境界線上の守り刀   作:陽紅

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二本目……!

そして……


※少々ですが、四肢欠損の描写がございます。苦手な方・不快と思われる方はご注意ください。


六章 刀、補うは『釵』

 

 ……声が、聞こえた。

 

 

 それは、深い水の底から聞くような、遠く聞こえ辛い声だった。

 

 

 その声は多分きっと、自分に向けられているのだろう。……そう思うのに、どこか、他人事のように聞いている。

 

 

 

――「……たった八年で、よくぞここまで辿り着きましたわ……誇りなさい。貴方は強くなったわ。この私が――この人狼女王が認めましょう。

 でも、貴方が私に届くことはない。例え。貴方がいまの成長速度で永遠に鍛え続けようと……(人狼女王)に届く前に、人間の限界に至る」

 

 

 

 その声は、どこか愛おしげで、それでいて寂しげでいて――しかし慈しんでいるようでもあって。

 

 なのに――嫌いじゃないが、好きにはなれない……そんな声だった。

 

 

 ……そんな声は、まだ言葉を続けていた。

 

 

――「確か、あの時も貴方は守るために立ち向かって来ましたわね。

 

 

 ……守るというその『枷』が無ければ、貴方はもっと強くなっていたでしょうに。そしてそれに、貴方は気付いていたはずでしょう?

 

 ――貴方はなぜ、そこまでして守ろうとしますの? 血の繋がったわけでも無い、赤の他人ですわよ? ……何が、貴方をそこまで突き動かすというのですの?」

 

 

 

 ……。

 

 

 

――「ふふ……もし意識があり聞こえているのなら、その答えを、強く胸に秘めておいてくださいな。貴方の血肉を糧とした時、その答えを得る事が出来るでしょうから――」

 

 

 それは手向けの言葉だった。そして、答えが来ないとわかっている、問いだった。

 

 どこか弱さのにじむ声も、きっと、向けた相手が死の淵にいるからこそのものだろう。

 

 

――「さて、と……あらやだ、あの子ったら何を転んでいるのかしら。もう、しょうがないわねぇ」

 

 

 

 あらあらと笑う声が方向を変えて、気配が消える。

 

 

 

「――――――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ドクン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……ああ、うん。よかった。まだ動いてる。

 

 

 心臓が動いてるなら、多分――大丈夫、かね。

 

 

 

――『救護班急げ! 呼吸が止まって……おい、おい止水! 答えろ! 頼むっ、答えてくれ!』

 

 

 

(……これは、正純か。はは……落ち着けよ。ちょっと呼吸が止まってるだけだ――って、流石に『だけ』じゃすまされないか)

 

 

 

 気道を満たしてる血を全部吐き出して、肺を無理矢理膨らませて空気を吸う。……肋骨の破片でも刺さっているのか、それともどこかで破裂でもしているのか。吸って吐く息に大量の血が混じった。

 

 

――『止水!? くそ、足場が――誰か! 誰でもいい! 早く……』

 

 

 

「……くるな」

 

 

 

 血を吐き出して、何度も咳き込んだが声は普段通りの、しっかりとしたものだった。

 

 ……とても、瀕死の人間が出したとは思えないほど明瞭に。

 

 

――『止水!? 意識を……ま、待ってろ! いま……』

 

 

「だから、くるなって。落ち着けよ正純……よくわからないけどさ、俺とトーリが目的なんだろ? なのに、俺を武蔵の中に入れたら……それこそ、さっきので武蔵ごと潰しにくる。

 

 ――そうなったら、本気で終わりだ」

 

 

 息を飲む音がくぐもって聞こえる。耳の中に血でも入ったのか、それともそこから出血していたのか……掻き出そうとして、動かそうとした腕に鋭い痛みが走った。

 

 

 ――なんだ、と左右を見て、ああ……と思い出す。

 

 

 

(そういや、磔にされてたんだっけか。はは……念入れてんなぁ……)

 

 

 

 腕を縫い止める刀だが、生憎と柄と鍔しか見えない。刀身は完全に腕と武蔵の外壁に埋まっていた。

 

 『一度誰かの手に取られた刀は、止水が握り直すまで使役できない』――らしく、どれだけ意思を込めても、突き刺さった八刀はピクリとも動かない。……十年近くも使役しているのに、驚愕の新事実だ。

 

 

 刀を手に取ることができないので力で無理矢理引き抜こうとするが、思うように力を込められない上に刃が装甲に咬まれているようで八刀全てがビクともしない。

 ならば、と刀ではなく腕を刀で切って引き抜こうとするが、刃の向きがバラバラなのでそれも難しい。

 

 

 

 どうするか……と考えはしなかった。

 

 

 およそ五秒、眼を閉じ、深く呼吸して。

 

 

 

 

(……悪いな。お前との約束、守れそうにないや……だけど、さ。こればかりはしょうがないよな)

 

 

 

 苦笑する。

 

 どうするか――は、ほとんど考えず、どうにかした後で生じるあれこれに……その結果に、苦笑する。

 

 

 

 ……折角、約束を果たす用意はできたというのに肝心の自分がこれでは意味がない。

 

 

 ――だが。

 

 

 かけがえのない友を、二人――救い守りにいくのだ。きっと、許してくれるだろう。

 

 

 

 

「――正純。武蔵を出港させてくれ」

 

『武蔵の出港!? いきなりなにを……おい待て止水! お前、そんな状態でなにが……』

 

 

 

 

 

「決まってんだろ? 無茶しにいくんだよ。――変刀姿勢・戦型。

 

 

 ……これでダメなら……まあ、そん時は素直に諦めるさ」

 

 

 

 

***

 

 

 

 喉の圧迫に苦しみながら、しかし言葉を作った。

 

 

「……おこと、わりっ、ですわ」

 

「あら……」

 

 

 

 ……ネイトは、上がってきた熱を感情に乗せて、言葉の勢いに乗せた。首を掴まれて呼吸が苦しいが、あの人――止水は、もっと苦しいのだと思えば、なんてことのないものだ。

 

 

 ――ずっと、弱い自分が叫んでいる。

 

 

 『従ってしまえ』と。そうすれば、楽になれますわよ、と。

 

 『美味しそうな匂いをちらつかされて、もう我慢の限界だったでしょう?』――と。

 

 

 ……止水は、いつも血の匂いを身にまとっていた。時々で強い弱いの差はあるが、ほぼ毎日と言っていいほどに、血を匂わせていた。

 さらには日頃から膨大な量の流体を――それも、肉食系の異族がもっとも求めるだろう質の流体を刀から供給されているせいか、その匂い……香りは猛烈にネイトの本能を刺激し続けた。

 

 唐突に近付かれたり、すれ違ったりした時――思わずゴクリと生唾を飲み込んだことなど、いくらでもあった。

 

 

 

(英国では、実際やらかしてしまいましたものね……)

 

 

 

 首に噛みつき、その匂いを飢餓感が薄れるまで堪能した。その行為は乙女として赤面するほどに恥ずかしかったが、それ以上にネイトは安堵していた。

 止水についていた噛み跡はしっかり形を残していたが、どれも食い千切られるまで至らず、出血すらしていない。甘噛みのレベルであることに、当時ネイトは心から安堵していた。

 

 

 『自分はまだ獣ではなく、騎士なのだ』と。

 

 ……武力では遥か彼方に置き去りにされてしまっているけれど、『民を守る』という誇りを胸に抱いて、戦場に赴く騎士なのだと。

 

 

 

「確かにわたしは、未熟ですわ。お母様の、足元にも影にも――後ろ姿を見ることもできません」

 

「ええ、そうでしょうね。後ろ姿を見ることができる道にも登れていませんわ」

 

 

 この人本当に私の母なんでしょうか。と、この子今更なに当たり前のこと言ってるの? と本気の疑問顔を浮かべる母の顔を見て、思う。

 

 

 ……その母が、『食え』と言った。

 

 

 

 悩んだ時に、迷った時に……道は示せずとも、共に悩み考えてくれた人を。

 

 傷付き倒れて、それでもなお立ち上がって。守るという信念を、刻ませてくれた、あの人を。

 

 

(動きなさい……)

 

 

 ――指に力が戻る。足りない。

 

 

(動いて……!)

 

 

 ――指から手に肘へ肩へと登る。まだ、足りない。

 

 

(動……けぇ!!)

 

 

 

 胸へと至り、心臓へ。

 

 血を回せ。高速で打て。

 

 

 力を。抗うだけの――絶対に勝てない、負けるに決まってる勝負だろうけど――抗い、信念を貫くだけの力を……!

 

 

 

 

 ネイトの両手が、母の手首を掴み返す。わかっていたことだが……角材くらいなら握り折れる握力を全力で込めても、わずかにも揺るがない。

 

 だが、それでも構わない。敵わなくとも、反抗の意思を……!

 

 

「あの人を死なせて、その血肉を食って強くなる? はっ、真っ平ゴメンですわ! そんなことをしなければ強くなれないのなら、弱いまま、トロイままで結構……!

 

 

 私は、武蔵の騎士! ネイト・ミトツダイラですわ! 飢えた狼などでは、ありませんっ!」

 

 

 

 睨む。

 

 ……娘からの反抗に母の目が据わり、恐怖で背筋が凍るように冷えるが――それでも睨み返す。

 

 

 

 ――間違っていない……! 悔いはない! 言ってやった! 自分の思いのまま、信念のままを! 友を食って得た強さなど、なんの価値もない! そんな強さなら、こっちから願い下げだ!

 

 

 手が上がり、銀十字が掲げられる。……先ほどの一撃が来るのだとすれば、ネイトは確実に死ぬだろう。

 

 

 

(……止水さん。お願いされましたけど……ゴメンなさい。我が王を、守れそうにありませんわ。私はここ……で――……?)

 

 

 

 最期の願いを綴ろうとした――思考が、止まった。

 

 

 母越しに見た武蔵。

 そこに開けられた真新しい穴から、今までとは比べようもない圧倒的な密度の緋色の流体が、濁流のように吹き出したのを見て、諦めに至ろうとしていた心が止まる。

 

 あまりに密度が高い所為か、最早緋色越しに向こうを見ることができない。緋色そのものが大炎となって荒れ狂っているその有様は、その源にいる者の意思をなによりも如実に表していた。

 

 

 

「これは……まさか、あの子なの?」

 

 

 ほとんど同時に振り返っていた母も、眼を見開いている。

 

 ……その金色の瞳は、困惑と疑念に満ちていた。

 

 

 あの体で動けるわけがない。

 傷も出血量も、現代の医療技術を持ってしても諦める、いや、死んでいなければおかしいレベルだ。

 

 人間がこれほどの流体を秘めてられるわけがない。

 時折人間でありながら秀でた異族に準ずるような者も現れるが……こうも短時間で『流体許容量を倍以上に上げる』など、聞いたことがない。

 

 

 

「……ネイト? あの子は一体なに? さっき軽く上がったのは気のせいと思ったのですけれど……さっきの倍、いいえ、もっとかしら。あれで本当に人間なの?」

 

 

 武蔵へ振り向いたテュレンヌの()()

 

 ……説明を命じた娘の物とは似ても似つかない、『若い男の濃い血の匂い』がした。

 

 

 

「――これで本当に人間だよ。

 って言っても親父の顔は知らねぇし、一族の始まりは『刀から生まれた〜』とか言われてて、元祖は結構怪しいけどな。

 

 まあ、んなどうでもいいことは置いといて。とりあえず、さ」

 

 

 

 

 緋炎を全身で引きながら、蹴り足に渾身を込める――

 

 

 

 

 

「――ミトを離せ。おばさん」

 

 

 

 ――止水が、いた。

 

 

 

 放たれたのは蹴り。

 

 これまで止水から千に近い数の攻撃が放たれ、無意味となっていたが――初めて、止水の攻撃が人狼女王を捉え、その攻撃を振り抜いた。

 

 

 

 

***

 

 

 

「…………。そうか、そういうことかい。ああ、やあっとわかったよ……」

 

 

 場所は戦場より少し離れ、武蔵右舷二番艦『多摩』――その表層に構える軽食屋『青雷亭(ブルーサンダー)』の店先では、本日に限り臨時展開されている屋外座席があった。

 

 重力航行を連続で行って一気に戦域から離脱するショートジャンプ……その諸々の備えを終えた自動人形以外の面々が会している。『危険ですので屋内に――』と武蔵が注意を途中で止めたのは、『その程度では危険足り得ない』と『いっぺん痛い目見るべき』という二つの判断をしたからに他ならない。

 

 

 

 その席の一角に座し、空中に投影されている巨大な表示枠を見ていた青雷亭の女主人が、静まり返った場に、波紋を落とすように言葉を発する。

 

 一語ごとに、その言葉が周囲の温度を下げていく。だが、周りにいる酒井や武蔵王ヨシナオはそれを止めることも、それどころか怯えることもなかった。

 

 

「――ざ……けるな」

 

 

 ……熱を伝えぬようにと分厚く作られた湯飲みが、わずかにも耐えることなく呆気なく握り潰される。湯気を上げる熱い茶が溢れて手が濡れるが、女主人が構うことはなかった。

 

 

「ふざけるんじゃ、ないよ紫華ぁ! なに、考えてやがる! 自分の――てめぇの子供だろうが!」

 

 

 表示枠の向こう。望遠故に画質は少し荒いが、それが止水だとわかる程度には鮮明だった。

 

 鮮やか過ぎる緋……その炎に燃やされている彼を通すようにして、その向こう側にいるだろう親友をヨシキは睨み、轟く雷のような怒声を上げた。

 

 

 葵 ヨシキ。……漢字では「可愛くない・女らしくない」としてカナ表記を徹底しているし周囲にもさせているが、彼女の名は『善鬼(ヨシキ)』と書く。

 余談だが、陰陽師が使役する存在には『前鬼(善鬼)』『後鬼《護鬼》』という式があり……善鬼は先陣を切り、強大な力で魑魅魍魎を封滅していくのだという。

 

 

 ――名は体を現す。その片鱗が……母となり、娘と息子を十八年育てゆく中で眠っていたそれが、顔を覗かせていた。

 

 

 

 

(……守りの術式。普通に考えたら不自然なことばっかりなんだけど……()()()()()()なら、説明はつく)

 

 

 酒井は湯飲みを揺らし、中の茶を回す。

 

 

 守り刀の術式。数えるほどにしかないそれらの中で、その一族の信念の具現だろう一つ。

 ……『究極の自己犠牲』とさえ言える、対象の負傷を術者が奪う術式……守りの術式『きみがため』。

 

 

 対象が受けた痛みや傷を、指定した割合で止水が引き受け肩代わりする。と、されているが……より細かく正確にその事象を説明すると、『対象が負傷によって削れた分の流体を、止水の身を削って得た流体で補填する』というものだ。

 

 その事象が完全に同時、かつ同部位であるため『負傷が止水に移った』ように見えるのである。

 

 

 ……この説明を受けた当初――酒井は何故、と疑問を抱いた。

 

 ――【契約した数多の刀から常時供給され、有り余って溢れさせている"肉体に馴染みやすい緋色の流体"をそのまま用いないのか】と。

 

 その流体で作った線を対象に常時直接繋げているという。……ならば、線を伸ばす感覚で対象に流体を供給するだけで十分なはずだ。

 だというのに、守りの術式には一々止水の体を削り、削った体をワザワザ流体に還元してから補填に当てる――という、いろいろと無駄にしている上に無意味な行程がいくつもあった。

 

 

 その無駄に、その無意味に、気付かなかったとは思えない。

 

 まるで……まるで。

 

 

(あいつが傷つくことを、この術式を創った人が望んでいるかのように……)

 

 

 あり得ない。

 

 ――酒井がその仮説に至った時、真っ先に否定した。いろいろな憶測を立てて、そうしなければ成立しないのだ、と歯痒さを覚えながらしかし納得し、忘形見の息子を見守っていた。

 

 

 『そうしなければ発動しないのだろう』――したくもない納得をして、できるだけそれが発動しないようにと日々気を揉んで……。

 

 

 

 

 ……だが、これ以上ないほどに、結果が出てしまっていた。

 

 膨大な――それこそ、英国で見せた流体量を圧倒するほどの……実体すら伴いかねない密度の流体を全身から溢れさせている止水が、その答えだった。

 

 

 

「……麻呂が聞いた話では、『止水くんが母君が製作した術式を偶然見つけて使用している』とのことであったが……」

 

「Jud. 間違いじゃあないんだろう。……間違いじゃないってだけで、大切な言葉がいくつも抜けてるんだけど」

 

 

 一つ一つ、思い出すように答えを繋げていく。

 

 

「……守り刀の、じゃないんだ。あの術式は、守り刀の()()()()だったんだ。止水にしか使えない……いや、止水以外だと意味を成さない。

 ――そうなるように、紫華さんが作ったんだろうね。あの守りの術式は『止水が使うことで初めて、最大の効果を発揮する』んだ。そして、止水はそれを知っている。その術式を見つけたからこそ、十年前、あいつは自分の意思で守り刀を継承したんだ」

 

 

 『負傷を奪う』

 

 ――それは表現として、間違ってこそいないだろうが……違和感は十分にあった。まるで、傷や痛みを得ることが、止水にとって得であるかのような言い回しだからだ。

 

 

 その言い回しを最初に言ったのが一体誰だったのか、もはや定かではないが……それが正解だった。得でこそないが、止水には必要だったのだ。

 

 

 

 あればあるだけの、痛みと傷が。

 

 

 

 ……止水本人が、さらに高みへ登るために。

 

 

 

「……俺は刀だ、か」

 

 

 

 

 現代式ではない、古来の……神代の時代の前に行われていた刀の製法を、酒井は思い出していた。

 

 

 

 ――鋼を炉で熱に曝し、鎚で叩き伸ばし、折り曲げて重ねて、また伸ばし。

 

 

 幾重にも、幾重にも。

 

 満足を得るまで、幾重にも、幾重にも。

 

 

 

 

 ――痛みは、炉に焚べる『灼熱』として。

 

 ――負傷は、強く打ち鍛える『鍛鎚』として。

 

 

 

 

 止水は、『止水』という『刀』を、弛まず鍛え上げていく。

 

 

 

「傷を負えば負うだけ、彼は強くなる、と?」

 

「Jud. なにがどう強くなるのか、ってのは流石に本人に聞くでもしないとわからないけど……あんな『大怪我』してんのに開戦前よりも動きが遥かに良くなってるんだから、まず間違いないだろう。

 

 俺の知る限り、紫華さんも、紫蓉さんも……あんな体質じゃなかった。御霊さんたちの言う守り刀の一族の『集大成』って言葉をそのままに考えるなら、止水個人の体質か……」

 

 

 

 

 

 

『……あんの、っ大馬鹿者が! なんてことを――ええい、くそ! 浅間を呼べ! 急げ! 術式保管であればまだ間に合うかもしれん!』

 

 

 

 ……困惑と怒りで荒れたウルキアガの声が、表示枠から届く。

 

 ――見上げたその表示枠に映る止水は、まっすぐ、揺るぎない大樹が如く、ネイトの前に立ち塞がっていて。

 

 

 

 

『止水め……

 

 

 

 

 ――自分の両腕を切り落としおった!!』

 

 

 

 

***

 

 

 

 

「悪いなミト、時間稼げなかった。でも、今度はもうちょっといけると思うから、また頼む」

 

 

 蹴りの残心を終え、背を向けて立つ男は、いつも通りの声で、いつものように一番肉体的にきつい役を負う。

 

 

 

 

 ――今までにないほどの濃密な血と、剥き出しの肉の匂いを香らせながら。

 

 緋の着流しは磔にされたまま外れ、上着の袖も全て切り落とされている。本来ならばそれで剥き出しになるはずの――逞しい両の剛腕が――……どこにも、なかった。

 

 

 

「…………」

 

 

 自失。……目を見開き、ただただ呆然とするネイトに、止水はしょうがないとばかりに苦笑を見せ、蹴り飛ばした彼女の母を見る。

 

 刀の重量枷を外したまま、さらには色々と度外視して諸々込めた、人生最大威力を大きく更新した一撃だった。にも関わらず……無傷な上に10メートルと距離を空けられなかったことに、心底ゲンナリする。

 

 

 その人狼女王は、静かに俯いている。顔は前髪で隠れて、その表情は見えないが……しかし、肩が微かに震えていた。

 

 

 

「……あ、あの。私、そのい、今おそらくきっと聞き間違いをしてしまったようなのですけれど、あのあの、今あなた私のこと、その――

 

 

 

 ……ななななんて呼びましたの?」

 

 

 

 とてつもなく挙動不審だった。

 

 

 

「……えっと、おばさん?」

 

「二度!? 二度言いましたわこの子! 普通今のやり取りで察して『綺麗なお姉さん』とか『絶世の美女』とか言い変えますわよ!? そ、それをおば、おば……!

 げ、現役! 現役ですのよわたくしは! 学生ですから! ええ!」

 

「……いや、普通友達の母ちゃんってだいたい『おばさん』って呼……? あれ? 俺呼んでないな……ヨシキさんはヨシキさんだし、鈴のとこは女将さんだし」

 

「で、でしたら私のことだって『テュレンヌさん』とか!」

 

「ちゅれんぬ?」

 

「わざとですわね!? わざとやってますわね貴方! ……え、真面目な顔ですわ。 ……な、ならそこの武蔵総長のように『ネイトママン』と!」

 

「勘弁してくれよ……それ、多分トーリだから言える、ある意味で十八禁ワード(十八歳の男が恥ずかしくて普通は言えない禁止ワード)だぜ? ……身内の姉ちゃん呼びだって恥ずかしいってのに」

 

 

 

 

 ――軽い。なんと中身のない無意味な会話だろう。

 

 音声だけならばごくありふれた、どこかの日常風景であろうが……。

 

 

 片や両腕を失い、片や、その失った原因だ。

 

 前者は大切な人の一人で、後者は実の母親――ネイトの混乱は当然だろう。

 

 

 

「だから、あー……。おい、ミト。そろそろ戻ってくれ。無理。限界。俺が言葉でのあれこれ苦手だって、知ってるだろお前」

 

 

 

 ()から目を絶対に逸らさず、顔をかすかに傾けて言葉をネイトに向ける。

 

 それを聞いて、やっと我に返ったネイトだが……目の前の光景が、夢でも嘘でも冗談でもない、紛れようのない事実だと突きつけられて――今にも泣き出してしまいそうなほどに顔を歪めた。

 

 

 

 ――長年の鍛錬で岩のようにゴツゴツと硬くなってしまった、しかし誰よりも優しい無骨な手が。

 

 数多を守り、支え続け……小柄な女性のウエストよりも太く隆々となった上腕が。

 

 

 ……どこにも、なかった。

 

 

 

 

 

 その原因は間違いなく己の母であるだろう。だがトーリが戦場に出なければ……そうでなくとも、ネイトがもっと強ければ、この現状は回避できたかもしれない。

 

 

 そんな思考が、ぐるぐるとまわる。……自分さえ、いなければとさえ。

 

 

 

 

「おいこら。せっかく戻ってきたのにまた考え出すな」

 

「きゃん!?」

 

 

 脳天に痛撃。それが、へたり込んだ自分に降ってきた頭突きであることはすぐさま理解した。

 

 痛いわけだ……鉢金は、まだしっかりと巻かれている。

 

 

「あのな、ミト。勝手に背負うな。邪魔だからって腕を切り落としたのは俺だ。

 

 それにな、国守るって誓ってんだぞ? 腕どころか、死ぬ覚悟だってとっくにできてるよ……まあ、それ以上に『生き抜く覚悟』もしてるわけだけど……」

 

 

 

 血と泥で汚れた顔で振り返り……笑う。

 

 

 

「けど、まあ……さすがに今回は、諦めるしかなさそうだな」

 

「えっ……?」

 

 

 

 諦める。

 

 

 その言葉だけは。この状況の戦場で、彼の口から聞くとは思ってもみなかった。

 

 トーリの命でもない。ネイトの命でもない。武蔵でもないだろう。ならば、人狼女王への勝利か。

 

 

 

 

「……()()()。お前は強くなる。それこそ、俺よりも、お前の母ちゃんとだって良い勝負できるくらいに。だから……こんなところで潰れんじゃあねぇぞ」

 

 

 

 何を言っているのかわからなかった。このタイミングと、言われた内容が――まるで……。

 

 最悪の予感が胸中を過ったネイトを置いて、止水は進む。

 

 

 

 

 

 

「……俺の一族は、その生き方の所為で人生の大半を戦場に置いた。……時代が戦乱の世でなくとも、普通の連中よりずっと荒事に関わってきた」

 

 

 

 だから。

 

 

 

「当然、そういうのに多く関わってりゃあ、『四肢の欠損』なんて()()()()()()だった。

 ……バカな一族だろ? 失う可能性があるなら遠ざかればいいのに、失っても戦い守り続けるための――『補う技術』ばっかりとことん追求したんだ。それが一族の中で、一つの流派になっちまうほどに」

 

 

 だから、斬った。

 

 己を束縛する腕。それを切り落とせば自由になる上に、それを用いることで……切り落とされる、落とさざるを得ない状況を覆すために――『より強くなれるから』。

 

 

 

 

「【釵】――そろそろ、いけるか?」

 

 

 

 歩みを止めた止水の、二歩先のその頭上に、雲のような印の表示枠が水平に展開される。常時使う通神板(チャット)のものより遥かに大きいそこから――それは、落ちるように現れた。

 

 

(人……?)

 

 

 等身大――背丈はネイトと同じ程だろう。やたらと高い下駄を最初に、背筋や関節を曲げることなく、直立したまま着地して現れる。

 

 緋をメインにした、十二単を改造したような衣装。完璧に結い纏められた黒髪は艶やかで――だからこそ、その美しい顔が人形であることが尚の事際立ってしまう。

 

 

 人形の顔は、その唇を一切動かさず言葉を作り出した。

 

 

【――時代技術、精査完了。使役対象の身体欠損を認識。敵対存在の脅威度数を測定――……測定完了。異常事態を警告。敵対対象の戦闘能力の圧倒的優位を確認。

 警告。警告。――速やかに戦闘を放棄し、即時撤退を推奨――】

 

 

「推奨を拒絶。……ここが、信念の正念場ゆえに」

 

 

【――……。承諾。現時代技術での最大稼働を確立。形状作成、仕様制定を完了。使役対象との合一を開始――】

 

 

 

 淡々と、淡々と。現代の自動人形よりも人形――いや、機械とのやりとりのような確認を終えて、【釵】たる人形が振り返る。

 絡繰、機械の動作音が緋十二単の下から無数に聞こえる。衣の帯が解かれ、拡がった布が止水を巻き込んで大きな繭を作りあげた。

 

 ……繭が閉じる、その直前。無機質な人形の顔が――わずかに、笑みを見せた。

 

 

 

 

 

【――ご武運を、当代。そしてどうか、その信念の本懐を】

 

 

 

 

 

 ――閉ざされた繭は数秒とせず解けた。

 

 

 

 人形……【釵】が消え、現れたのは止水だけだ。ボロボロになった上着が肌蹴て、袴の上に巻かれた帯布のようになっている。

 

 

 そして、失われたばかりの両腕の所には、人間を模した――機械仕掛けの鈍い金色の剛腕が、その存在感を示していた。

 

 

 

 

「【微刀・釵】……『金剛双腕』。行くぜ?」

 

 

 背肩、肘、掌がそれぞれ()()、極光を発する。

 

 

 

 それと同時に――止水が、消えた。

 

 




読了ありがとうございました!


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