境界線上の守り刀   作:陽紅

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六章 刀、最強に至る

 

 

 『ステージ』

 

 

 ……この言葉を見て、そして聞いて……諸兄は、一体なにを想像するだろう。

 

 

 演者たちがスポットライトに照らされ、物語を描き語る『舞台』だろうか。

 

 それとも、事象が行程を終えて次へと進む。その過程を示す『段階』だろうか。

 

 

 

(これは……まさか)

 

 

 

 『神域到達者』──読んで字のごとく、『神々の領域に到達した者』である。

 

 矮小な人間では絶対に届かぬ、遥かなる高み。か弱い人間では、たとえ永遠に鍛え培ったところで、足元にすら届かない絶対存在()へ、昇り詰めてしまった超越者。

 

 

 その一人であるテュレンヌは──全身に鳥肌を立てて、目の前の光景にただ見入っていた。

 

 

 

 

(『私と同じステージ(神域到達者)』への扉を、無理矢理こじ開けた……?)

 

 

 

 

 喉が強い渇きを覚え、思わず、重い唾を飲み込む。

 

 

 ……人間が登って無事でいられる舞台(ステージ)ではない。

 異形の白甲。それからなる三対六腕を深く携え、緋の業火を身に纏い──天へと上げた咆哮は、宣言だ。

 

 ──神を討ち、神を殺すという、人間の宣戦布告だ。

 

 

 ……人間が辿り着くことのできる場所にある段階(ステージ)ではない。

 限界を超え、種族を超え、永遠すら超えて……その信念を貫くために命さえかなぐり捨てて、その資格を世界から奪い取った。

 

 

 

 

「ああ……」

 

 

 凄まじい存在感。まるで、目の前で世界最大級の火山が、特大の噴火を起こしたのではないかと錯覚させるほどの重厚かつ圧倒的なそれが、テュレンヌには何よりも心地良かった。

 

 

 ……最強であるが故の孤高。ネイトの父であり、また自らの夫である男に出会えた事こそ生涯の幸運であっただろうが、それでも心のどこかに無聊を抱いていた。

 

 手加減に手加減を重ねて遊んでも、並の連中は簡単に倒れ諦めていく。わずかにいる尖った者でさえ、ちょっとやる気を出した人狼女王の遊び相手にしかならなかった。

 

 

 

 『全力で戦いたい』──幾度、天に浮かぶ双子月を見上げて願っただろう。しかし無情にも、それを出すに値する相手が、この世界にはいなかった。

 

 

 だが、これは──もしかしたら……?

 

 

 そう期待する人狼女王のまさに目の前に、六腕の大男が来る。

 全身をひねり、踏み込み、全ての予備動作を終えた状態で現れた彼に驚き、とっさに急所を守る防御姿勢をとった。

 

 

 

「■■■ッ!!」

 

 

 

 一咆。

 

 同時に、三つの右拳が炸裂する。偶然にも防御した腕に当たり──それに困惑する人狼女王を打ち飛ばした。

 

 

「「……は?」」

 

 

 左右の耳でエクシヴと輝元の呆気に取られた声をそれぞれ聞いて、さらに飛ぶ。

 

 ……六護式仏蘭西の主力大型戦艦。帰還の準備を進めていたために回頭していた内の一つの横っ腹に着弾して、やっと止まった。

 

 

 最新鋭艦の強化装甲をクッションに、頭と胸……心臓を守る様に組んでいた腕を、マジマジと見る。

 

 

 

 

 ──『見えなかった』

 意識して油断しまくっていた知覚を、超えてきた。

 

 ──『咄嗟の防御』

 本能が動いた。……『直撃は危険だ』と。

 

 

 そして防御した腕から、少し遅れて強い痺れが神経を通して脳へと届く。

 

 母である先代人狼女王とのじゃれ合い以降、ネイトを産んだ時以外で一切働くことのなかったそれは……『痛覚』と呼ばれるモノだった。

 

 

「……ふふ、あらやだ。やり返されちゃいましたわー」

 

 

 状況は、銀十字で止水を多摩に打ち込んだ時ととてもよく似ている。いまの彼は意図も意識もしていないし出来ないだろうが、テュレンヌはそう思った。

 

 

 

 

 ──もしかしたら? では、ない。

 

 

 

 絶対に開けることのできない扉を、絶対に、開けてはいけない扉を。

 

 ──彼は、こじ開けたのだ。そして、そのままなに一つ躊躇うことなく、踏み込んできたのだ。

 

 

 

 『神域到達者』の舞台(ステージ)へと……!

 

 

 

 

「ふふ、ふふふっ……あはは」

 

 

 腹の底、心の底から笑いが込み上げてくる。

 

 

 ……古い約束があった。副長という煩わしい肩書きを付けられたのも、偏にその約束と共にあった恩を返す為だ。

 ──そしてそれは僥倖だった。『討ち取れ』と頼まれ赴いた場所は、十年前に食うことを我慢した獲物がいる国であり、十年を経てさらに熟成された極上の獲物が、打ち合えば打ち合うほどにさらにさらにと昇華していく。十分驚き、賞賛した。

 

 

 

 早く食べたい、その血肉の一滴一片に至るまで、己の物にしてしまいたいと逸り……

 

 

 

 ──また、テュレンヌは驚かされた。

 

 

 

 獲物は──止水は。この飢えた腹どころか、渇いた心まで満たし潤そうとしている。

 

 

 人狼女王が打ち込まれた戦艦が、戦場に戻る為に踏み込んだ人狼女王の蹴りがトドメとなって、真っ二つに折れて堕ちていき──……。

 

 

「「……はあ!?」」

 

 

 今度は驚愕に彩られたエクシヴと輝元の声を左右の耳で以下略。右の三腕を振り切った状態の『敵』へ、重力も空気抵抗も無視した直線軌道で突貫した。

 

 そして、痺れの残る腕を振る。拳を固く握り締め、油断も慢心も取っ払い──『星の形をも変える一撃』を止水へと叩き付けた。

 

 ……奇跡的にも崩落中である大地だったため、その打撃は地球へなんの被害も出すことはなかったが、その分直撃を受けた止水と、その足場になっている元IZUMOの被害は甚大だった。

 

 

 

 

 

 ──甚大な被害となる、はずだった。

 

 

 

 

 人狼の瞳孔は縦に細まり、その口は犬歯をむき出しにして笑う。

 

 

 左三腕。上の一本が肩を抑え、中の一本が肘を曲げ、下の一本が拳を受け止める。打撃力の大半が三点で止められ、大きく削がれたのだ。

 

 尤も、それでもなお人狼女王の一撃は、止水を釘にして大地に巨大なクレーターを作る威力があるのだが……。

 

 

 それでも、人狼女王の『本気の一撃』を止めた事に変わりはない。

 

 

(次は、連打!)

 

 

 キュボッ、という異音。超高速・超高密度のラッシュの摩擦で大気が一気に加熱し、同速・同密度で激突した衝撃で大気が弾けるという異常現象が発生する。

 

 拳と拳がぶつかり合う距離。そこからさらに一歩踏み込み、お互いの体に届く距離で打ち合う。

 

 

「はぁぁぁああああ!!」

「■■■■■──っ!!」

 

 

 防御は一切考えない。攻撃で攻撃を潰し、さらに攻めて相手を倒す──お互いに『攻撃は最大の防御』一択の超攻撃思考。

 有効打は貰わないが、こちらも取れない。腕の熱と痺れが瞬く間に増えたが、テュレンヌは構わず打ち続けた。

 

 

 

 ああ、楽しい。体も心も軽くなって大気圏を突破してしまいそうだ。荒々しく叫ぶなんぞ、何十……何年ぶりだろうか。

 

 本気で打った。これまでにあった『つい加減を間違えてしまった本気』ではない。だというのに、それに応えてくれる。

 

 

 

 嬉しかった。

 

 しかし、同時に……悲しくもあった。

 

 

 ……"この楽しい時間は、すぐに終わってしまう"……

 

 

 

 人間が至ってはいけないその領域に至るために、彼が代償として支払ったのは──

 

 

 

 

***

 

 

 

【(……あと、二分四十秒)】

 

 

 止水の内に入り、【鐚】は淡々と時を刻んでいた。

 

 三分……それが【鐚】の終式を発動して戦える時間だ。それを超えると、【鐚】を発動した守り刀は死に至る。つまり、あと二分数十秒で止水は壊れる。

 

 

 末代──最後の生き残りの死。

 

 それは守り刀の一族の、完全なる滅びを意味していた。

 

 

 

 あと二分半、抗い戦うことの全てを止水に任せ、【鐚】は己の役目を果たしていく。

 

 

 

 

 

 ──守り刀の十三の流派。それぞれが様々な戦況・戦場に特化するように、その力を極めていった。

 

 ……極まりすぎて条件や準備やらいろいろ必要になってしまったが、それでも、どの一派もお互いの不足を補うようにして、一族は時代の移り変わりに順応してきたのである。

 

 

 『対人』であれば、絶刀【鉋】。『腹に抱えられる者だけ』という条件の下、絶対不壊の守りを成す。

 

 『対軍』であれば、千刀【鎩】。『千本もの刀』を用意しなけれならないが、一対多数では不敗無双。

 

 『対国』であれば、斬刀【鈍】。『大量の自血』で貧血は避けられないが、その斬撃は地平の彼方まで届き、物理的に国を裂く。

 

 同じ対軍でも『()対軍』になれば、一騎当千たる【鎩】よりも、力を分け与える王刀【鋸】が最特化となる。

 

 賊刀【鎧】は超災害を相手とした『対星』を謡い、微刀【釵】は緊急時の『戦力維持』を担っている。それぞれあの巨体の運用と、自身の体の欠損という極めて難しい準備、条件が必要とされる。

 

 

 

 そして、悪刀【鐚】。顕現した『神域到達者』が害意ある存在であった場合……これと戦い、討滅する。いわば『対神』の力である。

 

 人間の身で神と戦う。その無理を徹す為に、脳が自壊しないように無意識の内にセーブしている本来の身体能力を理性を捨て狂化する事で解き放ち、さらにその限界を超えて強化する事で強大な力を得るのだ。

 

 ……当然、いかに身体能力・生命力に優れる一族でも、そんな状態で戦い続ければ無事では済まない。その上、狂化(強化)()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 

 『命を捨てる』──それが、【鐚】を用いる条件だった。

 

 

 

【(……最期が、満足を得られる形で終わってくれそうでよかったわ。これなら私も一族として、【鐚】として──胸を張っていられるもの)】

 

 

 そして、他の十二の流派とは違い、【鐚】だけが二つ目の役目を持っていた。

 

 

 【鐚】に限った話ではない。一族の力が及ばず、守りたい者達を逃さねばならない状況に陥った時。

 

 ……逃げてほしいのに逃げてくれない者達に、その記憶を塗り替え、恐怖を植え付け逃すのが──()の一字を背負い頂く、【鐚】の役割なのだ。

 

 

 

 

 ……裏切っていい。切り捨ててくれていい。

 

 ──その代わり、どうか、笑っていてほしい。

 

 

 ……悪に染まった鐚刀など、ここに捨てて、置いて往け。

 

 

 

【(悪名上等。──命惜しまぬ我が一族に、名声喝采惜しむ者無し)】

 

 

 

 止水の姿を『見た』者たちが抱いた、ほんの少しの恐怖を増大させる。

 

 直接間接を問わず、止水に集まった視線を辿るだけで【悪名戦離】の発動条件は満たされるのだから楽でいい。

 

 一騎打ちの様相である今、武蔵の全住民の眼は止水と人狼女王に集中している──先ほど気絶した弓の巫女は眼の片方が義眼だった所為か、力の掛かりが弱かったから念入りに掛け直した。

 

 

 

 連打の応酬の中──人狼女王がその金髪を目眩しのように用い、拳は初めて空を突く。その隙に鋭く懐に飛び込み、顎を狙った昇拳は見事に着弾し、顎と、歯の多くが砕け潰れる異音が術式に集中している【鐚】の耳にも届いた。

 

 成層圏を突破しても不思議ではない凄まじい威力にも関わらず、止水の足は大地から離れる事はなかった。それどころか、威力で仰け反った背筋を抗う様に曲げていく。見上げてくる人狼女王を、見下し睨むまで頭を戻し、一対の手を組み二対をそれに重ね、渾身で打ち下ろした。

 

 

【(──あと二分、あるけれど)】

 

 

 最期の攻防になる。些か早いが、そう悟った【鐚】の予想は正しかった。六手を叩き付けた反動で跳ねた止水が人狼女王の真上を取った。

 同時に、組んでいた手を解き──六腕の手首を合わせるように構える。どこか花のようにも見えるその手を、真下にいる人狼女王に向け──

 

 

 

「■■■■────ッ!!」

 

 

 

 ──極光。

 

 光の奔流は、レーザー砲と例えた方が分かりやすいだろう。照射反動で止水の体が天高く浮き上がっていき、逆に、安全措置としてわずかな浮力を展開して下降していく元IZUMOの大地にトドメを刺し、地上へと完全に堕とした。

 

 

 

 照射はおよそ五秒ほど。上昇を続けた止水は下に向けていた六腕を、今度は大きく天へと掲げる。

 

 

 

 膨大な緋の流体。それを、ただただ破壊力に変えて放出していく。

 

 瞬く間に出来上がったのは、直径で武蔵の全長ほどはあるだろう巨大な球体だ。──それが一気に五十メートルほどの大きさまで圧縮され、空間が歪むほどの圧倒的な力の塊が完成する。それを大きく振りかぶり……

 

 

 

「■■■ッ!!」

 

 

 

 真下へと、全身を使って投げ落とした。

 

 轟音を立てて、巨大な力が全てを押し潰していく。ただの瓦礫郡となった元IZUMOがさらに砕け、やがて制御を失った力の塊が、本日最大だろう威力と範囲で大爆発を巻き起こした。

 

 空に浮く巨大なIZUMOが真下からの爆風で数十メートル持ち上がり、六護式仏蘭西の戦艦が風と衝撃に煽られ航行不能となって幾つも堕ちた。武蔵は幸いにも重力航行直後で加速中だった為、その爆風を追い風にして距離を稼いだだけで大きな被害とならなかった。

 

 

 

 大罪武装……いや、現存するありとあらゆる兵器を軽く上回る破壊力に……集う視線に乗る恐怖が、一段と強くなる。

 

 知り合いだった者。友だった者。仲間だった者。全て過去形になった者から向けられる……人ならざる怪物を見るような眼。

 

 

 ……向けられた恐怖の感情に、【鐚】の心は、小々波ほどの揺らぎも起きなかった。

 

 

 IZUMOの残骸を全て消滅させ、その上で隕石でも落ちたようなクレーターに降り立った止水だったモノ。

 

 

 

 着地から数秒を置いて、三本ある右の腕の一本が、小さな破裂音を鳴らした。

 

 破裂音は止まらず、そのまま一気にヒビは広がり、脆く崩れ、あっ気なく砕けた。他の五本にも白骨色の甲殻に罅や割れが入り始め、全ての腕が砕けるのも時間の問題だろう。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 限界だった。

 

 当然だ。【鐚】には三分という刻限はあるが、それは『万全の状態で発動すれば』の話である。死を前にした止水では、そもそも発動できるかどうかさえ怪しかったのだ。奇跡的に発動こそしたが、十全行使できるわけがない。

 

 

 限界……だと、いうのに。

 

 

 

「時間、のようですわね……楽しい時ほどあっという間に過ぎてしまうと言いますけれど……本当でしたわね」

 

 

 真新しいクレーターの中心、その最深部から軽い足取りで出てきた人狼女王は、どう見ても健在だった。右手に銀十字を携え、左腕にはトーリを抱えている。

 

 流石に今の攻撃を無傷、とはいかなかったのだろう。ところどころで衣服が汚れ、両腕部分はひどく破れている。そこから肌色と赤い血が見え、傷もあるにはあったが……丁度今、癒えきってしまった。

 

 

 ──左の二本が、さらに砕ける。同時に、止水の体が膝を突いた。

 

 それに合わせて、止水の体から【鐚】が現れる。

 

 

【……人狼女王、いえ、てゅれんぬさん、でしたか? 貴女が望んだ通り、この子は立ち上がり、そして抗った訳ですが。先程のお約束はちゃんと履行されるのでしょうか?

 いえ、この子と貴女の決着に、外野である私がとやかく口出しするのは良くないと思うのですが、何分生前に『死んだ奴との約束は無効』と言われてしまいまして、どうしても疑ってしまうんです】

 

「……。そのような下衆に、落ちぶれるつもりはありませんわ。五日、この総長は絶対に食いません。我が名と、いと高き月に誓いましょう。

 ──その子は、頂くことになりますけれど」

 

【ええ、ご自由に。約束がきちんと履行されるのであれば、私に不満はありません。……まあ、確実に食中りどころのレベルじゃない何かに当たるので、一応止めておくことをお勧めしますが】

 

 

 無言で笑みを返す人狼女王は……聞く気はないのだろう。

 

 吐息を一つ。そして振り返り、右の二本が今まさに崩れ砕けた止水を見た。

 

 筆舌不可能な唸り声は、もうとっくに止まっている。刻限の三分にはまだ一分以上時間が残っているが、発動前から瀕死だったのだから、その誤差だろうと適当に当たりを付ける。

 

 

 ──そんな些細なことなど、もうどうでもいいではないか。だって、もうすぐ終わるのだから。

 

 

 未だに倒れない自らの子孫に苦笑し、【鐚】は最期の時を眼を閉じて静かに待つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……その耳に、

 

 

 

 

 一つの音が届いた。

 

 

 

 

 

 

 

『し、すいっ、くん……っ!!』

 

 

 

 途切れながら、今にも泣き出してしまいそうな音ーー声が、確かに届いた。

 

 それは、彼女が忘れさせたはずの彼の名前で──。

 

 

 

【(……………………え?)】

 

 

 

 生まれて初めて、御霊になって初めて……【鐚】は本気で呆けた。思考が完全に止まる。理解しようとさえしない頭で、それを聞き続ける。

 

 

 

『おね、がい……っ』

 

 

 

 振り返る。声は、後ろからした。

 

 見れば、未だ倒れない己が子孫の顔の前に、一枚の表示枠が浮いている。

 

 

 ……お願い、とは、確か、誰かに何かを頼むときにつける言葉だったか。

 

 

 

【(そう、いえば……)】

 

 

 ──『なんでも一つ、言うことを聞く』と。

 

 そんなことを約束()()()()()のはつい最近で……まだ、覚えていた。手玉に取られていると、内から見ていて苦笑したのも覚えている。

 

 

 

『──勝たな、でいい、から。たた、かわないで、いいっから! もう……もう、まも、ら、ないで、いいから……! だか、ら!』

 

 

 

 ……ああ、この子は一体何を言っているのだろう。

 

 

 勝たないと、守れないではないか。

 

 戦わないと、守れないではないか。

 

 

 ……そもそも、『守らなくていい』など……守り刀の一族の、存在の意味すら無いではないか。生きている意味すら無いではないか。

 

 

 

『だか、ら、おねがい……!』

 

 

 

 表示枠の向こうで──堪え続けた涙が、ついに溢れた。

 

 

 

『……死ん、じゃ、やだぁ……!』

 

 

 

―*―

 

 

 

 ──泣いてる。

 

 ……誰が?

 

 ──鈴が、泣いてる。

 

 ……何で?

 

 ──知るか。でも……

 

 

 

 

 ──いかねぇと。

 

 

 

―*―

 

 

 

 

 最後に残った左腕が、動いた。

 ──あとは死ぬだけ。と、そう思われていただけに、人狼女王は元より身内と言える【鐚】でさえ、眼を見開いて驚いていた。……ゆっくりと、しかし、しっかりと。迷うことなく……表示枠の向こうで涙する一人の少女に添えるように。

 

 

 

「……──ごめ……ん、ナ」

 

 

 

 そう告げて──鋭い指先で、その表示枠を握り割った。直前に悲痛な少女の慟哭が聞こえたが、それすらも男は振り払う。

 

 左腕はその役目を最後に、完全に砕けて崩れた。

 

 

 

【(……ごめん……? まさか、理性が戻った……!?)】

 

 

 

 ──視線(見た)者を対象に発動する【悪名戦離】。つまり、目の見えない全盲である少女は、その唯一の対象外となる。

 これはわかる。鈴という少女を【鐚】が失念していたが故の"凡ミス"だ。

 

 

 だが、何の力もない少女の一言で、解けるはずのない狂化が解けた。

 

 ……あり得ない。絶対にあり得ない。

 

 

 理性を失わせ、死ぬまで狂い戦い続ける力──それが【鐚】だ。だが、鈴への謝罪の言葉を口にしてから、肌は染まったまま髪は蛍火のままだが、止水の眼に理性が確かに戻っている。

 

 

【(狂化による強化の負荷で三分しか生きられない。なら、もしも()()()()()()()()()()()()()()()()……!?)】

 

 

 あり得ないが、あり得た。その事実に、【鐚】の思考は完全に止まってしまう。

 

 

「ワルか、った。とーりのこと……たす、かったよ」

 

「……当然ですわ。だって、この子はデザートですもの。五日後、美味しくいただくためにしっかりと可愛がりますわ」

 

「はは……ソノ前に、アイツらがとーりを助ケるさ……けド、まあ……」

 

 

 言葉は絶え絶えながらだが、少しずつしっかりしてきた。人狼女王に抱えられたトーリを見て、そして振り返り、武蔵を数秒眺め──笑う。

 

 

「あと、一撃──付き合ってくれ、よ。……少しくらい、あいつらが楽、できるようにしてやりたいんだ」

 

 

 その姿を見て、流石の人狼女王も絶句するしかなかった。

 

 偶然か必然かはわからないが、止水は人狼女王と遠ざかる武蔵の間に……まるで、両者の壁になるように立ちふさがっていた。

 

 

 最期の一撃。目の前の彼は、タイムアップでの勝敗など認めず──それどころか未だに抗おうと──否、守ろうと足掻いている。

 

 

 

「──『きみがため』、強制解除」

 

 

 どれだけ劣勢でも、敗北が確定し、その命すら失われようとしても……絶対に外さなかった、皆との『絆』。

 可視できるまでの流体密度をもつ十万本は相手側から断ち切られ……長くうねりながら止水に集まっていく。そして、結われ紡がれ、陽炎のように希薄な右の腕を作りあげた。

 

 

 その拳を引く構えは、しかし最期の一撃というには威力を重視してはいない。胴体が正面から人狼女王に向かう姿は、体を大きく使うためーー武蔵を守るための壁になろうとしていた。

 

 

 

 

 

 ……強い感情が胸から込み上げてくる。それが果たして何の感情かはわからないが──鎖を操り、トーリを遠くまで転がした。そして、銀十字を掲げ、止水と対を成すように構える。

 

 

 

 戦士が最期の一撃を望むというのなら……何をおいても、それに全力で応える事こそが最大の礼儀だ。

 

 

 

 合図はない。もはや言葉もいらない。しかし、二人は同時に踏み込んだ。距離を詰める人狼女王に対し、止水は深く、更に深く拳を構え、技を込める。

 

 

 

 そして……

 

 

「──『戦乙女の神鉄槌』」

 

 

 放つ。破壊の力を存分に乗せた光杭が射出され、全てを蹂躙した。

 

 

 

 

 

 ──その攻撃を『右腕以外の全身で受け耐え切った』止水が、渾身の踏み込みを人狼女王の足元に叩きつける。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 『激突になる』と思い込んでしまったのは、テュレンヌの誤算だった。連続使用によって威力はかなり落ちてはいるが、それでも兵器として十分な威力は持っている。

 

 踏み込み、骨を壊しながら、筋肉を断裂させながら、命を燃やしながら。大きく振りかぶった右の緋拳を、射出直後で展開したままの銀十字に放つ。

 

 

 ──無、音。

 

 

 銀十字とぶつかり合った最後の腕が、脆く崩れていく。止水の眼も光を失い、髪も肌も元に戻り──そして、力なく前のめりに倒れていった。

 

 

 

「……見事、ですわ。私が今まで戦い、下してきた人間の中で……貴方の右に出る者はいない」

 

 

 ──ピシリ、と。

 

 

 人狼女王の持つ銀十字、その一辺に大きな亀裂が走る。『戦乙女の神鉄槌』を射出する機構が、完全に砕かれていた。

 

 『武器破壊』──それは止水が……いや、守り刀の一族の誰もが、もっとも得意とする技の一つである。

 

 銀十字は銀鎖同様に、満月の光で修復される不死属性の武装である。だが逆に言えば、次の満月までテュレンヌは銀十字を十全に使えないのだ。

 

 その戦果を見届け、受け入れ──倒れるその身を、受け止めた。

 

 

 

 

「誇りなさい。この人狼女王(レーネ・デ・ガルウ)が、貴方を『最強』と認めましょう。

 

 ──その身、魂の欠片に至るまで、私が頂戴いたしますわ」

 

 

 

 人狼の女王が消える。武蔵の王を抱え、一振りの刀を宝物のように抱きながら。

 

 

 

 

 

 

 ──六護式仏蘭西 対 極東武蔵、決着。

 

 

 

 誰もが時計を見て、驚いたという。

 

  開戦は十五時。武蔵の目標時間は、そこから十五分。

 ……終戦は、十五時から僅か、二十数分後のことであった。

 

 




読了ありがとうございました!

五分ちょっとに何ヶ月かけたんでしょうね……私は

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