リオンとの買い物から帰った後。
俺はオリヴィアを自室に招いて作戦会議を開いていた。
初回の授業で行くのは地下三層までの最も安全なエリアだが、それでも初心者が難なく踏破できるほど甘くはない。
群れをなして冒険者を襲う昆虫型モンスターや、俊敏な小動物型モンスターが頻繁に出現するという話だ。
それらを王太子殿下やアンジェリカたちに近づけずに防ぎ切ることで俺の力を見せつける。
ただ、それだけではオリヴィアの能力を売り込めないので、突破はされないまでもグループのメンバーが何人か負傷するくらいの苦戦を演出する必要がある。
そのために俺が考えたのが、第三層よりも下の階層にいる強力なモンスターを呼び寄せることだった。
ゴール地点にはベテランの教師が張っているが、ちょうどそこにゴール直前のタイミングで出現させられたら──きっと面白いことになるだろう。
問題はどうやってそんなモンスターを連れてくるかだが、幸い心当たりはある。
「お前は誰かが負傷した時に治療魔法で治す役だ。当日はこんな感じの班を組むから、一番後ろのこの位置にいろ。はぐれるなよ」
「はい」
紙に描いた簡単な図で説明してやると、オリヴィアは頷く。
ダンジョンに入ったこともモンスターを見たこともなく、攻撃魔法は習いたてで心許なく、武器の類は持ったことすらない彼女を戦闘に参加させることはできない。
戦いが終わるまでは班の後方に引っ込んでいてもらい、戦いが終わった後にゆっくり治療魔法を使ってもらう。
そう考えていた俺だが、オリヴィアは納得行かなかったようだ。
「あの、エステルさん。私も戦えるように頑張ります。ダンジョンに行くまでに攻撃魔法が使えるようにしますから」
必死に訴えるオリヴィアだが、ダンジョンに行くまではもうあと僅かだ。
いくら彼女が天才でも、独学でそんな短期間に攻撃魔法を完全にものにするなど不可能である。
だから──
「なら今から特訓してやるよ。とりあえずファイアーボールだな」
炎系の応用魔法にして一年生がダンジョンの授業を前に最初に習う攻撃魔法の一つをまずは使えるようにしてやるとしよう。
女子は基本男子が守ってくれるので、大したものは必要ないということなのだろうが、授業は手ぬるいにも程がある。
何せ呪文を詠唱して火球や氷を出現させられるだけでパスするのだ。
おかげでオリヴィアをはじめ多くの女子たちは、出現させたそれらを飛ばして的に当てることができない。
俺はオリヴィアを訓練場に連れ出した。
「赤き炎よ、今ここに集いて我が手に力を。焼き尽くせ、灼熱の劫火球、ファイアーボール!」
長ったらしい呪文の詠唱と共に小さな火球が出現するが、その場を漂うだけで飛んでいかない。
やっぱり射出が問題か。
ただ、それ以前に火球がやけに小さい気がする。
魔力量に乏しいようには見えないのに、これは少し妙だな。
訝しんでいると、火球は存在を維持できなくなったのか、消えてしまった。
「もう一度だ。集中しろ」
再びファイアーボールの発動を命じるが、結果は同じ。
その次もそのまた次も同じ結果が続いた。
「オリヴィア──お前、もしかして火が怖いのか?」
呪文を間違えているわけでも魔力量が足りないわけでもないのなら、集中力の問題だ。
そして普段机にかじりつく勢いで勉強に集中している彼女に集中力がないなんてことはあり得ない。
だとすれば、考えられるのは何か無意識的なブレーキがかかっていることだ。
「そんなはずは──炎魔法は普段から使っていたんです。なのにどうして──」
オリヴィアは焦りの表情を浮かべて何度もファイアーボールを発動していたが、結果はどれも似たり寄ったりだった。
「焦っても無駄だ。こういうのは積み重ねだからな。すぐにはできなくても仕方ない。それに、動揺しているとますます集中力が削がれるぞ」
「はい──」
諭してやると、オリヴィアは泣きそうな顔で頷く。
良い兆しだ。そうやって自分の無力感を呪うがいい。
力を渇望するも良し、心が折れて俺に依存してくるも良し、悪の道への入り口はすぐそこだ。
オリヴィアを慰めるふりをしつつ、俺は内心ほくそ笑む。
「今日は取り敢えずこれで切り上げだ。ゆっくり休め」
今の状態では何度やってもできるようになるとは思えなかったので、俺は練習を切り上げさせた。
オリヴィアを普通クラス用女子寮に送って行った後、俺は通信機を立ち上げてセルカに連絡を取った。
『なるほどね。できることはできるけれど、あまり細かい加減はできないわよ?』
俺の作戦を伝えると、セルカは心配そうな声で言う。
「心配は要らねーよ。いざとなったらシアバーストかヘルブレイズで片付けるから」
はっきり言って、中層くらいまでのモンスターならどんなに束になってかかってこようが、今の俺の敵ではない。
第三層の下、表層の中頃のモンスターなど、赤子の手を捻るように薙ぎ払える。
セルカの心配は杞憂だ。
『そういう問題ではないと思うのだけれどね。分かったわ。久しぶりに実験も兼ねてやってみましょう。──何が起きても必ず対処してね?』
「ああ。当然だ」
万が一にもヘマをして王太子殿下やアンジェリカに怪我でもさせたら、俺の立場が危うくなることは百も承知だ。
それでもやる価値があると判断したからやるのだ。
そもそも俺が失敗することなどあり得ない。
俺には幸運の守り神である案内人がついているのだから。
◇◇◇
ダンジョンというのは本来魔石や魔導金属を産出する地下洞窟あるいはそこから掘り進められた坑道を指す言葉だ。
例外なくモンスターが跋扈する危険地帯ではあるが、エネルギー源である魔石や精錬された状態の金属が産出し、しかも採掘されてもいつの間にか回復している。
時折宝箱と呼ばれる物体が出現することもあり、中には希少な魔石や宝石が入っているのだという。
そうした謎多き資源産出地を数多く手中に収めたことが、ホルファート王国が大国になった最大の理由だ。
今でこそロストアイテムが見つかる古代遺跡や、険しい大自然の地形そのものをダンジョンと呼ぶこともあるが、今俺たちが進んでいる坑道こそが真の意味でのダンジョンである。
崩落防止のために等間隔で立てられた木製の支柱や無骨な標識。
岩肌から突き出した鋭い鉱石や金属の結晶。
前世では全くお目にかかれなかった絶景にらしくもなく心躍る。
俺たちの班はグループの前衛として先頭を進んでおり、幻想的な景色を真っ先に堪能できるのだ。
今のところモンスターが襲ってくる気配はなく、静かなものだが、周りのダンジョン初心者たちは緊張しっ放しである。
クリスは剣の柄から手が離れていないし、賑やかにお喋りしていたユリウス殿下たちも口数が減っている。
落ち着いているのは俺とエリスくらいなものだった。
そしてオリヴィアは初めて見るダンジョンに興味津々で、忙しなく視線を動かしている。
釣られて俺も何か俺の目に留まるものがないか探してみる。
表層ではなかなかお目にかかれないだろうが、高純度の希少な魔石でもあれば俺のコレクションに加えたい。
ふと、視界の隅に光を捉えた。
そちらに視線を向けてみるが、特に何も見当たらない。
「どうしたんですか?」
オリヴィアが気付いて声をかけてくる。
「いや、何か気になるものがあってな。クリス」
呼びかけると、クリスは剣の柄を握ったまま振り向いた。
「ん?どうかしたのかエステル?」
「少し先に何かある。調べさせてもらえないか?」
「何か?モンスターでも見たのか?」
「分からない。でも何か光ったんだ」
クリスは首を傾げていたが、すぐに了承してくれた。
「分かった。殿下たちにもしものことがあってはいけない」
俺たちの班は先行して俺が光を見た辺りを調べることになった。
だが、特にそれらしいものは見当たらず、水晶のような鉱石が所々に突き出ているだけだ。
「おかしいな。確かに何かチカチカしていたはずだけど」
俺の呟きを聞いて、エリスが何かに気付いたようだ。
「あ!──もしかしたら」
エリスが岩肌に手を触れて魔力を流し込むと、青白い光が波紋のように広がった。
光が消えると、岩肌の割れ目からさっきよりも強い光が漏れ出ている。
「驚いたな。こういうのもあるのか」
「うん。魔力を蓄える性質を持つ魔石があるんだ。これは多分それだよ。まさかこんな表層で見つかるなんてね」
エリスが興奮気味に話しながら試験管のようなものを取り出す。
中に入っていた粉を岩の割れ目に振りかけると、炎魔法で火花を発生させた。
爆音と共に岩肌に大きな亀裂が入り、そこからまた青白い光が漏れ出す。
スコップで脆くなった岩を剥離させると、その下から無数の輝く魔石が姿を現した。
「成長途中のやつかな?さすがに表層だとそこまで大きくはならないか」
エリスの言う通り、一つ一つはそれほど大きくはない。
だが、魔力を蓄える魔石というのはいわば小型で高性能の蓄電池だ。当然、高い需要がある。
それに数が数だ。総額では千ディアに届くかもしれない。
六人で分け合っても一人百ディア超は確実。オリヴィアが買いたがっていた本が殆ど買えるだろう。
ただ、オリヴィア本人は別のことが気になるようだ。
「成長?魔石って成長するんですか?」
「そうだよ。採掘されてもいつの間にか新しいのができてるのは常に生まれて成長してるからだよ。場所によって成長スピードや大きさの限界は違うけどね」
オリヴィアの質問にエリスが得意げに答える。
「誰かが用意しているみたいだと思っていましたけど、違うんですね。でもどうしてそんなに早く成長するんでしょう?」
「さあね。色々言われてるけど、今はどれも仮説でしかない。けど、魔石はダンジョンでしかできないから、その環境に原因があるのは確かだね」
「環境というと──モンスターがいるとかでしょうか?でもそれだとダンジョンでしか産出しないことの説明がつかないと思うんですけど──」
「私が思うに、ダンジョンの最深部から何かしらの物質が発生しているって説が当たりなんじゃないかな。魔石はその物質が岩の中の他の成分とか空気と反応して結晶化したものってところだろうね」
いつの間にかダンジョンの謎について盛り上がっているオリヴィアとエリスだったが、男子たちはつまらなさそうにしていた。
「危険なものでなかったのならばよかった。グループに戻るぞ」
クリスが引き上げようと言い出すので、俺は少し待って欲しいと引き留めた。
「オリヴィア。採掘するぞ」
「え?でもこれ貴重なものなんじゃ──」
「だからこそだ。研究するにしても標本と資金が要るだろうが」
「──たしかにそうですね」
魔法で強化したスコップで岩ごと魔石を削り取り、雑嚢に放り込む。
それを見てサクソンとラウリアの野郎が「貧乏臭い」などとぼやいていた。
クリスがすぐに窘めていたので今回だけは不問にしてやるが、今度何か悪口を言ってきたら仕返しをしてやる。
ちょうど後続のグループが追いついてきたので、今度こそ俺たちは引き上げて彼らと合流したのだった。
◇◇◇
結局その後全くモンスターと遭遇することなく、俺たちは第二層へと足を踏み入れた。
第一層と殆ど変わらない景色が続くが、すぐに明らかな違いが見つかった。
あちこちにある横穴や脇道。こちらからは岩肌に隠れて見えないものも多く、実にいやらしい地形だ。
実際、そこかしこに気配を感じる。
「クリス。脇から何か来る気配がする。準備した方が良さそうだ」
「ッ!全員、警戒を」
無表情ながら焦りがありありと分かる顔で戦闘準備を呼びかけるクリス。
グループのメンバーが慌てて武器を手に取ろうとしてもたついているのは滑稽だった。
「面白くなってきたね」
エリスが楽しげに拳銃を構える。そこに焦りや緊張は見られない。
むしろスリリングな展開を楽しんでいるようだ。
聞こえてきた足音からすると、近づいてきているのは大型の昆虫型モンスター。ざっと十体以上はいるだろう。
果たして、脇道から現れたのは一メートル近い巨体を持つ蟻だった。
エリスが素早くその正体と数を看破する。
「ジャイアントアントか。数は十二体。多いね」
触角を揺らし、大顎をカチカチ鳴らしながらにじり寄ってくるジャイアントアント。
だが──
「問題ない。クリス、指示を」
「殿下たちに近づけるな。第三班、かかるぞ」
号令一下、俺たちの班は戦闘を開始する。
俺とクリスが剣を手にジャイアントアントに挑みかかり、その後ろを残りのメンバーが追いかけてくる。
「食らっとけ!」
大顎を開いて向かってくる三体のジャイアントアント目掛けて風魔法の刃をお見舞いし、触角と脚を切断。
地面に倒れ込んだところで頭と胴体の接ぎ目を狙い、手早く斬り落としていく。
その隣でクリスが強引にジャイアントアントの頭を叩き斬り、左右に両断していた。
頭部は固い殻で覆われているので積極的に狙うことは賢明ではないとされているが、そんなこと知るかとばかりに次々に頭をかち割って倒していく。
サクソンとラウリアが二人がかりでどうにか側面に回り込んでいるのとは大違いだ。
そしてようやく一体倒して、そこで一瞬油断した二人に向かっていたもう一体をエリスが拳銃で撃ち抜いた。
「お礼はいいですよっと!」
そう言ったエリスが続けざまにもう一体をヘッドショットで倒し、最後に残った二体を俺とクリスが一体ずつ斬り捨てて、ジャイアントアントは全てが煙になった。
剣を収め、クリスにスコアを訊きに行く。
「何体やった?」
「──四体だ」
四体か。初めてにしてはやるな。
花を持たせるために手加減していたとはいえ、俺と一つしか違わないとは。
「私は五体だ。私の勝ちだな」
「──まだ勝負は終わっていない」
無表情なのにムキになっているクリスを見て楽しんでいると、オリヴィアが駆け寄ってきた。
「あの、エステルさん、クリスさん。お怪我はありませんか?」
初めて見たモンスターに怖気付いて何もできなかったので、せめて治療魔法で役に立てないかと思っているのだろうか。
「いや、私は大丈夫だ。ありがとうな」
「私もだ」
「よかった。皆さんご無事でした」
自分だけ見せ場がなかったのに、それを気にするそぶりも見せずに無事を喜ぶオリヴィア。
功を焦ってはいてもまだ自分のことより皆の安全を優先する良い子ちゃんではあるようだ。
ちょっと悪に近づけたかと思ったが、まだ先は長そうだな。
モンスターを迅速に片付けてみせた第三班を見て、アンジェリカは安堵していた。
十二歳で既に暗殺者に不意打ちされても切り抜ける実力者だったエステルなら、何が襲ってきても対処してくれるだろうと期待していたし、それは実際裏切られなかった。
アンジェリカにとってはユリウスの安全こそが最優先であり、何事も起こらないに越したことはない。
この先もこの調子でモンスターをユリウスたちに近づけないでくれと願うアンジェリカだが、ユリウスたちは不満げだった。
大方マリエに格好良いところを見せたかったのだろうが、そんなことのために危険を冒されては困る。
ただ、ダンジョン経験者のグレッグは第三班の動きに感心していた。
「へぇ、なかなかやるじゃねーか。クリスのやつ張り切ってやがるな」
それを聞いてマリエが興味を示す。
「お強いんですね。クリスさん」
「ん?なんだマリエ、気になるのか?」
「はい。殿下からお話は聞いていましたけど、お会いしたことはないですから」
「ふーん」
少し面白くなさそうな顔をするグレッグだが、マリエのために説明し始める。
「あいつ、これまで会う度にいつもつまらなさそうな顔していたんだよ。あんな風に張り切ったりするところなんて初めて見たぜ」
「そうですね。クリス君は生真面目な人ですから」
「ああ。あいつと剣術を学んだが、あんな顔をしているのは見たことがないな」
会話に加わってきたジルクとユリウスも口々に不思議がる。
そして最後に加わってきたブラッドが一つの仮説を口にした。
「もしかしたらあの銀髪の子のせいかもね」
「あ〜──誰だっけなあの子」
グレッグはブラッドが口にした女子の名前が思い出せなかった。
元々グループのメンバーの名前などさして興味がないので覚えていなかったのだ。
その疑問に答えたのはジルクだった。
「ファイアブランド子爵家のエステルさんですね。最近何かと噂を聞きますが、宮中でも一時期名前を聞きましたね」
「ああ、思い出したぞ。ファイアブランドってたしか三年くらい前にオフリー家と戦争していた家だったよな?」
グレッグの疑問にブラッドが頷く。
「そうだよ。僕の婚約が破棄になったのもそのせいだ。まあ、おかげでマリエと出会えた今障害になるものはないわけだけどね」
しれっと自分はフリー状態だとマリエにアピールするブラッドにグレッグが舌打ちをする。
「早まるなよマリエ。ブラッドのやつは嫌味ばっかりで、一緒にいると疲れるから──ん?どうしたんだ?」
マリエの方を向いてブラッドの欠点を教えようとして──彼女の顔が曇っていることに気付く。
何か気に障ることでもあったのかと内心慌てていると、マリエはクリスの方をチラリと見て言い難そうに切り出した。
「ファイアブランドさんですか──やっぱり仲良くされているんでしょうか?」
「あの子のこと知っているのか?」
グレッグが尋ねると、マリエは悲しそうに視線を落とす。
「実は──以前お話ししたことがあるんです。そこでその──酷いことを言われて」
その言葉にユリウスとジルクが反応する。
「何だと?」
「それは聞き捨てなりませんね」
視線が鋭くなる二人だが、マリエが慌てて制止する。
「いえ、それについてはもういいんです。ただ──怖い人ですからクリスさんが心配で」
酷いことをされたのに相手を責めたり恨んだりする言葉もなく、気丈に振る舞いながら他人を案じるマリエにユリウスたちは庇護欲を掻き立てられる。
「クリスには俺たちから話しておこう。だから心配するな。それと、また何かあったらすぐに言ってくれ」
ユリウスがマリエを安心させるために力強く宣言すると、マリエに笑顔が戻る。
「ありがとうございます。殿下は本当に頼りになりますね」
眩しい笑顔で言われて照れるユリウスに他の三人が嫉妬の視線を注ぐ。
その様子をアンジェリカは腸が煮えくり返る思いで見ていた。
酷いことを言われた?それは本当に不当な罵詈雑言なのか?
おそらく、いや絶対にそうではない。エステルの気質を考えるとそれなりにきつい物言いはしたかもしれないが、だとしてもお前がしていることを考えれば当然ではないか。
なのに、それをあたかも一方的に因縁をつけられたかのように嘯き、殿下たちも何の疑いも持たずにそれを信じている。
そのことが腹立たしかったし、悲しかった。
そして、このダンジョンの授業が終わったらエステルと一度話をしようと思った。
ちょうどエステルから届いた付け届けに対する返答がまだだ。
今度お茶でもして、その場で情報交換をしておこう。
これ以上ことが広がらないように。
そしてエステルがユリウスたちを敵視してしまわないように。
◇◇◇
ジャイアントアントを片付けてから特に何事もなく、俺たちはゴールである第三層の入り口付近まで到達した。
時々小型のモンスターが襲いかかってくることはあったが、すぐに俺かクリスが斬り捨ててしまい、後続のグループの緊張感もなくなりつつあった。
セルカが言っていたアレはどうなったのだろうと訝しんでいると、不意に微かな地響きを感じた。
下の方からだ。
何か──というか間違いなく大型のモンスターが移動している。
ようやくお出ましか。
早くも教師たちや耳の良い連中は気付いたようだ。
教師たちが急いで点呼を取り、退避の準備をし始めるが、直感で間に合わないと分かる。
第三層の入り口からジャイアントアントが飛び出してきて、教師が放った魔法によって倒される。
黒い煙と化していく死骸を乗り越えて大量の昆虫型モンスターが溢れ出した。
そして、その後に続いて巨大なムカデのような姿をしたモンスターが姿を現す。
「殿下をお守りしろ!」
アンジェリカが叫び、教師たちが退避を指示するが──
「いいや、俺たちでモンスターをやる!任せろ!」
なんと周囲の生徒たちを押しのけて飛び出してきた奴がいた。
赤い短髪を逆立てたワイルドな出立の男子生徒、グレッグ・フォウ・セバーグである。
「僕のことも忘れてもらっては困るね!」
彼に続いてフィールド辺境伯家のブラッドも両手に魔法陣を浮かべて前に出てきた。
グレッグが手にした槍を思い切り叩きつけると、ジャイアントアントが頭を潰されて煙になる。
そしてブラッドが一気に六つのファイアーボールを射出すると、たちまち十数体の昆虫型モンスターが火達磨になった。
──これはちょっと想定になかった。
計画では高威力の魔法でまとめて薙ぎ倒してやるはずだったのだが、二人が前に出たせいでその手が使えなくなってしまった。
だが、俺は多少想定外の事態になっても臨機応変に対応できる男だ。
「クリス!二人を援護しよう!」
「──分かった!」
クリスと共に剣を抜き、戦闘に参加する。
こうなったら白兵戦だ。
実戦経験の違いを見せつけてやる。
剣に風魔法を纏わせて振り抜き、雑魚共を一掃すると、生き残った少し固い奴を剣で倒していく。
「後はお前だムカデ野郎!」
グレッグが残ったムカデ型のモンスターに立ち向かっていくが──
「うおっ!このォッ!」
突然鎌首をもたげてトップアタックを仕掛けてきたムカデに一瞬対応が遅れ、グレッグは組みつかれてしまう。
牙は何とか槍で防いでいるが、前脚が背中に回り込み、抱きしめられるようにして拘束されていた。
「グレッグ!そのまま動くな!」
ブラッドが側面に回り、今度は氷の針を撃ち込んで攻撃するが、ムカデは死なない。
それどころか、次の瞬間には二又の尻尾を振るってブラッドに反撃した。
「ッ!アースウォール!ぐへっ!!」
素早く土魔法で地面を隆起させて防ごうとしたブラッドだが、生成した土壁ごと吹っ飛ばされてしまう。
グループの女子たちが悲鳴を上げる。
──チャンス到来だ。
「オリヴィア!ブラッドさんの治療を──」
「ブラッドさん!!」
オリヴィアにブラッドの治療を指示しようとした矢先、グループからあの小柄な女子──マリエが飛び出してきた。
暴れ回るモンスターに足が竦んで動けなかったオリヴィアよりも早くブラッドのところに辿り着き、手当てを始める。
「大丈夫ですから。すぐに手当てします!」
そして俺は見た。
マリエの手が白く輝き、ブラッドの身体を一瞬包み込んだのを。
そしてブラッドの傷がその一瞬で綺麗さっぱり消えたのを。
彼女は──否、彼女もまた治療魔法の使い手だった。
「マリエ!」
「マリエさん!危険です!早く円陣の中に!」
周りの制止も聞かずに飛び出してきたユリウス殿下とジルクが駆けつけてきた教師たちと共にブラッドを担ぎ、マリエと共に防御円陣を組んだグループへと戻っていく。
──そうか。
そういうことだったのか。
あんたらの手なんか借りなくたって自分で治す──あれは文字通りの意味だった。
──面白い。
ただの性格の悪い猫被りのチンチクリンかと思っていたが、ちゃんと力のある悪人だったらしい。
良いものが見られたと思って、チャンスを奪われたことは水に流すことにした。
さてと。
そうと決まったらもう一度、見せ場を用意しなくてはな。
俺はブラッドに代わってムカデの尻尾と対峙していたクリスを呼びつける。
「クリス!」
「ッ!何か策があるのか?」
ほう、察しが良いな。
「二人でやるぞ。お前は尻尾、私は頭を狙う。同時にかかれば倒せるはずだ」
「──心得た」
合図も何もなく、俺たちは同時に走り出す。
ムカデが尻尾を振るい、クリスの剣が一本目を巧みに流してもう一本を切断する。
舞い戻ってきた一本目の尻尾をクリスが切断するのとほぼ同時に俺はムカデの頭に到達し、グレッグを拘束していた前脚を切り落として後頭部に思い切り剣を突き刺した。
ムカデが悲鳴を上げてのたうち回り、傷口から黒い煙を発して消えていく。
「グレッグさん!」
再びマリエが飛び出してきて手当てを始めようとするが、グレッグは大したことはないと言ってそれを拒否する。
そして俺の方に向き直って礼を言ってきた。
「エステルだっけ?助かったぜ」
「礼には及びませんよ。ダンジョンに挑む仲間同士、困った時は助け合いですから」
尊大な物言いを堪えて心にもない謙遜を返す。
これもアンジェリカやユリウス殿下への売り込みのためだ。
グレッグは一瞬拍子抜けしたような顔をして、そしてからからと笑い出した。
「そうか!そうだな!良いこと言うなお前!」
屈託のない笑顔で言っているが、どこか馬鹿にされているように感じるのは気のせいだろうか。
「でも借りは借りだからな。いつか絶対返してやるよ」
それは楽しみだな。どんな便宜を図ってもらおうか。
おっといけない。その前にやることがある。
「でもその背中の傷は軽くありませんよ。オリヴィア!」
「ッ!はい!」
オリヴィアが進み出てくると、俺はグレッグの治療を指示した。
「グレッグさんの治療を頼む」
「はい!」
「だから俺はいいって──」
「駄目です!四箇所も刺されているんですよ。ちゃんと治しますから」
グレッグはなおも拒否しようとするが、やっと役に立てると張り切った顔でオリヴィアがピシャリと遮り、治療魔法を使う。
ムカデの脚先が食い込んでできた傷がたちまち塞がる。
そして俺はクリスにも声をかけた。
「クリスはどうだ?怪我はないか?」
「大丈夫だ」
やはり剣豪の称号は伊達ではないか。
負傷していればオリヴィアに治療させて彼女の見せ場にしてやったのだが。
「そうか。よくやってくれたな」
「──君こそ」
無表情だったクリスの口角がほんの少し上がる。
まあ、いいか。
最低限の見せ場は作れたし、印象には残せただろう。
実際俺やオリヴィアに向く視線が増えている。
その中にはアンジェリカのものも混じっていた。
これは帰り道に彼女と話せるかもしれない。
そう思ったが、そこまで上手くはいなかった。
「皆さん、班ごとに整列してください。ここを離れます」
全員の無事と周囲の安全を確認し終えた教師が撤退指示を出す。
俺たちは班ごとに並べられ、隊列を崩さずに来た道を戻らされることになった。
結局アンジェリカとは話せないまま、ダンジョンの授業は終わってしまったが──その翌日、俺はアンジェリカから名指しで呼び出しをかけられた。
大勢のキャラを動かすのってちょっと大変