迷宮都市の奴隷騎士   作:ワシイヌ

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八話 悪乗りと愛嬌にご用心

「あー、楽しかったー」

 

 夕焼けがオラリオの街並みを赤く染める頃。ティオナの上げる達成感のこもった声を耳にしながら、アイズたちは本拠(ホーム)の敷地へ足を踏み込んだ。

 

「こうして一日遊びづくってのも久しぶりだったわねー。にしても良いものが見れたわ。アイズの私服姿なんて激レアよ」

「可憐な私服姿のアイズさん……眼福でしたっ」

 

 腕を組んで満足げに頷くティオネと、手を合わせ夢見心地のレフィーヤにアイズは困ったように微笑んだ。

 

「すっごく似合ってたんだし、遠慮せずガンガン着てよね! 約束だから!」

「う、うん……」

 

 後ろから抱き付いてきたティオナにも誉め殺されるアイズは頬をほんのりと染めると、胸に抱いた紙袋――ティオナからプレゼントしてもらった服を見下ろした。

 

 今朝から今の今まで、アイズはティオナたちに連れられて、オラリオ中を遊び歩き、加えて途中立ち寄った服飾店でシャツとスカートまで贈ってもらったのだ。

 

(こんなに色んなところを回ったのは、初めてだったかも)

 

 強くなることだけを考え、本拠(ホーム)とダンジョンとを往復するだけの生活だったこともあり、この街の見たことのない――いや、目を向けなかっただけでずっとそこにあったのだろう――景色にアイズは戸惑いつつも、新鮮な気分に浸ることが出来た。

 

 そのせいか気持ちが軽くなっていることに気付き、感謝の念を抱き、小さく微笑みながら顔を上げて――

 

「え」

 

 アイズは金瞳を大きく見開いた。

 

「……なにこれ」

 

 目をパチクリさせるアイズの隣で、ティオナも信じられないようにゴシゴシと目を擦っている。

 

 丁度、アイズたちは【黄昏の館】の内庭の辺りに差し掛かっていたのだが……今朝も過ごした、落ち着きのある雰囲気であった内庭の変わりように言葉を失ってしまった。

 

 綺麗に刈り揃えられていた芝生は、いたるところが抉れ、陥没し、捲れあがった地面の土色に染まっている。

 

 今朝アイズが座っていたベンチも真っ二つに砕け、基礎ごとひっくり返った無様な姿を晒している。庭を囲む連絡通路の壁面には何かがぶつかったような、放射状に広がる大きな罅が幾つも走っていた。

 

「レフィーヤ、ウチを出るまえに砲撃魔法ぶっ放した覚えある?」

「いえ……」

「……よねー」

 

 言葉を失っているレフィーヤへ自身も信じていない確認を取るティオネが視界の端に写る。

 

「あら、あなたたち帰ってたのね」

「アキ……」

「お帰りなさい。驚いたでしょ、戻ってきたら本拠(ホーム)がこんなになってて」

 

 呆然と立ち尽くしていたアイズたちだったが、側を通りかかった猫人(キャットピープル)の女性団員――アナキティ・オータムに声を掛けられてはっと我に返る。

 

「う、うん。けど、いったい何が……」

「ゲールが、ちょっとね」

「ゲールが?」

 

 ティオナの問いかけに、抱えていた木箱を足元へ置きながら整った眉を困ったように下げたアキの口から出た人物の名前に、姉のティオネが眉を吊り上げた。

 

「まさか……ゲールさんがいきなり暴れ出したとかそういう……?」

「そんな訳ないじゃない。けど、彼がやったのは確かなんだけど彼のせいかって言われると、難しいのよね……」

 

 恐々と尋ねるレフィーヤへ曖昧に答えるアキ。その歯切れの悪さに殊更訳が分からなくなり、アイズたちは顔を見合わせる。

 

「それってどういう――」

「もっとキビキビ動かんか!」

 

 問い質そうとして口を開いたアイズだったが、突如響いた大喝に遮られ、おまけに肩を跳ね上げてしまう。

 

「リ、リヴェリア……?」

「今のお前たちは機械だ! 荒れ地になった庭を掃き清め、補修し、整備するためだけの機械だ! それが完了するまで食事を摂ることも、休憩することも、睡眠を取ることも許さん!」

 

 翡翠色の髪を振り乱しながら怒鳴り散らかすハイエルフの姿に、内庭の方々に散っていた団員たち――何故か半数程が痛々しい治療の痕が残っている――がビビり上がり、行っていた作業の手を早めている。

 

 かくいうアイズも、久しく耳にする機会のなかったリヴェリアの怒声に思い出したくない日々の記憶が脳裏にちらつき、反射的に身を縮込ませた。

 

「リ、リヴェリア様があそこまでお怒りになられるてるなんて……一体何が……?」

「というよりも、何でファミリアの皆まで庭掃除をしてる訳? 庭をこんなにしたのはゲールなんでしょ?」

 

 魔法の師匠の荒ぶる姿に肩を震わせて声を振り絞るレフィーヤと、仲間たちが巻き込まれている状況に戸惑いを隠せないティオネ。

 

「その理由はね――」

 

 そう言ってアキが人差し指を向けるので、アイズたちも倣ってその方向へ首を巡らせた。

 

「あのぉ、リヴェリアさん?」

 

 アキが指し示した先。そこでは丁度“とんぼ”を手にし何故か頭にたんこぶを作っているロキが、恐る恐るリヴェリアへと声をかけているところだった。

 

「……なんだ」

「そのですね? ウチ、この後ガネーシャんとこの『宴』に出よう思ってましてですね、ハイ」

 

 凄まじい眼光を向けられ、一瞬身を竦ませながらも切り出す女神の姿。

 

「その準備をもうそろしようかなーって、思ってるんですけど……」

「ほぉう? お前が団員たちを焚き付けた結果、今の惨状があるというのに、当の主神が団員たちを置いて自分は下らん戯れに興じようと、そう考えているのか」

「に、庭のことならウチにも考えが――」

「まさか【ゴブニュ・ファミリア】に庭の整備をしてもらおう、などと浅はかなことを考えていないだろうな?」

「ギクリッ」

 

 ロキの考えていたことを見抜いていたように、柳眉を思い切り吊り上げながらリヴェリアは声の調子を上げた。

 

「遠征を終えた直後の我々に、それも異常事態(イレギュラー)に遭遇して資材を放棄せざるを得なかった我々に、他派閥(よそ)へ依頼する余裕があると思うのか? それが分からないお前ではないだろう?」

「うぐぅ……」

 

 冷めきった翡翠色の双眸に射抜かれ、ロキは体を震わせる。正しく蛇に睨まれた蛙状態である。

 

「主神であるお前が団員たちの模範となるよう『率・先』して庭の補修を行ってくれると私は信じているのだが――そんなお前が、『神の宴』に出席するなどと妄言を吐く訳がないよなぁ、ロキ?」

「ひえぇ……!」

 

 腕を組み、仁王立ちするリヴェリアが放つ怒りのオーラに当てられたように、ロキは顔を真っ青にして竦み上がっている。

 

「――はっ!? ゲ、ゲール! 自分からリヴェリアに言ってやってよぉ……!」

 

 とんぼに縋っていたロキだったが、庭の角っこで箒とちりとりを持ち、身を屈めながら石畳の破片を掃き集めていた巨躯の老人に気付き、駆け寄って助け船を求め始めた。

 

「……自業自得じゃ」

「んな冷たいこと言わんといて、なぁ!」

「黙って働け」

 

 が、一瞥して直ぐ自分の作業に戻るゲール。ロキが必死に泣き言を述べるも相手にされていない有り様であり、アイズたちは色々と察してしまう。

 

「……つまり、ロキが皆を何かしらの理由でけしかけた結果、ゲールが暴れざるを得なくなったってことでいいのかしら」

「そういうこと。本当は【ロキ・ファミリア(わたしたち)】に相応しい実力が彼にあるのかを確かめるはずだったんだけど……」

 

 リヴェリアの「口を動かす暇があるならさっさと地面を均せ、この馬鹿者が!」と吼える声が響く中、アキは周りを見渡して苦笑を浮かべる。

 

「ゲールに勝てなかった皆をロキが口車に乗せて、そうしたら見学してただけの皆も熱くなっちゃって、一斉に飛びかかったのよ――返り討ちにされちゃったけどね」

 

 『トホホ……こんなことになるなら悪乗りするんやなかったわ……』と訳の分からない主神の悲嘆が聞こえてきたような気がするが、アキの話に耳を傾けるアイズたちは無視する。

 

「で、その結果、庭がこんなに状態になったものだから、リヴェリアがカンカンになっちゃって。その場に居合わせた全員で補修してるのよ」

「それは……一概にゲールさんが悪いとは言えないですね。というよりも、そんな話に乗ってくれたこと自体が意外というか……」

「口数は少ないけど、ノリは悪くないし聞けば答えてくれる。見た目の印象(イメージ)よりは全然素直だから……私たちも彼のことを少し誤解してたのかも」

 

 黙々と庭掃除に励んでいる赤頭巾の老人の側へ寄って声をかけ合う、今回の騒動の参加者たち。その姿には不信感や警戒感といった気負いは感じなれかった。

 

「……確かに、馴染んでるわね」

「まああれじゃない? 神様たちがよく言う――」

「夕日を背景(バック)に拳で語り合う、ってやつ?」

「そうそれ」

 

 その光景に意外そうな声を上げるティオネ。アキが苦笑混じりに応じるとティオナが指を立てて指摘する。

 

「ゲールの実力も判明したおかげで異を唱える子もいなくなったし、仲も良くなったみたいだから結果オーライ――」

「それで、どうだったの?」

 

 弛緩した空気の中、アキの声をアイズは唐突に口を開いた。

 

「アイズさん?」

「アキ、ゲールさんは強かったの?」

 

 目を瞬かせるレフィーヤには目をくれず、アイズは呆れた様子のアキへ同じ問いを繰り返した。

 

「はあ……あなたなら聞くと思ってたわ。飽くまでも私目線での話よ――彼、レベル4の冒険者の中でもトップクラスなんじゃないかしら。今日の戦いぶりを見た限りだと」

「マジ? それ本当なの?」

 

 かくいうアキも【貴猫(アルシャー)】という二つ名を戴くレベル4――それも同レベル帯の冒険者の中でもトップクラスの実力者だ。そんな彼女の言葉にティオネは驚きの声を上げる。

 

「私も、もっと鍛えなきゃって痛感させられたわ」

「世界は、私たちが思っているより広いんですね……」

「…………」

「アイズ?」

 

 世界の中心(オラリオ)の外にも、実力者がいることに感嘆するレフィーヤ。だが老人へ意識を向けていたアイズにはその声が届いておらず、その様子に気付いたアキが首を傾げる。

 

 ゲールが強いことなんて、()()()()()()()()()自分には分かっているし、特段驚くことではなかったが……この目で老人が剣を振るう姿は見てみたかった。

 

「いーなー、あたしもゲールと戦わせてもらおーかなー!」

「馬鹿言ってんじゃないわよ、まずは庭の片付けの手伝いでしょうが」

「あ! じゃーあたしゲール手伝うー!」

「あ、コラ! 待ちなさいよ! 全く、ゲールの何が気に入ったのかしら……」

「さ、さあ……」

「はあ……じゃあ、私は団長をお手伝いしてくるから、先に行くわね――団長、待っててくださーい!」

「え、ええ、よろしく」

 

 すっ飛んで行った妹に静止をかけるティオネだったが、老人の背中に抱き付いた妹を見て呆れたように天を仰ぎながら後にする。

 

「ふむ……本拠(ホーム)備蓄(ストック)してある資材の流用は出来なさそうじゃのう」

「石畳の方はベートに調達しに行ってもらってるけど、戻り次第壁面に使う補強材(パテ)も調達に行ってもらうしかないね」

「……地味に痛い出費じゃな」

「……今後、ゲールと私闘をする時は首脳陣(ぼくたち)がいるときに、本拠(ホーム)の外でやってもらうよう指示を出しておこう」

「だーんちょおー! あなたの愛しのティオネがお手伝いに来ましたよぉー!」

 

 亀裂の入った壁の前に立ち、遠い目をして話し込んでいたフィンとガレスの元へ甘ったるい声を上げながら駆け寄って行くティオネの姿にアイズたちは顔を見合わせて苦笑した。

 

「やっぱり姉妹ね……ティオネったら、ティオナのこと言えないって気付いてないのかしら」

「あ、あはは……そうだ、資材を運ぶの手伝いますね!」

「あら、いいの?」

「勿論ですよ! アイズさんもどうですか?」

「うん。けど――」

 

 アイズは頷くと、胸元の紙袋を見下ろしてから顔を上げる。 

 

「プレゼント、置いてくるから先に手伝ってて」

「あ、そうもそうですね。分かりました!」

「それ、プレゼントだったの? けど、アイズにプレゼントねぇ……」

「実はですね、ティオナさんがアイズさんに――」

 

 レフィーヤとアキの会話から一時離脱したアイズは去り際にチラリ、と庭の一角で掃除を続ける老人を見やってから内庭を後にした

 

 

 

 

 

「……疲れた」

 

 明かりの乏しい暗くなった廊下を進むアイズは疲労のこもった吐息をついた。

 

 内庭の方は皆で協力したこともあり粗方片付けることができたものの、結局は日が沈み切った時間だった。それが原因で食事やら何やらがずれ込んでしまい、今の時刻は深夜に差し掛かっていた。

 

(たしか――)

 

 街巡りと庭掃除で生じた心地の良い疲れを意識つつ、アイズはある扉の前で足を止めた。

 

 この部屋を訪れるのは二度目になる。つい最近まで使われていなかったこの部屋の主――赤頭巾のゲールに用があり、訪れたのだが……

 

「……」

 

 正直、アイズは緊張していた。初対面が()()であった訳だし、自分が訪ねて良い顔をしてくれるだろうか。念のため、部屋の主が寝ていないかを確かめようと扉に近付いて耳を澄ませる。

 

『――ロキの馬鹿者め、団員たちを煽るにしても限度というものがあっただろうに。お陰で庭が酷い有り様だ』

『儂が好きで庭を滅茶苦茶にしたと思うか』

『いや、お前も被害者だというのは当然分かっているさ。だが反撃するにしても限度というものがあるだろう。少しは手心というやつをだな……』

『あの人数を相手に、手心なぞ加えられる訳なかろう』

 

 どうやら部屋の主は起きているようだ。しかし扉の向こうから聞こえるくぐもった声が二つあることに首を傾げる。自分以外でこの部屋を訪れる用がありそうな団員に、アイズは覚えがなかった。

 

 盗み聞きをするみたいで気が引けたが、音を立てないよう注意をしてそっと扉に耳をあてがう。

 

『よく考えてみろ。狂気に突き動かされた、それも二十人以上の腕の立つ連中に囲まれて、加減する余裕があると思うか』

『はあ……もういい。そうだな、その通りだな』

『お前がロキを折檻(せっかん)していなければ、儂が手を出していたところじゃ――ところで』

 

 

 

『そこにいるのは誰だ』

 

 

 

 突如発せられた誰何の声に、扉に張り付いていたアイズはギョッとした。

 

 気付かれるとは露にも思ってなかったので、わたわたと扉の前を右往左往することしかできない。慌てふためいている間にも部屋を横切る足音が鼓膜を叩き、そして――

 

「アイズ?」

 

 開け放たれた扉の向こう側に、目を瞬かせているリヴェリアが立っていた。

 

「……リヴェリア」

「どうした、こんな遅い時間に」

「それは……」

「いや、こんなところで立ち話もなんだ……入りなさい」

 

 答えることが出来ずにいると、一度部屋の方に顔を向けたリヴェリアが入室を促してきたので、アイズはおずおずと足を踏み入れた。

 

 部屋の中は以前訪れた時とほぼ変わっていなかった。

 

 最低限の調度品――寝台と机と椅子一組が置かれているだけの、殺風景な室内である。変更点といえば、今は部屋の主がいて、机に向かっているその主が首をこちらへ巡らせていることだろうか。

 

「しかし驚いたぞ。まさか……ここに足を運ぶなんて」

「ごめんなさい。けど、リヴェリアもどうしてゲールさんの部屋に?」

「別に謝ることでもない。ただ、意外でな……それで、私の方だが」

 

 アイズが疑問をぶつけると、視線を移すリヴェリア。そちらへ目を向ければ、ゲールが向かっている机の上に何冊かの本と羊皮紙の束が積まれている。

 

「読み書きをゲールに教えに来ている」

「リヴェリアが、ゲールさんに?」

「まあ、この街で暮らすのに共通語(コイネー)が使えないのは何かと不便だからな……フフ、昔を思い出す」

 

 ――いつの間にそんな関係に。

 

 リヴェリアがゲールの部屋まで足を運び、共通語(コイネー)を教えるような間柄になっているとは思わず、目を瞬かせてしまう。

 

「それがロキの起こした馬鹿騒ぎのせいで、夜遅くにずれ込んで――どうした、妙な顔をして」

「……そんなことより」

 

 何故か衝撃(ショック)に襲われはアイズだったが、低い嗄れた声にハッとする。

 

「お前は儂に、用があるのではないのか」

「は、はい……」

 

 ペンを置き、椅子の上で体の向きを変えたゲールに図星を突かれてしまい、アイズは言葉に詰まらせてしまう。

 

 いざ向かい合うと、自分の思いつきは間違いだったんじゃないかと弱気になってしまう。見た目こそガレスに似ている(特に髭とか)が、ガレスのような親しみやすさなど欠片も感じられないのも、その思いを助長させているかもしれない。

 

「……実は、ゲールさんにお願いがあって」

「何だ」

「今度一緒に、ダンジョンに潜ってもらえないかな、って……」

 

 今更後悔しても仕方ないと自分を納得させ、アイズは要望をゲールに伝えるものの、後に進むにつれ言葉尻が弱々しくなり、終いには消え入りそうな声になってしまう。

 

 そして、脇に控えているリヴェリアへ恐る恐る視線を移した。

 

「……アイズ、何度も言っているだろう。遠征が終わった直後くらいは体を休ませろと」

 

 少しの沈黙を挟み、答えないゲールの代わりにリヴェリアからため息と共に苦言を呈されてしまい、アイズは目を伏せてしまう。

 

 やっぱり、リヴェリアがいる前でダンジョンに行きたいなどと口にするべきではなかった。日頃からダンジョンに潜っているせいか、リヴェリアは勿論の事、フィンやガレスからも無茶をするなと常々釘を刺されていたのだから当たり前だろう。

 

「今回の遠征で【経験値(エクセリア)】の獲得が芳しくなかったのかもしれないが、もっと自分の体を大切にしろ」

「……ごめんなさい」

「――だが、友好を深めるのが目的というのであれば、多少眼を瞑ることもやぶさかではない」

「え?」

 

 その後に続いた言葉にアイズは驚いて顔を上げた。

 

「いいの?」

「二人の出会い方があまり友好的でなかったのは知っているし、相互理解を深めるには悪くない機会だろう。まあ――」

 

 そう言ってリヴェリアは片目を瞑り、ゲールへ視線を移す。

 

「後は本人次第だが」

「……」

 

 水を向けられた老人は答えず、思案するように顎髭に手を添えた。

 

「……」

「……」

「……」

 

 静寂が、部屋に満ちる。

 

(……ど、どうしよう)

 

 顔も見えないゲールに凝視され、アイズはなんだか体がムズムズしてくる感覚に襲われる。

 

 駄目なら駄目と言ってくれればいいのに、それすらもなく黙っていられては嫌でも焦燥が募ってくる。この妙な均衡から抜け出すため、救いを求めてリヴェリアへ視線を送るが首を横に振って拒否される。

 

(こ、こうなったらロキに教わった手段を使うしかっ)

 

 助けも望めず、訳の分からない焦らされに耐えられなくなったアイズは、主神から授かった神の一手を打つことに決めた。

 

 即座に背中で組んでいた腕を前に回し、胸の前で人差し指の先を合わせ、顎をちょっと引く。そして上目遣いに視線を送って――

 

 

 

「だ、だめ、ですか……?」

「ブフゥッ!」

 

 

 

 止めの一声(ひとさし)

 

(決まった……)

 

 何故かは分からないが、ロキ曰くこの体勢で頼み事をすると引き受けてくれる可能性が爆上げするらしい。

 

 爆上げがどういう意味なのかはよく分からなかったが、言われるがままロキに試したところ顔を真っ赤にして奇声を上げながらぶっ倒れ、たまたまその場を通り掛かったラウルは鼻血を出して虫の息になっていたことを思い出しつつ、この神業に効かない人なんていないはずだ、とアイズは自画自賛しながら赤頭巾の老人(てき)の様子を窺った。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 無反応(ノーコメント)

 

 作戦失敗、と渾身の一撃を放った姿勢で固まってしまう。やっぱり、ゲールが自分のお願い事を聞いてくれるなどと淡い期待を抱くのではなかったと落胆するアイズだった。

 

「…………はぁ」

 

 が、少しして脱力するようにゲールは大きなため息をついた。

 

「いいだろう。付き合ってやる」

「! あ、ありがとうございます」

 

 効果は抜群だった。

 

 今度ロキにお礼を言わなければとアイズは胸を弾ませながら、許諾してくれた老人に感謝の念を抱くのだが。

 

「リヴェリア?」

 

 ふと傍らへ視線を向けると、顔を背けて口を抑えているリヴェリアの姿が目に入り首を傾げた。

 

「どうしたの?」

「んんっ……いや、なんでもない」

 

 口元を抑え、何故かほんのりと頬を染めて咳払いをするリヴェリアを怪訝に思いつつ、ゲールへ約束の日時を伝える。

 

「――では、バベルで集合だな」

「はい、お願いします。じゃあ……私はこれで」

 

 喜ぶのも程々に、一瞬このまま部屋に残ろうかとも考えたが、ゲールと約束も交わしたことだし、何より二人の勉強の邪魔をするのはよくないと思い直す。

 

 ゲールとリヴェリアへ交互に視線を送るが、気の効いた言葉も思い付かず、アイズはそのまま踵を返した。

 

「……アイズ」

 

 ドアノブに手を掛ける寸前、呼び止められる。振り返ると、素面に戻ったリヴェリアが、穏やかな微笑を浮かべてこちらを見つめていた。

 

「今朝よりも、大分顔色が良くなったな」

「……うん、ありがとう。お休みなさい。ゲールさんも、ありがとうございました……勉強、頑張って」

「……ああ」

 

 その言葉に応えるように顔を綻ばせて、アイズは部屋を後にする。

 

 扉を閉じて、その場に立ち尽くしたまま、今一度耳を澄ませて室内の様子を窺ってみる。

 

『しかし驚いた。まさか、アイズから接触してくるとは思わなかったな』

『あの娘は当事者じゃ。当然のことだろう』

『ああ、そうだな。だがロキの奴め、またあの子に余計なことを教えたな……死人を出したいのかあの馬鹿者は』

『何を言っている。人間があんなことで死ぬ訳なかろう』

『馬鹿、ものの例えだ……よく考えてみろ。あのようにアイズに乞われて、頼みを断れる者がいると思うか? 現にゲール、自分はどうしたか思い出してみるといい』

 

 老人の返答はなく、紙面を走るペンの微かな音だけがアイズの耳に聞こえてきた。

 

 

 

 

 

『ブモオォッ!』

 

 燐光降りしきる岩窟に獰猛な雄叫びが響き渡る。

 

「―――」

 

 直後、ヒュンと小気味良い風切り音と共に銀線が迸り、唸りを上げていた牛頭人体の怪物――ミノタウロスの首元がぱっくりと切り裂かれ、遅れて血が吹き出した。

 

 音を倒れ伏し絶命するミノタウロスの傍ら。自らが切り捨てたモンスターを見下ろしたまま、アイズは細剣を振るって血を払った。

 

(……使いにくい)

 

 手にする細剣――普段振るっている愛剣《デスペレート》は整備に出しており、その代わりとして使用しているレイピアを見つめて心の中で呟いた。

 

 《デスペレート》は最硬金属(オリハルコン)を素材とし不壊属性(デュランダル)を付与されたことで決して折れることはない。しかし使い方次第によっては切れ味は鈍ることに変わりはなく、本来の性能を取り戻すため、製作してもらった【ゴブニュ・ファミリア】へ愛剣を預けているのだった。

 

 ナックルガードのついたこのレイピアもゴブニュ――勿論【ゴブニュ・ファミリア】の主神である――から直接《デスペレート》の代わりとして託されたのだ。

 

 しかし重さも刃渡り(リーチ)も、何より頑強(かた)さが違う代剣の取り扱いに、アイズは苦労していた。

 

「あの、ゲールさん」

 

 その思いを振り払いつつレイピアから視線を外し、同行者の名前を呼ぶ。

 

「なんだ」

 

 視線の先では、丁度赤頭巾の老人が別のミノタウロスの胸元に大剣を突き立て、その巨躯を灰へと還す場面であった。

 

「魔石の回収は私たちのお金に関わってくるので、できれば、その……」

 

 岩剥き出しの地面を薄く覆う灰の絨毯を見渡してから、アイズは遠慮がちに注意を促した。

 

 魔石――胸部中央に宿る紫紺の水晶はモンスターの核であり同時に弱点でもある。魔石を抜かれ、あるいは砕かれてしまうと不思議なことに同質量の灰へと変わってしまう。

 

 そして冒険者の稼ぐ方法はただ一つ。ダンジョンに潜り、モンスターを討伐し、魔石を換金することである。

 

 だがこともあろうにこの老人はモンスターに遭遇するや否やその胸部目掛け、歪んだ大剣をぶっ刺し一瞬で灰へと変えてしまうのだ。ぶっちゃけわざと魔石を狙っているとしか思えなかった。

 

 砕けた魔石に価値はない。普段であればすでに重くなっているアイズの魔石回収用バックパック――ドロップアイテム入れとしても併用しているが――は、とても軽かった。

 

「……気をつけよう」

 

 黒大剣を肩に担ぎながら、ゲールは頷く。だが(こと)(ほか)素直に耳を傾けてくれるので、探索そのものへの支障はほぼなくアイズは内心ホッとしていた。

 

「ありがとうございます」

 

 現在地点は15階層。いわゆる中層と呼ばれる階層にいた。

 

 アイズとしては18階層――【迷宮の楽園(アンダーリゾート)】よりも深部に足を運びたかったが、ダンジョン探索初心者であるゲールが同行しているので、17階層までで自重している。

 

 けれど、これまでのモンスターに対する身のこなしを振り返れってみれば、20階層くらいまでは向かっても良かったかもしれない。

 

「この、“牛頭”のような牛擬きがミノタウロスか」

「ゴズ……?」

「……気にするな」

「5階層で、ゲールさんが倒したモンスターです。覚えてないと思いますけど……」

「そうか」

 

 が、やっぱり妙だ。ゲールの言う『ゴズ』がどんなモンスターかは分からないが、モンスターの代表格であるミノタウロスを知らないような口振りに、アイズは微かに眉を顰めた。

 

「……行きましょう」

「……」

 

 胸に(わだかま)る違和感を強くしつつ、赤頭巾の老人を促して先へと進んだ。

 

 

 

 

 

「……この間、皆と模擬戦したんでしたよね」

 

 地上への帰途に着いた道中、アイズは前を歩く灰色の大きな背中へ声を投げ掛けた。

 

 薄灰色の物体――全身にモンスターの灰を被ったままにしているゲール(肩にかつぐ黒大剣も灰に塗れていた)はこちらへ目もくれずに答える。

 

「ああ」

「皆、強かったって言ってました」

「そうか」

 

 このダンジョン探索の最中、何度か会話を交わしたものの、アイズがゲールをダンジョン探索に誘った真の目的――何者で、どこから来て、一体()()()()()()()()()などといった、核心部分を尋ねることが出来ていない。

 

 心の準備が整っていなかったのだろうと落胆する自分を納得させつつ、大柄なゲールの歩幅に合わせてアイズも足早に歩を進めた。

 

「レベル4の冒険者の中でもトップクラスの実力なんじゃないかって、皆も噂をしてます」

「どうだろうな」

「それで……もし、今私がゲールさんと戦いたいって言ったら、受けてくれますか?」

 

 何気なしに聞いた質問で不意に足を止めたゲール。その灰被りの背中にアイズは危うくぶつかりそうになった。

 

「……?」

「この間の件で私闘を禁じられてな、儂の一存で決められることではない。だが――」

 

 

 

「そもそも、今のお前にその気がないだろう」

 

 

 

 振り返ったゲールの言葉にアイズは目を瞬かせ、視線を逸らして頬を掻いた。興味本位で尋ねたのが見抜かれていたからだ。

 

 しかしゲールとの対戦に興味がないと言えば嘘になる。

 

「……じゃあ、私が本当に戦いたいと思ったら、受けてくれるんですね?」

「……フィンたち次第、じゃな。儂の一存では決めかねる」

 

 決定権は自分にはない。そう告げてゲールは再び歩き始めた。その背中をじっと見つめる。

 

 自分が尋ねておいてあれだが、あまり乗り気になれない理由は分かりきっていた。初めての邂逅の時、ミノタウロス討伐の際に発していた鬼気迫る殺気放っていたゲールを体が覚えているからだ。

 

 本来の獣性を隠しているゲールとの力試しは――模擬戦だとしても相当の覚悟を持って挑まなければならないことは、本能で理解しているからこそ、アイズは半端な気持ちで対戦を希望する気はなれない。

 

 けど、いつかは……と後ろ髪を引かれるような思いを振り切ると、後を追いかけようと駆け出して。

 

「――っ」

 

 直後、コツンと足を止めていたゲールの背中に頭を小突いてしまった。

 

「こほこほっ……どう、しました?」

「……」

 

 ぶつかった衝撃で舞った灰にむせつつ、地味に痛む額をさすりながらアイズはゲールを覗き込む。

 

 頭巾の下に隠れる視線を追うと、少し先でカーゴを運ぶ冒険者の一団の姿が視認出来た。

 

(【ガネーシャ・ファミリア】……)

 

 武器や防具に刻まれた象顔の徽章(エンブレム)から、オラリオ最大規模の派閥に属する冒険者たちであることに気付いた。

 

 そして、彼らの運ぶカーゴの中身が何であるかも、(おおよ)その予想はつく。

 

「……連中、生きたモンスターを運んでいたが」

 

 【ガネーシャ・ファミリア】へ道を譲り、先へと向かわせ見送った後、いつもの嗄れた声がアイズの鼓膜を叩いた。

 

「明日はモンスターフィリアがあるから、そこで調教(テイム)するためのモンスターを捕獲してるんだと思います」

 

 『怪物祭(モンスターフィリア)』。

 

 ギルドが主催し、【ガネーシャ・ファミリア】の全面協力の下近年始まった祭りである。その内容は凶暴なモンスターを調教師(テイマー)と呼ばれる冒険者が観衆の面前で調教(テイム)するという催しであった。

 

 危険なモンスターをわざわざ地上に連れて来るという行為にも疑問があったが、様々な思惑が絡み合っているのだろう。アイズには難しいことは分からないし、そもそもこのフィリア祭を楽しみにしている人々もいるのだ。自分個人の感情でどうこう言うことではない。

 

「祭り、か」

 

 フィリア祭に関する簡単な説明を終えると、ゲールは左手で長い灰色の髭を撫で始める。

 

「その祭りに、お前は行かんのか」

「え」

 

 黙考する様子の老人を見守っていたアイズだったが、突然水を向けられて言葉を詰まらせてしまった。

 

「私は……」

「お前も、年頃の娘だろう。お前の仲間の双子や、耳長の小娘と回って楽しまんのか?」

 

 そんなことを口にするとは思わなかった人物からの率直な問いにアイズは俯いてしまう。

 

 明日、整備に出していた《デスペレート》を【ゴブニュ・ファミリア】へ受け取りに行く予定なのだ。愛剣を携え、向かう先は勿論――ダンジョンである。

 

「私は、行かないと思います」

 

 アイズの発言に老人は髭を撫でることを止め、怪訝そうにこちらへ首を巡らせた。

 

「何故だ」

 

 問われたアイズは仄かな燐光で満ちた岩肌の天井を仰ぎ見る。

 

 

 

「私は、もっと強くなりたいから」

 

 

 

 長い冒険者生活でただ一心に強くなることだけを考えてきた。大切な仲間が出来た今でも、それは変わらない。だからこそ他のことにこころを囚われる訳にはいかなかったのだ。

 

「……そうか、とかく早く戻るぞ。リヴェリアに、釘を刺されているからな」

 

 少しの静寂の後、先に口を開いたゲールは特に反応を示さず、ただ本拠(ホーム)への帰還を促すだけだった。

 

「……」

 

 沈黙の中、この老人は何を思い、考えたのだろう。だがそれを知る術はどこにもなかった。「……はい」

 

 アイズも素直に頷いて、ゲールと並んで地上を目指す。隣に立ったことに対してゲールは何も言わなかった。




~ダンジョン探索中のアイズとゲール~



「……その剣、すごい欠けてますね」
「長いこと、共にしてきたからの」
「新調、しないんですか?」
「儂にはこれで十分じゃ」
「素材は何を使ってます」
超硬(アダ)……特殊は素材は使っていない」
「刀身に、変な模様? が入ってましたけど……」
「見間違いじゃろう」
「ど、どうして頭巾――」
「儂が、儂であることを証明するためじゃ」
「……」
「……」
「……雪が、好きなんですよね」
「……あの喧しい双子の妹から聞いたのか」
「は、はい」
「……もう、久しく見ておらん。久しくな」
「わ、私も。そんなに見たことがないんですけど……綺麗、ですよね」
「…………ああ、そうじゃな」
「……」
「……」



(……結構話せた、かも)フンスッ
「…………」ハァ
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