迷宮都市の奴隷騎士   作:ワシイヌ

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十話 灰纏う赤頭巾

「ゲールさん!」

 

 アイズは突如姿を現したゲールの元へ駆けつける。

 

「どうして……それに、怪我の方は――」

 

 一瞬前のおぞましい殺意を潜めた老人へ色々と聞きたいことはあったが、だがそれ以上に心強い救援が現れたことに安堵の念を抱きつつもアイズは傷の具合を問いかける。なにせこちらから見た限りでは明らかに食人花に喰われていたのだから。

 

「なんでここにいるか分かんないけど、助かった!」

「手ぇ貸して! こいつら、打撃じゃ歯がたたない!」

 

 特徴的な赤頭巾も灰色に染めた老人から答えが返ってくる間もなく、植物型モンスターを引き付けているティオナとティオネから声が飛ぶ。明確な魔力(えさ)を見失い、鼓膜を裂くような割鐘の咆哮を上げながら食人花たちは目についたアマゾネスの双子へと襲い掛かっていた。

 

 第一級冒険者の肉弾攻撃が通用しない四体の未確認モンスター。対するこちらは無手の冒険者(アマゾネス)が二人に刃を失ったレイピアを携える剣士(おのれ)が一人。唯一の対抗手段になりえるであろう魔導師(レフィーヤ)は痛手を負って戦線を離脱している。

 

「私の魔法(かぜ)で、モンスターを引き付けます」

 

 しかし膠着状態の中、新種のモンスターを倒せる大剣(ぶき)を手にするゲールの乱入により、形勢は自分たちへと傾いている。今なら自身を囮とすることで食人花を釣り、その隙を突いてゲールに討伐してもらうことも可能だった。

 

「その間にゲールさんが――」

「頭を狙え」

「――モンスターを倒し……え」

 

 が、脈絡もない一言に自分の提案を遮られてしまいアイズは言葉に詰まった。

 

「奴ら、口の内に魔石がある。食われる直前に、魔石に一撃を加えて息の根を止めろ」

 

 ダンジョンで目にした光景と同じく、全身にモンスターの灰を浴びたままの姿でこちらの身を案じる言葉も聞こえなかったかのように老人はあの嗄れた低い声で淡々とモンスターに関する情報を伝えてきたため、一瞬何を言われているか分からずアイズは呆気に取られてしまう。

 

「――弱点は頭、魔石がそこにある!」

 

 だがそれも一瞬のこと。直前の出来事を思い出しつつすぐさま声を張り上げ、格闘しているティオネたちへ食人花の魔石の位置(じゃくてん)を伝達する。

 

「了解! って、言いたいけど!」

「この状況じゃ簡単に……ッ!」

 

 とは言ったものの、四匹の食人花による無数の触手にと食らいつきよる攻撃を弾き、回避する合間を縫って双子か苦悶の声を飛ばしてくる。

 

 かくいうアイズも柄のみとなったレイピアではモンスターを斬り倒すことも出来ず、かといって無数の触手を掻い潜り、醜悪な歯の並びたった口腔へ飛び込んで魔石を砕くというのはあまりに危険度(リスク)が高かった。

 

(やっぱり私が囮になって……)

 

 食人花にも通用する大剣を装備したゲールを攻撃の主軸に置き、自分たちが援護に回るべきだと再び自分の考えを伝えようとゲールの方へ首を巡らせる。

 

「ッ」

 

 しかし突如顔に降りかかった灰によってその言葉も口に出せずに終わる。

 

「ケホッ……ま、待って――」

 

 石畳に広がる灰を巻き上げ、全身に纏った灰を振り撒きながら無造作に駆け出した老人。アイズは目を細めながら灰を振り払い、むせながら制止をかける。

 

 疾走する速度は決して遅くはない。だが、第一級冒険者(じぶんたち)と比較すればあまりにも緩慢で無防備だと言わざるを得なかった。あのままでは格好の的になってしまう。

 

『――――――ッ』

 

 予想は的中した。双子の少女たちを食らおうと躍起になっていた一匹の食人花が接近する灰色の騎士の存在に気付き、その開花した花のような醜い頭部を素早く巡らせる。

 

『アアアアアアアア!』

 

 割鐘の咆哮を上げた直後、幾本もの蔦の触手を差し向け、鋭い鞭のような連撃を見舞った。

 

 鋭いつむじ風のように襲いくる触手の乱舞をものともせず、なおも前へと出るゲール。

 

 偶然か奇跡的か。食人花の攻撃はただ愚直に前進を続ける老人の背後を掠め、空を切っていく。

 

(攻撃を()()()()……?)

 

 端からでは赤頭巾の老人が触手の軌道を追っているようには到底見えなかった。培ってきた経験からモンスター(てき)の動きを予想しているのだろうかとアイズは目を瞬かせた。

 

 だがその考えとは裏腹に、遂には一本の触手が老人を捉えた。

 

「ゲールさんッ」

 

 瞬間、アイズの叫びを掻き消すようにビシィッ! と弾けるような衝撃音が響き、灰被りの騎士へ攻撃が直撃し、その拍子に灰が散る。

 

 不意打ちとはいえレベル3のレフィーヤを行動不能にさせた威力を持った攻撃だ。軽傷では済まないはず。

 

「…………」

 

 が、またもアイズの予想を裏切った。ゲールは攻撃を受けた反動で微かに身動ぎしたのみで、左腕の手甲で触手を防いで踏み留まっていたのだ。

 

 そのままゲールは受け止めた左腕で触手のような蔦をむんずと掴み、ぐるぐると絡め取ると――

 

「フ――!」

 

 グン! と強引に手繰り寄せた。

 

『――――――ッ!』

 

 これには食人花も驚いたのかあからさまに動きが鈍る。

 

 そうしている間にもメリメリと音を立てて地面を盛り上がらせて触手が引き抜かれようとしている。

 

 ミチミチと繊維の割けるような音が耳をつきながら千切れる直前まで張られるモンスターの触手。傍目からは綱引きを連想させるその様はゲールに分が上がっている。

 

 痛覚があるのか不明だが、体の一部を失うことに抵抗感があるのか食人花は自由な触手の矛先を槍衾のようにして老人へと向けた。

「――――」

 

 触手の一斉射が放たれる直前。その僅かな間を見計らっていたかのようにゲールは最大まで触手を張り詰めさせて、ダンッ! と石畳を蹴りつけた。

 

「――――ッ」

 

 強靭な脚力と触手の張力が合わさり、引き絞られた弓から放たれた矢――いやその巨躯からすればもはや砲弾である――のような凄まじい速度でモンスターの胴体へ突撃。勢いそのままに黒大剣を突き立てた。

 

『――――――ア゙アッ!?』

 

 ゲールを起点としてくの字にへし折れ、激しく石畳へと叩きつけられる食人花の茎の巨体。

 

 身体中に纏った灰を散らしながらゲールはなおも止まらない。砕け散る石畳が巻き上がる中大剣を深々と突き入れ、食人花を地面へ縫い付けると柄を両手で握り締め――

 

 

 

「――――ヌウンッッ!!」

 

 

 

 荒々しい唸り声と共に黒大剣を振り上げ、胴体の半ばから頭部までを一思いに両断した。

 

 断末魔をあげる間もなく灰と化す食人花。

 

 舞い上がる灰をもろに浴びてなお、戦意を途切れさせることなく毒々しい色をしたモンスターの体液をゲールは無造作に歪な大剣から振り払った。

 

「うっそー……」

「なんつーデタラメな……」

 

 その凄絶な有様に残りの個体を相手取っている双子も言葉を失う。

 

 アイズもその無茶苦茶な戦いぶりに目を見張ると同時に納得する自分がいることに気が付く。暴力的で破壊的な戦い方……あの姿は正しくミノタウロス追討時に邂逅した、おどろおどろしい赤頭巾の老人であったからだ。

 

 意識を切り替える。

 

 残るは三体。まだ気を緩めることは出来ない。アイズはゲールから視線を外しモンスターへと向きなおる。

 

 それまではアマゾネスの少女たちを狙っていた食人花たちは仲間が立て続けに倒されたことで危険を察知したのか、蛇のように頭をゲールへと向ける。

 

 しかし突然何かに反応して反射的に首をグルンッ、と明後日の方向へと巡らせた。

 

 アイズも視線を飛ばせば、苦痛に顔を歪ませながらも気丈にあらんとするエルフの少女の姿。

 

「レフィーヤ……!」

「【終末の前触れよ、白き雪よ。黄昏(たそがれ)を前に(うず)を巻け】――」

 

 少女の薄い唇から詠唱(うた)が紡がれるとともに、足元に若草色の魔法円(マジックサークル)が淡い輝きと共に翡翠色へと変化を遂げる。

 

「あの魔法は――」

「【閉ざされる光、()てつく大地】――」

 

 レフィーヤは魔導士である。それも、同族(エルフ)の魔法であればあらゆる魔法を唱えることの出来る召喚魔法(サモン・バースト)を取得した、とてつもない才能を秘めた魔導士だった。

 

 そして歌われる魔法は、師である世界最強の魔導師(リヴェリア)の必殺の魔法(わざ)

 

『――――アアアアアアアアアアアア!』

 

 収束していく大きな魔力に反応し、食人花はゲールのことなど忘れたごとく破鐘の咆哮と共にエルフの少女へと殺到する。

 

「邪魔すんじゃないわよ!」

「させないんだから!」

「ッ!」

 

 立ち上がり、己の成すべきこと果たそうと詠唱を続ける少女の盾となるためアイズは石畳を蹴りつけてモンスターたちの前に躍り出て突撃を弾く。同じくティオネとティオナも食人花の鞭のように振るわれる蔦を蹴り払い、殴り飛ばしてレフィーヤの詠唱の時間を稼ぐ。

 

(ゲールさんは――)

 

 詠唱の声に力がこもり、増大する魔力を肌で感じつつアイズは視線を巡らし老人の位置を探り――見つけた。

 

 真正面、食人花を挟んでの向こう側。背後を見せた一体のモンスターの頭部へと躊躇なく躍り掛かるゲールの姿を荒ぶる巨体と触手の合間から辛うじて捉える。

 

 こちらに一瞥もくれない様子からして、モンスターを倒すことしか頭にないようだ。

 

「ちょっと!?」

「なにやってんの馬鹿ッ、下がりなさい!」

 

 レフィーヤの砲撃魔法へ注意を払わず攻撃を続行する老人にティオナとティオネも驚きで目を丸くし、焦りの滲んだ声で魔法が放たれることを告げる。

 

「【吹雪け、三度(みたび)厳冬(げんとう)。我が名はアールヴ】!!」

 

 詠唱を続け、最後の一節を紡ぐレフィーヤ。詠唱に集中していることもあり、加えて彼女の立ち位置からでは食人花の陰に隠れて死角になっているのか、明らかにゲールの存在に気付いていない。

 

「レフィーヤ待っ――」

 

 アイズの叫びも虚しく、レフィーヤの詠唱が終盤へと差し掛かり膨大な魔力の高まりを肌で感じ、放たれる前に。咄嗟に射線上から飛び退く。

 

(避けて――ッ)

 

 心の叫びが通じたのかは分からない。だか、不意に赤い頭巾がこちらを振り向いた。赤い布切れ越しに目が合い――

 

「【ウィン・フィンブルヴェトル】!!!」

 

 エルフの少女の詠唱が完成し――三条の吹雪が吹き荒れた。

 

 

 

 

 

「や、やりましたっ」

 

 リヴェリア()より授かった氷結魔法による攻撃で、氷漬けとなった食人花を見つめながらレフィーヤは小さく口元を綻ばせる。

 

 自分は弱い。アイズやヒュリテ姉妹(あのひと)たちの足元にも及ばない程に。己の情けなさに悔し涙を滲ませ、それでも立ち上がり、自分の唱えた魔法によってモンスターを倒したのだから。

 

「アイズさん、私……っ」

 

 脇腹の痛みに顔をしかめつつも喜びを滲ませて、憧憬(あこがれ)の少女へ視線を送る。

 

「うん、すごかったよ。けど……」

「? どうしましたか――」

「今のは魔法か」

 

 浮かない顔をして極寒の中で固まったモンスターを一瞥するアイズを訝しむレフィーヤだったが、不意に聞こえてきた呟きに振り返ると。

 

「ゲールさん……」

「凄まじい威力と規模じゃ」

 

 いつの間にいたのだろうか。そこには注意深く氷の檻に捕らわれたモンスターを見つめる、灰を被った老人の姿があった。

 

「正直を言えば、あのような魔法を放てるとは思っていなかったぞ――儂は、お前のことを侮っていたようだ」

「あ、ありがとうございます……って誉めてるんですか、それ」

 

 正確には自分の魔法ではないのだが……それはそれとして、誉めているのか貶しているのか分からない発言力に、レフィーヤは困惑気味に突っ込みを入れる。

 

「しかし魔法が発動するまで随分と時間がかかる。一人の際には使えたものではない」

「やっぱり誉めてませんよね――どうしましたか、アイズさん」

 

 金瞳を真ん丸にしてゲールを見つめていたアイズに気付くが、ハッとしたように(かぶり)を振るうのでレフィーヤは首を傾げてしまう。

 

「……ううん。なんでもない」

「二人とも! 怪我は平気!?」

「ティオナさん、ティオネさん」

「ちょっとゲール! あんまり無茶しないでよ、こっちがヒヤヒヤしたじゃない!」

「そう言うな。儂も、気付くのが遅れたんじゃ」

「気付かなかったって、あんだけの魔力気付けない方がおかしいわよ……」

「けど良かったぁ。あたしてっきりレフィーヤの魔法に巻き込まれちゃったと思ってたから、ホッとしたよ」

「ちょっと待ってください。ティオナさん、それってどういう……?」

 

 駆け寄ってきた姉妹に顔を向けるゲール。何やら聞き捨てならない言葉を耳にして、レフィーヤは安堵の表情を浮かべるティオナへ問い質した。

 

「あー、やっぱり見えてなかったんだ」

「あなたモンスターと一緒にゲールを氷漬けにするところだったのよ」

「え゙」

「詠唱に集中してたのは分かるし、ゲールが避けれたからよかったけど……結構危なかったんだからね」

 

 言いづらそうに顔を見合わせた双子から、予想外の返事が返ってきたことで固まってしまう。

 

「――す、すみませんでした!」

 

 味方の位置を把握出来ないまま魔法を放つなど言語道断。危うく仲間の命を奪うところであったことを理解し、顔を青褪めさせてレフィーヤはゲールに向き直って思い切り頭を下げた。

 

「言っただろう、儂も気付くのに遅れたと。お前のせいという訳でもない」

「でも……っ!」

 

 あまり気にしていない老人に食い下がろうとするが、脇腹の痛みで言葉を詰まらせてしまう。

 

「いたた……」

「儂のことなんぞより自分の身体の心配をしておけ。それで、あの化け花はどうする」

「大丈夫! あたしたちでやっとくから大丈夫――って、アイズは剣が折れちゃったから無理か」

「レフィーヤも無茶しないで後は私たちに任せなさい。怪我の具合を()てもらっておいた方がいいわ」

「は、はい。分かりました……」

「それとゲールもこう言ってるんだから、今回の件はあんまり引きずっちゃ駄目よ」

「はい……」

 

 ゲールに至極まっとうな正論を言われてしまい、加えてティオネのフォローもありレフィーヤは頷いて任せるしかなかった。実際、脇腹の痛みは中々のものだったので素直に従うに越したことはないのだが。

 

「さてと。散々暴れてくれたんだから、一思いに砕いてやるか」

「こんなモンスター見たことないよ。めっちゃ固かったし……」

 

 止めを刺すために冷凍状態のモンスターへ向かう双子を見送ってから、レフィーヤも大人しくこの場を後にしようとする。

 

「いたた……」

「大丈夫?」

「あ、ありがとうございます。じゃあ、私はこれで……それとゲールさん。本当にごめんなさい」

 

 去り際にもう一度謝罪を述べてレフィーヤはハーフエルフのギルド職員の元へと足を向ける。今回の騒動でギルドが臨時に設置した救護所で怪我の加減を()てもらうためである。

 

(もっと周りに目を配れるように――アイズさんたちに追い付けるよう、もっと強くならないと。けど、どうしてゲールさんがモンスターフィリアに……?)

 

 屋台巡りでもしようとしていたのだろうか。ふとそんなあり得なさそうな答えが脳裏を掠めたレフィーヤは、なんとも言えない顔をして、同じような表情で赤頭巾の老人を横目にしていたハーフエルフの女性職員に救護所へ案内してもらうのだった。

 

 

 

 

 

 氷塊に閉じ込められたモンスターがアマゾネスの姉妹によって砕かれる様を見つめながら、アイズは考えていた。

 

(ゲールさんは、どうやってレフィーヤの魔法を……)

 

 色々と聞きたいことはあったが、まずはこの点だ。氷片がキラキラと光を反射させて舞う中、チラリと傍らに立つ老人を見やる。

 

 この灰にまみれた老人が戦闘中に見せた凄まじい敏捷性を持っていようと、タイミング的に氷結魔法が直撃するのは不可避であったはず。アイズの目には回避行動を取ったようにも見えず、そんな猶予もなかった。

 

 だというのに、何事もなかったかのように平然と生還し、自分と並んで砕け散った氷とモンスターを眺めているのはどういうことだろう。

 

「それは?」

 

 チラチラと様子を窺っていたアイズだったが、いつの間にか青白いモサモサした毛玉のようなものをゲールが手にしていたので好奇心に駆られてしまう。

 

「苔だ。儂らは『凍青の苔玉』と呼んでいる」

「苔を、食べるんですか?」

「これを摂ると、凍傷への耐性を高めてくれるのでな……しかし、凍傷と蔦による痛打(鞭打ち)――ふん、胸の悪くなる組み合わせじゃ」

 

 『儂ら』とは誰を指すのか。気になったアイズだったが躊躇いなく苔玉を口へと運び簡潔に説明をしてくれたゲールが何を思い出したのか。忌々しそうに唸ったので聞かないでおいた。

 

「……儂が生きていることが不思議か?」

「いえ……」

 

 苔玉を食べ(モシャ)るゲールに図星を突かれ、バツが悪くなりながらもアイズは首を横に振る。無事であったことには勿論安堵をしているが……どうにも信じられないのだ。

 

「『転送』が咄嗟に働かなければ、儂はモンスター共々氷漬けになっていただろう。お前の想像通りにな」

「『()()』?」

 

 聞き慣れない単語に再び首を傾げた。アイズの中でゲールに対する謎と疑問がますます大きくなってくる。一体、転送とはどういうものなのかを確かめようとして――はたと気付く。

 

「ゲールさん、左腕が……」

「掠り傷じゃ。それに、傷はもう治してある」

 

 全身を灰色に包まれている中、左腕だけが赤黒く変色していた。纏わりついた灰に血が染み込んでそうなったのだろう。

 

「……子供を庇う時に、やってしまってな」

「……っ」

 

 躊躇うような素振りを見せて続けたゲールの発言にアイズの目が泳ぐ。

 

「……ごめんなさい」

 

 先程の少女を助けた際に負った傷。

 

 取り残されていた子供に直前まで気付けなかったせいで、彼が負う必要のない怪我させてしまった。そのことに負い目を感じ、アイズは顔を俯かせながら謝った。

 

「……人間、苦境に立たされると見えるものも見えなくなる時がある。必死になるあまり、果たすべき目的を忘れてしまう時がある」

「……はい」

「そういうときこそ、周りに目を配れ。目的を見失うな。でなければ、意図しないところでお前自身が悲しむ結果を目の当たりにすることになるかもしれんからの」

「……はい」

 

 少しの間を挟んで口を開いたゲールの言葉をアイズは黙って聞き入れる。ここはモンスターの跋扈する地下のダンジョンではない。人々が暮らす地上なのだ――暗にそう言われている気になる。

 

 だが、その点を指摘してくれた老人の口振りは叱責というよりも、どこか自分を気遣ってくれているような気がして素直に聞き入れることが出来た。

 

「ゲールさん……?」

「儂はもう行く……こんな状況では祭も何もないだろう」

 

 言いたいことを言って満足したのか、踵を返してこの場を後にしようとするゲール。

 

「だが、お前が子供を見捨てるような戦士でなく儂は安心したぞ、アイズ」

「!」

 

 直後、足を止めたかと思えば不意にそんなことを口走りアイズは目を見張った。

 

「ゲールさん……!」

 

 手を伸ばして咄嗟に呼び止めるが、ゲールは身に纏った灰を降らしながら何処へと去っていく。

 

 アイズはあの老人が()()去り際にあんなを言葉発したのか理解できず、どこで拾ってきたのか直剣を手にしたロキが少女を肩車した状態で駆け寄ってくるまで、その場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。

 

 

 

 

 

「――癪やけど今回の件は見逃したる」

 

 南のメインストリート周辺のとある高級酒場の一室。

 

 人の耳目を気にする必要のない密室で、ロキは一柱(ひとり)の女神を前にして、自らの眷族たちに見せたことのない顔で牙を剥いていた。

 

「せやけど問題は新種のモンスターや。ウチの可愛い子に怪我させたどこぞのボケナスには絶対にケジメつけさせたる」

「そのモンスターについては私も一切分からないけれど、何か情報が入ったら教えてあげるわ」

 

 対面に座る銀瞳に銀沙の髪をした官能的な肢体の女神――美の女神と謡われるフレイヤはロキの激情などどこ吹く風といった様子で艶やかな笑みを浮かべている。

 

「へんっ、期待せんで待っとくわ」

「それにしても、今回の騒動での被害は最小限に抑えられたのは不幸中の幸いだったわ。あなたのところの【剣姫】や他の子たちが頑張ってくれたお陰ね」

「かーっ! よう言うわこの色ボケ女神! もっと真摯に反省しいや!」

 

 旧知の女神の嘯く様にロキは忌々しそうにグラスに注がれた葡萄酒を呷る。何故なら今回のモンスターの脱走騒ぎの黒幕は何を隠そうフレイヤその女神(ひと)であったからだ。

 

「気に入った男が見つかるとすーぐ下手な真似しよるんやから……とにかく、ギルドにチクらんのは今回こっきりやからな。よう覚えとき」

「勿論。ただし、あなたも約束は守ってちょうだい」

 

 フレイヤの念押しをロキは聞こえないふりをする。今日の件について黙っている代償に、ロキが天界にいた頃フレイヤから借りパク――もとい譲ってもらったとある物の件についてお目こぼししてもらうからだった。

 

「ちゅうことはあれか。この間のガネーシャんとこの神の宴に顔見せた理由は、その意中ん子のファミリアの目星つけるためっちゅう訳か」

「そういうあなたは来てなかったじゃない」

 

 オラリオでは暇をもて余す神々が気紛れで宴を開くことがしばしばある。その宴へ滅多に足を運ぶことがないフレイヤがついこの間の神の宴に姿を見せたというのは、ロキも友である鍛冶神から耳にしていた。

 

「いつも通り足を運んでくるものだと思ってたけれど。だって、騒がしいのが好きでしょ」

「ウチかてなぁ、好きで欠席したんやない!」

 

 フレイヤの返答にロキは、あの日、己がやらかしてしまった出来事を思い出し、拳を握り締めてフルフルと震わせた。

 

「ドチビが宴に行くいう噂があったからおちょくろう思っとったんに……それがなんであんなことに――」

「それって、あなたのファミリアに新しく入った子が本拠(ホーム)を壊したって話かしら?」

 

 フレイヤの思いもよらない一言にグラスを呷ろうとしたロキの手がピタリと止まる。

 

「……なんで知っとんのや」

「私たちの関係上、お互いの動向を探ることは普通のことでしょ? それに、ギルドじゃけっこう話題になってるみたいよ。【ロキ・ファミリア】に赤い頭巾を被った愛想のない新人が入団したって。それもレベル4――これじゃ話題にならない方がおかしいわね」

 

 グラスを卓へと置き、先程までのひょうきんな態度を潜め、鋭い眼光を微笑を浮かべるフレイヤへ飛ばすロキ。

 

「まさか、ウチの子ぉ狙っとるんとちゃうやろな? ゲールに色目使ってみい。そん時は――」

「そんな怖い顔しないでちょうだい。別にそういう気はないから」

 

 神威をその身に滲ませ、ドスの効いた低い声で釘を刺すが、当の本神(ほんにん)は頬杖をついて蠱惑的に微笑んで否定する。

 

「ホンマやろな」

「ええ。まず、私の気になってる子じゃないし、何より()()()()()をしてなかったから安心して」

「…………」

 

 朱色の瞳で油断なく見透かすようにロキは睨む。神に神の欺瞞は判別できない。しかしオラリオの二大巨頭によるファミリア間での戦争になる危険を侵してまで、他所様の眷族をふんだくるような馬鹿な真似はしないはずである。

 

(流石のコイツもゲールの素性までは知らんはずや……)

 

 張り詰めた沈黙が空間を支配する中、ロキは再びグラスを呷りながら思案する。あの老人の過去――というよりも身の上がバレたらこの女神がどう動くかなど想像もつかない。

 

 ゲールの存在をフレイヤに知られてしまったの痛かったが、いずれは露呈するのは分かり切っていたことだ。ロキのすることはただ一つ。ゲールを他の退屈している神々の玩具にされないように彼の秘密を守るだけである。

 

「ねえロキ」

「なんや」

「あなた、闇ってどう思う」

「は?」

 

 互いに黙り込んでいると、不意に名を呼ばれてロキはぶすっとした表情で返事をするが脈絡なくぶつけられた質問に目を瞬かせてしまった。

 

「……何でそないこと聞くねん」

「――いえ、何でもないわ。忘れてちょうだい」

 

 ぶっきらぼうに聞き返すが、つつ、と自身のグラスの縁を指先でなぞり、注がれた葡萄酒を見つめながら美の女神はそれだけ呟いて口を閉ざしてしまう。

 

「…………」

 

 先程とは別種の静寂に包まれつつ、ロキは油断なくフレイヤを見据えながらグラスを呷る。この意味深な問いには必ず意味があるはずだが――

 

「……ふん」

 

 言葉の裏に隠された女神の神意を図りかねるロキには、苛立たしげに鼻を鳴らして葡萄酒を胃に流し込むことしかできなかった。




お久しぶりです。
前の投稿から三ヶ月経っていたことに気付いてビビった作者です。
お待たせして申し訳ありませんでした。
今後もこんな感じの投稿ペースになってしまうかもしれませんが、のんびり待って頂けると幸いです。
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