幕間 あの頃 その人たち
「せ、せんぱーい! そろそろ戻りましょうよー! なんか、いろいろとやばい感じですよー!?」
「ちょーっと黙っててねーみつきー! ……私の勘が正しけりゃもうそろそろ──っ、しゃきったぁ!」
どこなのか、と問われれば、村山の公園内にある釣堀と答えよう。
いつなのか、と問われれば、今しがた真上を黄金の極光が通り過ぎたばかりと答えよう。
釣竿を撓らせ、水面を乱しながら、リアルアマゾネスことオリオトライが釣りに興じていた。
「ほらほら見なさいよミツキ! 大物よ大物! やっぱこういう時に釣れるのは『よっぽど馬鹿な奴』か『よっぽどの大物』って相場が決まってんのよ!」
(こういう時に釣りなんてしている人も、そのどちらかだと思いますよ先輩……なんて言ったら、吊られちゃうかなぁ……吊られちゃうよなぁ)
諦めが肝心である。三要はとうの昔に、中々の頻度で顔を出すオリオトライの常識粉砕行為に対し、踏み込んだツッコミはしまいと心に誓っていた。
「待ってなさいよ朝ごはん!」
「って食べるんですか!?」
当たり前でしょ! と叫び返す女教師(戦)。
ちなみに、今現在武蔵は盛大に揺れている。三要のように近くの街灯にしがみ付く、というのが模範行動なのだが、この戦闘系女教師は「そんなの関係ねぇ!」とばかりに魚との格闘を繰り広げていた。
──緊急事態だというのに、釣りをしている女教師も、また今まさに釣られようとしている魚も。軽く常識を逸脱している。
「ちぃ、竿がもたないわね……だからこそ勝負! どっ、せぇい!」
女を遠くに捨てちゃっている気合一声に、撓りが限界を超え──大人の半分はあるだろう魚影が、天高く釣り上げられる。
「よっしゃあ! 今日は魚尽くし! オーッライ!」 ──あーい、ふらーい、ア、ウェェェ!!
そして、釣りあがった大魚を受け止めんと、釣竿を捨て置き、両腕を構える。
更にそして、『ソレ』を受け止めたのは──三要が奇声のような空耳に気味悪がった、直後だった。
それは生暖かく、まさに人肌の温度。魚特有の生臭さは無くても歓迎なのだが、無ければいけない鱗の硬さも無く……なによりも。
「Oh! この筋肉かと思いきや柔らかいこのオパーイ、さては先生だな!? なんだよ先生も俺狙いかよ! でもだめだぜ!? 俺にはホライゾンっていう心に決めた人が!」
こんなに人を苛立たせるトークをおっ始める魚など認めてはいけない。
奇しくも、お姫様抱っこの形で受け止めてしまったために、いろいろと接触面が多い上に顔が近い。しかもこの魚、かわいい教え子のドヤ顔に似ている。似ているあまり、殺意すら感じてしまいそうだ。
……ちなみに本来満面の笑みで迎えられるべき大魚は、軌道がそれて釣堀に帰還を果たしていたりする。
「ってか先生かよ俺のセカンドお姫抱っこ!? あ、でもなかなかいい安定感! わき腹に当たるやわっこいのが素敵だぜ先生!?」
……見たところ、怪魚は18歳前後──つまりは未成年。大人ではない。
『まだ若い魚はできるならリリースする』──オリオトライはその釣り人のルールに則り、釣り上げた『ソレ』を釣堀に帰すべく、軽く上に上げるようにして手放した。
手放し……そして、ツーターン。
「あっれ先生? 落ち着いてね? 落ち着いてなくね? 大丈夫だってちゃんと先生も大好きだから皆! だからその唸らせ系の回転はらめぇ!」
「おお、
きくッ!
育つの、よッ!!」
跳ねる右足。
程よい重低音。
……そして跳ねて行く人型。
……平たい石を投げて、水面を跳ねさせていくあの遊びを三要が思い出し、人でもできるんですねぇ、と頬を引きつらせるころには……全裸の怪魚は向こう岸に打ち上げられピクンビクンと、気持ち悪くのた打ち回っていたそうな。
「……あ、先輩。なんか、副会長さんたちを乗せた輸送艦、英国の海岸沿いに墜落するみたいですよ」
「そうみたいねぇ──っと。3、2、1……はい堕ちたー。うーん、止水が王錫剣弾いてるのは眺めてたけど、やっぱり煽られちゃったかぁ……ま、今日のあの子絶不調だったし、今回の負けはしょうがないでしょ。誰かさんに似て何気に負けん気は強いから、たぶん負けたままにはしないだろうし。
……にしても、うちのクラスの授業どうしようかしらねー。確か1/4か1/3くらいあれに乗ってるのよねー」
──成績的に問題、って子はそんなにいないんだけどなぁ。
釣り道具を担ぎ、何事もなかったように歩き出すオリオトライ。教員らしい悩みに頭を搔きつつ、一人教導院へ。
……ちなみに、艦はいまだ大揺れである。動くことはおろか、掴まって身の安全を維持することも難しくなってきた三要が薄情者と叫ぶが、いろいろな音にかき消されて、終ぞオリオトライの耳に届くことは無かった。
***
──握りを確かめる。手に汗が滲んでいればズボンでソレを拭い、これから掛ける力がなるべく逃げないように、しっかりと握る。
握った後は、足場の確認だ。腰を落としても、また、地面を少し滑っても大丈夫かどうかを確認し、問題ないことを前後左右で確認しあう。
準備は完了した。
その合図を前方、左の姉御と右の騎士に送り、前方からの合図を待つ。
「それじゃあ」
「ん、いくさね。 せぇー、のッ!」
「「「「「「うおぉぉぉおおお!!!!!」」」」」」
「「「「「「おりゃぁぁあああ!!!!!」」」」」」
『イダダダダダダダ!!!???』
『止水殿! もうちょっと! もうちょっとにござる! 呼吸を整えて、はい、ひっひっふー! ひっひっふー!!』
『点、蔵ォ! 先に謝っておくな! 後でお前のこと本気で殴るか、らぁぁあ!? せめて喋ってるときくらい引くのやめぇえええ!?』
壁の向こうから苦悶の声、いや、もう叫びだろう。それが聞こえる。あまりの痛々しさに歯を食いしばり……尚も、引く。
壁から突き出した、緋色の袴。──その両足首に巻きつけられている、銀色の鎖を。
その掛け声と叫びをワンセットにして二度三度と響き、掛け声側が休憩を入れよう、と一息ついた。
「うーん、抜けませんわねぇ……とりあえずやってみたものの」
「……な、なぁ、これ、とりあえずじゃなくて、確実な方法を話し合ってから実行したほうが手っ取り早くないか? 時間はあるんだし……っていうか罪悪感半端無いぞ」
「これで抜けたら御の字だって話さ。……しかしミト、いくらなんでもこりゃ無理さね。止めの字は腹回りよか胸周りのほうが厚いんだ。外に押し出すならまだしも、こっちに引っこ抜くにゃ、相当な力いるよ」
「……へっ!? ──や、やーですわね! わたくしも、もちろんわたくしもそんな事はちゃぁーんとわかってましたわよ! ええ! ですが……え、ええと、そう、罰も兼ねてますの! 言うこと聞かず無理をした罰ッ!!」
「「「『手も足も出ない相手になんと言う仕打ちを……!』」」」
鬼畜だよあの騎士様、云々。流石だよ総長連合、云々。ハアハア、云々。……最後の云々の連中はそれなりにいる女性警護隊の面々に引っ捕らえられていたが、それは些細なことだろう。
「──しかしまあ、早いとこ止めの字を自由に動けるようにはしておきたいさね。いま朱雀の修理ができないから、武神並の怪力がある労働力は当然貴重なんさ。それに、止めの字は点蔵に次いで『こういう状況』に強いって奴だしね」
煙管を吹かし、文字通りの一服中の直政が現実的な意見を述べる。……壁の向こうから『そう思ってるなら普通に助けてくれよ……』的な恨み言が聞こえたような気がしたが、きっと気のせいだ。
……今もバシバシと、直政に腰帯辺りを良い様に叩かれている。身を捩り、足で抵抗しようとしているのだろうが、人間の関節常識を覆さない限り、直政には届くことはまず無いだろう。
どうしたものか、と止水にビシバシ入れながら悩む三人の乙女に、後続の警護隊は若干引き気味であったそうな。
『──しかし、止水殿も際立ってこられたでござるなぁ』
『いや、いきなりシミジミ言われても困るよ。垂直の壁に座ってる点蔵だって十分際立ってるだろ』
そんな内側のやり取りをさておいて、なにやら、壁の向こうが五十歩百歩の会話をし始めている。内容が忍者にしろ刀にしろ、とんでもない状態で会話ができるらしい。
止水の反論に対し、点蔵は首を横に振っているようだ。
『いやいや、流石に伝説の剣と対決して相打つ御仁より自分、一般人でござるよ。あと20cmある特殊鋼板ぶち抜いて無傷とか、人間でござるか?』
『──言うなよ。最近自分でも『ああ、頑丈になってきたなぁ』から『これって大丈夫なのかなぁ?』って思ってるんだからさ。
……あと、さっきのあれは俺の負けだろ。誰がどう見ても』
叩く手を止め、雑談を閉ざし。
壁の向こうからの苦味の強い苦笑を、ただ聞いた。
『……皆、無事でござるよ?』
" 何を以ってして勝敗の判断をするのか " ──という点で、点蔵は疑うことなく『全員の無事』と読んだ。
試合に負けようが勝負に負けようが、守りきれればそれで良しとする──長年の付き合いで、そういう男だと思っていたからだ。
しかし止水は、否々、と首を横に振る。
『そりゃあそうだけどさ……あれは運がよかっただけだ。そもそも目標が武蔵じゃなかったし、上からじゃなく横からだったから、辛うじて逸らせたんだ』
一息。
『……こっちに完全有利な状況で、俺はアレを
な? 俺の負けだろ?』
問われ、点蔵が答えに窮している、その内側で
直政が肩をすくめて。ネイトが同意するようにため息をこぼし、正純が苦笑していた。
「はぁ……全く」
「なんだかんだ、って感じさね。まあ、止めの字らしいっちゃらしいか」
「Jud. ──男の子、ですわねぇ」
……あの時、止水のコンディションはどう考えても『万全の状態』とは言えなかった。むしろ最悪に近い状態だったろう。
なにせ、ホラ子作『劇物スポーツドリンク』で生死を彷徨い、トドメには直前の砲撃で守りの術式も発動していた。──説明していてあれだが、よく生きていたものだ。本当に。
『無理をするな、動くな』と、確かに正純は止水に向かって言っていた。だが、止水が動いていなければ、最悪はここにいる全員の命が危なかったのだ。
つまり、結果、頼るまいとしていた止水に何度か助けられたわけである。謝罪やら感謝やら、伝えたい言葉は少なからずあったのだが──。
……伝えられないだろう、これは。
負けた負けたと言っているのに、楽しそうに──まるで、『次は必ず勝つ』と挑み行くようではないか。
そんな男に送るべきは、感謝の言葉なんかじゃない。そんな、男の決意を邪魔する女になんか、なりたくもない。
だからこそ、正純たちが今するべきことは──!
「……よーし、休憩終了ー! 引くぞー!」
「「「「おー!」」」」
『……え? まだ引くの? なんかさっき別の方法考えるとか、そういう感じの話の流れになってなかった……?』
『止水殿。……グットラック、にござる』
総員が再び鎖を握る。足首にだけ巻きついていた銀鎖が『頑張るぞー』とばかりに、膝下をぐるぐる巻きにしていた。
──本気だ。次から、本気の引きが来る。
止水はそれを、長年の経験と直感で感じ取った。
『も、もういいって! ほら、俺自力で出るから! 頑張るから! こんなことするより他にやんなきゃいけないことがだから人の話ぃだだだだだた』
── 十数分後。
多大な犠牲を払い、無事に救助は完了したそうな。
しかし、その際──筆舌しがたい異音やら悲鳴やらが、常時響いていたという。
輸送艦墜落から、片手の数時間。英国は武蔵に『領海内上空での待機』を指示。
輸送艦、およびその乗員に対しては『領土損壊の取調べ』と称し、輸送艦の周辺地域を自由に行動できる権限を限定的に許可し、本国へと留めた。
武蔵との物資的なやり取りはおろか、通神を用いた連絡もできず。
また、英国もさまざまな理由・思惑があって食料などの物資援助が最低限しか送れない状況となり、英国側のトップがかなりお怒りになったが、無いものは出せない、と謝罪が武蔵に送られたそうだ。
正純が試算したところ、武蔵と英国がもろもろの調停を終えるまで、おおよそ二週間。その間、輸送艦の面々はサバイバル生活を余儀なくされることになる。
物資は少なく、さらには数十人という人員で、二週間も食べていく。過酷な内容になるだろうことは、火を見るより明らかだろう……。
「いっつう……容赦なさ過ぎるだろ皆……あ、そうだ点蔵。昼飯、どうする?」
「むむむ、たしかにいい時間でござるなぁ。うーむ、ここは一つ英気を養う初日ということで、『ドキッ! 川・海・山の幸贅沢網焼きフルコース!』などいかがでござろう?」
「うん。頭についてる動悸が全然わからないけど、それでいいんじゃないか? で、どっちいく?」
「自分は海と川に行ってくるでござるよ。既に良さそうな穴場をいくつか見つけてござってな。あ、止水殿。できれば薪用に数本伐採をお願いできるでござるか? 調理用の炭もできれば」
「ん、Jud. 俺が山だな──んじゃ、一時間くらいでいいか?」
「十分かと。では何かあれば、いつもの合図で」
……訂正。案外イージーモードのサバイバルになりそうな感じである。
読了ありがとう御座いました!
原作でもアニメでも、ほぼ『キングクリムゾン!』されている輸送艦組サバイバル。
……書いちゃいます。