境界線上の守り刀   作:陽紅

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大変長らくお待たせいたしました。

現在仕事が壮絶な多忙期に突入しており、遅筆どころか完全に止筆状態になっております。
年内、最悪の場合年度末までこの多忙期が続くと思われますので、大変申し訳ありませんが、月一、もしくはそれ以上の更新ペースになります。

どうか、ご容赦のほど、お願いします。


八章 王、道を定む 【弐】

 

 

 

 ……あ、ちょ、だめだって、そこは、順番ってやつが、ほら……だめ、マジで、ホライゾン……!

 

 あ、やめ、あ、あぁああああ……!

 

 

 

「『塩』は『砂糖』の後だぜホライゾン!

 

 

 

 

 ……およ?」

 

 

 ガバッと起床。

 

 周りを見渡すが、そこは付き慣れたキッチンではなく――フライパンで紫色に発光する物質を作っていた銀色自動人形の少女もどこにもいない。……あれは調味料の順番ではどうしようもないレベルだったが、そこは気にしない。

 

 ホッと一息吐きつつ、もう一度周りを見る。

 右を見て、クッキーの家具。左を見て、飴細工の窓。上を見て、ビスケットの天井。布団をめくり、己の股間。

 

 

「……ふむふむ。おっし、大丈夫だな」

 

 

 ここがどこだか定かではないが、自分は健康で、なおかつ無事らしい。最低限重要な情報を得たトーリは満足げに頷いた。

 

 

 ……薄暗い部屋――窓から入る光は弱く、夕暮れか未明のどちらかだろう。体がなんとなく『朝飯の支度』をしようとしているので、未明のほうか、とトーリは判断する。

 

 

 

「ふふ……貴方の判断基準って『そこ』ですのね?」

 

 

 その暗がり向こうから聞こえた苦笑混みの声は……最近知ったばかりの、自分の国の騎士の、母のものだった。

 姿はまだ目が暗さに慣れていないので見えないが、そこにいるのだろう。

 

 

「おう! 発情期男子の生理現象なめんなよネイトママン! 俺レベルになるとそれだけで健康状態わかるからな! いやマジで!」

 

「ふふ。残念ですけど、その生理現象は『思春期男子』のものですわよ? 保険体育のテストだとバツで……あら? でも人種系は基本年中発情しているようなものですから、あながち間違いでもない……?

 

 ――まあ、男の子ですもの。寝起きから元気なのは良いことですわ」

 

 

 

 納得の声に、さらに二つの音が続く。

 

 ――シュルリ、というのは衣摺れの音。そして、続くヒタヒタ、というのは足音だろう。いつも自分がやっているため聞き慣れているので、音の柔らかさと湿り具合で素足だと判断する。

 

 以上二点を踏まえて――トーリは期待に胸やらなにやら膨らませて、暗がりに眼を凝らした。

 

 

 

「……マジかよ」

 

 

 

 薄明かりに浮かぶ肌色。淡い金の大きな巻き髪。……彼女を彩る色彩は、それだけだった。

 女として完成し、美女として到達している絶世の裸身。……それを、テュレンヌは恥じることも惜しむこともなく晒していたのである。

 

 ……ノゾキやら突撃やらでクラスメートの裸体を何度か拝んだことのあるトーリだが、その美しさを前にして本気で呆然としていた。ゴクッと生唾を飲むのも忘れない。

 

 

「ふふ。……ええ、その反応が普通ですわよね? 私が決してオバ――いえ、アレでアレな感じになったわけではありませんわ」

 

 

 どこか疲れて、気怠げな様子。どこか眠そうに眼をトロンとさせていて――どこか、情事のあとのような雰囲気を見せる彼女に、トーリはまた生唾を飲み込んだ。

 

  ……一瞬なんか気迫に満ちた表情と呟きが聞こえた気がしたが、トーリは気のせいということにしておく。気のせいにしていた方が、被害が少ないと経験則で知っているからだ。

 

 

(『止水(ダム)に女の尊厳踏み躙られた!』って姉ちゃんが俺のこと踏み躙りにくるんだぜ!

 

 

 ――って違う! 今は俺の尊厳どころじゃねぇ! 働け俺の脳内メモリー!)

 

 

 トーリは近づいてくる裸身を全力で記憶する。……僅かでもその記録域を広げる為に、授業で辛うじて覚えた幾つかが最優先でゴミ箱に叩きつけられたのは言うまでもなかった。

 

 

「うーん。ネイト、あの子大丈夫かしら……狙ってる二人が完全に両極端ですわよこれ」

 

「ネイトがどうしたんだよネイトママン(●REC)」

 

「ふふ、独り言ですわ。……さて」

 

 

 ベッドのそばに立ち、そのまま流れるように寝具に手を突く。よほど品が良いのか、ベッドは軋み一つ鳴らさず、テュレンヌの体を受け入れた。そして、片手は両手に、そして膝が増え――四つん這いとなってトーリへと迫る。

 

 

「――昂ったままにしておくのは、お辛いでしょう? 私が鎮めて差し上げますわ……さあ、いらっしゃい?」

 

 

 近づいてきた濃厚な女の香りに、トーリの辛うじて残っている理性がまた追い込まれていく。

 ……生まれて初めて、彼は食事以外の香りで『美味そう』という感想を得た。

 

 

 

 男としての本能が近付く。そして、彼女にその手を伸ばそうとして――……

 

 

 

 ――トーリの脳裏を、黒い拳骨が鋭く過ぎった。

 

 

 

「……とっ!?」

 

 

 その一打は顔よりも、腹よりもさらに下を狙い打ってくる『男殺しの拳』。

 

 ……股間をヒュンとした寒気が襲い、想像の中の自分はそれをなんとか回避し――その拳の主人に文句を言おうとして、思い出す。

 先ほど見ていた夢に出てきた銀色の髪の……それは、己が惚れた女だった。

 

 

 

 ……気のせいだと思いたい。想像の中の彼女は一拳を外してしまったことを悔やしがり、ならばと空いているもう片方の腕を鋭く構えている。

 

 

 ――気のせいだとは、思えない。見間違いでもないだろう。

 

 思い浮かべた彼女が、どこか……泣いているようにも見えて。

 

 

 

 

 

  ……色に染まった、視界が晴れた。

 

 

 

 

 

「……。

 

 なあよう、ネイトママン。あのさ、違ったらゴメンなんだけどよ……わりとガチで疲れてるっぽくね? ダメだぜ? そういう時に全裸やると風邪引いちまうからよ。俺経験者だから語るぜ?」

 

 

 問うようであり、諭すようでもあるトーリの言葉に、事後のような気怠げな顔が、苦笑という表情を彩る。バレた、という内心すら聞こえて来そうだ。

 

 ……作った(しな)を脱ぎ捨て、テュレンヌは裸身を横に、トーリの隣に寝そべるように横たえる。寝具に深く沈んだ体と、トーリを巻き込むように伸ばされた手足にあまり力は入っていなかった。

 

 

 顔が近い。――いい香りだ、とテュレンヌはボンヤリと思う。おそらく洗髪料……女物だろうが、不思議とトーリに違和感はなかった。

 

 

「……もう。据え膳とか、迫る女に恥をかかせるなーとか、最近の極東ではそういう教育を致しませんの?」

 

「『いつから自分が据え膳を食べる側だと錯覚していた?』とか『恥と既成事実婚、お前どっちがいーい?』って、夢も希望ねぇガチな実体験披露教育ならあるぜ!

 ……んで、ネイトママン? どったの? なんかあった?」

 

「ふふふ、それを覚悟していただくのが男の甲斐性ですわよ?」

 

 

 ほう、と吐息。

 

 

「――あなたのお友達ですわ。あの子、なんですの? あんなの……反則ですわぁ」

 

 

 

 テュレンヌはこの数時間を思い出し、万感を込めて、そう告げる。

 

 疲れ切っているが、しかし満足を得て充足した――どこか誇らしげな女の顔が浮かんでいた。

 

 

 

 

「ま、まさかダム……!」

 

 

 それを見たトーリの顔が劇画タッチに変わる。術式使用で、本当に変わっていた。

 

 

 

 

(ダム……? ああ、水を止めてますものね。……名前を名乗り合わずそのまま致す(戦う)なんて、無作法でしたわね)

 

「ふふ……」

 

(でも、本気で戦えましたの。ほんの短い時間でしたけれど。ええ、あれは本当に……)

 

「――素敵な、一時でしたわ」

 

 

 

 頬に手を当て、ほぅ……と熱い、色めいた吐息を零す。

 

 その様は、誰がどう見ても男女の情事の後の女だった。

 

 

「ち、ちくしょうあの野郎! 先に大人の階段登りやがったのかぁ!? しかも初体験で人妻陥落させるとかどこのエロゲ主人公だてめぇ!?」

 

 

 パフンパフンとベッドを殴って怒りを露わにするトーリに、テュレンヌはただ微笑んだ。

 

 ……なお、すでにご理解しているとは思うが、両者の間には壮絶な勘違いが存在している。

 

 テュレンヌの方はその勘違いに気付いているが、敢えて放置した。……全身にのし掛かってくるような疲労でそれどころではなかったのだ。

 

 

「……ふぁ――ん。……ちょっと一眠りいたしますわ。朝食の時間になったら起こしてくださいます?」

 

「え、ちょ、ネイトママン!? 詳細! ダムとの詳細教えてくんね!? 細かく詳しく!」

 

 

 

「今寝かせてくれるなら悪戯系マッサージ許可ですわよ?」

 

「おっけいおやすみネイトママンっ!」

 

 

 ――こういうところも真逆ですのね、と……そんな感想を最後に、人狼女王は意識を落とした。

 

 

 

 ―*―

 

 

 

「……おう、本気で寝ちまったぜ」

 

 

 数秒と経たず夢の世界に旅立ったテュレンヌを見て、トーリは頭を掻く。……直前に『寝ている自分の体を自由にしていい』と言われたわけで、それに発情――思春期男子の劣情が【――ガタッ】と反応しているのだが。

 

 

「……こんな子供みてぇな寝顔されちゃあなぁ……手出せるわけねぇって」

 

 

 嘘である。

 ……嘘なのだが、その独り言を敢えて言うことで、自分に言い聞かせるための宣言にする。薄手の毛布をテュレンヌにかけ――その際に手が肌に触れてなめかましい声が聞こえたが、気合で抑え込んだ。

 

 

 意識を無理やり逸らすため、周りを見る。なお、状況のさらなる確認を〜という意識はこの全裸にはない。

 

 

 自分が寝ていた寝具こそ『ちゃんとした布やらを使った品』だが、それ以外は全てがお菓子で作られた家。ふんわり香る砂糖と蜜、そして香ばしく焼かれた小麦粉の香り。料理をするトーリならば、それらは至極嗅ぎ慣れた匂いなのだが……。

 

 

「……なーんか、覚えがあるよーな、ないよーな……」

 

 

 うーん、と数秒ほど唸るが、結局思い出せないので放棄した。――ウジウジ悩むのは男らしくねぇ。うん。

 

 

「でもでも、ここがネイトママンの家だとして、武蔵はやっぱ遠いよなぁ。ってと、また救助待ちか? くっそお姫様コス用意しときゃあよかったぜ」

 

 

 一応試してみるが……案の定、通神も繋がらない。個人契約の術式は使用できるが、それも芸能系の術式のみだ。

 

 飴窓の外に広がるのは開けた庭と、その奥に広がる深い森……野生の肉食動物も当然いるだろう。

 そんな森を……方角もわからない、サバイバル知識もない上に運動能力も無い……という無い無い尽くしのトーリが、航行している武蔵にたどり着く可能性はゼロである。

 

 だから、なので、おそらく、きっと……出発してくれているであろう武蔵からの救助を待つのが得策なのだ。

 ……得策なのだが、そこで寝息を立てている人狼女王に『デザート』扱いされているのだ。時間的猶予がどれくらいあるのかも、そもそもその猶予があるのかどうかもわからない。

 

 

 

 

 

「よっし、こうなったら……

 

 

 

 ――全力でネイトママンに媚びを売ろう。徹底的にだ……!」

 

 

 

 

 

 

 

 そうと決まれば、まずは飯だ。ネイトの母親ならば、肉食系料理で懐柔できる可能性が高い。ネイトの味の好みも把握しているので、とりあえずはその味付けでいいだろう。

 

 トーリは善は急げと立ち上がり、調理場を探し始める。初めて見る他人の家だが、日頃から人様の家に電撃訪問しているので大体の間取りはわかる。

 

 

 

 ――わかるのに、トーリの足は何故か調理場ではなく『もう一つの寝室に向かった』。

 

 理由はない。ただ、なんとなく……そこに行かねばならない気がしたのだ。

 

 

 

 

「……え、いや、これマジかよ」

 

 

 

 ――そして、それを見つけた。

 

 

 

 

 

ーー***ーー

 

 

 

 

 ……それは夢か、はたまた、今際の際に至った命が見た幻か。

 

 

「……これはまた、随分とフウコウメイビなところだな」

 

 

 足元には青々とした芝生の絨毯が地平の彼方まで続き、その絨毯のところどころに数百輪はあるだろう色とりどりに花が咲き誇っている。

 花の咲く木、咲かぬ木もそこかしこに生えていて……季節感を完全に無視した植物の世界が、どこまでもどこまでも続いていた。

 

 仄かな燐光が、まるで蛍のように漂っている。触れようとしてもその手をすり抜けるその光は、この世の何かしらではないのだろう。

 

 

 ……ちなみに、その四字熟語を漢字書けと言われたらちょっと怪しい。フウコウは風と光でわかるのだが、その先の候補が二つあって悩んでしまう。

 

 

「これは……もしかしなくても……あの世、ってやつか?」

 

 

 あの世……つまりは死後の世界。意識の浮上と共に目の前に突然現れたあまりにも幻想的な光景を前に思わず呟き……そして、流石に死んだか、と苦笑する。

 

 必死に思い出してみたが、ネイトの母に運ばれた先でほんのわずかに意識を戻して、何かしらをしたような記憶が薄っすらとあるだけだ――さらに、切り落として無いはずの両腕が、しっかりとそこに存在していることも、ここが死後の世界と思わせる要因の一つだった。

 

 

 失ったはずのその感触を確かめるように、曲げ伸ばし――そして、五指を曲げて拳を握る。

 

 

 握りは強く、硬く――手の内に存在しないはずの鉄塊を砕かんばかりの力を込めた。悔しさや、情けなさを堪えるように、己に対する怒りを己自身にぶつけるように。

 

 痛みはない……それがまた止水の悔いを強くしていく。

 

 

 

 ……()()、俺は何一つ守れなかったのか、と。

 

 

【カカ。まあ、そう結論ば焦んなや。……ここがあの世ちゅーのは、まあ、当たっとーないが、ハズレっちゅうわけでもなか。『似て非なるどっか』ってぇのがまあ正解じゃき】

 

 

 現れた男の、軽い声。訛りがあまりにも酷過ぎて一瞬何を言われたのかわからなかった。

 

 その声に振り向けば、緋色の浴衣を雑に着込み、手足に黒いサラシを巻いた男がいる。年齢は三十半ばほどだろうか、無精髭と乱雑に結んだ黒髪の所為で浮浪者に見えなくもない。

 

 

 ……先ほどまでは絶対にいなかったはずだが……そういう現実が意味を成さない世界なのだろうと、説明できない理解を得た。

 

 

「アンタは……?」

 

【おうさ。一応ば、おんしとは一度()うとるが……まあ、『初めまして』じゃあのう。

 ヨシツナから聞いちゅうとは思うが、ワシの銘は『桜枴』じゃ】

 

「ヨシツナじゃなくてヨシツネな? ツネってやれヨシを。……でも、あの時っていうと……」

 

 

 心当たりは、一つあった。

 

 

「アンタ、心刀の付喪神か?」

 

 

 止水の推測に『ご名()』と言ってまたカラカラと笑い、肩に提げた大きな酒瓶を揺らした。

 

 守り刀の一族、桜枴。止水より数えておよそ十数代前に生きていただろう一族の者だ。当然すでに故人であるので、桜枴本人がここにいれば止水も漏れなくあの世に至ったという証明になってしまうのだが……。

 

 

 ここにいるのは、その桜枴の心刀に宿る、人柱の付喪神と化した御霊だ。

 

 

 

【おんし、あんときワシに触れちゃーろ? そんことで絆ができたばよ。やけん、こうしておんしんとこにー来れたが。

 先言うとっど、おんしはまだ死んどらん。いや……正直なんであげなことなっとーて生きとんじゃ? って言いてぇがのぅ。まあいいが、話したいことがぎょーさんある。けんど、場所ば変えるがよ。

 

 ……ここは確かにええ場所じゃが、もっと良い場所があるんじゃ】

 

 

 笑い、問い、また笑い。落ち着きがないのか表情豊かなのかわからないが、桜枴は酒に酔っているように饒舌だった。

 

 

【本当なら、自分で行き着かなぁいかんが、今回は、特別にワシがしるべになっちゃるき】

 

「話したいこと……いや、どこ?」

 

 

 くるりと踵を返す桜枴に止水は聞き返す。

 

 その疑問に、心刀の御霊は足を止めることも、振り返ることもなく進む。

 

 

【ええからこいや。我が一族の悲願……願った夢幻を見せちゃるき】

 

 

 声は明るく……しかし、振り返ったその顔はどこか……寂しそうであった。

 

 

 

 

ーー***ーー

 

 

 

 

 記録者:武蔵アリアダスト教導院 総長連合第一特務 点蔵・クロスユナイト

 

 

 

 トーリ殿と止水殿を救出するべく武蔵を出発し、一日目。

 

 ミトツダイラ殿を疲労困憊かつ飢餓状態にして行う極限鍛錬(発案者のネーミングがあまりにもあれだったので一存で訂正)を開始。英国で術式加速を用いた二代殿を捕らえた速力は偶然ではなく確かにあり、その動きは中々に変則的でござった。

 されど、動きは『所詮獣』というしかなく、直上的過ぎて先読みをする必要がないほどにその動きは分かり易い。その上、森という環境にまだ慣れていないのか、何度も根に躓き幹にぶつかり。……その度に、なぜか悪くないはずの自分を見る目が血走っていく。

 

 ……この日報、ダイイングメッセージとか遺言書になったりしないでござるよな?

 

 日が落ちて、夜間訓練を暫し行い鍛錬終了。ててれてっててー♪と取り出した止水殿の元高襟に包んだ笹包み高級肉団子(定価壱万八千円也)をミトツダイラ殿に投げ渡し、理性を戻す。この日最速で飛びついたミトツダイラ殿はそれを■■■■■■■■■――自分ハ何モ見テナイデゴザル。

 

 

 野宿の中で女性陣が中々に際どいガールズトークを展開。時折顔を赤らめたメアリ殿の視線がチラチラとこちらに。

 さらには人狼女王が24日ぶっ通しで子作りした、と実娘であるミトツダイラ殿が暴露した際はメアリ殿は顔を真っ赤にされて、チラ見じゃなくてガン見で見てこられて……いや、あの、メアリ殿? 今ちょっと音声式の日報を――……

 

 『本日感想:……最後の一線は守りきったでござる』

 

 

 

 

 

 

 二日目。疲労困憊・飢餓状態にするため、ネイト殿には肉抜きの食事で我慢していただく。スッゲェ目で睨まれて背筋がゾクリとしたでござる。

 ……加えて、ナイト殿の黒魔術による流体減退と、メアリ殿の精霊術を用いた内燃拝気を用いた美容系術式(肌やら髪系)を用い、早々に流体枯渇状態に。

 

 昨日の繰り返し――と思いきや、昼前を境にミトツダイラ殿が投石を行動パターンに組み込んでこられた。避けた先の大木に殆ど埋まる速度と威力が無数に来るので、自分にとっても良い回避訓練になるでござる。なるでござるが……狙いの全てが人体急所でござるぞ? 途中で唸り声の合間に聞こえた舌打ちは……気のせいだといいでござるなぁ。

 

 『本日感想:就寝時闇討に注意。あとメアリ殿、女子の寝床はあちらでござ――』

 

 

 

 

 

 

 ……三日目。昨晩は何事もなかったでござる。なのでマルゴット殿、真っ赤な顔での「さ、昨晩は、その、お楽しみでしたネ!?」はいらんでござる。恥ずかしいなら言わなければ――? 様式美? むう、ならばしょうがのうござるな。

 

 さて、鍛錬を初めて三日目。今日は少し段階を付けることに。

 まず、理性をもったまま獣化した時の動きをできる限り再現しようとするも……しかし、全く出来ず、本人に『本当に出来ていたのか』と疑われる。論より証拠、さらには百聞は一見にしかずということで、この二日間の動きを録画していたマルゴット殿に映像を見せられ論破。

 ……『出来るはずなのに出来ない』というイライラを大木にぶつけてなぎ倒してござった。

 

 

 ――おそらく明日、人狼女王の拠点に着くでござろう。しかし、ミトツダイラ殿の現在の様子では……。

 

 

 …………。

 

 

 

 

 

  『本日感想:……単独先行をしようとしたらメアリ殿に先回りされてござる。

 

        『メアリ 殿 からは 逃げられない!』

 

        ……あの、メアリ殿? その、もう反省したので、この術式付与した蔦を解いてくださ――《途中終了》』

 

 

 

 ―*―

 

 

 ……四日目。

 

 

「……なんか煤けてるね、テンゾー」

「……代わりにメアリはイキイキしてますわね」

 

 

 ヒソヒソ、と小声のはずなのに明らかに隠すつもりのない声量の女子二人は無視する。――というか、それどころではなかった。

 

 

「あ、あの、メアリ殿。その、そろそろ離してくださらんか?」

 

「…… ♪」

 

 

 後ろから抱きついてくる天使がヤバイのである。擬音でむにゅっと来ているのである。――離してはくれないようだ。

 

 

 

 昨夜――点蔵はメアリに脱がれ脱がされ、そのまま二人は肌を合わせた。

 

 

 

 ……比喩ではなく、ただ肌を合わせただけだった。

 

 拒みつつも「ついに……!」と内心で歓喜覚悟しただけに、この忍者の生殺し感は半端ではなかった。

 だが、目の前で眠るメアリの安らかな笑顔と――起きた時の寝ぼけ顔で、点蔵を見つけて二ヘラ、と笑う彼女の笑顔には変えられなかったのだから仕方ない――手を出したかったけど蔦に縛られてたので出せなかったわけでは断じて無い。断じて。

 

 

 

 

 ……そして、そんなメアリに、違和感を覚えていないわけでもない。

 

 

 こんな状況下だから、少し気が昂るのは理解できる。できるのだが……メアリのそれは、明らかに少しどころではなかった。

 

 例えるならば、酒を飲んで酔っ払っているかのような……そんな感じだ。思い返せば、初日の『英国王家大家族計画』の時点で少し怪しかったかもしれない。

 ――止水の生死がそもそも不明な状況で、メアリがあんな不謹慎な話をするとは思えなかった。

 

 

(……しかも、それが人狼女王の拠点に近付くほどに、その酔いの度合いが大きくなっているでござる。偶然と考えられなくもないでござるが、『そこでなにかが起こっている』と可能性を考慮するべきでござろう)

 

 

 この四人の中で異常が見られるのはメアリだけだ。

 ミトツダイラの鍛錬の成果があまり出ているとは言えない現状、森の中で頼りになる戦力であるはずのメアリがここへ来ての不調――とまでは言わないが、少し不安が残る。

 

 だが、止まるわけにはいかなかった。

 

 四人はすでに、人狼女王の拠点であると思われる『お菓子の家』を目視できる距離にたどり着いていた。念入りに臭い消しを撒き、土を被り――さらに風下に位置をとっているので、まず嗅覚による索敵からは逃れられている……はずだ。

 

 

 ……無音の深呼吸を一つ。

 

 

「――作戦を伝えるでござる。……まずマルゴット殿とメアリ殿。お二人はここに残ってくだされ。マルゴット殿は最大速度で離脱をする準備を。メアリ殿は、精霊術による後方支援を……最悪は、お二人のみで脱出して頂くことになる故、覚悟してくだされ。

 

 そして、ミトツダイラ殿。かなり危険を伴うでござるが……自分と共に奇襲を。陽動をして頂きとうござる。およそ二十秒あれば、自分がトーリ殿と止水殿を掻っ攫い、お二人に渡すことができるでござる」

 

 

 ……自分で考えてなんだが、この作戦は粗だらけだ。博打にすらなっていない。人狼女王が低血圧でまだ熟睡とかしてないでござるかなーと現実逃避すらしているほどだ。

 だが、現状――あの人狼女王を相手にした場合、これが最も可能性がある作戦なのだから仕方ない。

 

 

「二人の位置が確認でき次第、実行でござる。御三方とも、覚悟と用意を――……」

 

 

 

 

 ――「――ちょぉぉおお! ネイトママン!? ダメッ! ステイしなさいステイ! いい子だから! うちのネイトも『待て』はできるぞ!? ――10秒くらい!」

 

 ――「うふふふ、い・や♪ですわ! さあ! そのソースをこちらにお渡しなさい!」

 

 

 

 

 

 

「「「「…………」」」」

 

 

 聞こてきた声に、後ろの三人は互いに顔を見合う。言葉を途中でぶった切られた点蔵は言葉を失っていた。

 

 

 

 

「……とりあえず、トーリ殿の生存を確認できたので良し、と」

 

「ナイちゃんの気のせいかな? なんかその……生存確認、必要無いっぽくない? 生命の危機どころか切羽詰まってる感じすらしなくない? あとミトっつぁん『待て』出来たんだ」

 

「出来ますわよ!? ……あ、いえ、犬猫の『待て』じゃなくて『人として食事待つことくらい出来る』と言う意味ですわよ? ……英国での牡丹肉をまだ根に持っていますのねマルゴット……っ」

 

 

 食い物の恨みは恐ろしいでござるな、という感想を隅に追いやり、集中する。

 

 声が聞こえたその部屋の中で、トーリと人狼女王の位置を会話の内容から把握するが……どう考えても距離が近過ぎる。

 ――食事を終えて、二人の距離が離れるのを待つしかないだろう。

 

 

 そう決める点蔵の内心を他所に、屋内の状況は進んだ。

 

 

 

 ――「だぁめ!  『いただきます』は皆揃ってから!

 

 ……おいダム! オメェが『今日までに来る』って言うから朝メシ豪勢にしてんだぜ!?」

 

 

 そうして聞こえたトーリの声に――誰かの肩が、ビクリと小さく跳ねた。

 

 朝の静かな森の中。すべての窓を開けた家から聞こえてくる大声は、聞き慣れた男の声と、やはり親子なのか、どこか仲間に似ている女の声。

 二人だけの会話にしては妙な間がところどころにあり――聞こえてこない三人目がいることが容易に予想できる。

 

 そして何より……その者のあだ名を、トーリは呼んだ。

 

 

(生き、て? いや、トーリ殿が無事なのはまだわかるでござるが……止水殿まで?  何が起きているのでござる?)

 

 

 彼を食うと明言し、その行動を先の抗争で見せつけてきたのが人狼女王だ。……正直に言えば、点蔵は止水の命を諦めてはいなかったが、どこかで絶望視してもいた。『せめて遺品だけでも』と、本気で視野に入れるほどにだ。

 

 

 だが、生きている……?

 

 

 

 その意味を考え、理解するまで、ほんの一瞬。

 

 そのほんの一瞬――点蔵は完全に思考を止めてしまった。

 

 

 

 ……背後から隠形に相応しくない、大きな羽音が叩かれた。

 

 

 

 

「ま、マルゴット殿!?」

 

 

 点蔵が振り返るが、振り返った時にはもうマルゴットは彼を追い越していた。強い羽ばたきで金の羽根が無数に宙を舞い、なんとか伸ばした点蔵の手に距離感を失わせた。

 

 

 翔ける。翔けさせて、しまう。

 

 ……迷いなく飛び出せば、点蔵の速度ならば追い付けただろう。だが、様々な要因が絡みわずかに鈍った思考が、その迷いを生んでしまった。

 

 

 翔ける彼女を、止められるものはいなかった。

 

 

 

(しーちゃん……っ!)

 

 

 茂みを超える。翼が風を掴み、さらに加速。

 「ダメ、抑えて」と頭の中で焦った自分の声が聞こえるが、無理だった。

 

 

 ――抑えられる、訳がないのだ。

 

 

 ……たった、四日間。されど、四日。

 

 鍛錬に集中していたネイトと、その鍛錬の教導を行っていた点蔵。そして、その点蔵をサポートしていたメアリには、この四日があっという間に感じたかもしれない。

 だが、マルゴットだけは……ただ純粋に移動していただけのマルゴットには、とても長く感じてしまった。

 

 その四日間の鍛錬中、どうしても暇になってしまう彼女は考えてしまった。

 

 ……考えてはいけない最悪の結末を、マルゴットは考え続けてしまった。

 

 

 

 夜も殆ど眠れず、なんとか寝ても嫌な夢を見て飛び起きてしまうので、昨日は一睡もしていない。

 

 

 『最後まで希望は捨てない』……だが『現実を見なければいけない』

 

 その葛藤のなかで、諦めかけ、しかし心から望んだ結果が、目の前にあるとしたら。

 

 

 

 

 

 

 ――「あら?」

 

 

 

 気付かれた……いや、当然だ。これだけ大きな音を立てているのだ。狼の化身が気付かないわけがない。

 ……だが、それでもマルゴットは止まらない、止まれない。

 

 

 奇襲は相手にバレていないからこそ成立する。ならば、来ると予測されてしまっている時点で成立はしない。人狼女王側は今日……それも朝方に救出部隊が来ると断じていた。

 

 点蔵の作戦で行動していれば、まず間違いなく失敗していただろう。

 

 

 ……奇襲は前提が崩され、戦闘はそもそも考えられない。

 

 

 

 ――ならば。

 

 

 

「っ!」

 

 

 思考は一瞬。

 窓への軌道を無理矢理扉へと変える。さらに足を地面に突き立て、これまた無理矢理な減速。……全身が軋んだが、マルゴットは気付きもしなかった。

 

 殆ど殴るような『ノック』を、高速で3度。

 

 

 

 

「――()()()()()()!」

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。その友人ご本人が後ろで隠れているが、些細な事である。

 

 お菓子の扉は簡単に開く。エプロンを付けた全裸と、薄手の部屋着を着た人妻が小鍋を取り合っているのを視界の隅に追いやり――いるはずの……いてほしい、その人物を探し。

 

 

 

 

「っ、あ……!」

 

 

 ……見つけた。

 

 

 料理の並ぶ卓の前、他の椅子とは明らかに作りが違う椅子に深く腰を下ろし、二人のやりとりに苦笑を浮かべていたのだろう。

 

 その格好は脱力していて、ただ寛いでいるように見えたが……両腕の欠損と、全身にこれでもかと巻きつけた包帯が痛々しい。それに、包帯の隙間から見える、今まで隠してきた傷跡を隠そうともしていない――隠すだけの余裕すらないその事実が、彼の状態を否応なく伝えてきていた。

 

 

 

 

「あれ? マルゴット一人だけ……なわけないよな。他にも何人か来てんだろ? 皆呼ん――」

 

「うえええんっじーぢゃあああああああん」

 

「――デアアアアアアア――っ!!??」

 

 

 

 突・貫。

 

 人狼女王とトーリが阿吽の呼吸で料理の乗ったテーブルを避難させていなければ大惨事だったろう。尤も……首元に全力加速をした有翼系特務の突撃を受けた止水が大惨事であることは言うまでもない。

 

 

 

「マ、マルゴット! 待て、俺まだ傷塞がってな……」

 

「よがっ、だ……っ」

 

「いっ、…………」

 

 

 

 受け身もろくに取れず、椅子ごと倒れて床に背中を打ち付けた止水は、制止の言葉を途中で止めた。

 

 ――恥も外聞なく、涙どころか鼻まで垂らして、泣きに泣いている彼女を見てしまっては……『やめろ』などとは言えなかった。

 

 

「しーぢゃん、よかっだ。ほんどに、ひぐ、よがったよう……!」

 

 

 マルゴットは全力で縋り付く。全身で止水の存命を確かめるように、心音や体温や、いろいろなものでその命を感じた。

 

 歯を食いしばって激痛に耐える止水と、そして、ろくに寝ていないマルゴットが意識を手放すのは、奇しくも、完全に同時であった。

 

 

 

 

 

 

「ところで、朝ごはんはまだですの……?」

 

「超マイペースだなネイトママン! 先食うか。ん? おーいテンゾー! おめ、何してんだよ早く来……なんでんな泥だらけなんだよ? ったく。ママン、先風呂いかね? 朝風呂あとの飯ってこう、優雅な感じで!」

 




読了ありがとうございました。

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