俺は天空国家の悪徳領主!   作:鈴名ひまり

45 / 76
アーヴリルの帰郷

 ノックス子爵領。

 

 港の桟橋に小さな飛行船がやってきた。

 

 人夫が舫綱をかけると、昇降口が開き、降りてくるのはアーヴリルだった。

 

 硬貨を一枚人夫に渡すとさっさと桟橋を後にし、管理所で停泊料を納めてから港を出て街道を歩き出した。 

 

 他に人通りはなく、静寂の中に水っぽい足音だけが響く。

 

 舗装されていない道は雪でぬかるみ、街道沿いの森はすっかり葉を落としていた。

 出てきた時からすっかり変わった景色に時の流れを感じさせられる。

 

(ざっと半年ぶり、か)

 

 もう何年も帰ってきていないような気がするが、数えてみるとそれくらいで少し驚く。

 

 思い返せばかつてないほど濃密な日々だった。

 

 アクロイド領へと向かったリックを追って家を飛び出し、飛行船を手に入れてアクロイド領へ渡り、そこでエステルと出会い、共に冒険をし、ファイアブランド領に客人として滞在し、侵入してきた敵と戦い、攫われたエステルの家族と専属使用人を救い出した。

 

 一つ目の怪物に捕まって拷問されたり、氷魔法の使い手と渡り合ったり、アンデッドと化した敵に刺されかけたりといった危機もあった。

 

 だが無事に生き延びて、そして心から仕えたいと思える主君にも出会えた。

 

 そして今、その日々に決着をつけて新たな道へと踏み出すためにここに戻ってきた。

 

 リックが殺されたことは既に伝わっているだろう。

 誰もやらないのなら自分がリックに罰を下すという書き置きを残して家を飛び出した私は、当然ノックス家にとって嫡出子殺害の容疑者。

 全ては自分の独断であって家族は無関係であること、リックを討った後は如何なる裁きも受け入れることを書き置きに記しておいたが、それでもランス家に向けられる疑いの目がなくなるわけはなし。

 ノックス家の捜査の手は確実に及んだだろう。

 

 ──つまり私は私情で家を危機に陥れた不孝者。

 

 そんな私が今になって帰ったところで歓迎されるはずはない。

 

 でも、もう決めたことだ。

 私の居場所、私がいたい場所に行くと。

 ノックス子爵家に仕えるランス家の娘ではなく、自分の正義と信念を持つ騎士として、否、一人の女性として、自らの意志で──

 

 だから、心残りは全て無くしていかなければならない。

 そう、()()──

 

 自然と足が早まる。

 

 エステルから与えられた暇は一週間。時間は有り余ってはいない。

 なるべく早くに──日暮れまでに実家のある村に辿り着かなければならない。

 

 

◇◇◇

 

 

 ランス騎士家はノックス子爵家の陪臣騎士の中でも古参の家系の一つである。

 

 先祖は初代ノックス家当主が男爵としてこの地に所領を得た時、彼の下に職を求めて仕官してきた者たちの一人だったという。

 

 未踏未開拓の土地を拓くのは苦難の連続だったが、彼らは互いに助け合い、励まし合って、驚くべき早さで成し遂げていった。

 拓かれた土地にはいくつもの村ができ、そのうちのいくつかは街と呼べるほどにまで大きくなった。

 

 ノックス家はそうした村々を所領として古参の家臣たちに与え、その管理と防衛を担わせた。

 先祖も一つの村を与えられ、そこで時折襲来する野獣やモンスターから村を守りつつ、農民たちに混じって畑を耕していたと聞く。

 

 そしてノックス家は家臣たちに対する支援や気配りを惜しまなかった。

 だからこそ、家臣たちはノックス家に絶大な信頼を置き、忠誠を誓っていた。

 

 それが今やどうだ。

 古参家臣の家の娘を拐かして辱めるなどという愚行に走る嫡出子に、それを隠蔽して謝罪も賠償もしない主家、そのような仕打ちを受けてなお抗議の一つもしようとしない意気地なし──

 

 丘の上から実家のある村を見て、アーヴリルは溜息を漏らした。

 

 どうしてこんなことになったのか、今なら分かる。

 領地の頂点に立つ者──領主が力と正義のない事なかれ主義だからだ。

 

 騒動や問題などあってはならない、平穏のためならば小さな悪事や少しの犠牲には目を瞑らねばならない──そんな考えを持つ者が上に立ち、仕える者たちはそれに忖度して立場の弱い者に理不尽を押し付けて臭いものに蓋をする。

 

 ──腐っている。

 村も屋敷もこんなに立派になったのに、実態は戸を蹴破ればすぐにも崩れ落ちそうなくらいに劣化している。

 空賊ばかりか伯爵家の侵攻すらもエステルの下に団結して退けたファイアブランド領を見た後では余計にそう見えた。

 

 どんなに過去の領主が立派で、彼がいなければ今の自分たちはないと言われても、所詮過去は過去だ。

 それに縋り付いて盲従し続けるなど何も考えない人形と同じではないか。

 

 やはりもうここでやってはいけない。

 私の──()()()の居場所はここではない。

 

 その思いを再確認して、アーヴリルは実家の扉を叩いた。

 

 しばしの沈黙の後、扉が開き、男の子が顔を覗かせる。

 

 そしてアーヴリルの顔を見るや目を見開き──

 

「父上ー!アーヴリル姉ちゃんが帰ってきたー!」

 

 大声で叫びながら家の中目掛けて駆け出していった。

 

(相変わらずだな。パットの奴)

 

 何かあるとすぐに大声で親に言いつける末弟の【パット】が相変わらずなのを見て苦笑しながら、閉まりかけた扉を支え、出迎えを待つ。

 

 すぐに父【フィル】と長兄【ザック】、そして母【プリシラ】が玄関に出てきた。

 

「──ただいま帰りました」

 

 アーヴリルはしっかりと家族の顔を見据えて言った。

 

「アーヴリル──」

 

 呟いて駆け寄ろうとしたプリシラをフィルが止める。

 

「連絡も寄越さず今まで何をしていた。どこをほっつき歩いていた?」

 

 フィルは険しい顔で言った。

 

「書き置きの通りです。リックを追ってアクロイド領へ渡っておりました。諸事情あってその後別の場所に行ったために帰りは遅くなりましたが、事は済みました」

 

 アーヴリルの答えにフィルはカッと目を見開く。

 

「お前は──何ということをしてくれた!」

 

 フィルはアーヴリルの肩を掴んで揺すり、問いかけてきた。

 

「本当に──本当にリック殿を殺めたのか!?」

「いいえ。奴を殺したのは私ではありません」

 

 真っ直ぐにフィルの目を見つめて答える。

 

「何?では誰がやった?知っているのか?」

 

 フィルの問いかけに少し身体が強張る。

 知っている。知っているが──彼女の名を明かすことはできない。

 

「どうなんだ!答えろ!」

 

 沈黙するアーヴリルに苛立ったフィルが怒鳴ってくるが、アーヴリルは努めて冷静に答える。

 ──嘘を吐く。

 

「いいえ。知りません。私が見つけた時には奴は既に取り巻き共々死んでいました」

 

 フィルはしばらくアーヴリルの目を見つめた後、手を離したが、なおも険しい顔で追及してくる。

 

「ならばなぜ今の今まで帰ってこなかった?アクロイド領に行った後の半年近く、一体どこに行っていたんだ?」

「詳しく話すと長くなりますが──アクロイド領にて家を追われ、従者と共に旅に出ていた方と出会いました。その方と行動を共にし、家に戻る手助けをしていたのです」

「人助けをしていたと?なぜそう長く行動を共にする必要があった?どこかに保護を依頼するなりここに連れて帰るなりできたはずだろう」

「ええ。それは提案しました。ですが、それをその方は拒絶したのです。家を追われた時に課された条件を満たし、家に帰るとの一点張りで。しかし、その方はろくな旅支度もなく、まして年端も行かぬ()()でした。事情や背景がどうであれ、危険な旅をしようとしている子を見て見ぬふりして行かせるわけにはいかなかったのです」

 

 アーヴリルはエステルとの旅の経緯を掻い摘んで話した。

 ファイアブランド家につながる情報や一つ目の化け物のことは伏せておいたが。

 

 話し終えるとフィルはようやく僅かに表情を緩めた。

 

 そして溜息を吐いて踵を返す。

 

「詳しい話は後で聞く。もう二度と変な気を起こすんじゃないぞ」

 

 そう念押しするように言って、フィルはザックと共に家の中へと戻っていく。

 

「アーヴリル!」

 

 ようやく制止を解かれたプリシラが駆け寄ってくる。

 

「母上──」

「良かった。本当に良かった」

 

 プリシラが泣きながらアーヴリルを抱きしめる。

 

 しばらく会っていなかったうちに、明らかに痩せて顔色が悪くなった母の姿に罪悪感が湧き上がる。

 

「本当にごめんなさい。私は──酷い娘です」

 

 母に対する謝罪の言葉は嘘ではなかった。

 ただでさえ勝手に家を飛び出して迷惑をかけて、そしてこれから出て行こうとしているのだ。

 父や兄はともかく、母には申し訳なかった。

 

「いいの。いいのよ。無事に帰ってきてくれたんだから」

 

 プリシラがそう言ってアーヴリルの頭を撫でる。

 

 しばらく母娘で抱擁を交わした後、アーヴリルは気になっていたことを訊いた。

 

「シェリルはどうしてる?」

 

 アーヴリルの問いかけにプリシラはかぶりを振った。

 

「相変わらずよ」

「──そっか」

 

 その答えを聞いてアーヴリルは決意を新たにする。

 

「話せそうかな?」

「ええ。ついでに晩ご飯持っていってあげて」

「分かった」

 

 頷いたプリシラに連れられてアーヴリルは実家の扉をくぐった。

 

 

◇◇◇

 

 

 あの忌まわしい事件が起こるまで、その部屋はアーヴリルとシェリルが二人で使っていた。

 

 だが、事件以降はシェリルが一人で閉じこもる隠れ家と化し、アーヴリルにとっては寝室から病室へと変わった。

 

 事件以来、シェリルは人が変わったかのように精神が不安定になり、部屋から、否、それどころか布団からも出ようとしなくなった。部屋の外に連れ出そうとすれば、半狂乱になった。

 そして家族を含めて男性を極度に恐れ、声を聞いただけで震え上がるようになった。自分や母に対しては恐怖こそしていなかったが、以前のような会話はできず、声を発する度に酷い吃音を伴った。

 眠れば()()()の光景を夢に見るのか、毎晩のようにうなされ、寝言で助けを求め、許しを乞うていた。

 

 そんなシェリルの姿は見るに堪えない痛ましさだった。

 なればこそ、彼女をそんな状態に追い込んだリックを激しく憎悪したし、彼を誅すれば、彼女の恐怖と苦しみを和らげることができるかもしれないと思った。

 

 だが、母の言葉からするとそう都合良くはいかなかったようだ。

 リックはこの世から消え失せたが、リックにされたことの記憶まで消えはしない。

 シェリルは未だ苦しみ続けている。

 

 ならば──

 

 部屋の扉をそっとノックして呼びかける。

 

「シェリル?入ってもいい?」

 

 返事は返ってこない。

 拒絶はしてこないと取り、アーヴリルはドアノブに手をかける。

 

「入るよ?」

 

 そう言って扉を開けた先には暗闇が広がっていた。

 

 窓は鎧戸まで閉め切られ、一切の光が入ってこない部屋にシェリルは横たわっていた。

 微かに寝息が聞こえてくる。

 

 起こしていいものか一瞬どうか迷ったが、せっかくうなされずに寝ているのを起こすわけにもいかないと思い、待つことにした。

 夕食が冷めてしまうが、また温めれば済むことだ。

 

 だが、程なくしてシェリルは鼻をひくつかせて目を開けた。

 

 そしてアーヴリルの方に視線を向けて、目を見開く。

 

「──お、姉ちゃん」

「ただいま」

 

 瞬間、シェリルの両目から大粒の涙がこぼれ落ちた。

 そのまま抱きついてきて泣きじゃくるシェリルの頭をアーヴリルはそっと撫でて、囁く。

 

「遅くなってごめんね。仇を取ったよ。もう奴が来ることはない。永久に」

 

 それを聞いたシェリルは無言で抱きつく力を強めた。

 

 

 

 しばらく抱き合って少しシェリルが落ち着いたタイミングでアーヴリルは切り出した。

 

「シェリル。大事な話があるの。落ち着いてよく聞いて」

「う、う、うん。な、何?」

 

 一呼吸置いてから、まっすぐにシェリルの目を見つめて告げる。

 

「私、ここを出て行こうって決めたの」

 

 シェリルは微かに目を見開く。

 

「──え?な、なんで?」

「旅の途中で出会った貴族のお嬢様がいてね。その方からうちに来ないかって誘われたの。だから私、その方のところに仕官しに行くって決めたの」

 

 アーヴリルの答えにシェリルは悲しそうに目を落とした。

 

「──そう」

 

 乾いた声でそれだけ呟いたシェリルの手を取って、呼びかける。

 

「だからシェリル、一緒に行きましょう」

 

 シェリルはハッとしたように顔を上げた。

 

「向こうに行った後の仕事ももう決まっているの。生活の心配はないから、安心して。お嬢様は優しい方だから、シェリルのこともきっと受け入れて助けてくださるはず。こんな所にいたって先がない。どんどん不幸になるだけだよ。ね、お姉ちゃんと一緒に行こう?」

 

 なるべく優しい言葉で、それでも必死にアーヴリルは呼びかけた。

 

 だがシェリルは再び視線を落とし、目を瞑ってかぶりを振った。

 

「──だ、だめ。わ、わたし、いか、いけな、い」

 

 どうして──そう尋ねる前にシェリルは必死に口を動かして言葉を紡ぐ。

 

「わ、わ、わた、しも、もうく、もう、決め、たの。し、神殿に入る。しん、しん神殿で、あ、尼さんに、なる。も、もう、もうおよ、めめになんなんて、いいい行けないし、い、生き、てるのも、つ、つる、辛い、の。で、でも死のうと、お、思っても、で、できなくて」

 

 そう言ってシェリルは寝間着を脱いで肌を見せる。

 

 そこにあった傷痕を見てアーヴリルは戦慄する。

 何かで突き刺したような痕がいくつも首や腕や太腿に穿たれ、そのうちの半分近くが化膿していた。

 

「な、何回も、の、の喉やろうと、し、したんくしたん、だけど、こ、怖く、て、そ、そしたら、こ、こんなに、な、な、なって、なっちゃった」

 

 また新たな涙がシェリルの両目から流れる。

 

「も、もう、これ、き、消えない。こ、こんこんな、き、傷、傷だらけの、き、きた、きなた、汚いかだ、身体、で、ど、どうやって、い、生きたら──う、うあああああ!」

 

 再び泣き始めたシェリルをアーヴリルは優しく抱きしめる。

 

「大丈夫。大丈夫だから。そんな傷全部消せる。私も旅の途中で酷い怪我をしたけど、お嬢様のお付きの者が全部治してくれた。痕だって残ってない。私と一緒に行けばまたやり直せるよ。だから絶望しちゃ駄目」

 

 だが、シェリルは泣きながらかぶりを振る。

 

「いや、いや!お、お、おと、男の、ひ、人、いる、ところ、む、無理!」

「シェリル、落ち着いて。悪いことにはならないから」

「い、いやなものはい、嫌なの!!もう、でで出てってよ!」

 

 アーヴリルの腕を振り払い、布団に逃げ込むシェリル。

 

 こうなったシェリルは説得しようとするだけ無駄だ。

 騒がれる前に出て行くが吉である。

 

「分かった。でも考えておいて欲しいの。向こうに行ったら今度こそ何か起こる前に私がちゃんと守るから。──晩ご飯置いとくからちゃんと食べるんだよ」

 

 そう言ってアーヴリルは部屋を出た。

 その日は部屋に戻ることなく、客間で眠った。

 

 

◇◇◇

 

 

 翌日、アーヴリルは父と兄から長い事情聴取と説教を受ける羽目になった。

 そして直接事情を説明するためにノックス家の屋敷へ送られることが決まった。

 

 だが、正直にそこに行くつもりなどアーヴリルには毛頭なかった。

 どう考えてもロクなことにはならないからだ。

 

 ノックス家は嫡出子を殺した落とし前をつけさせる対象を探している。

 それは必ずしも()()()でなくとも良い。

 

 父と兄は自分に証言させてランス家の無実を証明しようとしているようだが、ノックス家がそれで納得するとは思えなかった。

 あるいは父と兄もそれを分かっていて家を守るために──いずれにせよノックス家の屋敷になど行くわけにはいかない。

 

 出発した使いがノックス家に辿り着くまで一時間弱。そこから使いの面会の処理、領主が報告を受けて査問を決定し、その日取りが決まるまで長くとも数日。

 

 その間に何とかシェリルを翻意させたいと思って、アーヴリルは昼食と夕食を運びに行った際に再三の説得を試みた。

 

 だがシェリルは神殿に入ると言って聞かないままだった。

 それで何かしらの準備や行動でもしていればまだ良かったが、シェリルの頭の中には神殿に入るまでの過程が欠落していた。

 具体的にどうするのか訊いても、要領を得た答えはまるで返ってこず、ただ子供が駄々を捏ねるかのように神殿に入るの一点ばかり主張していた。

 

 結局二日目も、その次の三日目もアーヴリルは騒がれる前に部屋から退散することを余儀なくされた。

 

 正攻法ではとても説得は無理だと悟った。

 時間をかけてじっくりやればできるかもしれないが、そんなことをしている余裕はない。

 エステルのもとへ戻る期限が迫っているし、明日にも自分がノックス家に連れて行かれてしまうかもしれない。

 

 ──作戦が必要だ。

 

 そのためには──協力者が要る。

 

 そして──守りたかった、笑顔を取り戻したかったシェリルに憎まれる覚悟が。

 

 

 

「本当にごめん。シェリル」

 

 アーヴリルはそう言って頭を下げた。

 

「私の考えばっかり押し付けて、シェリルの気持ち全然考えられてなかったね。ごめんね」

「──お姉ちゃん」

 

 シェリルは驚きに目を見開いていた。

 

「だから私、シェリルのしたいこと、協力することにしたの。一緒に神殿に行こう?」

「──え?」

「シェリルが行きたいところに私が連れていくから。どこでも言って」

 

 またシェリルの目から涙が溢れ出る。

 

「──うん──ありがとう──お姉ちゃん」

 

 感涙に咽ぶシェリルを抱きしめて背中をさすってやる。

 何の疑いもなく自分が考えを翻したと思い込んでいる彼女に胸が締め付けられる。

 

 でも──そんな純真で可愛い妹だからこそ、神殿というカルト集団にまやかしの安息を求めて逃げ込んで、一生下働き同然の尼として生きるより、この苦しみを乗り越えて幸せを掴んで欲しいと思うのだ。

 

 それがエステルを救い、旅についていった時と同様の、ただのエゴだとしても、諦めて手を離してしまうよりはマシだ。

 

 憎まれてもいい。罵られてもいい。

 ただいつか、彼女が人並みの幸せを掴んでくれたら、それでいい。

 

「荷物、まとめておいてくれる?明日の朝早く、ここを出よう。善は急げだから」

 

 シェリルは涙を拭って、頷いた。

 

 部屋を出て、アーヴリルは小さく呟いた。

 

「シェリル──ごめん」

 

 食事に一服盛って眠らせ、そのままファイアブランド領まで連れて行く──やり口がリックとさして変わらないが、いかんせん時間がない。

 

 そしてアーヴリルは感傷を振り払って、出発の準備にかかるのだった。

 

 

◇◇◇

 

 

 準備が整ったのは翌日の夜明け前だった。

 

 用意しておいた荷馬車に眠ったままのシェリルを乗せて、厩から引き出した馬を繋ぎ、いざ出発──という時に背後から低い声がした。

 

「どこへ行く?」

 

 振り返るとザックが玄関の脇の壁にもたれかかっていた。 

 その横には剣が立てかけられていて、ザック自身も帯剣している。

 

「兄上──」

 

 なぜ──シェリルと同様一服盛って眠らせておいたはずの兄がなぜここにいるのか。

 

 ザックは狼狽するアーヴリルを見て、目を細める。

 

「なぜ俺がここに?とでも言いたそうだな。妹が二度も勝手に家を出ていくのを見過ごす兄がどこにいる?しかも今度はシェリルまで連れ出して──何をする気だ?」

 

 鋭い目に射竦められて冷や汗が出る。

 だが、アーヴリルは懸命に目を逸らさずに踏み止まり、答えを返す。

 

「この家を出て行きます。シェリルと一緒に」

 

 ザックが目の色を変え、怒気を纏う。

 

「今何と言った。もう一度言ってみろ」

「もう一度言えば良いのですね。分かりました。父上や兄上と私の考えは相容れず、ここはもはや私の居場所ではない。それがよく分かりました。シェリルもここにいては恐怖に苛まれ、心身を病むばかり。故に私はシェリルと一緒にこの家を──ノックス領を出て行きます。永久に」

 

 棘を含ませたアーヴリルの宣言にザックは拳を握り締める。

 

「誰がそんなことを許した!?」

「もとより許可など求めてはおりません。もはや私はここにはいられないのです」

「──お前、そんな手前勝手な言い分が通るとでも思っているのか?お前がやったことは脅迫と、未遂とはいえ殺人。立派な犯罪だ。その罪を償わずに逃げるなどという卑怯な行い、断じて許すわけにはいかない」

「ですから、許しなど求めてはいません。貴方方が何と謗ろうとも、私は私の信じる正義を為します。邪魔立てしないで頂きたい」

「正義だと?このような卑怯卑劣な行いのどこにそんな正義がある?」

「それを言っても貴方方は理解しないから、出て行くと申しているのです」

 

 瞬間、ザックは剣を手に壁から離れて立ち上がった。

 

「いい加減にしろよお前。これ以上罪を重ねて我が家の顔に泥を塗るな。これは命令だ。大人しくこっちに来い」

 

 かつてないほど怖い顔をして命じてくる兄に対して、アーヴリルは負けじと精一杯の気迫で言い返した。

 

「死んでもお断りします」

 

 ザックは目を見開き、「それが答えか」と言って、手にした剣をアーヴリルの足元へと放り投げてきた。

 

「拾え。跳ねっ返りには今一度教育が必要だ」

「兄上──」

「余計な問答は無用。拾わぬのなら今ここでお前を処刑する!」

 

 もはや話し合いの余地なしと見たアーヴリルは腹を括ることにした。

 

「いいでしょう。騎士らしく、剣で決着をつけましょうか」

 

 剣を拾い、抜いて顔の横にまっすぐ立てて構えると、ザックも腰の剣を抜いて同じ構えを取る。

 

「──来い!」

 

 ザックのその一言を号令に、アーヴリルは魔法で肉体を強化し、思い切り地面を蹴って突進する。

 自分に出せる限界の力と速さを乗せて、防御した剣ごと頭を叩き割る上段からの一撃──と見せかけて斜め下から斬り上げる。

 

 地重斬と呼ばれる、肉体強化と併用して体格と重量に勝る相手に対抗するための技だが、ザックはあっさりとそれを見切って防ぎ、後ろに跳んで衝撃も殺した。

 

 それでも相手が宙に浮いた隙は逃さず、追撃を繰り出す。

 

 刃がぶつかり合い、火花を散らすが、ザックの体勢を崩すことはできず、完全に勢いを殺される。

 

「力押しで勝てると思ったか」

 

 ザックはそう言ってアーヴリルを押し返し、剣を振り下ろしてきた。

 

 手加減なしの全力の一撃──というわけでもないのに、防いだ剣が悲鳴を上げ、全身の骨が砕かれるような衝撃と痛みが走る。

 

 だが、痛みで参ってなどいる暇はない。

 

 素早く、刃を滑らせて流し、距離を取る。

 鍔迫り合いでは勝ち目はない。

 

 ザックは追撃をかけてこず、剣の鋒をアーヴリルの方に向けて詰ってくる。

 

「未熟者が。その剣と同様、お前は自分の周りと目先のことしか見えていない。お前のしたことで我が家がどれだけ苦しい立場に追いやられ、それで父上がどれだけ苦労していたか、想像できるか?」

「そうやって家のため領のためと言って、上の者が我欲を満たすために行った非道な行いに目を瞑って口を噤んで、その先に何があるというのですか!犠牲になったのは私と貴方の妹!最も大切な家族なのですよ!?」

 

 言い返すと、ザックは露骨に表情を歪めた。

 

「大袈裟に騒いでことをややこしくしたのはお前だろうが。それで一番迷惑を被ったのはシェリルだぞ?」

「何を──」

 

 馬鹿げた戯言を──と叫ぶ前にザックが悲痛な顔で怒鳴ってきた。

 

「リックが死んでから、我が家にノックス家の使いが来た。リックが死んだのとちょうど同じ頃、お前がノックス領を出ていたことが知れて、我が家に疑いがかかり、しつこく事情聴取されたのだ!シェリルも部屋から引きずり出されて何時間も問い詰められて──見るに堪えなかった。お前が勝手に突っ走ったせいで、シェリルは余計に傷を負ったんだぞ!」

 

 その場面を想像してアーヴリルは胸が張り裂けそうになる。

 一瞬言葉に詰まったが──すぐに自分の怒りの原点を思い出す。

 

「元はと言えばノックス家の出来損ないの愚物が原因で起こったことです!責められるべきは身内の恥を棚に上げて被害者である我が家を詰るノックス家でしょう!」

「減らず口を!」

 

 ザックが距離を詰めて再び斬りかかってくる。

 アーヴリルも再び地重斬で打ちかかったが、今度は逆に押し負けて剣を地面に叩きつけられてしまう。

 ガラ空きになった鳩尾に思い切り蹴りを喰らったアーヴリルは派手に地面に倒れ込んだ。

 

「我儘だ!お前が言っていることはただの我儘なんだよ!お前がやろうとしたこと、シェリルは断じて望んでいなかった!お前はシェリルのためじゃなく、お前自身のためにやったんだ!お前の言う我欲を満たすためだろうが!」

 

 怒鳴ってくるザックの言葉が堪える。

 

 そんなの絶対に違う。間違っている。

 辛い現実から、戦いに伴う痛みから目を背けたくて都合良く言葉を並べているだけだ。

 

 そう言いたいのに、その思いを乗せた剣は兄に届かない。

 

 ──やはり自分では兄に勝てないのか。

 

 そんな思いが頭をもたげる。

 

 元々アーヴリルに剣を教えたのはザックだ。

 女に剣術など要らぬと言う父に代わって握り方から振り方、体術との組み合わせまで教えてくれた。

 打ち合いの稽古も数え切れないほどしたが──勝ったのは一度だけだ。そのほかは九割八分負けで残りが引き分け。

 

 そして自分は学園を卒業してから剣を振ることが大幅に減ったのに対して、ザックは戦に備えて厳しい鍛錬を続けている。

 自分が思っている以上に、否、もはや天と海ほどにその差は大きいのだろう。

 

 だが、それでも──それでもどうしても、この思いだけは譲れない。

 

 地面に突き立てた剣を支えに立ち上がるアーヴリルは必死で兄を倒す手立てを考える。

 

 何か──剣術に限らなくていい、何でもいいから、戦いで兄を凌げるものは──記憶と知恵を総動員して突破口を探すアーヴリルの脳裏に在りし日の光景が蘇る。

 

 

 

「お前の魔力は強い。ザックも大概だが、お前の魔力はその倍はある。貴族様方にも引けは取らんだろう」

 

 父も祖父も頭が上がらなかった祖母がアーヴリルに魔法の基礎を教えていた時、そう言った。

 

「だが、その強い魔力も上手く術に変えなければ意味はない。呪文はそれを誰でもできるように作られたものだが、それだけでは駄目だ。大切なのはその力で何をしたいのかってことさね。何をしたい、何を得たい、闘いに勝ちたい、誰かを守りたい──そういう強い思いが魔力を紡ぐ」

 

 

 

 剣を引き抜く。

 

 荒れ狂う暴風を刃に纏わせて、アーヴリルは打ちかかる。

 

 届け。崩せ。吹き飛ばせ。

 私の思い、私の願い、私の未来を阻む壁を──

 

 ザックがようやく肉体強化魔法を使用したのが分かった。

 

 上等だ。

 剣と魔法の合わせ技こそ騎士同士の戦いらしい。

 ノックス家の騎士になる兄とエステル様の騎士になる私の決闘。

 

 風の力を味方に付けた今、アーヴリルは体格と膂力の不利を完全に克服し、ザックと対等に打ち合っていた。

 そして膠着状態が続けば、先に息切れするのはザックだ。

 

(──いける!このまま押し切れば──)

 

 勝ち筋が見えたと思ったアーヴリルだったが、直後に剣を持つ手首が絡め取られる。

 

(しまった!)

 

 引けばそのまま懐に入られ、無理に押せば致命的な隙を生む──剣殺しをかけられた。

 剣を持っていない状況で使うような技を剣戟の最中に使われることは想定していなかった。

 

 だが、このまま大人しく詰まされるわけにはいかない。

 

「風よ!わが背を支えよ!」

 

 最大出力の風魔法で強引に押し込み、ザックを地面に叩きつけようと試みるが──それは完全に裏目に出た。

 

 指向された風の間隙にするりと潜り込んで真横を取ったザックに左腕をひしがれ、激痛が走る。

 

 思わず悲鳴を漏らすも何とか立て直そうとしたアーヴリルだったが、時すでに遅しだった。

 腹に膝蹴りを喰らい、体勢が崩れる。

 

「幕だ」

 

 ザックが冷たく宣告する。

 

 その刃の位置と速さを見て、防御も回避も間に合わないと、アーヴリルは悟る。

 

 やはり駄目だったか──そう思った直後──

 

 

「お姉ちゃん!!」

 

 

 その声にザックが一瞬気を取られたのをアーヴリルは見逃さなかった。

 

 紫電一閃。

 

 弾き飛ばされた剣が回転しながら宙を舞い、彼方へと飛んでいく。

 間髪入れずにアーヴリルの剣の鋒がザックの喉元に突きつけられた。

 

 直後にシェリルがアーヴリルの背中にしがみつく。

 

「な、何してるの!や、やめてよ!こんな、こんなこと!」

「やめない。私たちを行かせてくれない限り、絶対にやめない!」

「──え?」

 

 シェリルが驚いてアーヴリルから離れる。

 

 それを見てザックは叫んだ。

 

「アーヴリル。何をするつもりだったか正直に言え。父上とシェリルに薬を盛って眠らせて、それでシェリルをどうするつもりだった?神殿に連れて行くならこんな仕掛けは要らないだろうが」

「え──お姉──ちゃん?」

 

 シェリルが震える声で呼んでくる。

 

 ザックから目を離せないのと、シェリルの顔を直視できないのと、二重の意味でアーヴリルは視線を動かさずに答えた。

 

「──私はこの領地を出て行く。それに連れて行くつもりだった。私の──心からついていきたい、お仕えしたいと思う主君の元へ、一緒に行くつもりだった。ごめんなさいシェリル。貴女を騙した」

「──そう──なんだ」

 

 ──ああクソ。

 

 ──失敗した。それも最悪の形で。

 

 ──一体どこで間違った?

 

 ──そもそもシェリルを連れて行こうとしたこと自体間違いだったのか?

 

 詰んだと思ったアーヴリルだが、そこにまた声が割り込んでくる。

 

「よかった!間に合った!」

 

 現れたのはプリシラだった。

 

「「母上──」」

「アーヴリル、剣を下ろして。もう勝負はついているわ」

 

 プリシラに命じられて、ようやくアーヴリルは剣を下ろした。

 

「母上、余計なことをしないで──」

「貴方は黙ってなさい!!」

 

 声を上げたザックをプリシラは一喝して黙らせた。

 

 続いてプリシラはシェリルの方へと向き直る。

 

「シェリル。今までずっと話もさせてくれなかったから、相談もできなかったけれど、これだけは言っておくわ。神殿に逃げ込んでも貴女の負った傷はなくならない。綺麗さっぱり忘れて安らかに過ごすことはできないのよ。逃げ続けても、それは一生貴女を尾け回して、隙あらば苛み、殺そうとするの。自分の心からは──逃げられないのよ」

 

 悲痛な表情で訴えかけるプリシラをシェリルは見ていなかった。

 

 耳を塞ぎたい、聞きたくない──そんな意思が見て取れた。

 

 それでもプリシラは懸命に訴えかけ続ける。

 

「だからね、貴女はこの先その傷をずっと抱えて生きていくしかないの。そしてそれは、一人でできることではないの。一緒に傷に苦しんで、悲しんで、怒って、そして一緒に乗り越えようとしてくれる人が必要なのよ。こんな酷なことを言いたくはないけれど、神殿の人たちにそれができる可能性は限りなくゼロに近いわ。貴女と同じような目に遭って、神殿に入った人たちもいるでしょうけれど、彼女たちに貴女を救うことはできない。でも、お姉ちゃんにはそれができる。実際、貴女の恐怖の根源を消し去った。他の誰よりも、貴女の苦しみをよく理解していたからこそ、できたことなのよ。母親として誰よりも近くに寄り添って守るべきだった私が怯んで逃げてしまったことに──アーヴリルは立ち向かって、やり遂げたのよ」

 

 プリシラの目から涙が溢れ出る。

 

「ごめんなさいシェリル。貴女は何も悪くなかったのに、傷ついた貴女を更に酷く傷つけて、こんなになるまで追い詰めてしまった──今更許してなんて言わない。でも──これは貴女の母親──貴女をこの世に生み落とした母としての最後のお願い。お姉ちゃんと──アーヴリルと一緒に、この苦しみを本当の意味で乗り越えて、そして幸せになって欲しいの。貴女はまだこれからいくらでも幸せになれる。すぐには難しいかもしれないけど、アーヴリルと一緒なら、いつか苦しみを乗り越えて、また心の底から笑えるようになるから。だから──お願い」

 

 頭を下げるプリシラに向けて、シェリルが振り返る。

 

「お母──さん」

 

 呟いたシェリルの右目から涙が一筋、流れた。

 

「──あれ?なん──で」

 

 アーヴリルはハンカチを取り出してシェリルに渡し、シェリルの肩を優しく抱いて言い聞かせる。

 

「何度も言ったけど、何度でも言うよ。私は絶対にシェリルを守る。シェリルが自分のことを許せなくても、私はシェリルは悪くないって言い続ける。シェリルに石を投げる奴がいても、そんな石全部叩き落として投げ返してやる。シェリルが恐怖に苛まれたら、それが過ぎ去るまでずっと側にいる。もう二度と、置いてどこかに行ったりしないから。信じて」

 

 シェリルが両手で顔を覆う。

 

 そして──ようやく首を縦に振る。

 

「──うん」

「ありがとう」

 

 よく決断してくれたとアーヴリルはシェリルの頭を撫でた。

 

「そういうことだからザック、もうやめましょう。お父さんには私から話をしておくし、後のことも私がどうにかする。この件に関しては、もう貴方は関わらなくていい。気負う必要はないわ」

「──母上がそう仰るなら」

 

 母に言われてザックは不承不承と言った感じではあったが、頭を下げた。

 

「さ、乗って。早く行くのよ」

 

 プリシラに促されて、アーヴリルはシェリルと共に荷馬車に乗り込んだ。

 

 御者台に座ったアーヴリルにザックが声を掛けてくる。

 

「アーヴリル。力を付けたな」

 

 久しぶりに聞いたその言葉にアーヴリルはハッとする。

 厳格でぶっきらぼうだった兄が、唯一使っていた褒め言葉だ。

 

「師が良かったからですよ」

 

 そう返すと、ザックはほんの僅かに表情を緩めた。

 

「今までお世話になりました。どうか、お健やかに」

 

 短く別れの挨拶をして、アーヴリルは馬車を出す。

 

 

 

 残されたプリシラはザックに気遣いの言葉を掛けた。

 

「怪我はない?」

「──ええ」

 

 アーヴリルとシェリルの去った方角を見つめたまま、短く答えるザック。

 

「強くなったわね。アーヴリル」

 

 プリシラが呟くと、ザックはふっと息を吐いて言った。

 

「当たり前です。俺の妹ですよ」

 

 

◇◇◇

 

 

 三日後。

 

 ファイアブランド家の屋敷の執務室前にアーヴリルはいた。傍にはシェリルもいる。

 アーヴリルが仕えることになる人に会いたいと言われたので、エステルの許可を得て連れて来たのだ。

 

 ティナが扉を開けると、エステルは机に座って待っていた。

 

「只今戻りました。エステル様」

「ああ、期日通りに帰ってきたな。まあ座れよ」

 

 エステルがソファーを指し示すと、アーヴリルはシェリルと一緒に座った。

 

 その向かい側にエステルが座る。

 

「事情は聞いた。お前たち二人のための部屋をこの屋敷の中に用意させよう。安全な居場所がなるべく近くに必要だろうからな」

「ご配慮感謝致します。エステル様」

 

 頭を下げるが、エステルは「気にするな」と言って、ティナに合図をする。

 ティナが持ってきたのは綺麗に畳まれた真新しい赤い軍服だった。

 

「お前のだ。明日からそれを着て職務に当たってもらう。問題ないはずだけど、サイズが合わないとかあったら言えよ」

「はい」

 

 アーヴリルの返事を聞いてエステルは満足気に微笑み、立ち上がった。

 

「シェリルの事情を考慮して大勢の前での叙任はしない。ここで略式に済ませよう。隣の部屋でその服に着替えてこい」

 

 アーヴリルはソファーを立ち、軍服を受け取った。

 

 そして手早く着替えを済ませると、真っ直ぐに立ってエステルと向かい合う。

 

「ファイアブランド子爵家当主、エステル・フォウ・ファイアブランドの名において。アーヴリル・ランス、貴女をファイアブランド子爵家の陪臣騎士として迎え入れ、ここに当主側付に任じるものとする」

 

 厳かに口上を述べた後、エステルはティナから一振りの剣と剣帯を受け取り、アーヴリルの前に掲げた。

 

「この剣はピットが使っていたものだ。その身を犠牲にしてお前の命を救った者の意志を、受け継ぎ、繋いでいくことを期待する」

「はい。必ず」

 

 力強く応えると、エステルが剣帯をアーヴリルの腰に装着し、剣を差し込んで留めた。

 

「これにて叙任を終了する。今日からお前は私の騎士だ。アーヴリル。よろしく頼むぞ」

「はっ!」

 

 踵を揃えて、敬礼する。

 

 この日、ノックス家の騎士の娘としてのアーヴリルは死んで、新たにエステルの騎士としてのアーヴリルが生まれたのだった。




なんでザックが起きてて、プリシラが出てこなかったのかというと、アーヴリルとプリシラが二人で相談してるとこ見てなんか怪しいと思い、夕食の時薬が入ってた自分の皿をプリシラのとこっそり取り替えてたから
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。