凱旋の日は天が空気を読んだのか、爽やかな晴れだった。
港島には大勢の領民が詰めかけて大歓声を上げて入港するアリージェントを迎える。
昇降口から出た俺が領民たちの前に姿を見せると、一際盛大な歓声が上がり、その声は俺の乗った小型艇が港島から離れるまで衰える気配を見せなかった。
二ヶ月半ぶりの屋敷に戻った後、ささやかな戦勝祝賀会が催された。
金がないと勝利も盛大に祝えないと俺は思い知って、何としても領地を豊かにすると決意を新たにした。
時間はかかるだろうが、必ず成し遂げて、その後税金をたっぷり搾り取って贅沢豪遊してやる。
取り敢えず採掘権が戻った資源と、セルカと組んでの財宝サルベージで稼いで、それで得た金を領内のインフラ整備と資源調査及び開発に投資しよう。
生産性と技術力の向上による競争力の強化、雇用の創出と内需の拡大──前世で会社の業務効率化だの生産性向上だのを考えていた経験と、聞きかじった経済学の知識が多少は役に立つかもしれない。
そういえばそれで上手くやって大成功するのを「内政チート」というのだったか──前世で新田君が饒舌に語っていたことがあったな。
まあ、技術水準や産業構造、社会のあり方や人間の価値観すらも、現代日本とはまるで異なる異世界で現代知識がどこまで役に立つのかは分からないが。
ともかく、やれるだけやってやろう。
この領地の領主は俺だ。王宮から正式に認められるのは学園を卒業してからだが、親父との間に交わした約束は直ちに履行させる。多少強引にしてでもなるべく早くに領地を豊かにしたいからな。
そんなことを思いながら俺は王都で買ってきた葡萄ジュースを引っ掛ける。
周りはワインの樽を開けて乾杯して飲んでいるのに、俺だけジュースなのが癪に障る。まだ十二歳だから仕方ないことではあるけれども。
早く生ビールが飲みたい。前世で仕事終わりに飲みに行った時みたいに、ジョッキをカン!と突き合わせて──あれ、楽しかったなぁ。
祝賀会が終わり、皆がそれぞれの住処へと引き上げていったのは夜もだいぶ更けてからだった。
「お疲れ様でした。お嬢様」
俺にはティナが迎えに来てくれた。
祝賀会では他の使用人に混じって給仕をやっていたせいで一緒にいられなくて残念だったが、その行動と笑顔一つで許せてしまうのだからずるい。
「お前もな」
そう返すと、ティナが少し目を見開く。
「お嬢様──少し、変わられましたね」
「変わった?どこが?」
「雰囲気、でしょうか。どことなく大きくなられた気がします」
「──そうか」
そう見えたのなら、それは俺が子供の身体だからだろう。
前世で子供がいたから分かる。子供は本当に成長が早くて、ちょっと見ないうちに様変わりしているものだからな。
あっという間に言葉を覚えて、立ち上がって、そこら中走り回るようになって、本を読んで、俺が知らないことまでいつの間にか知っていて──やめよう。嫌な記憶が蘇ってしまう。
なぜか口元が緩みそうになるのを引き締めて、ティナの手を握る。
「それより、今夜は久しぶりだからさ──したい」
「はい」
ティナはにっこり笑って手を握り返してきた。
◇◇◇
翌日。
今や俺の仕事場になった執務室で、俺は戦後処理に取り掛かっていた。
従軍した者たちの論功行賞、空賊及びオフリー軍から得た戦利品の処分と捕虜の処遇に関する手配、戦死した者たちの遺族への補償、などなど。次々に執務室に届けられる書類を確認してはサインをしていく。
既に大筋は決めて指示してあり、細かいことは部下たちが規定に則って、あるいは協議の上で決めて書類にまとめているので、俺はそれらを追認するだけだ。
親父から領主の地位を奪い取ってその椅子に座ったばかりの俺が下手に細かく口出ししても部下たちが反発しかねないしな。
昼まで書類仕事を続けてそろそろ休憩しようかと思っていた頃に扉がノックされた。
「失礼、エステル様。お耳に入れたいことが」
「入れ」
入ってきたのは艦隊指揮官の騎士だった。
三角帽子を取って一礼した艦隊指揮官は強張った表情で言った。
「投降してきたオフリー軍の指揮官が当家当主に面会したいと言っております。いかがなされますか?」
「何の用があってそんなことを言ってくるんだ?命乞いか?」
「いえ、それはないかと。我々は彼らを虐待などしておりませんし、食事と寝床は充分に与えております。おそらく今後の処遇に関しての陳情と思われます」
陳情だと?解放してくれとでも言うつもりか?生憎と俺はそんなに優しくはない。
オフリー軍によって鎧が三十一機、コルベット三隻、フリゲート二隻が撃墜され、艦隊同士の砲戦で全ての艦が大なり小なり損傷を受け、百人を超える死傷者が出た。
戦いそのものは勝ったとはいえ、受けた損害は日本円にすれば億でも済まないレベルである。
この損害はオフリー家に賠償請求したいところだが、そのオフリー家は取り潰され、資産は王宮が持っていってしまった。
一応、昔オフリー家に売られた資源の採掘権が戻ったのと、こちらが押さえている艦艇や鎧、物資などは取りに来るのが面倒だったのか、こちらに譲渡された。だが、その程度では全く釣り合わない。
なので足りない分はオフリー軍の捕虜たちに働いて返してもらうつもりでいる。
さしあたり資源採掘と港の再整備にでも送り込んでやるか。
却下しようとしたが──ふと思いついた。
敢えてここは陳情を聞く優しい奴を演じておいて、いざ陳情されたら即答で断り、絶望する相手の顔を見るのも悪くない。
「そうだな。聞くだけならタダだ。聞いてやろう。ここに連れてこい」
「はっ。直ちに」
艦隊指揮官は出て行き、しばらくして髭を蓄えた大男と護衛の兵士たちを連れて戻ってきた。
オフリー軍の指揮官だという大男は、収容所に閉じ込められたまま散髪もできなかったのか、髪が伸びて髭も手入れができていなかった。
大男は俺を見て一瞬驚いた表情になるが、すぐに一礼して挨拶をしてくる。
「このような見苦しい姿で申し訳ない。私はオフリー伯爵家艦隊指揮官レナード・フォウ・コープと申します。本日は提案があって参りました」
提案だと?
意表を突かれて俺は思わずコープに問いかける。
「どんな提案だ?」
「私を使ってはみませぬか?」
──は?
使う?敵将のお前を、俺が?
「何のつもりだ?お前は敵将だろうが」
「はい。ですが今の私は仕える主を失った根無草です。もはやどこにも行き場はございません。領に戻ったところで主たるオフリー伯爵は既に亡く、そこには敗将を恨む者たちが残るだけでしょう。もはや貴女だけが頼りです。エステル様。確かに私は貴女の軍に敗れました。ですが、私がオフリー伯爵家において艦隊指揮官を務めてきた経験と知識、技術、そして実際に空賊団と交戦し、勝利してきた実績は本物です。必ずや貴女のお役に立ってみせましょう。どうか、この提案を受け入れて頂けないでしょうか」
頭を下げるコープを俺は鼻で笑って──
「断る」
はっきりと言い放った。
「自分の保身のために主君を裏切って敵に降り、主君が負けたと分かると敵に取り入ろうとする。おまけに自分の指揮で戦い、同様に捕虜となった部下たちのことは全く出てこない──そんな奴を私が信用するとでも思ったのか?生憎と私はそういう奴が一番嫌いなんだ」
一度人を裏切った奴は何回でも裏切りよる──というのは誰の言葉だったか。
コイツのやっていることはまさにそれだ。旗色が悪くなるとすぐに敵に降り、自分の都合で主を変える。
そんな奴を部下にしたところでいずれまた今回と同じことをするだろう。
それに、コイツが指揮していた艦隊との戦いで多くの犠牲を出した俺の部下たちが、コイツの指揮下で働くなど受け入れるわけがない。
少なくとも俺が部下たちの立場なら絶対にコイツを信用できないし、何ならコイツを召し抱えた領主を疑う。
つまり、コイツを召し抱えることはいつ爆発するか分からない爆弾を家に置くことに等しい。
領主の地位を手に入れて、これから領地を発展させていくという時にそんなことできるわけがない。
「お、お待ちください!違うのです!これはあくまでも──」
「言い訳は聞かない。さっさとコイツを摘み出せ!」
見苦しく食い下がるコープを遮って、兵士たちに合図をする。
「お願いです!エステル様!何卒!何卒お聞き入れを!」
「うるさいぞ貴様!」
「捕虜の分際で生意気な口を叩くな!」
兵士たちに怒鳴られ、両脇を掴まれて連行されていくコープが廊下へと消えていく頃には俺の腹は決まっていた。
「シベリア送りだ」
「は?しべりあ?それはどういう意味でしょうか?」
残っていた艦隊指揮官が問いかけてくる。
「奴は北方の未開領域の開拓に投入してやる。それまでは取り返した鉱山で働かせておけ。他の捕虜はもういらん。オフリー領に送り返せ」
「はっ。そのように手配致します」
考えてみれば、捕虜たちを働かせるにしても衣食住の確保に給料の支払い、監視体制の維持とかなりのコストがかかる。
今の段階でそこまでして大勢を抑留しておく余裕はないし、コストを切り詰めて使い潰すにしても、何かの拍子にそれが他所に知られたら悪評が立って面倒なことになりかねない。
なら、もう釈放してやった方が互いにとって得だ。
敗将として行き場を失ったコープと違って、他の捕虜たちは殆ど何も知らないまま駆り出された下っ端の騎士や兵士──別の仕官先や帰る場所はあるだろう。
全く、時間を無駄にした。
俺は気分直しにティナにお茶の用意を命じて、書類仕事を再開した。
◇◇◇
王都。
その共同墓地の片隅に案内人は立っていた。
逃げた先でオフリー伯爵家取り潰しの報を聞きつけて王都に戻ってきた案内人は、残された怨念の残滓を辿って処刑された当主ウェザビーとその跡取りが葬られた場所を探し当てたのだ。
雪を被った墓標の周囲には黒い霧のようなものが立ち込めていた。
絶望の中で死んだウェザビーたちの怨念だ。
案内人が怨念に手をかざすと、怨念は案内人の身体に吸い込まれていった。
外から見えていたよりも怨念は強く、膨大だったようで、吸い込んでも吸い込んでも後から後から噴き出してくる。
エステルの感謝による身体を焼かれるような痛みが和らぎ、力が戻ってくるのが分かる。
「お前にはガッカリした。だがお前とお前の仲間たちの絶望と怒りと恨みと悲しみのおかげで少しは力が戻った。もっともっと、お前の一族郎党関係者からも負の感情を集めて──それで私はエステルに復讐する」
怨念を吸い尽くした案内人はその場を去り、次の目的地へと向かう。
取り潰されたオフリー伯爵家の残党は身分と財産を失って王国各地に散っている。彼らのもとを巡り、負の感情を可能な限り掻き集めなければならない。
そしてその後は──
「私の手で殺せるまでに力を戻すには何年かかるか分からない。今回回収した分は投資に回そう。エステルを倒せそうな奴を見つけて、そいつに力を与え、エステルと敵対するように持っていく。差し当たり強力な手駒を潰された侯爵に、支援者を失った犯罪組織、繋がりのあった外国もいいな。元凶たるファイアブランドの名は既に広まり始めている。彼らがファイアブランド家を敵視し、潰すために動けば、いくらエステルであろうとも──これだ。これでエステルを──ふふふ、せいぜいしばらくの間は勝利に酔いしれているがいい。その先にはとびっきりの地獄を用意してやろう」
ズキズキと痛む胸を押さえ、足取りがおぼつかないながらも案内人は笑みを浮かべる。
その後を犬の形をした光が尾けていく。
◇◇◇
一ヶ月もすると戦後処理もひと段落ついて落ち着きが戻ってきた。
まだ忙しいところもあるが、俺は執務室で優雅にティータイムを楽しむくらいの余裕はできている。
部下たちが忙しく働く中でノンビリと飲む紅茶は美味いな。
「最低の台詞ね」
セルカが
人間に姿を変えられるようになり、声を発し、表情が作れるようになって、テレパシーで会話することはなくなっているが、心の声は変わらず聞こえるらしい。
「仕方ないだろ。俺は偉いんだから。というか、随分表情豊かになったじゃないか」
「練習したのよ。表情がなってないとこの顔も美しく見えないでしょう?せっかく貴女の従者になったのだし、貴女に恥はかかせられないわ」
「そうか。それはお疲れさん」
労いの言葉をかけて紅茶を飲み干すと、扉がノックされた。
「エステル様。サイラスでございます」
「入れ」
「失礼致します」
サイラスが入ってくると、報告したいことがあると言う。
「どうした?」
「ランス様が二人でお話ししたいことがあると仰っています。外でお待ちです」
アーヴリルが?スカウトへの返事だろうか。
「分かった。通せ」
サイラスが頷き、アーヴリルが部屋に入ってくる。
そしてサイラスとセルカが出て行き、二人きりになる。
「お時間を頂きありがとうございます」
「気にするな。休憩中だったんだ。それで、話したいことって何だ?」
問いかけると、アーヴリルは姿勢を正して頭を下げた。
「エステル様──先日の仕官のお誘い、ありがたくお受けさせて頂きたく思います」
やはりだった。
俺は立ち上がり、手を差し出す。
「ありがとう。よろしく頼む」
「はい。こちらこそよろしくお願い致します」
アーヴリルが手を握ってきた。
握手が終わって手を離すと、アーヴリルが願い出る。
「つきましてはエステル様、私に一週間の暇をください。実家に戻って家族に──妹に事の顛末を聞かせた後、必要な手筈を整えて参ります」
「分かった。飛行船を一隻用意させる。それに乗って行くといい」
「ありがとうございます」
再び頭を下げるアーヴリルに俺は宣告する。
「戻ってきたらお前には私の身辺警護に就いてもらう。これからの業務のためにも、一週間で全て片付けてこい」
「はい。必ず」
アーヴリルは力強く頷き、部屋を辞した。
そしてその日のうちに用意させた俺の飛行船に乗って出発していった。
◇◇◇
四月。
雪解けが始まった頃、俺は十三歳になった。前世でいうなら中学一年生。
鏡の前で自分の姿を見て──
「──小さい」
思わず不満が漏れた。
身長は十二歳の時から殆ど伸びていない。
これから伸びるのかもしれないが、いつになるやら。それまで威厳がまるで感じられないこの姿でいるのはもどかしい。
「まあまあ、せっかくの誕生日なんだし、不機嫌でいたらもったいないわよ」
「そうですよ。今日は雪解け祭りもあるんですから」
セルカとティナが窘めてくる。
その後ろにはファイアブランド家への所属を示す赤い軍服に身を包んだアーヴリルの姿もある。
今この場にいる美女三人の中で一際背が高いアーヴリルに俺は問いかける。
「なあアーヴリル。高身長を手に入れるにはどうしたらいい?」
「えぇ?私に訊かれましても──」
たじろぐアーヴリルだが、俺は食い下がる。
「何でもいい。何を食べていたとか、何を飲んでいたとか、何か特別な鍛錬をしていたとか──何か覚えていないのか?」
「そう言われましても──魚が大きく丈夫な身体を作ってくれると母に聞いたくらいです。ですが、その──私は魚が苦手でして」
魚なら割と頻繁に食べている。領内に点在する湖で獲れた新鮮なものが入ってくるのだ。
その俺が伸びなくて、魚が苦手なアーヴリルは百八十センチ近い長身。
やはり遺伝か?遺伝なのか?
「駄目かぁ」
「お役に立てず申し訳ありません」
落胆する俺を見てアーヴリルまで俯き気味になる。
それにしてもこいつ、ここに来てから随分としおらしくなったような気がするな。
出会った当初は常に何となく張り詰めた空気を纏っていたのに。
否、おそらく今のが本来の性格なのだろう。
「気にするな。俺の背が伸びないのは俺自身の問題だからな」
「きっと成長期が遅いだけよ。きっとこれから伸びるわ。この領地みたいにね」
セルカの言葉通り、冬の間にファイアブランド領は躍進の準備を進めていた。
四度に渡る財宝サルベージであの沈没船の財宝を取り尽くし、それらを売って得た莫大な資金を投下する公共事業の計画も作成済み。
あとは動き出すだけだ。
「文字通り春が来るってところか」
「ええ。その号令を今日発するのでしょう?雪解け祭りで」
「そうだな」
雪解け祭りは春の訪れを祝うファイアブランド領の伝統行事で、毎年領主も参加している。
俺にとっては領主として参加する初の行事。そこで俺が新しい領主になったことと、これからのファイアブランド領の躍進を印象付けさせるため、思い切り派手に大規模にやろうと多額の出資をしている。
「きっと皆大盛り上がりですね。今日のお嬢様はすごくお綺麗ですから」
「あ、ああ──そうか。ありがとう」
ティナが褒めてくるので取り敢えず礼を言っておく。
肩甲骨辺りまで伸びた髪を洒落たアップにセットしてくれたのは彼女である。
おかげで今着ているどこかの民族衣装みたいなカラフルな服も着こなせている──と思う。
俺はいつものお洒落着でいいやと思っていたが、お袋がせっかくの大きな祭りなのだからと言って渡してきたのだ。何でも四ヶ月かけてお袋が一人で作った上等な服らしく、断れなかった。
元男として自分は何をやっているのだろうかという思いはある。
だが、何年も女性として生きてきて、こういうおめかしにも抵抗感がなくなってきたのは事実だ。少しずつ、心が女性に近付いているのかもしれない。
以前はそれがとてつもなく怖くて、泣きたくなるくらい嫌だった。
でも今は──どこか落ち着いて考えられるようになった。この顔も、この身体も、この声も、この髪も、使い方次第で強力な武器になる──そう思えるようにもなった。まだ積極的に使う気にはなれないけどな。
何だかんだで女性として生まれたことを前向きに捉えられるようになりつつあるということなのだろう。
これも数年前にニコラ師匠に貰った言葉のおかげだ。師匠は元気にしているだろうか。
思いを馳せていると、アーヴリルが懐中時計を確認して急かしてくる。
「エステル様。そろそろ出発しませんと」
「ああ分かった」
腹を括って部屋を出ると、両親と弟、サイラスに護衛の兵士たちが待っていた。
全員が一瞬息を呑んだのが分かる。
「綺麗よ。エステル」
お袋が若干涙ぐみながら褒めてくる。
「ありがとう」
他の連中も口々に俺を褒めちぎり始める。
「あのエステル様が──このような晴れ姿を見られて感無量ですぞ」
「ええ。よくお似合いです」
「春を迎える祭りにはこれ以上ない装いですな」
「お姉ちゃんすごく綺麗だよ」
むず痒くなるからやめて欲しい──とは言えず、俺は褒め殺しを甘んじて受けた。
「さ、では行きましょう」
お袋が馬車を停めた玄関の方を示す。
祭りが行われる街の広場には既に多くの領民たちが押しかけてきていた。
広場の一端に置かれた舞台で、俺は祭りの開会の挨拶をやることになっている。
アーヴリルに付き添われて舞台に上がると、領民たちが歓声を上げる。
ひとしきり彼らに歓声を上げさせておいてから、手で合図して静かにさせる。
広場が静かになると、俺は口を開く。
「ファイアブランドの民たち、よく集まってくれた。私はこのファイアブランド領の新しい領主、エステル・フォウ・ファイアブランド。領地を治める者として、今日この場に立てることを光栄に思う」
ありきたりな挨拶から始まり、俺は過去のことに思いを馳せる。
「私が初めて屋敷を出て、この街に来た時のことは昨日のことのように覚えている。その日は夏だったが、冬のように冷たく、寂れた空気が満ちていた。それはこのファイアブランド領が長きに渡って冬の時代にあったからに他ならない。凍てつく雪も氷もない、されど常に懐は寒く、活力を奪われ、領地全体がゆっくりと死に追いやられていく見えない冬に、我々はずっと晒されていた。挙げ句の果てには空賊と伯爵を僭称する者の軍が襲来するという大きな嵐もあった。その全てに我々はただひたすらに耐えた。だが!それももう終わりだ。今年の雪解けに呼応して、長く続いた冬の寒さに縮こまっていたファイアブランド領は立ち上がる。その先に豊かな未来を見据えて歩き出す。かつてこの地に未開の大地を切り開いて、この街を築いた先人たちのように。この雪解け祭りはファイアブランド領に二つの意味で冬の終わり、春の訪れを告げる特別なものとなる。この祭りに集まってくれた全ての者たち、存分に楽しみ、そしてこれからの躍進の時に向けて英気を養って欲しい。これをもって、今年の雪解け祭り開会の挨拶とする」
俺の演説が終わると、先ほどよりも大きな歓声が上がり、空気を震わせる。
舞台から降りてティナたちのところへ戻ると、拍手で出迎えてくれた。
「お疲れ様です。お嬢様」
「お疲れ様でした。エステル様」
「お疲れ様。いい演説だったわね」
「当然だ。一晩かけて考えたからな」
今回の演説はセルカの入れ知恵なしで俺が自分で考えた。
レッドグレイブ公爵に夢の話をした時に比べればこの程度はチョロい。
「おかげで大盛り上がりですね。さすがお嬢様です」
ティナの言う通り、広場は活気に包まれていた。
出店には美味しそうな料理やお菓子が並び、それらを買い求める人々の表情は明るい。
ここ最近物不足はどんどん解消に向かっているとの報告は受けていたが、目の前の光景を見ると実感が湧いてくる。
「さ、私たちも行きましょう。せっかくのお祭り、楽しまないと」
セルカが広場の出店の方を指差した。
「ああ。そうだな。どれから行こうか」
「それでしたら、あのシナモンロールのお店はいかがでしょうか?本店が最近繁盛していると聞いています」
「いいな。行くか」
「賛成!」
ティナ、セルカ、そしてアーヴリルと一緒に賑やかになった広場に足を踏み入れる。
「スタートは順調、か」
思わず口元が緩み、呟きが漏れる。
ここが俺のスタートライン。
これで俺の
ここから本格的に第二の人生が始まる。
目指すは誰もが恐れる悪徳領主だ。