境界線上の守り刀   作:陽紅

122 / 178
十四章 忍と白睡蓮 《訣別編》

 

 

 

 ――さて。ここで少しばかり、()()にお付き合い頂きたい。

 

 お題はご存知、武蔵が守り刀の止水――彼の現状のことだ。

 

 

 これまでの戦績を思い返せば、彼は単騎における武蔵最大戦力だということがお分かり頂けることだろう。『武蔵最強』の名は決して大袈裟でも、ましてや伊達などでもない純然たる事実なのだ。

 

 

 では、止水を武蔵最強たらしめているものは何か、と問われたならば――その一因は、彼が契約した刀たちから供給される緋の流体だ、と答えよう。

 一般的な青い流体よりも生体に馴染みやすい緋色の流体は、止水の身体を人のままにしながら、人間では考えられない強大な力を生み出している。……それこそ、度が過ぎれば止水自身も振り回され兼ねない程のものをだ。

 

 その現状でも、止水の強さはあくまでも途上に過ぎない。そして、総数で一体何振りあるのかわからない一族の刀と契約を続けて行くのだから……果てがどこなのか、誰にも、当人である止水にすらもわからないのだ。

 

 もちろん、それが一つの要因であり、剣士としての技量や戦士としての第六感(センス)、馬鹿げた打たれ強さもなども要因だろうが、この小話ではあまり意味がないので割愛する。

 

 

 

 

 

 ……そして、ここからがこの小話の『本題』。

 

 

 

 止水が行使する守り刀の術式……『キミガタメ』。

 

 これは『変刀姿勢』などの術式と違い、基本的に常時発動・行使型の術式である。武蔵に住む住人の数はおおよそにして十万人――止水が八歳の時より約十年、片時も止める事なく使い続けた術式だ。

 

 

 当然、術式の行使にあたり、流体――内燃拝気は消費される。止水から武蔵の住人全員へと結ばれる、負傷を奪うための十万本の線。守りの深度……そして、契約の場である後悔通りの石碑と、止水と対象者の距離に比例し、消費される拝気は跳ね上がる。

 

 

 ……それこそ、止水が武蔵最強にある所以たる力に用いられる流体など、些細な量と切って捨てられてしまうほどに。

 

 

 

 

 では――現在。

 

 守りの術式『キミガタメ』を()使()()()()()()、現在。

 

 

 日頃から、刀たちから供給されている流体。その余剰分の()()()を消費していた術式が一時的に停止している今……その消費されていない膨大な量の流体は、どうなっているのか――。

 

 

 ……その答えを、これからご覧いただこう。

 

 

 

***

 

 

 

(これ、は……)

 

 

 

 ――英国が、燃えていた。

 

 

 それ以外に、それ以上に、これを的確に表現する言葉は、ない。

 

 大きな身体から溢れ猛る、緋の炎。その奔流は同色の羽織を大きくはためかせ、時折龍のように飛び出す密度の濃い力が、大気を蹂躙して暴れ狂う。しかしそこに、焼け焦がすほどの熱量はない。

 

 

 ……その光景を前に、やはり双子なのだろう、エリザベスとメアリは呆然としていた。

 木精と人のハーフであり、精霊術を使う二人は――だからこそ、それゆえにありえない……ありえてはいけないその光景に、驚愕せずにはいられなかった。

 

 

(ありえん、これほどの流体量――この妖精女王()の全力にも匹敵しうる……だがっ、奴は地脈から流体を引き出しているわけではないのだぞ!? 人の身で、これだけの流体を内包できるわけが……っ)

 

 

 ありえない――しかし現実、目の前でそれが現在進行形で行われている。

 

 メアリは咄嗟に前へ出た点蔵に庇われながら、エリザベスは呼応した精霊たちが作り上げた風の盾に守られながら……しかし、未だこの場に大した苦労もなく留まれていることにも、また驚いていた。

 

 先ほど発現した妖精女王の光翼に匹敵する量と密度。それを全方位に猛らせているのに、手を伸ばせば届く距離にいる三人にその程度の影響しか与えていない。

 

 

 ――合同会議の時と、同じだ。

 『守るべき者を守る』。ただそれだけの、単純明快な意志のもとにこの緋炎は具現化している。

 

 それを理解し、そして実際に体験し……それが、どれだけ精密な流体操作の技術を必要とするのかを想像して、しかし完全に無意識にやっている止水の様子に、二人は生唾を飲み込んだ。

 

 

「て、点蔵様」

「メアリ殿――これが、武蔵の武の頂に立つ男の本気でござるよ。……いや、三河の時とは比べ物にならんでござるな」

 

 

 尚も止水の身体から溢れ猛る緋炎は英国の空に溢れ、その後に台座に突き立てられた大太刀に再び集って、英国の地脈へ流れていく。見掛け倒しでなければ、すでに相当量の流体が英国の地脈を満たしているはずだが――。

 

 

「供給方法が無理矢理過ぎる! 半分以上の流体が無駄に流れているではないか……!」

 

 

 空を染める緋炎と、大太刀に吸収される緋炎では後者のほうが圧倒的に少なかった。吸収される流体が少ないから、緋が染め上げる空間が広がっていき、空に溶けて消えていく。

 エリザベスの目測からして、止水が5〜10と出して、やっと1――それほどの割合だろう。半分どころの話ではなかった。

 

 止水とメアリとでは、流体の性質がそもそも違いすぎる。その上、メアリでさえ長い時間をかけて様々な調整を行ってきたことを考えれば、その非効率さはある意味で当然なのだろう。

 

 そもそも剣の台座に刀を突き刺している時点で色々と型破りがすぎるのだ。

 

 

 

 ――その非効率を頭ではなく感覚で感じつつも、止水は笑った。

 

 

「んなもん知るか。半分以上が無駄になってるなら……早い話、倍以上出せばいいんだろ……!」

 

 

 

 ――有言、実行。

 

 

 ……メアリの命を流体とし、数値にして表したならば如何程か――そんな計算を心を殺しながらも行ったエリザベスとは真逆、そんなもん知らんと止水は笑う。

 

 

 そしてエリザベスが……いや、英国が想定していたメアリの処刑による流体増加に到達し――しかし緋の焔は、なおも猛った。

 

 

 

 

「――足りねぇだろ」

 

「止水殿……?」

 

 

 

 まだ続けるのですか、という背中からの呟きに、そろそろ止めるべきかと悩んだ点蔵だが、止水本人に先回りされて逆に止められた。

 

 ……今、止水のやっている事は王賜剣の強化だ。あの長大な光剣の、範囲が伸びるのか威力が上がるのか、それとも連発が可能になるのかはわからないが、さらに強力になることはまず間違いない。それがエリザベスの心変わりで武蔵に振るわれないとも限らないのだ。

 

 

 事実、エリザベスは止水の身柄を武蔵を落としてでも……と正純に言っているのだ。決してあり得ない話ではない。

 

 

(……それでも、これは……これだけは譲れねぇよな)

 

 

 流石の止水も、それは分かっている。むしろ、一度対決して敗北を喫しているのだから、誰よりもその脅威を理解している。だが――それでも、緋炎は収まる様子を見せない。

 

 

 それどころか……少しずつではあるが、しかし確実に、止水から溢れ出す流体の圧が強くなっていった。

 

 

 ――明らかな異常だ。明らかに異常だ。

 

 最初の方ですでに妖精女王であるエリザベスの流体出力と同等だった出力が、ジワジワと上がり……今では明確にエリザベスを上回っている。その上さらに今尚上がり続けている出力は、どう考えても人間が耐えられる物ではない。

 

 

 

 

 そんなエリザベスの戦慄と懐疑を他所に……止水は仕上げとばかりに、全力を注ぐ。

 

 

 

「足りねぇよ――むしろ、足りなさ過ぎて申し訳ねぇくらいだ……!

 

 メアリの命に、いずれ産まれてきてくれる命……! そして、これから続いていくこの国(英国)の未来――! その全部を守ろうってのに、渡す流体()(メアリ)一人分? ふざけんなよ……そんな手抜きしたら、俺が歴代全員に説教されるだろうが!」

 

 

 

 止水は笑う。強く……食い縛るように。

 

 ――緋色が猛る。よりより、色濃く鮮やかに。

 

 

  ミシリ、という刀の柄から生じた音は、流体の鳴動にかき消された。

 

 ――守り刀の本気を見せつける。王と姫が、相手にすると宣った世界へ。

 

 

 足を開いたのは……それらしく格好をつけるためだ。決して、ふらついたからではない。

 

 

 ――己も挑もう。今一度、()()()()。ここに誓おう。

 

 

 

 

(『命』守れてようやく三流で、『心』守れてやっと二流……!

 

 そんでもって、一流が守るのが『願い』ってんなら、なってやるよ……今まで誰も、辿りついたことがない超一流……!)

 

 

 答えは、十年前のあの日に出ていた。覚悟も、その時出来ていた。

 

 一族に生を受け、しかしなに一つ伝えられず……己の意思で、刀になると誓い立てた、あの日から。

 

 

「人だろうが国だろうが世界だろうが……! 味方だろうが敵だろうがどっちつかずだろうが! そんな小難しい事俺が知るか! 『全部』まとめて、守ればいいだけの話だろうが!!」

 

 

 守りたいと思った全てを、守る。

 

 思う事ならできた。口にする事ならできた――実行に移した者が、大半だった。

 

 しかし、それはあまりにも夢想が過ぎた。『人を殺す道具である刀で人を守る』とほざく以上の綺麗事だ。それを達成できた者は長過ぎる一族の歴史の中で一人としていなかったのだが……。

 

 

 今代、ただ一人残った一族の男が、末世の迫る世界でこれに挑む。

 

 

 

 

 三河では亡き元信公の発言によって表舞台……歴史の壇上に上げられた守り刀の一族。それが今宵、自身の意思と言葉で、世界へと――王と姫に続くように、宣戦布告した。

 

 

 

 

 

 夜空を夕景に染め上げる緋炎が、終に天へと立ち昇る。

 

 

 

 ――おおよそにして、メアリ数人分……猛らせたはいいが地脈が吸いきれず、英国の空へ大地へと溶けていった分を合わせれば、数十人分にもなるだろう膨大な流体を一気に放出した止水は……呆然とする三人を放置して、そのまま後ろに――満面の笑みを浮かべて、盛大にぶっ倒れた。

 

 

 

***

 

 

 

 ゆっくりと、イイ笑顔を浮かべて後ろに倒れていく2メートルを超える巨体を、混乱その他諸々が抜けきらない三人は見届ける。

 

 ―― ゴ ン ッ 。

 

 

(((あ、コレは痛い)))

 

 

 痛そうな……いや、確実に痛い打音を聞いて、その痛みを想像して、顔を顰めた。受け身は見たところとっていないようであるし、相当痛いだろう。

 

 

「つぅ……っ!」

 

 

 実際本人も涙目である。頑丈であるし痛みに対しても常人より圧倒的に強い止水だが、痛いものは痛い。非戦闘時かつ覚悟無しの不意打ちなら、なおさらだ。

 

 しかし、止水は大の字に身を伏せたまま。のたうち回ることはおろか、後頭部を抑えることもしない。ただただ涙目で呻くだけだ。

 

 

「えっと、止水殿?」

 

「ぬぅ……っ――うん、慣れた。……はっは、さすがにもう空っぽだ。一歩どころか、指一本動かせそうにない……」

 

 

 涙目を拭えないままに、止水はやりきった満足感と、全力を出し切った充足感に促されるままに笑みを浮かべる。

 

 

「まあなにはともあれ、エクスカリバーの強化はできた。――できてるよな? ……できてる? うん……ならこれで、メアリを処刑する理由が全部無くなったわけだ」

 

 

 ここまでやって、これだけのことをやって、不安になって一応メアリに確認の視線を送るあたりが止水らしい。頷きを返されてまた笑う。……指一本動かせないのは嘘ではないらしく、顔を動かすことすら億劫そうだ。

 

 ――それでも頑張って、点蔵へと顔を向ける。

 

 

「行け、点蔵。さっき正純たちから聞いたんだけど、そろそろお前らの回収しに輸送艦が来るんだってよ――詳しい話はそこでだ、ってさ」

 

 

 それだけ言って、脱力。また痛そうな音がその後頭部から聞こえたが、慣れたらしいので平気そうだ。

 

 ……気配からして、止水はもうなにもするつもりもないらしい。このまま眠りそうな風でもある。

 

 だから、『メアリを処刑する理由が無くなった』と止水が告げた辺りから、俯いて拳を震わせるエリザベスが、代わるように重々しく口を開いた。

 

 

「――私との『約束』を、違えるというのか。メアリ……」

 

 

 憤っている。しかし、歪んだその顔は今にも泣きそうなほどだ。

 ……『お互いを護ろう』。幼い頃感覚を共有し、処刑に怯えるのか、姉の処刑に悲しんでいるのかわからない二人が交わした、大切な約束。

 

 それが、お互いにすれ違い続け、しかし歩み寄れないまま、ここまで来てしまった。

 

 

 

 

「実は――私の処刑がなった時、貴女に言おうと思っていた言葉があるんです。

 

 『もう護ってあげられなくてごめんね』って……でも約束は忘れません。違えるつもりも、ありません。これからも、ずっと」

 

「っ……!」

 

「だから、今度は私が貴女を殺します(護ります)――子を産み、貴女の王座を奪うことで」

 

 

 メアリは一度視線を外し、夜の故国を見渡す。

 

 

「ここは英国……妖精女王の国。人を愛し、幻想を捨てた端女が住んでいい国ではないでしょう。だから……少しの間、お別れです」

 

 

 別れ。だが、それは『さようなら』で終わるものではない。『また、いつか』――その思いを胸に、別々の道を歩もう、と。

 

 

「――ありがとう。エリザベス。私の、大切な大切な、たった一人の妹」

 

 

 空を駆る音が、大気を裂いてやってくる――武蔵の輸送艦だ。すでに喜美たちは乗船しているらしく、彼女が肘をついて、微笑みを浮かべながらこちらを観察しているのが見える。

 

 見れば、縄梯子が揺れている……停まることなく、掻っさらうのだろう。メアリと点蔵はすでに言葉を交わすまでもなくどちらとなく頷き合い、男が女を横抱きにして、輸送艦へと跳んだ。

 

 

 

 ――別れのときだ。

 

 

 

 

 

「――……」

 

 

 エリザベスは口を開くが、音が出なかった。――『ごめんなさい』も、『行かないで』も。浮かんだ言葉はたくさんあったのに、言葉が出てこなかったのだ。

 

 

 

「姉さん――っ」

 

 

 と。唯一、――ただ、それだけ。

 

 だが、それで十分だと何故か思えた。

 姉が妹を『妹』と呼び、妹は姉を『姉』と呼び……それを聞いた姉が、嬉しそうに笑いながら涙を浮かべて――。

 

 

 

 

 

 ――去っていく輸送艦を見ることなく、顎を上に……エリザベスはそれを必死に零すまいと必死だった。いずれ奪われるこの立場だが、未だ英国の長は自分なのだと言い聞かせ、民が不安になるその感情を、必死に取り繕う。

 

 

 

「……涙の別れ、か」

 

「だれも、誰も泣いてなどおらぬっ。……それに、仮の話涙の別れとして、何か文句でもあるのか!?」

 

「え? いや、別に?」

 

 

 だってよ。

 

 

「お前ら、いつか笑ってまた会うんだろ? ……なら、俺はなんの文句もないさ」

 

 

 

 止水の中では、二人の再会は確定事項であり、その上笑顔での……というのも決まっているらしい。

 

 動けないほどに疲れ切っているというのに、実に良い笑顔を浮かべている止水。そんな男に何を思ったのか、強い足取りでその傍まで寄り、エリザベスは潤む目で、不機嫌そうに見下ろす。その手には未だ王賜剣・二型が握られているわけで。

 

 

「お、おい待てこら待てちょっと待て……っ俺今本当に動けなエッフ」

 

 

 ……動けず抵抗できない止水の、腹の上。

 

 ヒラリと身体を反転させたエリザベスの尻が、表現し辛い音と共に着弾した。

 

 

「――気に入らん。ああ、まったくもって気に入らん。全て貴様の思惑通りになったようで気に入らん……!」

 

「……いや、気に入らんって言われても。思惑っていうほど俺考えてないんだけど」

 

 

 キョトンとした顔の止水は、おそらく本気だ。本気で大して考えていないのだろう。

 

 ――この一族はそうだった。考えるよりも感じろ派が圧倒して多い。そして本能的に動く。守りたい、という本能のままに……守られたのだ。他ならぬエリザベス自身も。

 

 それが妙に悔しく、収まる気配のない感情の波がさらに荒れる中――座布団にしている男が、そのまま寝息を立てて眠りだす……流体の急激な減損に身体が休息を求めたのだろう。

 

 

 

「――本気で考えなしか。……傷心の、見目麗しい乙女の話相手になってやる甲斐性くらい見せてくれてもよかろうに」

 

 

 だが、その警戒もなにもない寝顔を見ている内に、波が収まりを見せてくる。すでに輸送艦は小さく遠ざかってしまい、声など決して届かないだろうが。

 

 

 

「――風邪など、引かぬようにな、メアリ。また会おう……私達の、花園(アヴァロン)で」

 

 

 

 

 

 なお――寝苦しさに寝返りをうった止水のせいでずり落ち、尻を強かに打ちつけたエリザベスが『キャン』と悲鳴を上げ……真っ赤な顔で拳を固く握るのは、英国の沖合数キロ先。大きな爆炎が咲いたのと、ほぼ同時であったそうな。

 




読了ありがとうございました!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。