境界線上の守り刀   作:陽紅

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十二章 火種を抱く者たち 【参】

 

 

 

「は、離せぇ! 頼む、離してくれぇ!! 正純が、私の正純がぁぁああ……縛られて涙目なんだぞ!? ――新しい扉が、新しい価値観が見えているんだ! 頼む! 私をあの扉の向こうに……!」

 

「ノブタンダメです! その扉は開いたらいけません! 忘れたんですか!? 『正副会(正純副会長をただひたすらに愛でる会)』の会則第一項、『何があっても本人の目の前でヒャハってはいけない』!」

 

 

「小西さん! お待たせしました! 言われた鎖と檻、持ってきましたよ! それで、あ、あの、側で見ていて良いですか!? お二人の邪魔は決してしませんから!」

 

「ちょ、違います! なにとんでもない勘違いを――」

「ぬおぉおおお! まぁさぁずみぃいい! いまパパが助けに行くぞぉおお!」

「――誰かお願いこのポジション代わってぇぇええ!!」

 

 

 涙目七福神・小西。彼の嘆願は夜の迫る武蔵に、虚しく響いた。

 

 ――この後、コニタン宛に何通もの通神文(メール)が届き、彼が両手両膝をつくことになるのだが……それはまだ、少し先の話である。

 

 

 

***

 

 

 

 長い教導院前の階段を、三人の足音が一定のリズムで登っていく。

 

 一人が生来の性格から唯我を独尊するように先行し、一人はもう一人を支え補うようにして、その後ろに続く。

 

 

 

 

「……ホント、止水のおバカには手を焼かされるわよねぇ?」

 

 

 そして、階段も半ばに達したころだろう。――そう口にしたのは、先頭を行く足音の主人である喜美だ。

 日頃から浮かべている強気な笑みの中に僅かな呆れを混じらせて、後ろにいる鈴と武蔵に問いかけるように言葉を作る。

 

 

「どうしてあんな頑固になったんだか……石頭なんてもんじゃないわ。あの鉢金の硬さがそのままあのおバカの頭の硬さになってんのよきっと」

 

 

 

 喜美の言い様に、それはさすがに――と苦笑を浮かべようとした鈴だが、ふと想像してみる。

 

 

 頭。それは改めるまでもなく、あらゆる生物の急所だ。同じようにぶつけても、手足と頭とでは危険度にも差が出る。骨折などすれば、頭の方は命にすら関わるだろう。

 

 ならば、『頭が硬くなる』ということは……。

 

 

「そ、うっ、なってたら、いぃ、ね?」

 

「……んふふ。鈴ぅ? 今の返しには完璧姉であるこの私でも軽くビックリしたわよー? ……アンタって、止水のオバカが要素に入るだけでたまにズバ抜けるわよぇ」

 

 

 あれ? 違うの? と首を傾げる鈴を見て、隣に付き添い鈴の手を引く武蔵がやや強めに、人目にはわからないように足を踏み込ませた。……自動人形の絶対的な平衡感覚でさえ危なかったらしい。

 

 

 ……ちなみに。

 止水が関わると〜からの件を、鈴は否定しなかった。

 

 自覚しているのか、それとも単に否定し忘れたか。そんな鈴に喜美が苦笑を浮かべて、武蔵がより真剣に一歩を意識して。

 

 

 

「でっ、でも――……」

 

 

 

 

「喜美、ちゃん……嬉し、んだよ、ね? 止、水くん、変わって、て――()()、変、わって、なかっ……こと」

 

 

 

 

 彼女がたどたどしく告げた矛盾の言葉……その言葉に、喜美は足を止めた。

 

 喜美が止まり、そして武蔵の足も止まったので、自然と、鈴の足も止まる。

 

 

(あら――なんでバレたのかしら)

 

 

 内容はオバカに向けた愚痴で、声の質も呆れと疲れが混じったものだけに喜美はしたつもりだった。ほんの二息で済む言葉には嬉しいの感情は微塵にもなかったはずだ。

 そんな喜美の疑問を、雰囲気で感じたのだろう。鈴はハニカミを浮かべながら続ける。

 

 

「喜美ちゃ、ん。神社から、ずっと足とか、指っとかで、リズ、ム、とってた、よ? あ、れ。喜、美ちゃんが、よく、小さ、く歌ってるのと、同じ、だったから」

 

「……やだ。私ったらそんなことしてたの? 無意識リズムって……つまり鈴に隠し事はできないってことじゃない。そうやって弱み握っていくのね……! 鈴っ、恐ろしい子……っ」

 

「ふ、ぇっそっ、そんな、ことっ! し、ない、よ……?」

 

 

 ……気分がいい時に歌を口ずさんだ記憶なら、確かにある。鈴がそのリズムを覚えていて、喜美がそれを無意識に作っていたのなら、音の専門家である鈴にバレても致し方ないだろう。

 

 

「喜美様、どういうことでしょうか? 変わっていて変わっていない、というのは。……いくつか候補のような解答が出てはいるのですが、明確な解答を私は得られませんでしたので、教えていただきたいのですが。――――以上。」

 

「くくく……いや、ちょっとまって? これ、改めて言うとなると結構恥ずかしいわよ? 赤裸々トークよ? ……よ? ってなわけでこの話はハイスルゥー!」

 

「止水様のことですので。――――以上。是非」

 

 

 

 ――無表情だった。自動人形なのだから、それは当然だ。

 

 ……だが有無を言わせないナニカがそこにはあった。自動人形なのに。

 

 

 

「もう……これオフレコよ? 絶対よ? 守らなかったら赤面マル秘話を全艦放送ジャックしてお茶の間にお届けしてやるから。鈴の。

 

 そうね……この私と鈴と、武蔵さん。この三人がどうしてズドンパパ(浅間神社の神主)に呼び出されたか、覚えてる?」

 

 

 それは……。

 

 武蔵は再開した歩みの中で、鈴の手を責任と決意を合わせて取った瞬間の――その少し前からの記憶を思い返す。

 

 

 ……止水の不参戦。そして、おおよそ十年ぶりになるだろう、守り刀の加護の停止。

 おそらく、これを非難するものはそう多くはいない。むしろ、先の抗争のリベンジだとばかりに奮い立つ者のほうが多いかもしれない。

 

 

 だからこそ、この件における最大の障害は誰でもない……止水だ。

 

 本人こそが、一番の壁だったのだ。

 

 

 

 守りの刀の最後の一人として、最早本能とさえ思える程の『守る』という意志。

 

 一度破れ……しかし二度と失うものかと少年が突き立て、十年の歳月を重ねた『誓い』。

 

 

 

 絶対に、確実に――止水はこの処置を拒むだろう。そしてもしも力尽くで拒まれたなら、武神であろうとオリオトライであろうと、その行動を止められる者はいない。

 

 

 

「止水様を、諭せるようにと……。――――以上。」

 

 

 故に、力ではない。言葉や心……それも確固たるもので止水を諭せるだろう三人に要請が飛んだのだ。

 

 

「Jud. そうよね。――で・も。諭したかしら、私たち」

 

 

 何故か海に落ちていたらしい止水が、着替えるために家に戻っていた所に三人が合流。英国からの要求やそれに対する武蔵の返答。それにより、止水の参戦不許可と守りの術式の一時停止の必要がある……という説明をした。

 キョトンとした後、沈黙する止水に三人は僅かに身構え……。

 

 

 

 

 

 

   『――わかった』

 

 

 

 

 

 ――盛大に、肩を透かした。透かされた。あると確信していた反抗も反論も、なにもなかったのだ。

 

 引っ張って行くことになるだろうと思っていた浅間神社までむしろ先導され、滞りなく術式の停止処置も終了。大仕事は一転、『迎えにいって付き添っただけ』という必要性さえ問われ兼ねないものとなった。

 

 

 

 そして、止水が英国に降りる所もしっかり見届けた三人は、直接報告のため、こうして総長連合生徒会の集合場所に向かっているのだ。

 

 

 

 

   ――……っ!

 

 

 

(あ、れ。この、声…………?)

 

 

「……なにが切っ掛けかは、まあ後で 必 ず 問い質すけど……でも、あのオバカが『守るだけじゃダメだ』って、これからのことを考えて変わろうとしたのよ。

 たった一夜でも……ほんの一時でも。皆がなにを言っても、誰が泣いて懇願しても――決して止めなかった守りの術式を止めることすら認めて、ね」

 

 

 

   ――どうして……どうしてよマルゴット! 私だって空で戦えるわ! ほら、怪我だって、翼だってもう動くし……そ、それに止水の術式は止まってるんでしょ!? 

 

 

 

「……それって、考えるまでもなく凄い変化よね? だってある意味真逆だもの。あのオバカの『絶対に守る』ってあのオバカな誓いと、守りの術式を止めるってことは」

 

 

   ――なんでダメなのよ!? 私が弱いから? 白嬢(ヴァイスフローレン)がないから!?

   ……違うわよね。マルゴットは……私が止水から最深の守りの術式を施されてたからっ、だから遠回しに武蔵に残るように言ったんでしょ!? 止水が心配だから! 私が足手まといになって、アイツが傷付かないように!

 

 

 

 

「――……。これが、変わって嬉しかったことよ。そして……」

 

 

 

 

 喜美はそこで言葉を切り――首の後ろにある、服の留め具を外す。今日(こんにち)に至るまで、高嶺であり続けようと磨きあげた肌を惜しげも無く晒していく様は――いっそ誇らしげですらあった。

 

 後ろにいる鈴が顔を真っ赤にして、ふぇっ!? とかわいらしい奇声を上げているが、きっと躓きでもしたのだろう。隣に武蔵がいるので問題ないと流す。

 そうして胸を支える下帯だけを残し、肩からクビレから、全ての布を取り払った。

 

 

 次いで、布の払いにあわせて右手で幾つかの表示枠を操り、術式の様々を決める。併せて左手で首筋のハードポイントに触れ、先ほど預かったばかりの品を取り出す。

 

 

「これで条件クリア、っと♪ さ・ぁ・て……」

 

 

 長い階段の最上段。いつもの彼女なら少し立ち止まって小休止を取る場所だが、勢いのまま踏み出し、一歩、二歩と前に進む。

 

 

 

 

 ……一人が気付き、目を見開き。二人が気付き、頬を引き攣らせ。多数が気付き、一歩離れた。

 

 

 

 

「でも、今は私になにがあったって、全部私で終わるんだからいいじゃない! 痛みも、怪我だって! 私が死んだってなにも……?」

 

 

 華奢な肩を掴む。黒い翼が若干邪魔だが、問題無く掴めた。

 その行為に無我夢中で言葉を作っていたナルゼが、邪魔をするなと涙を浮かばせた目で振り返り、睨みつけようとして――口角を上げて、『笑み』を表情に作る喜美に、僅かに気圧された。

 

 

「な、なによ……」

 

「ふふ――ねぇ、ナルゼ。今から数秒でいいわ」

 

 

 この場面で『それ』は浮かべるべき感情ではない、と。――気圧され、ほんの少しだけ冷静に思考できたナルゼを他所に喜美は笑う。

 だが、ほんの少しの冷静さ程度では……どうやら足りなかったらしい。

 

 

 もしも、日頃の――いつも通りのマルガ・ナルゼであったなら。

 

 

 僅かな距離で踏んだ韻も。意識して左右に体を動かした動作も。肌を晒し、しかし恥じないそれが衣装であることも。

 それらが、極短時間ではあるが確かに『舞』であり――極東に在る芸能系の神々への奉納されるものになったことも。

 

 

 そしてなにより……彼女の手に握られた、夕焼けにも茜にも負けない鮮やかな緋色の布に、気付くことが出来たかもしれない。

 

 

 

 

「歯ぁ、食いしばりなさい……

 

 

 

   ……こぉの意気地無しがぁ――っ!!!」

 

 

 ……最初の忠告は、賢姉からのせめてもの慈悲なのだろう。

 

 

 

 唸る風に乗ったいい香りと、視界いっぱいに広がった亜麻色と、無数のガラスが順に破られていく音をナルゼがボンヤリと知覚し……直後。

 

 

 

 『下から』の超強烈なビンタによって……ナルゼは初めて、己の翼以外で天を舞った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

故郷の言葉で、忘れぬように

 

暮らす国の字で、違わぬように

 

 

 一人でも、離れていても変わらぬ名

 

 

 

配点 【双人(ふたり)のお嬢さま】

 

 

 

***

 

 

 

 ズ パ ン ッ ! !

 

 

 

 

 ――その場に集まった男も女も、大体が一様に『うわぁ……』という感じでその音を聞き、その光景を眺めていた。

 黒い竜巻となって垂直上昇していくナルゼと、それを成した喜美。少し前まで副会長の裁判場であり、そして直前までシリアス一色だった場は、なんとも言えない空気に包まれていた。

 

 

 手っ取り早く言うと、いつものカオス場である。

 

 

(やっぱりオッパイ大きいとトルネード系打撃の威力上がるんでしょうか……? こう、遠心力的なプラスで……私弓矢だから関係ないですけど)

(そもそもビンタって普通横から横に打つもんだろ? 何だい下から打ち上げるビンタって。……おいアサマチ、騎士と従士が人()れる目で……あれ、あたしにもギョロ向きしたさね今)

(それより見たか、喜美のやつが割っていった術式の数を……ナルゼのやつ、生きているの、か? まさか死んだのではないか?)

 

(むむっ、拙者の時よりも使った術式が多いでござるぞ……!?)

 

(((なんでお前は若干悔しそうなんだよ)))

 

 

 

「え、えええ!? ガ、ガッちゃ……喜美ちゃん!?」

 

 

 意外と冷静な(他人事な)感じの面々のなかで、一番混乱しているのは間違いなくマルゴットだろう。なにせ、自分に涙目で詰め寄ってきていたナルゼが、いきなり現れた喜美に吹っ飛ばされたのだ。

 

 だが、高く飛んでいくナルゼを見て、追いかけて止めなければとその翼を広げたところで、喜美の手に制される。

 

 

「アンタはそこで見てなさい。あ、言っておくけど、ナルゼ(アレ)だけじゃなくてマルゴット。そしてここにいるアンタたち全員も対象なんだからね?」

 

「え……?」

 

 

 言うだけ言った喜美は軽く膝を曲げ、術式の発動状態を意味する燐光を散らしながら跳ぶ。

 一般生徒ではあり得ないその跳躍力に、智が「さっき割りまくってたのは身体強化と負荷軽減ですね……」と小さく呟いたすぐ後、呆然としたままのナルゼの胸ぐらを掴んで、皆の待つ橋上に帰還した。

 

 

 

「……別に、アンタは私の弟でも義妹でも、ましてや惚れた男でもないから。ぶっちゃけ、どこで腐ってようが燻ってようが構わないんだけど……ハラ立つのよ。今のアンタの、どうしようもない勘違いっぷりを見てると」

 

 

 それは――冷たく、硬い声だった。

 

 笑みは消え、眦も吊りあがり……言葉通りの苛立ちを喜美は見せている。

 

 

 

「か、勘違いってなによ……わ、私は本気で……!」

 

「本気? 本気でなに? 止水の守りがない今なら、無理して無茶して今までの負け分の汚名挽回できるって? ……ダメね、ぜっんぜんダメ。アンタじゃ役不足だからやめときなさい。どうせ負け増やすだけだから」

 

「喜美! 喜美!! あの、高みからの説教でテンションおかしいのわかり……ませんけど! 言葉の意味的なのが所々でハチャメチャですよ!? 落ち着いてください! それじゃナルゼが無理して無茶して負けに行くようなドエ……んん! えっと、そういう性的嗜好の人に聞こえちゃいますから!」

 

 

 

 ――こいつのほうが頭オカシイし落ち着くべきだろ、という視線が巫女の背中に突き刺さるが気付かず、姉も細かいことは知らんと無視する。

 

 約一名理解出来ていない全裸がいるようなので補足しておくが、汚名は『返上』するもので『挽回』するものではない。また、役不足では役目のほうの不足がある意味となるので、この場合では『力不足』か『役者不足』が正しい言葉だ。

 

 

 

 ……言葉は間違ってはいるが、喜美が言いたいことは大体伝わったのだろう……ナルゼは言い返そうとして、しかし、無言で睨むことしか出来なかった。

 

 

(改めて言われなくたって……って思ってるんだよね、ガッちゃん)

 

 

 ――英国に入る前、女王の盾符(トランプ)四人を相手に功を焦って逆に人質となり、武蔵が英国の指揮下に入れられんとしたところをウルキアガ達三人に救われて。

 英国本土でも、演劇空間でドレイクを相手に敗北……ギリギリの所で察知できた止水が駆け付けて救助された。そして、ナルゼを抱えたままドレイクとウォルターの二人と相対して勝利したことでナルゼの負け分を挽回したから良かったものの……もしかしたら、総長(トーリ)への相対権限を取られていたかもしれないのだ。

 

 

 どちらも仲間にフォローされて大事になっていないが……それでも、ナルゼは実質二度、武蔵そのものを危機に晒してしまっている。

 

 

(気にしちゃダメ、って言っても無理、だよね……)

 

 

 マルゴットは、自分がもしナルゼと同じ状況だったら――と考え、今のナルゼのようにならない自信がなかった。

 

 

 二度の失敗からくる焦り。そして、諦めかけていたところに転がってきた三度目の……英国では最後になるだろうチャンス。

 ナルゼはなんとしてもここで――このアルマダ海戦で清算しておきたいのだろう。誰に何を言われたわけではないが、ナルゼが自身に思ってしまった、『役立たず』と『足手纏い』という言葉を打ち消すために。

 

 そのためには、多少じゃ済まない無茶や無理をしなければならないだろう。白嬢がない今……それこそ、死すら覚悟して。

 

 

 

 ――そんな、どこか危なげな決意の表情を浮かべるナルゼを、喜美は掴んでいた胸ぐらを手放すことで突き放す。まだ喜美のビンタが足に来ているナルゼは堪えることが出来ず、尻から力無く座り込んだ。

 

 

 

「それが、勘違いだって言ってるのよ……ナルゼ。アンタ――『コレ』がなにかわかる?」

 

「――なにって……高襟、でしょ? 止水の。……個人的には『ネックウォーマー』って言いたいんだけど」

 

「やめなさいよ、皆思ってて黙ってあげてるんだから」

 

 

 見覚えのある緋布は、いつも彼の顔の大半を隠している物だ。マフラーとは言えず、しかしなんぞやと聞かれた止水が苦し紛れに『高襟』と命名したのを微かに覚えている。

 ――痛みに歪み、耐える為に食い縛った口元を皆に知られない様にと、あの術式を行使し始めたすぐ後に着け出したのだ……あからさま過ぎて即行でバレていたが。

 

 

 そして、思い出したことに追加するように思い出す。

 

 それは以前、喜美が二代相手に羽衣で行っていたことだ。守り刀の品を用いることで、本来なら契約していない神々の術式を最低限の代演奉納で使える……いわば、裏技のようなもの。

 

 さっきのビンタにも用いられていたのだろう。痛みと熱を伝え始めた頬と、口の中を少し切ったのか鉄の味が舌に乗り……意識したことで緋色の布に別の赤が、内側と外側を染めていることに、気付いた。

 

 

「あ……」

 

 

 血だ。ナルゼが大嫌いな……緋を汚す赤い色が、止水の高襟を染めている。

 

 

「なん、で? 術式は解除されてるんじゃ……」

 

「しっかりされてるわよ? これ、術式関係無くあのオバカが自分でやったことだから。……頑固よね、ホント。たった一晩あの術式を止めるだけなのに、血が滲むまで歯を噛み締めて、肌が裂けるまで拳握って。

 ま、そこの貧乳政治家があの妖女に言いくるめられた所為でこうなったわけだけど」

 

「うぐっ……」

 

 

 ――ギクリ、と肩を震わせた正純が身を小さくしていくのを横目に、喜美は続ける。

 

 

 

「でも、女冥利に尽きるじゃない。それだけ守りたいって、失いたくないって思われてるわけだもの……この賢姉様が『そのうちの一人』っていうのが大変遺憾で癪だけど……」

 

 

 

 たとえ、守れずとも……『守りたい』という強い意思は変わっていなかった。血の滲むその高襟が、何よりの証拠だろう。

 その頑固さに喜美は呆れ――そして、その呆れとは比べられないほどに、嬉しかったのだ。

 

 

 変わろうとしていても、その男はその男のまま――どうしようもなく馬鹿で、鈍感で、大木で……どうしようもなく手のかかる男だけれど。

 

 

 

 

「……なのに、信じられる? 憎たらっしくも『そのうちの一人』にちゃぁんとカウントされているマルガ・ナルゼって鶏娘は、『自分が死んでもなんの問題ない』なんて言ったのよ? ――十年、歯ぁ食い縛って命守り続けた止水の、一体何を見てたのって聞いておいてくれない?」

 

 

 ぐ、っと唇を噛み締めて俯くナルゼを見下ろし……言いたいことを言って、喜美は自分がやりきった事に満足げな笑みを浮かべる。

 

 

 あとは、ナルゼがそれにどう応えるのか、だ。

 

 

 ――さっさと気付いてやりなさい。いつもアンタの隣でニコニコ笑っているアンタの相棒が、さっきから迷子の子供みたいに不安そうな顔してるんだから。

 

 

 ……これは、言わない。今必要なのは突き付ける言葉であって、『背を押す』言葉ではない。

 

 

 

 

 ――目を閉じ、深い呼吸を三度。

 

 黒の瞳は、目の前の聳える様に立つ喜美では無く……その後ろにいる彼女に視線の先を向けた。

 

 

 

「――マル、ゴット」

 

「……なに? ガッちゃん」

 

 

 呼吸。

 

 

「正直に答えて。

 

 

 ……私の助けは、いる?」

 

 

「Jud. ――ナイちゃん、『今の』ガッちゃんの助けは、いらないかな?」

 

 

 

 ほとんど間を置かない即答……しかし、今の、を少し強調したマルゴットの言葉に、ナルゼは苦笑を浮かべる。

 

 

 

「……Jud. なら、先へ行ってて。――必ず、追いつくから。マルゴットのいる速さと高さまで」

 

「当たり前だよ、ガッちゃん。だってナイちゃん達は二人で 双 嬢 (ツヴァイ フローレン)なんだから。 一人じゃ双嬢の言葉は作れないんだよ? ……どう書くか、知ってるよね」

 

 

 いつもの……よりも、当者比で数割増しでニコニコしているマルゴットが、歩み寄ってしゃがみ、視線を合わせ、問う。

 

 ――知っている。当然だ。

 

 

「馬鹿にしないでくれる? マルゴット。字は私が当てたんじゃない。――二人の『女』が『又』と『又』を『㐮』り合う――……又暗喩で、もうノーマルカップリング極秘号のネタにしたんだから」

 

「が、ガッちゃん? 唐突にいつものテンションに戻るのやめて? ナイちゃん心の準備したいから」

 

 

 ニヨリ、と。一気に耳まで赤くなったマルゴットを見て、ナルゼは『いつもの様に』を心がけて笑う。

 

 二つが並ぶことで初めてその意味を作る字で、『双』。

 姫はすでにいたし、そもそも柄でもないので、『嬢』。

 

 

 結成のキッカケにも小話が一つ二つあるのだが……それはまた、いずれの機会にするとして。二人は自分が立つべき戦場と、あるべき場所を確認しあった。

 

 

 

 

 そして、結果。

 

 

 武蔵最強、『守り刀の一族』の止水と――『 双 嬢 (ツヴァイフローレン)』の片翼、マルガ・ナルゼ。

 

 そして、嬉々として正純の刑罰の会議に戻ったところでオリオトライから渡された手紙から……武蔵アリアダスト教導院、総長連合第一特務――

 

 

 

 

 点蔵・クロスユナイトのアルマダ海戦の不参戦が決定し、皆さん好き勝手やり過ぎですよぉぉおお!!! と、足りない本部の指揮官の叫びが、(海戦)の迫る武蔵の空に木霊した。

 

 

 

 

 




読了ありがとうございました!

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