朝。
いつものように運動着に着替え、木剣を持って訓練場に向かう。
もうだいぶ馴染んできたいつものコースを外れて違うコースを試してみる。
こうすることで新しい情報を身体に与え、創意工夫を課し、慣れによる怠け癖がつくのを防ぐのだ。
訓練場に着いたら目隠しをして素振り。
こちらも同様に自分が必要だと思うアレンジや新しいやり方を試すことは厭わない。
基本の型を極めるというのがニコラ師匠の教えだが、それには自分に合った握り方や振り方、身体の使い方を見つけなければならない、とも言われている。
だから常に考え続け、自分に必要だと思う鍛錬と修行をせねばならない。
そして──そのヒントを得られそうな人物が、今この学園にいる。
「おはようございます。クリスさん」
青髪の美形貴公子──剣豪クリス・フィア・アークライト。
王家の剣術指南役を代々務めてきたアークライト伯爵家の跡取り様である。
「ああ、おはよう。エステル殿」
相変わらず無表情気味で笑顔もぎこちないが、出会った頃に比べれば柔らかくなってきている。
「堅いですよ。同級生なのに殿なんて」
「そうか──では何と呼べばいいだろうか」
クリスが訊いてくる。
いきなり馴れ馴れしく呼び捨てにしてこない所がポイント高い。
そんなことしやがったら木剣で思い切りぶん殴っていたところである。もちろん掛かり稽古の初撃でだけどな。
「呼び捨てで構いませんよ」
「そうか。分かった。私にも、その──さんは要らない。それと、敬語もなしでいい」
「よろしいのですか?──ではお言葉に甘えて」
思ったより早くタメ口を解禁してくれたな。
助かった。正直身分が上とはいえ同級生相手に敬語で話すのも疲れていたのだ。
──疲れは発散させないとな。
「じゃ、掛かり稽古しようか」
「──ああ」
クリスの目つきが鋭くなる。同時に口角が少し上がって獰猛な笑みになる。
ちくしょう、凛々しいな。
二人して木剣を構え、打ち込むタイミングを探り合う。
今まで見てきたクリスの鍛錬から得意とする動きや癖は見当がついている。
だが、それは向こうも同じだろう。
俺のスピードとパワーが勝つか、奴の精巧な体捌きと剣技が勝つか。
それは実際にやって確かめる。
「はぁッ!!」
掛け声と共に全力で地を蹴って打ちかかる。
ごちゃごちゃ考えるのは稽古が終わった後だ。
今考えるのは一撃で相手の頭をカチ割り、肩から心臓まで切り裂き、首を刎ねる──それだけ。
無数の攻撃パターンを考えているようで、斬ることなど考えはしない。
斬った後に起こることだけを強くイメージとして思い浮かべる──あとは型を覚えた身体が勝手に動き、最適な動作で剣を振るう。
この前は肝心のイメージが湧かずに固まってしまったが、今回の俺は違う。
見えないなら、飛び込めばいい。稽古なのだから。
まだくっきりした景色は見えなくても、動き続け、進み続けた先に俺の求める景色があることを信じていれば、道は開ける。
現に初動が殆ど見えないクリスの動きを捉え、最適かつ最小限の動きで防ぎ、流し、外し、攻撃に転用できているではないか。
そして、クリスの水色の髪を木剣の先が掠める。
一瞬目を見開くクリス。
──見えた。
動揺によって生じた一瞬の隙を突いてクリスの首に刃を届かせた──と思ったが、そう甘くはなかった。
俺の喉元に木剣の鋒が突きつけられていた。
「引き分け、か」
「──そのようだな」
合図も何もなくほぼ同時に木剣を下ろす。
クリスは少し考え込んでいたが、やがて顔を上げて質問してくる。
「前から訊きたかったのだが、エステルの流派はどこなんだ?」
「決まった名はないんだ。自分が決めたわけでもない名に縛られて囚われることがないようにな。私は鏡花水月と呼んでいる」
俺の答えを聞いたクリスはそんな考え方聞いたことがないという顔をする。
「──そんな流派があるのか」
「ああ。なかなか理解されないけどな。でも、その強さは本物だ」
また変な疑いを抱く前にきっちり断言してやる。
さすがに実際に相対して見た後では反論の余地なしだったようで、クリスは頷く。
「そうだな」
そしてしばらく掛かり稽古の復習を意識しながら素振りや打ち込みをして、朝の支度のために寮に戻る。
もうすっかりルーティンと化した朝の日常である。
◇◇◇
「お嬢様、元気が戻られましたね」
ティナが俺の髪を梳かしながら言う。
「そうか?俺は別に落ち込んだりしてねーだろうが」
「落ち込んではいらっしゃらなかったですけど──苦しんでおられたように見えました」
──言われてみればそうかもしれない。
ここのところ腹の立つことが続いていたからな。
オリヴィアへのいじめに始まり、チンピラがニコラ師匠に手を出し、俺のことも脅してきたのでぶった斬ったらなぜか俺が悪者扱い。
むしゃくしゃする時は修行だと思っていたが、こちらも芳しくない状態が続いていた。
そんな状態を切り抜けられたのは──
「なら、あいつに感謝だな」
先週末のお茶会は俺の中で確かに良い影響を及ぼした。
根も葉もない噂に惑わされる奴は多いが、そうじゃない奴もいる。それだけで前世とは大違いだ。
行き詰まっていると感じるのは自分が恐れから目を閉ざしているせい──思い切って踏み込めばいい。
それにあいつは気付かせてくれた。
「リオン・フォウ・バルトファルト様、でしたか?素敵な方だったのですね」
「ああ。でも、あのお茶会に行けたのもお前が色々助けてくれたからだ。ありがとうな」
「私は私の仕事をしただけですよ。はい、できました」
ティナが鏡を見せてくる。
アクセントに毛を一束入れ込んだローポニテ。
シンプルながらも手の込んだ感じに見える仕上がりだ。
お茶会の時ほど気合を入れている風でもなく、鍛錬の時の可愛げもへったくれもない実用性一辺倒でもない、ちょうど良いバランス。
ティナはこういう見極めが上手い。
礼を言って鞄を手に取り、寮を出る。
向かう先は校舎──だが、その前に普通クラス用の女子寮である。
平民であるオリヴィアは、上級クラスに所属していながら寮は普通クラスという扱いをされていた。
他の学園生が不満に思うのを避ける意味合いがあるのだろうが、それならなぜ所属を上級クラスにしたのやら。
寮の玄関から出てくるオリヴィアを見つけて声をかけると、笑顔を浮かべて走り寄ってくる。
その笑顔は先週よりも自然体で可愛く見えた。
「おはようございます。エステルさん」
「ああ、おはよう」
そのまま二人で並んで他愛ない話をしながら登校する。
周りはそれを見てちらほら陰口を叩いているが、今はそれも聞き流せる。
お茶会をきっかけにオリヴィアともまた以前のように話せるようになった。
彼女は古代遺跡やロストアイテムに興味があるらしく、俺も十二歳の時に冒険に出たことを話してやったら、物凄い勢いで食いついてきたのだ。
で、俺の冒険話を聞かせてやっていたら、いつの間にか話が弾むようになったというわけである。
取り敢えずは繋ぎ止められたようで安心した。
オリヴィアのことは卒業後に召し抱えてやる予定なのだ。怖がられて、それで疎遠になって自然消滅などあってはならない。
だから、なるべくトラブルは避けるようにしよう。そう思っていたのだが──
◇◇◇
食堂。
俺は昼食のトレーを持ったまま数人の女子生徒と睨み合っていた。
トレーに載っているのは有料メニューの豪華な昼食と──本日限定のスペシャルスイーツ、柏餅である。
異世界に転生して初めて見た本物の和菓子だ。
南方のカンナという浮島で作られる特産品で、五月にしか出回らないらしい。
物珍しさもあって凄まじい人気ぶりであり、長蛇の列に並んでようやく手に入れたのだが──どうやら俺ので最後の一個だったようだ。
一人二個までと決まっているのに、前に並んでいた連中が取り巻きや専属使用人の人数に物を言わせて十個も二十個も取っていきやがったせいである。
なのになぜか俺が囲まれて因縁をつけられている。
曰く、先輩であり、伯爵家の娘であるロイス様を差し置いてお前が取るとは何事か、と。
ちなみにそのロイス様とかいう彼女らのボスは俺の後ろに並んでいた。
俺は順番通りに受け取っただけだというのに酷い言いがかりである。
それに──そのロイス本人はいいと言っているのに、取り巻きが勝手に気を利かせてゴネている。
お前らボスの言うことは絶対じゃないのか。これではロイスは傀儡もいいところだぞ。
なんだかロイスの方が見ていて可哀想に思えてきた。
だからといって譲ってやる気はさらさらないけどな。
異世界転生してからこの方日本食にはまるで縁がなかったし、この前の鯖の味噌煮みたいな何かはとんだ偽物だった。
だが今度こそは本物──な気がするのだ。
取り巻き共が渡せと言い、俺が拒否するのを繰り返しているうちにどんどん注目が集まってしまう。
それで気が大きくなったのか、とうとう罵声が混じり出した。
「アンタいい加減にしなさいよ!自分が何をしているか分かっているの?」
「田舎者の野蛮人がロイス様に逆らうとか許されるわけないでしょ!」
「そうよ!アンタみたいなゴロツキにそれは不釣り合いなのよ!」
「ルール守りなさいよ!この下種!」
口々に喚く女子たち。
野蛮人だのゴロツキだの下種だのはともかく、ルールを守れとは何だろうか。
ボスの意思と言葉に反して、お菓子を先に受け取った者から取り上げるのが正当化されるルール──生憎と覚えがない。
今にも専属使用人をけしかけてきそうな雰囲気を感じ取ったティナが俺の前に出て守りにつこうとするが、向こうには見るからに屈強そうな男の専属使用人が複数人いる。
多勢に無勢だ。
これはさすがに看過できないなと思った直後、人混みを掻き分けてオリヴィアが飛び出してきた。
「もうやめてください!こんなこと!」
オリヴィアは俺と女子たちの間に割って入り、懸命に声を上げる。
「エステルさんは順番通りに並んでいただけです!それなのに取り上げるなんて、間違っています!」
──ほう、言うようになったじゃないか。
これだけの貴族の女子生徒と専属使用人に囲まれてなお、敢然と相手の非を咎めるなど、なかなかできることではない。
感心している俺に対して、女子たちは額に青筋を立ててオリヴィアを睨みつけた。
「はあ!?アンタ何勝手に割り込んできてんの?」
「部外者は黙ってなさいよ!」
「ていうかアンタ特待生じゃない。身の程弁えなよ平民」
平民という言葉にオリヴィアが一瞬たじろぐ。
しかし、すぐに気を奮い立たせて反論した。
「で、でも──こんなの絶対おかしいです。エステルさんだってそのお菓子を楽しみにして列に並んだんです。抜かしたり、割り込んだりもしていません。何も間違ったことなんてしていないじゃないですか!」
だが、周囲から湧き起こるのは失笑と舌打ちだけだった。
そして女子たちの一人が蔑みの込もった顔で言ってくる。
「アンタらにとってはそうかもしれないけどね、ここはホルファート王立学園なのよ。学園には学園のルールってものがあるの。そこの野蛮人と平民は知らなかったみたいだけど、だからって守らなくていいって理由にはならないから。守れないんなら、アンタらこの学園にいられなくなっちゃうよ?」
その脅迫を聞いて後ろでオロオロしていたロイスが目を見開き、女子に食ってかかる。
「ちょ、ちょっと!やめなよクリスティン。さっきからもういいって言ってるじゃないか」
「いいえロイス様。コイツらにはきっちりお仕置きが必要です。横紙破りを許せば学園の秩序が乱れます!」
「そうです!」
周囲は口々にクリスティンと呼ばれた女子の言葉に賛同し、ロイスは言い返せずにまたオロオロし──後ろにいたエルフの専属使用人に泣きついた。
「ど、どうしようダフネス?これかなり不味いよ!」
「私に聞かれましても──」
困惑する専属使用人はよく見ると女性だった。
格好こそ他の男の専属使用人と同じだが、顎や首元が男性のそれではないし、声も高い。
そして──どういうわけかティナの方をチラチラ見ていた。
ティナと知り合いなのだろうか?
「分かったらさっさとそれをロイス様に渡しなさい!」
「ほらそこどきなさいよ平民」
「ルドス、やっちゃって」
女子たちと専属使用人が包囲の輪を狭めてくる。
いよいよこれは
「何の騒ぎだ?」
凛とした声が響き渡り、場が静まり返る。
声のした方を見ると、そこにいたのは綺麗に編み込まれた金髪と紅玉を思わせる赤い瞳が特徴的な女子生徒──公爵令嬢アンジェリカだった。
間近で見るのは久しぶりだが、相変わらず気迫が凄い。
そして周囲にはロイスほどではないが複数の取り巻きがいて周囲を威圧している。
アンジェリカは俺を見て一瞬目を見開いたが、すぐに剣呑な表情に戻り、取り巻きたちに囲まれているロイスを問い質した。
「ロイス、事情を説明してもらおうか」
威圧感たっぷりの問いかけにロイスが一瞬肩を震わせる。
先輩であることなど身分差の前には意味を為さないようだ。
「いえ、アンジェリカ様、大したことでは。ただこの者が不届きにも──」
「私はロイスに訊いている」
彼女の代わりにクリスティンが話そうとしたが、アンジェリカはそれをピシャリと遮った。
強気だったクリスティンがその一言で押し黙る。
そしてロイスが専属使用人に促されて進み出ると、経緯を話し始めた。
変に歪めたりせず、全て正直に伝えてはいたが、取り巻きを責めるような言葉は出てこなかった。
やっぱりコイツ善良で駄目なタイプだな。
「なるほど。ファイアブランド、今の話に間違いないか?」
アンジェリカが今度は俺に問うてきたので答える。
「概ねは。ですが、私とオリヴィアに対する謂れなき侮辱発言及び暴行未遂が抜けていますね」
「──そうか。話は後ほど詳しく聞かせてもらう。ロイス、ファイアブランド、特待生の三人は放課後私の所に顔を出すように」
そう言ってアンジェリカは去っていく。
残った彼女の取り巻きたちが人だかりを解散させ、俺たちはようやく席に着くことができた。
「あの、エステルさん。大丈夫ですか?」
オリヴィアが心配そうな顔で訊いてくる。
「ああ、別に気にしていない」
「そうですか──怖い顔をしていましたから」
指摘されて眉間に力が入っていたことに気付く。
「──ああ、正直滅茶苦茶腹は立ったけどな。公爵令嬢様に仲裁されたとあっちゃ、引き下がるしかねーよ。それより、お前はどうなんだよ?わざわざ首突っ込まなくてもよかったのに」
オリヴィアがあのタイミングで乱入して女子生徒たちに啖呵を切ったのは意外だった。
自分より小柄な女子一人に言い返すだけで精一杯だった彼女が、あれだけの人数相手に一歩も引かずに言い返すのは相当な恐怖だったはずだ。
実際オリヴィアは震えていたが、気丈に俺の目を見つめて答える。
「それは──すごく、怖いですよ。でも、エステルさんは何度も私を助けてくれました。私のこと、友人だって言ってくれました。だから──エステルさんが、友達が困っているのに見て見ぬふりなんて、できなかったんです」
まるで漫画の主人公みたいな正義感溢れる回答。
──反吐が出る。
ちょっと優しくしてくれた奴にすぐ絆されて、自分の身を危険に晒してまでそいつのために尽くす──前世の俺とそっくりではないか。
でも──やっぱり嬉しいという感情が微かに湧き上がる。
こういう複雑な感情は初対面のアーヴリルに感じた時以来だな。
「そうかよ。まあ、その──ありがとう」
気恥ずかしくてオリヴィアの顔を直視できなかった。
顔を逸らした拍子に柏餅が目に入る。
結局アンジェリカがあの場を解散させたことで取られずに済んだ貴重な和菓子──それを二つに引き裂く。
ほぼちょうど真っ二つに別れた柏餅の片割れをオリヴィアに差し出した。
「半分やるよ」
「え?いえそんな、頂けませんよ。エステルさんのなのに──」
オリヴィアは遠慮するが、無視して握らせる。
「いいから食えよ。その──迷惑料代わりだから」
そう、これはしなくてもいい口論をさせて怖い思いをさせてしまったオリヴィアへの心ばかりの埋め合わせ──彼女を俺に繋ぎ止めておくためだ。
友情につけ込んで何のお返しもなしに搾取していたらいつか離れられてしまうからな。
──おいティナ、さっきから微笑ましいものを見る目を向けるな。
ティナの生温かい視線に顔を赤くしながら半分になった柏餅を頬張る。
瞬間、懐かしい餅の食感とあんこの味が口の中いっぱいに広がった。
「これ、何だか不思議な味ですね。それにこの香りは──」
一口齧ったオリヴィアが目を丸くしている。
当然といえば当然か、彼女には馴染みのない味だったようだ。
きっとこの美味しさは元日本人だからこそ分かるものなのだろう。
「その葉っぱ──柏の葉の香りだよ。新しい芽が出るまで葉が落ちないって性質にあやかって家の繁栄を願う縁起物なんだと」
「そんな意味があったんですか?エステルさん、物知りですね」
オリヴィアが無邪気に褒めてくる。
これ、間違っていたら恥ずかしいやつだぞ。
どう返したものか分からなくて、柏餅の残りを頬張った。
ティナが何やらオリヴィアに耳打ちしているが、聞こえないふりをする。
どうせ照れ隠しだとか吹き込んでいるに決まっているのだから。
◇◇◇
放課後。
案内された部屋は随分と豪華だった。
長テーブルの上座にアンジェリカが座り、その背後と部屋の四隅に取り巻きの女子生徒が侍っている。
そして長テーブルの横にはロイスが座っていた。
その対面に座るよう促され、席に着く。
「揃ったな。では改めて経緯を説明してもらおう」
アンジェリカに促されて俺たちは改めて昼食時の騒動の経緯を説明する。
主にロイスが話し、俺とオリヴィアがちょくちょく補足を入れて、アンジェリカが真偽を確認。その繰り返しだ。
事情聴取はスムーズに進み、今後はこのような迷惑行為は慎むように、また取り巻きの生徒たちにもよく言い聞かせておくようにとの訓示がアンジェリカから垂らされる。
これにて騒動は一件落着。
だが、解放されたのはロイスだけだった。
俺とオリヴィアにはまだ話があるから残れとアンジェリカが言ってきたのだ。
去り際にロイスは俺たちに謝ってきた。
「私のファンの子たちがごめんね。たまに行き過ぎちゃうけど、悪い子たちじゃないから、許してあげてくれないかな?」
──こいつ色々と駄目だなと思ったが、その場はにこやかに返しておいた。
所詮彼女は自由のない偶像──宝塚の男役みたいな容姿とお人好しな性格に生まれてしまったばかりに、狂信者に囲まれている哀れな籠の鳥だ。
なら、一秒でも早くその狂信者たちの輪の中に送り返してやるのが最も残酷な仕打ちだろう。
ロイスが部屋を出ていくと、アンジェリカは先程よりもほんの少し柔らかい表情で話しかけてきた。
「昼間は災難だったな」
「ええ本当に。ですが、仲裁に入って頂いたおかげで助かりました」
頭を下げると、アンジェリカは鷹揚に頷く。
「生徒間のトラブルへの対処も私の役目だからな。確かにロイスのファンの行動は目に余るものがあった。しかし、だ」
アンジェリカは真剣な顔つきに戻り、忠告してくる。
「そのような行動を取られる原因がお前にあったのも確かだ。スイーツの件は抜きにしても、お前はこの学園の慣例に従っていない」
その言葉にオリヴィアが思わず聞き返してしまう。
「慣例、ですか?」
取り巻きの視線が険しくなるが、アンジェリカは気にした風もなく続ける。
「そうだ。学園生たる者、慣例には従わなくてはならない。それが円滑な学園生活には必要だ。二人とも今回だけは大目に見るが、今後は気を付けることだ」
──正直言い返したいことや問い質したいことは山程あったが、今それをアンジェリカにぶつけたところで何にもならない。
慣例だの暗黙のルールだのというのはなかなか変わらないし、無理に変えようとしたり反発すれば不利益になるだけだ。
だから俺にできることは承知したと返すことだけ。
彼女の言う慣例とやらの詳細は誰か他の奴から情報を手に入れるしかない。
「──分かりました」
神妙な風を装って頭を下げると、オリヴィアも慌てて俺に続く。
「結構。では下がれ」
アンジェリカの命令と共に取り巻きの一人が部屋の扉を開けた。
一礼して部屋を出ると、ティナが外で待っていた。
「大丈夫でしたか?お嬢様。オリヴィアさんも」
心配してくるが、「大丈夫だ」と返してその場から離れるために歩き出す。
アンジェリカのいた部屋から十分に離れた所で、俺はティナに訊いてみた。
「なあティナ、この学園の慣例とか暗黙のルールって知っているか?」
「申し訳ありません。全く心当たりがありません」
「──そうか」
駄目で元々だったが、弱ったな。
他に相談できる相手といったら──
「クリスとリオンに相談してみるか」
二人とも男子だから男子の慣例しか知らないだろうが、彼らの知り合いの女子に頼んでもらえれば女子の慣例やルールも分かるだろう。
一先ず解決の目処は立ちそうだ。
だが──
「よし、オリヴィア。今日は外食だ。気分転換するぞ」
「えぇ!?は、はい」
驚き、そして申し訳なさそうな顔をするオリヴィア。
奢ってもらってばかりで気後れするのだろうが、美味いものでも食わないとやっていられない。
俺たちは校舎を出てその足で王都へと繰り出すのだった。