蒼き鋼と鋼鉄のアルペジオ Cadenza 作:観測者と語り部
prologue2 蒼き鋼の同盟
千早群像はイオナの艦長として常に冷静沈着を心掛けていた。
しかし、そんな彼でも冷静さを失う時は存在する。
それは自室の二人っきりとなり、テーブルを挟んで、目の前のソファに座っている女性が原因に他ならない。
では、群像が冷静さを失う事態とはどのようなことなのか?
たとえば父である千早翔像が人類を裏切ったかもしれないという根も葉もない噂。
たとえば心の拠り所であった幼馴染の命を奪った第四施設焼失事件。
そして、死んだと思っていた幼馴染が生きて目の前に存在するという事態。
アマハコトノ。
かつて群像や401のクルーとなっている者たちと共に、海洋技術総合学院で学んでいた同級生のひとり。天羽琴乃に瓜二つの人物。
群像の超えるべき壁であり。
群像の心の拠り所であり。
そして群像にとって家族と同じ以上に大切な人。
そんな彼女が生きて群像の前に現れ、しかも霧の艦隊の総旗艦としての立場を名乗る。
故に彼の心の内には複雑な感情が渦巻いていた。
何から話せばよいの分からず、口から言葉が出かかっては、それを声にすることができない。
顔を合わせることも出来ない。
ただ、俯いて目を合わせないようにするのが精一杯であった。
そんな彼をコトノは責めるようなことはせず、かつてと同じように儚げな微笑みを浮かべて見守るだけ。
そして自分で出した紅茶をゆっくりと味わうように口にする。
群像の前にも同じように紅茶を注いではいるが、彼はカップに注がれた紅茶を手に取ることもしない。無理もないだろう。
コトノも群像の心境は察しているので、時間が許すのであれば、彼が話しかけてくるまで待っているつもりだった。
きっと群像の心の中では、様々な疑問と葛藤が渦巻いているはずだ。
どうして生きているのか。
生きているなら連絡を寄越さなかったのは何故なのか。
どうして人類の敵とされる霧の艦隊と行動を共にしているのか。
なぜ、霧の艦隊の総旗艦という立場に収まっているのか。
なぜ、霧の艦隊のトップの立場にいながら、この閉塞された世界を解放しようとしないのか。
なぜ、なに、どうして。
エトセトラ。エトセトラ。エトセトラ。
手を組んで、顔を俯かせている群像の疑問は尽きない。
コトノが再び紅茶を口にする。それでカップの中の液体は空になった。
時間切れだ。"奴ら"が進行してくるまで時間の猶予は、それほど残されていない。
だから、群像の心情を察しつつも、コトノは霧の艦隊の総旗艦として話を進めることにした。
「久しぶりね。群像くん」
「……琴乃」
「今は霧の艦隊のアマハコトノ。そして、もう一人のヤマトでもある」
「俺は――!!」
そこで群像は初めて顔を上げ、ようやくコトノと顔を合わせた。
互いの視線が交差し、瞳が見詰め合う。
しかし、続く群像の言葉は、真剣な様子のコトノによって打ち消されるしかなかった。
その表情は悲しみでも、喜びでもなく、本当に真剣なコトノの顔。
それこそ命のやり取りの中で、何らかの覚悟を決めた人間と同じ表情を彼女はしていて。
だから、群像は何を言うまでもなく、言葉を飲み込んで、怒りにも似た感情をぶつけるのをやめた。
ゆっくりと落ち着きを取り戻し、深呼吸を繰り返し、蒼き鋼の艦長としての自分を取り戻す。
コトノはきっと、それを望んでいるだろうから。
「言いたいことも、聞きたいことも、たくさんあると思う。でも、今はそれどころじゃない。貴方に聞いて欲しいことがあって来たの」
「……分かった。それで、霧の艦隊の総旗艦が俺に何の用だ」
「単刀直入に言うわね。貴方と、貴方の艦隊を霧と人類の連合艦隊における遊撃艦隊として迎え入れたいと思っている」
「霧と、人類の、連合艦隊?」
「そう、この世界を滅ぼさんとする勢力。それに立ち向かうための、連合艦隊」
コトノの言葉とともに、空間モニターが現れ、群像に対して映像と情報を公開していく。
それは、霧が人類の外洋渡航を封鎖してから行われた戦闘記録。
異邦艦と名付けられたそれらは、突如として海域に現れ、霧と人類の双方を無差別に攻撃する存在だった。
霧もだまってやられるつもりもなく、アドミラリティ・コードの命令に従って、敵を殲滅。
そして、人類側も少ない例ではあるが、各地で遭遇しては、この異邦艦を撃退してきた。彼らは陸にも無差別で攻撃を加えてくるのだ。
この存在を霧と人類は、霧側の新兵器か、人類側の新兵器かと双方疑ったが、しだいに第三勢力ではないかと疑いを強めた。
観測と遭遇を続けるうちに、霧は彼らを異世界から転移してくる存在と認識し、人類は新たな第三勢力として霧と共に警戒すべき相手であると結論。
人類側は大きな混乱を避けるために、異邦艦の情報を封鎖し、霧は殲滅すべき対象であると海域封鎖と同時に殲滅行動を続けた。
人類にとっては、相手を放置することで霧と異邦艦の共倒れを狙ったかもしれないという予測もあったが、霧はそれを無視。
だが、話はそれで終わらなかった。
超兵器。そう呼ばれる存在が、帰還したヤマトによってもたらされ、その戦闘力は自分たちに匹敵する脅威であると霧が認識したのだ。
その総数は不明だが、撃退されたとはいえ一隻でもヤマトと互角に渡り合う存在。
超兵器は独特なノイズを発し、それが年々強くなっているとなれば、他の異邦艦のと共に転移してくるのは容易に予測できる。
霧はさらに警戒を強め、そして両者がぶつかり合うのも時間の問題といえた。
「異邦艦?」
「そう。群像くんも遭遇したことがあるはずよ。こちらの呼びかけに一切応じず、無差別に死と破壊を振りまく存在。
霧は人を滅ぼすつもりはないわ。でも"彼ら"は違う。明確な"意思"と"力"を持って、全てを滅ぼさんとする"世界の敵"よ」
断言するコトノの気迫に群像は息をのんだ。
普段は穏やかな彼女が明確な敵意を持つこと自体珍しい。
異邦艦はそれほどまでに危険な存在ということだろう。
空間モニターに表示される情報が切り替わると、今度は異邦艦がロシアやアラスカの海岸線に対して、容赦ない砲撃と爆撃を加える様子が映し出された。
爆撃地点は明らかに人が住んでいそうな場所や人が造り出したと思われる人工物ばかりだった。
それを迎撃しに現れた霧にも苛烈な攻撃を加え、最後には生存を顧みない特攻まで行っている。
これほどまでの敵意と攻撃性は確かに人類と霧にとっての脅威と言える。
放っておけばどんな被害が発生するのか想像がつかない。
かつて人類が手にしていた。そして今は霧が手にしている穏やかな海を、明確な意思を持って荒らす。確かにこれは双方にとって"敵"だ
「だが、人類と手を組まずとも、君たち霧だけで充分に対抗できるんじゃないか?」
群像の答えに、コトノは静かに告げる。
異邦艦の中でも、超兵器と呼ばれる存在が、どれほど脅威なのかを。
「確かに相手はクラインフィールドも持たない。人類とさして変わらない攻撃能力と防御性能しか見せていない。
でも、ヤマトが戦った相手は実体弾を逸らす重力力場に、光学兵器の類を無力化する電磁防壁を搭載していた。
これから転移してくるであろう相手が、それを持っていないとは断言できない。
下手すれば互角か、それ以上の相手。
おまけに転移してくる数からして、向こうのほうが総数は上よ。
そんな状況で人類に背後から寝首をかかれては、勝てる戦いも勝てなくなる。
後顧の憂いはなるべく断ち切っておかなければならない。たとえば振動弾頭とか、ね」
そこで群像は奪われた振動弾頭の開発者が、霧の手の内にあることを察した。
確かに霧の上にコトノがいるなら、そうするだろう。自分が同じ立場だってそうする。
これで人類は振動弾頭という霧に対する抑止力を失ったも同然になる。
しかし、だからといって希望が失われたわけではない。
目の前に霧の頂点に立つ総旗艦が存在する以上、逆転の可能性はある。
せめて、同盟を組む前に、人類にとってより良い条件を引き出さなければ。
交渉とは戦後も見据えて行われるのが基本だ。武力など交渉のカードの一つに過ぎない。
この会話に応じて、同盟関係の信頼を強固なものとし、霧の海上封鎖を解いてもらうだけでも、人類にとっては大きな前進となる。
かつてのように平和な海を取り戻し、人類同士の交流が続いていたあの時代を取り戻すきっかけを作る。
そして、それに乗じて世界の覇権握ろうと、野望を張り巡らす各国を牽制するため、霧の武力を貸してもらう。
最終的に人類と霧が手を取り合い、平和な世界を維持できるようになれば上出来だ。
その後の行われるだろう技術開発で、ともに宇宙に進出できるようになれば、無限の可能性が広がり、資源や土地を巡った争いは限りなく低くなる。
霧が人類にとっての抑止力として存在する限り。
「そうか。それで霧との同盟は人類にとってメリットがあるのか?」
「霧の艦隊による安全の保障。封鎖の限定的な解除。情報の提供。戦力の提供。同盟国に対する保護。考えるだけでも色々あるわね」
「それが確実に行われるという保証は?
17年前の。いや、それ以前から続く戦争による、霧と人類の遺恨は深い。ずっと敵対していた貴官らが約束を守るという保証はどこにもない。
もしかしたら、俺たちは騙されているのかもしれない」
「霧の艦隊の総旗艦として約束を反故しないと誓うわ。
すでに他の艦隊旗艦にも通達しているし、皆が了承している。
こうしている間にも各国で同じような交渉は行われている。
貴方たち人類に対して人道的支援を行うことで、こちらの誠意を伝えてもいる」
「同盟の証として外洋の封鎖を解くことはできないのか?
あるいは技術の提供でもあれば、それが信頼の証となる」
「それは……"今"はできない。
外洋の占有と封鎖はアドミラリティ・コードの至上命令。それを撤回することは総旗艦である私にも、ムサシにもできない事なの。
そして過ぎた技術の提供は貴方たち人類に無益な争いを生む火種になる可能性がある。
かつての冷戦で、核爆弾とロケット技術の開発を巡って、果てしない軍拡競争を繰り広げた貴方たちなら、この意味が分かるはずよ。
下手をすれば、貴方たちは自らの争いで、自らを滅ぼしてしまう。私たち霧が人類同士の抑止力になっている意味もあるのだから。
私たちを滅ぼし、自らも滅ぼしかねないオーバーテクノロジーは"今"は貴方たちの手に余ると判断します」
「そうか……」
コトノは"今"と言った。
それはいずれは何とかするつもりだろうと群像は当たりをつける。
もちろん、コトノが形だけの口約束だけで、嘘を吐いている可能性もある。
だが、霧は人類にとって圧倒的な力を持つ上位者だ。
本来であれば交渉など成立するはずもなく、一方的な脅迫によって従わざるを得ない立場である。
人類が滅亡の危機に瀕していないのは、単に霧が陸上攻撃を仕掛けてこないだけに過ぎない。
「なら、せめて形だけでも約束の証が欲しいものだ。今の証言に対する控えか、記録だけでも構わない」
「それはもちろん。同時に蒼き鋼の代表である貴方に対し、戦力の提供する事で、同盟に対する証にしたいと思っています」
「戦力の提供?」
「ええ。鹵獲した兵器を使ったとはいえ、本来であれば圧倒的な力の差があった。
にもかかわらず、貴方は戦術を駆使して、戦力差をひっくり返し、霧の脅威に打ち勝って見せた。だから」
――貴方が打ち負かした戦力を、貴方の指揮下に加えることで、蒼き鋼と日本政府の、ひいては人類に対する同盟の証にしたいと思います。
首を傾げた群像に、コトノは霧の総旗艦としてそう告げた。
それはヒュウガ、タカオ、キリシマ、ハルナを群像の艦隊に提供すると暗に告げる宣言のようなもの。
各国政府からの反発もあるだろうが、霧がそう決めた以上、格下の人類には何も言う術がないのである。
そして、彼女たちが戦力に組み込まれるということは、ヒュウガのように彼女たちを通して霧の技術を得られるという事でもある。
それらをどうするかは、群像の裁量次第ということだ。
霧の技術や情報を聞き出すのも、霧の戦力としてうまく使うのも、すべて群像に掛かっている。
「すでに彼女たちには私の直属の部下を通して、特殊な拘束具を装備させました。
貴方に付き従っているイオナを通じて、彼女たちが万が一にも逆らえないように、細工を施しています。それと、これを」
続いて渡されたのは一抱えほどもある銀色の密閉式アタッシュケース。
厳重に封が施されており、簡単には開けられそうにない。
重さはそれほどでもないようだが、中に何が入っているかなど予測もつかなかった。
恐らく構成素材はナノマテリアルで出来ている。
ケースの表面は、水色に発光する、見たこともない
群像はそう、当たりをつけた。
「このケースは?」
「それには私とヤマトに万が一のことがあった際、開封されるように仕掛けが施されています。
中に入っているのは、霧について私が知りえた情報の全て。
貴方が疑問に思う事。その答えを記した資料を中に詰め込んでいます。
それを見て、どうするかは貴方次第です」
コトノが知った霧に対する疑問。
霧自身さえ見つけられなかったアイデンティティ。
霧の目的、霧の存在理由、霧の発生起源。それらを記した情報。
それは、まさしく世界を揺るがす"鍵"だ。
使い方次第で、世界を取り巻く情勢が一気にひっくり返る。
なぜならば、多くの霧が
そんな所に自らのすべてを記録した情報をぶちまければ、霧の艦隊の多くが大混乱に陥るだろう事は想像に難くない。
確かに開封することができれば、人類にとっての切り札となる。恐らく振動弾頭以上の。
「なぜ、俺にこれを?」
「群像くんは、この閉塞された世界に風穴を開けたいんでしょう?」
「……それは」
「必ず必要になるわ。だって、貴方のお父様は生きているのだから」
「……ッ」
「私がヤマトと共にいるのなら、彼はムサシと共にいる。そして、アドミラリティ・コードを巡って水面下で争っている」
今日はとんでもない日だと群像は、心の中でため息を吐き。動揺した自分を律しようと心掛けた。
死んだと思っていた幼馴染が生きていたばかりか、行方不明になっていた父親まで霧についているという事実。おまけに欧州で確認されている超戦艦『ムサシ』の傍にいる。
どうして群像と関わりが深いものは、霧との縁も深いのだろうと、つい溜息を漏らすしかなかった。さらには水面下で争いあっているときた。
「親父はなぜ霧についたんだ?」
「人に絶望したから、かな。でも、今は欧州方面防衛を担当する総責任者。
今は味方だから詳しい話はあとで。ただ、貴方には翔像のおじさまが、どうしているのかだけ、知っていてもらいたかった。
後に対立するときに覚悟を決められるように」
「なら、コトノは霧をどうしたい?」
「私は霧と人は共に歩めると信じている。その理想のために戦うの。
私とヤマトがそうだったように。霧と人は必ず分かり合える時が来る。
今は互いに不幸な行き違いをしているだけなのよ……」
その為にも今は目の前の脅威を振り払うことが先決で、貴方の力を必要としているとコトノは語った。
群像はコトノの表情を見て、少なくとも嘘をついているようには思えなかった。
あまりにも彼女が寂しそうな表情をしていたから。
「なら、直接争わずとも、アドミラリティ・コードを求めれば良いんじゃないか。
それなら親父やムサシと対立しなくて済むだろ?」
「アドミラリティ・コードの行方は誰も知らなかった。あのヤマトとムサシでさえ知りえないの。
確かなことは欧州艦隊にいるビスマルクが、アドミラリティ・コードの情報を握っているということだけ。でも、鍵は手に入れた」
「鍵だって?」
「群像くんも会ったでしょう?
イオナの妹。イ号403の
彼女は無意識にアドミラリティ・コードの居場所を知っている。そして“彼女”に会っているわ。
それを墓地での出来事で私は確信した」
「403。あの子が」
「あの子は私たちを、アドミラリティ・コードに導く存在となる。世界の行く末を導く鍵なのよ。
それは欧州にいるビスマルクも同じ。だから、世界の情勢を変える前に、脅威となる異邦艦と立ち向かわなければならない。
その為にも貴方の力を必要としていて。だから、私が直接来たのよ」
コトノはそう群像に語り。
「騙していてごめんなさい。群像くん」
「………」
そうして、素直に立ち上がって群像に頭を下げた。
どうかお願いします。貴方の力を貸してくださいと告げて。頭を下げた。
恐らくコトノは土下座しろと言われれば間違いなくするだろう。群像に協力してもらうためなら、なんだってする。
その瞬間、群像は理解した。
アマハコトノは天羽琴乃であると。第四焼失事件の時から何も変わっていないのだと。
そんな彼女が理想を求めて霧につき。霧の側から世界を変えられないかと戦っていた。何か出来ないのかと一生懸命あがいていた。
そして、コトノはこうして群像の前にいる。群像に助けてほしいと、力を求めている。
なら、群像がすべきことは何なのか。答えは簡単だった。
「頭をあげてくれ。琴乃」
「群像くん?」
群像の言葉とともに、頭をあげ、不思議そうな顔をするコトノ。
そんな彼女に群像も立ち上がって、手を差し伸べた。
「信頼しているさ。いつだって、お前のことは信じている」
告げる言葉は、変わらない幼馴染に対する信頼の言葉。
永遠の別れになってしまったと思っていた、あの事件の時にも告げた。同じ言葉。
「――ふふ、変わらないね。群像くんは」
「お前こそ。琴乃」
だから、コトノも微笑んで、その手を握った。
その瞳には僅かながら、涙が浮かんでいて。表情は隠しきれない喜びと安堵が浮かんでいて。
ここに霧の代表と人類の代表である蒼き鋼の同盟が成立した。
「……僧くん怒ってるよね。というか怒るよね?」
「当たり前だろ。このバカ!! みんなに心配掛けやがって!」
「アイタっ! 頭を引っぱたくことないじゃない、もうっ」
「いいから行くぞ。みんな待ってる。俺からも謝ってやるから、覚悟を決めろ」
「ありがと。群像くん――」
Cadenzaのおかげで、すべてのピースが揃い、性懲りもなく帰ってきた作者。
というわけで超兵器とカーニバルだよ編がスタートです。
映画のように戦術を駆使して?殴り合いたいと思います。
そしてアニメ版のムサシを救うと決めた作者だった。