『ひええー!何だよこれ!夢でも見てるんじゃないか?入れ食い状態だぞ!』
誰かがそう叫んだ。
その声に呼応するかの如く飛行船が一隻盛大に爆発した。
その周囲でも多数の飛行船が紅蓮の炎へと変貌を遂げている。
炸裂弾や焼夷弾、炎系の攻撃魔法による火災だ。
炎に包まれる飛行船の間を縫って飛ぶのはファイアブランド軍の鎧部隊だ。
その数約四十機。数こそ多いが、殆どは二、三世代前の旧型機で中には作業用機まで混じっていた。
また練度も低く、その飛び方はどこか単調でのろのろとしている。
ただ、武器だけは高性能なライフルと高威力の魔弾、そして多数の爆弾と極めて充実していた。
寄せ集めに強力な武器を持たせただけの、本来ならとても実戦には耐えられないその部隊こそがファイアブランド軍の本命だった。
彼らに課せられた任務はオフリー軍の輸送船団撃滅である。
「私たちが狙うべきは敵の艦隊よりも上陸部隊と補給物資だ。艦隊だけではファイアブランド領に上陸して占領するなんて不可能だし、補給が断たれれば飢えて戦うどころではなくなるからな」
全てはエステルのその言葉が始まりだった。
艦隊決戦で勝負をつけるのではなく、敵の補給を断ち切り無力化する──その方針に則って立てられた作戦は以下のようなものだった。
一. 艦隊による陽動
主力の中型飛行戦艦とその護衛で構成される【第一任務部隊】がオフリー艦隊と交戦する。
これにより、オフリー軍の艦隊と輸送船団を引き離す。
敵戦力を誘引するため、また可能な限り長く戦闘を継続するため、第一任務部隊には稼働可能な艦隊戦力と鎧戦力のほぼ全てを投入する。
二. 敵輸送船団攻撃
第一任務部隊がオフリー艦隊と交戦している間、空賊から鹵獲した飛行船五隻とその護衛で構成される【第二任務部隊】が先行したコルベット部隊と協同してオフリー軍の輸送船団を捜索・撃滅する。
なお、攻撃は全て鎧戦力によって行う。飛行船は戦闘を行わず、搭載能力を活かして目標近くの空域まで鎧戦力を輸送する母艦の役目に徹する。
三. 敵艦隊への総攻撃
第二任務部隊は任務完了後、速やかに離脱し、第一任務部隊と合流する。
両部隊は補給完了後、敵艦隊に再度の攻撃を行い、これを撃滅する。
なお、この作戦の内容を知らされていたのは各部隊の指揮官クラスまでであり、一般兵たちには概要すら知らされなかったため、多くの一般兵──特に第二任務部隊に配属された者たちはなぜ第二任務部隊が第一任務部隊と別れて、敵艦隊から離れていくのかと疑問を抱いた。
中にはその疑問とそこから生じた憤りを上官にぶつける者もいた。
曰く、自分たちは故郷を守るために敵との戦いに参加したのに、全く見当違いの方向に向かわされるとはどういうことだ、と。
だが今や、彼らが抱いた疑問と憤りは歓喜と熱狂に変わっている。
敵の輸送船団が殆ど丸裸のまま密集して進んでいる所に奇襲攻撃をかけることに成功したのだ。
大事な補給物資とファイアブランド領侵攻の主力である上陸部隊にロクな護衛も付けずに艦隊から離れた所を進ませていたオフリー軍の
オフリー軍の輸送船団とて丸腰ではなく、大砲や鎧を搭載し、自衛が可能な【武装商船】で構成されていたのだが、ファイアブランド軍の鎧部隊の前には無力だった。
それもそのはず、自衛が可能とは言ってもそれは
大砲の門数も威力も鎧の搭載数も本職の軍艦には遠く及ばず、ロクな装甲もない。精々「掠奪目的で近づいてくる相手」を威嚇し、襲撃を諦めさせるのが関の山である。
当然、「最初から破壊目的で襲ってくる相手」に対して為す術はない。
しかも相手は四十機もの「鎧」である。
積んであった鎧は相手の数に呑まれて瞬く間に全滅し、大砲は素早く飛び回る鎧相手には全く当たらず、何の役にも立たなかった。
武装商船は撃たれた傍から次々に爆発炎上して海へと墜ちていった。
搭載していた弾薬に引火して木っ端微塵に吹っ飛ぶ飛行船も少なくなかった。
その惨劇を目にして大混乱に陥った輸送船団は我先にと速度を上げ、高度を上げ、向きを変えてオフリー艦隊のいる方向へと逃げ始めた。
その動きはまるで統制が取れておらず、あちこちで空中衝突が起こり、被害は拡大していく。
中には船団から離れて元来た方向に引き返そうとする飛行船や、降伏の印を掲げた飛行船もいたが、例外なく攻撃を浴びて撃墜されていった。
五十隻以上の大船団が、圧倒的に小さな鎧の群れ相手に反撃も逃走も降伏も許されずに一方的に攻撃を浴び、消しようがないほど巨大な炎に焼かれながら墜ちていく──その光景はもはや戦闘とは呼べず、一方的な殺戮と言って良かった。
普通このような戦い方は忌避されるが、ファイアブランド軍には余裕がなかった。
敵輸送船団は助けを呼んだはずであり、すぐに敵艦隊から救援が向かってくるだろう。数的不利を背負っている第一任務部隊にはそれを止める手立てはない。
そして敵の救援が到着すれば、寄せ集めの第二任務部隊ではとても太刀打ちできない。
つまり、何としても敵の救援が到着する前に敵輸送船団を撃滅して逃走しなければならないのだ。
当然、相手が降伏してきたところで武装解除や乗組員の救助、物資の接収などしている暇はなく、無視して攻撃するしかなかった。
「分かってはいたけど──キツいなこれは」
嚮導及び現場指揮のために第二任務部隊に配属されていたダリル・グリーブスは戦況を見て呟いた。
敵輸送船団の発見に少々手間取ったが、作戦は順調、部隊は大戦果を上げている。
それ自体は喜ばしいことだが、こんな残酷なやり方を選ばなければならなかったことには胸が締め付けられる。
燃える船に閉じ込められたまま焼け死んでいくのが、どれだけ苦痛に満ちた惨い死に方か──想像しただけでも気分が悪い。
確かに相手はこれまで様々な悪事に手を染め、ファイアブランド領に空賊をけしかけた憎き敵の軍勢ではあるが──いくら何でもこれは残酷にすぎるのではないか?
ともすれば湧き上がってくるその疑問を必死で抑える。
駄目だ。今は考えては駄目だ。
(皆と──エステル様が作ってくれた絶好のチャンスなんだぞ。それを私情で無駄にすることこそ絶対に許されない!)
ダリルが葛藤を抱えつつもこんな作戦を遂行できているのは、これまで肩を並べてきた仲間と、エステルが第一任務部隊で戦っていることを知っているからだ。
「死んでもいい優秀な者」というのが第一任務部隊に配属された者たちの条件だと、鎧部隊を率いるオーブリー隊長は言っていた。
第二任務部隊が任務を果たす時間を稼ぐために圧倒的な数の敵に挑む第一任務部隊は、恐らく多くの者が戻らない。そしてダリルは「死んではいけない優秀な者」だった。少なくともオーブリー隊長にとっては。
第二任務部隊の鎧部隊隊長に任命され、果たすべき役目を告げられた時は反発した。
ただでさえファイアブランド領の命運を決する戦いで仲間と共に戦えないなど納得できないのに、エステルが第一任務部隊と共にオフリー艦隊と戦うと宣言したからだ。
最前線に出てくる必要すらない、否、出てきてはいけないはずのエステルが陽動部隊の方で戦うのに、なぜ自分は共に戦えないのか、騎士として今こそエステル様と共に戦って助けられた恩を返したい、自分も第一任務部隊にしてください──そう抗議するダリルにオーブリー隊長は言った。
「エステル様は必ずこの戦いを切り抜けるだろう。俺たちを鷹とするならあの方は竜だ。鷹が何羽群がろうが竜は倒せない。あの方は絶対に切り抜けて戻ってくる。だが俺たちは──違う。きっと俺たちの殆どは戻れない。一緒に行けば、お前もきっと戻れない。それでは駄目なんだ!お前はまだ若い。生きて、老いの近い俺たちの代わりにファイアブランド家を支えなきゃならないんだ!エステル様がこの戦いに勝って領主になられた時、腕の立つ騎士が一人も残っていなかったら、あの方もファイアブランド領も苦しい道を歩むことになる。これからのファイアブランド領にはエステル様と、お側で支える優秀な若手が必要だ。ダリル、お前がエステル様のご恩に報いるためにすべきことは、今戦って死ぬことじゃない。これからのファイアブランド領のために生きることだ」
その言葉に叩きのめされ、今でも背中を押されている。
ライフルの照準器を覗き込んで、まだ無傷な武装商船に狙いを定め、引き金を引く。
着弾する一瞬前、甲板の敵兵と目が合ったような気がした。
まだ若い──下手すれば年下かも知れなかった──童顔のその兵士は絶望に染まった顔をしていて、目には涙が浮かんでいた。
しかし、次の瞬間には炎と黒煙が全てを塗り潰した。
瞼の裏にこびりついた敵兵の表情を振り払い、ダリルは別のターゲットを探す。
「先に侵攻してきたのはお前らだ──悪く思わないでくれよ」
◇◇◇
「──何だと?」
通信士からの報告にコープは蒼褪めた。
輸送船団が襲撃されている──それは今回のファイアブランド領侵攻作戦が頓挫の危機にあることを意味する。
輸送船団は今回の作戦を支える兵站の全てだ。
弾薬やエネルギー源の魔石、修理用の資材といった艦隊の補給物資と、ファイアブランド領制圧のための上陸部隊、その上陸部隊の補給物資──それら全てが今敵の攻撃に晒されている。
「すぐに救援を向かわせろ!位置と被害状況は入っているか?」
「位置は本艦隊より東南東三百キロ、被害状況ははっきりしません!」
「くそっ!何たることだ!とにかく救援を急がせろ!」
艦隊の中から速度が出る飛行船が輸送船団のいる方向へと向かっていく。
足の遅い大型艦も鎧部隊を発進させて、輸送船団救援に向かわせる。
ただ、今更救援に向かったところで到着には二時間近くかかるため、救援が間に合う可能性は無に等しい。
救援部隊が到着した頃には敵は輸送船を一隻残らず沈めて逃げ去った後だろう。
それでも、輸送船団救援を無駄だと断じることはできなかった。
まだ助けられるかもしれない、沈められずに拿捕で済んだ飛行船がいるかもしれない、もし一隻も残っていなくても脱出した生存者がいるかもしれない──という一縷の望みに懸けて、オフリー艦隊は輸送船団の援護に向かわなければならなかった。
泣きっ面に蜂とはこのことか、とコープは頭を抱える。
敵から遠ざけるために艦隊から離れた所を進ませていたのが仇になるとは予想していなかった。
何か善後策はないかと考えるコープだが、あらゆるシミュレーションの結果は敗北か撤退だった。
輸送船団が壊滅が決定的になった今、ファイアブランド領侵攻作戦は続行不可能だ。
艦隊の補給物資を失うだけならまだ何とかなるが、上陸部隊を失ってはどうしようもない。
艦隊には地上戦力の代わりは務まらないからだ。
地上戦力なくしてファイアブランド領を占領することはできないし、その先にある領主とその家族の確保や件の機密書類の捜索という目的も果たせない。
──作戦は失敗と断ずるほかない。今回の戦いはこちらの完敗だ。
かといって、おめおめと撤退するわけにもいかない。
戻ったところで待っているのは査問と処分、その先にある騎士としての終わりだ。
頭を抱えるコープの横でもう一人、苦悶している者がいた。
「痛い──胸が──苦しい!くそっ!」
歯を食い縛って胸を押さえる案内人は苦痛で霞む頭を必死で回して打開策を探していた。
このままではエステルからの感謝で消滅させられかねない。
「何かないのか──ここからエステルを絶望させられる手は──」
オフリー軍に自分が加勢するか?無理である。
エステルからの感謝と、それに上乗せされたセルカや、ファイアブランド家の軍人たち、そして領民たちの感謝と好意で案内人の身体は蝕まれ、力は衰えている。とても戦況をひっくり返すほどの影響など与えられはしない。
では自分の目的と正体を明かすか?論外である。
これまでの冒険やオフリー家との戦いは全てエステルを領主にさせるためのことだと言ってしまったのだ。負の感情を抱かせるどころか、下手をすればまた感謝されかねない。
頭を抱える案内人の隣でコープが苦い顔で頭を上げた。
「もはや【保険】に託すしかないのか。くそっ!」
その言葉に案内人は反応する。
「保険?どういうことだ?」
案内人はコープの思考を覗き込む。
するとオフリー家が秘密裏に進めていた別の計画が見えた。
どうやら案内人がファイアブランド領での煽動工作に勤しんでいた間に立てられていたらしく、案内人は存在を知らなかった。
ファイアブランド領に入る商船に紛れ込ませて潜入部隊を送り込み、機を見てファイアブランド家の屋敷を捜索させる、という内容だ。
「これだ!」
案内人は暗闇の中に差し込む一筋の光を見つけたかのように、飛び上がって喜ぶ。
そしてそのままブリッジの天井をすり抜けて飛び出していった。
◇◇◇
ファイアブランド家の屋敷の庭。
木々に紛れて屋敷に接近する一団がいた。
隠密や暗殺を得意とするオフリー家私設の潜入部隊だ。
商船に紛れてファイアブランド領に侵入し、件の機密書類の安否に関する情報収集を行い、可能であれば処分するという任務のために一週間近く前から潜伏していた。
そしてファイアブランド領で行われていた撫民宣伝の内容から件の機密書類がファイアブランド家の手に落ちていることを知り、その処分のために動いていたのだ。
機密書類が保管してあるとすれば屋敷内部だろうと睨んでいたが、生憎警備が厳重で屋敷内部に人が多く、これまで侵入できなかった。
だが、今なら軍がオフリー軍迎撃のために出払い、屋敷に残っている人間は少ない。
「よし、行け」
隊長の指示で数名が同時に風魔法の刃を放つ。
赤い軍服を着た屋敷の番兵が二人、悲鳴一つ上げる間もなく喉笛を切り裂かれて絶命する。
素早く死体を茂みに運び、服と装備品を剥ぎ取る。
二人が番兵になりすまして出入り口を確保し、残りはファイアブランド家の使用人に偽装して屋敷に入り込むのだ。
慣れた手付きで偽装を完了させた潜入部隊は二人の番兵が受け持っていた出入り口の鍵をピッキングし、屋敷の中に侵入する。
目指すは当主の執務室である。
本来なら、事前に内通者から屋敷の見取図を受け取る手筈だったのだが、その内通者は既に裏切りが露見して捕まってしまっていた。
作戦の前提条件だった見取図はなく、道を尋ねることもできないせいで、彼らの進みは遅かった。
加えて屋敷内を巡回する番兵たちの存在が邪魔だった。
侵入を気取られないためにはやり過ごすのが望ましいが、それとて限度があった。
何度目かに出会した番兵に怪しまれて排除する必要に迫られ、死体を隠すのにまた手間を取られる。
焦りの色が見え始める潜入部隊の周囲に黒い煙が忍び寄る。
「ん?何だ?」
隊長が気付いて訝しむと、どこからか声が聞こえてきた。
『東翼屋の二階正面だ。そこに向かえ。早く!』
隊長はその声を自分の直感だと認識した。
「二階に行くぞ。東翼屋から探す」
部下たちが頷き、移動を開始する。
彼らの後を尾ける案内人は彼らの向かう先にいる人物を狙っていた。
その人物を彼らに殺害させれば、エステルの心に消えない傷を残し、勝利の喜びを、引いては自分への感謝を消し去れるだろう、と考えたからだった。
早くしろと潜入部隊を急かす案内人は自分を見ていた存在に気付かなかった。
案内人の背後から彼を見張っていた淡い光が離れて別の場所へと向かっていった。
◇◇◇
夜の闇が朝日に駆逐される前から窓の外を見つめていた。
夜明け前に無数の標識灯を煌めかせて出撃していったファイアブランド軍の艦隊──そこにエステルが乗っている。
今の自分には彼女のためにできることはないが、せめて無事を祈りたいという一心でずっと艦隊の消えていった方角を見つめている。
あのお茶会の日からずっと考えていた。
自分がいるべき場所は──いたい場所はどこなのか。
これまでそんなことは真剣に考えたことがなかった。
いつだって自分のいる場所は周囲が勝手に決めてそこの席を用意してきたのだ。
貴族や騎士の子女の義務として学園に通い、教養を身に付け、卒業した後は領地に戻って父や後を継ぐ兄の仕事を手伝った。
時々父から紹介されてお見合いもした。
結局お見合いはどれも成功しなかったが、いつかは自分も結婚して実家を出て別の家で誰かを支えるのだろう、と思っていた。
そしてその未来に特段何も──嫌だとも楽しみだとも感じなかった。
ただ人生とはそういうものだと思っていた。
自分の身は自分一人のものではない、自分の自由にはならない──そういう諦観が根底にあった。
でもエステルは自分の居場所は自分で考えるように言った。
そしてアーヴリルが出した結論は「エステルの側にいたい」だった。
助けられてばかりで恩返しがしたいとか、自分を含めた配下の騎士に理不尽な仕打ちをしたノックス家よりもこれからエステルがいるファイアブランド家の方が自分の身を捧げるに相応しいとか、そんな貸し借りや合理性の話ではなく、自分を必要としてくれるエステルの側にいたい──という純粋な願いだった。
この戦争が終わって全てが片付いたなら、今度は自分であの方のところに行こう。
自分の意思で、自分の言葉で、はっきり言おう。
貴女に仕官したい、と。
不意に目の前の窓ガラスが淡く光った。
後ろの発光物の映り込みだと気付いたアーヴリルはすぐに後ろを振り向いた。
見ると先日間者を見つけた時に見た光が扉の前に浮かんでいる。
小刻みに揺らぐその姿はまるで助けを求めているかのように見えた。
「お前は──この前の──?」
手を伸ばして触れようとすると光は扉をすり抜けて飛び出してしまう。
「あ、待て!」
慌てて扉を開けて後を追う。
光はまるで小さな犬か猫のような素早さで廊下を走っていく。
その後を走って追いかけるアーヴリルは光が導く先にあるものが何なのか考えるが、エステル、ひいてはファイアブランド領にとってよろしくない存在であることは何となく分かった。
でも、今度は尻込みしない。
エステルの騎士になる者として、エステルに仇なす存在は捕らえるか、排除してみせる。
今度こそ、私は私の誇れる私になってやる。
そう自分に言い聞かせて、アーヴリルは走る。
◇◇◇
東翼屋の二階にあるのはエステルの寝室だ。
そこでいつも通りに部屋の掃除をし、シーツや枕カバーを交換して洗濯物を持っていこうとしていたティナはふと不自然な足音に気付いた。
軍が出払い、エステルも出撃していったことで屋敷にはあまり人がいないはずだが、なぜか十人近くで固まって移動している。
何かおかしいと思ったティナは足音の聞こえてくる方向に向かう。
すると屋敷の使用人の格好をした男たちが階段を上ってくるのが見えた。
ティナを視界に収めても会釈の一つもせず、目線すら合わさずにすれ違う。
そのこと自体は別に不自然ではなく、いつものことだったのだが──彼らの顔は見覚えがなかった。
ティナは屋敷の使用人や番兵全員の顔を知っている。
エステルと共に旅をしていた一ヶ月の間に新たに入ったとは考えにくい。
なのに見覚えがない者が十人近くも集まっているというのはおかしい。
「お待ちください!」
ティナは彼らを呼び止めた。
「貴方たち、見かけない顔ですね。──何者ですか?」
すると相手は立ち止まり、振り向くことなく口を開く。
「我々は──」
瞬間、ティナは猛烈な勢いで横に吹っ飛ばされた。
「んなッ!?馬鹿な!なぜお前がここに来るんだ!」
案内人は叫んだ。
ここに来るなどあり得ない──ずっと部屋でじっとしていたはずの人物がここにいた。
侵入したオフリー家の潜入部隊にティナを殺させることを思いついた時、微かに懸念材料として浮かび上がったのがその人物だった。
だが、その人物は朝からずっと部屋に篭ったまま同じ方向を見つめ続けていて、実際、思考を読んでもエステルが戻ってくるまでそこを動くつもりはないと確認できた。
なのに──彼女はまるで自分の企みを察知していたかのようなタイミングで現れた。
「おのれ!せっかくのチャンスを!こうなったらお前も一緒に殺してやる!」
思わぬ邪魔をされて怒りに震える案内人の身体から黒い煙が発生し、屋敷を包み込んでいく。
倒れたティナは小さな竜巻のような魔法の旋風によって包み込まれていた。
「チッ、
侵入者の一人が毒づく。
その腕には風魔法の魔法陣が浮かんでいた。
ティナは彼の風魔法による攻撃を受けたのだとようやく理解する。
──ならば自分を包んでいるこの旋風は?
その答えはすぐにやってきた。
「無事か!?」
その声の主はティナを庇うように立ちはだかる。
「──ランス様?」
「喋れるならいい。早く誰かに伝えろ。侵入者だ!」
アーヴリルが侵入者たちから目を離さずに旋風結界を消し、ティナを通報に向かわせようとするが──
「危ない!」
ティナは咄嗟にアーヴリルを突き飛ばした。
直後に背後から放たれた氷の矢弾がアーヴリルの側頭部を掠めた。
(しまった!後ろにまだいたのか!)
侵入者たちの後ろにもう二人、仲間がいて背後をカバーしていた。
さっきティナが突き飛ばしてくれなければ氷の矢弾に頭を貫かれていただろう。
彼らの背後に追いついたと思いきや、包囲されたことでアーヴリルは一気に不利になる。
それでも素早く体勢を立て直し、ティナと共に壁を背にして侵入者たちと向かい合う。
「貴様ら──何者だ!」
アーヴリルは大声で問いかけるが、侵入者たちは答えない。
侵入者たちの指揮官と思しき男が身振りで合図すると、侵入者たちは後ろをカバーしていた二人を残して走り去った。
残り二人は剣を抜いたかと思うと一瞬で距離を詰めてくる。
ティナは跳躍して躱し、アーヴリルは魔法でシールドを展開して斬撃を防いだが、侵入者たちは途切れることなく斬撃を繰り出し、距離を取らせない。
展開したシールドは僅か二手打たれただけで砕けて消えてしまった。
すぐに新しいシールドを生成するが、押さえ込まれて尻餅を突いてしまう。
「ランス様!」
ティナが叫んだが、アーヴリルは素早く相手の腹を蹴り上げ、相手の勢いを利用して弾き飛ばした。
力で男性に敵わない以上、力の使い方で対抗する必要があると言い聞かされて学んだ体術が役に立った。
ようやく距離を取ることに成功したアーヴリルは魔法で風の刃を生成して相手に投げつけたが、全て回避されてしまい、お返しに氷の矢弾が飛んできた。
魔法のシールドを張りつつ紙一重で回避するが、それによって攻撃が途切れてしまう。
相手はその隙を突いて距離を詰めてこようとするが、アーヴリルは必死で逃げ回り、牽制の風刃を放つ。
互いに回避し合いながらの風の刃と氷の矢弾の撃ち合いは一進一退の膠着状態になった。
ティナの方は更に不利を強いられ、防戦一方になっている。とても援護など期待できない。
番兵たちは何をやっているのだ、とアーヴリルは内心毒づく。
銃声や叫び声に比べれば静かとはいえ、これだけ魔法を撃ち合っていて、物音はかなり立てている。
それなのに未だに誰一人来る気配もないとは──そう思ったその時、屋敷の中に銃声が響いた。
続いて何発も断続的に銃声が響き、番兵たちのものと思しき怒鳴り声が聞こえてきた。
銃撃戦が始まったらしい。
二人の侵入者が一瞬驚いたような仕草をしたかと思うと、小さな丸い物体を取り出して床に放り投げた。
思わずアーヴリルが飛び退き、顔を保護した次の瞬間、丸い物体が弾けて強烈な閃光を発する。
目眩しの閃光手榴弾だったようだ。
閃光が収まった時には二人の侵入者は見えなくなっていた。
「消えた?──助かったのか?」
アーヴリルが呟いた直後、番兵たちの悲鳴が聞こえてきた。