1972年4月2日、この日は世界が騒然とした。
ベルリン証券取引所で株価が大暴落を起こしたのだ。
これは、投資家や企業にも大きな影響を与え、シュトゥットガルトやニュルンベルクの工業地帯では労働者が一斉に暴動を起こし、ドイツ軍が出動する騒ぎとなった。
ベルリンではドイツ共産党と結託したテロ組織«労働者共闘団»が主要な施設を焼き討つ事件が発生した。
日本では、1942年から続いていた高度経済成長が終わりを迎えた。
これは、後に«鷲の失墜»と呼ばれることとなる。
しかし、この恐慌の影響を受けなかった国家があった。
アメリカ、イギリス、フランスといった社会主義国家である。
彼らは大戦前のソビエト連邦のように、計画的に経済を成長させていった。
そんな中、1972年4月10日。
フランス=コミューン(南フランス)がフランス王国(北フランス)に対して宣戦を布告したのだ。
これを受け、ドイツはフランス王国に義勇軍を送ったが、歯が立たず、1972年4月19日にフランス王国が降伏。
全土がフランス=コミューンに併合された。
これは、後にフランス戦争と呼ばれ、史実での朝鮮戦争のような戦争であった。
この戦争は世界規模になることはなかったが、フランス=コミューンはアルザス=ロレーヌ奪還を目指し、軍拡を開始。
これに危機感を覚えたドイツはカイザー計画により、国内の発展と軍拡を始めた。
そして、1972年9月13日。
ついに恐れていたことが起きた。
アメリカ=サンディカリズム連合が大日本帝国に宣戦を布告したのだ。
これに呼応し、フランス=コミューンとイギリス連合も大日本帝国とドイツ帝国に宣戦を布告。
第三次世界大戦が始まってしまったのだ。
早速、北アメリカ戦線ではアメリカ軍が快進撃を続け、大日本帝国の属国であるカリブ海連邦を3日で降伏させ、メキシコ連邦も降伏させた。
さらに、ヒューストンの戦いで大勝。日本陸軍の3分の一を壊滅させた。
そこで、大日本帝国の同盟国であるオーストラリア国家連邦とインドネシア共和国とジャパリパーク国家連邦に協力を要請。
オーストラリアとインドネシアとジャパリパークはこれを受け、25個師団を支援のためにアメリカに向かわせた。
大日本帝国 ロサンゼルス
カラカル視点
私たちは日本軍の支援のため、ここに来た。
「戦況は非常に深刻だ。まず、ヒューストンはすでにアメリカの手に落ちている。ダラスでは日本軍が激しい戦闘を行っているようだが、陥落も時間の問題だ。そこで、我々はヒューストンの奪還を目指す。まず、遠坂萌陸軍中将率いる第一航空隊は爆撃機JP-96を用いてヒューストンを爆撃。その後、私が率いる第一陸上戦闘団は日本陸軍と協力し、ヒューストンを奪還する。以上で説明は終了だ。何か質問は? ・・・ないようだな。では、作戦を実行する。」
3分後・・・
私たちは戦車に乗り、出撃の準備を開始した。
「ヒューストンへ進撃開始!」
それと同時に全軍がヒューストンへ進撃を開始した。
その頃、ジャパリパークでは···
サーバル視点
私はアメリカ=サンディカリズム連合への本土侵攻作戦を考えていた。
「第一目標はワシントンD.C.全域。ホワイトハウス、ペンタゴン、貿易センタービル、隣のおばさんの家、リア充の家、国立自然史博物館、すべて燃やせ!」
「自由の女神の像はどうしますか?」
「爆破しろ! 不愉快極まる。欠片も残すな。」