静まり返った会議場にて、だれよりもポカンと呆けているのは、おそらくこの場の主役と思われるうちの一人である正純だった。
(と……とりあえず状況を整理しよう。うん)
① 武蔵英国の合同会議スタート。したらいきなり妖精女王が『止水よこせ、なんでもしますから』
② 言い返したら妖精女王が激怒。光の翼? みたいなので威嚇──だよな、さすがに。それに対して止水が場外から流体炎で対決。
③ 止水かと思ったら馬鹿に馬鹿された。武蔵に帰ったら断固として起訴してやる。絶対にだ。
④ 止水……多分、止水。だと思われる男性。呼び捨てにするのが憚られるくらいの人になってやってきた。
(えっーと……?)
状況を箇条書きにして並べてみるも、結局整理出来ずに混乱は続行。そうこうしているうちに低頭していた止水(新)が、ゆっくりと頭を上げる。口上の際に沈めていたのだろう笑みを、またふっ、と。
(…………。
──いや、まあ、うん。悪いことじゃない、よな。うんうん)
──明らかに『別の理由』でポカンとしたようだが、幸いにも一同の視線は止水に集中していたので知られることはなかった。
……直前の口上。そして、入室の作法。どれ一つとっても、英国を上位にした完璧な作法だった、と正純は混乱しつつもそう評する。
若干下手に出すぎ……と見る者に思われるかもしれないが、英国は既に止水個人のために『武装解除必須』という絶対条件を曲げているのだ。
それに対する誠意なのだと考えれば、その行動は正しいだろう。
(いやでも……あの、止水が?)
なかなかに正純も失礼なことを考えているが、ある意味仕方ないのだろう。
思い出されるのは約一年分の記憶だ。男だと偽っていたのに早々に女とバレ、いろいろと手助けやガチ救援をされていたのが懐かしい。
そんな中で、止水が礼儀作法はもとより、敬語やらを流暢に使っていた──という瞬間を、正純は全くと言っていい程知らない。級友の両親らに、かなり……相当に砕けた敬語を使っていた程度だ。
武蔵住民がそのあたりの細かいことを気にしない気質というのもあるが、止水自身の生来の性格もあるのだろう。
実際、当人も『言葉でのあれこれは苦手』と言っていたではないか。
(……お、おい浅間! これ本当に止水なのか!? ……浅間?)
困ったときのカアチャン巫女こと、ズドン浅間智。彼女の止水との付き合いの長さは、最長である葵姉弟とほぼ同期のはずだ。だから、この怪現象にもなにかしらの情報を持っているはずだ……と。
だがその智は──呼吸を、止めていた。
左右で色彩の違う両眼を限界ギリギリまでこじ開け、正座姿の止水を後ろから凝視している。
それだけでも結構怖いというのに──表情の一切が抜け落ちているので、さらにが付いて尚のこと怖い。
(えと、浅間……さん?)
(──……はっ!? ななな何ですか正純!?)
(いや、その……)
視線をチラリと止水へ向ける。今まさに立ち上がったので、丁度見上げるような形になった。
……知っている、見慣れた背の高さだ。
若干挙動不審だった智も、その動きで正純が何を言いたいのか察したようで、苦笑を浮かべつつ応じた。
(あー、まあ。そうですよね……私も前から思ってはいたんですけど、なんでもっと着飾らないんですかね、この人は。……素材は全然いいんですからもっとこう……ねぇ?)
(いや、ねぇって言われてもな。そっち──もそうだが、今の作法というか言葉使いというか……)
正純の言葉に、あ、そっちですか。と、また苦笑。
(えっとですね……止水君、たまにうちの神社で
それで──まあ、結構
智の説明に、また少し記憶を巡らせる正純。
そう言えば……と喜美が以前、『止水が神様連合に好まれている』という話を、幼馴染相手に実演込みでやっていたのを思い出し、かつ神事においての厳正な所作も思い出す。
つまり、止水が見せた所作は、神様相手の本場仕込み──というわけだ。
正純は武蔵に来てから神社に赴いた記憶がない。ので、神事のバイト中のレアな止水を知らなくても当然だろう。ほかの面々は正月などの参拝でそれを直接見たり人づてに聞いたりしていて知っていたのかも知れない。
そんな、ひとまず・一応、といろいろ前置きの付く納得を得て、視線を前へと戻す。言及は後だ。馬鹿を起訴したあとにでもゆっくり個人面談するとしよう。
いまはなにより……止水の登場、そして口上を受けて、英国かどう出るのかが問題だ。
……そんな思いで見上げてみればエリザベスは──笑っていた。
「ふふ、『お初に』か。そうか、言われてみれば、そうであったな……初めまして、だ。守り刀よ。
……そして、遅れに遅れてしまったがどうか言わせてくれ。……ようこそ、我が英国へ。心から歓迎しよう」
言葉も表情もどこまでもあたたかく──まるで、懐かしき親しい友人を迎え入れるような──いや、これはそれ以上だろう。長年会えなかった大切な家族の帰りを、迎えるような……そんな雰囲気だ。
間違っても、初対面の相手に向ける表情ではない。
「──無骨な刀に、過分なお心遣い……感謝の言葉もございませぬ。
此度は、恐れ多くも手前の『所有』の在り処。それを、手前自ら公言したく参上仕りましてございます」
──再び、低頭。
少し息を飲んだような雰囲気のエリザベスには、気づかない。
「恐れながら……手前は極東・武蔵に対し、幼少の
……未だにして影打たる我が身ではございますが、この誓い、折れし時こそ『守り刀の最期である』と決意しておりますれば」
そのまま、ほかの誰の言葉を挟ませることのないよう、止水は一息のままに、すべてを言い切った。──言外に、自分が武蔵から離れるのは、自らの死別をおいてほかにはないのだと、これ以上にない断りの言葉を含ませて。
エリザベスが今度こそ雰囲気ではなく、しっかりと息を飲み……そして目を閉じ、一度だけ──深く深く、深呼吸をした。
そして開いた眼は細く、そこから感情を伺い知ることはできなかった。
「なる、ほど……か。それだけの覚悟を、すでに決めているのか……では、私がやろうとしていたことこそ、無粋であったか」
止水は無言だ。無言を肯定とし、下げた頭を更に僅かに、下げる。
それを見て、脱力するように吐息をつく。しかし気を抜いたのはほんの刹那のことで、すぐに英国の長たる女王がそこに戻った。
「──すまんな。武蔵の代表。私の
──なにはともあれ、仕切りなおしだ。
エリザベスの怒りから始まり、トーリの半裸から止水の登場、そして口上。場が大いに乱れてしまったのは否定できない。
だからこそ、形だけでも。エリザベスがそう判断したのだろう。
怒りの勢いのままに立ち上がってしまった玉座に座りなおそうとした──。
──「きゃあっ!?」
……で、まあ。
エリザベスの真後ろにあった玉座なんぞ、彼女自身が放出した光翼で後ろにある幕のはるか後ろまで、吹き飛ばされているわけであって。
「「「「…………」」」」
「「「「…………」」」」
「「「「…………」」」」
……『きゃあ』という悲鳴は、聞こえなかった。
ジョンソンが本気の形相で頭を下げ、下げた頭の上で手を合わせて必死に懇願していたから。
……結構ゴツイ系の装いのせいか、それとも突然の出来事に混乱してしまったのか、起き上がるのに手間取っている。──なんて光景も見ていない。
ハワードがもう可哀想になるくらいに床に連続頭突き土下座をして必死に懇願していたから。
さらにはホーム故の機転なのだろう。英国の放送部の面々がだいぶ無理やりなカメラワークで英国の面々を外し、武蔵一派を写していた。
―*―
貧従士『あのー、すいません。急に画面が皆さんオンリーになったんですけど、何かあったんですか?』
ベ ル『ひめい きこえたけど だいじょうぶ?』
俺 『あー……しゃあねぇ。武蔵っ子的にはスルーはできねぇけど、ベルさんに免じてスルーしてやるか』
約全員『ちっ……Jud.』
あさま『ちょ、ちょっと! 今の『約全員』はおかしいですよ!? 不参加いますからね!? 私不参加ですから! 舌打ちとか巫女的にダメですから!
あと、ちゃんとわかってますよね? いまの弱みでいろいろ条件引き出せるんですから、ぶちかましたらダメですからね!?』
約全員『スルーしてやらないんかい!?』
賢 姉『むぅ……! さては現場で面白いことがあったのね!? この賢姉様を抜いて内緒面白話なんてさせないわよ!? おーしーえーなーさーいーよーっ! あ、あと止水のオバカの現地写真! わかってるわね愚弟!』
『影 打』さんが入室しました。
『賢 姉』さんがログをリセットしました。
『634』さんがログをリセットしました。
『金マル』さんがログをリセットしました。
『あさま』さんがログをリセットしました。
『銀 狼』さんがログをリセットしました。
『俺 』さんが過去ログを添付しました。
影 打『…………えっ、と?』
―*―
とっさのポーカーフェイスが無理だ、と判断したのだろう。一同は険しい顔で表示枠を連打する
ナイスだ皆、と正純が内心で賞賛する中、ダッドリーが大慌てで玉座を回収し、セシルがノンビリとエリザベスに手を貸して。
何事もなかったように、しかし耳を真っ赤にしながら……何故か唐突に鈍い痛みを生じさせた後頭部を、髪を撫でるフリでさすりながら、必死に平静を装うエリザベスが告げた。
「んん! 失礼した。では、会議に戻るとしよう」
「J、Jud.
んんっ──それでは……私たち武蔵の意思を、ここに示そう」
***
「 『武蔵の出港』……そして、極東から英国へ
***
……どこかの宗派の教皇が興奮して椅子から立ち上がり、魔神の教授にそれを窘められ。
……誰がどう表現しても『お疲れ気味のオジサン』という風貌の中年男性が、苦味の強い苦笑を浮かべ。
そして……世界各国の錚々たる面々がその発言に、少なからず度肝を抜かれた数秒。
ざわつきが始まり広がる直前のその数秒間。震源地となった現場は、耳鳴りがしかねないほどに──静まり返っていた。
エリザベスとて、武蔵がどのような要求をしてくるか。という想定をしている。止水の転入の代償に『最低限、武蔵側はこれを望んでくるだろう』と思案していた内容なのだから。
そしてそれを、時間をかけて一つ一つ、石橋を叩いて渡る慎重さで会議していくのだろうと思っていた。
「くっ、くく……」
思っていた──というのに。
「はは、はーっはっーはっ!!! 随分と直球ではないか武蔵の代表よ! ……だが、私好みだ。守り刀だけではなく、貴殿もほしくなったぞ?」
「……怒ったり転……笑ったり、大変だな妖精女王」
「ふん。誰のせいだ誰の。そして妖精女王だからこそ、だ。──この場では、武蔵の出航の可否を主として進めると思っていたのだがなぁ……」
玉座の肘掛を役割どおりに使い、顔を支える。
その姿勢は、彼女が自身の好みドストライクの演劇を見る際の姿勢だ。気づいた者は少ないが、少なくとも両隣の副長・副会長はある程度察したらしい。
「Jud.本来ならば、国と国同士の対話……相応の時間をかけて、お互いの納得のいく結果を導き出さねばならないのだろうが……」
「が?」
「──私たちには貴国や他の国と違い、あまり時間がない。学生主体とされる昨今において、私たちが学生でいられる時間は、長いようでさほどないんだ」
極東民が学生でいられるのは18歳まで。その年度で卒業とされ、主体となる政治関係の行事に携われなくなる。
正純たちは現在高等部三年。つまり、もう一年を切ってるわけだ。──その一年を、長いと取るか短いと取るか。それは各々の価値観の差となるだろう。
「だからこそ、それまでに終わらせなければならない。……私の宣言で始めてしまった『極東の贖罪』を、私たちの代で終わらせるために」
──エリザベスの視界の内。いつの間にか数歩下がり、正純たちの後ろに控えるように立っていた刀が、ゆっくりと眼を閉じようとしていた。
(……どんな思いで、そなたはあの宣言を聞いたのだ?)
極東の贖罪。と、その言葉が最初に使われたのは数週間ほど前のことだ。
表向きには、今から約190年前。現極東、前神州側の失態で起きてしまった重奏神州の崩落。……その大罪を、末世という世界最大難件を解決することで償うと、武蔵アリアダスト教導院・生徒会副会長である本多 正純が宣言したのだ。
しかもそれを、聖連の大国。旧派の首長である教皇総長に対してだ。
──そして内向きには……その統合争乱の折、世界を救い──しかし結果として滅ぼされた守り刀の一族への、償いなのだと。
「私たちは、故・元信公の残した言葉に基づき、全ての大罪武装を回収。そしてそれによって末世が『本当に解決できるのかどうか』を確かめなければならない」
そもそも、末世がいったいどんな脅威なのかすら、正純たちは知らない。
だからこそ……それを調査する上でも、寸暇を惜しむのだと。
「……確かに、末世解決は各国において、歴史再現と同等……もしくはそれ以上の重要案件であることは認めよう。そして極東が過去の罪を雪ぐべく、それに奮起するのも理に適っているのだろうな」
エリザベスの返答はおおよそ、正純の発言を認めるものだった。その反応にわずかに喜色を浮かべた正純が「では」と言葉をつなげようとしたのも、無理はないだろう。
だがその「では」は、エリザベスの「だが」と続く言葉に潰された。
「──末世解決など、武蔵がいまさら声を上げずとも、各国が今までに相応の時間をかけて解決策を思案しているのだ。当然それは、我が英国も同じこと。
それよりも、英国と同等の戦力を保有する武蔵が、ステルス航行のできる都市艦で極東中を漫遊することのほうが……各国にとっては脅威であろう。それこそ、歴史再現も末世解決への調査も、滞ってしまうほどにな」
続く。
「そして……大罪武装を返せ、と簡単に言うがな。どこの国でも、かの武装は国防戦力として大きな一翼を担っているのだぞ? 『返せ』と言われて『はい、わかりました』と、できるはずもない」
正純の言った武蔵の意思──というよりも、この場合は武蔵の要求だろうか。二つあったどちらもが、説得される形で拒否されている。
「それを踏まえた上で、英国は武蔵に提案しよう。武蔵はヴェストファーレン会議までこの英国に留まり、国家間における無用な緊張を回避するのだ。
そしてかの会議の際、各国へ大罪武装の持参を要求すればいい。ヴェストファーレンまでは猶予があるから、大罪武装に代わる新戦力の確保もできよう。もちろん、我が英国はその返却要請にどの国よりも早く賛同し、また支持しようではないか」
それは最早妥協案というレベルではない……エリザベスの言った内容は、ほぼ解決策と言える提案だった。
返却にも英国は真っ先に応じ、その上支持さえするという。こうなれば、他の大罪武装保有国は難色を示しづらい。快く返却した英国と国力をはじめとした様々な分野で比べられるからだ。
それを、武蔵はただ待っていればいい。──安全な、英国の庇護下で。
(……まあ、そう返してくるよな。普通)
エリザベスの提案は、武蔵にとって魅力しかない。だからこそ、正純たちにとっては『毒』でしかないのだ。
ヴェストファーレンまで待てば良い。住民からしたら、それはこの上ない安定だろう。だが、今しかない学生たちは、残り僅かしかない時間を足止めに費やされるのだ。
その上、大罪武装の収集はホライゾンの感情を取り戻すためでもある。武蔵が国家としての主権を、『すべての感情を取り戻したホライゾンを君主として抱くこと』で、他国へ正式に主張するためのものだ。
もし仮に、大罪武装を各国の協力で一箇所に集めて
──否定の意思は決まっている。だが、どう言葉を織り成すべきか。
ほんの数瞬だ。正純が思考に没頭しているうちに。
「……あー、妖精女王。いまの提案、ちょっと待っちゃくんねぇかな」
……英国・武蔵間の合同会議に、完全に『部外者』と判断される二人が、静かに乱入した。