──其は、伝説の剣。
──其は、至高の刃。
そう名乗ることを当然とし、また、それらの称号を冠することを必然とされた、唯一無二の絶対宝剣。
子供たちがその存在を聞き、憧れと羨望に心を震わせ。
大人たちがその存在を見て、畏怖と敬意の眼で膝をつき頭を垂れる。
人が死に、国が滅び……大陸の様相が変わっても尚、語り継がれ、受け継がれる伝説の武器。
「スゥ…………。はぁ」
……彼がその存在を聞いたのは──もう何年も前のことになるだろう。
たしか、あれは四人対戦型のゲームをやっていたときだ。四人より人数が多ければ、当然その多い分の人数が観戦者になるわけで、その時の彼は観戦側だった。
一進一退の白熱した戦闘に、四人が奇声を上げ始めだしたころ──昔も変わらず馬鹿だった友の一人が、そのアイテムを取ったのだ。
絶叫し嘆き喚くほか三人と、勝ち誇る馬鹿一人。画面の向こうでは、馬鹿の分身である生き物のような何かが、特殊映像に入って黄金の剣を振りかざしている。
その直後、さほど時間も掛らずにその対戦は終了し──馬鹿が勝利に吼え、反則だと現実世界で乱闘を始め──……。
(……そういや、なんであの時俺もゲンコツされたんだろう……?)
颯爽と現れた女店主の拳は痛かった……のは、さて置いて。
それで記憶が飛んだ──なんてことにはならなかったが、痛みに耐えることが最優先だったので、『その剣』のことを放置したのだった。
放置し、思い出し。あのアイテムのことを友に聞き。自分で少し調べて……。
──そして、伝説を知った。
少し調べるだけで、あふれ出てくる大量の情報。
それは、数多の物語に登場し、そして、どの物語でも最強の武の象徴として輝き続けていた。
──その時にいろいろなことを思ったのは覚えているが、果たしてどんなことを思ったのか、までは覚えていない。
ただ一つ、今でも覚えているたった一つの思いをその時言葉にして、友人たちにはひどく呆れられたものだ。
……伝説の剣を手にしたい──ではなく。
── 伝 説 の 剣 と
有史上、そんなことを言葉にした少年が、もしかしたら、複数人はいたかも知れない。
だが有言を実行に移そうとしまでしたのは、きっと、止水だけだろう。
……迫る黄金の極光。もはやそれを剣と認識することは難しく、圧倒的な力でもって蹂躙する壁だ。触れる大気すら弾き裂いているのだろう。近づくほどに艦の揺れが激しくなっていく。
対し、止水が抜くは彼の身の丈ほどの大太刀だ。普段ならば長大さを感じるだろう刃は──今は比較対象が比較対象な為、楊枝程度にしか見えない。
……容易く手折られるだろう。瞬く間に、飲み込まれるだろう。
そんな未来を予見させるには十分すぎるほどの差があり、踏み込む足を躊躇わせるだけの迫力が、そこにはあった。
「──いざ、尋常に」
……あるはず、だった。
右腕を振るには邪魔だとばかりに緋の着流しを左の腕に巻きつけ、艦にいたままでは何もできぬと──縁を踏み砕かんばかりに踏み抜き、横へ。何もない空間へ、跳ぶ。
そこに、躊躇いも淀みも、恐怖すらもなく。それどころか楽しげな笑みすら浮かべて。
──刀が、往った。
「──勝負ッ!!」
全身から緋炎が猛る。それを加速とし、さらには回転への遠心力とし、独楽のように身を回す。廻す。
そして、金と緋の激突は、一瞬のうちだった。
しかし、金と緋の拮抗は……一瞬すらもなかった。
黄金の剣は、明確にその速度を落とした。だが、刹那にも止まっていない。対し、緋の刀はその炎をよりより猛らせるが、その進行を止められずにいた。
「ぬぅっ……!」
負けている。止められない。そう判断した止水は、ちらりと左腕に視線を送る。しかし……見ただけで何もせず、再び右腕だけに力をこめた。
「っ! おぉ、っ!」
なおも押される。押され続ける。緋炎の動きが変わるが、誰がどう見ても、緋は黄金に負けていた。
負け続けていた。
「ぐ……っ!」
──それを止水も感じたのだろう。
この黄金を、自分は止められないと。
ならば、止めない。
速度を限界まで落とし、右腕にあらん限りの力をこめて……上へ上へと、上げる。
止まらぬならば、しかし守るならば。
──斬撃の軌道、そのものを変える。
横から来る『
──もっともそれは、どちらもある程度対等な条件であればの話だ。
巨大で、明確な足場を得ている『
「おおおおぉぉぉ!!!!!!!!」
ゆえに、止水は、一度刀を振り抜いた。
ジャオン……ッ、とどこか濁った金属音が響き──。
「まだまだぁッ!!!」
ジャオンジャオン、とその音が立て続けに搔き鳴らされる。
再び独楽のように回転を、止水という輪郭が確認できなくなるほどの速度で行う。
……一度で逸らせないのなら。逸れるまで、何度でも。
幾百、幾千もの回転剣舞。
英国本土において場所の離れた二人が、その信じられない光景を見て同時に、「ありえない」と呟いた、その時。
「……いい加減、にっ! 曲が、れぇ!」
最後の……後のことをすべて放棄した、本当の意味での渾身の一撃。
一際大きな濁音が響き──『ガクン』と音が聞こえそうなほどに、極光の軌道が跳ね上がった。
跳ね上がり、かつ止めようとする力から解放されて突き進む光は、武蔵の上を──輸送艦の真上を、滑り彼方へ去っていく。
止水はぐらつく視界でそれを見送り、ほっと一息つくまもなく……役目を思い出した重力に囚われ、大海原へと落ちていく。
「……あー、これ、どうやって戻ろ……ッ!?」
──止水の体が乱気流に錐揉み飛ばされたのは、その直後だった。
***
──ズドン! お助けぇええ……グエッ
「これは──浅間!? お前今何かしたか!?」
『な、何もしてませんよぅっ!? 『ズドン=私』っていう方程式そろそろぶっ壊しませんか? ……せんかっ!?
止水君がその輸送艦の側面に突き刺さったんですよ! 足から! ズポッと!! ええ!』
はぁ……? 何言ってるんだこいつは、という眼を一同から通信越しに浴びせられた智は、論より証拠とばかりに、輸送艦の右舷側……前方の画像をアップで映し出す。
見事にひしゃげ、変形したフレーム。そして、その穴から腹から上だけを突き出した止水が、自分に何が起きているのか理解できていないように、キョトンと目を瞬かせながらも呆けていた。
右を見て、左を見て……そして自分の状態に気付いたのだろう。……体を左右に捩じらせてもがいている。──まるで合成画像のような、ギャグ動画だった。
外側に体を抜こうと両手で外殻を押し出すようにふんばり、しかしあまりのフィット具合にそれができず。ならば内側に入ってしまおうと足掻くが、それもできず。
やがて……あきらめたのだろう。風に揺られるままに、ぶらーんと脱力していた。
残酷なことに、これが伝説の剣と戦った直後の剣士の姿である。……できるなら冗談であってほしかったものだ。
「プフッ……あ、んん! 失礼を。……そ、それにしても、相も変わらず、緊張感を台無しにしてくれる方ですわね、ほんとう」
「まず、生身で輸送艦に穴あけてることにツッコミを入れたいがな、私は。とりあえず、無事でよかったが」
どこか懐かしそうな顔でネイトが苦笑している。……取り繕っていたようだが、全員が吹き出した彼女をしっかりガッツリと確認していた。
「……和んでるところ悪いけど、それどころじゃないさね。……このままだとこの艦、武蔵に落ちるよ」
暴風に煽られる凧、というのが手っ取り早い表現だろう。止水の作った結界の内側にいる面々にはわからないだろうが、外側は相当切羽詰った状態らしい。
「──直政、率直に聞く。この状況、どうすればいい?」
「牽引帯をぶった切る。……ちと荒っぽいが、風に煽られて武蔵に落ちるってことはまずないさね。こっちは吹き飛ぶだろうけどな」
直政は事も無げに、とんでもないことを言ってのける。
文字通りバッサリ言い切った彼女に引け目を感じないわけではないが……だが、機関部の柱の意見ならば、やるしかないだろう。
正純はそれを採用した。
まずやらなければ、人一人分はあるだろう直径の牽引帯の切断。それができるのは──。
「──二代! 牽引帯を蜻蛉切で『割断』してくれ! ……二代? おい!」
女武者の姿を見つけ、指示を飛ばし。しかし、その身は動かない。蜻蛉切を脇に抱え、なにやら牽引帯に向かって手を合わせている。
お参り、という顔つきではない。そもそもあんなところに祭られている神などまずいないだろう。どちらかというと、お墓を前にしたような、神妙な顔つきだ。
「……正純。あれは──そう、事故に御座る。不幸な事故……誰一人として、責を負うことは御座らん。用意をした直政殿も、もちろん指示をした正純も……もし裁判などが起こったなら、拙者、喜んで弁護に回るで御座る!」
「ごめんお前が何言ってるのかさっぱりわからない。って、そんなことはいいから! 早く牽引帯を断て!」
「……Jud.!!」
正純たちは大荒れの中でも駆けることのできる幼馴染の背を、アイツも人間の枠組み超えてる組だなー、と若干失礼な感想を持って見送る。
「……我が友の幸せな将来のため! 証 拠 隠 滅 ッ! 結べッ、蜻蛉切!!!」
その枕詞いるか? とその友である正純が首を傾げ──ガクン、と今までで一際大きな揺れを得た。
輸送艦が、吹き飛んでいくのだ。
幸か不幸か、英国へ向けて。
「くっ、次から次へと……落下地点の予測はできるか!? 住宅地に落ちたら外交どころじゃないぞ!?」
矢継ぎ早に飛ばされる正純の、指示、とまではいかない言葉。
『このような問題がある』『だからこういった答えを出せ』と明確に示されているため、その方面の技能を持っている者たちが一斉に思考を回す。
その中で、誰よりも早く報告をあげたのは、忍者だった。
「Jud.! 問題は無うござる! 落下地点は英国の海岸沿い、その川原近辺でござるよ! 周囲に住居の類も無く……しかし、艦首から垂直に墜落するしか!」
既にコントロールを失っている現状、艦首からの墜落は、最早どうすることもできない。
──物的被害は、この際必要な損害として眼を瞑ろう。──幸いにも、英国側に大きな被害を出さずに終えることができる。
そう、苦い顔で安堵しようとした一同。しかし──その幸いさえも遠ざける報告が届いてしまった。
『おい……子供だ! 点蔵っ! お前が言った川原、子供がいる!』
「「「はぁ!?」」」
伝えた止水の声は、強い焦りを滲ませている。
……当然だろう。動けない現状もそうだが、『
──それが、この短時間で回復するはずも無い。
寸前で見つけることができた三人の子供。川遊びでもしていたのだろう、川の真ん中で身を寄せて──突然の事態に、ただただおびえている。それを、止水は見ていることしかできないのだ。
その焦りは強く──既に駆け出している三人に、彼は全く、気付くことが無かった。
***
「き、『傷有り』様! どうかお戻りください! いくらなんでも危険です!」
「危険は百も承知だ! しかし、子供の命には代えられないだろう!?」
草原を駆ける。
脛の中ほどまである背丈の緑は、踏み込む足場を覆い隠し、そのうえ不規則な自然の凹凸を、天然の罠に仕立て上げていた。
それでも、駆ける。駆け抜ける。風の後押しを背に受けて、さらに速く。
地に引きずるような長衣で、それだけの行動が取れる。それだけでこの者が常人よりはるかに優れているという証明になるだろう。
……付き従うように傍らを飛ぶ、やたらと丸みを帯びた──なぜか制服をキッチリと着こなしたカラスのような珍生物の存在も、その者の特異性を際立たせていた。
「──ッ! いた!」
「『傷有り』様! う、上! 上です! 上にもいます!」
「なっ!?」
眼深にかぶったフードの向こう、川の中にいた、目的の、探していた三人を見つける。何度も言葉を交わし、笑顔を向けられた三人を見間違うことはない。
そして同時に、その三人へと落ちてくる巨大な輸送艦も確認した。
(……このままでは間に似合わない、ならばっ!)
「下がれミルトン! 多少手荒になるが、輸送艦を弾く!」
「はっ! ってええ!? だめです、それこそ危険です! どうかお考え直しください『傷有り』さギャー!?」
珍生物・ミルトンが暴風に煽られ、どこぞへと吹き飛んでいった。それをちょうど良いと見送り──『傷有り』は走りつつ、その手に力をまとわせる。
(……悪く思うな、武蔵の民よ!)
自分がもっと早く、子供たちを見つけられていれば。武蔵が近づいているとわかった時点で、遠出を控えるように指示しておけば。思い返せば後悔にきりが無い。
狙いは、こちらに腹を見せている右舷側面、その中央よりやや前方側。
「……」
「……」
狙った、その場所。そこに生えている極東人と、眼があった──気がした。あちらも顔の殆どを隠しているいるため、気がしたとする。顔の位置がこちらに向けて固定されていても、気がしているだけだ。
一瞬、躊躇いが生じた。
無理やり弾くのだから、輸送艦に少なくない被害が出ることは必須。怪我人も出れば、貨物しだいでは死人も出るだろう。その覚悟はある。
だが、そこが最も効果が高い場所だからといって、眼に見えている無実の人に術式を打ち込むのは流石に気が引けてしまうのは、無理も無いことだろう。
その一瞬の躊躇い、しかし、すぐに非情に徹し──。
その刹那に、接近を許してしまった。
「危ないッ!!」
「なぁっ!?」
自分が生んでいた加速。それが一気にゼロとなり後ろへ飛ばされることで生まれる内臓の圧迫。それに苦しみを覚える前に、『傷有り』は見た。
輸送艦が堕ちる。その、瞬間を。
轟音。
砂利が飛び、金属がひしゃげ、あらゆるものが揺らされ潰される異音。
「あ、ああ……っ」
こみ上げてくる咳を押し殺し、見た川原は……あまりにも無残なものになっていた。
そこにいた三人の子供……その姿も、跡形も無い。
そして──自身を阻んだ男が、身を起こした。覆面に帽子、極東の制服は動きやすさを重視した改造が見られ、腕には特務が着用する腕章が揺れていた。
つまり、実力者。
(実力者、だったなら……!)
「御免、無作法でござった。しかし──」
告げる言葉を遮る……バシン、という強い音。
実力者だろう。輸送艦からこちらまで、相当な距離がある。しかもまだ空中にあった輸送艦から飛び降り、決して近くは無い距離を走破したのだ。
それだけのことができたなら、それだけのことが、できるのなら。
わかっていたはずだ。子供がいたことが。救えたはずだ。三人の、いまだ幼い未来を。
「なんて、なんてことをしてくれた!? あそこには──ッ! あそこには……っ」
「ふむ……自分の仲間に一人、とんでもない御仁がいるのでござるよ」
責めて、しかし返ってきた言葉は、謝罪でもなんでもない。身の上話だった。
そして、言葉は止まらず、続く。
「己の犠牲を省みず、守ることを続ける御仁でござってな。……周りがいくら止めても、無謀とも無茶とも言える修羅場に一人行こうとするのでござる。胸倉を掴み、頬を殴り……それでも、いまだ止められずじまいでござる」
「…………」
──だからでござろうか。
「自分たちも、決めたのでござるよ。誰が言い出したわけでも、ましてや誰が決めたわけでもなく。
──その御仁が、無理や無茶に身を投じて守りにいくことを止めぬのならば、自分たちもそれに続いてやろうと。それどころか、その先を行ってやろう、と」
──自分
その御仁とやらを、『傷有り』は当然知らない。しかし、目の前の男が語る言葉を嘘や妄言の類とは思えなかった。
そんな者がいて、そして、それに続こうとしている、彼らならば。
「お、見るでござるよ」
……言われなくても、もう見ている。
艦が墜落した衝撃で弾かれた川の水がその水位を戻し──隆起して新しくできた岩場に、二人。武者の装いをした長髪の女生徒と、騎士の礼服を纏った銀髪の女子が舞い降りるところだ。
……その腕に、一人と二人。未来を、抱えている。
「──守り抜きましたわよ! 英国の未来を、三人分!!」
騎士が、よく通る声で高らかに吼える。
抱えられた子供たちは何が起こったのか理解していないらしく、自分を抱える人物と、周りの状況を確認しようと首を巡らせていた。
言葉のとおり……怪我一つ無く、守り抜かれたのだ。
そんな騎士の言葉に、誰よりも、何よりも早く答えたのは……ほかでもない。
『『『『『『『──ィヨッ、シャアッ!!!』』』』』』』
墜落したばかりの輸送艦だった。
呆然とその光景を見届け、『傷有り』はやっと我に帰る。
右手はいまだに、熱にも似た痛みを訴えている。打った側でこれだけのものならば、打たれた側の痛みは、もっと強いだろう。
「あれ……?」
傷有りは、今日だけで何度呆然とすれば良いのだろうか。
男が、すぐそばにいた、不思議な口調の男が消えている。慌てて探しても近くには居らず──それが、『隠遁の術』という忍の技と後で知った。
姿は見えず、しかし、去っていくのはわかる。
「あ、まっ、待ってくれ!」
伸ばした手は、しかし掴むことは無く。
しばし呆然と佇む『傷有り』を、輸送艦の側面に生えている緋衣の男だけが眺めていた。
「はぁ──これから、どうなるんだろうな、っと」
難しいことにならなきゃいいけど、とだけ呟き、現状を打破せんとまた踏ん張りだした。
読了ありがとう御座いました!
メアリ様のフードは『某子供で大人な名探偵の蝶ネクタイ』だと思ってます。はい