境界線上の守り刀   作:陽紅

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七章 刀、呼応する 【下】

 

 

 

 

 私には、すきな人がいます。

 

 

 ……すきな人が、三人います。

 

 一人はお日様のような男の子で。一人は、お月様のような女の子で……最後の一人は、大きな木のような――男の子です。

 

 

 

 私がそんな三人と出合ったのは、ずっと昔のことでした。……ずっと、ずっと昔のことでした。

 

 

 ――初等部の、入学式の、ことでした。

 

 

 私は……いやでした。教導院に行くのも、入学式に出るのも……いやでした。

 

 私の家は、おとうさんも、おかあさんも朝から働いています。だから――二人はこられませんでした。『ごめんね』とだけ言って……私の入学式は……一人、でした。

 

 本当は、一緒に来てほしかった。一緒に行って……ごめんね、じゃなくて『おめでとう』って、言ってほしくて――。

 

 

 でも私は――行ってきます、と言えました。おとうさんとおかあさんが心配しないように、泣かないで言うことができました。

 

 

 

 ……教導院は、表層部の――たかいところにあります。

 

 階段も――私が嫌いな階段も、長く、たくさんあります。

 

 だから、私は階段の前で考えました。

 

 

 

 ……『おめでとう』と言ってくれる人がいないなら。どうせ、寂しいままで終わってしまうなら……別に登らなくていいんじゃないかな。――そう思いました。

 

 

 

 ほかの人たちは、おとうさんとおかあさんに手を引かれて、階段を上っていきます。私は邪魔にならないように、階段のはしの、一番下に座り込んでいました。

 

 

 だれも、私に気付きません。どんどん、どんどん登っていきます。

 

 

 私は、隣を登っていく足音をただ聞いているだけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――だけど」

 

 ……文字を指でなぞりながら、智は込められた思いを伝えていく。

 全員が静かに、耳を傾ける中――特別な思いで智の声を聞いている一人がいた。

 

 

 ――ほかでもない。執筆者である、鈴本人だ。

 

 

 智の声を聞きながら、その時のことを思い出していく。その時の思いを、思い出していく。

 

 一人で、誰もそばにいない不安。頼れる人がいない不安。周囲のもの全てが悪意あるものに見えてしまって……泣きそうになってしまって。

 

 

「――そんな時、こえが聞こえました。『どうした?』って――私のとなりを通り過ぎずに、私の前で立ち止まって、座り込んでいる私と、同じ高さから声が聞こえました」

 

 それが。

 

「止水君、でした。……私は、そのとき言葉を返すことができなくて、ただこわくて、ただ首を横に振るだけでした。それに止水君は、『そっか』とだけ言って、階段をすこし上って――私とおなじように、階段に座ってくれました。その止水君も、一人でした」

 

 

 止水の言葉が正しいなら、肉親である母親は四つのときに他界している。つまり当時既に両親が居なかった止水は、当然一人だった。

 もちろん、そのことを当時の鈴は知らないし、両親がいないと分かったのも、もっと後のことだ。

 

 

「私が『いかないの?』と聞くと、止水君は『ともだちを待ってる』と言いました――私は少し、それが羨ましくなりました。私は一人だけど、止水君は一人じゃなくなることが羨ましくなりました。

 ……それからすこしして、『おーい』というトーリ君の声が聞こえて。『ごめんね』というホライゾンの声も聞こえて――私は、また一人になるんだなぁ、とすこし悲しくなりました」

 

 ほんの一言、二言程度の会話でしかなかったのに。それでも、一人じゃない安心感は大きかった。

 

 

「でも」

 

 

 そう。『でも』――その安心感は、なくなりはしなかった。

 

 ……智が用紙を捲る音。そして紡ぐ言葉に、自分の思い出ながら、かすかに笑みが浮かぶ。

 

 

「止水君はトーリ君と、ホライゾンに『遅いよ』とだけ言って、階段を下りてきました。――そして、私の前に立って『みんなでいこう』といってくれて」

 

 

 ホライゾンが、止水に鈴のことを聞いて……止水が名前すら聞いていないことに呆れて。トーリがいきなり鈴の手を引いていくことに怒って――。

 

 

「……ホライゾンが私の左手を引いてくれました。トーリ君が、私の背中を支えてくれて。止水君は、私のすぐ後ろで――何度も躓いた私を、何度も何度も助けてくれて……私たちは階段をのぼっていきました」

 

 

 聞き入るものは、みんな目を閉じて微笑んでいる。トーリを知り、止水を知り――ホライゾンを知っているなら、『ああ、やるだろうな』と簡単に想像がつく。

 

 

「私は覚えています。そのときの風のにおい。さくらのちる音……まちのひびきも、空のうねりも、人の声も、なにもかも。――きづけば、階段はのぼりおえていて、私は知りました。いつの間にか、二人が手や背中を離していて、私一人で、階段をのぼっていたことを」

 

 

 いまでも、夢に聞く。あのときの、最初の、大切な思い出。

 

 

「……私は覚えています。二人が階段の上で、『おめでとう』といってくれたことを。止水君が私のすぐ後ろで、『やったな』とほめてくれたことを。そして、階段のうえで、みんなが私を、応援していてくれたことを」

 

 

 ――ああ、あったな、そんなこと。

 そんな誰かのつぶやきは小さなものだったが、教室にいる幾名かに頷きを促すだけなら事足りた。

 

 

 

「――家に帰って、おとうさんとおかあさんにそのことを話したら、おとうさんとおかあさんが泣いてしまいました。『こんなに楽しそうな顔みたことがない』といって、なんどもゴメンねといいながら、二人で私のことを抱きしめてくれて――『おめでとう』といってくれて……私は、また泣きました」

 

 

 原稿用紙が、また捲られる。

 

 

「……私は、目が見えません。みんながはしり回って遊んでいるのを、ただ聞いているだけでした。でも止水君が、『いくぞー』といって……私を背中に乗せてくれて。みんなのなかに私の居場所を作ってくれました」

 

 

 鬼ごっこであれば、走り追いかけるのは止水の役目。タッチするのは鈴の仕事。鈴の情に訴えて難を逃れた者は多い。それがトーリであったなら、ホライゾンから制裁を受けていた。

 

 ……遊びでなくても、小柄で、体力の少ない鈴は――当時から体が大きくて、体力の塊のような止水の背中によく乗せられていた。

 なれない区画で迷子になってしまったときも。手を引いてくれたのはホライゾンとトーリで、疲れて動けなくなってしまった自分を家まで連れて行ってくれたのは止水だった。

 

 

 そして――

 

 

「……中等部は二階層目にあって、階段がありません。高等部には階段がありますが――私はもう、一人でものぼれます。でもトーリ君と止水君が一度だけ――入学式のとき一度だけ、手をとってくれました。

 トーリ君は、左手を。ホライゾンが引いてくれた、左手を。止水君はすぐとなりで、私に合わせてゆっくりとのぼってくれました」

 

 

 風のにおいも。さくらのちる音も――同じだった。

 

 街の響きも、空のうねりも――同じだった。

 

 

「のぼりきると、同じようにトーリ君が『おめでとう』といってくれて……止水君も『やったな』と褒めてくれて――私は一人でのぼれていて……みんなが集ってくれて――」 

 

 

 

 

「でも、そこにホライゾンは――いませんでした」

 

 

 

 こらえきれなかった嗚咽が、とめられなかった涙が――とめどなくあふれてきた。

 

 智が深く、息を吸い込み――裏返りかけた声を戻す。

 

 

 

「……私には、すきな人がいます……お日様のようなトーリ君が好き。お月様のようなホライゾンが好き。大きな木のような、あたたかい止水君が好き。……みんなのことが好き。――そして、ホライゾンと一緒にいるトーリ君と止水君が一番好き」

 

 

 私が、してほしいこと。それは――

 

 

「――お願いです」

 

 

 

「私はもう、一人でも大丈夫です。一人で階段ものぼれます。一人で、みんなについて行けます。だから、私の手をとってくれたように、私のことを何度も助けてくれたように……!」 

 

 

 ガタン――と椅子が倒れる音――よりも早く、言葉が、智の言葉をさえぎった。

 

 

 

 

 

「おね、がい……! ホライゾンを、助けて……っ! トーリ君、止水、君――ッ!」

 

 

 

 

 小さくも――それは叫びだった。鈴の懸命の願いと祈りを込めた、精一杯の叫びだった。

 

 

「おね……がい」

 

 

 ――それに答えたのは、誰の声でもない。

 

 

 

 ……装飾の鎖を鳴らす音と――鞘と鞘を打ち合わせた、その音だった。

 

 

 

***

 

 

おいおい泣いてるぜ?

 

ああ、そうだな……いかないと。

 

 

 ――当然だろ!?

 

 

配点《主人公達》

 

 

 

***

 

 

 あっ……と、誰かが声にするその暇もなく。金の鎖と緋の衣が、横切っていく。

 

 

「――おいおいベルさん、なめちゃいけねぇよ? 俺はもとより、そのつもりなんだぜ? なあダム侍」

 

「あ、悪い。鈴が泣いてる気がして起きただけ。……なんの話?」

 

 

 止水が首をかしげつつ――トーリ、鈴と見て、『誰か説明してくれない?』というように皆を見渡す。

 その皆は、やっとか、という安堵や――やれやれ、なんて苦笑を浮かべているだけで、残念ながら返答をくれそうに無い。

 

 

「トーリ、君。止水――君?」

「おうそうだよー! トーリ君&ダム侍だぜ!? ベルさんこそ何泣いてんだよ!? ……麻呂か! 昨日の麻呂のこと思い出しちゃったのかよ!?」

 

 

 なにやら猛るトーリをとりあえず放置し、止水は――膝を付いて鈴に顔を合わせる。

 

 ……初めて会ったときに、鈴に『どうした?』と声をかけた時と同じように。しかしその時とは違って――膝を付いた止水の顔よりも、鈴の顔は少しだけ、上の位置にあった。

 

 

「ん――なんかこの構図、前にもあったような」

 

「……あった、よ?」

 

 

 ――覚えていて、くれた。

 

 

 鈴は涙をぬぐおうともせず、手を前へ出して止水を探す。すぐにその手は止水に取られたが……鈴の手はその手は取らず、手から手首……腕をなぞって止水の顔へ。

 

 そのまま手を引いて――しかし、互いの体重の圧倒的な差から、鈴のほうが引き寄せられるように。

 

 

 ……止水の顔を、自分の胸へと抱き寄せる。

 何時だったか、いや、いつでもだったか。彼が抱きとめて、守ってくれたように。

 

 

 一同がアングリ口を開けているが、構うことはない。

 

 

 

 

「……私、も、一人で、大丈夫――だから」

 

 

 

 ……一人ぼっちでも、大丈夫だから。

 

 ……貴方の枷に、なるくらいなら。一人でも、大丈夫だから。

 

 

 

「ん!? あっれベルさん!? 俺には!? 俺にはそのスーパーご褒美タイもがっ!?」

 

(((お前空気を読めよ! 今だけは本当に黙れよ頼むから!)))

 

 

 

「わた、し―― 大きく、なったよ? だから、一人でも、へいき、だから……! ホライ、ゾン――たす、けて……あげて」

 

「……Jud.」

 

 

 止水が、鈴の願いに応じ――鈴が、その手を解く。胸からぬくもりが離れていって――それでも、やっぱり一人になってしまうことは嫌で。

 

 

 だから。

 

 

 止水から離れた手が、止水によってもう一度取られたとき――また、涙が止まらなかった。

 

 

「そんじゃ、行くか。一緒に(・・・)、姫さんを助けにさ」

「え……」

 

 

 止水が手をとったまま、立ち上がる。

 

 

「昨日、さ……悪かった。俺たち二人で先走っちゃって――結局、また守れなかったんだ」

 

 

 でもさ、と。

 鈴は、自分よりもずっと高い位置からの声に顔を向ける。

 

 

「……俺たちだけじゃ無いんだよな。鈴だって、みんなだって。姫さんのことを助けたいんだ。――みんな同じ十年、積み重ねてきたのにかってに先走って、かってに、無駄にした気になって……」

 

「だぁ!? お前ら離せよいい加減! いいかベルさん!? 二人で駄目なら三人以上だ! ベルさんもモチ人数に入ってんだから勝手にソロ宣言されると困るぜ俺たち!?」

 

「……まあトーリの言うまんまだ。あとついでに言えば、姫さんだけじゃないぜ? 姫さんと同じくらいに、俺は鈴のことだって守りたいし、そばにいてほしいって思ってるんだぞ?」

 

 

 なあ? と一同を見渡し――満場一致の、Jud. が静かに、強く響いた。

 

 

「……う、うあ……っ、ありッ、がとう……!」

 

 

 

 

 それから――もう、とめどなく。それこそボロボロと泣き出してしまった鈴に、止水は盛大に慌てた。

 

 

 

「――全く。やっと泣き寝入りから覚めたか? 随分と無駄な時間を過ごしおって……このバカ共め」

 

 

 シロジロがそう悪態をつくが、隣のハイディにガッツリと安堵の笑顔を見られて微笑まれていたりする。

 

 

「いや、寝てはいたけど泣いてはないよ! じゃなくて、それよりも鈴が、え、まって、ゴメン。俺? 俺が悪いよな?」

「俺なんか寝てすらいねぇぜ!? 偉くね!? 第一よく見てみろよ俺の机!!」

 

 

 びしっとトーリが指した先を、全員の視線が追いかけていく。……泣いている鈴と慌てている止水はそんな余裕は無かったが。

 窓際最後列。机のうえには、なにやら本と――人形? があった。それを喜美がなにやら楽しげに持ち上げている。

 

 

「ンフフフ愚弟? なにこのエロゲ雑誌と組み立て式のヒロインフィギュア」

「それ、は!? 超レアモノの限定フィギュア付き銀髪系キャラ特集、だと!! 貴様まさか……!?」

 

 

 ウルキアガがなにやら戦慄していた。理由はとりあえず聞くまい。

 

 

「ああ! ホライゾンもそっち系だろ? 昨日番屋で説教食らってる隙にちょろまかしてきたんだよ! いやもう組み立ててるうちに益荒男ゲージ臨界突破くらいまで溜まったぜ……!」

 

 

 

「ほうほう、つまりはなに? 人を番屋にフォローに走らせといて? くだらないゲージを溜めていたと?」

 

 

 

 ――額にドデカイ血管を浮かばせた、笑顔のオリオトライがいた。なお、今回に限り鬼でも可。命が惜しくなければの話だが。

 

 

「ああ!? くだらなくねぇよ先生! 思春期男子にとって何より重要な益荒男ゲージだぜ!? あ、分かった、いじけてるな先生!? いじけんなよ10万27歳のくせして! 可愛い清楚な生徒である俺と意思疎通できないからって……子供かよアンタ!?」

 

 

 そして、御存知だろうか。笑顔とは本来、犬歯を見せるための――威嚇行為だということを。

 

 

 ……ワンターン。加速し、ツーターン。

 

 泣き続ける鈴をとりあえず持ち上げて、危険域から離脱する止水。その直後、遠心力をふんだんに乗せた(ニー)が、トーリの横腹に食らい付いた。

 

 

 打撃音、とは到底思えない破砕音を響かせ、リフォーム直後の壁を再びぶち抜いて出張したトーリを見送り――オリオトライは止水へと歩み寄る。

 

 

「そぉれぇで? アンタはアンタで授業中に寝てました宣言を潔くゲロしたわけだけど。あ、鈴? 一瞬だけこの大木貸してくれるかしら。後で好きなようにしていいから」

 

「大木って……? あ、鈴も頷ける余裕はあるんだな――Jud. いや、実は先生が来たときも一応起きたんだ。でも内容聞いて、俺には関係ないなー、って思ってまた寝た」

 

 

 潔く二度寝宣言。人間素直が一番だが――素直すぎるのも問題だ。

 

 

「そこで寝るな。おきて授業を受けなさい。……ったく。それじゃあ、アンタが『関係ない』って思った理由を言いなさい。それの如何によってはトーリの様に(ああ)はならないから」

 

「……んー、別に俺は厳罰でもいいんだけど……まあいいか。作文の内容って『私がしてほしいこと』だろ? 俺は、そのしてほしいことを『する側』だから、書きようがない。『私がするべきこと』とかだったらまだ書けたかも知れないけど」

 

 

「――んじゃ、止水の『私がするべきこと』ってのはなによ?」

「なにって、『皆を守る』に決まって……あ。マズイ、一行で終わる」

 

 一行どころか四文字だ。

 ちなみに――枚数制限は無い。しかし、それを知らない止水。厳罰かぁと肩を落としていた。

 ちゃっかり戻ってきたトーリが、教科書でメガホンをつくり、かっ飛ばせー! アマゾネス! と冷やかして、再び拳骨を食らっていたりするが。

 

 

「――はあ。まあいいわ。それで、ホライゾンを助けに行くっていうけど、二人はどうするつもり?」

「先生の拳骨の威力が上がってる件についてー!? ……はい、真面目にやります。だからダムから刀借りないでください。――まあ、なんにも決まってねぇんだ。俺たちそこまで頭良くないし」

 

「貴様にいたっては全開バカだしな」

「ああ!? うるせえ守銭奴! 黙って聞けよ!? だからまあ、皆!」

 

 

 

 ――俺らのこと、助けてくんね?

 

 

 

 

 軽い言葉なクセに。

 

 真っ直ぐ深く、頭を下げた止水とトーリに―― 一同の返答は、決まっていた。

 

 

 

 




読了ありがとうございました。

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