ハイリヒ王国騎士団長、メルド・ロギンスは頭痛に悩まされていた。
頭痛の種は大陸北東の島に住む蛮族、ノルディン達についてだ。近年では大不作に襲われ、元より数が少ない彼らは王国騎士団による警戒の強化もあり、絶滅寸前にまで陥っていた筈であった。
それが数ヶ月前より力を取り戻していると言うのだ。と言っても、いきなり戦士の数が増えたわけでも、天から食糧が降って湧いた訳でもない。
それは、神の子と呼ばれている1人の男によるものだと言う。
どのような手を使ったのか、戦士達は彼が現れる前とは一変し、どれだけ痛めつけても戦いをやめないと言うのだ。右腕を切り落とされても戦い続ける者、胸に矢を突き刺されながらも止まらぬ者、ついには生首のまま噛み付いてきた者すらいたと聞く。
最後のはノルディンに臆した者の作り話で間違いないだろうが、それほどの恐怖をこちらへ与えているのは間違いないだろう。
そもそも、兵の士気が違いすぎるのだ。あちらは逃げ帰れば明日の食糧の為に戦うが、こちらは防衛戦故に何も得るものがなく、更に相手は瀕死であろうと笑顔で立ち向かってくるような狂人どもだ。士気を維持する方が無理な話だろう。
このハイリヒ王国は大陸北部の国。北東に位置するノルディンどもが大陸沿岸の地を侵略し、徐々に力を伸ばしていけば数十年後には王国の大きな脅威になるだろう。それでなくとも、近年は魔人族との戦いで忙しいと言うのに……
「俺が行くか……」
騎士団長が出張ったとなれば、防衛の兵士達の指揮も上がるだろう。
報告ではノルディンの数は15人前後、今のうちに戦える者を根絶やしにするのが吉だろうとメルドは判断したのだ。
そうと決まれば話は早く、部下にノルディンの襲撃の頻度や場所から次の襲撃地と時期を割り出し、ある港町へ向かった。
夜、俺は港町の駐屯地にて精神を研ぎ澄ませていた。
この町についてから4日ほど。既に海岸線には防衛線を敷き、俺の存在もあって兵士たちの士気も上々。15人程度ならば、例え今のノルディンであろうと問題はないだろう。
その時、駐屯地の扉を乱暴に開く音が聞こえてきた。
「団長! ノルディンの襲撃です!!」
部下の声だ。
哨戒に引っかかっていたのなら、襲撃よりも早く伝令が来る筈である。それがないと言うことは、相手は上手くこちらの警戒を潜り抜けて来たのだろう。
剣を取って外に飛び出すと、海岸線に築いた柵や陣地が燃え盛っている。その炎の向こうにノルディン共の姿が見えた。彼らが乗ってきたであろう船には灯りがついていない。この夜の中を月明かりだけで航行するのは間違いなく不可能だ。しかし、仲間に夜目を付加する魔法を使えばその限りではない。これまでの襲撃ではそのようなことはなかったが、この港町に備えてカードを伏せていたのか……!
所詮島の蛮族だと侮っていたが、知恵比べでも負けるとは……!
いや、今は後悔をしても仕方がない。戦わなければこの町は全てを奪い尽くされてしまう。
「落ち着け! 敵の数は少ない! 取り囲めば脅威ではないぞ!」
声を張るが、味方の兵士は混乱と恐怖とで腰が引けてしまっている。その間にも、奴らの斧や剣が蹂躙を続けているというのに。
なんとか味方を鼓舞して回っている時、俺に切り掛かってくるノルディンがいた。大上段から振り下ろされた大斧を長剣で受け止めると、両腕がビリビリと痺れる。凄まじい膂力だ。
「お前……他の腰抜け供とは違うな……」
「俺は騎士団長メルド・ロギンスだ! かかってこい! 蛮族!」
そのノルディンの兜で隠されていない口元が大きく弧を描き、そのままラッシュを仕掛けてくる。上段フェイントからの石突、怯んだ隙に見舞われる俺の体が浮くほどの大振り。距離をとろうとすれば空かさず詰め寄り、逆に踏み込もうとすれば振りの速い攻撃で潰される。
強い。筋力だけではなく、技量も高い。
しかし、ここで勝たねばこの町が奪われる。大振りを何とか見切って弾き、その先に右手首から先を切り落とす。いかにノルディンとあれど、利き手を失えば……!
「やるじゃねえか! そういう奴は好きだ!」
しかし、そいつはカケラも怯むことなく、腰に下げていた斧を左手で握って攻撃を続けてくる。なるほど、これがノルディンか……!
片腕を失い、尚も衰えない猛攻をいなし、繰り出した突きは既に潰れていた右腕を犠牲に受け流される。動きが固まった隙に首を狙って斧が振るわれるが、体を逸らせて回避し、そのまま2度目の突きで心臓を捉えた。
「ぐっ……くく、く」
最早死に体のノルディンが膝を着き、血を吐く。全員がこれほどまでの強さを持っていたとしたら、今の兵力では勝てるかどうかも怪しい。俺はこの期に及んでノルディンを甘く見ていたようだ。
目の前の男から目線を外し、ノルディンと交戦している兵の援護に向かおうとした時、視界の端で男が立ち上がった。
「その状態でまだ立つとは……!」
「ガァァ! ヴァルハラァァァァァァァァ!!!!」
ほんの一瞬、ノルディンの殺気と異常性に押されて回避が遅れる。それでも何とか体を動かし、最期の大振りを避けると同時にノルディンの首を撥ねた。
回避が遅れたせいで傷付けられた左手から血が地面に落ちる。ノルディンの首は地面に落ちても尚、俺を睨みつけて固まっていた。
「なるほど……これは確かに噛み付いてきてもおかしくはないな……」
今の戦いで、俺の心の中にはノルディンへの恐怖が芽生えつつあった。彼が最期に叫んだヴァルハラという言葉。それがきっと神の子の名前なのだろう。
踵を返し、近くの兵士の援護にあたる……その時、前方から強力なプレッシャーを感じた。見ると、そこで戦っていたのは1人の小柄なノルディンであった。大柄な男が多いノルディンの中で、その男は脅威には見えない。しかし、俺にはわかる。奴にはとてつもない強さの神の加護が付き纏っている。
間違いない。アレが……
男は両手に握った一対の斧を狂ったように振り回し、兵士を紙吹雪のように蹴散らしていく。あいつは……危険だ。
戦場は俺がノルディンを倒したのをキッカケとして、少しずつ盛り返し始めている。しかし、あいつが生きている限りノルディン共の勢いは衰えないだろう。勝てるかどうかはわからないが、俺が戦うしかない。
「ハァァァァッ!」
すぐさま仕掛けた奇襲は右の斧によって容易く弾かれる。ヴァルハラはチラリとこちらを見やると、左の斧で兵士の首を刈り取り、落下する頭を蹴ってこちらへ飛ばしてくる。身を屈めて何とか躱し、姿勢を上げて構えを取ろうとしたその一瞬、目の前にヴァルハラが現れた。
両斜め上から振り下ろされる斧に何とか反応し、剣を軌道に滑り込ませた瞬間、喉に凄まじい衝撃が走る。斧はブラフ、本命は喉を狙った蹴りだったか!
真正面から喉を打ち抜かれたため、嗚咽が漏れる。
やりづらい相手だ。素早く、力強く、そしてこちらの虚を突くような攻撃を続けてくる。
こちらと距離を離したヴァルハラは周辺のノルディンを見回す。
状況はこちらの優勢。彼は苦い顔をしながら角笛を取り出した。しめた、撤退の合図か。
戦場に角笛が響き渡り、兵士と戦士が一瞬動きを止める。ノルディンどもは逃げ出すと思いきや……その真逆、雄叫びを上げて更に攻撃の手を強めた。そして、私の耳に届いてしまった。ノルディンどもが真正面の海から攻めてきている以上、聞こえるはずのない方角からの雄叫びと大量の足音が。
「撤退! 撤退だ! ノルディンには伏兵がいた!」
すかさず叫ぶ。声が聞こえた方角は西。ここから西に少し行けば、ノルディンから略奪と侵略を受けた農村がある。恐らくそこからノルディンの戦士達を進ませ、この町の西に陣取らせていたのだ。先ほどの角笛は伏兵への攻撃の合図。しかし……報告通りであれば、ノルディンの戦力はここにいる人数で全てのはず。一体どこから兵力を集めてきたのか……
いや、考えても仕方がない。これ以上いたずらに兵士を死なせるよりも、この町を放棄して民間人と共に逃げる方が得策だ。
周りの兵士の撤退を援護し、殿について走り出した私の背に、ノルディン達の勝利の雄叫びが聞こえてきた。