リオン──その名前を思い出して、ちょっとした懐かしさと妙な安心感が湧いた。
あの時──案内人が見せてきた映像で初めてリオンを見た時、その境遇と運命に同情を覚えた記憶が蘇る。
年端も行かない頃から意味不明な女尊男卑の価値観に支配された世で理不尽な仕打ちを受け、それに疑問を持ちつつも何もできず、二十歳までに結婚できなければ年増の女の後夫にされるかもしれないという恐怖に怯えながら劣悪な環境で勉強──前世の俺とは状況が違うが、ゴミ屑みたいな女のせいで苦労している構図が重なって見えた。
そんなリオンが俺と同じ新入生としてここにいる──転校で別れた同級生と数年ぶりに再会したかのような、あるいは知り合いが誰もいないアウェーな土地で同郷の奴を見つけたような──そんな気分だ。
俺のことをジロジロ見ていた理由は気になるが、いきなり詰ることもないか。
それに苦労話の一つでも聞いてみたい。ゆっくりお茶でも飲みながら。
そう思っていたらリオンからの視線は程なくして消えた。
そして再び向いてくることはなかった。
ホームルームが終わると、生徒たちは素早く帰り支度をしてそれぞれの帰路へと就く。
寮の部屋の片付けがまだ終わっていないとこぼす者、腹が減ったから学食に行こうと友人を誘う者、王都に繰り出して美味しい店でランチにしようと盛り上がる者たちの声で教室は騒がしくなる。
視線が来ていたと思しき方向を振り返ってリオンの姿を探してみたが、そこは既に教室の出口へと向かう大勢の学生たちでごった返していて、見つからなかった。
魔力での空間把握を使ってみたが、やはり俺にはセルカのような個人の特定は無理なようだった。
まあいいか。アンジェリカ同様、いずれ話せる機会を見つければ。
それに今はティナを待たせている。
出口が空くのを待って廊下に出ると、ティナが迎えに来ていた。
「お疲れ様でした。お嬢様」
「ああ。お前もな。じゃあ少し早いけど行くか」
「はい」
入学式が終わった後は学食でランチだ。
学食というとあまり美味しいイメージは湧かないだろうが、そこは貴族の子女が通う場所。毎食そこそこお高めの店で出るような美味い料理が無料で食べられる。そして有料オプションとして一流シェフが作る豪華な料理もある。
俺たちが食べるのはもちろん豪華な方だ。
どんな料理が出てくるか楽しみにしながら、食堂へと続く廊下を歩いていると──
「?」
一人の女子がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
周りにちらほらいる他の学生たちが皆食堂の方へ向かっている中で、一人だけ反対方向に向かっている。
それが気になって思わず視線が引き寄せられた。
そしてすれ違った一瞬──時の流れが遅くなったような感覚に包まれる。
ボブカットにした亜麻色の髪、やや緑がかった青い瞳、地味だが素朴で優しそうな顔立ち──そこに浮かぶ焦りの滲んだ表情と、額の汗が、彼女はどこかに向かっていることを物語っていた。明確な目的地があって、周りに目もくれずにそこへと急いでいる。
完全にすれ違って、時の流れが戻る。
彼女はそのまま足早に去っていったが、俺はその後ろ姿から目が離せなかった。
なぜ彼女に目を奪われたのかは分からない。
別に思わず振り返るような美貌だったわけでもないし、惹きつけられるオーラを纏っていたわけでもない。一言で言えば地味だった。
何かに引き寄せられた──としか言いようがない。
「どうかされましたか?お嬢様」
ティナが怪訝な顔をする。
「いや──何でもない」
そう言って俺は再び食堂へと歩き出したが、不思議とあの女子生徒の顔が脳裏にちらついて離れなかった。
◇◇◇
入学式の翌日からは学園生活についての説明が始まる。
イメージとしては大学でのオリエンテーションみたいなものだ。
上級クラス全員が教室に集められて教師や寮長から口頭と資料で校則や寮での規則、履修の仕組み、申請手続きなどについて説明を受ける。
曰く、生徒たちに求められるは、王国の次世代を担うに相応しい貴族となること。故に三年間、寮での共同生活を通じて協調性や自己管理能力を磨き、勉学と鍛錬に励んで学力と武芸を徹底的に修得し、将来担うことになる役目──男なら領主として領地を治め、戦争とあれば配下を率いて王国軍の一員として戦う、女なら夫を支え、家を守り、次の世代の命を育む──を果たせる能力と精神を鍛えなければならない、とのことだった。
言っていることは立派に聞こえるが、実が伴っていないな。
三年という短い教育期間でそんなに色々な能力が身につくとは思えないし、精神なんて環境からして鍛える気があるとは思えない。
協調性だの平等だの言っているが、身分で教室や寮を分けていては断絶しか生まないだろう。
自己管理能力を鍛えるため全ては自分でやらなければならないなどと言っているが、ならば女子の専属使用人持ち込みが認められているというのはいかがなものか。
学力と武芸の修得にしたって、婚活に明け暮れている現状ではとてもそんな時間は確保できないだろう。特に男子は。
他にも挙げればキリがないが、とにかく矛盾だらけで酷く歪な場所である。
ま、だからといって変えようとかは思わないけどな。
俺は好待遇を受けているし、何世代にも渡って続いている仕組みを変えるなんて面倒なだけだ。
得られるものは得てさっさと卒業して、領主として認めて頂く。それでいい。
説明が終わると、昼食を挟んでからグループに分かれて学園の中を案内される。
学園は王都のど真ん中にあるとは思えないほど広大だ。
その広大な敷地にものを言わせた施設の充実ぶりは目を見張る。
下手な城よりも大きく荘厳な校舎には百人は入れそうな広い教室が何十と連なり、奥には図書館と呼んだ方が良さそうな巨大な図書室が鎮座する。本棚ばかりか、見渡す限り壁一面に本がずらりと並んだ景色なんて初めて見た。
他にも球技コートをいくつも備えた体育館に百メートルはありそうなプール、一面本物の芝生で覆われたグラウンド、極め付けにスタジアムのような闘技場まであった。
さすがファンタジー世界だとひたすら圧倒されていた俺だが、一つの場所に目が留まった。
そこは訓練場だった。丸太がいくつも並んで、それが障害物になり、登ったり飛び越えたり、ぶら下がったりと色々できるようになっている。
ここなら毎朝のパルクールや剣の鍛錬にもってこいだ。
プールや闘技場と違って説明らしい説明はされずに軽く触れられただけだったが、俺はその場所と配置を頭にしっかり刻みつけた。
案内が終わると、俺たちは教室に戻され、色々な資料やら用紙やらが配られた後、履修計画の策定が宿題に出され、履修申請手続きの期限が告げられ、解散となった。
昨日とは打って変わって多くの学生たちが教室に残り、グループで履修について話し合っている。
彼らの話題は主に選択科目についてのようだ。
学園の授業は大学のような単位制で、必修科目と選択科目が存在する。
今話題に上っている選択科目は法学や経営、哲学、音楽、美術、外国語、外国史といった専門科目や教養の類である。
どの授業を取るかいちいちグループで相談しているところを見ると、世界が違っても学生が取る行動は一緒なのだな、と思う。
彼らの頭にあるのは単位が簡単に取れる授業はどれかということ、グループで履修する授業を揃えることで、自分の興味関心などない。あっても二の次だ。
グループのリーダーの考えに他のメンバーが追従するか、声が大きい奴や多数派の意見でなし崩し的に決まるか──馬鹿馬鹿しい。
どの授業を履修するかは俺が自分で決める。
他の連中にとっては難解であろう卒業要件も履修申請の手続きも全部資料を見れば分かる。
やはりグループになど入る必要はないな。メリットよりも煩わしさの方が多そうだ。
俺はさっさと帰り支度をして教室を後にした。
◇◇◇
翌朝。
履修計画の策定と申請手続きの準備を前の晩のうちにあらかた終わらせて、自由時間を得た俺はしばらくぶりに早起きして木剣を手に外へ出る。
準備運動をしてから目隠しをして訓練場まで走り、着いたら訓練場の丸太でパルクール。それが終わったら基本の型を練習する。
「くそ、鈍っていやがる」
思わず毒づいた。
ファイアブランド領からの船旅と入学式までの数日の計一週間の間に僅かに反応が遅くなっていた。
これは鍛え直しが必要だと思ったその時、背後から誰かの足音が聞こえてきた。
こんな早朝に訓練場に来る奴が俺以外にもいるとはな。
意外に思いながら目隠しを外して振り返ると、運動着に身を包んだ長身の男子生徒が訓練場に現れる。
そいつは元男の俺から見てもかなりの美形だった。
涼しげな青い髪と瞳に百八十センチ近い長身。眼鏡をかけていて、一見インテリ風の出で立ちをしているが、直感でそうではないと分かる。
しっかりと鍛えられた体つきと安定した姿勢をしているし、眼鏡の奥の目は鋭い。
俺に気付いた青髪の美形は一瞬嫌そうに目を細めたが、俺の持つ木剣を見ると、すぐに一礼して口を開いた。
「失礼。鍛錬の途中にお邪魔してしまったかな」
容姿に違わぬ澄んだ耳触りのいい声でご挨拶をしてくる。
存外殊勝なことをするじゃないか。
「いえ、お気になさらず」
「そうか。かたじけない」
返事をしてやると、美形は俺から少し離れたところで木剣を振り始める。
俺も練習を再開しようとするが、ふと気になって美形の動きを観察してみた。
俺と同じように朝早くから鍛錬に勤しむようなストイックな奴だから、腕が立つのではないかと思ったのだ。
その見立ては間違っていないようだった。
やっているのはただの素振りだが、足捌きも剣捌きも実に流麗で無駄がなく、剣舞と言われても納得できる。あんな動きができる奴はファイアブランド領ではティレットくらいしかいなかった。
きっと物心ついた頃から剣の道を歩んできたのだろう。
目を奪われていると、美形が俺の視線に気付いた。
「何か?」
鋭い視線を向けてくる美形。
俺が言うのもなんだが、もう少し愛想良くしたらどうだ?せっかくの顔が台無しだぞ。
「そう睨まないでくださいよ。綺麗な動きだと感心していたんです」
努めて柔らかい笑顔で言ってやると、美形は若干顔を赤らめて目を逸らした。
「──そうか」
それだけ言って、美形は再び木剣を振るう。
おいおい、クールな見た目のくせしてウブな反応だな。
学園生活ののっけから面白い奴が見つかったじゃないか。
ちょっとからかって遊んでやろうかと思ったが──ふと懐中時計を見ると、戻る時間を過ぎていた。
いけない。朝の準備の時間が足りなくなる。
心なしか木剣を振る勢いが強くなっている美形を後目に急いで寮への帰途に就いた。
魔法で肉体を強化しての全力疾走で寮に戻ると、手早くシャワーを浴びて汗を流し、化粧水と乳液を使って、ティナが用意した朝食を食べて、髪を整える。
もうかれこれ五年ほど伸ばしている髪はすっかり立派なロングヘアになっていて、洗うにも乾かすにもセットするにも時間がかかる。
色々な髪型ができて楽しいことは楽しいが、やはり面倒臭い。
「ティナ、髪頼む」
「はい」
だからいつもこうしてティナに任せっ放しにしてしまう。
自分でやるよりティナにやってもらう方が仕上がりが良いし、何より気持ちいいのだ。櫛で梳かされている時なんて特に。
「今日は急ぎですから、簡単にしておきますね」
そう言って手早く髪を梳かし、纏め上げてくれるティナ。
この感じはポニーテールだろうか?
「はい。できましたよ」
「ありがとな」
おめかしした自分の姿を鏡で見て気分が上がるのはもはや末期的ではないかと自分でも思うが、不思議とモチベーションが上がるのだ。
カッコ良くて強力な武器を身につけているような感じだろうか。
昨日のうちに準備しておいた鞄を手に取り、部屋を出る。
今日から各授業ごとの説明が始まる。
面白そうなのがあるといいけどな。
◇◇◇
『マスター。早速エステルに動きがあります』
起き抜けに相棒から報告を聞かされて、彼は嫌な予感に顔を顰めた。
「何をやったんだ?」
『三十分ほど前に訓練場で攻略対象の一人【クリス】と接触しています』
部屋の壁に投影されるのはドローンが録画したと思しき動画である。
そこには素振りに精を出すインテリ風の美形と彼の動きに見入っているエステルが映っていた。
「え?どういう状況?」
『おそらくお互いの習慣が重なったために発生した事態でしょうね。以前報告した通り、エステルは毎朝決まったメニューでトレーニングを行っています。それがひと段落ついたタイミングでクリスが同様にトレーニングのため訓練場に来たというわけです』
「てことは意図的に接触したってわけじゃないんだな?」
『はい』
彼はしばし悩んだ後、もう少し様子を見ることに決めた。
別にまた重要なイベントを潰したというわけでもないし、接触したのは五人いる攻略対象のうちの一人、それも全くの偶然。
気にはなるが、介入が必要とまでは思えなかった。
「取り敢えずは様子を見る。監視を続けてくれ」
『分かりました。それはそうとマスター、急がないと一限目に遅れますよ』
「あ、やべ」
急いで相棒が用意した朝食のトーストをホットミルクで流し込み、彼は部屋を飛び出す。
◇◇◇
入学してからの一週間で大体クラス内の人間関係は決まるというが、これはこの世界でも同じのようだ。
教室内は昨日よりもはっきりとグループ毎に分かれていた。しかも何ということだ、後方の窓際が派手な女子の一団に占領されているではないか。
やはりあの青髪の美形に構っていないでさっさと寮に戻るべきだったか?
しくじったと思いつつ、空いている席を探して教室に視線を巡らせていると──
「クリス様、どこのお席になさいますか?」
「私は後ろの方がいいです!」
「どうせでしたら殿下たちと一緒に──」
女子たちの楽しそうな声がして、あの青髪の美形が教室に入ってきた。
──あいつ同級生だったのか。体格からして先輩かと思っていた。
やはりというか、人気者らしく、女子たちがさながらコバンザメみたいに美形の周囲を囲んで媚びた笑顔を向けている。
一方美形はというと──人の輪の中心にいてチヤホヤされながら、無表情でどこか鬱陶しそうにしていた。
黙っていても女子が言い寄ってきて面倒臭いってところか?今朝俺を最初に見た時一瞬嫌そうな顔しやがったのもそれか?
──なんて贅沢な野郎だ。喧嘩を売っているのか?
思わず眉間に力が入ってしまうが、直後に美形がこちらを振り向き、目が合った。
美形が目を見開く。
「君は今朝の──」
「おや、また会いましたね」
話しかけられてしまったので、ちょっと嫌味を込めて作り笑いと敬語で挨拶してやると、周囲の女子たちがあからさまに警戒した視線を向けてくる。
「お知り合いなのですか?」
女子の一人が問いかけると、美形はあっさりと正直に答える。
「いや、今朝訓練場で顔を合わせただけだが──同じクラスだったとは驚いたな」
「そうですね。私も驚きです。──随分とまあ、好かれていらっしゃるようで」
コイツくらいのレベルの高い美形なら女尊男卑のこの世界でもチヤホヤされるらしい。
何度も案内人に助けられておいてこんなことを思うのは罰当たりだろうが、こういう美形の男に転生させてくれたらよかったのに、とチラッと思った。
そのせいで言葉にも棘が入る。
「いや、これは──その──」
視線を逸らしてしどろもどろになる美形。
──おい、なんで不倫の現場を見られたみたいな反応するんだ。
人気者なんだからそこはもっと余裕たっぷりに受け流すところじゃないのか。
「ちょっと、何その言い方」
「クリス様に向かって失礼じゃない?」
周りの女子たちが俺を睨んでくる。
この美形、クリスというのか。
「これは失礼。剣才に恵まれるのみならず人に好かれる才もあるというのは羨ましくてつい。見苦しいところを見せてしまいましたね」
「いや、構わないが──私は別に才など──」
謙遜し出したクリスだが、女子たちがすかさず反論する。
「何を仰います。クリス様は凄いですよ」
「そうですよ。なんていったって剣豪様なんですからね」
「王国指折りの剣士で学業も優秀、まさに文武両道ですよね!」
口々に女子たちがクリスを褒め称えるが、クリスの表情は優れない。
元々いつも仏頂面で愛想がないタイプなのに加えて、明らかに自分を褒め称える女子たちを鬱陶しく思っているのが見て取れた。
だがそれより奴の称号だ。
剣豪──そんな風に呼ばれる奴はそうはいない。
しかもこの年で──このクリスという男、やはりとんでもない技量の持ち主のようだ。
稽古相手としてこの上なく適任ではないだろうか。
手加減なしで全力で打ちかかれそうだし、もしそうでなかったとしても俺の力の証明になる。
「剣豪の称号をお持ちとは存じませんでした。ですが、毎日あのような鍛錬を積み重ねておられるならば納得ですね。もう何年も続けていらっしゃるのでしょう?」
ちょっと持ち上げてやると、クリスは僅かに目を見開く。
この反応は正解かな。表情に乏しいようで顔に出やすい奴だ。
「ああ、そうだ。物心ついた時から剣を振っていた。私の家は代々王宮で剣術指南役を務めてきた家系だからな」
「そうなのですか?道理で動きの一つ一つがああも無駄がなく美しいわけですね」
クリスは照れ臭そうに目を逸らす。
「──そんなことを言われたのは初めてだ。その──ありがとう。えっと、君は──」
「私、ファイアブランド子爵家の長女、エステルといいます。貴方とは事情が違いますが、私も剣の道を歩んでいる身です。よければ一度お手合わせ願いたいですね」
自己紹介ついでに稽古の誘いをかけてみると、クリスの眼鏡が一瞬キラリと光った。
「そうか。それは楽しみだな。私はアークライト伯爵家の長男クリス・フィア・アークライトだ」
どこかぎこちないながらも微笑を浮かべるクリス。
やっと笑ったなコイツ。
思わずこちらも口元が緩みそうになるが、周囲の女子たちの視線がますます険しくなっている。
そろそろ離れるとしよう。変に絡まれて喧嘩などするわけにはいかない。
女子たちの鋭い視線を背中に受けながらクリスから離れ、前の方の隅の席に座った俺だが、さっきからこちらに向く視線の数が増えているのを感じる。ちらほら話している声も聞こえてくる。
さっきのクリスとのやり取りが早くも噂となり、注目を集めたようだ。
やっぱり下手にどこかのグループに所属していなくてよかったな。
していたら今頃質問攻めに遭っていただろう。
十代の学生というのは何でもかんでも色恋沙汰に結びつけがちだからな。
胸を撫で下ろしていると、横から女子の声が聞こえてきた。
「あの──お隣いいですか?」
誰だと思って声がした方向を見ると──
「ッ!」
俺は思わず息を呑んだ。
そこにいたのは入学式の日に学食に行く途中ですれ違ったあの不思議な女子だった。
遠慮がちにこちらを見てくる青い瞳は一見儚げだが、その奥にはブレない芯が通っているのが見て取れた。
──なるほど。道理で目に焼き付くわけだ。
この娘の目は深いのだ。澄んでいて凪いでいるのに底が全く見えない湖のような、そんな感じだ。
こんな目をした奴は未だかつて見たことがない。
一体何者なのだろうか。
「ああ。いいぞ」
「ありがとうございます」
ホッとした顔でお礼を言う不思議な女子。
隣に座った彼女からは他の女子と違ってドギつい香水の匂いが全くしなかった。
それだけで新鮮に思えてますます気になってしまう。
だから──
「そういえばさ、入学式の日に廊下ですれ違ったよな。覚えているか?」
思わずそう問いかけていた。
振り向いた不思議な女子は俺の顔を見て首を傾げ、一瞬記憶を探るような仕草を見せる。
そして申し訳なさそうにかぶりを振った。
「えっと、ごめんなさい。慌てていて覚えていません」
「そうか。急いでいたみたいだったな」
「はい。迷ってしまって──」
恥ずかしげに言うその仕草に思わず心がざわつく。
「ああ──学園は広いからな」
「はい。何もかも見たことない大きくて豪華なものばかりで。凄いですよね」
疲れたような苦笑いを浮かべる彼女の内心は感嘆が半分、困惑が半分といったところだろうか。
大きくて豪華な建物に馴染みがないということは地方の出身と見える。
「なぁ、名前何ていうんだ?私はエステルだ」
名前を訊いてみると、不思議な女子はパッと顔を明るくして答える。
「オリヴィアです」