蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza   作:観測者と語り部

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航海日記14 誘拐

 時は少し遡る。

 横須賀の街に潜入していた400は、早朝に刑部邸を訪れていた。

 目的は刑部藤十郎の確保。或いは彼に関する情報の入手。

 振動弾頭の製造に彼は必要ないが、デザインチャイルドである蒔絵の調整には必要なのである。

 何故ならばゲノムデザインプロジェクトの開発責任者は刑部藤十郎なのだから。

 

「突然の訪問。申し訳ないです」

「いえ、ただいま紅茶をお持ちしますので、お掛けになってお待ちください」

 

 400の格好は黒のスーツである。

 見ず知らずの人間が訪問しても追い返されるのは目に見えている。

 だから、政府の命令書と身分証をナノマテリアルで偽造し、正式な来訪者という形をとった。

 これならば刑部家に仕える人間も下手に出れない。

 目論見は一応成功である。

 

 懸念すべきなのは桃色の髪と人形のような表情。

 躯体(メンタルモデル)の特徴を知る人間ならば一発で看破するだろう。

 まあ、目標を達成すれば刑部邸に用はなくなるので、それまでの辛抱である。

 

 400は客間に案内されると、慎ましやかな調度品が飾られた部屋のソファに腰かけた。

 机にはメイドに用意させたのだろうか、カステラというお菓子が切り分けられ、皿に盛られていた。

 

「どうぞ」

「お持て成しに感謝します」

 

 ローレンスと名乗る執事から差し出された紅茶を一口すする。

 メンタルモデルに味覚は不要だが、経験を蓄積する一環として味を解析。

 400はその紅茶が手間を掛けて抽出された天然物だと解析し、少しだけ目を見開く。

 

 それは熱いながらも暖かな味。

 適切な湯と、適切な淹れ方で味を最高に引き立て、相手を快く迎え入れた証。

 繊細かつ鮮やかな装飾が施されたティーカップに注がれた紅く透明な液体。

 それは、この時代ではなかなかお目に掛れない代物らしかった。

 

 少なくとも人類のネットワークから得た情報であれば間違いない。

 しかし、ローレンスという人間の意図までは400には判断が付かなかった。

 

「お気に召しませんでしたか?」

「いえ、風味も良く、素晴らしい香りです。落ち着きます」

「それはようございました」

 

 ローレンス・バレンタイン。

 データでは刑部家に仕えている蒔絵専属の執事とある。

 邸宅を留守にすることが多い藤十郎博士や蒔絵に代わって訪問者の応対。

 そして、蒔絵の教育全般を任された男だというが……

 

 眼鏡を掛けた鋭い目付き。

 少しばかり、やつれた顔付に白髪に染まった髪色と、この年齢にしては老けて見える。

 肉体的には二十代後半から三十代前半といった所だろうか。

 400のスキャン結果では身体的特徴から、彼が名前に反して日本人の可能性が高いと判断している。

 恐らくは偽名の可能性が高い。

 

 目的は分からないが、政府の関係者だろうか。

 もしかすると重要人物である蒔絵を監視しているのかもしれない。

 400はそう分析した。

 

 ローレンスは400の対面の席に座ると早速口を開く。

 

「本日は蒔絵様のことでお伺いなされたとか」

「ええ、昨夜の戦闘を重く見た政府は、蒔絵様の保護を緊急処置として決定致しました。つきましては、わたしが彼女の身柄を預かりに参った次第です」

「……ほう?」

 

 400の如何にも、"それらしい"説明にローレンスが表情を訝しめた。

 

 諜報を主任務とする潜水艦の一隻。

 潜入は得意でも、それは目立たないようにすることであって、溶け込んだり馴染んだりするのは得意ではない。

 故にあまりコミュニケーションを重視しない400は、人との会話が苦手である。

 

 何かおかしな点があっただろうか。400には分からなかった。

 

「残念ながら蒔絵様は外出しておられます」

 

 この時、ローレンスは相手の真意を量ろうとしていた。

 蒔絵は過去に用済みの烙印を押されて処分されかけたことがある。

 藤十郎博士が尽力したおかげで、蒔絵の処分は見送られたが、もしかすると昨夜の霧の襲撃が拙かったのかもしれない。

 事態を重く見た政府が、蒔絵の保護を表向きの理由にして、本当は彼女を処分するつもりなのではないか?

 彼はそう疑い始めていた。 

 

「彼女は何時お戻りになりますでしょうか?」

「何分、供の者を連れずに一人で外出したもので、今日中にはお帰りになられるとしか」

「そうですか」

「蒔絵様には私のほうから、お伝えしておきます」

 

 それは400に帰っていただく為の遠回しな言い方だった。

 政府が怪しい動きをしている以上、すぐにでも蒔絵を保護したい。

 それがローレンスの内に秘められた考えだった。

 

 この時、400は403から蒔絵を確保したとの連絡を受け、考えるように瞼を閉じ、紅茶を飲み干した。

 どうやら出かけていた蒔絵と偶然鉢合わせしたらしい。

 ならば、刑部邸(ここ)には用はないと、次の行動に移ることにしたのだ。

 

 日本政府だって馬鹿じゃない。

 恐らく大戦艦キリシマ、ハルナを轟沈させた瞬間を見ていたはず。

 そして、霧のメンタルモデルに関する情報を得ているならば、相手が本当に消滅しているのか確かめるはずだ。

 もし、メンタルモデルの生存を確認したならば、キリシマかハルナの躯体(メンタルモデル)を確保しようと動くだろう。

 

 400は人間がメンタルモデルを確保できるなど微塵も考えていない。

 だが、横須賀に留まるのは面倒であるのも事実。

 長居は無用である。

 

「仕方ありません。ここは強硬手段をとらせていただきます」

 

 ローレンスを見つめたまま静かに立ち上がった400。

 そんな彼女の不穏な言動と行動を見ても、ローレンスは冷静なままだった。

 彼の懐には念のために忍ばせていた軍用拳銃。

 袖の中には護身用のデリンジャーを仕込んでいるのだから。

 

「……何を為さるおつもりで?」

「貴方こそ無駄な抵抗はしないほうがよろしいです。そのような小火器では、わたしを停止させる事はできません」

「ッ!!」

 

 銃を忍ばせていたことに見抜かれ驚愕するローレンス。

 そんな彼の目の前で。400は衣服を構成するナノマテリアルを再構成。

 彼女の体を桃色の光が包んだかと思うと、瞬く間にチャイナドレスの格好をしていた。

 胸元の空いた桃色の衣装は彼女のトレードマークの一つだ。

 

「君は、一体……?」

「名乗る理由は存在しません。貴方は刑部藤十郎の居場所を吐けばよいのですから」

「そうか、霧か」

 

 わざわざ相手に情報を与えるような真似はしない。

 彼女は霧の諜報を主任務とする潜水艦。

 任務は冷徹に遂行し、無駄は一切排除する。

 

 もっとも403の存在だけは唯一の例外だが。

 総旗艦の命令で止められないし、止められるとも思っていない。

 あれは400には予測不可能な行動を取る存在……認めたくないが自分の妹である。

 

 だが、ローレンスは異常事態でも頭が回るのか、400の正体に思い当たったようだ。

 正解とは言ってやらないが。

 

「目的は蒔絵、いや、振動弾頭のデータといった所か」

「質問しているのはこちらです」

 

 無機質な瞳でローレンスを見つめたまま脅してくる400。

 その翡翠の眼には何の感情も映してないかのようだ。

 ローレンスは執事服の懐から拳銃を取出し、400のこめかみに向けて構えた。

 

 その動作は中々素早く、両手で構える姿もしっかりとしている。

 恐らく何らかの軍用訓練を受けているに違いない。

 だが、自分に対してはまったくの無力であると400は結論付けている。

 

「言ったはずです。そのような銃では、わたしを止められないと」

「……何もしないよりマシだろう?」

「わたしの演算結果ではどう予測しても、それが無意味な行為。徒労に終わると判断しています。それと」

 

 そこで400はいったん言葉を止めた。

 そしてローレンスに警告するかのように告げるのだ。

 "攻撃を受ければ、メンタルモデルは自衛の為に反撃行動を行います"と。

 

 ローレンスは喉をごくりと鳴らす。

 17年前の大海戦。

 人類海軍の総力を意図も簡単に屠った相手。

 人間一人を無力化するなど容易いだろう。

 

 400はローレンスを政府側の、蒔絵を害する人間だと判断したがとんでもない。

 ローレンスにとって蒔絵は掛け替えのない存在であり。

 そして、己の罪の象徴であり、一生を掛けて贖罪しなければならない存在でもある。

 霧や政府の争い。陰謀に巻き込むわけにはいかないのだ。

 

 幸いながら廊下につながる出口はローレンスの後ろ側にある。

 相手を牽制しつつ、隙を見て屋敷を脱出。

 メンタルモデルの相手は、屋敷のメイド型ロボットに任せ、少しでも距離を取る。

 そして急ぎ蒔絵の元まで向かい、政府や霧の手に落ちる前に保護しなければならない。

 

 屋敷には防弾使用の改造車(リムジン)も置いてある。

 いくら身体能力が優れているといっても、加速を全開にした車に追いつけるはずもないだろう。

 車までたどり着ければローレンスの勝ちである。

 

 その後は北管区の首相のもとに身を寄せよう。

 

 北海道や四国、本州を分断された日本では、東京、札幌、長崎による三つの首都を持つ状態。

 そして北側の首相を務める男は蒔絵の兄でもある刑部眞(おさかべまこと)

 彼ならば信頼できるし、東京政府の追手から蒔絵の身を護ることができる。

 同じ日本の政府といっても一枚岩ではないのだ。

 

 霧に関しても行方を完全に眩ませてしまえば早々追ってこれないだろう。

 何よりも霧の艦隊は陸地への本格的な攻撃を行ったことがない。

 蒔絵を匿う相手を殲滅するような真似は出来ない筈である。

 

 逃げ切ってしまえば此方の勝ちだ。

 

「……」

 

 鋭い視線で400を睨みながら、後ろへ後ずさるローレンス・バレンタイン。

 そんな彼の様子から、逃亡するであろうと察した400。

 蒔絵を抹殺しようと動いているのか、保護しようと動いているのか分からないが面倒である。

 

 何せ、"陸に住む人間には攻撃してはならない"というアドミラリティ・コードの命令があるのだ。

 向こうから手出ししてこない限り、の自衛という手段で相手を無力化できない。

 ローレンスが蒔絵の確保に動くならば、逃がすと少々厄介なことになりそうである。

 ここは総旗艦の言葉である"臨機応変"に従って、相手に揺さぶりを掛けるのが得策と400は判断した。

 

「刑部蒔絵の元に行くのなら無駄でしょう。すでに彼女の身柄はこちらの手にあります」

「何だとっ!?」

 

 それは劇的な変化だった。

 冷静沈着であったローレンスの表情は見る見るうちに驚愕に変わる。

 例え相手がハッタリを告げているのだとしても、蒔絵に関わることであれば、彼には無視することなど出来なかったのだ。

 

 これは好機。

 もしかすると面倒な探索を行わずに、刑部藤十郎の行方を知ることができる。

 

「蒔絵は私の娘だ。彼女に手を出すなッ!」

 

 そう考えた400の思考はローレンスの必死な叫びに硬直する。

 彼が蒔絵を娘だと告げる理由。それはすなわち彼が刑部藤十郎だということ?

 ゲノムデザインプランを提唱した人物を親とするならば藤十郎は間違いなく父親だ。

 それとも親代わりとしての、叫びなのか?

 

「それは、では貴方が――」

 

 400には判断が付かない。

 言葉の真意を判断するには経験が足りない。

 それを確証に変えようと問いかけようとした刹那。

 

 すさまじい轟音と爆風が屋敷を覆った。

 


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