ツイステ軸ハデペルの劇をイグニ寮が演ってる話。あくまで劇なので口調も性格もヘラクレスハデっさんではないし時系列とか諸々変。正直途中で息切れしました……。イデアパイセン「所々誇張入れたけどレポートじゃなくて交流祭用ならこんなもんでしょ……いつも通り前撮りして映すからアニメか実写か意見ある人は……え、今年は劇にする?拙者ハデス役?待って??は?もう申請出した?僕何も聞いてないんだけどどういうこと。寮長ぞ?我寮長ぞ??」脚本担当「ハッピーエンドと真実の愛って言葉嫌いなんでそういう感じの解釈で行きます」主演確定した寮長「待って??」※宗教上の理由でヘラクレス未履修※ツイステも実質未プレイの状態で書いてる※ヒューマノイド・ギアのオルトがいる※pixivにも投稿

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憎悪の向こう

 ロイヤルソードアカデミーの夜空にて輝ける英雄ヘラクレスの加護あるクラスの劇は終演を迎え、緞帳が降りた。一応、この瞬間からがナイトレイブンカレッジ死者の国の王の勤勉な精神に基づく寮の発表時間になる。最初の数人が席を立とうとした瞬間、機械で調整したような滑らかな男の声が響いた。

 

──こうして悪なる地下神ハデスは、英雄ヘラクレスの手で彼の神があるべき場所に封印され、オリュンポスには平穏が取り戻されました。おしまい。

 

 緞帳は降り、その手前にも人の姿は見えない。けれど、リリア・ヴァンルージュの目には、其処に浮かぶ青い魂が映っていた。

 

 誰もいないはずの場所に、スポットライトが当たる。

 金属が擦れる音が、妙に大きく響いた。精神干渉か、風魔法か、感覚器官への干渉か、いずれにせよ講堂中の生徒全員にとなれば相応に高度な魔法が使われているに相違ない。今年のイグニハイドは珍しく「本気」のようだ、とデイヴィス・クルーウェルは一人笑った。

 

 緞帳の前に、男が一人立っている。鈍く光る兜の面頬を上げたその姿のまま、彼は紫に塗られた唇を開いた。肉食の人魚や獣人よりもなお鋭い歯を剥き出しにして、男──「冥界神ハデス」が嗤う。

「ハッピーエンドで皆めでたしめでたし、ってか。それはそれは結構なことで」

 音に聞く「ハデスの隠れ兜」を外せば、青い炎が溢れ出す。死の気配に満ちた魔力を隠しもしないそれは、嘆きの島のシュラウドだけが今なお継ぐ、糸杉の血の証だ。笑いを抑え、一転、凍り付くような無表情でハデスが問う。

「……なら、俺はどうなる。俺は、全然、欠片も、ハッピーじゃあないんだが?」

 剥き出しの感情が、魔力が、魂が、声に乗って下界の人間の芯を叩く。観客に、地上と海と空の民草に、地下に封ぜられた神は語る。この世に完全無欠なハッピーエンドなど在り得ない、と。

 

 諦めたように目を閉じて、羨むような、懐かしむような、そんな表情で。兜を持たない方の腕を伸ばしたハデスが観客の方へ一歩を踏み出した、その瞬間。

 

「全く。散歩の一つも碌にできないのは流石に嫌になるな……」

 

 足下から、背後から。淡い黄色の魔力光で構成された召喚陣がいくつも広がったと思えば、錆びついた鎖と黒い包帯のようなものが飛び出してハデスを襲った。手足を繋ぎ、首を縛り上げ、目と口を覆う。そんな中で、青く燃えるその髪だけが、全てを焼き捨てて広がっている。無理矢理に兜を被らされたハデスは、足下に展開された暗緑色の魔法陣に吸い込まれるようにして姿を消した。

 

───***───

 

光を見た。

 

───***───

 

 臙脂色の緞帳が上がると、舞台はまだ暗い。サスペンションもスポットも消灯したままの舞台上に、炎が灯る。ライトに照らされて消えた、ホワイトゴールドに輝く炎のあったあたりは、丁度年若い娘の首元の高さだった。

 

「コレー、また出かけていたの?」

 上手から出てきた女が、呆れたような声を掛ける。柔らかな土色のローブと新緑の帯の女の方へ、コレーと呼ばれた娘が振り向いた。

 

「デーメテール母様、何か御用が?」

 コレーの足下に広がる無数の草花は、幻影魔法と3Dホログラムの併用だ。たとえ魔法に耐性があっても目に映るように、けれど十分に現実感を持つようにと調整されたそれは、コストさえ考えなければ一流の劇場でだって通用するだろう。

「もうお昼よ。要らないのならそれでもいいけれど」

「要るわ!お母さまの料理ならなんだって美味しいもの」

 若草色の中に鮮やかな花の赤を散らした衣に身を包んで、豊穣神(デーメテール)の娘は答える。この世に憂いなど何もない、とばかりに親子は笑う。世界が、神々の下に正しく回っていた頃の話だ。

 

 陽光のように明るく、ともすれば明るすぎるくらいにライトで照らされた親子とは対照的に、下手側はまだ暗いままだということに、アズール・アーシェングロットは気がついた。光吸収、気配遮断、認識阻害。舞台の演出にしては力が入り過ぎていはしないかと思うような魔法現象の併用。相も変わらずイグニハイドに採算という言葉はないらしい、と蛸の人魚は溜息を一つ吐いた。

 

 青が灯る。

 

 上手(ちじょう)では、母と娘(中身は男の筈だが、女装コスプレイヤーのイグニハイド生が監修した結果、完成度はポムフィオーレのそれに匹敵する)が戯れているけれど、今度はそちらに音波阻害が掛かったのを、ルーク・ハントは見てとった。

 下手側は冥界なのだろう。ハデスの静かに燃える髪だけが灯りなのだと示すように、青みがかったライトが当たる。

 

 妬みと恨み。絶望と諦念。悲嘆と憎悪。冷たく光る金の目が、こちらを見た気がした。

 

 大きな椅子が一つ。豪奢で悪趣味な、きっと玉座と呼ぶに相応しかっただろうそれに、ハデスは縛り付けられていた。組んだ脚と頭と両の肘から先。それしか動かせないように鎖で雁字搦めに。手首と足首にも細い鎖と足枷があるのを見つけて、ジャミル・バイパーは眉を顰めた。

 

 ハデス本人は拘束などされていないかのような態度で、右の手で頬杖をつき、左手は手元に浮かぶディスプレイを操作していた。妙に近代的なホログラムスクリーンが幾つも浮かび、流れるように処理されていく。高速で流れる古代呪文語が人名と死因と年齢ともう一つ損耗率なる数字の羅列であることに気がついて、レオナ・キングスカラーはそんなところにまで拘ったイグニハイド生と読めてしまった自分の双方に呆れた。

 

 スポットライトが増える。橙白の光に導かれるように舞台裏から現れたのは、金の髪と青の瞳を持ち、黄金と宝石に彩られた冠と篭手の輝かしき青年。

 

 冥界の王は物言いたげに末弟を一瞥しただけで、空中の死者リストに目を戻した。

「……何しに来たんだ、ゼウス」

「何って、そりゃ、冷やかし?」

 純白の衣に明るい紫のヒュマティオンを纏う青年は平然として言う。晴天に響く遠雷に似た、明朗さと絶対性に裏打ちされた声だった。自身の領域である天空から最も遠い冥界(ここ)でさえ、最高神の権勢は揺らがないと言うような。

「お前も雲上に封印されてしまえ……」

「嫌だよ」

 

 何が楽しいのか玉座の周りをくるくると回るゼウスが訊ねる。

「それよりさ、変わったこととかないの?お願いしたいこととか」

「この鎖をどうにかする以外にか?」

 ハデスは今度こそ顔を歪めて吐き捨てた。

「それはさすがにムリ」

 大袈裟に手を横に振って、ゼウスが答える。実際のところは彼が一言「許す」と言いさえすれば鎖から解放することはできるのだろう。だが、ハデスが自身の権能の奪取を諦めていないと知っていてそうするほどの考え無しではなかった。

 

 あのさ、とゼウスが言ったその瞬間だけ、舞台全体が一緒くたに照らされた。

「地上を覗き見してるのは知ってるからね」

 コレーとデーメテールが一瞬下手を、冥界(ハデス)の方を見た。(コレー)は柔らかな笑顔を、(デーメテール)は厳しい視線をそれぞれ向けていた。上手のライトが消える。

 

「……地上の娘だ。いずれはこちらに来る」

 虚勢を張っていると分かる声でそう言うハデスは変わらず電子書類に目を向けていたため、コレーと目が合うこともなかった。

「早い方がいいって。俺が許す」

 親指を上げ完爾と笑うゼウスにもまた目をくれないまま、ハデスは舌打ちを一つ。ここが恋と愛が全てに勝るような世界でないことを冥界の王は知っている。あの哀れなメガラのように、魂を差し出すほどの愛でさえ裏切られるのだから。

「そういうところが気に食わんのだがな」

 

 地下の王がその金の瞳を閉じ、最早用はないとばかりに上手に歩き出した天界の主の背に言葉を掛けた。

「……礼を言う。デーメテールの説得は貴様がしておけよ」

 

 全能なる彼自身が光り輝いているかのように、上手の袖に消えるまでゼウスを照らす光が消えることはなかった。

 

 天雷が去り、再び青だけに照らされるようになった死者の国で、王は独りごちる。

「確かに魂だけが光ではない、か」

 命の輝きが、時に陽光よりも眩いことを死者の国の王は誰より知っていた。それが、決して自分の手には入らぬ事も。メガラの時もそうだった。愛した男に裏切られた女も、結局は英雄を気取る生者の下へと渡っていった。ならばどうすればという問いへの答えを、恐慌(デイモス)の主は未だ知らない。

 

「タナトス」

 王の声に応えるようにゆらりと影が揺らめき、玉座の裏側から黒髪の男が現れる。青色の唇、蒼白の肌、冠に似た銀の髪飾り、濃灰色の衣。どこか主人に似た、冷たい表情の彼は、人の魂を冥府へと導く「死」そのものだ。

「客室の用意をしておけ」

「かしこまりました、冥府たる方」

 死者の休む冥界には今や苦痛(ペイン)恐怖(パニック)もなく、ただ(タナトス)だけが悲しみの大王に付き従う。揺らめく影に消えた眠り(ヒュプノス)の兄弟だけが、宇宙を手に入れ損ねた今もハデスの傍に残っていた。

 

───***───

 

水仙の花が一輪。

 

───***───

 

 明るく照らされる地上のうち、一輪だけが実体を持つことに気がついたカリム・アル=アジームは、なるほどと思った。ナイトレイブンカレッジもロイヤルソードアカデミーも、仮にも名門魔法士学校を名乗っているだけはある。わざと精度の落とされた幻影魔法をそうと気づけない生徒など殆どいないだろう。そこまで含めて演出の一部というわけだ。

 

「まあ。なんて綺麗な水仙でしょう」

 地上、若草色の衣に身を包んだ娘は、冥界からの視線に気がつく様子もなく、可愛らしく笑った。美しく咲く花を摘もうと、地に膝をついて手を伸ばす。

 

 その瞬間、観客全ての視界がノイズが走ったようにぶれた。娘の足下、舞台の奈落が開く。不自然なまでにゆっくりと、乙女(コレー)がなすすべもなく落ちていく。地下へ、地中へ、冥府の底へと。助けを求めるように伸ばした腕さえ、誰にも捕まれることなく大穴の中へ消えていく。

「その肉も!魂も!地下へ来たのなら私のものだ!」

 それを見て下手(めいかい)の玉座に座す男は笑う。骨まで砕けそうな歯を剥き出しにして、青い炎に興奮の赤を混ぜ込んで、瞳の黄金に喜悦を浮かべて、富の主人は高笑う。

「二度と地上などへ返すものか!」

 

 奈落が閉じて無人になった地上には、まるで何事もなかったかのように変わらず花が咲いている。新緑の衣の女が迷い込むように袖から現れた時も、変わらず花は咲いていた。

「コレー、コレーは何処?」

 不安に駆られて辺りを見回すデーメテールが、たった一輪だけ手折られた水仙を見咎めた。神に祈る人のように地に跪く彼女は、けれど大地の女神である。一部始終を見ていた草花に、囁くように問う。

「コレーは、私の娘はどこにいるの?」

 数秒の沈黙の後、顔を上げた彼女は紛うことなく大地母神にして飢餓を送り出すものであった。

「……そう。冥府(ハデス)ね」

 暗転。

 

 暗闇の中、舞台よりもずっと高くから二柱の声が響く。

「全能なるゼウス、貴方なら娘を連れ戻せるでしょう。星空のヘラクレスを連れてきても構わないわ」

「連れ戻す必要があるの?」

「あるに決まっているでしょう?……それともそれは、地上には最早実り(わたし)が必要ないと言うことかしら」

「いやいや、そういうことじゃなくてな、俺の兄じゃ不満か?」

「当然では?アレがオリュンポスで何をしたのか忘れてはいませんよ」

「だよね……」

「……あなたが、認めたのね。沈黙は肯定と見なすけれど」

「……ハイ」

「連れ戻すわ。何をしても、ね」

 デーメテールの放った鋭い声は、地上に訪れるだろう長い長い不作と飢餓を予感させた。

 

 ホワイトゴールドと青が下手に灯る。眩く輝く白色金は生命力そのものの色だ。炎さえ冷え切る冥界で、それでも暖かく燃える、生けるものの魂。

 その彼女に、乞うて願う声がする。見えざる御方、死者たちの王、富めるもの。目を焼くほどに生命輝く花の娘に一目で心を奪われた冥界神ハデスの声が。縛られてさえいなければ、きっと娘の前に跪いていたのだろう必死さで暗澹とした冥府に響く。

「豊穣の娘、輝ける生命の乙女。私の光、目も眩む輝き(ペルセポネー)よ。どうか冥界(ここ)を照らしてはくれないか」

 地下牢の囚人が陽光を求めるよりも、死病に冒された老人が明日を願うよりも、人が神に祈るよりも強い切望。けれど、光溢れる地上から攫われた娘に、当の下手人からの声が届くはずもない。

 

「愛してなんかやらない。絶対によ」

 

 青白のライトが冥府を照らす。ハデスは変わらず玉座に縛られていた。それも、(ゼウス)部下(タナトス)を前にした時の不遜な態度が嘘のようなおとなしい姿で。

「そう、か」

 目を伏せた死者の王を、豊穣の娘、花塗りの女神が冷たく見つめる。娘の手首に鎖はなく、その足は繋がれていない。けれどそれでも、この冥府(ハーデース)と呼ばれる地に縛られて抜け出せないのは、彼女とて同じことだった。

 

「ええ。閉じ込めたいならそうすればいいわ。万年過ぎたところで心変わりなどするものですか」

 決して涙など見せまいと歪んだ表情で、玉座の男を睨みつける。それは、それに区別があるのなら、豊穣神デーメテールの娘、全ての花に色付ける乙女(コレー)の顔ではなく、冥府の妻神ペルセポネの顔だった。燃える炎よりも白々と目を焼く苦悩と悲嘆と憎悪。この地底を取り巻く河のような。

 

「そうか」

 一度目と違って、その呟きに内包されていたのはむしろ歓喜と言ってよかった。温もりのない炎のような、月もなく終わらない夜のような。美しい分だけ違和感だけが募り続ける。

「ならばそうしよう。お前がいるのならこの地の底も多少はマシになるだろうからな」

 なぜそうなる。人ならぬものが、人ならぬ力と人ならぬ倫理で喜びを露わにすることが、これほどに恐ろしいものなのかと、エース・トラッポラは冷や汗をかいた。これは本当にあのイデア・シュラウドなのだろうか。或いは、()()が正しくイデア・シュラウドなのだろうか。隣に座る親友は、舞台の向こうに演者を見られるほど器用ではないので、この不安感とは無縁だろう。その脳天気さが今は羨ましかった。

 

「タナトス」

 青炎よりも冷たい声が響く。ライトが消えて、燃える魂だけが舞台を照らす。

「客人を部屋へお連れしろ」

「かしこまりました、悲しみの大王様」

 燃える、燃える。炎が燃える。濃紫(タナトス)白色金(ペルセポネー)を連れて下手へ去るのを、(ハデス)がただ見ていた。

 

───***───

 

燃やして、悩んで、嘆いて、憎んで、忘れる。

 

───***───

 

 誰もいない舞台上、奥のスクリーンには薄暗い山と河とが映っていた。機械から投影されたそれは流れるように移り変わって、大河の流れを伝って、枝分かれの先を行く。スクリーンの下端、河の先から丸められた青い布がころころと舞台を二分するように転がって敷かれていった。

 

 蛇行する河を描き終えて、ころりと舞台から布の端が落ちる。

 

 冥界に流れるステュクスの支流には、水の代わりに炎が流れる河があると言う。地底の話だ。溶岩の河なのだろうと、ジェイド・リーチは思っている。活火山も山の一種には違いないので、七割くらいは個人的な願望が理由だが。

 

 観客の足下までは辿り着かなかったその布が、燃え上がった。正確には赤いライトで照らされ、布そのものが僅かに光を放っているだけだったが、十分だった。燃焼(プレゲトーン)の名を持つ河が、上手(ちじょう)下手(めいかい)の間に横たわっていると分かる。

 

「ハデス!あの罪人めが、よくも娘を!」

 怨嗟と憎悪の声が、上手の袖から響く。ゼウスとハデスの姉、一切の穀物をその掌中に握り、今は飢餓の女主人と化した、地神デーメテールが足音も高く現れた。

 

 たっぷりとドレープのついた新緑の衣が、溢れ出る神の魔力と感情に煽られて風もないのにはためく。

「許すものか」

「今度こそ奈落(タルタロス)の奥底に繋いでやる」

「二度と、二度と地上を覗き見ることなどできないように」

 嘆き、恨み、燃え盛る激情だけが、子を失った女の口から溢れ出る。忘却(レーテー)へ流されたのち廻り降り積もって冥界を流れる死者の情念と同じものを抱える彼女は、神より前に母であった。

 

「お母様!」

 下手に光が当たる。藍墨色に紅蓮の文様の衣を纏って、ペルセポネと名付けられた娘がそこに立っていた。その身を縛る鎖がなくとも、地下の暗がりを思わせるその服が、コレーと呼ばれる少女はもういないのだと雄弁に語っていた。

 

 デーメテールが目を見開く。口元だけが音もなく動いたのは、娘の名を呼んだのだろう。手元に、新緑色の魔力が集まる。

 

 葉と枝と蔦と根と。あらゆる草木が絡み合ってデーメテールの足下から伸びる。炎の河に燃やされても、再生し続けて向こう岸へと橋渡す。一歩を踏み出した途端、舞台全体が回転した。河を照らすライトの色が変わる。冥界に流れるステュクスの支流は、プレゲトーンだけではない。

 

 燃え盛る燃焼の河(プレゲトーン)を越え、精神を洗い流す忘却の河(レーテー)を渡り、悲嘆(コキュートース)苦悩(アケローン)の先へ辿り着く。憎悪(ステュクス)の流れへと。河の流れが何倍にも膨れあがる。再び伸ばされた草木の橋も、半ばまで辿り着けずに勢いを失った。

 

 ぼう、と燃える炎、彷徨う魂たちがデーメテールへ縋り付く。渡し守(カローン)はハデスの指示であろうか、デーメテールの前には現れなかった。ペルセポネーが、崩れ落ちるように地に膝をついて嘆く。限界まで伸ばされたデーメテールの手は、彼女の娘まで僅かに足りなかった。

 

 母と子の絶望を映すように、ゆっくりと舞台を照らす光は消えていった。

 

「私は、こんなところ嫌いなの」

 白色金が灯って、玉座の傍にだけ光が当たる。疲れたような表情で座り込んだペルセポネーは続けた。それが死者の国の王の、一等嫌う言葉とは知らずに。

「……貴方と違って」

 

 途端、青が燃え上がった。天まで届く火柱に見紛うその髪に、ちらちらと赤が混ざっていく。

 

「誰が!」

 苦悩も、悲嘆も、憎悪も、燃える激情も。きっと、死者と、そして誰よりハデスの感情それ自身なのだ。忘却だけが、巡る魂に与えられる僅かばかりの慈悲だった。怨嗟も、未練も、執着も、愛も恋も希望も地上のこと全てを忘れて流して、今の冥界は、ただ魂の傷を癒やし再誕の時を待つだけの場所になっている。その代わりのように、行き場のない感情は冥界の河で煮詰まって、冥府そのものであるハデスへと流れ込む。

「俺だって、俺だって好きでこんな場所に居るわけじゃない」

 絞り出すような声だった。

 天空神ゼウスは、望んで空を取った。彼は、(ウラノス)から地神(クロノス)へと移った王権の継承者であるから。

 海洋神ポセイドンは、籤の結果ではあるが、望んでいたように海を手にした。

 冥界神ハデスは。

「暗くて陰気で、陽光の加護も月光の慈悲すら届かない」

 地下神ハデスは、空が欲しかった。輝く光が好きだった。それなのに、地下と地上を裏返すための地を揺らす権能さえ手にできなかった。それは大波を呼ぶからと、弟ポセイドンの領域とされた。

 人が死なない日も、生まれない日もない。魂を巡らせる冥界の役割を放棄することなど、一時間でもできるものではなかった。全能なる神々の王でもなければ、代行できるものではない。事実上、天界山オリュンポスから閉め出されたようなものだった。

「毎夜毎日終わりも休みもない仕事に追われて、己の他にいるのは無能揃いの部下と死人ばかり」

 

「待ってください冥王様。それ私もですか?」

 思わずというように玉座裏からタナトスが口を挟む。かつての同僚である苦痛(ペイン)恐怖(パニック)よりは余程全うに仕事をしている自負があった。それ自体は事実なのでハデスの方も一拍は考え込んだが、死の神としては致命的な案件が複数過ぎったので嘆息を交えて人の名を二つ出した。

「アルケースティス。シーシュポス」

 死ぬべき夫の身代わりとなったアルケースティスは、冥府に連れ込む前にヘラクレスに奪われた。そればかりか、神の身でありながら人間であるシーシュポスに捕らえられた。あの時は態々ハデスが甥である戦神アレースに頼み込んでタナトスを連れ戻させたのだ。

「シーシュポスの時はあれでしたけど、ヘラクレス相手じゃ冥王様だって人のこと言えないじゃないですか」

 メガラの話だ。人のことを言えない、どころか殆ど同じことを主従揃ってやっていた。違いは冥界に来る前か後か、生死の境のどちら側に人間たちがいたか、程度のものだ。

「確かに……いや話を逸らすな」

 そうは言いつつハデスの方もその炎の髪が重力に従う程度には心が落ち着いてしまっていたので、先ほどまでのように声を荒げることはなかった。

 

「少し、貴方のことを勘違いしていたようね」

 ふふ、と少し余裕が出てきたらしいペルセポネーが笑う。思っていたよりも、この男は血も涙もない類というわけではないようだと思えた。冥界の暗さに目が慣れてきたのもある。

 それに、先の火柱もペルセポネーを焼くことはなかった。こんな、数歩の距離でさえ、彼には遠すぎるのだと思えば、言いしれぬ不安のいくらかは拭われる気がした。

 

「可哀想な方……」

 ペルセポネーが囁くように言う。冥府の主は、僅かに唇を噛んだように見えた。

「やめろ、俺を憐れむな……」

 空を統べる雷霆(ゼウス)も。海に君臨する荒波(ポセイドン)も。大地を満たす豊穣(デーメテール)も。誰も彼もこの地の底に縛られてしまえば良いと。あの頃は確かに思ったのだ。だから巨神(ティターン)を焚きつけた。けれどここに居なければならないことそれ自体よりも、遙かに劣る力しか持たぬ末端の神々が自分を見て「こいつよりはマシだ」と思うことの方が屈辱的だった。

 

「あら。ごめんなさい」

 ハデスがどうやら自分に強く出られないらしいと気がついたのか、ペルセポネーは打って変わって強気だった。なぜだろうか、この伯父が可愛らしい幼子か、あるいはもう一人の自分のようにも思えた。死者の国の王と強く結びついた今となっては、この地の底そのものが緩やかに生者を蝕んで、ハデスの所有物へと近づけることを、どうあっても崇拝なり共感なりの好意を抱かせるようになっているのを、彼女は知らない。

「お詫びに何かしてさしあげましょうか?」

 

 嘆きの王は、これを言っても良いものかと悩んでいるようだった。それでもしばらくの後に、彼は願いを口にした。

「一口でいい。石榴を」

「食べればいいの?」

 ああ、彼女は冥界の法を知らないのだな、とトレイ・クローバーは察した。知っていたらここまで簡単には承知しないだろう。先ほどから、どうにもハデスを下に見ているような態度が目立つ。愛や恋の名を以ては呼ばれないものだろう、これは。

「ああ。その様を私に見せてくれ。……ずっと、何も食べていないだろう」

 悪辣なことだ、とジャック・ハウルは顔を顰めた。まるで本心から心配しているように見える。いや、いずれにせよ演技のはずだが。

 

 黒髪の死神が、銀盆に一つだけ石榴の実を載せて運ぶ。ペルセポネーは、気に負う様子もなくそれを口に運んだ。

 

 赤い雫が口の端から垂れ落ちる。それが、問題なく観劇できているのが奇妙なまでに薄暗い舞台と相まって、まるきり血の雫のように見えた。宣言通り、初めの一口を囓っただけで、石榴は盆に戻された。

 

 暗転。

「食べたな」

 平坦な、海中の人魚のように息の混じらない声だけの声がする。フロイド・リーチが聞く限り、二度目になるそれはハデスの、己がホタルイカに例えるイグニハイド寮長の、声のようだった。機械のように滑らかな、機械の声。音声合成ソフトを作ったので試したいと言い出した二年生を知るのは、イグニハイド生だけだった。

「死者の国の果実を、食べたな」

「死者の国に根ざすものは、死者にのみ与えられるもの。で、あればそれを口にした者は、なべて死者であろう」

「お前もだ、春告げの女神よ」

 

 ペルセポネー、ハデス、それから、見覚えのない若い男が一人。その男のサンダルに、鳥の羽を模した飾りがあることに、セベク・ジグボルトは気がついた。であれば、彼こそオリュンポスより遣わされた伝令神ヘルメスに相違ない。

「ともかく、食べてしまったものは仕方がない。ゼウス様にお伺いを立てなくては」

 ペルセポネーの顔は険しかった。

「騙したの」

「そうすると、お前が言ったのだろう」

 ハデスの方は、初めからこうなると分かっていたのだろう、平然としていた。それに対してペルセポネーが嫌悪も露わに吐き捨てる。

「騙したのよ、貴方は、間違いなく」

 

 伝令神ヘルメスが一度上手へ去り、数秒のうちに戻る。その手には羊皮紙が一枚。嘆きの島や死者の国で使われた古代呪文語で、なにやら仰々しい言い回しの文章が書かれている。

「太陽が一巡りする期間を三つに分け、うちの二つを豊穣神デーメテールの娘コレーとして、残りの一つを冥界神ハデスの妻ペルセポネーとして、過ごすようにとのことです」

 ひとまず、今年の「春」です。地上に帰りましょう。そうヘルメスがペルセポネーに語りかける。ちらりとハデスを見遣って、彼女は頷いた。いつものように玉座の陰から現れたタナトスが銀貨を二枚、彼女に渡す。八回後の新月に帰ることを信じて、ステュクスの渡し賃を往復分。

 

 伝令神と春告げの乙女は地上に去った。冥界を暗闇が満たす。暗転。

 

 春と、秋と、冬と。一年間を切り分ける。地上を、色とりどりの花が、緑の草が、一面に実った小麦が覆う中で、デーメテールと若草色の衣を着たペルセポネーが笑い踊る。

 

「冬が、来るのね……」

「ええ、お母様。けれど四月の後にはまた戻りますから」

 

 下手側を青いライトが照らす。下手へ歩くペルセポネーの衣装が、文様の鮮やかな赤はそのままに魔法で若草から藍墨に変わる。豊穣の娘から冥府の妻へ。

 

 地上の小麦が刈られて、雪が積もる。冬が、来た。

 

 そうして雪が溶けて、若草の衣のペルセポネーが観客席から見て左から右へ。夫の元から母の元へ。

 

 同じ事を、もう一度。冬が終わる度に、死者の国の王は何か言いたげに顔を上げて、ペルセポネーの冷たい視線を浴びて顔を伏せた。

 

 また、冬が来て、終わる。

 

「もう少しだけ、留まってはくれないだろうか」

 冥界の主は、まだ藍墨色の服を着ているペルセポネーに、三度目にしてようやくそう語りかけた。

「嫌よ。そのために、貴方は何をくださるというの?」

「君が欲しいというなら黄金でも宝石でも地下に有るものは何だって」

 真珠よりも輝く蛋白石(オパール)を、高く透き通る空より青い蒼玉(サファイア)をあなたへ捧げるからどうかここに留まってはくれないかと。暖かな陽の光も、綺麗な野の花も、なにもないこの場所で、冷たく冷えた死者の魂だけを従える自分が与えられるものであるならば、何だって。

 

「ああ、」

 希うその声に、何かに気がついたようにペルセポネーが微笑んだ。

 

「寂しいのね、貴方」

 

 富めるものと呼ばれる地下の王は、その言葉に驚いたようだった。

「そう……なのかもしれないな」

 

 ふふ、とペルセポネーが笑う。綺麗な笑顔だった。まるで心から愛する王子様との結婚を控えたプリンセスのようだと、ロイヤルソードアカデミーのある生徒は思い、次の台詞に凍り付いた。

「嫌よ。私を閉じ込めた分だけ、お母様を嘆かせた分だけ、散々苦しめばいいんだわ」

 そう言って、これ見よがしに若草色に衣を変えながら身を翻す。

 

 春だった。冥界から光が去る季節だった。

 そしてまた秋が来て、冬が来る。見えざる方(アイデース)の下に目も眩む光の君(ペルセポネー)が訪れる季節が。

 

 ある冬の、初めの頃だった。尽きない死者の記録を眺め、あるいは処理しているハデスが、ぽつりと口を溢した。誰かが聞いていると思っての言葉というよりは独り言に近かったが、その時のペルセポネーは玉座のすぐ傍に座り込んでいた。

「この青が地上に訪れる日を、夢見ていた頃もあった」

「あら、今は違うの?」

「この身は地上には最早行けぬよ。子の一人も居れば別なのだろうがな」

「そう」

 これは聞こえてはいても聞いていないな、とペルセポネーは思った。会話が成立していること自体に気がついていないのだろう。だから、このタイミングでなら、滅多なことも口にできた。

「嫌いよ……」

 玉座に背を向けて、けれどぴったりと背をつけたまま、ペルセポネーは言う。

「大嫌いよ、貴方のことなんて」

 一方的に目をつけられて、了承なしに攫われて、騙し討ちのように年の三分の一を地底で暮らすよう仕向けられて。形式上は夫婦でも、はっきり言ってペルセポネーからハデスへの好感度は地どころか奈落(タルタロス)の底だった。

「愛してなんかないわ。同情だって一欠片も。ただこの地に、貴方に、馴染んでしまっているだけ」

「二人はそれからずっと幸せに暮らしました、なんて永劫在り得ないのは知っているでしょう?」

 死でさえも、冥府の王から逃れるには足りない。そんなことをすれば、今度こそいいようにされるだけだ。

「酷い話だわ、本当に。死んで逃れられるなら今日にでも舌を噛み切ってやるのに」

 

 愛があるのならば、全てを受け入れる大海のようなそれではなく、燃える溶岩(プレゲトーン)のような愛だろう。

 恋をしているのならば、焚き付けを燃やして人の身を暖める火のようなそれではなく、凍える氷河(コキュートース)のような恋だろう。

 悩み苦しむこの身のうちに何か情があるのなら、それはきっと憎悪(ステュクス)に似た情欲だろう。あの女神の顔は、なぜかペルセポネー自身によく似ていた。

 

「でも」

「私だって、豊穣の娘なの」

 けれどそれでも、ペルセポネーはデーメテールの娘であり、自身も農耕神の一柱である。産み、育て、増えることへの憧れは、当然のものとしてあった。

「貴方のことは嫌いだけれど、貴方の子供は育ててもいいわ」

 いつのまにか、ハデスの手は止まっていた。ウィンドウを押し除けるように脇に払い除けて、彼女の独白をただ聴いていた。

「聞いているんでしょう、どうすればいいの?」

 瞬きを一つ。紫に塗られた唇が開いて、一度閉じられた。逡巡するように視線を宙に巡らせた死者の国の王は、もう一度目を閉じて、努めて柔らかくしようとして失敗したような声で言った。

「……口づけを」

 観客席の半分以上に激震が走った。ナイトレイブンカレッジにおいて真実の愛とは概ね幻想として扱われているが、この劇の観客のもう半分、ロイヤルソードアカデミー生にとってはそうではない。想い人のキスは本当に大方の呪いを解呪しうるものだし、互いに一目惚れして一生幸福に添い遂げるような運命の相手は実在する。そもそもナイトレイブンカレッジ生だって健全な男子高校生であるからして、愛していないと言い切りながら子供を作るだとかキスするだとか、そういう文化圏からはまだ程遠い。 

 

 というかイグニの劇なんだからこれ男同士なんだよな、とデュース・スペードは思い至って、思わず立ち上がりかけるくらい動揺した。なにせ、舞台上のペルセポネーが微笑んで立ち上がり、ハデスの方へ身を寄せたので。

 流石に、唇が接触することはなかった。映画研究会ならともかく、イグニハイド寮長にそこまでのプロ根性がなかったのと、ここにも演出が入るからだ。

 

 薄く開いたペルセポネーの唇の中に、ハデスが息を吹き込む。青い炎の、吐息を。死者の国の言葉(死者の国や嘆きの島は今でも古代呪文語に分類される言葉を用いることが多い)において、息吹(プシュケー)は魂や生命を意味する言葉でもある。

 

 ほう、と吹き込んだ息の中に、青く揺らめく炎が混じっているのを、マレウス・ドラコニアは確かに見た。それ自体は魔力の塊にすぎないのだろうが、もしそれがもっと真に根本的な、切り分けられた魂なのだとしたら、子が宿ることは間違いないだろう。少なくとも妖精族であるならば何もおかしな事はない。果たして「ペルセポネー」や「タナトス」の魂が演者のそれとは違う色で表されるのとは対称的に、シュラウドの魂は青いことと、何か関係があるのだろうか。

 

───***───

 

石榴をさんぶんこ。

私と、貴方と、未来の王へ。

 

───***───

 

 その冬の終わりは、それ以前よりもずっと穏やかだった。ペルセポネーが地下を去ろうというときに、ハデスは彼女の背に祈るように声を掛けた。

「……来年も、帰ってきてね」

 まるで、その一つだけで満足だとでも言うように、かつて全宇宙の支配権を求めた男は言う。

「ええ。勿論」

 そうするしかないのだから、という言葉を飲み込んで、ペルセポネーも答える。そこから二歩進んだところで、何かに気がついたようにペルセポネーが振り返った。

「ああ、石榴の木を一本地上に運ばせてもいいかしら」

 地上のものであった娘をこの場所に繋いだ、冥界の果実。多くの種を身の内に抱える、豊穣多産の果実。地下世界の神は一つ頷いて、部下を呼ばわった。

「タナトス」

「かしこまりました、富の御主人」

 

 ライトが消える。真っ暗な舞台の上には、冥府(ハデス)の巨大な青と、(タナトス)の濃紫、目を焼く光(ペルセポネー)の白色金に加えて、もう一つ小さな炎が浮かんでいた。娘の首下に浮かぶ白色金のすぐ下、腹部の辺りに、小さく、けれど確かに燃える青が一つ。

 

 春が来て、冬が来て、また春が来る。その周期を、何度か繰り返したあとなのだろう。上手の袖からペルセポネーが、ひとりの男児を連れて現れた。青く燃える炎の髪と大きな金の瞳を持ち、真っ白な衣に身を包んだ、まだローティーンかそこらにみえる男児を。

 

 オルトくんじゃん、とケイト・ダイヤモンドは口中だけで呟いた。ケイトが知る限り、イグニハイド生としてこういう場所に出ることができてかつあの身長体格なのは彼だけだった。とはいえ見たことのない格好だ。意図的に「機械らしさ」の全てを省き、人間に近づけようとしないとこうはならない、というような。ロイヤルソードアカデミーの生徒たちには、彼が人に見えているだろうか。そうだといいな、とケイトは思う。クラスメイトの弟が、ケイトの手札よりも人間から遠いものだと扱われるのが、なんとなくすっきりしなかったので。

 

 手を引いて、舞台の下手の一番端、父なる神の玉座の前まで。真っ直ぐに立つ青炎の子を見て、死者の国の王は目を見開いた。なにせ彼はまだ生きていて、その上区分としては人間の側だったので。

「その子……」

 ペルセポネーが笑う。その姿は、確かに子を守る母のそれであった。

橋梁(ゲピュラ)。ゲピュラ・シュラウド。あなたの息子よ」

 青炎の子が、母と繋いでいた手を離して父に一礼する。

 死者を包む衣。生と死を繋ぐ橋。冷たく燃える冥界の青火と同じ色の魂を持った、糸杉(ハデス)の子。その、一人目だった。

「それは見れば分かるが……ああ、石榴の木を持っていったはそのためか」

「ええ」

 冥府の石榴、と今では呼ばれるそれは、滅多に出回ることはないが、実在する果実である。冥界に由来し、地上で育つ果実。生きた人を、生きたまま死者に近づけるもの。地上と地下を繋ぐ、形持つ呪い。

 

「お父様」

 ゲピュラと呼ばれた少年が、父の玉座に今一歩近づき、膝を折る。民が王を奉じるように、人が神を祀るように。彼は、子孫へ今なお連綿と続く呪いの言葉を吐いた。

「いつか、僕の裔があなたの兜とあなたの玉座を継ぐでしょう」

 

「あなたが地上を、あなたと母様が揃って陽の下を歩けるように。僕たちは青を継いでいきましょう」

 

 驚愕と歓喜とを一瞬浮かべて、何かに気がついたようにハデスは悲しげな表情を浮かべた。自身を仰ぎ見る息子が、きっと冥界の性質に中てられた部分があるのだろうとは想像するに難くない。個としての喜びと、親としての嘆きと、どうせ叶いはしないという諦めとで、胸の内側をナイフでぐちゃぐちゃに掻き回されているような気さえした。

「ありがとう」

 無理はしないよう、と言い聞かせる姿は父親のそれだったが、声には隠しきれない期待が乗っていた。それが例え、自身の末裔を今の自分と同じ様に拘束することだったとしても、地下神ハデスは自由を渇望していた。している。

 

 ライトが消え、認識阻害も相まって真っ暗な舞台に、抑揚の薄い合成音声のナレーションが流れる。

「これが、さて、何千年前の話だったか」

「誓いは、最も原始的な呪いの一種類だと、魔法士諸君は当然知っているだろうと思うが、つまりいずれは成就する」

「誰もそれを望まなくなった先の未来であっても、いつかはな」

 

 青が灯る。糸杉の血を示す炎の髪が、いつもの倍は長い。体の芯を凍り付かせるような死の気配が、観客席まで広がった。これが、精神干渉魔法などではなく、垂れ流しになっている魔力だけの効果だというのだから恐ろしい。僅かに光量が上がって、死体のような白い顔が浮かび上がる。零下まで冷え込んだ金の瞳が開く。

 

 冥界神が、()()()を見た。明確な意思を持って、観客へ視線を投げかける。羨望と郷愁と諦観。悲嘆と憎悪と苦悩ばかりの地の底に、僅かばかりの希望が降って湧いた後の。

「希望は未だ叶わず、未だ絶えず、だ」

「死者の国の王、などと誰も望みはしないだろうに……」

 

「言ったろう。めでたしめでたし(happly ever after)など幻想だと」

 死者の王が顔を上げる。

「残念至極だが、俺は相変わらず欠片もハッピーじゃあないし、ペルセポネーだってデーメテールだって、俺の子供たちだって、そうだろうよ。俺の光に俺が嫌われていることにも変わりはない」

 お手上げだ、とばかりに掌を上に向けて広げ、おどけるようにそう言う間も、その瞳の温度だけは変わりがない。冷えた金はきっと、地上の子らを見ているのだろう。緞帳が下りるその瞬間まで、玉座に縛り付けられて。あるいは今この瞬間も、地下の奥底から。


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