境界線上の守り刀   作:陽紅

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五章 刀、挑む 【結】

 

 

 

「くっ! 全艦上昇! IZUMOの崩落に巻き込まれるな! 双嬢の二人はアデーレ君の回収を急いでくれ! くそ、視界最悪だなっ! それ以外の人は葵君と止水君の所在確認急いで! 二人とも無駄にしぶといから生きてはいるよ!」

 

 

「言われなくても急いでるわよ! マルゴット! アデーレはこっちで掻っさらうからあの百合男子に牽制射撃よろ――ん? ちょっと待って……利×成? 成×利? 百合じゃなくて薔薇じゃないの!?」

「……。えっと、ガッちゃん? 落ち着いてね? ブレないのはわかったから、うん。とりあえずヘルリッヒっ!」

「うおー! 救援! 救援マジ感謝ですよ! この人さっきから『マジ564』な眼光で睨んできて、って……あれ、あの第四特務? 自分拾ってくれる感じじゃないんですかこれ!? 援護よりも離脱をー!」

「――え? あ、ごめん考え事してた」

「待ておら逃げんなぁぁあ!」

「うっさいわよヤンキー! 同人誌にするわよ!? 受けか攻めくらいなら選ばせてあげるからそのまま落ちてなさい!」

 

 

 騒がしいですわね、と。嫌な脅しですわね――という二つの感想を苦笑に表し、ネイトは惨状となった戦場を、上昇を続ける艦上から見た。武蔵の高度が上がれば上がるだけ視界が広くなり、その被害の大きさがわかってくる。

 

 

 天変地異、自然災害と言っても過言ではないだろう。むしろ、人為的ではあることがまず信じられない惨状だ。

 あの鉄塊の群が戦場ではなく武蔵そのものに落ちてきていたら……と仮想しただけで全身に鳥肌が立った。

 

 その飛んできていた鉄塊は弾切れなのか現状止んでいる。ガラガラと崩れていく音と、崩れた先で巻き上がる大量の砂塵と武蔵が発生させる仮想水面の水煙のせいで、ネシンバラの言う通り視界は最悪だった。

 

 これでは智の義眼『木の葉』での目視確認は少し難しいだろう。ならば音……鈴ならばと候補を上げるが、彼女は武蔵の運航と周囲の警戒に集中してもらうべきだ。

 

 消去法ではないが、現在動ける人員の中で視界最悪な現場での探索に向いているのは、嗅覚に優れた自分だろう。

 

 

 その判断を『建前』とし――ネイトは意を決した。

 

 

「……あら、行くの? ミトツダイラ」

 

「Jud. あまり、ノンビリとはしていられないでしょうし……ワタクシなら、匂いで大まかな位置くらいならわかりますもの。適材適所ですわ」

 

 

 唐突に来た喜美の問い掛けに、ネイトは少し揺らいだが、すぐに立て直す。

 トーリの匂いでわかる――というのは本当だ。同じ洗髪料を使っている喜美やホライゾンの髪と、同じ匂いを探せば良い

だけなのだから、獣人系異族のハーフであるネイトにとっては造作もないことだろう。

 

 だというのに、近場にいた梅組の一同は僅かに緊張するような、その上で、大丈夫なのか、と心配するような視線を送ってくる。事情を知らないだろう正純とホライゾンが(主に正純が)、そんな一同の急な変化に目を丸くしていた。

 

 

「ミト、その……無理、してませんか? トーリ君の回収は確かに急ぎですけど……止水君になんとか連絡を取れれば……」

 

 

 智がそう代案を上げるが、言っていて自分自身厳しいと思ってしまったのだろう。途中から力を失って、そして最後まで言い切ることはなかった。

 

 

 止水は強い。武力において、彼は不動の武蔵最強だ。

 

 だが、止水はなにも『ただ強いだけの単騎戦力』というわけではない。

 駆ければ速く、運べば多く、耐えれば長く、探せば容易く――方々に特化した面々にも引けを取らない能力を持っているのだ。

 

 智の言う通り止水に一報を入れれば、トーリを回収して戻ってくることもさほど難しくはないだろう。

 

 

 ――だがそれは、彼が万全の状態ならば、という注釈が付く。

 損傷と損耗。現在『どの程度の』という明確な判断ができないが、『これ以上無理をさせるべきではない』というレベルであることは確かだ。

 

 ……先ほどの鉄塊の雪崩を起こした存在が、これからどう行動を起こすか全くわからないというのもある。あれと同等のことがもう一度起きたとして……そして、武蔵に直接被害がきたとして、対抗できるのは歯がゆい事に止水しかいない。

 

 

 ならば、止水にはそのまま武蔵まで戻ってもらい、僅かでも回復に努めて有事に備えてもらうべきだろう。トーリの回収はこちらでも十分にできるはずだ。

 

 

「ふう……止水のおバカが戻ってくる途中で、偶然愚弟を拾ってたら言うことないんだけど――」

 

「『そんな都合のいい偶然あるわけないでしょう』って普通なら言い返すんでしょうけど……あの人の場合言い切れないんですよねぇ。結構な頻度で『丁度偶々偶然にも!』ってやりますから……良くも悪くもですけど」

 

「『おお、そりゃよかった』か『あ、やべ、やらかした感じか俺』のどっちかだものねぇ。ニコッて笑うか苦笑して青ざめるか……まあ、今回は流石にその高確率偶然に頼ってられないものね」

 

 

 だから……と言って、喜美は膝と腰をそれぞれ少しづつ曲げる事で頭を僅かに下げる。

 

 

「ほら、匂い。しっかり嗅いで覚えなさい? 今日は香水使ってないから、同じ匂いのはずよ?」

 

「……あの、喜美? その行動は確かに間違ってはいないんでしょうけど、貴女そこはかとなくワタクシのこと犬か何かだと思ってません……?」

 

 

 確かに、記憶にある匂いよりも、直前に嗅いだ匂いならばその精度は上がる。間違っていないのだがどこか釈然としない。ほら早く、と急かされるまま、少し下がった喜美の横顔に顔を寄せる。

 一度二度嗅ぐが、覚えている匂いと差異はない。風向きやら距離を合わせれば、この程度の空間ならば十分に探せるだろう。

 

 ――周りの連中で『犬だ……』という引きの動きをしている者の顔は覚えた。事が終わったら覚悟してもらおう、と余計な決意をする。

 

 

 

「……頼むわね? 愚弟のこと」

 

 

 そんな決意を新たにするネイトの耳に、小さな声が微かに届く。唇はほぼ動かず、声帯もほとんど震えない。

 

 極至近にいたネイトでさえ聞き逃しそうなその微かな呟きだが、しかし確かに、その言葉を騎士は聞き取った。

 

 

(喜美らしいですわね……)

 

 

 不器用な女だ。高慢で傍若無人、プライドの塊のような女。素直に頭を下げることができず、こっちを犬扱いさせないと頼むことも出来ないのかと。

 

 だが、ネイトはそもそも騎士だ。王の危機に馳せ参じるのはそもそも彼女の義務である。……故に、愚弟()を頼む、という言葉は、ネイトにしてみれば今更なことである、言われるまでもないことなのだ。

 

 喜美は、そのネイトの決意を()()()()()

 

 ……だが、それでも一芝居打ってでも、伝えたかったのだろう。大切な家族を、たった一人の弟を頼むと。

 

 

「――では、行って参りますわ」

 

 

 返事はしない。返事をして、万が一にも周りにバレればこの女のことだ……いろいろとやらかしてくるだろう。

 

 

 銀鎖の一本を縁にある突起に絡ませ、空中へ身を投げる。――かつて、八年前を思い出して身体が緊張して硬くなるが、歯を食い縛って無理矢理に解いた。

 

 危なげなく着地を決めて、瓦礫だらけの足場に顔を顰めながらもネイトは走り出す。

 トーリが飛んで行った方向は把握している。崩落分も含めて結構な高さだが、芸能系主神と上位契約をしているトーリならば、攻撃や諸々の被害をツッコミとして無効化できる『ボケ術式』で事なきを得ているだろう。

 

 その予測を裏付けるように、トーリの始動で表示枠が開いた。

 

 

 

俺  『……っは!? ここはトーリ!? 私はIZUMO!』

 

出雲組『中立やめて武蔵の敵になることも辞さない覚悟決めていい?』

 

俺  『き、切り返しが早いなIZUMO! ゾクゾクするぜ! まあいいや、おーい、レスキュー! レスキュープリーズ! 周り全然見えねぇからここどこかもわかんねぇぜ! ……軽く気絶してたっぽいなー』

 

あさま『あ、Jud.トーリ君無事ですね。じゃあもう気絶してていいですよ? そっちの方が静かですから』

 

俺  『……えっと、俺だけ? 『やだこのズドン巫女なに言ってるのかわかりましぇん』って感想抱いてんの。ズドンしすぎてとうとう『新鮮な的』か『厄介な的』か『もうヤッた的』の三――』

 

 

 おそらく気絶ネタだろう。本当に気絶していたのかもしれないが、なにはともあれ無事のようだ。……ズドンが幾度か、走るネイトの頭上を飛んで行った。この先にトーリがいるようだ。大凡の方向は合っているらしい。

 一拍おいて、途切れた音声チャットが更新された。

 

 

俺  『か、かすった! かすったぞおめぇ! 避けてかするって事は避けなきゃズドンじゃねぇか!? つーかなんで見えてんだYO!? おめぇ『全国思春期男子の欲しい特殊能力第一位』の透視とかできたっけ?』

 

ホラ子『トーリ様が時折いろいろな方をド凝視なさっているのはそういう理由でしたか。浅間様、あの辺に撃てばいかな宗茂砲といえど当たる感じでしょうか?』

 

 

 また一拍おいて、今度はわぁっ、と後方で騒ぎ。……ホライゾンが冗談ではなく本気で『悲嘆の怠惰』の射撃体勢を取ったのだろう。そして周りの面々が抑えた――までが一連の流れだろう。

 

 

⚫︎ 画『透視ねぇ、私もそれほしいわ。できたらその辺の連中がタダの参考資料になるんでしょう?』

 

守銭奴『金は払え。その方が後腐れがなくなるからな――そしてナルゼ。ここに偶然にも身体測定の折に写ってしまった金ヅル共(男)のゲフンゲフンがあるのだが』

 

眼 鏡『トゥーサン・ネシンバラのをあるだけくれる? 言い値でいいよ』

 

男 衆『やだこいつらなに言ってるかわかりましぇん』

 

 

 

 

副会長『脱線してるってわかってるのに爆走するなぁ! あー、葵。いまそっちにミトツダイラが回収に向かってる。だから、動かずに適当に目立つようになんかしてろ』

 

俺  『芸人に『適当になんかしろ』って、挑戦だな? おっけぃ受けて立つぜセージュン! って、え? ネイトが来てんの? ――そっかー。うん。よし。ちょっとマジでやるぜ!』

 

 

 

「温度差がとんでもないですわね……」

 

 

 全力の八割ほどで駆けているので少しばかり余裕があるネイトは、仲間たちのやり取りに苦笑を浮かべる。

 温度差――自分と皆の、というのもあるが、状況に対しての対応云々でも凄まじい差があった。武蔵の沈下に始まった怒涛の状況変化……その直後だというのに、こうも容易く平常通りにふざけられる。

 

 一つ一つ……そのどれもこれもが、ほんの僅かにでも悪い方に傾いていれば、武蔵の敗北が決まっていたようなことばかりだ――そんなことを、無事に終わった後にも考えて背筋を冷たくしているネイトには、きっと、できないことだろう。

 

 

 真剣に考え、それが皆と少し違うことに疎外感に似た感情を得て、また考えて――拍子と声が進行方向から届いて、下がっていた視線を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

『 あー、んん!

 

 ――さんこ さんこと 名は高うけれど さんこほどの 器量じゃない 』

 

 

 

 これは……?

 

 聞き覚えのある歌詞と韻。なんの唄だろうか、と記憶を呼び起こす前にネシンバラが告げる。

 

 

未熟者『……『さんこ節』。IZUMO……いや、出雲地方に江戸時代くらいから伝わる唄だね。良い選曲じゃないか。今の僕らにはぴったりな唄だよ』

 

 

 ――艦上に「また始まった」という風の空気が滲むが気にしない。どういう意味か、と続く疑問は、聞こえてくる唄と文字が答えとなっていった。

 

 

 

『あぁ――瓢箪ばかりが浮きものか 私もいささか浮いてきた 』

 

 ――さあさ 浮いた浮いた 浮けてきた

 

未熟者『『さんこ』は芸子を意味しているんだけど、出雲での芸子は巫女崩れの女性なんだ。自分たちを『神の使い』と語り、時の権力者たちに逆らった――浮いた瓢箪、空に瓢箪があるのは旗に描かれているからさ。瓢箪はのちの天下人たる羽柴のシンボルだけど、それに続いて『私も浮いてきた』……ほら、抵抗してるだろ?』

 

 

 流石は作家。字打ちが早く正確だ。独特の韻で長い一節の唄に、見事に解釈が並ぶ。

 

 

『――沖よ白波 波風立てど 境よいとこ時化知らず

 あぁ――八反畑のさや豆は ひとさや走れば皆走る 私ゃお前さんについて走る 』

 

 ――さあさ ついてこい ついてこい

 

 

未熟者『『沖』は海の向こう、つまりは外界だ。他所がどれだけ荒れても境――出雲は無事だってドヤ顔さ。

 そして、八反畑のさや豆――八反畑は地名だけど、『反じの意志も持つ八つの畑』――そして、武蔵は『八』艦……数字的にはぴったりだね。そこで育ったさや豆が、鞘走るって抜刀を意味する言葉があって、それに続けと皆に言ってる』

 

 

 刀は抜かれた。それは、その刀は。極東に帰し、武蔵に在って打ち鍛えられた、最後にして最強の緋の一刀だ。

 

 武蔵に里見、北条が集った。そして、これから行く先で、続く『皆』を集めていく。

 

 

 

『――国のお方と知らいでいたら 唄で気がつくさんこ節

 

 あぁ――山じゃ大山 海ゃ境

 

 境港が築かれて かかる山ほど荷を積んで 出船 入船 ままとなる 』

 

 

 ――さあさ 御繁盛 御繁盛

 

 

未熟者『高みの見物をしているお方が、唄を聞いてやっと気付くのさ。いつの間にか山の頂から自分たちが引きずり降ろされて、ただの『大山』になってるって事に。そして広がる海へは、出雲が座して陣取ってるんだ。

 ――しかも来る船去る船、みんなに御繁盛させるだけの勝ち組になってね』

 

 

 

 時間にして、一分と掛からなかった唄とその解釈。それを聞き、それを知って――ネイトは高揚による熱と、身を引き締める冷たさを同時に得ていた。

 ……三河でトーリが、世界に対して宣戦布告したのは覚えている。そして今、強敵の相手をしながら、大敵に挑発をかけたのだ。王に続く者としてその王が行く様を想像した高揚と、苛烈を増していくだろう戦い、それに負けられぬと心身を引き締める。

 

 

 なお、トーリがまともな芸を……!? ネシンバラの説明に感嘆しただと……!? という驚愕を梅組の連中がしているのを感じ、ネイトは再び『温度差』を痛感したそうな。

 

 

 

―*―

 

 

「……うん、腕――いや声か? まあいい。落ちてないみたいだから、及第点くれてやろうかね。馬鹿孫」

 

「厳しいねぇミツさん。聞いた話、お孫さん結構な馬鹿ネタやらかすって思ってたんだけど、真面目な芸もできてるじゃない」

 

「腕も声も、落ちてないじゃあだめなのさ。芸は死ぬまで磨くもんだろ。もっとガキの頃にあたしが叩き込んだ時からあんまり変わっちゃいないよアレ。しかもあの馬鹿孫、こっちが三味線に太鼓に舞に、って一通り教えてやろうとしたら逃げ出しやがってね。腹立ったから止水に残った全部叩き込んで、三味線弾きながら足踏みで太鼓再現して、しかも舞までできるようにしてやったのさ」

 

「…………うわぁ」

 

 

 やりきった感じのある老いた笑顔は、見るものが見れば『お玉で卵を運ばせる事を極めさせた定食屋の店主』に通じるものがあっただろう。それを知らないIZUMO全座長は遠い目をして、半ばトバッチリのように叩き込まれた少年に同情するだけだった。

 

 

「でも、だからかね。二人そろってやると……まあ、なかなか様になるんだ。止水が躍動ある音と舞で、トーリが歌とアレンジしまくりの舞でさ。息ぴったりなんだ。

 

 ――今日のところは、それを挨拶代わりに受け取っといてやる。今度降りてきて、しっかり二人で見せとくれよ」

 

 

 

―*―

 

 

 

 歌い終え、音が消え。己の中の余韻がゆっくり静まっていくのを感じ、トーリは笑みを浮かべた。

 

 

「……ふー。どうよおめぇら! 褒めていいんだぜ!?」

 

あさま『長年幼馴染やってて、初めてまともな芸見ました……! トーリ君! どうして、どうしてもっと普段からそうしないんですか!? 普段からそうしてくれたら! ……くれ、てたなら!』

 

十ZO『自分、きっと『何か企んでいるのでは?』と疑心に駆られるでござる』

ウキー『拙僧は天変地異の前触れと判断するぞ。……武蔵が沈下したり鉄塊が落ちてきたのはこの前倒しではないか?』

煙草女『馬鹿なこと言ってないで、さっさとトンズラする用意しな。……あの程度で、トーリの真面目芸が相殺できるわけないさね』

 

 

「はっはっは、ツンデレだなーこいつら。素直じゃねぇぜまったくよう」

 

 

 「裏があるはずだから隈なく精査しろ」と割りとガチな声で指示をしている副会長や、「これきっと死亡フラグね、慣れない事するからよ」と従士を抱えて飛ぶ黒翼もいたが、それも総じて『ツンデレだな』――と、意味不明な着地点に叩き付けてうんうんと頷く。

 

 さて、と表示枠に載るツンデレ(トーリ視点)たちから目を外し、辺りを見渡して、一息。

 

 

「しっかし、すげぇな。……義経が踏ん張れっつった十五分、濃厚過ぎね?」

 

 

 指折り数え、悩むように薬指を曲げようか否か変顔で悩み、やがて諦めた。大きなものも小さいものも、正直多すぎる。あと少しで刻限だが、逆に言えばこれだけのことが起きまくってもまだ十五分経っていないのだ。

 

 

「……流石にもう、なんも起きねぇよな、っと」

 

 

 そろそろかな、と馴染みの銀髪肉食系女騎士を予想すれば、タイミングよくジャラジャラと――鎖を動かす音が鳴った。煙の中から鎖が数本、意志を持ったようにトーリの肩に掛かり、巻いていく。

 

 

「おいおいネイト! いきなり緊縛プレイとはやるじゃねぇか!」

 

 

 勝手知ったるなんとやら、トーリは何の抵抗もなく身を委ねる。肩に始まり、腕を過ぎて、足首まで。守り刀の彼の持ち芸(?)である鎖蓑虫に一瞬で変態し、そのまま強く引かれて空へと舞った。

 

 

 それに、刹那に遅れて――

 

 

 

「我が王? いきなり何を……」

 

 

 煙の中から走ってきた馴染みのある銀髪肉食系女騎士を、トーリは見下ろしていた。

 

 おー、ネイト、本当に降りてきたんだなー偉いなーと呑気に考え、重力に引かれて……そこでやっと、おや? と疑問。

 

 

 距離的に『離れていく』ネイトを見る。今ここにやってきたばかりの彼女は、走ってきただけで『銀鎖を一切使っていない』。だがしかし、トーリの身体を絡め取るのは銀の鎖で……。

 

 

「え? 俺、今誰に緊縛プレイされてんの?」

 

 

 

 その答えはすぐに来た。ネイトの髪から香る香水の匂いと同じ香りと、少し高めの体温。そしてなにより、鎖に巻かれたトーリを受け止め、その顔面を圧迫した、梅組最強の智でさえ圧倒するだろう壮絶な大きさの胸部装甲。

 それを見たネイトが、大きな戸惑いと、小さな――しかし揺るぎのない恐怖の表情を浮かべる。

 

 

「――ふふ、お初にお目に掛かりますわ。武蔵総長。娘がいつもお世話になっているようで、母としてもご挨拶させていただきますわね?」

 

「……娘?」

 

 

 Tes. と呟き頷くその女性を、背を反らすようにして顔を離し、よく見る。

 

 

 

 身体よりも大きな巻き髪。似てるな。

 

 同じ意匠の女騎士の装い。似てるな。

 

 瞳孔が縦に長い金色の瞳。そっくりだ。

 

 

 だが、双子山。振り返り、絶壁。――うん。違う。

 

 

「……誰の?」

 

「ちょ、ちょっと我が王!? いま一つずつ確認して、最後に何を比べましたの!?」

 

 

 両腕で自分を深く抱きしめるようにしてそれを隠しているネイトに、それだよそれ! と言おうとして、止めた。

 

 

 

「――母ですわ! 私の!」

 

 

 

***

 

 

 

 トーリの行動でわずかに気が緩んだおかげか、緊張が軽くなり、声も出る。しかしネイトはその場から……その距離から、一歩として近付けなかった。

 

 

「え、ネイトのカーチャン?  マジで?」

 

「ふふ、マジですわ。改めて……六護式仏蘭西、副長のテュレンヌと申しますの。ですが、よく呼ばれる名は『人狼女王(レーネ・デ・ガルウ)』ですので、そちらの方が名乗りとしてはいいかも知れませんわね。

 ――食人の歴史を持つ狼系異族、その頂点ですわ」

 

 

 六護式仏蘭西副長。人狼女王。その単語を聞いて、そしてそれらが自分の母を装飾するものだと知って、ネイトは呆然としていた。

 

 もちろんどちらも初耳だ。寝耳に水をバケツでぶちまけられた。

 

 

「お、お母様? 副長はまあ置いてお……けませんけど後にして、人狼女王というのは流石に冗談ですわよ、ね? ウチは普通の人狼の家系だって……」

 

「私は一言も『ウチはフツーの人狼家系よ〜』なんて言ってないですわよ? そもそも、普通の人狼の家系に『聖なる小娘』の遺品である銀鎖が伝わるわけないでしょうに。

 ……本当は私が死ぬ間際に暴露して『な、なんですってー!?』と狼狽える貴女を見ながら往生しようと思ったのですけど……世の中、上手く行きませんわね」

 

 

 

 肩を上げて下げ、やれやれと頬に片手を添えて苦笑する。……胸部装甲に挟まれているトーリにその動きがダイレクトに伝わったのか、表情が変わる……寸前にゴッドモザイクが発動し、顔を十八禁指定にした。

 

 ――余談だが、ネイトも銀鎖について何も考えなかったわけではない。聖人に纏わる遺品、その神格武装だ。だが、精々が『当時の人狼種族の中枢近くに祖先がいたのだろう』と軽く考えていた。まさか、母が人狼女王本人だと誰が思おうか。

 

 

 ネイトの口が、何かしらを言い返そうと開く……が、そこで止まる。そして、身体がそこから動かない。動こうとしない。腰から重心を低くとっているが、前後に開いた足で体重がかかっているのはどう見ても後ろの足だ。目の前に捕らわれたトーリがいるにも関わらず、後ろへ逃げようとしている。

 

 本人が理性でそれを直そうと歯嚙みしているのに、本能が全力で退避を命じているようだった。

 

 

「……なぁなぁ、ネイトママン。うちのネイトが怯える子犬化しててめっちゃ可愛いんだけど、もしかしなくてもネイトママンが原因な感じ? あとやたらIZUMOに降りようとしなかったんだけど、心当たりありまくり?」

 

「うふふ、あげた覚えはありませんよ? うちの子ですから可愛いに決まってますでしょう? ええ、私の娘ですもの。可愛いに決まってますわ。

 それに、原因だなんて心外ですわ。ちょっと優しく叱っただけですのに……」

 

 

 ねぇ? と、ニコリと無邪気に……悪戯気に笑う笑みをネイトへ向ける。それだけで、ネイトは後ろへ跳ぼうとして、歯を食いしばって何とか耐えている。

 その様子を見て、母はまた満足気な笑みを浮かべた。

 

 

「でも、言い付けはちゃんと守っていたみたいですわね? ふふ、後で良い子良い子してあげますわ。――さあ、武蔵へ帰りなさい? お友達が待っているのでしょう? 本当は色々と話したいのだけれど……母は今ちょっと忙しいのです」

 

 

 そう一方的に告げ、摘むようにトーリを持ち上げて、軽く肩に担ぐ。そのまま――

 

 

「っ!? ま、待ってくださいお母様!」

 

「? なにかしら? 忙しいと言ったでしょう? ……母娘の積もる話なら後にしなさい。ちゃんと時間を取りますから」

 

 

 ネイトの声が裏返り、いつもよりもずっと高く、みっともない声だったが……なんとか出たその声が、彼女の母の足を止めた。

 

 

 

 ――「ね、ネイトママン! 上下! 上下逆ぅ! 背骨が動く鎖でゴリゴリされ――あ、新しい価値観っ」

 

 

 雑音が聞こえたが、ネイトはそれどころではない。ただ目の前のその事実を理解して、硬い唾を一度飲み込むことしかできなかった。

 母は――この人は。一国の長である総長を、外交的理由でも、戦争的理由でもなく、ただ、己の我欲を満たすためだけに、なんの躊躇いもなく連れて行こうとしたのだ。 ネイトが止めなければ、本当にトーリを背負ったまま自らの縄張りに帰っていただろう。

 

 

 腹を下に、そして前後を入れ替えて担ぎ直している間に、深い呼吸を静かに行う。

 

 

「……お、お返しください。我が王をどうなさるおつもりですの? ……その人は、武蔵の総長です。だから――」

 

 

 ――大丈夫。話せる。ちゃんと説明して、納得してもらえれば……。

 

 

「ネイト」

 

 

 強い言葉。叱責の感情を込めて名を呼ばれただけで遮られてしまった。

 

 

「――忙しい、と。私はそう言ったはずですわよ? だというのに。わかりきった事をわざわざ、それも二つも聞くほど、貴女は愚かなの?」

 

 

 微笑む。聞き分けのない我が子を諭す母の顔は、しかし、魂まで凍るほど、ぞっとするものだった。

 

 

「ふふ、でも今日は特別に答え、教えてあげましょう。答えはもちろん『イ・ヤ』――そして」

 

 

 微笑みは、妖艶に。目と口は弧を描き、愉悦を彩る。そして、トーリの首の後ろに寄せ、唇をうなじの肌に這わせた。

 

 

 

「『食べる』のよ、この子を。ふふっ、人狼ですもの。当然でしょう? ――ネイトが王と慕う若い男……最高のデザートですわ。

 ああ。そういえば貴女は『まだ』でしたわね……ハーフとはいえ貴女も人狼。そろそろ経験をしておいてもいいでしょう。……うーん、一口。一口くらいなら分けてあげますわよ?」

 

 

 また、笑う。大好きなお菓子を『一緒に食べよう』と言って、しかし自分の分が減ってしまうことに渋面に、そして、一口だけならばと拗ねるように許す。

 

 

 

 ……この人は……母は、本気だ。

 

 本気でトーリを、言葉通りに食う気だ。機嫌がいいのは、労せずして獲物を得たからだろう。

 

 

 

 ――相容れない。絶対に、相容れてはいけない。

 

 

「……っ!」

 

 

 止めなければ。――最悪でも、時間を稼がなければ。ネイトは纏まらない思考で、しかししっかりと目的を定めた。

 

 繋ぎっぱなしの通神で武蔵にこちらの状況は伝わっているだろう。共喰い・生贄捧げの常習犯が多いが、流石に動いているだろう。……動いているはずだ、きっと。

 

 

 重心を、上げる。上げろ。立て、まっすぐに。

 

 深呼吸。取り繕う事なく、大きく、そして深く。

 

 

 顎を引く。前を見ろ。

 

 

 怖い――知ってる。恐ろしい……わかってる。

 

 勝てない。絶対に。

 

 

 ――それが、どうした。

 

 

 

 

(思い出しなさい……)

 

 

 脳裏に往来させたその少年は――人間だった。不可思議な一族の出というだけの、少し体が大きいだけの……ごく普通の少年。

 

 

 ……体は、未だ震える。

 

 ――しかし、心の奮えは、確かにおきた。

 最低でも、一分。自分の体を犠牲にしてでも稼いで――

 

 

 

 

「やっぱりやーめた♬」

 

 

 

 

 衝撃。それが、二度きた。

 

 最初は頭頂部。それの刹那の直後に顔面を始めとする身体の前面へ強力な打撃。意識が理解をして、神経が遅れるように激痛を訴えて――本能が全力で警報を、やっと鳴らし出して――

 

 

「っ――!?」

 

 

 そこまで経過して――やっとネイトは、自分が母に『叩かれた』という事を理解した。

 

 

 

 ――ああ……同じだ。八年前と、なに一つとして変わっていない。

 

 八年前……『ある私情により』、十歳だったネイトは武蔵を降りようとした。だが、その時も今と同じように突然現れた母に、なに一つできないまま一方的に叩きのめされた。

 数度の打撃を受け、朦朧とする意識の中で一方的に母から告げられた『IZUMOに降りるな』という命令。そして一週間かけて意識を取り戻してみれば――頑丈で自然治癒力も常人よりはるかに優れるネイトでも全治に3ヶ月はかかる重傷を負ってベッドの中だった。

 

 

「う……くっ」

 

 

 飛びそうになる意識を、歯を食いしばって必死に繋ぎ止める。奮えたはずの心が、燃えだしたはずの火が一気に消された。燃えカスすら藻屑と消え失せた。

 

 たった一撃――それで、ネイトは『折られた』。

 

 

 

 無理矢理頭を動かして見上げれば、驚きの表情を浮かべ、そして次いで、楽しそうな――嬉しそうな笑顔を浮かべる人狼女王がいた。

 ……八年前は、この最初の一撃で……加減に加減をして、細心の注意を払ったこの一撃で、全身の骨が何本も逝った。それが、今では全身打撲で済んでいる。

 

 

 

「ふふ、貴女もちゃんと成長しているのね。……女としては、まあ、ええ。気をしっかりと持つのよ?」

 

 

 やかましい――そう反論したいが、意識を保つだけで精一杯で言葉が出てこない。

 

 自分が意識を保てているのは。

 

 首がもげず、頭が砕けず、生存していられるのは――一重に、母が『ネイトを生かそう』と思っているからに他ならない。痛みと恐怖で呼吸は浅く早く、保っている意識でさえ今にも消し飛びそうだ。

 

 

「でも……ダメね。根本的に。そもそも、貴女なに? この布は」

 

 

 首が圧迫される。なんの抵抗もできないまま片腕で持ち上げられ、ネイトはそのまま吊られた。揺れる視界で母を見れば、その肩に先程までいた鎖巻きの王がいない。ネイトを打つ前に置いてきたのだろう。

 

 残る空いた手で引かれたのは……緋色の布だ。

 

 

「ねえネイト。人狼が牙と鼻を隠して、貴女一体どうするの? ――しかも首輪まで付けて……あら、どっちも男の子の匂いがするわね。しかも別々。欲張りだこと」

 

「っ……」

 

「後日の母娘会議の議題が増えましたわ。お父さんも呼んで家族会議ですわよ? ――後で連絡しますから、武蔵で大人しく待ってなさいな」

 

 

 言葉が終わる。お説教はこれで終わり……その直後の行動は予測が出来た。顔をまっすぐ狙った、手に一切の力を入れていない一撃。八年前と一緒だ。かつてはこの一撃を受ける前に意識を失った。

 

 ……先程とは違い、掴まれているので打撃の威力が逃せないだろう。

 

 

 反射的に目を閉じ、襲い来るだろう激痛に歯を縛る。

 

 

 

 そしてふと――先ほどから、母はずっと事を急いていることに、なぜか、疑問を得た。場違いも甚だしく、見当違いもいいところだが……『忙しい』と言って、焦るような……逸るような。

 

 

 また、ふと――思い出す。……ああ、そうだ。確かに八年前、この一撃の前に意識を失ったが……結局、放たれた一撃を自分が受ける事はなかったのだ、と。

 

 

 

 

 

 

 ――――パシンッ。

 

 

 

 

 音が鳴り……しかし、予想した衝撃も痛みも、一向に来ない。

 

 

 

 

「――八年前」

 

 

 ……静かな男の声は前から、それも、割り込むような風とともに来た。

 

 

「俺は、アンタの戯れの一撃に、なんにもできなかった。ただ飛び込んで、身体張って、せめて盾になろうって思ってそれもできなくてさ……これでも結構、悔しかったんだぜ? なんせ、その二年前にいろいろ守れなくて、いろいろと誓い直したばっかりだったからさ」

 

 

 でも――。

 

 

「八年もかかっちまったけど……俺はやっと、アンタの『遊び相手』くらいなら、できるようになったらしい」

 

 

 

 目を開ける。顔からほんの数センチ離れた場所に母の手があって、ネイトを打つ事なくそこで止まっていた。

 

 横から伸びる太い腕、それが放たれた母の一撃を、その手首を握りしめて止めている。荒く揺れる名残りのある緋色の和装が男が相当な速度でここに来た事を示し、またその色は男が何者であるかをこれ以上なく示していた。

 

 

 ……八年前より、ずっとずっと大きく逞しくなった背中は、壁のように、砦のように……ネイトと人狼女王の間に立ちふさがった。

 

 

 

「武蔵アリアダスト教導院、総長連合番外特務。守り刀が影打――止水」

 

 

 ――時計の長針は時を刻み、刻限である三時十五分を示す。

 

 だからこそ告げよう。これまでに起きた全てが些事、全てが前座だ。

 

 

 

「親子の間に、割って入って悪いけど……トーリを殺そうってんなら、そしてミトを傷付けようってんなら。黙ってるわけにはいかねぇ。いざ尋常に……邪魔させてもらうぜ?」

 

 

 ……武蔵の守り刀が、世界最強種に真っ向から挑戦状を叩きつけた。

 

 

 




読了ありがとうございました!

守り刀vs人狼女王……開幕です。

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