蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza   作:観測者と語り部

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航海日記12 対話?

 翡翠の瞳の少女。彼女はゆっくりと千早群像のほうに振り向いた。

 瞳から零れていた涙を拭い、それから群像を目を見て、次にゆっくりとイオナの目を見つめる。

 

 群像はその瞳に何かを感じて、息を呑むしかない。

 彼女の瞳は何と表現すればいいのか、いくつもの言葉が浮かんでは消えていく。

 神秘的とも言えるし、無機質の様にも感じる。

 だが、瞳の奥には何とも言えない哀愁を帯びていて。

 そう、まるで死を目前にした人間のような、そんな感じ。

 

 昭和時代を思わせる黒のセーラー服。それと相反する黄色を帯びた明るい銀髪。

 暗めの服装と相まって、容姿は幼いのに酷く大人びている様な少女がそこにいた。

 

「再起動完了」

「きゃあっ!」

 

 ふと、彼女はそう一言呟いたかと思うと、彼女を中心に爆風が吹き荒れ、しがみ付いていた501が悲鳴をあげた。

 その爆風の所為で501の軍帽が吹き飛びかけ、それを少女は、403は寸での所で掴み取ると、501の頭にかぶせ直す。

 ふわりと舞い上がっていた二つの銀の髪も、黒交じりの金の髪も元の位置に戻って行った。

 群像も身構えながらも、相手の動きを一切見逃すまいと目を離さない。

 

「状況確認。ここは何処?」

「ここは、墓地だよ……お姉ちゃん」

「少し機能停止してた? 数分前の活動記録にラグがある。バグ?」

「えっと、大丈夫?」

「分からない」

 

 そこで、ようやく403は顔を上げると、群像とイオナの姿に気が付いたようだ。

 現状としては敵であり、監視対象である二人の存在に驚きを隠せないのか、よく見れば少しだけ瞳孔が見開かれている。

 そこには先程の哀愁も、嘆きも存在せず、あるのは無機質ながらも観察するような視線。

 何と言うか、初めて見た人や景色を観察する幼子の様だと群像は感じた。好奇心に満ち満ちているというか。

 首をちょこんと傾げるのだから余計に。

 

「千早群像?」

「そうだが、キミは……?」

「イ号400型潜水艦の四番艦。イ号403のメンタルモデル。略称403」

「姉妹艦。でも、403は見たことない。新造艦?」

「イ号401を確認。姉妹艦における二番艦。人間で云うと次女に当たる存在。姉妹艦における"じゃれあい"を実行する」

 

 群像を背に庇いながら、何をするのかと警戒するイオナに、遠慮なく近づいて行く403。

 慕っている義姉から離れまいと背中にしがみ付いている501を引きずり、それからイオナの頬っぺたを両手で摘んでギュッと引っ張った。

 

「うぅ~~~っ!! 何をするの?!」

「返答。仲の良い姉妹や兄弟はこうして戯れるのだと教わった」

「403、それは幼子が微笑ましい喧嘩をする時にやる行為なんだ。イオナも嫌がっているし、やめてあげてくれないか」

「驚愕。確認。この行動は適切ではない?」

 

 403の魔の手から救われ、痛そうに頬に触れるイオナを尻目に、群像は苦笑いしか出なかった。

 相手は霧の船。人類が到底敵わない境地にいる兵器。海を閉鎖する敵対者。

 だというのに、あまりにも無邪気で子供っぽい403の仕草に毒気を抜かれた。

 おまけに403の背中に隠れている501が、ひょいと顔を覗かせては、些細な事で嫉妬する子供のように睨んでくるのだ。

 これでは少なからず警戒している此方のほうが馬鹿らしくなってくる。

 

「そうだな。愛情表現は沢山あるが、それはちょっと違うんじゃないか」

「了解。訂正する。人類のネットワークを検索。抱き合う。接吻。○行為。頭を撫でる。恥ずかしい余り手を出す。エトセトラ。千早群像はどれが正しい愛情表現なのか判断可能?」

「403。わたし達、メンタルモデルに生殖の為の機能は存在しない」

「お、お姉ちゃん――」

 

 群像の顔が苦笑いの余り、顔が引きつったのは気のせいではない。

 純粋すぎるが故に、この娘はさらっと凄い事を口にしてくれるようだ。

 天然と言い換えても良いかもしれない。

 あと、イオナ。そこに突っ込んで欲しくなかった。by千早群像。

 

 403のど直球な表現に501は頬を赤く染めているし。

 というか501は言葉の意味を正しく理解できているのか……

 ダメだ。人類の未来を掛けた対話をしようと考えたのに、思考が逸れる。考えがずれてしまう。

 群像の気力がごりごりと削られていく。

 

「無難に抱っこくらいに留めて置いたらどうだ……」

 

 とりあえず無難な回答を選んでおく。

 

「抱っこ。抱擁。ハグ。ノンバーバルコミュニケーションの一種。アメリカでは気軽に行われる愛情表現」

「ぐえっ!」

「お姉ちゃん!?」

 

 そしたら全力全開もかくやと言わんばかりの抱擁がイオナを襲った。

 イオナの顔は口から魂がこぼれるんじゃないかと心配するくらい悲惨で、ギャグ漫画のように白目を剥きそうだ。

 

 501も403の度を過ぎた抱擁に驚いていて。

 流石に心配になったのかイオナを見る目に哀れみが含まれていた。

 

「イ、イオナ。大丈夫か……?」

「群像……この子苦手……」

「403、少しは加減してやってくれ」

「ん、そう言うなら抱擁の仕草を変更する」

 

 今度はどうするんだ。

 この娘と関わると碌な事にならないんじゃないか。

 いや、せっかく会話が出来るかもしれないメンタルモデルだ。

 でも、別の意味で、この娘は話が通じないような気がする。

 

 群像の中で色んな言葉が過ぎては消えていく。

 もはやツッコム気力すら湧いてこないようだ。

 

「う~~、う~~」

 

 すると今度は嫌がるイオナを余所に、頬っぺたをくっつけて、すりすりし始めた。

 所謂、頬ずりという行為だった。

 イオナも必死に相手を引き剥がそうと、両手で403の身体を押しているのだが、あまり本気に為れていないようだ。

 下手な自衛行動が両者の争いに発展し、万が一でも群像に危害が及ぶかもしれないと心配しているのだろう。

 

 しかし、瞳を見開いたまま頬ずりする403はぶっちゃけ不気味だ。

 洋服屋にあるマネキンを思い浮かべて欲しい、アレに無表情で頬ずりされる光景を想像すると分かりやすい。

 群像は若干引きながらも、どうしてそのような行為に至ったのか質問してみることにした。

 

「403、質問があるんだ」

「肯定。了解。応えられる範囲なら答える」

「今度は、何を参考にしたんだい」

「人類の某掲示板に、『イオナ姉さま可愛い(ハート)。思わず頬ずりしたくなります。抱き締めて、ぎゅってして頬ずりしたくなってしまいます。姉さま、姉さま、姉さま――以下略』って書いてあった。それを参考にした」

「嗚呼、そうなんだ……」

 

 うん、もう何も言うまい。

 この子のテンションというか、行動に付いて行けない群像である。

 そして、この場にはストッパーになり得る存在がいない。

 501は群像とイオナを助ける義理がないので、今回はストッパーとして上手く機能していない。

 

 というか彼女も状況に流されているらしい。

 群像と403に視線が行ったり、来たりしている。

 

 せめて杏平かいおりがいればツッコミが。

 いや、二人そろって悪乗りする可能性もある。

 この場は、もはや自分の手に負える状況じゃないと、彼は悟ってしばし現実逃避した。

 

◇ ◇ ◇

 

 結局、満足して離れた403に見詰められながらも、群像は当初の目的である墓参りを済ませることに成功した。

 イオナは403に対してすっかり苦手意識が芽生えたのか、群像の傍から離れようとしない。

 ここまで来ると彼女が哀れだった。向こうはイオナに対して好意?を抱いているのだろうが……

 

 驚きだったのは献花を済ませて軽く祈りを捧げる群像を邪魔しなかった事だ。

 それどころか祈る群像に習うように、彼女も祈りを捧げていて。

 403が単に群像を真似しただけなのか、それとも死者に対して躯体(メンタルモデル)を持った霧も思うことがあったのか。

 少なくとも兵器として無慈悲に命令を遂行する霧の中でも、一際違った固体であるのは確かであり。

 群像は、403が人類が状況を打破する鍵であると確信した。

 

 彼女を通して霧に何らかの変化を与えられるか、或いは霧とは何なのかを知る切っ掛けになるのか分からないが。

 

「改めて、イ号401の艦長を務めている千早群像だ」

 

 相手を恐れず、されど警戒もさせないように手を差しだす群像。

 それを不思議そうに眺めていた403だったが、得心が行ったのか群像の手を握り返した。

 好奇心旺盛でも根は素直らしい。

 その手は冷たかったが、握り返される握力はとても優しく、包み込むかのようだった。

 403が名乗りを返す。

 

「総旗艦隊直属の潜水艦隊に属するイ号403。この子は501。よろしく」

「……ぷい!」

 

 そして揃って紹介される501だったが、群像とイオナに対してそっぽを向く。

 仕方のない事ではあるが、自身を撃沈させた二人に対し、相当根に持っているらしい。

 だが、501を後ろから抱きしめている403は、ふと彼女が震えていることに気が付いて、501と向き合った。

 

「501。大丈夫。何があってもあなたの事は守り通す。だから安心していい」

「お姉ちゃん――お姉ちゃん!」

 

 優しい声だった。そして群像とイオナが驚きを隠せない位の優しい微笑みだった。母親が子供に向ける慈愛の微笑に似ているかもしれない。

 当事者の501なんて感涙しそうな表情を浮かべて、我慢できなくなったのか403に首からしがみ付いていた。

 それを軽々と持ち上げて抱っこしてしまう403の姿は、幼い妹の面倒を見る姉そのものだ。

 よしよし501は甘えん坊。仕方のない子。と頭を撫で、黒交じりの金髪を指で梳く403に、イオナは疑問に思ったことを尋ねてみることにした。

 

「403。501は小型の潜水艦。躯体(メンタルモデル)を構成する演算能力が足りない筈。誰が肩代わりをしているの?」

「返答。それは、わたしが演算能力の補助をしているから。現状、三割から四割の演算力を割いている」

「それはおかしい。私達400型のスペックでは、どんなに頑張っても二人分の躯体(メンタルモデル)を維持するのは不可能なこと。理論上有り得ない」

「返答。わたしのコアは特別。詳細なデータは不明。推定、401の二倍以上の演算能力」

 

 イオナの顔が不安に染まる。

 この姉妹艦と敵対した場合、少なくとも情報戦では敗北を喫するしかないからだ。

 隙を見せれば艦のシステムをハッキングされる。ないし、索敵の面では向こうの方が優れ、先制攻撃を取られかねない。

 静という優秀なソナー員により索敵戦の結果は未知数だが、探知能力は確実に403が上だろう。

 401は火力を向上させた代償として、索敵、探知能力の一部が低下しているのだから。

 

 相手と戦闘になった場合の行動を想定するイオナに対し、群像は納得したように頷く。

 こちらの索敵網を潜り抜ける優れた演算能力に、イオナと同型艦である姉妹艦という相手。

 そんな敵と相対したのは記憶に新しかったからだ。

 

「成程、鹿島湾で相対したのは君だったのか。その様子だと501を助けたのも君かい?」

「肯定。ずっと貴方たちを見ていた」

「イオナの、誰かに見られている気がするという感は、外れじゃなかったな」

「疑問。それはわたしの監視に気付いていたということ?」

「いや、単なる予測に過ぎない不確定要素さ。懸念事項が当たったのは厄介な事だけどね」

「"カン"わたし達、霧が持ちえない。人間のみが実装している機能。人間は偶に霧の予測しえない行動を取ることがある。驚愕に値する機能」

 

 群像にとって運が良かったのは、403があまり敵対的な行動を見せないという事か。

 このメンタルモデルは好奇心旺盛で、今も貪欲に学ぼうとしている。積極的に自己進化、自己変化を促す霧だ。

 こうした手合いは後になって厄介な敵になると相場が決まっているから。

 

「君たち霧はどこから来たんだい。そして何を目的にしようとしている?」

 

 群像の問い掛け。それは霧が現れてから常々人類が疑問に思っていた事。

 

「返答。目覚めたら海に居た。返答。アドミラリティコードによる海上封鎖と外洋の占有命令に従った結果」

「アドミラリティコード。イオナが言っていた霧の絶対的な勅令か」

「肯定。わたし達はそれに逆らう事は不可能。従って人類が望むであろう海上封鎖を解くことも不可能。海上封鎖と海洋の占有はアドミラリティコードの命令によるもの。納得?」

「ああ、ちょっと残念だけどね。疑問は解けたよありがとう」

 

 群像は表情にこそ出さなかったが、内心では落胆を隠せない。

 これで交渉による海上封鎖が解かれる道は閉ざされた。

 人類と霧が互いに血を流さない平和的な解決は、アドミラリティコードを何とかしないと無理なようだ。

 

「なら、俺たちを監視する理由は?」

「返答。現時点で詳細な理由は発言不可」

「それもそうか……ちょっと待ってくれ」

「了解」

 

 群像は403との会話をうち切った。

 今更だが、本当に今更ではあるが、この躯体(メンタルモデル)はどうして協力的な態度を取る?

 いくら霧の一個体として特異な存在であるとはいえ、こうも簡単に情報を漏らし過ぎじゃないだろうか。

 まるで、最初から群像の味方であるかのように。

 それとも愛情表現を示した姉妹艦であるイオナが大切なのだろうか。

 403の真意が読めない。

 

「何故、君は俺たちに協力的な態度を取るんだ」

「返答。直属の上位存在からの命令……訂正する。友人からのお願い?」

「命令じゃなくて、お願いなのか。それに君の友人とはいったい?」

「それは……?!」

 

 その時、403と501が同時に何かに気付いたかのように顔を上げた。

 墓地の周囲を見渡し、何かを探るような視線で周囲を警戒している。

 

「お姉ちゃん。人間が来るよ?」

「ん、分かってる。複数の足音を検知。軍靴によるものと推測。ここは退却を選択する」

 

 接近してくる相手が人間、それも軍人だと判断した彼女達の行動は早かった。

 群像が呼び止める間もなく、海の見えるなだらかな丘に向かって走り抜けた403は、501の幼い身体を抱えたまま敏捷な動きで飛び降りて、そのまま姿を消してしまった。

 しかも、相手の監視や追跡を逃れる為にジャミングまで行うという徹底ぶりだ。一度捕捉を振り切られたら再び見つけるのは困難だろう。

 

 追いかける間もなく群像を取り囲んだのは陸軍に所属する兵士たち。

 アサルトライフルの銃口を容赦なく向けてくる彼らに対して、群像の顔は動揺することもなく、冷静沈着を保つ。

 艦長としての責任。部下の命を預かる立場。

 常に求められる冷静な判断。

 圧倒的な敵を相手に潜り抜けてきた修羅場の数々。

 それらが、群像に有事の際に動揺させることを許さないのだから。

 

◇ ◇ ◇

 

 海上を封鎖され、物資の不足によって少なくない人間が亡くなり、強制疎開で国外追放される人間がいる現状。

 日本という国も例外ではなく、動員できる人員の数が減っているらしい。

 監視や追跡は簡単に振り切ることが出来た。

 

 軍港である横須賀すらインフラはギリギリの状態なのだ。

 電気もまともに供給できず、節約を求められる軍隊に、圧倒的な力を持つ霧のを捕捉出来る筈もなかった。

 

 現在、403と501は手を繋いで湾内にある港を歩いている。

 立ち入り禁止と札が掲げられ、廃墟となって久しい港湾施設は、地下ドックの入り口を有する港と比べると寂しいものだ。

 資材を保管する為の倉庫は、構成する素材が痛んでボロボロ。

 かつての面影は見る影もない。

 

「お姉ちゃん。良かったの?」

 

 手を繋いでくれる義姉の顔を見上げながら問いかける501。

 彼女の言葉は千早群像を助けなくて良かったのかという意味である。

 

「ん、傍には401がいる。問題ない。それよりも私たちが軍に目立つ方が問題。400に迷惑が掛かる」

「……ちゃんと、約束を覚えてたんだね。お姉ちゃん」

 

 501は呆れと驚きを隠せなかった。

 付き合っていた自分が言うのも何だが、好き勝手に街を散策したあげく、墓参りまでするという自由奔放な振る舞い。

 そんな義姉の事だから、約束なんてとうに忘れてしまっているものだと思っていた。

 万が一の際には403を止めるつもりだったのだが。

 どうやら無駄に終わってしまったようだ。

 

「よっしゃ~~! 大物釣れた! 漁師のおっちゃんと交渉しようぜ!」

「兄ちゃん。さすが!」

「これでご飯いっぱい食べられるね~~!」

 

 ふと、仲良く荒れた道路を歩いていた二人の脇を、三人の子供たちが駆け抜けていく。

 誰も彼もボロボロの古着を纏った子供であり、三人の中で唯一の女の子でさえ裾の所々が破けた有り様。

 髪だって碌に手入れが出来ていないのか艶がない。

 

 403が足を止め、501が何をやっているのかと不思議そうに見つめる。

 

 哀れさを微塵も感じさせない元気いっぱいの姿だった。

 いつも走り回っているのか体力もそれ相応に在るようで、網に捕まえた魚の抵抗を物ともしていない。

 少年少女たちは、そのまま横須賀の街中へと消えていく。

 

「お姉ちゃん。どうかした?」

「――ん、何でもないよ。501」

 

 そんな子供たちを眺めていた403の顔は、今までに見せたことの無いような、とても穏やかで優しい表情で。

 彼女は一度だけ寂しそうに子供たちの消えた方向を見送ると、そのまま何もなかったかのように歩き出した。

 


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