北欧神話出身の執筆者 作:人類最古の執筆者
――――――ヨハネ4:24
水を啜る音が、草木の音に紛れて響く。
森の中の開けた場所に、男と女が二人きり。しかしその事態に色気は無い。
女は植物で編まれたローブを纏い、男は動物の皮で縫った服を纏う。
女のローブは所々に穴が開いており、襤褸であることが見て取れる。しかしそれでも佇まいには神聖な物があり、それは女の身の内から溢れてきているのが分かるだろう。
男の服は繊細な刺繍と細心の加工がなされており、それこそ人の知恵の恩寵である。その趣には強い理性と自我が見て取れ、それだけでその偉大さが分かる。
両手に持つ石は中央が大きく凹んでおり、擂鉢の様になっている。その中身は獣の骨を煮込んだ湯で、そこいらの雑草と肉を煮込んだスープ。
それが神秘の力なのか、或いは素材が良いのか、はたまた舌が馬鹿なのか。
そのスープは特に不味くも無く、普通に食せる程度には、整っていた。
「で、話ってなんだい?」
男――僕が口を開き、対面の彼女に話を促す。
僕は未だに彼女の名前も知らず、しかしどうやら彼女の方は僕の事を知っているようで、それがどうにもひっかかる。
まあ、こんな時代だ。科学ではありえないような情報の漏洩があってもおかしくない。植物から聞いたとか、リアルにある時代だし。
「これは失礼しました。私の事はどうぞ、
「智慧王? 不思議な名前で呼ぶんだな。僕の名前は――」
「――いえ、いえ。いいえ。私が御身の
……何を言っているのか、よくわからない。ていうかヘイズルーンって雌山羊だよね? それでいいのか?
ま、彼女の事はヘイズと縮めて読もう。
取りあえずは、彼女が僕の事を名前で呼ぶ気が無い、というのだけは理解した。
それならまあ、それでもいいか。困ることは無い。
そんなことは置いておいて、僕の事を尋ねに来た理由を聞こう。
そう、彼女はこの森に迷い込んだのではない。いや、そもそもこの時代で女の旅人がいること自体が珍しいことだが、彼女はどうやら、僕を探してここまで来たようなのだ。
僕の事を知る人間なんて、知ろうとできる人間なんて、村の連中ぐらいだが……こんな女はいなかったと断言できる。だってこんな美人いなかったし。
不思議なまでに透き通った肌に、すらりと並ぶ目鼻。水のように艶やかで、若木の様に初々しい、しかしながら千年樹の様な聡明さを持つ不思議な女は、見るだけで記憶に残るほど印象的だ。
こんな人がいて、目につかないわけがない。目立たないわけがない。男どもが、争わないわけがない。
故に、村の中にこんな女はいなかったと、断言できる。
そもそも、隠し子を抱えられる余地なんてどこにもなかったし。
……いや、本当にそろそろ常識を捨てないとな。場所が無くて人間を育てられ、食料が無くとも生きていける世界なんだ。誰かが隠し子にしていてもおかしくない。大方、こんな美しい赤子を他の人の目に触れさせたくない、という理由辺りで隠すだろう。
うん、自分なりに折り合いはついた。真実かどうかは分からないが、一先ずの納得は得た。今はこれでいいだろう。
「それでは折り合いも付いたご様子。本題に入らせてもよろしいですか?」
実は貴女、心読めたりしない?
不自然なまでにタイミングのいい言葉に戦慄を抱きながら、僕は彼女の話を聞く姿勢を取った。
石の碗は横に置き、土の上に正座し直し、客人を汚した不名誉を押し付ける気ですかと脅して座らせた唯一の植物性の御座で姿勢を整えた彼女に向き直る。
「貴方に、衰退の物語を書いていただきたいのです」
ヘイズは、そう言った。
衰退……?
……「衰退」!?
その単語に、天啓のような閃きが僕に降りた。
「衰退、というと、つまり神秘の枯渇の切っ掛けかね?」
確か、前世で読んだ、というか熱狂していたスマホゲーの設定でそんなのがあったはずだ。
この世界があの世界なら、そういう意味なのかもしれない。
そういう思い辺りもあり、すらっと返せた。
「ええ、そうです」
そっかー。そうなんだー。
僕は空を仰ぎ――――――そして木々に覆われた天蓋を見て目を濁らせた。
僕、死んだな。
型月。そう呼ばれるジャンルがある。
特徴としては独特な魔術師という存在の見方に、数多の二次創作を受け入れる土壌。そして、作品を冒涜しない限り易々とチートができない、別名「転生者殺し」とも呼ばれる世界観。
当然、僕が今まで生きてこれたのが奇跡なぐらい、この世界は異物に厳しい。星の防衛機構とかに排斥されてなくて、本当に良かった……
溜息をつきたくなるほど肝が冷える。こういう真実を唐突に突きつけるの、やめてほしい。
しかもその話によると今の時代は神代の最盛期。衰退以前の、神秘が栄えていた時代の事だ。
何だっけか? 月から襲撃が来るんだっけか? んー、なんか違うな。軍神、アルテラがなんか関係してた様な……
ああ、そうだ。セファール? とかいうでっかい奴が月からくるんだったか。月といえばムーンセル。多分ムーンセルの仕業だろうな。で、そのセファールとかいうやつの死体からアルテラが生まれたんだっけか?
だいぶ忘れてるというべきか、むしろよくこれだけ覚えてるというべきか……
一度、しっかり思い出さないとな。
「ふむ、だが、なんでそれを僕に?」
「はい、それについては、予言の存在、貴方の作が必須だからです」
「必須? 何故だい?」
「この世界はまだムーンセルの目についておりません。というのも、彼の知性持つ光の牢は別の星々の観測をしていることと、この世界の神性がガイアの存在を隠蔽しているからです。いえ、抑止力、と言い換えてもいいでしょう」
ははぁ、そういう事か。ムーンセルからセファールが送られてくれば、今の抑止力は代替わりをする。阿頼耶識が別物にすり替わると言ってもいい。今の阿頼耶識は、厳密には西暦のものとは違った……という設定のはずだ。当然、代替わりには先代の消滅が必要。阿頼耶識は消滅に抗うために抑止力を起動。という事か。
「ん? ということは、そんなことをすれば僕は排斥されるんじゃないか?」
「いいえ、そうはなりません。できないのです。心当たりがおありでしょう?」
……確かに、僕の現在の文化活動は、ある意味で星の正史を揺るがすものとなり得る。本来存在しえない魂、未だ発見されない文字、製紙と記録の技術、概念に人格を与える術。
それらは正しく抑止力の粛清対象になり得るものだ。だから、今まで抑止力が働かなかったことで、僕はこの世界が型月だという可能性に思い至らなかった。
でも、何故?
何故僕だけが抑止力の影響を受けない?
カウンターガーディアンはいないのか? 抑止力は何をしている?
まさか……それが、僕の
そんなの、まるで……
「……いや、今は置いておくか」
「はい?」
「何でもない。君が僕に執筆を依頼する理由は分かったよ」
「では――」
「――だが、何故書かなければいけないんだ?」
「……それは、どういう」
「そんなものを書くとなれば、神々も僕の命を狙いに来るだろう。何しろ彼らの生命源でもある神秘を消すのだからね。僕は今の安寧を逃したくはない。そもそも神々と戦える武力もない。それに、何より、だ」
「何より、君の目的が分からない」
「目的、ですか」
「ああ、そうだ。目的だ」
「……それを答えれば、書いていただけるので?」
……ああ、本当にやりづらいな。
このヘイズルーンとかいう女、此処まで一切表情を変えていない。
何も読み取れない。完全なポーカーフェイス。出方が分からない対処法が浮かばない。どうすればいいか、僕はとまどっている。
「いや、別に?」
だから、話の流れをぶった切ってみる。
「……は? え?」
「いやだからさ、君の目的なんてどうでもいい。重要なのはリスクとリターンだ
僕の安全。僕のやる気を促す理由。
――この二つが、僕が依頼人である君に求める最低条件だ」
それは、至極まっとうな前提条件。
さぁ、理由も情緒もへったくれもない、商談の時間といこう。
「……? ……? ……???」
……混乱しすぎではないですか?
格好つけた僕がバカみたいじゃないですかやだー。
「……つまり、貴方は何を望むんですか?」
仕事人風の、真面目な雰囲気を纏っていたヘイズが小首をかしげた。
うん、多分こいつポンコツだ。
「そうだね、それじゃあ――」
何にしようか。
ああ、そうだ。
「――じゃあ、
「………………ふぇ?」
お、赤面した。
わたわたし始めたヘイズを眺めながら、僕はその依頼について考えた。
実のところ、僕はこの依頼に対して肯定的なのだ。何故かというと、面白そうだからだ。
面白そう。そう、面白そうなのだ。
依頼内容の整理として、改めてヘイズの目的を確かめよう。
「『衰退』の来訪の為に、月の観測器に観測されるよう、月の存在を観測する」
――怪物と戦う者は、戦いながら自ら怪物にならぬよう用心したほうがいい。 あなたが長く深淵を覗いていると、深淵もまたあなたを覗き込む。といったのはどこの詩人か。いや、哲学者か。
要は、月を観測すれば、月も観測し返すということだ。
それにより、ガイアは発見され、衰退の引き金は引かれる。
そして神は滅び、西暦を越え、人が栄える。
ああ、それはそれは、面白そうだ。
だから、僕はこの依頼について肯定的なのだ。
ではなぜこうも否定的な意見を口にしているのか? 神々に殺されかねないから?
――いや、それは違う。
ぶっちゃけて、僕は趣味の為になら死ねる自信がある。前世の死因もそうだったはずだ。覚えてないけど。
だから、僕が否定的な意見を口にするのはそこが理由ではない。
では何が理由かというと、気に入らないだけだ。
目の前で淡々と依頼してくる彼女が、こっちを何か装置であるかのように扱っている態度が。
いや、そういうつもりは無いのだろう。こぅちがそう思っているだけだ。
でも関係ない。僕が気に入らなければ、そんな話は聞かない。僕は僕の生きたいように生きる。
だから、今、わたわたしている彼女を見て、僕は「書いてやってもいいかな」という気に成っていた。
無論、僕が書き上げる以上、手抜きは一切しない。それは僕の意地だ。
インクは僕の血を触媒としよう。筆は……この前見つけた苔生した老木から芯を取り、筆先はどこかで罠に捕らえた魔獣の体毛を使う。
さて、紙はどの木で作ったものにするか……とまで考えて、目の前のヘイズの存在を思い出す。
「ああ、冗談だ、書いてや――」
「――ふ、不束者ですが、よろしくお願いします!」
「――るよぉ? おお?」
初めの疑問は、何故今の時代のそんな挨拶を知る者がいるのか、という事だった。
唐突だが、僕の前世はボッチだった。
つまり対人経験が薄いのだ。それでもよかったし、そもそも僕は他人という存在が嫌いだ。
というわけで、この森の中での生活は中々に心地よいものだった。
それを、冗談で言ったことを真に受けた馬鹿が、いや、そんな冗談を言った僕が、ぶち壊した。
僕は空を仰いでこう言った。
「……また勝てなかった」
「はぁ……?」
僕は別に弱者でもないが、そんな気分だった。
今日も空は青いなぁ。青くて、きれいで、広くて、ああ。
嫌みかよ。
はぁ……
言動には気を付けないとなぁ。
――――――書物とは知恵の体系であるから、それを織る者は、信念と誠実に置いてその道に捧げるべきである。