境界線上の守り刀   作:陽紅

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十七章 『 Save you from anything. 』 中編

 

 

 彼は走る。

 

 今出せる全力で――しかし、本人からしたら、なんとも情けない全速で……ただただ、走る。

 

 

 ――きっと、彼女は泣いているだろう。一人ぼっちで……そんなことは全然ないのに、自分を卑下して……うつむいてしまう人だから。

 

 

 先ほどまでの祭りのにぎわいが消え、その騒いでいた面々が、己の身に紡がれた緋色の流体帯に瞠目し……ついで悔しそうに唇を噛むか、苦みの強い苦笑を浮かべるか。

 

 

 そんな様子を横目に、走る。

 

 きっと、人が少ない場所――でも、明るい場所。以前の祭りの時と、状況は同じだろうから、きっとその条件にあてはまる場所に彼女はいる。

 ……その最中、知らず知らずの内に、自分でも気付かぬ内に焦っていたからだろう。角を曲がろうとして、向こうから曲がってくる気配に気づくのが遅れた。

 

 

 咄嗟に回避しようと足に力を込めるが……鈍った脚ではそれが叶わない。

 

 

 結局ほとんど減速もできず、速度そのままに衝突した。

 

 

「むっぷ! す、すみませっ」

 

「っと……いや、俺の方、こそ? あれ、お前……宗茂か?」

 

 

 上から来た声は、聞いたことのあるものだった。

 

 立花 宗茂の名を世界より襲名……していた青年が――男一人が衝突して、しかし微動だにしていない止水に受け止められていた。

 

 

「止水……さん」

 

「よっ。久しぶり、でいいのか? ……ちょっと痩せたか?」

 

 

 止水は、かつて対峙した宗茂の姿と今を比べ、彼の肉が少し落ちていることに気づく。

 鋭かった動きにもどこかキレがなく――両足の治療に専念していた時間は、残酷なほどに神速の名を鈍らせていた。

 

 

「はは……情けない限りです。『いずれ試合を』と私から申し込んだのに、私はこの体たらくで」

 

 

 ――見られたくない人に見られてしまいましたね……と、本心を隠しながら宗茂は苦笑する。

 術式による長期休眠の際、自分の世話をしてくれていたのは彼女だろうから、衰えているのは知っているはずなので、彼女には隠しようがなく、そもそも隠すつもりもない。

 

 

 だが二人。一人は本多 二代。そして特にがつくもう一人である目の前の男……守り刀の止水にだけは、出来れば、見られたくなかった。

 

 それが男の意地なのか、それとも武士(もののふ)としての意地なのか。どちらがどちらに向けてなのかは、この際置いておくとして。

 このままで終わるつもりが、微塵にも、毛頭にもないにしても――この弱った姿での再会は、少々堪えるものがあった。

 

 

「そういや、あの時はたしか、二代のせいで脳天頭突きで終わってたからなぁ……俺ら」

 

 

 そんな宗茂の苦い感情を知ってか知らずか、あの日のあの時を思い出して、止水も苦笑を返す。

 

 そんな苦笑のまま止水は何を思ったのか、左の拳を出してきた。

 

 

 

 ……大きく無骨な拳骨は、宗茂と止水の間で止まる。

 

 

 ――拳を見、止水を見、それを二順して虚をつかれた顔の宗茂に、止水は笑う。

 

 

「仕切り直そうぜ? ――戦う者が『いずれ試合をしよう』ってんなら……ぶつけんのは頭じゃないだろ?」

 

 

 笑う止水は、それを結構頻繁にやっている。主には点蔵やウルキアガ、シロジロといった男連中だ。以前、自分から勢いをつけたくせして自滅してのた打ち回り、それ以降はチョップで返すようになったトーリという全裸がいたが気にしない。

 

 ……女衆が見れば、きっと、その合図を男臭いと言って苦笑するだろう。

 

 

 ――ゴッ、と。誰が聞いても痛そうだと感想を抱く音を鳴らして、拳はぶつかり合った。

 

 

 

「……いずれの試合に、()()()()()()。お茶でも飲みながら待っていてくれますか?」

 

「Jud. でも急げよ? ――俺の行きつけの茶屋は、結構な速さで()に進んでるからな?」

 

 

 

 待っていると言いつつ、先へ進むという止水。言った言葉は矛盾しているが、それこそが正解だった。宗茂の眼には力がもどっている。そして、その血は熱き熱を帯びているのだから。

 

 

 両雄とも拳を突き付けたまましばし笑いあい、宗茂が忘れて()()()()()本来の目的に意識を戻した。

 

 

「ところで、止水さん。誾さんを見ませんでしたか? 総長から『武蔵に残った』と聞いて飛んできたんですが……」

 

 

 それを聞いてまた突っ走り出した宗茂に、総長以下数名がそれ以後の言葉を大量に言っているのだが……どうやら彼には届いていなかったらしい。

 

 

「立花……? ああ、それならさっき見たぞ? なんか向こうで火の番してたけど――……ん?」

 

 

 それだけを聞くと、男は短く礼を言ってまた走り出す。

 

 止水がなにやら首を傾げながら、心なしか軽く、確りとした足取りで進んでいく背を見送り。

 

 

「あいつどうやって……? いや、まあいっか」

 

 

 『 宗茂がどうやってこの短時間で三征西班牙(トレス・エスパニア)本国から武蔵までやってきたのか 』―― という、疑問が浮かんだが、すぐに消えた。

 そんな細かいことは、止水にはどうでもいいらしい。

 

 

 なお補足すると、不可能そうだが実際は簡単な話なのである。

 アルマダ海戦が始まる前に目を覚ましていた宗茂が、『おい、決闘(デュエル)しろよ』宣言を残していった誾を心配して診療所を『脱走』。

 

 そのまま英国へと向かったのだ。

 

 さすがに海戦自体には間に合わなかったものの、色々なものを飛ばしに飛ばして帰還中のセグンドたちに合流。そして現在に至るわけである。

 

 

 なお、これは余談だが――『誾さん愛してますアモーレ』の、一息五連呼かつ一定声量の解放条件を、男宗茂。なんと一回でクリア。ある意味で誾の予想の上を行ったことになる。

 

 

 

 

 ――そんな彼の背を見送り、遠ざかっていく足音を聞き――止水は、代わって近づいてくる足音に気付いた。酔いがあったせいかどうかはわからないが、気付くのが随分遅れたらしく、すでにその距離はかなり近い。

 

 

 足音の質が変わる。最後の踏み込み、飛ぶ為の力を込めたのだろう。ちなみに、相手はどうやら素足のようだ。

 

 

 

 ……振り返る。迫ってくる影は、若干高い位置にあった。

 

 

 

 

 

「ッダ、ムゥゥゥウウウ!!」

 

 

 

 

  『 全裸の馬鹿 』が 現れた !

 

 

 

  たたかう  どうぐ

 

 →よける   ちぇりお

 

 

 

 ――刹那にも迷うことなくしゃがんだ止水の真上を、全裸が奇声をあげながら通過していく。

 受け止めてもらえると信じて疑っていなかったのか、着地のことを一切考えていなかった全裸は、ビタンと大変痛そうな音を全身を打ち付けて奏で、数メートル先の甲板上でゴロゴロのたうち回っていた。

 

 

「よ、トーリ。アルマダ海戦お疲れさん」

 

「て、てめぇこのやろう、この現状をサラッと流す気だな……! 受け止めろよ! 『長い間会えなかった恋人と再会した』って感じで!」

 

 

 トーリにそう言われ、一応想像してみる。が、しかしそれがどんな感じかさっぱりわからなかったので、とりあえず聞き返してみることにした。

 

 

「お前さ、全裸の男がいきなり飛びかかってきたら、どうする?」

 

「あん? んなもん避けるに決まってんだろ? 何言ってんだよ!」

 

 

 ――自分のやったことが正しかったのか誤っていたのか、それすらもすでにわからなくなっていた。

 

 

「……。まあいいや。で、お前は何しに来たんだ? 悪いけど、姫さんの居場所なら俺は知らないぞ?」

 

「おう。ホライゾンなら大罪武装のあれやこれやで休眠状態だぜ! ……おやすみ、って言いながら俺のコカーンにスマッシュるの、やめてくんねぇかなぁ……」

 

(……時々、唐突に意味不明な矛盾発言するの、やめてくんねぇかなぁ……)

 

 

 割とガチな声音のトーリ。芸能の術式で攻撃を『ツッコミ』として受けることでノーダメージにできるトーリだが、唐突すぎてボケの蓄積が足りない時があったりするらしい。

 ――あと五センチずれてたら、と言って内股でブルリと震えていた。

 

 

 はぁ、と同じタイミングで溜息をつく二人は、やはり幼馴染なのだろう。

 

 

「っといけねぇ。本題忘れてたぜ。おいダム! 戻ってきてたんならおめぇ、顔出せよな顔! 皆なんだかんだって待ってたんだぜ!?

 ってなわけでほーれ行くぞー!」

 

 

 と、声高に叫び、後ろに回って止水の背を押す。

 

 

 軽く押す、動かず。

 

 ……力を込めて押す、動かず。

 

 ――全力&全体重をかけて押すが、体重と圧倒的なまでの力の差で、止水は微動だにせず。

 なお、念のため言っておくが、止水が悪ふざけや意地の悪い思考でそうしているのではない。

 

 

 

「……あのさ、トーリ。お前が押してる方向にみんなの気配ないけど……あっちでいいのか?」

 

「……おめぇ、それ、もうちょい早く言おうぜ」

 

 

 

 一分。それが長いか短いかの判断は諸兄に任せるとして。

 

 ……トーリが疲れ切るのには、十分な時間であったことは確かだ。

 

 

 

―*―

 

 

「おー、なんだ。みんな結構揃ってるな」

 

 

 デカイ馬鹿に担がれた全裸な馬鹿が向かった先は、現在、武蔵で一番熱気のある場所だった。

 

 無数の篝火が夜を照らせとばかりに炎を躍らせ、武蔵に残った商人たちが逞しく出店にてボッタクろうと勤しんでいる。賞味期限ギリギリを堂々と宣言しているのは丸べ屋のシロジロとハイディだろう。

 

 

 大火の前にも見知った顔が集まっている。その中で、見慣れた白装甲の半竜が五体投地しながら(オトコ)泣きをして――そういえば今日、あいつの誕生日だったっけ、と思い出し……しかし感動ではなく、明らかに悲哀の涙を流している半竜に止水は首を傾げた。

 

 

『来たわね止水のオバーカッ!!!』

 

 

 キィイイン――と炸裂した強烈なハウリングに、現場の一同は揃って耳を押さえて発()元に非難のジト目を向ける。

 その犯人である喜美は手にしていたマイクを見つめ、何故か隣で鍵盤を叩いていたネイトに一度視線を送り、その後に逆隣で軽琵琶を弾いていた智の胸に勢いよく差し込んだ。

 

 

――「ひゃぁあ!? ちょ、冷た、いきなり何するんですか喜美!? え、あ、待ってこれ挟まって抜けないんですけど……って三要先生どちらへ!? 三要せんせぇー!?」

――「……喜美? あとでちょっとOHANASHIしませんこと? 時間は取らせませんわよ? 五秒で終わりますわよ……ええ色々と」

 

 

 舞台の上にいるのは、梅組内で結成されている音楽グループの一つである『きみとあさまで』の三人だ。今回のボーカルは喜美だったらしい。現在は睨み合っているが、盛り上がっていた名残を鑑みるに即席でライブでもやっていたのだろう。

 

 早めにくればよかったな……とこっそり残念に思いながら輪に加わった止水が、ふと気付く。……その横を三年竹組の女教師が走り去っていった気がしたが、隅の方で大酒飲んでいる担任に倣ってそっとしておくことにした。

 

 

「……なぁ、なんでネイトが俺の高襟つけてんの?」

 

 

 一触即発……ズドンドカンズパンの擬音祭がいまにも……といった雰囲気が、その一言でピタリと止まる。正確にはネイト一人がピタリと止まり、ほかの二人がニヨリ・ニヤリと笑みを浮かべたのだが。

 

 ――危機察知能力が高い梅組面々が、密かに止水の後ろに移動を初めていたのは……まあ、いつものことなので置いておくとして。

 

 

 いつも止水の顔の下半分を隠している高襟。持ち主の記憶が正しければ、血で汚れたのを目敏く発見した喜美に奪……取られ、洗っておくと言われてそのままだった品だ。

 

 ――それは現在、ネイトの首元で、かなり緩めて着けられている。もともとの布地が大きいため、小柄なネイトが付けるとスカーフのようにも見えた。

 

 

「……そういや、さっきっからなんか変だなぁって思ってたら、それかよ。っていうかダムが渡したんじゃねぇの?」

「いやいや、流石に自分が着けてた物をそのまま渡すとかしないよ。……臭いとか思われたら嫌だし」

 

 

 ボソッと呟いた一言だったが、意外と響いて全員に聞こえた。

 

 それをむしろ堪能してました――なんてことが言えるはずもなく、首元の緋色より顔を真っ赤にしたネイトが押し黙る。

 

 そして、その緋色は遠目に見ても洗濯されたようには見えない。汚れているわけではないが、緋のところどころに赤がまだ残っているのが見て取れる。

 

 

「――とりあえずネイト、それ返してくれ。……どうにも、首まわりが落ち着かなくってさ」

 

 

 ので、服飾関係に無頓着と太鼓判押されている止水が、血で汚れてようがなんだろうが、返却を求めるのは大体の面々が予想できた。

 

 

 

「…………(フイッ」

 

 

 その止水の言葉にしばし動揺して迷いに迷い、なんとか作ったすまし顔で騎士が取った行動は、なんと顔を背けて『知らん振り』。

 

 

「……おい、ネイト? 返……」

 

「……(フイッ!」

 

 

 今度は全身を使って顔を背ける。

 なぜだろうか――葵家の近所の山田さん家のジョセフィーヌが似たような仕草をしていたのを、ふと止水は思い出した。

 

 ……お手すら嫌がるジョセフィーヌは今どうしているだろうか。

 

 

(おかしいな……酔ってんのかな俺)

 

 

 頭を振る。ジョセフィーヌは今はいい。今は高襟だ。落ち着かないというのもあるが、守りの術式を介して突発的に来る痛みには、未だに顔をしかめてしまう。それを隠すのに必要なのだ。

 

 

 そう思って意識を戻せば、ジリジリと距離を取っている騎士がいるわけで。

 

 

「あのー、ネイトさん? マジで返して?」

 

 

 平時は基本被害者組の止水は、長年の経験から『早々に諦める』という選択肢をよく取るのだが、今回は止水もさすがに粘る。

 

 

 

「……き」

 

「「「き?」」」

 

 

 

「き、喜美や正純ばっかり――その、そう! ズルいですわ! 私より先にそちらの回収をすべきではないんですの!?」

 

 

 

 ……コイツも酔っ払ってるんじゃなかろうか、と本気で止水をはじめにした一同が思っても、仕方がないかもしれない。初等部の子達でももう少しマシな言い分を言うだろう。

 

 確かに前者には着流しそのものを奪われ、後者にはいまだに刀の鞘を貸している。

 ネイトが言っていることにも一理……はあるかどうか正直微妙なところだが、まあ一理はあると仮定して、仮定してもそれとこれとは話が別な気がしないでもない。

 

 ……一縷の望みをかけてその指名された二人に視線を向けるが――

 

 

「「だが断る」」

 

 

 ――この様だ。

 

 雰囲気に当てられてるのか、転がっている酒瓶の所為か――それとも、とうとう武蔵の芸風に染まりきったのかはわからないが……正純が喜美と言葉を被らせるなど初めてではなかろうか。

 

 

「いや、断るなよお前ら……特に正純。お前の場合、いくら俺の術式の中にしまってるって言っても刀一本がむき出しのまんま――って聞けよ」

 

 

 

 姉と政治家が示し合わせたようにそっぽを向き、それに止水が肩を落とせば、何故か騎士が勝ち誇った顔をする。

 

 ……周りは苦笑しているか楽しげに見ているだけで、援護はまず望めそうにない。

 

 

 

(……あー、この空気、喜美に羽織り持ってかれた時と同じだなぁ)

 

 

 懐かしい。そして、その羽織りは仕立て直され、終ぞ自分の元に戻ることはなかった。……つまりは、そういうことだろう。

 

 

「……どうしてこう、俺の周りの連中は、俺のものを平然とぶん取っていくのだろう?」

 

 

 ジンケンってなんだっけかなぁ? と止水がつぶやけば、少し遠くから、時と場合と状況如何では無視するものよ! と担任のアマゾネスが綺麗に合わせてくる。……御高説失敗で持って行かれた厳罰(緋の雫)も、無視された結果なのだろうか。

 

 誾が考えた『武蔵の公的財産』がひどく現実味を帯びてきていた。考えた当人も、そして当事者も、全く至り知らぬところであったが。

 

 

 

「ったく……」

 

 

 頭をがりがりと掻き――深い、深過ぎるため息をついた止水は、肺を空っぽにする。次いでいっぱい満たして、苦笑を浮かべる。見渡せば、同じような苦笑か、笑顔があって。

 

 

 そして隣では、いつもの脱力を齎す笑みを浮かべて、同じように周りを見ている王がいた。

 

 

 

「――なあ、王様」

 

「――おう、なんだ刀」

 

 

 

 高襟がないので――隠れていない顔で、止水は笑う。

 

 

 

「……やっぱり俺は、()()()()がいいな。――うん」

 

「おいおい……今更、何言ってんだ。武蔵の刀(それ)が出来る奴なんか、お前以外にいねぇよ」

 

 

 

 笑う。

 

 笑って輪の、さらに内へ。

 

 

 難しいことは数多にあるが――今宵だけは、バカらしく騒ごうと。

 

 

 

 

 ――そうは問屋が、下ろさなかった。

 

 

 

***

 

 

彼女は 大きな声を、出せないから

 

彼女は 強く言うことも、できないから

 

 

 だから

 

 

『私』が代わりに、むっとする。

 

 

 

 配点 【おこ、って、る……よっ?】

 

 

***

 

 

 

「……んで、今どんな気分だい? 止めの字」

 

「ん? ああ、直政か――とりあえず、そうだな。……武蔵に戻ってから呑気に酒飲んでた自分に、全力で鈍の終式を連撃でたたき込みたい、かな」

 

 

 それ全力で殺しにいってるじゃないさ、と直政は煙管を一息吹かして苦笑する。苦笑するが、この男なら……という納得の様な理解もしてしまった。

 ――胡坐で座る、男の腿。そこに乗る寝息は二つあった。

 

 

 喧噪の中心に進もうとした王と刀の足を止めたのは、緋衣の裾を握った鈴だった。

 ……何も言わず、ただプクリと両頬を膨らませて……精一杯の『怒ってます』を伝えようとしている、現在の寝息の一つの主である、鈴だった。

 

 

 ――その圧倒的攻撃力を視界に入れてしまった梅組の数名が刹那の間にやられ、そして、珍しく……怒りの意思を込めて、責めるような鈴の声に、目を大きくして呆けた。

 

 

 ……違う、と。

 

 ……武蔵に戻った止水(あなた)が、真っ先にしなきゃいけないことは、それじゃない、と。 

 

 

 

 その言葉を思い出し……鈴が枕にする足と、逆の足。

 

 ――そこに乗った、少し癖のある金髪に、止水は手を乗せる。

 

 

「……一番頑張ってくれたの、お前だったのにな。アデーレ」

 

 

 

 アルマダ海戦。武蔵にてその全指揮を執った、従士の少女。

 本来軍師の役を負うべきネシンバラが使い物にならず、直接の上役であるネイトも騎士であるが故に『傭兵』となる武蔵で戦闘することができず。

 

 海戦前から武蔵中を駆け回り、全部隊の調整と開戦時の航行計画、指示系統の整備などの総括を一手に引き受け……アルマダ海戦でも、レパント海戦の英雄相手に、ギリギリながらも武蔵を守り切ったのだ。

 

 

 鈴は、何度も何度も危機的な状況になったという。その度、アデーレは泣きそうになるのを必死にこらえて、ギリギリのところで凌いだのだ。

 

 

 ――止水が十年、守り続けた武蔵を守るために。

 

 ――止水が帰ってくる、この武蔵を守るために。

 

 

 

 ……なのに帰ってきて、どうして一番最初に来てあげなかったの? と。

 

 

 そう涙ぐみながら責める鈴に、一番驚いたのが当人であるアデーレだったのだから、直政は苦笑を隠しきれない。アデーレが甘酒を盛大に吹き、慌てて鈴を止めに行って、止水からゴメンやらありがとうやら――ただいま、やら。

 

 

 それらの言葉を聞いて……ずっと張り詰めさせていた緊張の糸が、本当の意味で解けたのだろう。

 

 

 

 ――足が力を失い、尻から座り込んだアデーレが、僅かに耐えて……しかし耐えきれずに声を上げて泣いた。口を結んで飲み込んだ弱音や、必死に抑え込んだ涙が、一気に溢れてきたのだろう。

 それに釣られて鈴も泣き出し、オロオロとする止水に縋り付いて大泣きすること数分――止水の膝を枕に、二人が泣き疲れて眠ってしまった……というのが、これまでの流れだ。

 

 

 そして、そんな二人を起こすまいと慮ってか、梅組の面々は少し遠い場所で騒いでいる。

 

 ……頭に手を置かれたアデーレは、少し赤い目元でニヘリと笑って、また眠りを深くしていった。

 

 

「そうして見ると、アンタ、兄貴ってより父親さね」

 

「はは、同い年の親かぁ……なあ直政。俺って、そんなに老けてるか?」

 

 

 正直どうでもいい、という顔で聞いてくる止水の苦笑顔を、直政は改めてよく見てみる。顔のほとんどを隠しているので普段は目元くらいしか見れないから、輪郭の全てを見るのは少し新鮮だ。

 

 その止水は直政の客観だが老けては……いない。美形というよりも、素朴と精悍が良い感じで混ざり合ったという男の顔だ。

 そも、父親と喩えた直政は老け云々ではなく、並の大人と比べてもずば抜けて高いその安定感を見て言ったのだが……一々説明するのも気恥ずかしいので煙管の一吹きで間を作る。

 

 

「まあ――、大木ではあるさね」

 

「……なんでそこで木?」

 

 

 

 人間どころか動物ですらないの俺? と頬を引きつらせる男を女は無視した。

 

 ……最初にそう例えたのは、確かそこで寝ている鈴だったか。『巨きな樹』……直政はこれを最初に聞いた時、大いに納得したのをまだ覚えている。

 

 

 梅組には、個々の様々な理由があって実年齢より精神年齢が高い面々が結構いる。が、しかしその反面、そういった連中こそ不安定な者が多い。

 

 

(喜美とか、アサマチの方が一番いい例かね?)

 

 

 想像の中で馴染みの巫女が物申してきたので鼻で笑っておいた。

 あの辺の精神年齢高めの女たちが止水にからむと、途端に年相応の()()()になるのだ。……最近は無くなったが、少し前まで週二・三回の頻度でテレ隠しズドンがあったほどである。

 

 そして現在、止水の膝を枕にしている二人は安心しきっており、アデーレなんて正直女子として人に見せていいのかを躊躇わせる垂れっぷりだ。鈴はいい夢でも見ているのか、時折幸せそうな笑みを浮かべている。

 

 

 

 

 ――「……武蔵野、静止画の撮影は順調ですか? ――以上。」

 

 ――「Jud. 完璧です。問題などあるはずがありません。――以上。アデーレ様と鈴様に膝枕される止水様……少々羨ましなんでもありませんハイ。武蔵様は動画の撮影に全力を。――以上。」

 

 ――「……武蔵野はしたい側でしょうか? それともされたい側でしょうか? ――以上。」

 

 ――「!? え、ええそそそそれはその……あ、な、直政様が何かなさいますよ武蔵様! ――以上!」

 

 

 

 

「……止めの字。ちょいと背中借りるよ」

 

 

 返事は、待たなかった。

 

 地べたに直接座る止水は、丈の長い緋の着流しを上手いこと広げて、膝を枕にする少女二人の()()にしている。

 その為か、当然背中側はガラ空きになるわけで……。

 

 

「よっと……」

 

 

 

 直政はそこに腰を落とし……止水の背中を背凭れにして、寄りかかる。

 ……少し勢いがついたが、流石止水というべきだろう。アデーレたちには僅かほどの衝撃も行っていない。その上、慣れているのか無意識かどうかはわからないが、僅かに上体を前傾させることで直政にとって丁度良い角度を作る。

 

 

 その止水が何? と問う前に、彼はそれに気づいた。

 

 

 

「ん? ……直政、煙管の葉変えたか?」

 

「……。

 

 えっ? あ――お、おう。ちょっとあってね。知り合いから分けてもらったっていうか、なんというか」

 

 

 直政は、あまりに早く指摘されたことに、その煙管を落としそうになる。……時間がかかるか、最悪気づかれないかとも思っていただけに驚きは大きかった。

 

 

 それの提供は……英国在住の、世話焼きな某海賊女王だ。

 

 彼女自身もそれなりの愛煙家らしく、しかし臭いが……と気にして独自に調合したらしい。様々な花の花片を薬液に浸してから乾燥させて〜という長々とした行程を説明されて、その上で健康に害がないどころか健康やら美容にいいと余計な宣伝もニヤリとされて。

 

 

(狙ってるさねありゃ絶対。……()()()とか、アタシに似合うかってーの。しかも……)

 

 

 

 さらにニヤリと笑い、耳元で伝えられた『技』を思い出して、直政は僅かに頬を染める。……絶対に楽しんでやがるあの木精海賊。なにが『朗報を期待する』だ。

 

 

 

「これ……花か? 珍しいな。まあ……そう言えるほど煙管に詳しいわけじゃないけど」

 

「正解さね。……まあ、試供品というか、試しにって言うんでね」

 

 

 直政の普段愛用している葉はキツめのメンソール系の匂いのもの。だが今香るのは、どこか優しくも感じる……まさしく花だ。

 

 

「あー……変、か?」

 

「……? いや、良いんじゃないか? 俺は普通に良い香りだと思うけど」

 

 

 ――背中合わせで良かったと、直政は心底安堵する。いらない助言に従って隣にいたら、きっと、今の緩んでいるかもしれない顔を見られていたかもしれないから。

 

 だが、だけど……。

 

 

 

「なあ、止めの字。アタシも一眠り良いかい? ……アンタの背中、妙に温くて眠くなっちまったんだけど」

 

 

 

 ――この距離は、この近さは……まあ、悪くないさね。

 

 

 

「え? お前も寝るの? ――いや、ほら。流石に俺もキツイっていうかそろそろ休みたいかなーって……」

 

「ん、おやすみ」

 

「……いいかどうかを聞いた意味、ないよなこれ……?」

 

 

 

 両足を投げ出して、脱力させた体を後ろへ預ける。……なんだかんだと言いつつ、黙って受け止める背中に満足して……しかし、万が一にも逃げないように、左手で緋衣の端を握り捉えて。

 

 

 

 ――ため息と苦笑交じりの『おやすみ』を最後に聞いて……朱雀は静かに、寝息を立てた。

 

 

 

 

 《余語》

 

 

「で、結局。全員集合してんじゃん……」

 

 

 いびきが聞こえれば寝息も、寝言も聞こえる。騒ぎ疲れた面々が、花の香りで気を落ち着かせ、思い思いに眠りだす。

 

 至宝を姉が抱きつつ枕をちゃっかり共有し、騎士が従士の頭を労うように撫でて敷布の緋衣の領域で丸くなり。半竜と忍がなにやら言い争いながらやってきて、それをズドンをチラつかせて巫女が黙らせ。その様子に幸せそうに寄り添う白百合がいる。出遅れたと悔しがる金翼と黒翼が飛んできて、守銭奴夫婦が安全圏で身を寄せ合って。

 

 ……一人、二人と増えていったが……最後に眼を閉じたのが、中心にいた刀である事を知っている者は、誰もいなかった。

 

 

 

 長い夜が明けていく。夜明けの海上を、傷も数多の武蔵が進んでいく。

 

 

 

 ……目指すは、『出雲』。新たな力を得るための、『選択の地』だ。





読了ありがとうございました!

次回で英国編、完結致します!

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