境界線上の守り刀   作:陽紅

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六章 刀、補うは『 』

 

 

「……あん? 『人狼女王について知りたい』だぁ? ……それを半狼(オレ)に聞きに来るとか、洒落のつもりかよ。……まあ、いいぜ。覗き見も意味なくなっちまったしな」

 

 

 バリバリと鋭い爪が固い毛質の毛皮を搔く。

 

 大きくため息を一つ。そして、まず――と前置きし、言葉を探すように彼は空を見上げた。

 

 

「大前提で、そもそも半狼と人狼の違いだが――あ? 見た目? そりゃ当たり前だバカ。そもそも本質から違ぇんだからよ。いいから黙って聞け。

 まずオレみたいな半狼だが、狼の人型……人と狼の物理的な融合だ。身体能力が人間より高いのは、獣がベースにあるからだ。だが、人狼はそうじゃねぇ。結論から先に言っちまうとな、人間に狼の霊が憑くことから始まるんだ」

 

 

「そして、大半の精霊がそうであるように、人間なんか軽く凌ぐ上位の存在だろ? 人狼はああやって人の姿形を取っちゃいるが、ありゃあほとんど精霊と同じなんだよ。月の光で本性を現す、欧州最古の化け物ってな」

 

 で。

 

「人間を食ううちに宿り主から抜け出す程の霊的な実体持って、現世に干渉できるようになったら『騎士』級だ。さらにそこから生まれた実体が人間を食い続けて『貴族』に至る……ん? 『騎士は貴族階級じゃないのか』って? ……俺も爺さんに聞いただけだから、その辺の詳しいことは知らねぇよ。細けぇことは気にすんな。

 で、貴族の上に『王族』がいて、さらにその上……最高位に『女王』を冠するんだ。女はルナ――月を司るだろ? そこに至る者は、金月を彷彿とさせる金髪と金の瞳を持つんだってよ」

 

 

 ごろりと横になり、欠伸を一つ。

 

 

「女王の強さは、まあ……控え目に言って最強だ。なんせ、存在そのものが神域に至ってんだからな。腕の一振りで地形を変え、戦闘系の上位級の神格武装でやっと傷が入る防御力。我らが女王陛下でさえ片手間だろうよ。

 

 ――昔、爺さんに言われたもんだ。 『もしも出会ってしまったら、『満腹かつ上機嫌であること』を全身全霊でありとあらゆる神に願え。そして、嘘でもいいから『自分が幼い子供の一人親』だと訴えろ』ってな」

 

 

 

「あん? 真面目に仕事しろって? ……言ったろ、覗き見する意味がなくなったって。もう、終わったんだよ……そういう存在なんだ。人狼女王ってのは」

 

 

 

 

 

 

***

 

 

敗北を知った

 

無力を知った

 

 

立ち止まる暇など無いと

 

 最初っから知っていた。

 

 

配点――【磐石な礎】

 

 

***

 

 

 

 

 目標がある者は成長が早い。そして、その目標が明確であればあるほど、その成長は確固たる揺らぎ無きものとなる。

 

 

 

 八年。

 

 

 その時間を長いと思うか、それとも短いと思うかは人それぞれだろうが、かの刀は齢十の時に……その明確で確固たる目標を見つけ、自身の根底に定めた。

 

 

 当時、『姫の愛した(武蔵)を守る』と誓い……だが、そのために『どれだけ強くなればいいのか』がわからず、ずっとそれを探していた。

 

 

 ……あまりよろしいとは言えない記憶力の中にいる母は強い。だが、その力が脅威として自身に向けられたことがないので目標に定め辛い。

 

 様々を教えてくれる先達たちも多くいた。だが……目標にするには何かが違うと説明はできないが首を傾げていた。

 

 

 

 悩み、考え……迷っていた二年。

 

 そんな時に出会った、絶対的な強者。

 

 

 

 全身を余すことなく砕いた一撃。ネイトと共に担ぎ込まれた医療棟で、ネイト以上の重傷を負った少年は一週間がっつりと生死の境を行ったり来たりを繰り返し――目覚めた八日目。ミイラ男のような包帯・固定剤塗れにも関わらず、その顔は晴れやかだった。

 

 

 

 

 『アレより強くなればいい』

 

 

 

 一行にしても短い、その単純にして明快なその目標。

 

 ……しかし、それは単純明快が故に熾烈困難を極めた。

 

 

 どれだけ鍛えても、どれだけ強くなっても、満足が刀の――……止水の心を満たすことは、一度としてなかった。なにせ、比較対象は遥か天上……神性の域にすら踏み入る存在だ。

 

 力を、速さを、技を。高め上げて行く度に、その目標との理不尽かつ圧倒的な差を一層認識させられた。常人であれば、そのどうしようもない差に絶望して早々に諦めていたことだろう。

 

 

 

 それでも――諦めなかった、諦めることの出来なかった愚者が、今の守り刀の止水だ。

 

 

 

 

 強く。もっと。さらに。

 

 今度こそ、今度こそ。守り抜くために。

 

 

 

 

「……ふふ。ふふふ」

 

 

 

 その姿を目の当たりに、人狼女王は笑っている。垂れ目の眦は更に下り、口角は左右のどちらも限界まで上がっていた。

 

 そこには歓喜と愉悦、そして興奮と――様々な感情が、取り繕われることなく表されていた。その全てが、喜びに類する感情だ。強い喜び――待ちに待った瞬間を迎えた童女のようだった。

 

 

「ああ、この香り――八年前とは比べ物にならないこの芳醇で濃厚な……我慢して待った甲斐があったわ。あの時よりも、ずっとずぅぅうっと……」

 

 

 ネイトの首を掴んでいた手が外される。支えを失い、崩れるように落ちた娘が軽く咳き込んでいるが、母は気にも止めない。

 

 そして、首を掴んでいた手は、己の一撃を止めて見せたその手を軽く撫で……自身の頬に添えた。

 

 

「――美味しそう。ふふっ、ネイトが生まれてから控えていたから、今日は豪華にいこうと思いましたの。『メインディッシュ』と『デザート』……やだわ、若い男の子二人分なんて耐えられるかしら。貴方は特に大きそうだし」

 

 

 潤んだ眼をウットリと細め陶酔する様は……どう見ても、報道に規制が入りそうなほど淫らなものだった。

 

 食人習性が種族としてある人狼――はたして、どちらの意味で『食う』のか、と――いらぬ邪推すらしてしまうほどに。

 

 

 

 ―*―

 

 

ホラ子『ミトツダイラ様のお母様……色々とアレですのでボインダイラと仮称いたしますが、なかなかのぶっ飛び具合ですね。トーリ様と止水様をセットで美味しく頂くと。……新規で強欲の感情をゲットしたホライゾン的には、強欲の見せ場を奪われたわけですが。

 この、泥棒ネコ……! ――正純様、どうですかこの武蔵とコラボレーションしたホライゾンの疑似嫉妬表現は。トーリ様や止水様ではなく、見せ場を奪われた事に対する嫉妬なのが肝です』

 

副会長『ネタで武蔵の外壁装甲引き剥がすなっ! ってか……お、おい。なんか表示枠から黒いのが……!』

 

 

賢姉様『…………。』

 

 

あさま『き、喜美! 無表情で無言とか超怖いですから! ひぃ、瞳孔ガン開き!?』

 

賢姉様『あらやだ。ふう……で? 私あの肉食爆乳雌狼は初見なんだけど? さっさと情報寄越しなさい?』

 

煙草女『そういや、八年前アンタとトーリはいなかったね。まあ、知らんのもしょうがないさね。

 武蔵が備前の方のIZUMOに降りた時、ミトの奴が武蔵から降りようとしてね。そしたらあのカーチャンがやってきて、ミトのことボコボコにしたのさ。で、最後の一発を止めの字が身体張って止めた――っていっても、直撃を引き受けただけで、ネイトと一緒に武蔵の外壁にベチャってたんだがね』

 

未熟者『そして、君らが帰ってくる前には医療棟を出た、と。

 ……人狼とのハーフのミトツダイラ君はギリギリわかるけど、純粋な人間のはずの止水君が、彼女より明らかに重傷だったのに彼女より入院期間が短かったんだ。ボクその時初めて止水君のこと『コイツ人間やめてーらw』って思ったよ』

 

ウキー『ふん……現場に居合わせて、医療棟までの搬送中必死に声をかけ続けたメガネが何を言っているやら。しかし、熱くさせる。

 

 ――『八年前とは違うのだ』と、なるほど。背中で語っておるわ』

 

 

 

十ZO『当時にはなかった新ヒロイン役がいるでござるけど……トーリ殿が何気にヒロイン気質なのは昔からずっと思っていたのでござるが、トーリ殿がその何気なヒロイン気質を見せた時、ほぼ確実に止水殿がそのお相手役に収まるのはどうなんでござろうか』

 

⚫︎ 画『そんなの今更でしょ。シリーズ化してて結構人気なんだから』

 

金マル『んー……ナイちゃん、ガッちゃんと同盟組んだの間違いだったかなぁ……?』

 

 

 

 

―*―

 

 

 

 黒翼魔女の悲鳴と、次いで捨てないでという慟哭が遠い所で上がる。それとだいたい同じ頃……ネイトは荒くなった息を、突然整えた。

 

 いや、整えることができた、と表現するのが正しいだろう。

 

 

 

 

 ――全身を苛んでいた痛みが、明らかに和らいでいく。比例するように、ネイトの全身から薄っすらと登っていた緋の揺らめきが増え、止水へと流れていった。

 

 守りの術式が発動し、ネイトの負傷が止水に奪われているのだ。傷こそないが、ネイトの全身の痛みは相当のもの。指一本動かせないから、動くのが億劫になるまで回復し……続いて、顔を顰めるレベルにまで段階を経て軽減され、その勢いは止まらない。

 

 

 ……明らかにネイトに設定されている加護の深度を、上回るものだった。

 

 

 

(これは……まさか、ナルゼの時のように深度を……!?)

 

 

 それはまだ記憶に新しい英国での一連だ。……加護の深度は本人の意思で自由に変更できるとわかった時の巫女の顔は――説明するとズドンリストに載りかねないので割愛するとしよう。

 

 悔しい――と強い感情が奮える。当時のナルゼも同じ気持ちだったのだろうか。だが、と少し残った冷静な思考が、何故、と疑問を擡げる。

 

 

 

 

 止水のこの行為は、あまりにも矛盾していた。

 ナルゼの場合は純粋に『彼女個人の危機』だったのでわかりやすいが、現状は大きく違う。止水はこれから人狼女王と一戦を結ぶというのに、ネイトの負傷を更に奪っていった。

 

 相手は強敵だ。それも、これまでにない程の。過酷極まりない激闘になることなどわかりきっているはずだ。にも関わらず、止水は自分が不利になるような行動を取り続ける。

 

 

 問おうと見上げて、口を噤んだ。前に聳えるように立つ彼の大きな背中に、小さな表示枠が一枚浮いていたのだ。ネイトにだけ見えるように展開された、小さなそれ。

 

 

 

 

『何とかトーリを取り戻す。そしたら、武蔵まで連れてってくれ』

 

 

 

 

 その一文は、ネイトが読み終わると同時に表示枠ごと消えた。

 

 現在トーリは担がれてこそいないが、彼を縛っている鎖はまだ人狼女王に繋がっている。彼を奪還するにはまずあの鎖をどうにかしなければならない。

 そして、鎖をどうにかしてトーリを奪還して、そこで終わりではない。その後……トーリを武蔵に戻るまで、人狼女王を足止めもしなければならないのだ。

 

 

 止水の行動は、何一つ矛盾していなかった。――この場にあり、ネイトは自分が未だ場外者ではなく、大切な役割を持つ者なのだと理解した。

 

 

「ゴロゴロー……おっ、ダムじゃん! おめぇいつの間にコッチ来てたんだ?」

 

「うん、今さっきな。……こうして他人の蓑虫姿見ると、結構来るもんがあるなぁ……。俺いっつもあんな感じなのか。……まあいいや。ちょっと待ってろトーリ。すぐ助けるから。

 ……できるだけ動くなよ? じっとしてろ。頼むから」

 

「フリですねわかります。ちょっとローリン……あ、待てダム。半目やめろ。わかった。じっとしてるから」

 

 

 緊張感のない、いつも通りの言葉の応酬。普段通り過ぎる会話を、努めているようだった。

 

 一呼吸。一笑いを挟み――

 

 

「……じゃあまあ、頼むぜ?」

 

「おう。頼まれた」

 

 

 

 王と刀。二人の短いやりとりが終わる。人狼女王は気まぐれか、それとも絶対の自信故か、それを微笑みながら見ているだけだった。

 

 

 そして――ネイトの負傷が、完全に消える。

 

 

 それを合図にする様に、止水の全身から緋炎が色濃く、強い風を伴って逆巻き昇る。緋衣は靡き、ネイトと人狼女王の豊かな髪がその風に流れる。

 ――親娘はその現象に、その異変に目を見開いた。

 

 

 人狼女王曰く、『芳醇で濃厚な香り』……それが、僅かに――しかし確実に、強くなったことに。

 

 

 

 

 

 ――ガキンッ

 

 

 

 

 

「――え……?」

 

 

 ネイトは断言する。多少呆然としていたかもしれないが、自分は目をそらすことも……ましてや瞬きの一つもしていないと。

 

 金属の澄んだ音が聞こえ、それで意識をしてみれば――止水の姿勢が変わっている。右手の刀で母へ斬りかかり()()()()()。……なお、ネイトへの一撃を止めていたのも右腕だ。

 

 

 止めていた手を離し、腰に帯びた刀を握り、抜き放ち……そして斬った。

 

 その何一つを、彼女は知覚することができなかった。

 

 

 

 ――光景に遅れ、激突の衝撃で大気が荒れる。だが、斬りかかり終えてこそいたが、止水は刀を振り切ることができていなかった。

 

 

 

「ったく、本日二度目だよ。ホント自信失くすな……」

 

「あら、そんなことないですわ。……私に当たって折れないどころか刃毀れもしない刀剣なんて、かなり久しぶりですもの」

 

 

 聞こえてくる言葉の、なんと常識外れな事か。そして、揺れる緋の着流し越しに見えたのは――手を翳し、手首の甲側で一刀を軽く止める母の姿もまた常識から逸脱している。

 

 

(……ウソ、でしょう?)

 

 

 腕だけで振った刀で鋼鉄製の大きな建材を()()()()()に出来る止水が、大きく力強く踏み込んでなお、その細い腕に傷一つ付けられていない。

 それどころか……翳した手の位置は微動だにしていなかった。直撃したにも関わらず、その一閃は斬撃はおろか、打撃にすらなっていないのだ。

 

 

 最早――頑丈、などというレベルではない。攻撃が攻撃としての意味を成さないのだ。

 

 

 

 

 

 だが。

 

 

 

 

 それでも、止水は笑う。

 攻撃が通じない。――それがどうした。

 

 それでも、止水は笑う。

 攻撃が意味をなさない。――だから、どうした。

 

 

 

 

(――……知ったことか!)

 

 

 

 刀を手放す。変刀姿勢を用いて展開した新たな刀を逆手で握り、翳した手の内側からその首を狙って一閃。

 

 それも刃を気にしない握りで容易く止められるが、掴まれた瞬間にこれもまた手放し、左の後ろ回し蹴りを華奢な胴へ。

 

 

 生身のぶつかり合いで絶対に出してはいけない音が鳴る――肘で軽く防がれたが……だが、僅かに……ほんの数ミリ程度だが、人狼女王が後ろへ動いた。

 

 

「あら」

 

「――変刀姿勢・全鞘解刀……!」

 

 

 

 止水が深く――身を沈める様にして一歩踏み込む。至近。本来ならば見上げる位置にあるだろう口が下に降り、鍵たる言葉を宣言した。

 

 止水の全身に配刀されている五十はあるだろう刀の緋鞘が溶けるように消え、その銀刃を晒す。

 

 その変化は目に見える刀たちだけに止まらない。止水の契約する数多の刀たちが、その収納空間で刃をむき出しにしているのだ。

 

 

 ……刀が鞘から抜かれる。それはすなわち、刀が刀として使われるということだ。付喪を宿した意思ある刀たちは、己が鞘から抜かれたことでその意思を切り替える。契約者である止水が、全力で戦える様に収納空間の仕様を変えるのだ。

 

 

 ……より疾く駆けよ。より鋭く振るい、そして、よりより硬く守りきれ、と。

 

 

 

 英国よりさらに増え、本数詳細不明。止水の自己申告待ちの数万本もの刀。

 

 ……十年もの間、一度として外すことなく、増えに増え続けたその重量から――止水は解放された。

 

 

 

 

「『行け』……――っ!」

 

 

 斬る。打つ。蹴る。突く。

 

 刹那の間、超高速の連打連撃が数十、数百と、嵐の如くテュレンヌへ殺到する。

 

 

 一つ一つが、必殺に足りる威力を十分に秘めているだろう。昨日起きた鬼族との打ち合いで繰り出したモノとは、量も威力も桁違いだ。

 

 

 

「あらあら。ふふふっ♪」

 

 

 ――それを、片手。

 

 人狼女王は左手を頬に添えたまま、右手だけで完璧に防ぎきる。……誰がどう見ても、余裕。それどころか、遊んでいるようにしか見えなかった。

 

 それでも、止水は攻撃の密度を下げることはない。むしろ、更に更にと高め上げていく。

 

 

「"貴方が囮になって時間を稼ぐ、その間にネイトが武蔵総長を奪取する"――まあ、そうするしかありませんものね。単純ですけど、『王を救う』という目的を果たすなら十分でしょう」

 

 

 

 けど。

 

 

 

「ごめんなさいね? うちの子がトロくて。……失敗は、貴方のせいじゃないわ」

 

 

 

 駆け出しているネイトは――未だ、トーリにたどり着いてすらいなかった。

 

 

 

 

 そう宣告した人狼女王……テュレンヌは、止水の攻撃を完封しながらも、素直に驚いていた。

 

 

 最初の刀と蹴りの三撃……そのどれも、僅かなダメージにすらなっていない。反射的に防御や衝撃を逃す為の後退をしてしまったが、三撃とも何もせずとも問題はなかっただろう。それは、打撃した側である止水もわかっているはずだった。

 

 にも拘わらず、止水には攻撃の手を緩める気配がない。むしろ、より果敢になっているほどだ。

 

 

 ……無力を知って、なお自分と戦おうとする戦士を知っている。……人類種の恐怖の具現である人狼女王に、決死の覚悟で挑まんとする……それは、無名の英傑たちだった。

 ティレンヌはその姿に敬意を表し、正々堂々と戦い――勝利し、屈服と納得をさせてから、その者たちを己の血肉とした。

 

 

 その者たちと……止水は、同じ顔をしている。

 

 

 

(――ネイトのお友達、それも、あの時の子供がそれに至るなんて)

 

 

 

 十八歳、八年前であれば、十歳。世界が庇護すべき、子供だ。

 

 

 『子供と妊婦は絶対の対象外』とするテュレンヌが、その極上の匂いから逃げるように去り……その少年が大人になるのをひたすら、指折り数えて待ち侘びた。

 

 食べるときは打ち付けてしまったことを心から謝罪し――この身体で抱き包み、昂りと脱力と満足の果てで喰らおう。……そう夢想して起床の度に身を焦がし、逆に想像して眠れぬ夜が幾度もあった。

 

 

 だが目の前のかつての少年は……そんなテュレンヌの想像を超えた。

 

 

 痛みは覚えているはずだ。死に瀕したという恐怖も、心に残っているはずだ。

 

 諦めて当然、誰がそれを責められよう。この場に現れず、我先にと逃げ出したとて、可笑しくはない。

 

 

 ――だが。

 

 

「……ふふ」

 

 

 

 敗北と恐怖を知ってなお、己に立ち向かおうと足掻いてきたかつての少年。

 

 挑んでくる。命をかけて。己の無力を突き付けられて、それでもなお。

 

 

 

 ……テュレンヌの手が、止水の拳を無造作に掴む。いつでも……それこそ、連撃になる前の一撃目からできただろう、簡単な対処。

 ……強く握られているわけでもないのに全く動かない拳をなんとか外そうと止水も足掻くが、それも遅い。

 

 

 

「えいっ」

 

 

 軽い掛け声。ボールを目の前の誰かに投げるような、本当に軽い掛け声。

 

 

 ――浮遊感は、なかった。

 

 そんなモノを感じる間もなく、腕からなにから、関節が全て外れるのではないかという激しい痛みと、それを起こした暴力的な遠心力を余すことなく乗せたまま、大地に叩きつけられた。

 

 

「が……ぁっ!?」

 

 

 体の内側から、鈍い破砕音が無数に響く。背中の強打に呼吸が無理矢理止まり、視界が明滅した。そこでやっと、『自分が投げられたのだ』と理解する。

 

 

 

 

 

(まず――い……っ)

 

「本当は使うつもりはなかったのだけれど……出し惜しんでは無礼ですものね?」

 

 

 片手で投げられた――ならば当然、もう片方の手は空いている。

 

 躊躇する理由も追撃をしない理由も、人狼女王には無いのだ。

 

 

 

 淡い金色の巻き髪の中から、対のような銀色の部品が無数に出てくる。

 

 それが集合し、翳した手に添えられるように形作られたのは、止水よりも巨大な、銀色の十字架だ。

 

 

「『銀十字(アルジェント・クロワ)』――ネイトの持つ銀鎖と同じく、『聖なる小娘(ジャンヌ・デ・アーク)』の処刑に使われた遺品から造られた神格武装のひとつですわ。

 ……磔刑にされた、その台座だったものがこの十字架ですの。天使となった彼女を捉えた十字架を作り変え、天使となった彼女を守る武装として……彼女を磔刑にしようとする者たちこそ、地面に磔るように」

 

 

 ――ガコン、ガコンとその十字架が形を変えていく。十字の左右が動き位置を変えて、短辺と長辺が逆転する。

 

 長くなった短辺が中心から裂け、光り、その生じた光を圧縮し、直視すら難しい眩い杭を甲高い音を立てて形成した。

 

 

 

 人狼女王が、止水を上に放る。

 

 

 

「……何気に個人に使うのは初めてなの。だから、加減を間違えたらごめんなさいね?」

 

 

 

 そう短く謝罪し、無邪気な笑顔を浮かべて。

 

 

 

「――穿ちなさい。『戦乙女の神鉄槌(ワルキューレ・マルトー)』」

 

 

 

 落ちてきた止水にその杭の先端を突きつけ――破壊の引き金を無造作に引いた。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

「きゃ……!?」

 

 

 トーリまで後七歩……というところまで進んでいたネイトの背面を、強大な衝撃波が襲う。身構えたところで吹き飛ばされているだろうほどの力だ。地面に転がるトーリに手を伸ばすような不安定な姿勢であったネイトの体は、より簡単に吹き飛ばされた。

 

 

「だ、ダムの気持ちがちょっとわかったグェッ……」

 

 

 そして、吹き飛ばされた者にはもちろんトーリも含まれている。

 だが、トーリから見て衝撃の始点とネイトが綺麗に一直線に並んでいたからだろう。直接的な力はネイトを盾にすることで大きく減衰され――さらには身に巻きつく鎖が皮肉にも防具の役割を果たしたこともあり、トーリは特に怪我もなく、ただ単に吹き飛んで気絶するだけで事済んだ。

 

 しかし逆に、その盾になったネイトのダメージは大きい。あと数歩の距離を軽く超え、その倍近い距離を飛ばされ転がった。

 

 

(な……なに、が……)

 

 

 先ほど叩き落とされた時よりもずっと強い痛み。背中の強打でまた呼吸が乱れ、さらに十数回の回転で意識を保つのがやっとだったが、歯を食いしばって頭を上げる。

 

 

 爆発……そう表現して何の問題も無いだろう。IZUMOの砕けた表層地殻の残骸が綺麗に吹き飛ばされてミステリーサークルを作っている。その中央には直径二十メートルはあるだろうクレーターが出来ていた。

 

 

 ……そして、その向こう。

 

 吹き飛ぶ止水を追うように跳び、その道中で彼の体から外れた無数の刀を左右に握り……

 

 

 

 

 ――武蔵の側面装甲に激突した直後の、大きく横に伸びた止水の両腕に刀を突き刺し、装甲に縫い付けるように磔刑にしている母を見た。

 

 

 手首と肘の前後、そして肩先。

 

 左右五指に挟んだ計八本の刀で磔にされていく男は……しかし、苦しむ様子はない。それどころか抵抗すらせず、項垂れるように頭を下げていた。

 

 

 

「あ、ああ……」

 

 

  ……その身体から、赤い流れが……重力に従って下に向かって伸びていく。

 

 ――ギリギリ見える緋色は、すでに黒い赤色に染まりきっていた。

 

 

 それを成した母はそれを見下ろしていたが、視線に気付いたのだろう。振り向いて笑い、そして消えた。

 

 その次の瞬間に、ネイトは自分の横に――落胆のため息と地擦りの音を同時に聞く。

 

 

「――ネイト……あなた、範囲のほとんど外側にいたのに、何ですの? その体たらくは。胸の薄さやトロさだけじゃなくて、か弱さもあの人に似ちゃったのかしら……だとしたら、私の遺伝子は髪くらいしか受け継がれてないの? それはそれで悲しいわ。

 あの子を見習いなさい。至近距離で直撃受けて、それでもなお原型を保っている上にまだ生きているのよ? 

 

 まあ……その。つい、加減を間違えちゃいましたけれど、肉叩きで下拵えということで。ええ、無問題ということにしましょう」

 

 

 母のその言葉は相変わらず理解を拒否したくなる内容だったが、それにほんのすこしだけでも安堵してしまった自分を、ネイトは恥じた。

 

 言っているではないか。()()生きている――それだけだ。満身創痍など生温い、文字通り瀕死なのだ。日頃からよく見る頑丈さや回復力など意味がない。

 

 今すぐにでも医療施設に連れて行かなければ、間違いなく――彼は、死ぬ。

 

 幸い、彼が飛ばされたのは自陣である武蔵だ。仲間たちが回収してくれるだろうし、すでに動いているかもしれない。

 

 

 

 だが、それでも多少の時間はかかるだろう。その時間を。この人狼女王を足止めして稼がなければいけない。

 

 この場にいて……まともに動ける()()()があるのはネイトにしか、出来ないこと――なの、だが。

 

 

(我が王を奪取して……それを?)

 

 

 ――無理だ。

 

 トーリの救出を前後どちらにしたとして、この理不尽の塊である存在相手に一秒でも時間を稼げる自信がネイトにはなかった。

 もし仮に、奇跡的に時間を稼げたとして、トーリを担いで武蔵まで戻らなければいけない。

 

 

 無理だ。――絶対に、無理だ。

 

 

「それにしても……ここまで成長していないなんて……流石にちょっとおかしいわ。食育はちゃんとしたつもりなのですけれど……やっぱり、環境ですの? もっとサバイバリティでデンジャラスで……

 

 

 

 ――『守護者』のいない場所のほうが、よかったのかしら」

 

 

 横にいた声がいきなり目の前に来る。……叩きつけられた時と同じだ。注意を逸らした訳でもないのに意識から外れる。歩法などの技術ではない。純粋な瞬発速力だ。

 人狼の弱点だと思っていた鈍重さ――それが、母にはない。薄々わかってはいたが、改めて自分が劣等であると見せつけられているようだった。

 

 

 ――そしてまた、先ほど焼き回しのようにネイトが釣り上げられる。

 

 

「あの子はもうダメだから、これ、いらないわよね?」

 

 

 そう問うて、しかし答えも聞かずに首に巻かれた緋色の布が容易く――容易く破ろうとして、思わぬ頑丈性に目を開き、改めて込められた力で、無残に引き千切った。

 

 ……ビ、から始まる、長い破断音が響く。

 

 

 首にかかった負荷が消えて……同時に、自分と彼の匂いが混ざった匂いも遠ざかり消えて――ネイトの目に、熱が上がってくる。

 

 

「ふう。武蔵へ預けたこと自体が間違いだったのかしらね……腑抜けた牙と爪を、森へ帰って鍛え直しましょうネイト。人狼として人の肉の味を知れば、多少は磨かれるはずですわ。

 

 ――あの子が初めてだと、これから先のお肉が薄く味気なく感じてしまうかもしれませんけれど……」

 

 

 そのまま、振り返る。視線の先には……狩りで仕止め、得たばかりのご馳走があった。

 

 

 

 

 止水を食え――そう、母は言っていた。

 

 

 

 

 

 




読了ありがとうございました!

四年前の三月始めに投稿を開始した、この境界線上の守り刀。


 ……ま、まさか四年も続くとは……。

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