木剣が空気を切り裂いて眼前に迫ってくる。
普通なら見えていたところで避けられはしないほど速い斬撃だが、どこに来るかは見える前から見当がついている。
頭を傾けて最小限の動きで躱す。
避けられると分かっていたのか、寸止めする気はなかったらしく、耳のすぐ横をものすごい勢いで木剣が通り過ぎる。
そしてその勢いのまま追撃の斬撃が起こるのが感じ取れた。
頭を傾けて重心がズレたせいで回避は間に合わない。
ならば下手に受けて更に体勢を崩されるよりはズレを利用する方が得策だと直感で判断し、敢えてもっと身体を傾けてその勢いで蹴りを繰り出す。
追撃をかけようとしていたクリスの手から木剣が弾き飛ばされ、宙を舞った。
呆気に取られたクリスの首筋に木剣を突きつける。
勝負ありだ。
「今のは──何をした?」
何が起こったのかさっぱり分からないという顔で問いかけてくるクリス。
「体術だよ。私の流派ではよく剣技に織り交ぜて使うんだ」
「体術──だと?」
クリスの顔が一気に引き攣った。
──納得できないって面だな。
「それは──剣術と言えるのか?」
やっぱりそう来るか。
これだからお上品な貴族剣術しか知らないお坊ちゃんは!
「宮中じゃ習わなかったかもしれないけどな、剣術ってのは剣を使った戦いで相手を殺すための技術だ。剣だけで相手を打ち負かすってものじゃない。剣以外の武器だって使うし、不意打ちだってする。でなきゃ、何でもありの本物の戦いで生き残れないからだ」
心に刻み込まれ、戦場で俺を勝利に導いてくれた師匠の教えを聞かせてやる。
クリスの剣技は確かにこの上なく精緻で美しいが、それ故に剣以外の──拳打や蹴り、投擲による攻撃を想定していない動きが見られる。
そういう攻撃を卑怯と捉えているのかもしれないが、それが隙に繋がっている。
その隙を突かせてもらったまでだ。
あらゆる武器、あらゆる攻撃手段を想定し、こちらもまた使えるものは何でも使う。それが鏡花水月である。
とはいえ、純粋な剣技で打ち負かせなかったのは事実。
相変わらず剣では一太刀すらも入れる隙が見当たらないし、崩しもフェイントもまるで通じないし、逆にそれで生じた僅かな隙を突かれてしまった。
さっきのような不意打ちも、もうそうそう通じないだろう。
来ることを想定していれば簡単に防げるし、そこからカウンターを喰らって返り討ちに遭うのが容易に想像できる。
つまり、俺もまだまだということだ。
「ま、次は絶対剣で打ち負かしてやるけどな」
「──それは此方の台詞だ」
木剣を下ろすと、クリスはまだ悔しげな顔で言った。
「その意気だ。でも、今回は私の勝ちだからな。賭け金はきっちり払ってもらうぞ」
「──何が望みだ?」
クリスがやや警戒感の込もった声で訊いてくる。
今朝の掛かり稽古で、俺たちは賭けをしていた。
と言っても、金銭を賭けていたわけではなく、負けた方が勝った方の頼みを一つ聞くという内容だ。
普通に頭を下げて頼み込むのも面白くないのでこういう形にしたが、存外あっさり乗ってきた。
クリスは何を頼むつもりだったのか少し気になるが、勝ったのは俺だ。
「今週ダンジョンに行く授業があるだろ?そこで私とグループ組んで欲しいんだ」
「──私と?」
しばしの沈黙の後、クリスは目を見開いて呟く。
「駄目か?」
「い、いや──駄目というわけではなくて──その──実は私もそれを考えていたんだ」
顔を赤らめて目を逸らしながらモゴモゴと言うクリス。
考えていた頼み事ってそれだったのか。
剣にしか興味ありませんみたいな顔して意外と──まあ、こいつは無口で無愛想だし、同性の友人らしき人物を見かけたことはないし、群がってくる女子のことは疎んでいるので、組む相手が思い当たらずにいただけかもしれないが。
どうであるにせよ、好都合だ。
「本当か!?じゃあ頼むよ。そうだ、私の友人も一緒にいいか?」
「あ、ああ。──分かった。先生に言っておこう」
畳み掛けると、クリスは頷いた。
作戦成功だ。
──ほんの少し、がっかりしていたように見えたのは気のせいだろう。
◇◇◇
「メンバー候補は纏まったか?」
その問いかけに取り巻きの女子生徒がすぐに資料を手に答える。
「はい。こちらに」
それを聞いて、アンジェリカは「確認しよう」と言って取り巻きから資料を受け取り、目を通す。
資料の内容は数日後に迫ったダンジョンでの実地学習のグループ分けの最終案。
その中でもアンジェリカが最も注視するのは自分と王太子ユリウスが所属するグループの内訳だ。
次期国王たるユリウスの身にもしものことがあってはならないが、さりとてプロの護衛を呼ぶことも諸事情により不可能なため、学年で最も優秀かつ信頼できる生徒たちを配置しなければならない。
ただ、しがらみというものはどこにでもついて回るし、生徒たちからもあれこれ要望は上がってくる。
やれ誰それを入れろ入れるなだの、どれそれの装備を使わせろだの、どこそこまで行かせろだの──アンジェリカはそうした要望や陳情を選り分け、学園側との調整役を担っていた。
そして何度かのやり取りの末に上がってきた最終案だが──その中の二つの名前に目を見開く。
「ファイアブランド?それに特待生だと?」
「はい。アークライト様からのたっての要望でして。──外されますか?」
取り巻きが伺いを立ててくる。
(アークライトが?)
アンジェリカは訝しむ。
彼女の知る限り、クリス・フィア・アークライトという男は剣一筋で、浮いた話はこれまで聞こえてこなかった。
しかもそんな彼がぜひ一緒のグループにと要望してきたのが、アンジェリカも知るエステルと平民の特待生である。
エステルが特待生と一緒にいるのは度々目撃していたが、クリスが二人と一緒にいるのを見た記憶はない。
彼女らとクリスの間に接点などあっただろうかと記憶を探る。
(そういえば以前ファイアブランドと話していたと聞いたな)
思い出したのは入学式から間もない頃に聞いた噂。
クリスとエステルが短い間ではあるが教室で気さくに話していて、普段鉄面皮のクリスがその時は笑顔だったという。
エステルが剣術を得意としているのはアンジェリカも知っている。
剣術を修める者同士何か通じるものがあったのだとしたら、その後も交流が続いていてもおかしくない。
(とすると挨拶のことを教えたのもアークライトか?)
月曜に届いたエステルと特待生からの遅ればせながらの付け届け──誰が教えたのかと思っていたが、クリスがエステルと交流を持っていたのなら彼が教えたのかもしれないとアンジェリカは考える。
(──これは奇貨とすべきだろうな)
少なくとも彼らの関係や為人にあからさまに怪しい点がない以上、この要望を却下する理由はない。
むしろアンジェリカにとっても悪くない話である。
宮廷内でのつながりがある者だけで揃えていてはどうしても内輪の集まりにしかならず、人脈は広がらない。
宮中にいては殆ど出会うことのない地方領主貴族家の出身者や、将来役人として実務を担う下級貴族の子弟たちとも交友関係を持っておいた方が、後のユリウスの治世に役立つというのがアンジェリカの考えだ。
その考えにエステルはぴたりと嵌まる。
人格的には問題ないし、下手なしがらみもない。むしろレッドグレイブ家に恩義がある分、此方寄りの立場と言って良い。
行動こそ過激だが、少なくともユリウスに擦り寄る
それにエステルにとっても悪評を払拭する好機だろう。
表立ってエステルを庇い立てすることはこれまでできなかったが、これを機にエステルは王太子に近づけるわけにはいかない危険な人物ではないというメッセージを発信できる。
特待生の方は分からないが、彼女には実家も含めて何の力もない。
庶民と関わる貴重な機会になるメリットこそあれ、リスクやデメリットはないだろう。
「──いや、外す必要はない。これで提出する」
「かしこまりました」
取り巻きが資料を受け取り、職員室へと持っていく。
懸案事項が一つ片付き、アンジェリカは一息ついた。
(何事も起こらなければいいが──)
問題はアンジェリカが色々考えてお膳立てしても肝心のユリウスに分かってもらえないことだった。
ここのところユリウスは
そうして蔑ろにされることに怒りを感じないわけはなかったが、それ以上にアンジェリカはユリウスが心配だった。
学生のうちに確かな人脈を築き、地盤を作っておかなければ、将来ユリウスが王位に就いた時、その統治に支障を来してしまう。
だから度々もっと多くの学生と関わるように諫言しているのだが、ユリウスは聞き入れてくれない。
自分の物言いに癪なところがあるのは分かるが、自分が言わなければ誰が言うのか。
無責任に甘く優しい言葉を吐く有象無象と違って、自分には次期王妃としての責任がある。
その一心で、アンジェリカはユリウスのために奔走していた。
◇◇◇
数日後。
俺はオリヴィアや他の上級クラスの同級生たちと一緒にダンジョンにいた。
今日が待ちに待った冒険の授業の日だ。
ホルファート王国の貴族というのは多くが元を辿れば冒険者であり、それ故に貴族たちは皆一度は先祖に倣って冒険者となり、ダンジョンに挑む。
そういうしきたりで、ダンジョンに挑んだ経験がない者は成人していようが、学園を出ていようが、一人前とは見做されない。
そしてそれは驚いたことに女子でも同じだ。
こういう所だけ男女平等なのは王国の謎の一つである。
身に着けているのは普段の制服ではなく、厚手の服に金属製の胸当てとガントレット、爪先と脛に金属板が仕込まれたブーツ、荷物を括り付けるための穴が多数空いたベルトに、採取したものを入れる雑嚢。更に武器として取り回しの良い片手剣とナイフ、採取道具を兼ねた小型スコップというよくある冒険者の装備だ。
周りの同級生たちも同じく冒険者の装備に身を包んでいるが──はっきり言ってそれで大丈夫なのかと言いたくなるようなものばかりである。
何の意味があるのか分からないパーツが付いていたり、見るからに絡まりそうなヒラヒラしたもの、攻撃されやすい腕や足が無防備に露出しているもの、逆にゴテゴテと装飾がついた装甲をあちこちに配したどう見ても重量過大なもの。
髪も引っかかったりモンスターに掴まれたりする危険があるので纏めてくるようにとの指示があったにも関わらず、精々がポニーテールやハーフアップにしかしていない者が多くいた。
もはや冒険の授業というよりファッションショーなのではないかと思えてくる。
所詮遠足のようなお遊び気分なのだろう。
そしてそれはクリスも同じだった。
防御魔法を組み込んではいるが、やはりファッション性重視で実用性は低そうな服と丈の長いマント、ダンジョンで使うには大振りな剣。
とはいえ、クリスの実家は宮廷貴族。
ダンジョンに挑む機会などなかっただろうから、仕方ない。
ヘマをしたらしたで俺の見せ場到来だし。
それに、オリヴィア共々このグループに入れたのもクリスのおかげだ。
アンジェリカがいる上級クラスの中でも最も高貴なグループ。その顔ぶれは錚々たるものである。
彼女の婚約者にして次期国王である【ユリウス】王太子殿下。
その乳兄弟であり代々続く近侍の家系の出だというマーモリア子爵家の【ジルク】。
以前オリヴィアに招待状を出していたフィールド辺境伯家の御曹司【ブラッド】に、これまた王国開闢期からの名門であるセバーグ伯爵家の【グレッグ】。
その他にも伯爵家や辺境伯家といった大物貴族のボンボンやら、アンジェリカの取り巻きの中でも格の高い者たちがずらりと並ぶ。
将来の王国の最上層を約束された俊英たちなわけだが──その中に見覚えのある顔を見つけた。
「あいつ──このグループだったのかよ」
以前裏庭の入口でオリヴィアに絡んでいた小柄な女子生徒。
見た感じではそんなに高貴な家の出には見えなかったが、見かけによらずということなのだろうか。
そんな彼女がグループの中心にいた。
「知り合いがいたのか?」
クリスが怪訝な顔で問いかけてくる。
「ほら、あの殿下たちと話している女がいるだろ?あいつとはちょっとした因縁があるんだ」
オリヴィアの方を見ると、慌てて「私は大丈夫ですから!」と気丈に言ってくる。
「因縁?」
「オリヴィアと揉めていたんだよ。で、私が止めに入った」
「──君の友人と揉め事を?あの子が?」
クリスは信じられないという顔をする。
どうやら彼女と面識があるようだ。
「あいつのこと知っているのか?」
「いや、殿下から聞いただけだが、純粋で気立ての良い子だと仰っていたんだ。揉め事など起こすとは──」
ユリウス殿下の目は節穴なのか?
身分が違うとはいえ、人に対して同じ場所で息を吸うのも嫌とか言うような奴が気立ての良い女のわけがない。
まあ、上手く猫を被っているんだろうけどな。
「王太子殿下の交友関係にとやかく言うつもりはないけどな、あいつはそんな良い女じゃねーよ。クリスも関わらない方がいい」
「そ、そうなのか?」
クリスは困惑していたが、気を遣ってくれたのかそれ以上何か言ってくることはなかった。
空気が悪くなったのを察したオリヴィアがダンジョンで見られるあれそれが楽しみ──とかいう内容の話をし始めるが、俺は小柄な女子から意識が離れなかった。
思い出すだに腹が立つ暴言の数々。
それらを吐いていた女が今、愛想笑いを浮かべながらユリウス殿下を筆頭に先程名前の挙がった四人の貴公子たちに囲まれている。
その様子をアンジェリカが取り巻き共々苦々しい顔で見ていた。
ユリウス殿下はそんなアンジェリカに見向きもせずに、小柄な女子とのお喋りに夢中になっている。
とても婚約者に対する扱いとは思えない。
アンジェリカとは愛のない政略結婚なのかもしれないが、それにしたって彼女を蔑ろにし過ぎではないだろうか。
愛情がないにしても体裁というものがあるだろうに、そんなこと知るかとばかりに勝手気儘に──いや、待てよ?
生真面目な婚約者を放ったらかして女遊び──周りに構わず好き勝手に振る舞い、人を傷つけ、自分の幸福だけ追い求めるその姿勢は一般的には非常によろしくない。はっきり言って鬼畜の所業である。
と、いうことはだ。
ユリウス殿下は悪人──俺の目指す悪の側の人間ではないのか?
もし俺がユリウス殿下の立場だったら──間違いなく同じようなことをしただろう。
ちょっと──ほんのちょっとだが、ユリウス殿下に親近感が湧いた。
よりにもよってあんな腹黒い猫被りのチンチクリンを狙ったのは馬鹿だとは思うが、案外お似合いかもしれない。
少なくとも二人とも心の有り様が悪人のそれなのは確かである。
ただ、そうなるとどんなに愛して尽くしても報いてくれない悪人に嫁ぐことが決まっていて逃げられないアンジェリカは本当に哀れなことだ。
でも、それとこれとは別。
俺は彼女を都合良く利用させてもらうけどな。
まあ、レッドグレイブ公爵家への借りがある分、話を聞いて慰めるくらいはしてやろう。
そのためにも、この授業のどこかでアンジェリカと話しておきたい。
オリヴィアとクリスの会話に適当に相槌を打ちながら、アンジェリカに話しかけるタイミングを窺っていると、引率の女性教師が点呼を取り始めた。
グループ全員が揃っていることが確認されると、六人ずつの班を作るよう指示が下る。
班分けはある程度事前に決められていたようで、周囲はすぐに六人ずつで集まって班を作っていく。
決まらない所にはアンジェリカの取り巻きが介入して人数を調整していく。
俺とクリスとオリヴィアもすぐに男子生徒二人と女子生徒一人が追加され、クリスを班長にした班が作られた。
その中に見覚えのある顔があった。
「セヴァリー子爵家のエリスです。よろしくお願いします」
優等生スマイルを浮かべて挨拶してくるダークグレーの髪に黄色い瞳の女子生徒。
体育の授業初日に声をかけられて以来音沙汰がなく、俺も色々あって忘れていたが、ここでまた会うとはな。
「ファイアブランド子爵家のエステルです。よろしく」
「お、オリヴィアです。よろしくお願いします!」
俺とオリヴィアが自己紹介を返すと、クリスが続く。
「アークライト伯爵家のクリスだ。この班の班長を担当することになった。よろしく頼む」
クリスに続いてもう二人の男子生徒も挨拶する。
「サクソン子爵家のティモシーです」
「ラウリア子爵家のアルマンドです。よろしく」
愛想の良いエリスとは対照的ないかにも義務的というか、渋々やっているような感じだった。
特にオリヴィアへ向ける視線が冷たい。
そして挨拶を終えるとユリウス殿下たちの方をチラチラ見ていた。
どうやらこいつらも俺と同じく大したつながりは持たず、ユリウス殿下たちに取り入るために無理をして入っただけのようだ。
期待できないなと思って内心溜息を吐いていると、エリスが話しかけてくる。
「しばらくぶりだね。エステルさん」
「──ああ。身体測定の時以来だな」
話をしようと言っておきながら、その後声をかけてくるどころか姿も見せなかったことに対するちょっとした嫌味を込めて返したが、エリスはさらりと流してしまった。
「そうだね。色々あって間が空いちゃったけど、会えて嬉しいよ」
「私こそ。まさか一緒のグループだとは思わなかったけどな」
「私の家は一応レッドグレイブ公爵家の寄子だからね。その伝手で捩じ込んでもらったんだ。君と組みたくてね」
「私と?」
このグループにいるということは何かしら繋がりがあるのだろうと思っていたが、驚いたな。レッドグレイブ公爵家の寄子ともなれば、取り巻きにいてもいいレベルだ。
しかも、その口ぶりだと俺と組みたくて無理を言ったように聞こえる。
「うん。教室で話してたらあれこれ噂されて面倒だけど、授業で一緒のグループになったら、話しても別に不自然じゃないでしょ?このグループの人たちは君の事情を知っている人も多いから、尚更ね」
「私が他のグループに割り振られていたらどうする気だったんだよ?」
「その時はその時で何とかしただろうね。でも、君よくアークライトさんと朝稽古していたから何となく同じグループになるんじゃないかな~とは思ってたよ。実際そうなったし」
「見てたのかよ」
見ていたなら話しかけてきてもよかったのに。
「いや~見かける度に鬼気迫る打ち合いしてたから近づくに近づけなくてね。それに、仲良さげだったから二人の時間の邪魔するのも悪いかなって」
「いや、そういうのじゃないから」
何やら邪推しているようだったので、きっぱりと否定しておく。
「そうなの?」
「そうだ」
エリスはまだ疑わしそうにしていたが、俺は強引に話題を変える。
「それよりそっちの方はどうなんだよ。アンジェリカさんの周りこそ今まさに色めき立っているじゃないか」
「んー私はアンジェリカ様のお側に侍るような身分じゃないから詳しくは知らないんだけど、あのマリエって娘が──」
エリスが言い終わらないうちに──
「身の程を知れと言っている!」
アンジェリカの怒声が響き渡った。
相変わらずの迫力に思わず身が引き締まる。
その声の向けられた先は案の定、マリエというらしいあの小柄な女子だった。
怯えた顔をするマリエをユリウス殿下が前に出て庇う。
「やめろアンジェリカ、もうそこまでにしておけ」
ユリウス殿下がアンジェリカを窘めると、アンジェリカも負けじと言い返す。
「殿下、この者の我儘をお許しになるのですか?」
「何もそこまで目くじらを立てることはないだろう」
言い争う二人を見て引率の女性教師はオロオロするばかりだった。
見てみると随分若い。身体つきからして素人でないのは分かるが、何が起こるか分からないダンジョンで王侯貴族の子女たちを率いるに相応しいとは思えない。
あれか?王侯貴族の側に侍らせるならベテランのむさいオッサンより多少力量不足でも若くて綺麗な女性がいいとかそういうやつか?
邪推しながら成り行きを見ていると、マリエが俯いて消え入りそうな声でユリウス殿下に言った。
「殿下、私──殿下と一緒がいいと思っただけです。迷惑なら断っていただいても構いません」
庇護欲を掻き立てるか弱い仕草──だが、よく聞くと言っていることは上から目線にも捉えられる。
端的に言って無礼である。
実際アンジェリカは目尻を吊り上げて噛み付いた。
「図に乗るな!お前と殿下とでは身分が違う。今まで大目に見てきたが、お前がそのような態度なら──」
アンジェリカの剣幕にマリエは更に怯え──いや、怯えるふりをしていた。
あざとく肩を震わせてユリウス殿下の後ろに隠れている。
それを見てアンジェリカはますます顔を真っ赤にして怒鳴り、周囲も口々にマリエの悪口を言っていた。
「ま、見ての通りあの娘遠慮がなくてね。殿下との初対面の時なんて殿下に平手打ちしたんだって。でも殿下はそれを笑って許されてね。それからいつもあんな調子で、殿下もご友人たちもあの娘にばっかり構われるから、アンジェリカ様もピリピリしてらっしゃるの」
エリスが呆れ顔で説明してくる。
なるほどな。少女漫画でよくある「おもしれー女」ってやつか?
俺なら平手打ちなんてしてくる奴はその場で手討ちにしてやるところだが、王太子という立場ともなれば、そういう女が却って新鮮に見えるのだろうか。
それともあれか?跳ねっ返りを屈服させて自分のものにしてやりたいみたいな?
──それなら分からなくもない。
「あ、あの、これどうなっちゃうんですか?」
オリヴィアが見ていて面白いくらい慌てた顔で訊いてくる。
「黙って見てろ。そのうち収まる」
騒ぎの中心から目を離さないまま、適当に返事をする。
さて、悪人のユリウス殿下はこの修羅場をどうするんだ?
「いい加減にしろ!」
発せられたのは期待通りの言葉だった。
大声で自分の権威を振りかざして周囲を強引に黙らせる。まさに悪人のすることではないか。
周囲は水を打ったように静まり、怒鳴りつけられたアンジェリカは驚いていた。
「で、殿下?」
言葉を失った彼女の前にもう一人、立ちはだかる者がいた。
「アンジェリカさん、あまり殿下を困らせないでいただきたいですね」
優しげでどこか艶のある声でアンジェリカを制したのは乳兄弟のジルクだった。
──コイツも悪人だな。
微笑を浮かべているが、目が笑っていない。きっと中身は腹黒に違いない。
「困らせる?私が困らせているというのか?私は殿下のためを思って──」
アンジェリカは反論しようとするが、さらに加わったもう一人によって遮られる。
「そういう態度が迷惑だって言うんだよ。学園にまで外の関係を持ち込むな。見ていてイライラするぜ」
槍を担いで目を細めるセバーグ伯爵家のグレッグ。
身分が高いのもそうだが、ワイルドな見た目の醸し出す威圧感で周囲は言い返せない。
──コイツはもっと分かりやすい悪人だな。
見れば服の露出度も高く、鍛えられた筋肉が見えるようになっている。周囲を威圧するのが好きなタイプだろう。
何だ。貴公子といってもクリスのようなナイーブなお坊ちゃんばかりではないのか。
むしろ悪人だらけではないか。
これは面白くなってきたぞ。
「申し訳ない。俺たちはここにいるマリエと組む。後は適当に編成してくれ」
「は、はい!」
結局ユリウス殿下たちの鶴の一声──いや三人だから三声か?──によって班決めは終わった。
そして、貴公子たちに囲まれながら、マリエがニヤリと笑みを浮かべているのを見て、俺は確信した。
コイツが一番の悪人──いや、悪女だと。
ダンジョンの授業の時絶対マリエに「一緒のグループで冒険したいですね」とか言われて、ジルクあたりがマリエを一緒のグループにしてくださいと強く要望してたと思う。