……はあ、やれやれ。
原稿を読み終えた私は深々と溜息をつき、目の前の作家に言った。
「ダメです。ちゃんと書き直してください」
その作家――“青山ブルーマウンテン”は、湯飲みを口から離しながら答えた。
「やっぱりダメ、ですか」
「やっぱりって……ダメだとわかってるのになぜ出すんですかっ」
この文章のきっかけとなったのは出版社によるエッセイの企画なのだが、この文章の作者は肝心なことを書いていない。
たとえば文中の青山は病死したことになっているが、実際の青山は余命宣告など受けていないし、南極にも宇宙にも行っていなければ、巨大ロボに乗って宇宙怪獣と戦って世界を救ったりもしていない。
病気どころか、今わたしの眼前で珍妙な名前のあんみつパフェをもぐもぐ美味しそうに食べている。
そもそも、この文章の作者とされる『青山ブルーマウンテンの親友に転生したオリ主』なんてものは実在しない。
これは「青山ブルーマウンテンの親友に転生したオリ主が書いたエッセイ
つまり『完全なウソっぱちのフィクション』なのである。
発端は、ある出版社で「新進気鋭の若手作家に代表作にまつわるエッセイを書かせよう」という企画が立ち上がったことだ。
そこで白羽の矢が立ったのが、『怪盗ラパン』や『うさぎになったバリスタ』の映画化などメディアミックスなどでの活躍も目覚ましい青山ブルーマウンテンであった。
その出版社には『カフェインファイター』のスランプで世話になったこともあり、人の好い青山は二つ返事で引き受けた。
そして三日前、行きつけの喫茶店――青山によると『うさぎになったバリスタ』のモデルになった店らしい――における打ち合わせのときである。
何を思ったのか、青山ブルーマウンテンは唐突にこんなことを言った。
『あ、あー、アイデアが降りてきました、降りてきましたー!』
そしてそのまま席を立ち、ふらふらと行方を晦ましてしまったのである。
その後に繰り広げられたわたしと青山の熾烈な追走劇については敢えて触れないが、そんなこんなで三日経って青山が持ってきたのがこの原稿であった。
……最初、『なんて悪文だろう』と思った。
そして『青山はやはり天才だ』とも。
上手い文章を書くのは難しいが、敢えて素人っぽい文章を書くのも同じくらい難しい。
この『青山ブルーマウンテンの死』では、普段の青山の文章の持ち味である繊細な心理描写や奇抜なアイデア、読み手の脳に染みこんでゆくような、巧妙な文章構成と洗練された言葉遣いは欠片も見当たらない。
青山は自身の特長といわれる要素をすべて封印するどころか、徹底的に排除した上でこの原稿に臨んでいる。
とても青山ブルーマウンテン本人の手によるとは思えない。
彼女の文章を日頃から目にすることが多いわたしですら『実はそこらへんの学生を唆して書かせた原稿なのではないか?』という考えが頭をよぎったほどだった。
そんな代物を
才能の使い方を大幅に間違えている気もするが、青山が卓越した天才作家であることは認めざるを得ない。
……この人は昔からこうだ。
いつも思いつきで行動するが、大抵何でも上手くこなしてしまう。
とはいえ、これはボツだ。
ある種の実験小説としては面白いものの、やはりアイデア負けしていて商業作品としての質に達していない。
求められていたのはエッセイであって、こんなトリック小説じゃない。
「だいたい『作者が余命宣告を受けて病死する小説』なんてダメに決まってるじゃないですか。縁起でもない。
それに読者が真に受けたらどうするんです。滅茶苦茶叩かれますよ、インターネットとかで」
「それは困りますね。うふふ」
「『うふふ』じゃないです、フォローする側の身にもなってください」
……まったくこの人は。
「締切まではまだもうしばらくありますから、次は普通のエッセイをお願いします」
「ええ、次はちゃんと書きます!」
「『次は』じゃなくて、『最初から』ちゃんとしてください」
「はうっ」
と、ひととおり言うべきことを言ったところで、それはそれとして気になることがあった。
「……そういえばこの『親友』のモデルって誰なんです?」
『親友』こと、この文章の作者として設定されているこの架空の人物。
『うさぎになったバリスタ』や『カフェインファイター』もそうだが、青山ブルーマウンテンは自分の身の回りからモデルを取ることが多い作家である。
ということはこの文章の『親友』にもきっとモデルがいるはずだ。
しかし、基本的にはシャイで人見知りの部類に入る青山に、こんな知人がいただろうか。
「学生時代、それともまた喫茶店の友達ですか? こんな人、身の回りにいない気がしますが」
わたしが聞くと、青山は「あら、気づかなかったんですか?」と言った。
……なにをそんなに驚いているのだろう。
「本当にわからないんですか?」
「ええ。先生とは長い付き合いですけど」
奔放で気まぐれな青山に振り回されながら、それでも付き合い続ける世話焼きな人物。
……なんだか他人のような気がしないが、わたしの知る限りではそんな人物はいないと思う。
首をひねるわたしに、青山はフフフと笑って言った。
「案外、誰よりも身近な人かもしれませんよ?」
……本当に誰だ。
そんな謎かけのように言われたら、ますます知りたくなるのが人情である。
「えーっ、気になるじゃないですか。教えてよ、
「さあ、誰でしょうねえ」
わたし――