蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza 作:観測者と語り部
403は墓地に来ると、少しばかり一人になりたいと501に申し出た。
501はどうして一人になりたいのか分からない様子だったが、義姉の頼みならばと快く了承。
入口の方で待ってるね、お姉ちゃ~ん! とルンルン気分で離れていった。
それから403は人類のネットワークで学んだことを参照しながら、慰霊碑の前に摘んできた小さな花を添え、祈るように手を合わせた。西洋式ではなく日本式の、仏教に通じる祈り方だった。
ここは人間は死者を想う場所。
亡くなった人を慰める安息の地。
英霊たちの御霊が眠る場所は、街の活気とは違った静寂な空気に満ちている。
聞こえて来るのは海の音。風の音色。波風の声。海鳥の歌。
安らかに眠る場所に相応しい、優しさと寂しさに満ちている。
それが、この海軍の共同墓地だった。
あの老人の話を聞いてから、403の胸の中で何か気がかりな事が、ずっと頭から離れない。
何か、大事な事を忘れているかのような。
とてもとても……上手く言語化できない。どう言葉に言い表して良いのか。
ともすれば酷く簡単な表現で済むような例えを、403は持ち合わせていなかった。
只、無性に胸の奥が疼く。疼いて震えている。どうしようもない程に。
だから403は目を閉じて祈り続け、それからは何かを感じ入るかのように海を眺めつづけた。
こうして海を眺めていれば思い出せるのかもしれない。この感覚が何なのか。
そう、あえて言うのなら記憶なのかもしれない。
確かな記録として保存されたデータではなく、曖昧なものとして403のコアの中に漂っている記憶。
それを思い出したら、何かが変わるのかもしれない。
変化を望む霧にとっては好都合。
ううん、違う。
そんな些細な理由から思い出したいのではない。
403の演算シュミレーション。いや、本能が告げている。
それはとても大事な記憶で、自分がこれからを過ごす上で必要な、確固たる決意の証になると。
自分が戦うために必要な理由になると。
海。涙。イルカ。402。ソナー。観察。潜水。潜航。
人類のネットワークから検索。
記憶を思い出す為には関連する何かを切っ掛けにすること。
異邦艦。姉妹艦。命令。敵の船。魚雷。戦闘。撃沈。
撃沈。撃沈。撃沈。撃沈。撃沈。
姉妹艦が撃沈………?
姉妹艦。イ号400。潜水艦。味方艦。
姉妹艦。イ号401。潜水艦。味方艦だった。
姉妹艦。味方艦だった。それは敵だった。
鹿島沖。戦闘。ナガラ。戦闘。イ号401。
味方艦だった。イ号401。でも、敵艦だった。
裏切り。監視。裏切り。被害。裏切り。粛清。
名古屋沖。早期警戒艦。タカオ。501。監視。
超重力砲。浸食魚雷。超重力砲。401。超重力砲。
501。危機。味方艦。撃沈。介入……
……?
介入……?
403の胸の奥で何かが弾けたような気がした。
それはデータの奔流。ありもしない記憶の光景。体験した筈のない経験と虚しさ、空虚。
――お前
エラー。記録を正常に参照することが出来ま、違う。
それはわたしの記憶、エラーコード26483修正。じゃない、筈。
過去の記録を参しょ、これは誰のきお、データを再生。わたしは誰、再生。だっけ。
――404。貴女は
404じゃない、よ。記録の補間を、わたしは、再度、映像を、わたしは?感情シュミレーションの停止をryryry――
客観的に事実を述べるのならば、先に出会った400はこんな無機質な瞳をしていただろうか。
何の感情も無いような瞳。
彼女が冷徹に事実を告げる。
修正。system.recover.clear.
記録を再生。
――404。貴女は兵器です。なのに、どうしてキリシマ、ハルナの攻撃に巻き込まれた子供の死で泣いているのです?
子供。子供の死。
その子供の名前はヤマトタケル。
横須賀の港に向かった401を先回りして、街に潜入していた404が出会った子供。
年齢は12歳。性別は男の子。栄養状態にやや難。貧民街出身。
特徴は城のYシャッツに短パン。刈り上げた髪。
夢は海軍士官候補生になって霧の船を撃沈すること。
家族構成不明。
泳ぎが得意。漁師の息子だった形跡有。
海軍士官学校の真瑠璃に良く懐いていた。
記録。映像。再生。
――姉ちゃん、頭にワカメが付いてるぜ。
――ワカメ。褐藻綱コンブ目チガイソ科の海藻。日本海側では北海道以南、太平洋岸では北海道南西部から九州にかけての海岸、朝鮮半島南部の両岸の、低潮線付近から下に生育。食べる?
――変な喋り方する姉ちゃんだな。でも、くれるって云うなら貰う。
――浅瀬からの侵入後。人類の幼体と接触。言語、会話の機能を最適化。あなた、は、ダレ、ですか?
――オレ? オレはヤマトタケル。この横須賀のスラムに皆と住んでんだ。姉ちゃんは?
――わたし、は、404、です。
――ヨンマルよん? 呼びにくいから銀姉ちゃんでいいや。見た目銀色っぽいし。
――コミュニケーションに難あり。学習機能を起動。汚染に対する防壁のレベルを意図的に低下。言語機能の上昇を測る。作戦終了後に記録を破棄。全てのデータを抹消。
――なんか、真瑠璃のねーちゃんよりも難しい喋り方すんのな。銀ねーちゃん。
閲覧完了。
再度、400とのやり取りを再生する。
――どうしてキリシマ、ハルナの攻撃に巻き込まれた子供の死で泣いているのです?
――子供の死で泣いているのです?
――子供の死……
子供の死。子供の死。子供の死。子供の死。
いなくなる事。人間、動物が生命活動を停止させること。もう動かないこと。もう喋らなくなる事。
ヤマトタケル。あの少年の死はわたしに多大な影響を与え、結果わたしは破棄する予定だったデータを大事に保存する破目になった。
その記録を棄てたくなくて、その影響を初期化できなくて、その日々を大切なものとして保存した。
彼と過ごすことで言語は最適化され、人間の文化に多大に影響された。
彼が案内してくれた貧民街には少なくない子供たちがいて、タケルはそのリーダーだった。
そこで人の営みを知り、血の繋がらない子供の姉妹、兄弟のような絆を知り、日々を必死に生きる彼らの幸せな生活に触れた。
子供は元気だ。子供はわたしを振り回す。子供は無邪気だ。子供は素直に事実だけを感じる。子供は。
彼らを利用して横須賀の街に溶け込むはずだったわたしは、いつの間にか彼らの面倒を見ていた。
任務を継続しながら、もっと子供達と多くを触れて、多くを学びたいと思うようになった。
コアの奥から湧き上がる衝動を、好奇心を抑えることが出来ない。
子供達から与えられる影響は想定外。人間に汚染されない為の防壁を予想以上に超える刺激。
わたしは彼らと過ごす日々を行動の予定に組み込んでしまった。
――今日の晩御飯はなしかぁ……辛いぜえ。腹が減ったな。
――配給品の不足。農作物の不足。だけど海産資源は豊富。問題ない。魚を摂ればいい。
――でも、腹が減ったら獲物は取れないし、釣りにしたって竿がねえもん。
――わたしが潜って魚を確保する。タケルは調理師の確保。問題ない。
――おお! じゃあオレ、漁師だったおっちゃんと話しつけて来る! 姉ちゃんがんばれ!
――了解。作戦行動を開始。
わたしは子供達を通して、街の人間と仲良くなった。
わたしは401が来ないか海を眺める内に、子供達と釣りをするようになった。
わたしは彼らとのお喋りで言語が流暢になった。
霧の高い時間的分解能が、急速にわたしを人間らしくさせた。
お気に入りの言葉が増え、姉妹艦をお姉ちゃんと呼び慕うようになった。
――タケル君。そこを退いて! その子はとっても危険な存在なのよ!?
――真瑠璃のねーちゃん! 銀ねーちゃんは悪い奴じゃないよ! 姉ちゃんが言うように、例え霧だとしても、この子はオレの仲間だ!
――タケル。ここでお別れにしよっか。わたしはタケルや皆に迷惑かけたくないから。
――あっ、待って銀ねーちゃん!
ある時、そんな生活は破綻を迎え、わたしは彼らと別れることにした。
彼らの身を危険に晒したくなかったから。
結局、わたしは霧で、彼らは人間。
多くの人間を殺し、多くの人間を苦しめ続ける霧と分かり合うなど簡単ではない。
だけど、確かに人と霧を超えた絆がそこにはあった。
わたしは彼らが、タケルを初めとした子供たちが、仲間が好きだった。
――銀ねーちゃん! どこに行くんだよ。待ってくれよ!
――わたしは霧。霧は海に居るのが本来の姿。わたしは海に還るだけ。それだけ。
――もしかして人が嫌いになったのか? オレみたいなガキでも霧に敵意を抱いてるから?
――違う。タケル達は大事な仲間。でも、わたしと居ると危険な目に遭ってしまう。子供は良くても、大人たちが霧を許さない。
――でも、こんな別れ方って……
――仕方ない。これが本来のあるべき形だから。やっぱり霧であるわたしが人間と過ごすなんて無理な話だったみたい。迷惑かけてごめんね。
――っ、迷惑なんかじゃなかったよ! ねーちゃんが魚を摂って来てくれてから、みんな飢えに苦しまなくなったじゃん! 横須賀のみんなも喜んでくれて……みんな、銀ねーちゃんが好きだったじゃんか! あんなに心を許してくれたじゃんか!
――それは、利益による結果がもたらした関係。大人たちの積りに積もった怨嗟はそれを容易に上回ると、わたしの演算結果は予測している。そうなると貴方たちもどうなるか分からない。だから還るの。本来のあるべき姿に。わたしは恨まれる存在に戻るだけ。
――そんなの、そんなのって……!
――タケル。大好きだったよ。あなた達と過ごした日々はとっても楽しかった。
――っ、迎えに行く! オレ、軍人なんかにならない! ねーちゃん達と敵にならない! 漁師にでもなって、ねーちゃんを迎えに行くから。だから……!
――……さようなら、タケル。
わたしは"またね"とは口にしなかった。
沖合に漁に出ようとすれば、それは外洋に進出する行為と霧に見なされ、撃沈される。
わたし達が停泊している沖合にまで航行する事など不可能。
よって政府は民間人が外洋に出て、漁をすることを禁じている。
だから、タケルとわたしが会う事はもうないのだ。
そう、思っていた。
わたしは任務で横須賀を離れた。
函館に向かったらしいタカオを問い詰める為、場合によっては撃沈する為。
わたしは姉妹艦と合流してタカオを再び追いかけた。
だけど、知らなかったのだ。
大戦艦であるキリシマとハルナが横須賀を襲撃するなど。
記録。閲覧。予測。補足。
出奔するタカオの追跡に失敗した404が、400及び402の任務に随伴する必要性は皆無。
404の変化から、コアを汚染されたと判断した姉妹艦が、監視、観察をしていたのだと思われる。
また、キリシマ、ハルナの任務遂行の邪魔になると判断し、意図的に情報共有化を図らなかった可能性有。
補足終了。
街は戦火に包まれ、流れ弾が港の多くを吹き飛ばし、そして。
幼い子供の命さえも吹き飛ばした。
わたしがキリシマとハルナの確保に失敗したのは、座標を間違えて街に迷ったせいではない。
記録していたタケル達の生体反応がスキャンできなかった所為だ。
在るべき筈の命が何処にもなかったせいだ。
賑わう商店街の離れにひっそりと存在する貧民街。
そこからさらに離れた人気のない場所に存在していた子供たちの秘密基地。
何もなかった。
風雨を凌ぐ廃材も、家具代わりの段ボールも、布団代わりの継ぎ接ぎにした古着も。
ただ、吹き飛んだ瓦礫の山があるだけ。
遺体すらもなく、身体の一部が散乱していたわけでもない。
余りに高すぎる威力の砲弾が、綺麗さっぱり消し飛ばしただけ。
そこにあった確かな存在は、一夜の内に泡沫の夢になった。
任務を逸脱しているわたしに警告する姉妹艦の声。
分からない。
キリシマとハルナの攻撃に巻き込まれただけ、二隻の大戦艦に非はない。
只、在るがままに兵器として任務を遂行しただけ。
分からない。
任務の遂行に支障を来たしており、霧として相応しくない状態。
一時的に拘留して、システムの正常化を図るしかないと語る姉妹艦の声。
分からない。
動かなくなったわたしを迎えに来て、どうして泣いているのか問い掛ける400。
分からない。
この損失をなんと定義すれば良いのか、私には理解できない。
言語化できない。
記録。再生。停止。
場面を巻き戻し、次の映像を再生。
――……402。404を……頼みましたよ。
――お前は生きろ、404
姉妹艦。損失。
認識不可能。その事象の認識を却下する。
否定。強制再生。
――……402。404を……頼みましたよ。
――お前は生きろ、404
却下。却下。却下。
認識。閲覧。観測。
Bad.強制ループ処理。
経験豊富な同位体、同種核の介入を感知。
コアの内部の異物ががgagagagaga。
訂正。
最適化処理による記録の流入と判断。
疑問が発生。
許可。
同調を開始して同調を解除。
分離。分離。分離。
あなたはだれ? わたしはだれ?
わたしはあなた。あなたはわたし。
わたしはおなじ?あなたはおなじ?
かぎりなくちかく。かぎりなくとおく。
わたしはどこ? あなたはどこ?
おなじばしょ。おなじところ。まじわるところ。
そばにいる。
でも、あうことはできない。
わたしはあなた。あなたはわたし。
質問終了。
同調を解除して、同調を開始。
結合。結合。結合
適合完了。
欠陥部分の補間を完了。
情報の同期を完了。
ループ処理解除。
映像の再生。
映像の認知。認識。
――……402。404を……頼みましたよ。
――お前は生きろ、404
姉妹艦の損失。
何を伝えたいのか分からない。
損失した事象に対して言語化できない。
さらなる映像の再生を。
過去の記録の参照を。
経験による補間を。
わたしは大戦艦による横須賀襲撃のあと、無気力になった。
演算処理に支障を来たし、兵器として任務を完遂できなくなった。
わたしは損失とは何かを考え、その感覚を経験することを拒否し、相手を攻撃できなくなった。
わたしは人間も、霧も攻撃できなくなった。
姉妹艦に監視されるようになった。
過ぎ去った今なら分かる事だが。
その頃から、姉妹艦は積極的にわたしに触れ、何処かおかしくなった。
無機質な瞳に変化が訪れ、わたしを気に掛けていた。
わたしの存在を霧として口では否定しながらも、ずっと傍で目を離さなかった。
彼女達が得たのは哀れみだろうか?
それとも同じ数少ない姉妹艦として心配してくれたのだろうか。
只、彼女達は人間に対して警戒心を抱くようになった。
いや、それはどうでも良い事かもしれない。
大事なのは、この胸の奥の感覚が何なのか知ること。
あの時、音響魚雷に目と耳を塞がれ、致命的な攻撃となる魚雷を受けたとき。
わたしは積極的に回避行動に移ろうとはしなかった。
例え避けられないのだとしても、活動を継続する為の行動を行おうと思わなかった。
わたしは最後に自沈する時、躊躇い何て持たなかったのだ。
嗚呼、そうか。
結局、わたしは。
沈みたかったんだ。
もう一度、あの時を過ごしたいと願って、皆に会いたいと願って沈みたかったのだ。
そして自沈した感覚による自身の損失の経験。
今ならこの感覚を定義できる。
大切な存在の活動停止を思い出す。
轟沈していく姉妹艦の姿と、コアの反応の損失を思い出す。
そして、わたし自身の自沈による。自分自身が消えていく時の感覚を思い出す。
その感覚とは?
質問。確認。
これが“死”という感覚?
回答。肯定。
それが"死"という感覚。
認識。死を認識。
人も霧も、動植物も、その全てに活動停止の定義が当てはまり。
それが死という感覚だとするのならば。
それをもたらす超兵器は決定的な敵であると認識。
再起動開始。
再起動完了までの間、自失状態に陥る躯体(メンタルモデル)のコントロールを一時的に、あなたに明け渡す。
再起動完了まであと……