ホルファート王国王都。
中心市街地にある高級ホテル──その地下にあるグリルにオフリー伯爵家現当主ウェザビー・フォウ・オフリーの姿があった。
オフリー家の息が掛かった者が経営しており、秘匿性という点においては申し分ないこのホテルのさらに奥深くで、彼は待ち合わせ時間の三十分前から部下と共に待ち構えている。
周囲は人払いがされており、彼らだけだ。
その静けさゆえに自分の心臓の鼓動すら鮮明に聞こえ、それが更にウェザビーの焦りを掻き立てる。
努めて冷静を装っているが、心中は嵐のごとく荒れている。
一週間前にファイアブランド領へ派遣した艦隊は、迎撃に出てきたファイアブランド軍に予想外の大敗を喫し、残存部隊は降伏。
ファイアブランド領を占領するどころか、主力艦三隻を含む艦隊と上陸部隊、それらの行動のために用意した物資の大半を喪失してしまった。
このような大惨事になった責任はウェザビーにあるとする声が各地で上がっている。
ファイアブランド家との抗争を演出し、そして敗北を伝えてきたノックス、アクロイド、クレイトン、フォックスの四家、軍事行動の正当化と王宮による介入を防止するため宮廷工作に奔走した味方派閥の宮廷貴族家、鎧戦力と地上戦力を出した傭兵団──ウェザビーが少なからず金をばら撒き、取引と要請と恫喝を織り交ぜて根回しし、それに対して取り分次第と返してきた連中が皆、手の平を返したようにファイアブランド領への侵攻は間違いだったと言い立てている。
ただファイアブランド家に対して武力を行使する決断をしたのはウェザビーであり、傍から見れば援助と引き換えに娘を嫁がせる契約を反故にされて、武力を行使したら無様に負けた、というオフリー家の面子が丸潰れの状況であることから、反論もしづらく、今のところは口止めを兼ねた補償を支払う方向で対処している。
──それだけならまだ良かった。
問題はこちらの軍勢を打ち破ったファイアブランド家が王宮に今回の侵攻を証拠付きで訴えようとしていることだ。
家同士の争いに王宮は介入せず、当事者同士で解決するのが基本だが、今回ばかりは状況が違う。
正式な宣戦前に空賊を尖兵として送り込むという卑劣な騙し打ちと、それ以前から空賊と手を組んで掠奪や密輸で収益を上げていた事実──その証拠をファイアブランド家が然るべき場に提示すれば、王宮とて黙っていない。
介入の内容がどうなるかは未知数だが、どう転んでもオフリー家は多くのものを失うことになる。
良くて落ち目、最悪の場合取り潰されるだろう。
──そんなことは絶対にあってはならない。
今まで自分が、父が、そして支えてくれた多くの部下たちが、何十年もかけて積み重ねてきた全てが砂の城のように崩れ去ることになる。
今は亡き父がその才覚と人脈を総動員して、苦労の末に当時男爵家だったオフリー家の家督を
領地を広げ、開発し、ビジネスの分野と販路を拡大し、貴族社会での後ろ盾を得るために相当な献金と支援をしてきた。
似非貴族と侮られて不利を被らないために軍事力の整備にも注力し、最初は雇われの傭兵ばかりだった私設軍を数十年かけて立派な常備軍にまで鍛え上げた。
その多大な努力の末に、伯爵家の地位を手にするまでに大きくなったオフリー家が田舎の貴族家ひとつによって追い込まれ、落ちぶれることは何としても防がねばならない。
だがそれは言うは易しというものだった。
軍によるファイアブランド領の占領、秘密裏に送り込んだ隠密部隊による証拠書類奪取のいずれも失敗した以上、もはやできることは少ない。
宮廷工作で情報を握り潰すか、王宮に届けられる前に証拠書類を奪取するか──どちらか一方を何としても成功させなければならず、そしてどちらもかなり分の悪い賭けだ。
それでもウェザビーは諦めずに方々に手を回していた。
取れる手段は何でも取り、使えるものは何でも使う覚悟があった。
そして今、ウェザビーは使えるカードの中でも最強級のものを使う準備を進めていた。
「ウェザビー様」
入り口の向こう側からノックと共に太い声が聞こえてくる。
「失礼。客人をお連れ致しました」
「通したまえ」
ウェザビーが許可を出すと、扉が開き、数人の黒服の護衛に囲まれた初老の男がグリルに現れる。
死んだ魚のような光のない目に二メートル近い背丈、黒ずくめの服装が相まって不気味な雰囲気を纏っている。
「この私を呼びつけるとは随分と舐められたものですな」
男がその見た目に違わぬ地を這うような声で皮肉を言う。
ウェザビーも不敵な笑みを浮かべて皮肉で返す。
「だがやってきた。違うかね?ライル君」
ライルと呼ばれた男は無表情のまま部下が引いた椅子に腰掛ける。
「ふん、相変わらず人を食ったお方だ。それで?わざわざファミリーの長たる私を呼びつけるとは、余程の案件なのでしょうな?」
「然り。我々のビジネスにとって好ましからざる影響が出る事態が発生した。君たちのファミリーにもその対処に協力してもらいたい」
二人がファミリーと呼び、一般的には【犯罪ギルド】と呼ばれる巨大な犯罪組織──その情報網こそ、ウェザビーが切れる最強のカードの一つである。
不動産業、武器の密輸、違法薬物の密造・密売、人身売買、高利貸し──様々なビジネスを展開し、王都を裏で牛耳っていると言っても過言ではない巨大な犯罪組織。王都の隅々まで浸透しており、ありとあらゆる場所に彼らの手先がいるとさえ言われる。
オフリー家が短期間でビジネスを拡大し、僅か二代で男爵から伯爵にまで陞爵する快挙を成し遂げられた理由の一つも、このファミリーと商会を通じて繋がりがあったからだった。
そして今ウェザビーと対面しているライルにも、十数年前の跡目争いの時ウェザビーに支援してもらった借りがある。
「──それは先日貴方が行った派兵の失敗のことを仰っているのですかな?」
「そうだ。ファイアブランド家によって派遣した艦隊は壊滅。輸送船も含め、戻ってきた船はない。生き残りは全てファイアブランド家に降ったと見て良い。捕虜返還交渉の打診も黙殺された。奴らは完全にこちらを殺る気だ」
掻い摘んで事情を説明すると、ライルはつまらなさそうな顔で言った。
「まさかあの艦隊が貴家の軍事力の全てというわけでもありますまい。そもそもファイアブランド──でしたか?寡勢で貴家の艦隊を撃破したことは驚きですが、連中に空を渡り貴家の領地に攻め入るほどの力など、あるようには思えませんが?」
一体何をそう怯えているのかという問いかけにウェザビーはかぶりを振った。
「実は開戦に先立ち、ウィングシャーク空賊団を尖兵として送り込んだ。港湾施設の占拠、及びファイアブランド領に向かう商船の拿捕乃至は撃沈を命じたのだが──彼らは三日と保たずに全滅した」
「ほう?それはまた──」
「問題はそこからなのだ。空賊団とのやり取りに使った書類がファイアブランド家の手に落ちた。当主代理がこちらの使者に明言したのだ。このままでは王宮が介入に乗り出してくる。そうなれば、我が家は多くを失う。君たちのファミリーに助力することもできなくなる。この意味が分からぬライル君ではあるまい」
「──とんだヘマをやらかしてくれたものですな。何とも不甲斐ない」
溜息を吐くライルにウェザビーは頷くが、この際それはどうでも良い。
ライルのファミリーに協力を確約させるという目的のため、再度要望を伝える。
「全くもってその通りだが、起こってしまったことは仕方がない。だが、まだ手はある。ファイアブランドの手の者が必ず王都に来る。いや、もう来ているかもしれない。件の書類を持ってだ。奴らが王宮に入る前に確保し、書類を奪取すれば、我々の勝ちだ。だが、そのためには協力が必要なのだ。この王都において人探しにかけては右に出る者がいない君たちの協力がね」
「──つまり、我々にファイアブランド家の関係者を探せ、と?」
「その通りだ。無論、相応の対価は用意する。見つけた者には特別褒賞も用意しよう。そして見つけさえしてくれれば、後は我々がやる。君たちは末端の人手を貸してくれるだけで良い」
ウェザビーの要望を聞いたライルは先ほどまでのつまらなさそうな無表情を渋面に変えた。
「無茶を言ってくれますな。我々とて暇ではないのですが。他のファミリーの手の者による縄張り荒らしに加え、新興のシンジケートの台頭に、トップが替わったせいか憲兵共も不穏な動きを見せている──そんな状況で人手を割いて人探しなど」
「ならば、我がオフリー家と傘下の商会でそちらの対処に協力しよう。我らにはそれに役立つ経済力と人脈、政治力がある。適材適所だろう?何より、困った時はお互い様だ」
ウェザビーの言葉にライルは目を閉じてふっと息を吐いたかと思うと、部下の方を振り返って合図をした。
すかさず部下がシガレットケースから葉巻を取り出してライルに渡すと、早技でマッチを擦った。
勿体ぶったように紫煙を燻らせるライルをウェザビーは辛抱強く待った。
一見一服しているだけの彼が、頭の中で利益を計る天秤を必死で働かせていることを理解していたからである。
昔からこうして考え込む癖があって──そして物分かりが良い。
そしてライルは葉巻を灰皿に置いて、口を開く。
「──やれやれ。どうやら私に選択の余地はないようだ」
大袈裟に溜息を吐くライルだが、その目は真剣なものになっていた。
「よろしいでしょう。我がファミリーの「目」と下請け共を動員しましょう。ただし、我らは訊かれたことに答えるのみ。貴族の暗殺などに加担することはない。覚えておいていただきたい」
「うむ。それで良い。では商談に移ろうではないか」
頷いてウェザビーも煙草に火を点ける。
密室の密談は続く。
◇◇◇
「七年ぶり──か」
窓の外、下界に見える無数の建物の群れを見て思わず呟きが漏れた。
分厚い雲を掻き分けて降下していくファイアブランド家の飛行戦艦アリージェント。そのブリッジから見えるは麗しきホルファート王国の王都だ。
王都を訪れるのはこれで二度目。ティナを買ってもらった時以来だ。
あの時は奴隷商館に行ったほかは高級繁華街を歩いた程度で、すぐに領地に戻ってしまったが、今度は何週間か、下手をすれば数ヶ月の間滞在することになる。
だからといってのんびり観光などしてはいられないが。
町の中央に鎮座する一際大きな建物に目が向く。
王宮── ティナを買ってもらった時は遠目に見ただけだったが、今回はそこに足を踏み入れる。
そこで俺とファイアブランド家の命運は決する。
肌身離さず持っている聖なる首飾りと証拠書類を入れた鞄を思わず握り締める。
ふとその手が冷たいことに気付いた。心なしか指先が震えているようにも見える。
『不安?』
セルカが心配そうな声で言ってくる。
その姿は周囲に溶け込んで見えないが、すぐ隣にいるのが気配で分かる。
(別に。ただの武者震いだ)
そう念を返したが、実質自分に言い聞かせているようなものだ。
王都に行ってすんなりケリが付くわけはない。
オフリー家は死に物狂いで俺たちを探し、どんな手を使っても証拠書類を奪おうとしてくるはずだ。
だが、恐れることはない。粛々とやることをやるだけだ。
別に刺客など脅威ではない。腕の立つ護衛を連れてきているし、俺の周りは常にセルカが目を光らせている。俺自身、空間把握や鏡花水月といった切り札がある。襲われても返り討ちにすることは容易い。
それに今は人質にされるような者も連れてきていない。
ティナもアーヴリルもお袋も弟も領地の屋敷で厳重に守っている。
それに何より、俺には案内人がついている。今までだって、あいつのおかげでどんな危機も切り抜けてこられた。大丈夫だ。俺が負けるはずはない。
──でも、それでもやはり、緊張はする。
アリージェントが接舷し、昇降口が開く。
「ご武運を」
艦長以下、手空きの乗組員の見送りを受けてタラップを降りると、桟橋で待っていた家臣【トレバー・シム】が帽子を取って出迎えた。
「お迎えにあがりました」
「ああ、すまんなトレバー。急な苦労をかけた」
「いえ。お気になさらんでください」
親父がトレバーを気遣う。
彼は親父の最も信頼する家臣だ。先代当主ヴィンセントの代から仕えている古参で忠義者と評判である。俺も政務についての話をだいぶ聞かせてもらった。
そのトレバーを先に王都に送り込んで、滞在及び王宮と神殿への申請準備に当たらせていたのだ。
急な仕事でしかも期限も短かったが、快く引き受けてくれた。
領主の命令に対して拒否などできはしないが、良い働きをしてくれたと思う。終わったら褒美をやるとしよう。
「小型艇を用意してあります。どうぞこちらへ」
トレバーの先導に従って別の桟橋に移動し、バスのような小型の飛行船に乗り込むと、トレバー自らが操縦して離陸し、港を離れた。
向かう先は貴族の屋敷が並ぶ高級住宅街。
そこにかつてカタリナが暮らしていた屋敷があり、そこを今回の王都滞在の拠点にすることにしたのだ。
カタリナが死んだ後、親父は屋敷を売り払おうとしたそうだが、姉たちがそこに待ったをかけた。カタリナと同様、王都に自分用の屋敷を用意させてそこで生活していた彼女たちにとって、カタリナが住んでいた屋敷はかなり魅力的に映ったのだ。
そして今では名義こそ親父だが、姉の一人が住んでいて、時々姉妹での集まりに使われているのだとか。
貴族用の屋敷という拠点が使えるのはこの上なくありがたい。
身の安全という点において家が管理する屋敷はホテルなどより数段上だ。
セキュリティはもちろんのこと、周りには他の貴族の屋敷が並び、そこの守衛や正規軍の部隊の目があるため、オフリー家も荒事に及ぶことができない。
無論だからといって油断は厳禁だが、あるのとないのとでは雲泥の差だ。
小型艇が着陸したのは屋敷の庭だった。
土地代の高い王都で飛行船が着陸できるほど広い庭を持つ屋敷──一体いくらかかったのやらと考えてしまう。
見栄を張って散財するのも悪徳領主の楽しみだが、そのせいで財政が傾いてしまうなど馬鹿馬鹿しいにも程がある。まして自分が欲しいと思ったものでもなく、妻に要求されて用意したものだなんて──胸糞悪い。
だが、気分と事情は別だ。
心を切り替えて席を立ち、タラップを降りる。
下には屋敷の執事が出迎えに来ていた。
「ようこそお越しくださいました。テレンス様。エステル様」
恭しくお辞儀をする初老の執事はサイラスよりも雰囲気が柔らかかった。
初めて見る顔だが、親父は知っているらしく、鷹揚に返事をする。
親父の返事を聞くと、執事は俺の方を向いて自己紹介をしてきた。
「お初にお目にかかりますお嬢様。私はこの屋敷で執事を務めております【ニール】と申します。ご滞在の間は何なりとお申し付けくださいませ」
ニールは笑顔だった。
普通の人間が見れば穏やかで優しい好々爺にしか見えないだろう。
だが、俺にはどうもその笑顔が臭かった。何というか──笑顔の裏に面倒だとか厄介だとか、そんな思いを隠している気配がする。前世の元妻や奴隷商館の店員がしていた顔に似ているのだ。
まあ、今それを追及しても仕方ない。実際突然押しかけた俺たちは厄介者だろう。
「ええ。よろしくお願いします」
俺は努めて笑顔で返した。
屋敷の中で俺たちは書斎の一つと客室の二つを自由に使えることになった。
早速書斎の中で俺と親父とトレバーとで打ち合わせを始める。
「神殿の方は既にアポが取れております。日時は二日後の午前十時。こちらから神殿に出向くことになっております。それと、会談には大神官様が直接お越しになるそうです」
「大神官様が?」
親父が驚いた顔をする。
「はい。何でも、こちらの出した書簡に同封した写真をご覧になった大神官様が是非にと要望されたそうです。これは僥倖かと。大神官様の協力を取り付けられたなら、神殿は我らの後ろ盾としてより確固たるものとなりましょう」
トレバーの言う通り、いきなり神殿の最高権力者と会談ができるとは幸先がいい。
それほどまでに聖なる首飾りが発見されたというのは大きな衝撃だったようだ。
いや、これも案内人のサポートだろうか?
「よくやった。王宮の方はどうだ?」
尋ねると、トレバーの表情が曇る。
「やはりですが、芳しくありません。何分伝手がないものですから、手探り状態です。予備プランの方は難しいかと」
オフリー家の妨害で国王陛下への面会ができなかったり、面会の結果が思わしくなかった場合に備えて、オフリー家の属する派閥と敵対している派閥に情報を流して働きかけをしてもらうという手も考え、トレバーに情報収集をさせていたのだが、上手くいっていないらしい。
尤も、俺はそちらの方はあまり期待していなかったが。
だが、俺とは逆に親父とトレバーは使える手は多いほど良いと考えている。
そのため、宮廷工作以前に情報収集すら進んでいないことに焦りを隠せずにいた。
「一発勝負になる可能性が高いというわけか」
「ええ。何しろ宮廷工作は相手の土俵ですから。今は神殿に期待しつつ地道に続けていくほかないでしょう」
「そうだな。苦労をかけるが、引き続き頼む」
「お任せください。それで神殿の話に戻りますが──」
打ち合わせは日が暮れるまで続いた。
夜。
食堂に呼ばれた俺たちは屋敷の女主人【オフィーリア・フォウ・バイロン】と夕食を共にすることになった。
彼女は俺の伯母であり、祖父ヴィンセントの三女である。
学生時代の同級生であるバイロン子爵家の跡取りと結婚して、夫が王都に用意した屋敷で仕送りをしてもらいながら暮らしていたが、カタリナが死んだのを機に主人がいなくなったこの屋敷に子供たち共々移り住んだ。そう親父から聞いている。
初めて顔を合わせた伯母は、俺のことを随分と「可愛い」だの「賢そう」だのと褒めちぎってきたが、俺の方は込み上げる不快感を抑えるのに必死だった。
産後太りか、食生活のせいか、はたまたその両方か、やつれ気味の親父とは真逆の丸々と肥え太った身体。外に出かけるわけでもないのに厚化粧をして、やたらと豪華なアクセサリーを身につけ、美形のエルフの専属使用人を侍らせている。
そしてこちらを置いてきぼりにして自分の言いたいことばかり延々と喋り、その節々に男を見下しているのが伝わってきた。
コイツも元妻やカタリナや案内人が見せた女たちの同類──男を騙して搾り取る屑女なのだとはっきり分かった。
民から富を搾り取って苦しめる悪徳領主を目指す俺がそんなことを言える義理ではないだろうが、心情的には許せない。
今回の件が終わったら二度と会いたくないし、今だって顔も見たくない。
幸い、オフィーリアの話し相手は親父が引き受けてくれた。
俺は黙々と複雑な気分で運ばれてくる豪華な料理を味わっていたが、メインディッシュが片付いた頃になってオフィーリアが俺に関する話題を口にした。
「それでね、聞いたのよ。戦いの指揮を取ってたのがエステルちゃんで、最前線にもエステルちゃんが出てたんだって。まさかと思うけどそれ本当なの?」
オフィーリアの問いかけに俺は目を合わさずに即答した。
「ええ。全部本当ですよ」
チラッと見るとオフィーリアは開いた口が塞がらないという風にポカンとしていた。
まさか本人に肯定されるとは予想外だったらしい。ただの噂や流言の類だと思っていたのだろう。
「船も大砲も数ではオフリーに遠く及ばず、武器や物資を調達しようにも商人たちはオフリーの圧力とこちらの債務不履行を恐れて取引を渋り、援軍の要請も全て断られたとあっては、戦える者を女子供だという理由で甘やかしている余裕はなかったので」
別に本気で責めているわけではないが、ちょっと皮肉を交えてやった。
伯母たちが嫁いだ家をはじめ、あちこちに援軍の要請を出していた家臣たちが青い顔をして全て断られたと報告してきた時、別に驚きはしなかった。
しなかったが──ほんの一瞬、怒りが湧いた。
そして今オフィーリアと顔を合わせて話を聞いていても、援軍の要請に応えられなかったことへの詫びの一つも出てきていない。
というか、要請を記した手紙を読んでいないようにも思える。
「ああ、そうなのね。その節はごめんなさいね。私は実家の危機を救ってほしいとお願いしたのだけど、夫も義父さんも頑として認めてくれなくって」
──嘘だな。本当なら手を尽くしたが駄目だった旨の手紙くらい寄越すだろう。
大体この屋敷で暮らしていてどうやってお願いしたというのやら。
それにやるべきはお願いじゃなくて説得だろうに。
「ええ。非難しているわけではありませんよ。相手は伯爵家です。その判断は家の長として妥当です。それに結局は私たちだけでオフリーの軍勢は撃退しましたし、どのみち結果に変わりはなかったでしょう」
そして俺はナプキンで口元を拭いて席を立った。
「ご馳走様でした。満腹になりましたので、私はこれで失礼します」
「ちょっとエステルちゃん!?デザートがまだあるのよ?」
オフィーリアが呼び止める声が聞こえてきたが、結構ですと返して食堂を出た。
満腹だったのは本当だ。
◇◇◇
二日後。
俺と親父は護衛と共に屋敷から拝借した馬車で神殿に向かった。
神殿は王都を流れる川の中洲に鎮座する宮殿を思わせる壮麗な建物だった。
幾つもの尖塔を空に向けて突き出し、窓は色とりどりのステンドグラス、屋上には無数の彫刻が並んでいる。
約束の時間より三十分も前に着いてしまったが、衛兵たちは俺たちの訪問を前もって聞き及んでいたらしく、すんなり門を開けた。
馬車を降りて護衛と別れ、出迎えに来た神官の先導で応接室へと歩く。
「大神官様は間もなくおいでになります。しばしここでお待ちください」
案内してきた神官はそう言って退出していった。
入れ替わりに別の神官が入ってきてお茶を出した。
セルカがすかさず毒見をする。
『大丈夫よ。何も入ってないわ』
セルカのお墨付きを得てカップを口に運ぶ。
飲んだことのない味だが、何の銘柄だろうか。香りが割と好みだ。
壁の柱時計を見ると針は九時四十五分を指していた。
前世からの習慣で五分前行動になるように早めに屋敷を出たのだが、さすがに少し早すぎただろうか。
心象が悪くなるなんてことはないだろうが──
そう思った直後、扉が勢いよく開き、豪奢な服に身を包んだ高位の神官たちがぞろぞろと入ってきた。
親父がすかさず立ち上がり、礼をする。
俺も親父に促されて頭を下げた。
「頭をお上げください」
静かなバリトンでそう発したのは一際装飾の多い服を纏った大神官様だった。
慈愛に満ちた笑顔を浮かべているが、その目は笑っていない。
──やはりコイツも権力争いだか利権争いだかに明け暮れる政治家の面をしている。
でも、だからこそ好都合だ。下手に清廉潔白だったら、世俗の争いには関わらないとか言ってきそうだし。
「遠路はるばるの来訪に感謝しております。あまりもてなしもできず、申し訳ない」
「滅相もない。大神官様直々に応対して頂けるなど恐悦至極。そも神殿に接待を求めるなど畏れ多いことにございます」
俺を置いてきぼりにして大神官と親父が挨拶と自己紹介を交わす。
誰も年端も行かない少女である俺を見ていない。むしろ場違いだという空気を感じる。
大神官と親父のしばしの社交辞令を経て、大神官が切り出した。
「貴方方から送られてきた写真を見た瞬間、直感で判ったのですよ。
一瞬、部屋が剣呑な空気に満たされる。
持ってきていない、あるいは偽物だったなら──分かっているな?と、言外にそう言われている。
親父は気圧されて冷や汗を浮かべながら頷く。
「は、はい。もちろん、こちらに持参しております。エステル」
親父に促されて、俺は鞄から聖なる首飾りの入った箱を取り出した。
そっと蓋を開けると、神官たちの目が中に釘付けになる。
「「「おお!」」」
「「「これは!」」」
口々に声を上げて目を見開く。
大神官が恭しい動作で首飾りを取り出すと、隅々まで検分する。
「うむ、間違いない。伝承の通りだ。よもや私の代で見つかるとは──」
大神官は溢れ出た涙を拭うと、こちらに向き直った。
「よくぞ──よくぞ見つけて届けてくだされた。空賊によって持ち去られて以来、幾度もの捜索も虚しく、もはや再び見ることは叶わぬやもと思われた大切な宝を──貴方の行いは神殿と王国への多大な貢献です。神殿を代表し、厚く御礼申し上げる」
大神官からの謝辞に親父はかぶりを振った。
「いえ、その賛辞は娘に」
そして俺の方を指し示す。
若干怪訝な表情になる神官たちに親父は空賊退治と首飾りの発見の真相を語り始めた。
「空賊を討伐したのは娘です。私の娘にしてファイアブランド子爵家の長女、エステルが自ら鎧を駆り、軍を率いて戦ったのです。神殿の宝を持っていた空賊の頭領もエステルが一騎討ちで討ち取りました。私は首飾りをこの場に届ける助けになったのみ。讃えられるべきは私ではなく、彼女です」
親父の言葉で初めて神官たちが俺に目を向けた。
「なんと──」
大神官は言葉を失ったようだった。
その目は明らかにこちらを疑っているが、今更突っ込む気はないようだ。
あるいはどこから突っ込んだものか考えあぐねているのかもしれない。
しかし、親父もよくそれを言う気になったものだな。
場の空気を壊さないために自分の功績ということにしておくのかとも思ったが。
「神聖なる神殿で虚偽を語ることはできません。神殿の宝を神殿に無事お返しできたのは娘のおかげです」
──なるほどな。今ここでそれをやってもいずれ真相が明るみに出れば却って立場を悪くするからか。
先が見える奴は嫌いじゃない。
「そうでありましたか。これは失礼をした。エステル殿、これまでの非礼を謝罪します。そして改めて貴女の貢献に対し、無上の感謝を。ついてはこの貢献に報いるため、貴女方二人を神殿騎士に叙任したいと思うが、いかがだろうか?」
──来た。
神殿が褒章を提示してくるタイミングを待っていた。
「身に余る光栄です。大神官様。ですが──私どもの望みは神殿での地位や名誉ではございません」
大神官の顔が一瞬強張ったが、すぐに微笑みを貼り付けて問いかけてきた。
「何か──他の見返りを望む、と?」
「はい」
「──聞きましょう」
一呼吸置いて、俺は願い出る。
「我がファイアブランド家にご助力頂きたいのです」