戦力に対抗するには、常に高速を保ち、突撃と離脱をチマチマ繰り返すほかないのだ。

 数が少ないのは辛いな。

 

 そう思っているうちに艦隊全ての鎧が出撃準備を完了したらしく、巨大な扉がゆっくりと上に跳ね上がるように開いた。

 

 風が吹き込んでくるのが音で分かる。

 

 信号機が青へと変わり、アナウンスが響く。

 

『全機発進!』

 

 アヴァリスの翼からマゼンタ色の炎が噴き出し、機体を前へと押しやる。

 

 俺は勢いよくアリージェントの右舷に飛び出した。

 

 他の味方機も続々と発艦し、空中集合して編隊を組み上げる。

 

 俺の乗るアヴァリスだけが単独で編隊から少し離れた所を並走する。

 味方機と一緒に編隊を組んでも味方機が邪魔で自由に動けないし、そもそもアヴァリスの速度と機動性に味方機が追従できないからだ。

 

『敵艦隊の正面に回り込め!そこが一番火力が薄い。一番上の正面から突っ込んで下に抜けるぞ!』

 

 隊長機の命令で編隊が一つの生き物のように素早く方向転換する。

 アヴァリスだけが一瞬方向転換が遅れて大回りになったが、速度を上げるとたちまち追いつき、追い抜いてしまう。

 

「一番槍は俺だ!」

 

 さらに速度を上げ、全速力でオフリー艦隊目掛けて突撃する。

 

『エステル様!突出しています!』

 

 隊長機がうるさく言ってきたが、無視して突っ走る。

 

 敵艦隊も鎧を発進させたようで、百機近くの鎧が鶴翼のような陣形を形成して待ち構える態勢に入っている。突っ込めば間違いなく斬りかかる前に蜂の巣にされるだろう。

 

 ──上等だ。突き崩してやる。

 

 

◇◇◇

 

 

 ファイアブランド艦隊が鎧部隊を発進させたのを見て、オフリー艦隊も直ちに迎撃機を発進させた。

 

 鎧の火力では飛行船のシールドと装甲を貫くのは難しいが、脅威であることには違いない。ましてや相手は指定危険空賊団を半日と経たずに壊滅させたファイアブランド軍だ。

 

 即応状態だった三十機がすぐに発進し、さらに後続も続々と発進している。

 

 ファイアブランド軍の鎧部隊は一塊になって、艦隊目掛けて正面から突っ込んでくるが、オフリー軍の鎧部隊の展開速度の方が優っていた。

 

(火力が薄い正面から突っ込んで下に抜けるつもりだったのだろうが──そうはいかん)

 

 鎧部隊の指揮官は敵の狙いを正確に読んでいた。

 

 ふと敵機の中に突出してくる一機を見つけた。

 

「新兵か?いやそれにしては速いな」

 

 訝しむ指揮官にどこからか侵入した黒い煙が纏わり付く。

 そして指揮官の頭に誰かの声が響いた。

 

『一番前の機体を破壊しろ。奴が親玉だ。全機一斉射撃で叩き落とせ!』

 

 指揮官はその声の正体について深く考える暇もなく、命令を下す。

 

「間抜けが突っ込んでくるぞ!全機、あの間抜けに照準!一斉射撃で粉微塵にしてやれ!」

 

 指揮官の命令にパイロットたちが戸惑いながらも応で答え、ライフルを構える。

 

 普通なら突出してきた一機に全機で一斉射撃などしない。数機、多くとも十数機ほどで事足りるからだ。

 それでも騎士たちが疑問や反論の一つも口にせずに従ったのはある種の直感だった。

 あの機体は普通じゃない──大きく、飾りではない翼を持ち、光を発するほどの魔力を垂れ流している。そして何よりこの数の鎧相手に平然と突っ込んでくる──化け物か、そうでなくてもとんでもない手練れだと、無意識的に感じていたのだ。

 

 三日月型に展開したオフリー軍の鎧部隊は後続が加わって八十機ほどにまで膨れ上がっていた。

 その全てがエステルの乗るアヴァリスに照準を合わせる。

 

 その壮観な光景に指揮官──の隣にいる案内人は興奮する。

 合図一つで多方向から百発近い弾丸が同時にエステル目掛けて襲いかかるのだ。いくらエステルの鏡花水月でもそんな攻撃には対処し切れないだろう。

 

「さあ来い。ここがお前の死に場所だ、エステル」

 

 そう呟く案内人の期待通り、エステルは圧倒的な鎧の大群を前に怯んだ様子もなく突撃してくる。

 その速度は普通なら狙って当てることなどできそうにないほど速いが、現在の状況では違う。オフリー軍は待ち構える側であり、空中で停止してじっくりと狙いを定めることができる。

 

 そしてアヴァリスが距離三百メートルまで接近してきたその瞬間、指揮官は叫んだ。

 

()ええええええええ!!」

 

 その合図で一斉にライフルが火を噴き、無数の魔弾がアヴァリス目掛けて殺到する。

 

 今更避けようとしたのか、アヴァリスの翼が動きを見せたが、アヴァリスが向きを変えるよりも魔弾の弾着の方が早い。

 

「ふはははは!墜ちろエステルゥゥゥ!」

 

 案内人は高笑いするが──次の瞬間、魔弾は()()()()()()()()()()()()U()()()()した。

 

 予想だにしていなかった事態に殆どの鎧が反応できず、悲鳴一つ上がる間もなく無数の火の花が空中に咲いた。

 少し遅れて無数に重なり合った爆発音が響き渡る。

 ついさっきまでオフリー軍の鎧部隊が陣形を組んで浮かんでいた場所は、一瞬で爆煙と鎧の破片に埋め尽くされていた。

 

「──は?」

 

 案内人は呆気に取られる。

 

 百機近くの鎧が自分たちの撃った弾によって一瞬で壊滅した。

 六割ほどが戻ってきた弾に貫かれて爆散し、三割ほどが戻ってきた弾を躱そうとして失敗し、手足や頭を吹き飛ばされた。

 無傷なのは残りの一割──数機だけだった。

 

 エステルはそのまま急降下で逃げていき、直後に後続のファイアブランド軍の鎧が襲いかかってくる。

 

「いやちょっと待て!どういうことだ!どうしてそんなことができる!?」

 

 狼狽して叫ぶ案内人だが、実のところ頭で分かってはいる。

 空間ごと弾道を捻じ曲げて相手の弾を打ち返す──間違いなくエステルの切り札、【鏡花水月】だ。

 それでも、今まで見てきた鏡花水月の威力及び限界と今起こった現象との間に隔たりがありすぎて、心が納得を拒む。

 

「私の計画が──やっとここまで揃えて──お膳立てしたというのに」

 

 ファイアブランド家の戦力見積もりの改竄でオフリー軍の戦力を増やさせ、更に軍を動かす大義名分のために新たな紛争が起こったという体で他家からも戦力を出させた。

 飛行船、鎧、兵站──総合的な戦力差は当初の予定の三倍から更に増えて五倍にまで達していた。

 

 どう足掻こうがファイアブランド軍は数の暴力の前に敗れるはずだった。

 領地は占領・蹂躙され、総大将であり、開戦を命じたエステルは部下や領民たちから恨まれ、オフリー家によって身柄を拘束され、貴族の血を取り込むための胎にされて地獄の苦しみを味わった後、真実を聞かされて案内人を激しく憎むことになるはずだった。

 

 そして表向きには、「ファイアブランド家は愚かにも他家との新たな抗争を起こし、返り討ちに遭って私設軍を壊滅させられ、領地にまで攻め込まれたものの、利権を守るために出動したオフリー軍の協力を得てどうにか滅亡を免れた。そしてファイアブランド家はオフリー家による軍の駐留という形での防衛力提供と、復興のための経済援助という恩義に報いるべく長女エステルを嫁がせた」──そう処理されるはずだった。

 

 なのに──そのために揃えた戦力の約四割がエステル一人によって一瞬で溶かされた。

 絶対の自信を持って立てた計画が、いよいよ大詰めという所でいきなり前提条件をひっくり返されて破綻した。

 

 案内人は頭を抱えて叫ぶ。

 

「なぜだあああ!どうしてだあああ!!」

 

 

◇◇◇

 

 

 ふと懐かしい声が聞こえた気がした。

 そうか、どこかから案内人が見守ってくれているのか。

 ならこの結果も当然だな。

 

『上手くいったわね!大戦果よ!』

 

 セルカがコックピットに目を出現させて言ってきた。

 その軽やかな声と目の輝きが彼女の興奮ぶりを物語っている。

 無理もない。正直初めて使う、制御できるかも分からない賭け同然の大技が見事に決まったのだ。

 

 鏡花水月の発展型──【鏡花水月・連】は俺とセルカが互いにないものを補い合うことで実現したコンビネーション攻撃だ。

 その内容は至ってシンプル。セルカが照準計算し、俺が発動する、という分業に過ぎないが、その効果は凄まじかった。

 今までは相手の数が多ければ、あるいは複数方向から同時に攻撃されれば、逸らすだけで精一杯でとても打ち返すなんてできなかったが、それができるようになった。

 それこそ四方八方から多数の弾丸を同時に撃ち込まれても、全て放たれた場所目掛けて打ち返す──そんなことだってできてしまう。

 更に、消費した魔力もセルカが補充してくれるというオマケ付き。

 

 考えたのは俺だが、あまりにも凄まじいチートぶりに我ながら戦慄してしまう。

 相手が揃いも揃って空中で停止するという舐めプをしてくれたせいもあるが、一瞬で七十機ほども墜とすことができた。

 

 ──最高だな!!

 

「ああ、すごいぞ!このまま畳み掛けてやる!」

 

 急降下させていた機体を引き起こし、今度は急上昇で下からオフリー艦隊に襲いかかる。

 

 飛行船が大砲を撃ってきたが、難なく全弾躱す。

 

「遅いんだよ!」

 

 そのまま下層の飛行船の隙間を縫って上昇し、最上層を飛んでいた大型飛行戦艦の一隻目掛けて体当たりをかますと──船底部を突き破って船内に飛び込んだ。

 大腿部に差した漆黒の大剣を抜いて周囲を破壊し、弾薬庫を探す。

 

「──ここか!」

 

 大量の砲弾と装薬入りと思しき箱が詰まった部屋に爆弾を投げ込むと、素早く上昇して離脱。天井をいくつか突き破って甲板から飛び出す。

 

 直後、大型飛行戦艦は内部から大爆発を起こして四散した。

 

『主力艦を墜としたぞ!この機を逃すな!押し広げろ!』

 

 大型飛行戦艦が吹き飛んだことで生じた間隙に味方機が突入し、周囲の飛行船を攻撃する。

 

 俺が吹き飛ばした大型飛行戦艦の後ろにいた中型飛行戦艦が被弾して火を噴いた。

 ブリッジを吹き飛ばされて操舵不能になったらしく、急に向きを変えて旋回し始める。

 

 それを避け損なった敵艦が一隻、衝突してくの字型に折れ曲がり、大破した。

 

 一度に二隻を撃墜したが、味方機は欲張らずに上昇して離脱する。

 

 その後ろからオフリー軍の鎧が二十機ほど追ってくるのが見えた。

 どうやら残存機を集めて態勢を立て直したらしく、編隊を組んで味方機を追っている。

 

 ──なるほど、頭を失った途端に総崩れになった空賊とは確かに違う。

 面白い。

 

「セルカ、アレを使うぞ」

『はいな』

 

 アヴァリスの左手にそれが握られる。そして右手には漆黒の大剣。

 これで鎧相手の接近戦の準備は完了だ。

 

 アヴァリスを宙返りで上下反転させると、追ってくるオフリー軍の鎧目掛けて急降下する。

 

 彼らに一言、餞別をくれてやる。

 

「──死ね」

 

 

◇◇◇

 

 

 オフリー艦隊旗艦のブリッジ。

 

 誰もが外で繰り広げられる蹂躙劇にワナワナと拳を震わせていた。

 

「あ、悪魔だ──」

 

 誰かがそう呟いた。

 

 蒼穹をマゼンタ色の光を曳いて飛び回る純白の鎧──その一機だけに六十機を超える数の鎧と主力艦一隻が撃墜された。

 何をやったのか、味方機が撃った弾は当たる直前で跳ね返ったかのように向きを変え、味方機を貫いた。

 同等クラスの飛行戦艦との砲撃戦でなければ沈めることは不可能と謳われた主力艦が、体当たりで船体をぶち破られて内部から爆破された。

 

 あり得ない。あってはならない。

 

「何なんだあいつは!あれではまるで──」

 

 艦隊指揮官のレナード・フォウ・コープは思わず毒づいた。

 純白の鎧の暴れぶりは口にするのも恐ろしいとある化け物を彷彿とさせるものだった。

 

 部下が悲鳴のような声で報告を上げてくる。

 

「敵鎧部隊急速接近!迎撃不能!」

「ヴィクサス、シャヴァリア、大破!」

「鎧部隊は何をやっているんだ!」

「奴らは一塊だ!注視しろ!攻撃を仕掛けてくるタイミングでシールドを集中して耐え凌ぐのだ!後は鎧部隊に任せろ!」

「だから、その鎧部隊が──」

 

 大混乱のブリッジを後目に純白の鎧と後に続くファイアブランド軍の鎧は悠々と高空へ離脱していく。

 そして今更のようにその後を追いかける味方機。

 

 だが──コープは直感で不味いと悟った。

 

「いかん!深追いさせるな!」

 

 しかし、遅かった。

 次の瞬間、ブリッジの天井は何か巨大な物が叩きつけられたように崩落する。


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