あれだけ威勢の良い言葉で吠えていたグルムが無様に命乞いするのを見て、一つ考えが浮かんだ。
コイツは使える。
部下や傭兵としてではなく、教材として。
理不尽に言い返す程度の成長こそ見られるが、まだまだ良い子ちゃんであるオリヴィア──彼女にこの世には血も涙もない悪意が潜むことを、そしてそれを排除して自分を守れるのは力だけだということを、そしてその力でもってその悪意を叩き潰す快感を理解してもらうのにこの上なく都合が良い。
だから、コイツをどう料理するかはオリヴィアに決めさせよう。
「オリヴィア。お前が決めろ。殺すも生かすも、煮るのも焼くのも、好きなようにしていいぞ」
そう言ってやると、オリヴィアは目を見開く。
そして彼女が何か言う前に黒ずくめの男の方が聞き咎めてくる。
『おい、オリヴィアさんに何させる気だ!?』
その声を無視してオリヴィアに問いかける。
「コイツはお前に何をした?突然道の上で襲いかかって、こんな場所に閉じ込めて、散々乱暴して──さっきも掌を刺していたな。仲間の仇だか何だか知らないが、私に来ずにお前から狙って八つ当たりで痛めつけて、おまけに私や私の家族共々殺すと言った。それこそ私たちが死ぬまで付け狙う気だぞ」
「ひぃぃ!
グルムが必死に否定するが、その声はどこまでも空虚で、表面的。
この場を乗り切るための演技に過ぎないのが丸分かりだ。
「嘘だな。声に全く感情が乗っていない。どこかで聞いた言葉──まあ、大方コイツが今まで痛めつけて殺してきた相手の悲鳴を真似しているだけだ」
「う、
「許して、だって?どの口が言うんだろうな。お前はそう乞われて許してやったこと、助けてやったことがあるのか?」
「──ッ!!」
やっぱりな。答えに詰まるのが答えだ。
前世の俺を骨までしゃぶり尽くした忌々しい借金取り共と同じ人種。
人並みの情など持っていると思うのが間違いだ。
「これで分かっただろ?コイツは人間の姿をしているが、人を人とも思わず平気で傷つけて殺して食い物にする化け物だ。ここから生き延びれば、また私たちを殺しに来る。それでも助けてやるか、この場でトドメを刺すか。最初にコイツにやられたお前が決めろ」
まあ、決められなくてもそれはそれで構わない。無理にとは言わない。
いずれファイアブランド家で召し抱える予定ではあるが、オリヴィアは騎士でも剣士でも何でもない。
ただ魔法の才能に溢れているだけの平民の女の子だ。
悪の道に引きずり込むにしても、その前に潰れてしまえば意味がない。
「────ッ!
虚空から出現した水の塊がグルムの身体に落下し、その身を焼く火を消し止める。
オリヴィアは突き動かされるようにグルムのもとへ駆け寄り、その手をかざす。
白い光がグルムの身体を包み込み、潰れた手足を治し、火傷による腫れを引かせていく。
「いいのか?お前を殺そうとした相手だぞ。見逃せばまた殺しに来るかもしれないし、そうでなくてもきっとまた誰かを傷つけて殺すぞ」
「──分かっています。でも──私のこの力は──人を守り助けるためのものです」
絞り出すように言ったその言葉に迷いの色はなかった。
治療が完了し、オリヴィアはグルムの前に屈み込んで、視線を合わせて言い聞かせる。
「約束してください。あんな酷いことは二度と誰にもしないと」
「ッ!約束する!これからは心を入れ替えます。この恩は一生忘れません」
顎と歯が元に戻ってまともに喋れるようになったグルムは、白々しく泣きながら額を地につけて平伏する。
オリヴィアの表情が少し緩んだので、すかさず俺もその横に屈み込んで念押しする。
「約束したぞ?破ったらどうなるか分かっているな?」
「は、はひっ!」
グルムは一瞬上げた顔をまた地面に擦り付け、その額に血が滲んだ。
外から大勢の足音が近づいてくる。
そして、引き返してきたアーヴリルたちがようやく廃工場に突入してきた。
「エステル様!ご無事です──かっ!?」
俺の姿を目にしたアーヴリルが目を見開き、絶句する。
そういえば戦いが始まってから今の今まで服を着直す暇もなく、スポブラとスパッツ姿のままだった。
「こ、これはどういうことですか!?なぜエステル様がそのような格好に──とにかくこれを!」
アーヴリルが取り乱しながらも軍服の上着を脱いで羽織らせてくる。
今更ながらに下着姿の上に上着という締まらない格好が恥ずかしく思えてきたので、振り払うように声を張り上げて命令を下す。
「そこに這いつくばっている死んだ目のチビと倒れている男共は拘束しろ。憲兵隊に引き渡す。間違っても逃げられないように念入りに縛り上げろ」
本当ならフィニステラに叩き込んでやりたいところだが、ここは王都だ。
その場で殺すのはともかく、勝手に領地に移送することはできない。
指示を受けて兵士たちが倒れているシンジケートの構成員たちの手足を縛めていく。
そして気付け薬を嗅がせて無理矢理起こし、銃を突きつけて廃工場の外へと連行していった。
──その標的になった奴がいま一人。
「おい貴様、何者だ!?」
「その格好、賊の残りか?」
手持ち無沙汰になった黒ずくめの男が去るタイミングを失い、兵士たちに詰問されていた。
『違う!これには訳が──おいやめろ!』
囲まれて銃を向けられ、慌てて両手を挙げて弁解しているが、それがますます怪しまれている。
「膝をつけ!両手を後ろに!」
「早くしないか!」
ますます表情を険しくして黒ずくめの男に詰め寄る兵士たちに、たまらずオリヴィアが声をかけた。
「待ってください!その人は悪くありません。私たちを助けてくれたんです!」
オリヴィアの訴えに兵士たちは半信半疑だったので、俺が助け舟を出してやる。
「本当だ。そいつは私たちを助けてくれたんだ」
「エステル様!?しかし、此奴の格好は──」
「くどい。そいつは賊じゃない。離れろ。命令だ」
「ッ!──承知致しました」
兵士たちが銃を下ろして黒ずくめの男から離れると、入れ違いで現れたのはセルカだった。
「全く。貴女ってば人が悪いわね。すぐに止めてあげれば良かったのに」
「いや、格好良く助太刀にきたかと思ったらたじたじなのが面白くてな。悪かった」
ヘルメット越しにも恨めしげな目をしているのが何となく分かる黒ずくめの男に軽く頭を下げる。
それを見てセルカは呆れたように笑みと溜息を一つ溢して、黒ずくめの男に歩み寄る。
「どこのどなたかは存じませんが、貴方にお礼を言わせて頂きますわ。我が主を助けていただき、本当にありがとうございました」
そう言って握手のために右手を差し出した瞬間。
青白い半透明の膜のようなものがリオンの前に出現し、セルカの手に電撃が走った。
何が起こったのか分からず、俺は一瞬面食らったが、セルカは落ち着いたものだった。
「痛いじゃない」
黒ずくめの男の右肩あたりの虚空を見つめて、笑顔のままそう抗議する。
そこに怒りや恐怖の色はなく、限りなく普段通りの声音だったが、微かに驚きと焦りが混じっているように感じられた。
セルカの視線の先を注視すると、確かにそこに何かがいるのが感じられた。
──いや、待て。この形には見覚えがある。
『マスターに触れるな。汚物が』
罵倒混じりの警告と共に、視線の先の景色が歪み、それは姿を現した。
無機質な質感と声からもありありと感じ取れる敵意。
灰色に赤い一つ目の、色違いのライチェスのような人工知能の球体がそこにいた。
「何奴!?」
アーヴリルが剣を抜いた。
周囲に残っていた兵士たちも一斉に黒ずくめの男と灰色の球体に銃を向ける。
『おい!勝手に攻撃するなと言ったよな!?』
『正当防衛です。魔装に触れれば汚染され、最悪即死します。しかもライブラリにヒットしない未知の完全体──危険過ぎます。やはり何か仕掛けてくる前に消し去らなければなりません。本体の使用許可を!』
『却下だ!戦争をしに来たんじゃないんだぞ!』
囲まれて武器を向けられ、両手を挙げた状態で言い争っているところを見るに、この状況は黒ずくめの男の望んだものではないようだ。
俺に敵意があるならそもそも助けに入ったりしなかっただろう。
だが、奴をマスターと呼ぶ球体の方は完全に殺る気満々である。
やはりライチェスと同様、新人類やその眷属たる魔装は不倶戴天の敵と認識しているらしい。
そんなものをあの黒ずくめの男は一体どうやって手懐けたのだろうか。
「汚物だなんて酷い言われようねぇ。さすがの私も傷つくわ」
セルカが大袈裟に悲しげな仕草をして言い争う二人?から意識を引き戻そうとする。
『魔装が人がましく喋らないでください。そもそも、魔装が人の姿を騙るだけでも──』
「貴様!ファイアブランド家に仕える者を愚弄するか!?」
球体の言葉にアーヴリルが激昂する。
『この馬鹿!火に油を注ぐなよ!話もできなくなるだろうが!』
黒ずくめの男も球体を叱責するが、球体は譲らない。
『話し合いなど無意味です。魔装への対処は殲滅あるのみ。マスター、攻撃の許可を求めます』
黒ずくめの男が頭を抱え、アーヴリルたちがますます殺気立つ。
オリヴィアは何が起こっているのか分からず、オロオロするばかりだった。
そこへセルカからテレパシーが飛んできた。
(このままじゃ殺し合いになるわ。どうにか彼らと私たちだけで話をつけないと。人払いを頼めるかしら?)
(それはいいが──この状態から話をつけられるのか?)
(つけるしかないわ。でないと、この一帯焼け野原よ。上空のあれ、気付いているでしょう?)
(──分かった)
先程から頭上に嫌な圧迫感を感じていたが、セルカに言われてはっきり分かった。
おそらくあの球体の本体──巨大な飛行船が王都上空から俺たちを射程に収めている。
ライチェスと同じ時代のオーバーテクノロジーの塊ともなれば、鏡花水月を全力で使っても凌ぎ切れるかは怪しい。
できたとしても周囲の被害が大き過ぎる。
「アーヴリル。オリヴィアを連れて部隊を下げろ。こいつらとはサシで話し合うしかなさそうだ」
「ッ!?危険です!奴は大墳墓での──」
「私の命令が聞けないのか?外の部隊と合流して、ここから離れろ。早く!」
「──承知いたしました」
アーヴリルは深く頭を下げて、撤収の指示を出す。
兵士たちは納得のいかない顔をしつつも、それに従い廃工場を出ていく。
「エステルさん──」
オリヴィアが心配そうに俺に声をかけてくるが、残念ながら彼女にも席を外してもらわなくてはならない。
「心配するな。必ず無事に学園に送らせるから、待っていてくれ」
「──はい。ちゃんと帰ってきてくださいね?」
肩に手を置いて言い聞かせると、オリヴィアは懇願するように念押ししてくる。
「当たり前だ」
その答えは決して根拠のないものではない。
俺には案内人の加護があるのだから、全てうまくいく。
目で合図すると、最後に残っていたアーヴリルがオリヴィアの手を取って促した。
「行きましょう」
二人が廃工場を出ていき、後には俺とセルカ、黒ずくめの男と赤い一つ目の球体だけが残される。
出ていった足音が十分に離れるのを待ってから、俺は黒ずくめの男に声をかける。
「これで余計な人目はなくなった。そろそろ顔くらい見せたらどうだ?リオン」
奴の正体は実のところ少し前から見当がついていた。
何せ、背格好も話し方もそっくりだったのだから。
その上ライチェスの同型と思しき人工知能と巨大な飛行船を従えているともなれば、もはや他に該当する者など世界中探してもいないだろう。
「──やっぱり気付くか。こうなりたくないからなるべく関わらないようにしようと思っていたんだけどな」
ヘルメットのバイザーが格納され、見知った顔が現れて聞き覚えのある声が後悔を滲ませる。
「手に入れたロストアイテムってのはそいつのことだったんだな」
「そうだよ。他に知られると面倒だから、他言しないでもらえると助かるよ」
まあ、当然だな。
ただでさえロストアイテムともなれば好奇や羨望、警戒の目に晒されるのに、こんな危険物だと知れたらどうなるかは想像に容易い。
俺もセルカを抱えている以上、その事情は理解できる。
「そんなことはしないさ。私だって事情は似たようなものだからな。ただ、ずっと見張られていたというのは良い気分じゃないな」
「それについてはすまなかった。その──事情があって。あ、でも女子寮の中までは見ていないぞ。誓って本当に!」
「──訊いてもいない情報をありがとう。それで、その事情とは何だ?」
問いかけると、リオンは意を決した風に真剣な顔で答えた。
「あの乙女ゲーにエステル・フォウ・ファイアブランドなんてキャラは登場しない。この意味、分かるか?」
──なるほど。
今までの不可解な行動に納得が行った。
「お前、転生者だったのか」
「その答えだとエステルもそうみたいだな。でも、あの乙女ゲーのことは知らない感じ?」
乙女ゲーというと、女性向けの恋愛シミュレーションゲームのことだろうか。
前世で新田君が会社にいた最後の頃、最近の流行りだと言っていたような気がする。
「初耳だな。お前から見ればこの世界はその乙女ゲー?の世界なのか」
「そう。気付いた時には俺も自分を疑ったよ。でも、こいつの実在が証拠になった」
そう言って球体を指差すリオン。
「宇宙船【ルクシオン】──前世で俺が買った課金アイテムだ。──千円のな」
刃の上でダンスしているような状況なのに、思わず吹き出しそうになった。
全長一キロ近くはありそうなオーバーテクノロジーでできた巨大な宇宙船が千円──何ともシュールではないか。
それと同時にリオンがそのルクシオンというらしい宇宙船のマスターになれた理由も理解した。
「”ということは、お前さては前世は日本人だな?”」
「”そうだ。エステルもか?”」
「”ああ。まさか、他の転生者がいるとは思わなかった。しかも日本人とはな”」
「”俺だって驚きだよ。こんなことならさっさと接触しておけば良かった”」
ライチェスと話して以来かれこれ三年ぶりの、しかも電子音声ではない日本語での会話。
それだけで今までのことは全部水に流せる気がした。
そして、俺たちの会話を聞いたルクシオンも態度を変える。
『信じ難いことですが、実に興味深いですね。マスター以外にも流暢な日本語を話す方がいるとは。スキャンさせて頂いても?』
「構わない。念入りにやるといい」
ライチェスに一度やられているので結果は分かっている。
ルクシオンの一つ目から照射された赤い光が俺の身体を包み込む。
『驚きです。貴女にも旧人類の遺伝子の痕跡を確認しました。転生による影響があるのでしょうか』
「さあな。だが、以前私をスキャンしたライチェスという人工知能も同じことを言っていたよ」
ひょっとすると聞き覚えがあるかもしれないと思ってライチェスの名前を出してみた。
だが、ルクシオンは知らないようだ。
『ライチェス?知らない名前ですね。貴女が冒険の際に遭遇した遺跡の管理者──でしたか?』
「そうだ。これで分かっただろう?私はお前のマスターと同じだ。敵対する理由はどこにもない。矛を収めてもらいたいな」
ルクシオンは少し考え込むようにレンズを数回小刻みに動かしたが、まだ納得していないようだった。
『確かに貴女は旧人類の特徴を持っています。それだけであれば、仰る通り敵対する理由はありません。ですが、魔装は駄目です。どんな形であれ、魔装がこの世に存在することは許容できません』
まだ譲らないルクシオンに、それまで黙っていたセルカが口を挟んだ。
「一つ勘違いをなさっているようね。貴方の敵意はお門違いよ。私を作ったのは貴方と同じ陣営なのだから。私は新人類陣営に属していたことはないし、厳密に言えば魔装ですらないのよ」
当然というか、ルクシオンは懐疑的だった。
『白々しいですね。魔法を使用する度に明らかな魔装反応を垂れ流していながら魔装ではないというのなら、一体何だというのですか?』
「まさにそれよ。私が大規模に魔法を行使するまで貴方は私の存在に気付かなかった。本物の魔装なら存在しているだけでその十倍ほどの反応を発しているはず。ネームドともなれば更にその数倍。知っているでしょう?」
『質問の答えになっていませんね。何が言いたいのですか?』
「私は旧人類陣営が魔装を複製しようと試みて作られた失敗作よ。魔法の威力は本物には到底及ばず、機体も武装も単独では生成できない。逆に使用者との一体化能力は分子レベルまで深化していて、無機物に対してしか安全に使えない。こんな欠陥だらけの魔装とも呼べないナニカを新人類が作ったなんて、それこそ信じられないと思わない?」
ルクシオンの一つ目が不気味な輝きを増し、周囲に電光が走る。
『嘘を吐くならもう少しマシな嘘を吐いてはいかがですか?我々が魔装を──あの汚物を使うなど、万に一つもあり得ないことです』
「貴方には残念だけれど、嘘ではないわ。積み上がる損害に対して戦果はロクに上がらず、失地の拡大が止まらないともなれば、もっと強力な手段を模索するのは当然のことよ。さすがに極秘扱いではあったけれど、プロジェクトの終盤には割と広く知られていたみたいね」
相変わらず一つ目を光らせ、電光を纏いながらも、ルクシオンはすぐに言い返してはこなかった。
その隙を逃さず、セルカは提案を持ちかける。
「取引をしましょう。ルクシオンさん」
『──魔装と取引などするとお思いですか?見くびられたものですね』
今にもレーザーを撃ってきそうなルクシオンだが、セルカはまるで子供でも相手にするかのようになだめていた。
「まあまあ、そんなすぐに突っぱねずに聞いて頂戴。私たちに対する一方的な監視を止め、今後一切いかなる形での危害も加えないと約束してくれたら、貴方には知り得ない情報をあげる。例えばそうね──貴方を作った方々のこととか。その様子だと、貴方自分を作った人と会ったことないのでしょう?知りたくないかしら?目覚める前の貴方にどんな顔を向けて、どんな言葉をかけていたか」
『──!』
遂にルクシオンが初めて動揺らしきものを見せた。
レンズが見開かれ、纏っていた電光が止む。
『なぜ貴女がそんな情報を知り得るのですか?』
「私は過去を見ることができるわ。所謂サイコメトリーというものね。それで見えたものを貴方に見せてあげる。どうかしら?」
ルクシオンはその問いかけへの答えに窮したようで、押し黙ったままレンズを小刻みに動かしていた。
すぐに拒絶しないあたり、セルカが提示した見返りは奴にとって本当に魅力的なものらしい。
そのまま十秒ほどが過ぎて、ようやくルクシオンが言葉を発する。
『私の使命は、新人類の──』
「乗った!」
遮ったのはリオンだった。
おそらく、ルクシオンが何を言おうとしていたのか知って、せっかくのチャンスをふいにするわけにはいかないと思ったのだろう。
『マスター?』
「その提案を受け入れる。基本は相互不干渉。定期的に情報を交換して、必要な時は互いに協力する。それでいいんだろう?」
思わずマスターの方を振り返ったルクシオンを半ば無視して、俺たちの方に問いかけてくるリオン。
「分かって頂けて嬉しいわ。全くもってその通りよ。私たちは互いが知らない情報を持っている。そして誰にも話せない事情を唯一共有できる。でも、その恩恵を得るにはこの場の全員が揃っていなければならないわ」
セルカの返答にリオンは頷き、ルクシオンを説得にかかる。
「そういうことだ、ルクシオン。俺たちにはこの二人が必要だ。俺は取引に応じる。だからそれに従え。マスターは俺だろう?」
『──分かりました。その魔装の処分は保留としましょう。ですが、気が変わったなら即ご指示ください。ただちに消滅させます』
最後まで物騒な言葉を残しつつも、ようやくルクシオンは折れた。
「しないって言っているだろうが。色々すまない。これで交渉成立ってことでいいか?」
「ああ、構わない。お前も大変だったな」
リオンが謝罪と共に訊いてくるので、承諾ついでに労いの言葉をかけてやる。
ライチェスの同類の人工知能のマスターというのはさぞ大変だろう。
──もう少し上下関係をはっきりさせた方がいいとは思うけどな。
右手を差し出すと、リオンは一瞬遠慮がちにしつつも握り返してきた。
「今度また飯でも食いに行こうぜ。そこでゆっくり話をしよう」
「ああ。今度の週末にでもどうだ?」
「いいぜ」
次の会談の約束をして、俺たちはそれぞれの帰途に就いた。
もうとっくに寮の門限を過ぎてしまっているので、いっそこのまま飯に行ってもよかったのだが、ティナとオリヴィアを待たせている。
廃工場を離れ、リオンたちの気配が遠くに消えてから、セルカに声をかけた。
「さっきはよくやってくれたな、セルカ」
「必要なことをしただけよ。あのルクシオンという船、私に気付いてからずっと撃ちたがっていたから。正直、薄氷だったわ」
「そうだったのか。──厄介だな」
リオンと敵対する気はないが、もし彼がルクシオンを御せなくなったりすれば、全てが終わる。
最悪の事態を想定して対抗手段を用意しておく必要はあるだろう。
ただ、セルカは難しい顔をする。
「戦って勝つのはまず無理ね。あの船は知らないタイプだけれど、サイズと艦型からすると戦艦クラスよ。本気で暴れられたら大陸の一つくらい半日で消し飛ぶわ」
「そんなにか?」
たった一隻でホルファート王国全土を跡形もなく破壊するとか、どんな破壊力だよ。
「そんなによ。今の時代の兵器では手も足も出ないわ。本物の完全体魔装でも複数機で互角、無傷で勝つとなるとそれこそアルカディアでもなければ無理ね」
「──お前のコピー元か。たしか、海に沈んだんだったな」
「ええ。当時の旧人類陣営の残存戦力のほぼ全てを投入した総攻撃で撃沈したと記録されているわ。残骸は確認できなかったみたいだけど、まだどこかで生きているとは期待しない方がいいわ。それに、あんなもの使えばまた魔素過多の死の世界に逆戻りよ?」
「それは確かに嫌だな」
俺は悪徳領主になる男だが、屍の山の支配者にはなりたくない。
そもそも生きていけないだろう。
「戦って勝つのが無理なら、何か他の対抗手段を探すしかないか」
「希望はあるわ。あの船は建造されて以来何かの任務に従事した形跡がない、つまり子供みたいなものよ。だから交渉も成立した。和解や懐柔の余地はあるわ」
──子供か。
よく言えば純粋で、悪く言えば染まりやすい存在。
その子供に俺はかつて拒絶され、捨てられた。
思えば、あの元妻と間男に色々と吹き込まれたのだろう。
蘇った怒りと悲しみがテレパシーで伝わったらしく、セルカが謝ってくる。
「ごめんなさい。嫌なことを思い出させたわね。私が言いたいのは、敵という認識を改めさせれば脅威ではなくなるということよ。お友達に──というのは難しいでしょうけど、少なくとも共存可能だと思わせられれば、暴走の危険はなくせるわ。そうすればあのマスターが御せなくなるような事態も起きない」
「いや、いいんだ。当分はそれで行くしかないか」
今は──そう、今はルクシオンに力で対抗することは諦めるしかない。
それに考えてみれば、悪徳領主というのは弱い領民はいじめるが、お上には媚びへつらい、賄賂を贈り、上手く利用するものだ。
なら、ルクシオンのことも上手く利用することを考えるべきだろう。
対抗手段の模索そのものを諦めるわけではないが、それを手にする前にまた敵認定されて消されては元も子もない。
「まだまだ──だな」
その呟きが夜の闇へと溶けていく。